ギャラリー酔いどれ

売れない絵描きの世迷い言&作品紹介

神有月へ

2015-10-31 10:57:01 | Weblog
 画は 落合 芳幾 (おちあい よしいく)

 天保4年(1833年) ~ 明治37年(1904年)
 
 歌川國芳の門下で、月岡芳年とは兄弟弟子。

 画姓は歌川、画号は一恵齋など。                    作


  「昔語東立引 むかしがたり あづまの たてひき(意地を張り合う)」より、

  「男達 金原の亀蔵」です。


☆曇り、雪になるか?

ユダ米は鬼畜そのものですが、

負け戦を、もう一当押し返してと、ズルズル引きずり続けた昭和天皇、

◆http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/siniseooinihonbasikaiwaidemohaihu.html
長周新聞  2015年10月21日付


    老舗多い日本橋界隈でも配布

        東京大空襲本紙号外

      犠牲者のためにも真実を後世に


本紙は19日、本紙号外「語れなかった東京大空襲の真実を東京都墨田区に続いて、
中央区日本橋界隈でも配布した。

江戸時代から続く老舗の多い日本橋界隈でも、東京大空襲で甚大な被害を受けながら、
慰霊碑も慰霊行事もない実態が明かされ、
当時の経験が受け継がれていないことに強い憤りが渦巻いており、
本紙号外に強い共感が示された。

 
体験抹殺の背後にアメリカ

江戸時代から城下町の中心として栄えてきた日本橋は、
飲食店や物販など創業100年をこえる老舗が軒を連ねており、
終戦末期の東京大空襲によって町の大部分を焼失し、全焼家屋は約2万2000戸、
約5000人が死傷したといわれる。

だが、戦後の都市開発によって商業ビルが林立する一方で、東京空襲の慰霊碑もなく、
東京空襲の記憶をとどめるものはほとんど残されていない


本紙号外は商店主たちから興味深く受けとられ、
当時を知る人人から口口に体験が語られた。

呉服や雑貨などの問屋が集まる横山問屋街(日本橋横山町)の60代の男性は、
本紙号外を受けとると、「おお! 東京大空襲か」と強い関心を示し、
「この店も空襲で焼けた後から、店の主人が苦労して築き上げてきたものだ。
私の家も戦争当時は浅草で商売をやっていたが、空襲ですべて焼かれてしまい、
地方の親戚を頼って疎開した後、私が生まれて再び東京に戻ってきた。

しかし店がなくなっているから商売を続けられず、戦後はずっとこの店に勤めてきた。
昔からこの近辺にいた人はそういう人が多く
横山町でも店主は地方から出てきた人がほとんど。
だから空襲体験が話題になることは少ない。

今は教育でも、東京大空襲のことを教えないからみな知らない
ぜひこの新聞で知らせてほしい」と期待をのべた。

鞄問屋の60代の男性は、「東京大空襲を扱うところがほとんどないなかで、
このようにして調べてもらってありがたい。
私たちは、小さいころから親父たちに体験を聞かされて育ってきた。
大学を卒業してから独学でいろいろ勉強してきた」とのべ、

東京大空襲は、まぎれもなく米軍による大量虐殺だ
GHQは戦後、共産党にもカネをつぎ込んできているから、
共産党も日教組の先生も空襲のことを教えていないのではないか。

GHQは、自民党と共産党を対立しているように見せかけながら、
実はどちらも養成してきたようなものだ。

私の店も空襲で焼けたが、戦後すぐにバラックを建て、昭和二五年には
今の建物を建てて商売を始めた。

私たちの世代は各家ごとに体験が受け継がれているが、
その体験はほとんどの人が知らないものだ。
これを伝えていくことが重要だ」とのべた。

店の外壁に空襲によって焼け野原となった日本橋界隈の空撮写真を大きく掲示している
老舗日本料理店の男性店主は号外を持っていくと、
料理中だったにもかかわらず厨房から出てきて
「私の家は疎開する数日前に空襲にあい、家財道具からすべて焼かれた。
祖父は東日本橋の方で、倒れて亡くなっているのが見つかっている」とのべた。

