今日は七夕絵、三名です。まずは、
画は 橋本(揚洲)周延 ようしゅうちかのぶ
天保9年 ~ 大正元年(1838~1912) 作
「千代田之大奥 七夕」です。
☆曇り、小暑。 涼しい。
大型颱風8号接近中、要厳重警戒ですね。
昨日で、五木寛之、新聞連載「親鸞完結編」終了しました。
五木さん(81歳)には三部作(親鸞、激動編、完結編)お疲れ様でした。
朝の楽しみがなくなりましたな。
さぁーて、どうでしょうか? 五木版=親鸞なのだと思う。
なかなか親鸞という人は、自分を語ること極めて少なく、
肉薄するのはやはり難しいようですな。 あまり実在感が感じられない。
唯円房はリアルで面白かったと思うが。
あへて「御伝鈔」とか外しておるし、それはそれでいいのですが。
ま、手前の親鸞本ベストスリーには入りますね。
吉川英治「親鸞」3巻、津本陽 『弥陀の橋は:親鸞聖人伝』2巻、
そして、五木版=親鸞三部作。
真ん中の激動編がいまいちだったのが惜しい、体調もあるかな。
完結編も単行本で近いうち刊行されるでしょう、ご一読をお勧めします。
まずは、
鬼畜米英偽ユダヤ、
◆http://japanese.ruvr.ru/news/2014_07_05/surabyansuku-ippanshimin/
ロシアの声 7月 5日 ,
◎義勇軍 一般市民を救うためにスラヴャンスクを明け渡す
独立を宣言したドネツク人民共和国の第一副首相アンドレイ・プルギン氏は、
一般市民の安全を確保するために、義勇軍がスラヴャンスクから撤退したと伝えた。
なおプルギン氏は、義勇軍の部隊は屈伏していないと指摘した。
プルギン氏は、ウクライナの軍・治安部隊の行動は「スラヴャンスクを徹底的に破壊する」
ことを目的としており、防衛者たちは一般市民を非業の死から守り、
『スラヴャンスク義勇軍の中核』を維持したと述べた。
byイタル・タスより
◆http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201407060000/
櫻井ジャーナル 2014.07.06
◎ウクライナのスラビャンスクから反キエフ軍や住民の多くが脱出、
石油会社の天然ガス開発は容易に
より抜粋、
ウクライナ東部にあるドネツクの中心都市、スラビャンスクを
キエフ政権が派遣した1万5000名以上の部隊は都市の周囲を包囲、
☆http://en.ria.ru/world/20140426/189389521/RIA-Novosti-Obtaines-
Satellite-Photos-Showing-Ukrainian-Military-Buildup-Near-Slaviansk.html
戦闘機や軍用ヘリで住宅街を含む地域を攻撃してきた。
住宅が破壊されるだけでなく、子どもや女性を含む非戦闘員が犠牲になっている。
このスラビャンスクから住民側で編成した自衛軍が脱出、
クラマトルスクへ移動したという。
ウクライナで合法政権が倒された背景やクーデター派による破壊と虐殺を
アメリカや日本などの「有力メディア」は知らぬ振りをしてきたが、
ここにきて「西側」でも取り上げるようになってきた。
例えばイギリスのデイリー・メール。
キエフのペトロ・ポロシェンコ政権が東部地域で行っている攻撃を
ナチスの焦土戦術に準えている。
☆http://www.dailymail.co.uk/news/article-2677613/American-military-advisers-
masterminding-Ukraines-surge-against-pro-Russian-separatists-bid-expand-Nato-east.html
第2次世界大戦中、アメリカ空軍のカーチス・ルメイも焦土作戦を展開した。
広島や長崎に原爆を投下、東京など都市に大量の焼夷弾を落として住民を焼き殺している。
「中小企業が集中している」という弁明もあるが、
東京の場合、攻撃はターゲット地域の周囲に
焼夷弾を落とすことから始まった虐殺目的の作戦。
まず火の壁をつくって逃げ道をなくし、そのうえで
人々の頭上へ焼夷弾を投下したのである。その結果、10万人、あるいはそれ以上とも
言われる住民を焼き殺した。
その一方で重要な工場や交通手段は破壊されず、朝鮮戦争を「後方支援」することになる。
その朝鮮戦争でもルメイは大規模な空爆を実施、朝鮮の78 都市と数千の村が破壊されている。
ルメイ自身の話では、3年間に人口の20%にあたる人を殺したという。
ルメイはそれだけでは飽き足らず、ソ連への先制核攻撃を夢想していた。
当初、核攻撃は爆撃機を使うしかなく、SAC(戦略空軍総司令部)が実行することになるが、
1948年から57年までSACの司令官だったのがルメイ。
後に空軍参謀長になるが、この時期に起こったのがキューバ危機。
このとき、ルメイはジョン・F・ケネディ大統領に対し、
すぐにソ連を核攻撃するべきだと詰め寄っている。
ソ連との平和共存を訴えたケネディ大統領は1963年11月に暗殺され、
副大統領から昇格したリンドン・ジョンソンはベトナムへの本格的な軍事介入を始める。
ベトナム戦争で反米色が濃いと判断された地域の住民を虐殺する
「フェニックス・プログラム」をCIAと特殊部隊が展開、
またラテン・アメリカでは軍事傀儡政権が「死の部隊」で住民を虐殺するのを支援している。
現在も北アフリカや中東で住民を殺し続け、ウクライナでも同じことを繰り返しているわけだ。
以下ご参照!