「私は昭和27年頃に空襲で焼け残った久松小学校に入学したが、
当時のことはなにも教わらなかった。後で調べると、コンクリートの校舎外側以外は
すべて焼けているから、本当は屋根裏の板などは黒焦げだったのだと思う。
その後、すべて新築校舎に建て替えられた。

学校周辺や多くの犠牲者を出した明治座の辺りも、写真を見ればすべて焼け野原だが、
私が物心ついた頃にはすべて建て替えられて空襲にあったことはほとんど分からない。
空襲を伝えるものが皆無に近い

久松町会でも多くの人が亡くなっているが、明治座のそばの慰霊碑で
慰霊祭をやっている以外は、慰霊祭をやっている所はない。
わざわざ下関から来ていただいて感謝している」と丁重にお礼をのべた。

日本橋久松町の80代の婦人は、古くから繊維問屋をしており、
当時は埼玉県に疎開していたが、幼い弟と妹を空襲で失ったことを明かした。
「弟と妹が近所の人と一緒に逃げた久松小学校では、逃げ込んだ人のほとんどが亡くなった。
だが、今でも慰霊碑はない。骨は横網の慰霊堂にまつられているというが、
まだ幼い骨は柔らかくて、すべて焼けてなくなってしまったのではないか」
と無念さをにじませ、「もう二度と戦争はしてはいけない。
空襲でたくさんの人が亡くなったことを伝えていくことはとてもいいことだ。
若い人たちに頑張ってもらいたい」と期待を語った。

東日本橋で明治時代から続く飲食店の男性店主(60代)は、
「わざわざ山口県から来ていただいてありがたい」と快く号外を受けとり、
厨房にある神棚を指さして「わが家は3月10日の大空襲で
この場所に焼夷弾が直撃して全焼した。油脂焼夷弾は今のクラスター爆弾と同じ収束爆弾で、
空中で分散してバラバラと落とされ、
筒状の焼夷弾の中に入れられたゼリー状の油脂が飛び散り、水では消えないし、
ぬぐいとることもできない

人間の手足に付着すれば、腕を鉈で切り落とすしか助かる方法はないといわれた。

だからみんな空襲が始まればとにかく家屋の中に避難するようにしていたが、
木造家屋も防空壕も燃えたので蒸し焼きになった人が多い


父親たちは関東大震災での経験から、建物に入らず、鍛冶町の焼け跡に避難して助かった。
隅田川を渡って深川方面に逃げた人は全滅したといわれている」と話した。

また、「家も財産もすべて失った戦後の復興は大変なものだったと思う。
もう少し戦争が早く終わっていたら、広島、長崎も、東京大空襲もなかったはずだ

あれほどの大殺戮を忘れるようなことがあってはならない。
だが日本橋でも東京空襲の慰霊碑はなくまともに継承されていない。
東京大空襲の前には江東区の上空で厚木の海軍戦闘機がB29に体当たりして撃墜させている。

彼らの死を無駄にしないためにも、東京大空襲の実態を伝えていくべきではないか

と激しい口調で語った。

日本橋人形町のたばこ屋の男性(83歳)は、
「この周りでは明治座付近の空襲被害がとくにひどかった」とのべた。

鉄筋だから安全といわれていた、明治座に避難した大勢の人が窒息死し、
蝋人形のようになって死んでいたり、隅田川に大量の死体が浮いていた
ことを語り、
「当時は箱根に疎開していたが、関東地方は毎日のように米軍の空襲を受け、
太平洋から東京方面へ向かうB29の群れが空を覆い尽くして真っ黒になっていた。
子ども心にこんな戦争が勝てるわけがないと感じていた
」と話した。