画は 歌川 廣重 (安藤廣重)
寛政9年(1797年)~ 安政5年(1858年)
号は 一立齋(いちりゅうさい) 作
「名所江戸百景 市中繁栄七夕祭」です。
いやはや、リニアなどいらねぇよなぁw 電気食い過ぎ、
◆http://sun.ap.teacup.com/souun/14633.html#readmore
晴耕雨読
◎「葛西敬之氏 『戦争でも起きないと日本経済も立ちゆかなくなってきますなあ』
:わたなべりんたろ氏」
より抜粋、
☆https://twitter.com/RintaroWatanabe
葛西敬之(かさいよしゆき):Wikipedia
「JR東海」名誉会長にして極右の原発偏愛者。
「安倍晋三の熱心な後援者の一人で、
安倍政権に強い影響力を持っている財界人とされる。また、
籾井勝人のNHK会長就任は葛西の強い推薦で実現したとされる」。
> 「インドあたりで戦争が起きてくれれば、我が国としては一番有り難い…」
という葛西敬之の発言が問題になっているが、かつて朝鮮戦争が始まった時、
吉田茂が「天佑」と言ったことを忘れてはいけない。
殺し合いで金を稼ぐ外道を繰り返さぬために過去と向き合う必要がある。
安倍、麻生のようにではなく。
☆https://m.facebook.com/photo.php?fbid=719538388105516&id=100001480848971&set=
a.417886121604079.73054558.100001480848971
「Hitoshi Kawashima」 7月2日
政財界の人達の、ヨーロッパ・オペラ鑑賞ツアーで、通訳のアルバイトをした。
毎晩、一泊何万円もする豪華ホテルに泊まって音楽祭を巡り、食事の席にも同席した。
その時、某大手鉄道会社の社長さん(当時)が大きな声で話したことを今も忘れない。
「そろそろどこかで戦争でも起きてくれないことには、
日本経済も立ちゆかなくなってきますなあ。さすがに日本の国土で
どんぱちやられたのではたまらないから、私はインドあたりで戦争が起きてくれれば、
我が国としては一番有り難い展開になると思ってますよ。」
ここまでえげつない戦争待望論には、周囲にいた人達もちょっとびっくりしたらしく、
一同目を見合わせ、隣りにいたご夫人が
「またあなたそんなことをおっしゃって、、、」ととりなしている。
「川嶋君、きみたち若い人の意見を聞こうじゃないか」と、
ご本人が話をぼくに振ってきた。言いたいことは山ほどあったけれど、
アルバイト中のぼくには、面と向かって彼に反駁することもできず、言葉を濁してしまった。
今思うと、通訳のアルバイトなんか棒に振ってでも、
彼にしっかり反論しておくべきだったと思う。権力の中枢近くにいるひとに
直接ものを言う絶好のチャンスだったのに。もう10年以上昔の話。
集団的自衛権容認の閣議決定(7月1日)。
この暴挙を安倍首相が進めるにあたって、議論を先導した
首相の私的諮問機関・安保法制懇のメンバーに、あの社長さん
(いまは名誉会長になられているそうだが)が入っている。
「国民の安全を守るため」とか、「海外の戦争に参戦することは絶対にない」とか、
夕べの首相会見では言っていたが、民主主義の手順も無視して強引にことを進める
この内閣の本当の目的が、そんなところにないのは、法制懇の顔ぶれを見ても明らかだ。
背後には死の商人がいる。彼らは戦争でひと儲けしたいのだ。
政府は、歴代政府が守ってきた武器輸出三原則をこの春の閣議決定で撤廃し、
武器の輸出推進政策に転じたのに続き、つい二週間ほど前には
国内軍需産業を強化・育成するための「防衛生産・技術基盤戦略」なるものも決めた。
軍需産業が、大学や研究機関と連携して国の進める軍事政策に協力する体制を、
平時から強化しておくのがねらいだそうだ。
秘密保護法が成立し、憲法9条も死文化した今、重要なことは次々と
機密指定にしてしまえば、国民のあずかり知らぬところで、
海外で戦争を始める準備はどんどん進んでいく。
ほんとうに恐ろしい内閣に、国民は絶対多数のフリーハンドを与えてしまった。
ドイツのヒトラー政権にも並ぶこの暴走内閣をはやく退陣に追い込まなくては、
日本は大変なことになる。
平和憲法のもつ重みを、国民一人一人が心からかみしめられる日を、
もう一度取り返さなくてはならない。
若者たちが総じて無関心、もしくは無行動なのがいちばん気になるところだ。
次は徴兵制だと、死の商人たちが言い出すことは、火を見るより明らかなのだから、
手遅れになる前に、何をおいても今、ぼく達は動かなくてはならない。
▼Hitoshi Kawashima
酒井さま>拝見しました!
記事を書いてから今夜でまる4日ですが、
シェアしてくださる方が日々どんどん増えており、現在2,150件を超えています。
当初はまったく思いもよらなかったこの展開に、大変驚いています。
今日は防衛大臣が、憲法解釈変更の説明にアメリカまで出向いて行ったとか。
まだ国民も、国会もすこしも了承などしていないのに、
ほんとうにどこまでひどい内閣なのでしょう。
記事の中に書いた社長さんは、旅の途上、私が運転する車のなかで、
シューベルトの『冬の旅』をドイツ語の原語で全曲そらで歌ってくださるような、
芸術愛好家でした。当時は私はまだ大学院の学生だったので、
同じ大学出身という気安さから、何の警戒もなくあんな本音を話されてしまった
のだろうと思っています。旅はそれなりに楽しいものでしたし、
個人的にその方のことをあしざまに書くことは気がひけたのですが、
話の内容があまりにもひどすぎました。
その会社が組合と対立して働く人たちにずいぶんひどいことをしているらしい
という話は有名でしたから、シューベルトを歌ってくださる時の
その方の人柄とのギャップに、ひそかに戸惑いを感じていたのですが、
インドの話を聞いた時には、びっくりする気持ちと、
「ああ、やはりそうだったのか」と思いが交錯し、
これが日本を代表する企業トップの方の感覚なのかと、
しみじみとあきれ果ててしまったのです。
その瞬間、私が何の言葉も発せられなかったのは、職を失いたくないからというよりも、
その仕事を私に紹介してくれた方の面目をつぶしてはいけないということが、
とっさに頭をよぎってしまったためです。
あの社長さんが今、私のこの記事の存在を知り、それを読んだ多くの人々が
その方の言葉に抱いている怒り、嫌悪感を知ったら、どう思うだろうと考えると、
やはりぼくとしては心穏やかではいられなくなります。
でもやはり、今こそはっきりぼくはあの人に言わなければならないと思っています。
ぼく達の宝である憲法を奇妙な詭弁を重ねて破壊し、
戦争への道を突き進もうとしている安倍内閣と、
それを操るあなた方を、ぼく達は決して許すことができませんと。
この記事がきっかけとなり、ネット上では社長さんの会社や個人名を特定しようとする、
もしくは特定したとする、ゴシップ的書き込みを多く見かけますが、
ぼくの本意は、昔の話を持ち出してその人個人を糾弾することではありません。
戦争で亡くなった多くの人々の犠牲の上に、
戦後日本の人々が築きあげてきたこの国のかたちを、
国民に相談も、まともな説明もなく、うそにうそを重ねて一内閣だけで
すっかり変えてしまおうとする動き、
幾重にも作られてきた戦争への歯止めを、ひとつひとつ全部取り去ってしまおうとする
乱暴な企みを、どうしても今食い止めるのでなければ、
取り返しのつかぬことになってしまうと思うのです。
ぼく自身が体験し、今も耳に焼き付いて離れない、
あの夏に聞いたあの人のあまりにも身勝手すぎる戦争待望論、そしてその人は、
そのへんの町工場の引退した社長さんなどではまったくなく、
今も現役で、現政権にもっとも大きな影響力を行使する位置に
(国民がそれを望んだわけでもないのに)座っておられる方だということ。
これが、ぼくが自分の発言のよりどころとする、ぼくにとっての真実です。
酒井さんへのお返事のつもりが、何だか余計なことまで書いてしまいました。
今日はいろいろな場所で、いろいろな人の感想を目にしたものですから。
画は 歌川 國芳(くによし)
寛政九年(1797)~ 文久元年(1861)
号は一勇齋、朝櫻楼など 作
「雅遊五節句之内 七夕」です。
若者に入隊勧誘のパンフを一斉に配布しておるのだとか?