また「終戦後の生活がもっとも苦しかった。箱根は空襲を受けなかったが、食料がなく、
イモのまわりに米がくっついているだけの“イモご飯”を食べていた。

13歳だったが箱根細工をつくり、横須賀の米軍相手に電車を乗り継いで売りに行っていた。
その帰りに素うどんを食べるのがささやかな楽しみだった。

米軍が吸って捨てたタバコを拾い集めてバラし、巻き直して売ったりもした。
食いつなぐのに必死だった。

戦争になれば教育、メディアもすべてが嘘を教え込ませて国民を欺き、
みなを戦争に向かわせるんだ
」と当時の経験を重ねて語った。

日本橋馬喰町で雑貨問屋を営む80代の婦人店主は、
「馬喰町から京橋、浜町、日本橋界隈はほとんどが焼け、
神田佐久間町からコンクリート建ての三越だけが見えた。
建物は残ったが内部は全焼していた。2月24日と3月10日の2回攻撃を受けたが、
このあたりは江戸時代に干拓されているので
地下は砂地で、地下を掘ると海水が出るから逃げる場所がなかったという。

姉は爆撃から守るために祖母に覆い被さって亡くなったと聞いている。
岩本町の和泉橋は熱くて渡れず、神田川も死体がたくさん浮いていた。

日本橋の欄干に焼夷弾で燃えた後や機銃掃射で空いた穴などが残っているが、
この地域でも若い人は空襲の事実すらほとんど知らない。

ここにいた人たちは終戦後は各地に散ってしまい、
日本橋育ちの人もほとんどいなくなっている。ぜひ伝えてほしい」
と切実な面持ちで語った。


慰霊碑建立 運動の力に


戦後、10万人が殺された東京大空襲の慰霊碑すら建てない行政に対する怒りは
東京都内で充満し、一向に動かず無視を決め込む国
に対して、
生存者や遺族はあらゆる手段を通じて働きかけをおこなってきた。

号外は関係者の強い共感を集め、「知らなかった事実を伝えてくれてありがたい。
運動を盛り上げる力にしたい」と語られている。

江東区森下に住む空襲遺族によれば、20年前に国立の慰霊碑建立を求める署名活動を
都内全域に呼びかけておこない、11万5000筆をこえる賛同署名が集まった。

その署名を持参して管轄する総務省に要望に赴いたところ、
「署名の数ではなく、区議会、都議会、国会の採択があれば考える」と指示され、
発起人を中心にして関係機関を奔走。

区長や議員に働きかけ、中央、台東、墨田、江東、江戸川、荒川の6区議会、
都議会で意見書が採択され、2005年には衆議院本会議で
全国戦災犠牲者平和慰霊碑建立の請願が採択可決されるところまでいった。

これを機会に国会議員連盟までつくられ、顧問となった安倍首相自身が遺族らに対して
「さまざまな課題を乗りこえて国として慰霊できるようにしたい」といいながらも、
現在まで実現のメドすら立たぬまま、
体験者が消えていくのを待つかのような牛歩戦術が続いていることに苛立ちが募っている。

署名活動に携わってきた八六歳の男性は、
空襲によって3人の肉親を目の前で火だるまにされた経験を語り、
「あの炎の中、ヤケドで赤く膨れあがって絶命寸前の人人が“水”ということもできず、
私の目の前で“ずう…ずう”と水を求めながら死んでいった。

死んでいった人たちは何もできない。
私たちがやれることは、せめて慰霊碑を建て、彼らの死を犬死ににさせないことだと思って
活動を始めたが、平和の碑を建てたいというだけのことが70年経っても実現されない裏には、
アメリカの占領政策があるのだということがよくわかった