手前も高校生三年の時、家にいきなり制服自衛官が来て、
「防衛大学校」受験を熱心に勧められましたよ、受ければ合格したかと思う。
◆http://richardkoshimizu.at.webry.info/201407/article_33.html
richardkoshimizu's blog 2014/07/07
◎戦争行かないといけないの? 高校生に不安の声
「先生、僕たち戦争に行かないといけないの?」と聞く高校生。
「20歳になったら君たちには投票権がある。どういう政治をしてほしいか考え、
そして選挙に行くことだ」と答える先生。
先生、それじゃダメなんですよ。
投票権が強奪されているんです。
有権者の票は、創価信者の票に書き換えられているんです。 不正選挙なんです。
選挙に行って投票しても、戦争をやりたい連中が選挙に勝つ構造になっているんです。
ここを国民に知らしめましょう。 とにかくあらゆる機会を通じて。
情報感謝。
☆http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-228066-storytopic-1.html
琉球新報 2014年7月6日
◎戦争行かないといけないの? 高校生に不安の声
「先生、僕たち戦争に行かないといけないの?」。
4日、那覇市内で開かれた高教組(県高等学校障害児学校教職員組合)の定期大会で、
政府による集団的自衛権行使容認の憲法解釈変更の閣議決定を受け、
生徒たちが不安げに質問してくるようになったとの報告が現場の教諭たちから相次いだ。
高校生たちは「戦前」に回帰しかねない危険性をはらむ国の変化を
敏感に感じ取っているようだ。
本島北部のある高校。
30代の教諭が授業を始めようと教室に入ると
「辺野古に基地が来ると危ないよね」 「戦争が始まるの?」と率直な疑問が相次いだ。
「こんなことは初めてだ」と教諭は驚いた。
そして、沖縄に在日米軍の専用施設の74%が集中すること、
米軍が他国と戦争した場合、基地が集中する沖縄が
攻撃の標的になる可能性を指摘する声があることを説明した。
「じゃあ、これからどうすれば良いの? 閣議決定で決まったらもう変えられないの?」。
生徒たちの問いは続いた。同教諭は
「20歳になったら君たちには投票権がある。どういう政治をしてほしいか考え、
そして選挙に行くことだ」と伝えた。
本島中部の高校でも「先生、集団的自衛権について話そうよ」と声が上がった。
40代の教諭は「担当する4クラス全てでこの話題が出た」と生徒の関心の高さを感じた。
本島南部の学校に勤める50代の教諭は
「『先生、普通の授業している場合じゃないよ』と言われた。
今まで基地問題について話をしても反応しなかった子たちが、
今回は自ら議論を提案してきた。
世の中が今までと違っているということを感じ取っているのだろう」と語った。
「教え子を再び戦場に送るな」。
4日の定期大会会場に掲げられた言葉。
日教組が1951年に制定したスローガンで長い歴史を持つ言葉だが、
ある教諭は「この言葉の重さをこれほどかみしめたことは今までなかった。
私は一人の教え子も戦争には行かせたくない」と力を込めた。
(仲井間郁江)
↑
まさに「軍靴の足音」ですよ。
断末魔ユダ米の矢のような催促、厳命なのだと思う。
従う義務無しさw 不正選挙による簒奪傀儡政権なのだから。
画は 橋本(揚洲)周延 ようしゅうちかのぶ
天保9年 ~ 大正元年(1838~1912) 作
「千代田之大奥 七夕」です。
☆曇り、小暑。 涼しい。
大型颱風8号接近中、要厳重警戒ですね。
昨日で、五木寛之、新聞連載「親鸞完結編」終了しました。
五木さん(81歳)には三部作(親鸞、激動編、完結編)お疲れ様でした。
朝の楽しみがなくなりましたな。
さぁーて、どうでしょうか? 五木版=親鸞なのだと思う。
なかなか親鸞という人は、自分を語ること極めて少なく、
肉薄するのはやはり難しいようですな。 あまり実在感が感じられない。
唯円房はリアルで面白かったと思うが。
あへて「御伝鈔」とか外しておるし、それはそれでいいのですが。
ま、手前の親鸞本ベストスリーには入りますね。
吉川英治「親鸞」3巻、津本陽 『弥陀の橋は:親鸞聖人伝』2巻、
そして、五木版=親鸞三部作。
真ん中の激動編がいまいちだったのが惜しい、体調もあるかな。
完結編も単行本で近いうち刊行されるでしょう、ご一読をお勧めします。
まずは、
鬼畜米英偽ユダヤ、
◆http://japanese.ruvr.ru/news/2014_07_05/surabyansuku-ippanshimin/
ロシアの声 7月 5日 ,
◎義勇軍 一般市民を救うためにスラヴャンスクを明け渡す
独立を宣言したドネツク人民共和国の第一副首相アンドレイ・プルギン氏は、
一般市民の安全を確保するために、義勇軍がスラヴャンスクから撤退したと伝えた。
なおプルギン氏は、義勇軍の部隊は屈伏していないと指摘した。
プルギン氏は、ウクライナの軍・治安部隊の行動は「スラヴャンスクを徹底的に破壊する」
ことを目的としており、防衛者たちは一般市民を非業の死から守り、
『スラヴャンスク義勇軍の中核』を維持したと述べた。
byイタル・タスより
◆http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201407060000/
櫻井ジャーナル 2014.07.06
◎ウクライナのスラビャンスクから反キエフ軍や住民の多くが脱出、
石油会社の天然ガス開発は容易に
より抜粋、
ウクライナ東部にあるドネツクの中心都市、スラビャンスクを
キエフ政権が派遣した1万5000名以上の部隊は都市の周囲を包囲、
☆http://en.ria.ru/world/20140426/189389521/RIA-Novosti-Obtaines-
Satellite-Photos-Showing-Ukrainian-Military-Buildup-Near-Slaviansk.html
戦闘機や軍用ヘリで住宅街を含む地域を攻撃してきた。
住宅が破壊されるだけでなく、子どもや女性を含む非戦闘員が犠牲になっている。
このスラビャンスクから住民側で編成した自衛軍が脱出、
クラマトルスクへ移動したという。
ウクライナで合法政権が倒された背景やクーデター派による破壊と虐殺を
アメリカや日本などの「有力メディア」は知らぬ振りをしてきたが、
ここにきて「西側」でも取り上げるようになってきた。
例えばイギリスのデイリー・メール。
キエフのペトロ・ポロシェンコ政権が東部地域で行っている攻撃を
ナチスの焦土戦術に準えている。
☆http://www.dailymail.co.uk/news/article-2677613/American-military-advisers-
masterminding-Ukraines-surge-against-pro-Russian-separatists-bid-expand-Nato-east.html
第2次世界大戦中、アメリカ空軍のカーチス・ルメイも焦土作戦を展開した。
広島や長崎に原爆を投下、東京など都市に大量の焼夷弾を落として住民を焼き殺している。
「中小企業が集中している」という弁明もあるが、
東京の場合、攻撃はターゲット地域の周囲に
焼夷弾を落とすことから始まった虐殺目的の作戦。
まず火の壁をつくって逃げ道をなくし、そのうえで
人々の頭上へ焼夷弾を投下したのである。その結果、10万人、あるいはそれ以上とも
言われる住民を焼き殺した。
その一方で重要な工場や交通手段は破壊されず、朝鮮戦争を「後方支援」することになる。
その朝鮮戦争でもルメイは大規模な空爆を実施、朝鮮の78 都市と数千の村が破壊されている。
ルメイ自身の話では、3年間に人口の20%にあたる人を殺したという。
ルメイはそれだけでは飽き足らず、ソ連への先制核攻撃を夢想していた。
当初、核攻撃は爆撃機を使うしかなく、SAC(戦略空軍総司令部)が実行することになるが、
1948年から57年までSACの司令官だったのがルメイ。
後に空軍参謀長になるが、この時期に起こったのがキューバ危機。
このとき、ルメイはジョン・F・ケネディ大統領に対し、
すぐにソ連を核攻撃するべきだと詰め寄っている。
ソ連との平和共存を訴えたケネディ大統領は1963年11月に暗殺され、
副大統領から昇格したリンドン・ジョンソンはベトナムへの本格的な軍事介入を始める。
ベトナム戦争で反米色が濃いと判断された地域の住民を虐殺する
「フェニックス・プログラム」をCIAと特殊部隊が展開、
またラテン・アメリカでは軍事傀儡政権が「死の部隊」で住民を虐殺するのを支援している。
現在も北アフリカや中東で住民を殺し続け、ウクライナでも同じことを繰り返しているわけだ。
以下ご参照!