毒ガスが国際法違反なら、なぜ戦場からはるか後方にある東京で
無抵抗の市民を焼き殺すことが戦争犯罪でないのか


これは単に“しかたがない”で片付けられることではない。

虫でも殺すような感覚で日本人が殺された

安保法案で、アメリカが戦争した国に自衛隊が送られ、日本が危険にさらされる。

日本の防衛のためといいながら、また犠牲にさらされることになるのではないか

と語気を強めた。

「私たちに残された時間は少なく、このままでは当時を知る人はいなくなってしまう。
最後は世論の力だと思うし、ぜひ大宣伝してもらいたい」と号外への共感をのべ、
「活用させてもらいたい」と号外を預かった。



芳幾、二枚目、



「太平記三十六番相撲」  「第廿八之番 ヒ」 「可児才蔵」です。



凋落ですなぁ、

◆http://richardkoshimizu.at.webry.info/201510/article_196.html
richardkoshimizu's blog 2015/10/30
農業者の安倍支持率は18%。 不支持率は59%


自民支持層のコア部分である筈の農家の皆さんが、これですから。

それでも、自民党は来年の参院選で、勝利します。

勿論「不正選挙」で。

本物の世論調査なら、朝日も読売も農業新聞と同じ結果でしょう。


*peco 2015/10/29

日本農業新聞の調査で、安倍政権の支持率が悲惨な結果になりました。

支持 18% 不支持 59%

http://www.agrinews.co.jp/modules/pico/index.php?content_id=35152

([徹底 TPP報道] 「決議違反」69%  内閣支持18% 政府と現場認識にずれ)



コメント


*芭蕉  2015/10/30

  電通も
    金が尽きたか
        買収漏れ



◆http://richardkoshimizu.at.webry.info/201510/article_211.html
richardkoshimizu's blog  2015/10/31
サウジで政府契約業者への支払いに遅れ、原油安で-関係者


サウド家のアラビア、かなり追いつめられているようですね。

サウジがデフォれば、盟友、米国には大きな痛手ですね

ロシア様、原油の増産をお願いいたします。

イラン様、原油の国際市場に殴り込みを掛けてください。

シェールガス詐欺国家、ユダヤ米国を原油安で叩き潰してください

世界の平和のために。

情報感謝。


http://www.bloomberg.co.jp/news/123-NWGBX66S972E01.html

(ブルームバーグ):

原油価格下落の影響で2009年以来の財政赤字に陥っているサウジアラビアは、
政府の契約業者への支払いを遅らせている。

事情に詳しい関係者3人が明らかにした。

非公開情報であることを理由に関係者が匿名を条件に語ったところでは、
サウジ政府が資金保全に努める中で、
インフラプロジェクトを受注した企業が支払いを6カ月以上待たされている。

支払いの遅延は今年に入って増えており、
政府は契約価格からの値引きを求め再交渉にも動いているという。

支払い遅延に伴い首都リヤドの地下鉄を含む建設中のプロジェクトの竣工に
遅れが出る恐れがあるほか、人口増に対応する雇用創出に不可欠な
経済発展が抑制されるリスクもある。
財務省の報道官はコメントを控えた。

原油が収入全体の約80%を占めるサウジは価格下落に対応し、
外貨準備の取り崩しや支出削減、債券発行を余儀なくされている


昨年ピークに達した純外貨資産は今年8月末時点で、
当時から約820億ドル(約9兆7800億円)減少していた。

HSBCホールディングスの中東欧・中東・北アフリカ担当チーフエコノミスト、
サイモン・ウィリアムズ氏は
「原油価格の上昇局面で支出拡大を抑えるのも難しいが、
下落局面での支出削減は極めて困難だ」と電子メールで指摘。

しかし「支出削減は行われるだろう。財政赤字は、無視して
これまでのやり方を続けるには 大き過ぎる」と付け加えた。





芳幾、三枚目、



「当盛艸紙合 薄緑娘白波 物見の於松」 「三代目 沢村田之助」です。



疫病神・支那、

◆http://www.epochtimes.jp/2015/10/24688.html
大紀元  2015/10/30
中国、一人っ子政策廃止 「時すでに遅しとの声も 


29日に閉幕した中国共産党の重要会議、第18期中央委員会第5回総会(5中総会)で、
「すべての夫婦が2人まで出産できる」と一人っ子政策を廃止することが決まった。

深刻な少子化・高齢化問題、労働力減少に対応するためとみられるが、
「時すでに遅し」と早くも効果を疑問視する声が上がっている。

1979年に始動した一人っ子政策。

強制的な中絶、避妊、不妊措置が導入され、違反者は行政処分や罰金を受けるなど、
長年、国内外で強く批判されてきた。

政策による諸々のマイナスの影響もより顕著になっていた。

まず、少子高齢化が急ピッチに進んでいる。

2010年当時の14歳以下の人口は16.6%で、
人口統計学の「重度少子化」の基準15~18%に達した。

一方、世界保健機関(WHO)によると、2050年に60歳以上が全人口の35%を占める
超高齢化社会になると予測されている。

それにより、労働力人口が2012年から減少に転じ、
世界の工場としての労働力資源の優位性が失われつつある



一方、政策改正はすでに遅きに失し、効果はあまり期待できないという見方も多い。

中国政府は2013年から「夫婦のどちらかが一人っ子の場合、2人目の出産を認める」
という緩和策を打ち出し、対象となる全国1100万組の夫婦から
毎年200万人が生まれると見込んだが、実際のところ、
2人目の出産申請は今年5月までに13%台にとどまっているとされる。

その背景には産みたくても、子育て費用が高すぎるから諦めてしまう
などの現状がある。米通信社ブルームバーグによると、

中国で子ども1人あたり18歳までの平均年間生活費は2万3千元(約43万円)で、
世帯平均年収が5万3千元(約100万円)の家庭にとって経済的負担が重すぎる。

また、自身も一人っ子である若い世代の多くの夫婦は、
高齢の親の世話や価値観などの理由で2人目を望まない人も多いとみられる。

政策の実施開始時期は明らかにされていないが、
「早ければ年内とする」と中国メディアが報じた。



◆http://news.infoseek.co.jp/article/30fujizak20151030010/
夕刊フジ / 2015年10月30日
習主席、就任以来最大のピンチ 米艦進攻に打つ手なし 不気味な軍、上海閥


中国の習近平国家主席が、オバマ米大統領の“一撃”で窮地に陥っている。

中国は南シナ海のスプラトリー(中国名・南沙)諸島で勝手に人工島を建設してきたが、
米国がついにイージス駆逐艦を派遣し、攻勢に出たからだ。

オバマ氏をナメてかかっていた習氏には打つ手がない。

江沢民元国家主席率いる「上海閥」の残党や、「30万人削減」を通告された人民解放軍が
不満を爆発させ、習氏排撃作戦に踏み切る可能性が出てきた。 

米中が緊張状態にあるなか、米原子力空母「セオドア・ルーズベルト」と、
海上自衛隊の護衛艦「ふゆづき」が、南シナ海に面したボルネオ島の北方海域で、
共同訓練(=通信訓練や艦船乗り換え訓練など)を行うという衝撃情報が飛び込んできた。
毎日新聞が29日朝刊で報じた。

ボルネオ島から、スプラトリー諸島までは数百キロの距離。

米イージス駆逐艦「ラッセン」が監視・哨戒活動をしている海域に近く、
国際法無視の活動を続ける中国への効果的なけん制となるのは間違いない。

防衛省関係者は29日朝、「インド洋で実施した海上共同訓練『マラバール』の帰りで、
普段から(帰港途中の)共同訓練は行っている。発表するようなものではない。
ここ1、2日に実施予定だ」と語った。