画は 歌川 廣重 (安藤廣重)
寛政9年(1797年)~ 安政5年(1858年)
号は 一立齋(いちりゅうさい) 作
「名所江戸百景 市中繁栄七夕祭」です。
いやはや、リニアなどいらねぇよなぁw 電気食い過ぎ、
◆http://sun.ap.teacup.com/souun/14633.html#readmore
晴耕雨読
◎「葛西敬之氏 『戦争でも起きないと日本経済も立ちゆかなくなってきますなあ』
:わたなべりんたろ氏」
より抜粋、
☆https://twitter.com/RintaroWatanabe
葛西敬之(かさいよしゆき):Wikipedia
「JR東海」名誉会長にして極右の原発偏愛者。
「安倍晋三の熱心な後援者の一人で、
安倍政権に強い影響力を持っている財界人とされる。また、
籾井勝人のNHK会長就任は葛西の強い推薦で実現したとされる」。
> 「インドあたりで戦争が起きてくれれば、我が国としては一番有り難い…」
という葛西敬之の発言が問題になっているが、かつて朝鮮戦争が始まった時、
吉田茂が「天佑」と言ったことを忘れてはいけない。
殺し合いで金を稼ぐ外道を繰り返さぬために過去と向き合う必要がある。
安倍、麻生のようにではなく。
☆https://m.facebook.com/photo.php?fbid=719538388105516&id=100001480848971&set=
a.417886121604079.73054558.100001480848971
「Hitoshi Kawashima」 7月2日
政財界の人達の、ヨーロッパ・オペラ鑑賞ツアーで、通訳のアルバイトをした。
毎晩、一泊何万円もする豪華ホテルに泊まって音楽祭を巡り、食事の席にも同席した。
その時、某大手鉄道会社の社長さん(当時)が大きな声で話したことを今も忘れない。
「そろそろどこかで戦争でも起きてくれないことには、
日本経済も立ちゆかなくなってきますなあ。さすがに日本の国土で
どんぱちやられたのではたまらないから、私はインドあたりで戦争が起きてくれれば、
我が国としては一番有り難い展開になると思ってますよ。」
ここまでえげつない戦争待望論には、周囲にいた人達もちょっとびっくりしたらしく、
一同目を見合わせ、隣りにいたご夫人が
「またあなたそんなことをおっしゃって、、、」ととりなしている。
「川嶋君、きみたち若い人の意見を聞こうじゃないか」と、
ご本人が話をぼくに振ってきた。言いたいことは山ほどあったけれど、
アルバイト中のぼくには、面と向かって彼に反駁することもできず、言葉を濁してしまった。
今思うと、通訳のアルバイトなんか棒に振ってでも、
彼にしっかり反論しておくべきだったと思う。権力の中枢近くにいるひとに
直接ものを言う絶好のチャンスだったのに。もう10年以上昔の話。
集団的自衛権容認の閣議決定(7月1日)。
この暴挙を安倍首相が進めるにあたって、議論を先導した
首相の私的諮問機関・安保法制懇のメンバーに、あの社長さん
(いまは名誉会長になられているそうだが)が入っている。
「国民の安全を守るため」とか、「海外の戦争に参戦することは絶対にない」とか、
夕べの首相会見では言っていたが、民主主義の手順も無視して強引にことを進める
この内閣の本当の目的が、そんなところにないのは、法制懇の顔ぶれを見ても明らかだ。
背後には死の商人がいる。彼らは戦争でひと儲けしたいのだ。
政府は、歴代政府が守ってきた武器輸出三原則をこの春の閣議決定で撤廃し、
武器の輸出推進政策に転じたのに続き、つい二週間ほど前には
国内軍需産業を強化・育成するための「防衛生産・技術基盤戦略」なるものも決めた。
軍需産業が、大学や研究機関と連携して国の進める軍事政策に協力する体制を、
平時から強化しておくのがねらいだそうだ。
秘密保護法が成立し、憲法9条も死文化した今、重要なことは次々と
機密指定にしてしまえば、国民のあずかり知らぬところで、
海外で戦争を始める準備はどんどん進んでいく。
ほんとうに恐ろしい内閣に、国民は絶対多数のフリーハンドを与えてしまった。
ドイツのヒトラー政権にも並ぶこの暴走内閣をはやく退陣に追い込まなくては、