中国13億人の頂点に君臨し、英BBCが「毛沢東以来の『赤い権力者』」と報じた習氏が、
就任以来、最大のピンチを迎えている。

共産党の重要会議「第18期中央委員会第5回総会(5中総会)」の開催中に、
「自国の領土、領海だ」と強弁していた南シナ海で
米イージス艦の進攻を許してしまったからだ。

経済運営の5カ年計画や人事問題が注目された5中総会だが、
南シナ海での緊張は、国際社会が注視する大問題となった。

習氏は29日の最終日まで、対米強硬派らによる突き上げを避けられそうにない。

元航空自衛隊南西航空混成団司令を務めた佐藤守・元空将(軍事評論家)は
中国は戦争を起こす気はない。自分たちの海空軍力が、こけ脅しの張り子の虎である
ことはよく分かっている。しかも、戦争をすればため込んだ金がなくなってしまい、
中国経済は即死状態となる。だから
、『口先で強く恫喝するしかない」と、
習政権の苦しい内情を指摘する。

だが、オバマ政権は、習氏を助ける気はサラサラない。

オバマ氏は、国際政治や地域緊張の解決に、軍事力を使うことを避ける傾向がある。

ペンタゴン(米国防総省)に以前から、
「中国の南シナ海での暴挙を放置すれば、国際社会の秩序は崩壊する」と進言されても、
習氏が9月に訪米する際に腹を割って話し合おうと、先延ばしにした。

ところが、オバマ氏の首脳会談や夕食会での呼びかけを、習氏は事務的に
「(南シナ海は古来、中国の領土だ」と言い放った。

その不遜極まる態度に、いつもは穏やかなオバマ氏の堪忍袋の緒が切れた。

ただちに、ハリス米太平洋司令官に
「フリーダム・オブ・ナビゲーション(航行の自由)作戦」の承認を伝達した。

今後も、中国が「領海」と主張する人工島周辺12カイリ(約22キロ)に艦船を派遣し、
監視・哨戒活動を継続する方針だ。

また、国際社会を巻き込んだ世論戦を展開して、
習氏の「反汚職運動」で締め付けられてきた中国共産党内部にも揺さぶりをかける。

5中総会中のゴーサインは、事実上、
「習氏は、カウンターパート(交渉相手)にふさわしくない」と引導を渡したに近い。

一方の習氏はこれまで、東シナ海や南シナ海、インド洋、中央アジア、東欧、
中東にまたがる「覇権拡大路線」で国内世論の支持を得て、軍の統制も強めてきた。

9月3日に行った「抗日戦争勝利70周年」記念式典では、軍の掌握が進んだとみて、
余剰兵員の「30万人削減」を表明する演説を行った。

削減で浮いた人件費など600億元(約1兆2000億円)を、
兵器や装備のハイテク化につぎ込む考えだ。

ただ、ロイター通信など複数の欧米メディアは、
軍の将校クラスを中心に不満が高まっていると報じている。

米国艦船の派遣などでメンツを潰された習氏に、
中国共産党や人民解放軍の内部から「排撃」の狼煙が上がるのか。

前出の佐藤氏は「習氏は追い込まれている。上海閥の残党や軍の不満分子から、
いつ排除されてもおかしくない
」と分析した。

これまでも指摘されてきたクーデター」や「暗殺が現実味を帯びてきたようだ


さらに、佐藤氏は1962年のキューバ危機の再来も指摘する。

当時のソ連のフルシチョフ第1書記は「(西側諸国を)葬ってやる!」と恫喝していたが、
核戦争の恐怖がピークに達したキューバ危機で、
最後はケネディ米大統領に「譲歩」して、中距離弾道ミサイルをキューバから撤去した。

佐藤氏は、これが失脚の一因になった例を挙げて、
「習氏が同じようなケースをたどる可能性も十分ある」との見方も示している。



ユダ米の軍事力の裏打ち=国力の凋落も凄まじいわけでw

ともにコケて「抱きあい心中」♪ をしてくれるのが、日本の国益にとっては一番です。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