日本は大変なことになる。
平和憲法のもつ重みを、国民一人一人が心からかみしめられる日を、
もう一度取り返さなくてはならない。
若者たちが総じて無関心、もしくは無行動なのがいちばん気になるところだ。
次は徴兵制だと、死の商人たちが言い出すことは、火を見るより明らかなのだから、
手遅れになる前に、何をおいても今、ぼく達は動かなくてはならない。
▼Hitoshi Kawashima
酒井さま>拝見しました!
記事を書いてから今夜でまる4日ですが、
シェアしてくださる方が日々どんどん増えており、現在2,150件を超えています。
当初はまったく思いもよらなかったこの展開に、大変驚いています。
今日は防衛大臣が、憲法解釈変更の説明にアメリカまで出向いて行ったとか。
まだ国民も、国会もすこしも了承などしていないのに、
ほんとうにどこまでひどい内閣なのでしょう。
記事の中に書いた社長さんは、旅の途上、私が運転する車のなかで、
シューベルトの『冬の旅』をドイツ語の原語で全曲そらで歌ってくださるような、
芸術愛好家でした。当時は私はまだ大学院の学生だったので、
同じ大学出身という気安さから、何の警戒もなくあんな本音を話されてしまった
のだろうと思っています。旅はそれなりに楽しいものでしたし、
個人的にその方のことをあしざまに書くことは気がひけたのですが、
話の内容があまりにもひどすぎました。
その会社が組合と対立して働く人たちにずいぶんひどいことをしているらしい
という話は有名でしたから、シューベルトを歌ってくださる時の
その方の人柄とのギャップに、ひそかに戸惑いを感じていたのですが、
インドの話を聞いた時には、びっくりする気持ちと、
「ああ、やはりそうだったのか」と思いが交錯し、
これが日本を代表する企業トップの方の感覚なのかと、
しみじみとあきれ果ててしまったのです。
その瞬間、私が何の言葉も発せられなかったのは、職を失いたくないからというよりも、
その仕事を私に紹介してくれた方の面目をつぶしてはいけないということが、
とっさに頭をよぎってしまったためです。
あの社長さんが今、私のこの記事の存在を知り、それを読んだ多くの人々が
その方の言葉に抱いている怒り、嫌悪感を知ったら、どう思うだろうと考えると、
やはりぼくとしては心穏やかではいられなくなります。
でもやはり、今こそはっきりぼくはあの人に言わなければならないと思っています。
ぼく達の宝である憲法を奇妙な詭弁を重ねて破壊し、
戦争への道を突き進もうとしている安倍内閣と、
それを操るあなた方を、ぼく達は決して許すことができませんと。
この記事がきっかけとなり、ネット上では社長さんの会社や個人名を特定しようとする、
もしくは特定したとする、ゴシップ的書き込みを多く見かけますが、
ぼくの本意は、昔の話を持ち出してその人個人を糾弾することではありません。
戦争で亡くなった多くの人々の犠牲の上に、
戦後日本の人々が築きあげてきたこの国のかたちを、
国民に相談も、まともな説明もなく、うそにうそを重ねて一内閣だけで
すっかり変えてしまおうとする動き、
幾重にも作られてきた戦争への歯止めを、ひとつひとつ全部取り去ってしまおうとする
乱暴な企みを、どうしても今食い止めるのでなければ、
取り返しのつかぬことになってしまうと思うのです。
ぼく自身が体験し、今も耳に焼き付いて離れない、
あの夏に聞いたあの人のあまりにも身勝手すぎる戦争待望論、そしてその人は、
そのへんの町工場の引退した社長さんなどではまったくなく、
今も現役で、現政権にもっとも大きな影響力を行使する位置に
(国民がそれを望んだわけでもないのに)座っておられる方だということ。
これが、ぼくが自分の発言のよりどころとする、ぼくにとっての真実です。
酒井さんへのお返事のつもりが、何だか余計なことまで書いてしまいました。
今日はいろいろな場所で、いろいろな人の感想を目にしたものですから。
画は 歌川 國芳(くによし)
寛政九年(1797)~ 文久元年(1861)
号は一勇齋、朝櫻楼など 作
「雅遊五節句之内 七夕」です。
若者に入隊勧誘のパンフを一斉に配布しておるのだとか?
手前も高校生三年の時、家にいきなり制服自衛官が来て、
「防衛大学校」受験を熱心に勧められましたよ、受ければ合格したかと思う。
◆http://richardkoshimizu.at.webry.info/201407/article_33.html
richardkoshimizu's blog 2014/07/07
◎戦争行かないといけないの? 高校生に不安の声
「先生、僕たち戦争に行かないといけないの?」と聞く高校生。
「20歳になったら君たちには投票権がある。どういう政治をしてほしいか考え、
そして選挙に行くことだ」と答える先生。
先生、それじゃダメなんですよ。
投票権が強奪されているんです。
有権者の票は、創価信者の票に書き換えられているんです。 不正選挙なんです。
選挙に行って投票しても、戦争をやりたい連中が選挙に勝つ構造になっているんです。
ここを国民に知らしめましょう。 とにかくあらゆる機会を通じて。
情報感謝。
☆http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-228066-storytopic-1.html
琉球新報 2014年7月6日
◎戦争行かないといけないの? 高校生に不安の声
「先生、僕たち戦争に行かないといけないの?」。
4日、那覇市内で開かれた高教組(県高等学校障害児学校教職員組合)の定期大会で、
政府による集団的自衛権行使容認の憲法解釈変更の閣議決定を受け、
生徒たちが不安げに質問してくるようになったとの報告が現場の教諭たちから相次いだ。
高校生たちは「戦前」に回帰しかねない危険性をはらむ国の変化を
敏感に感じ取っているようだ。
本島北部のある高校。
30代の教諭が授業を始めようと教室に入ると
「辺野古に基地が来ると危ないよね」 「戦争が始まるの?」と率直な疑問が相次いだ。
「こんなことは初めてだ」と教諭は驚いた。
そして、沖縄に在日米軍の専用施設の74%が集中すること、
米軍が他国と戦争した場合、基地が集中する沖縄が
攻撃の標的になる可能性を指摘する声があることを説明した。
「じゃあ、これからどうすれば良いの? 閣議決定で決まったらもう変えられないの?」。
生徒たちの問いは続いた。同教諭は
「20歳になったら君たちには投票権がある。どういう政治をしてほしいか考え、
そして選挙に行くことだ」と伝えた。
本島中部の高校でも「先生、集団的自衛権について話そうよ」と声が上がった。
40代の教諭は「担当する4クラス全てでこの話題が出た」と生徒の関心の高さを感じた。
本島南部の学校に勤める50代の教諭は
「『先生、普通の授業している場合じゃないよ』と言われた。
今まで基地問題について話をしても反応しなかった子たちが、
今回は自ら議論を提案してきた。
世の中が今までと違っているということを感じ取っているのだろう」と語った。
「教え子を再び戦場に送るな」。
4日の定期大会会場に掲げられた言葉。
日教組が1951年に制定したスローガンで長い歴史を持つ言葉だが、
ある教諭は「この言葉の重さをこれほどかみしめたことは今までなかった。
私は一人の教え子も戦争には行かせたくない」と力を込めた。
(仲井間郁江)
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まさに「軍靴の足音」ですよ。
断末魔ユダ米の矢のような催促、厳命なのだと思う。
従う義務無しさw 不正選挙による簒奪傀儡政権なのだから。
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