画は歌川國貞(三代豊國)(1786年)~(1864年)
号は、香蝶楼・一雄斎・五渡亭など 作
「東海道五十三次之内 日本橋品川の間」
「高輪 大星力弥」です。
☆曇り、湿気戻る。
今年の北海道は異様にムシ暑い、珍しい年です。
さて、昨日の記事関連で、
◆http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-02-08/02_02.html
2005年2月8日(火)「しんぶん赤旗」
◎「北方領土返還要求全国大会」での志位委員長のあいさつ
<略>
私は、日ロ領土問題を解決するにあたって、何よりも大切なことは、
日本国民がロシアに領土返還を求める大義―国際的に通用し、
ロシア国民も納得させうる大義を、堂々とかかげて交渉にのぞむことにある
と思います。その大義とは、
スターリンによる領土拡張主義を正すということであります。
スターリン時代の旧ソ連は、第二次世界大戦の時期に、バルト三国の併合、
中国東北部の権益確保、千島列島の併合をおこないました。
これは「領土不拡大」という連合国の戦後処理の大原則を
乱暴にふみにじるものでした。
このなかで、いまだにこの無法が正されていないのは、
千島列島だけになっています。
ヤルタ協定の「千島引き渡し条項」やサンフランシスコ条約の「千島放棄条項」
を不動の前提にせず、スターリンの領土拡張主義を正す
という正義の旗を正面から掲げて交渉にのぞむことが、
何より大切であることを強調したいのであります。
北海道の一部である歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)とともに、
国後(くなしり)、択捉(えとろふ)から得撫(うるっぷ)、占守(しゅむしゅ)
までの千島列島全体が、一八七五年の樺太・千島交換条約で平和的に決まった
日本の歴史的領土であり、その返還を堂々と求める交渉が切にのぞまれます。
この問題が道理ある解決をみるようにするため、力をつくすことをお約束し、
ごあいさつとします。
__________________________________________________________________________________________
☆領土問題 キーワード
◆連合国の「領土不拡大」原則
第2次世界大戦で連合国がとった戦後処理の原則。
日本・ドイツ・イタリアが戦争などによって奪った土地は返させるが、
そのほかの土地の割譲は求めないというもの。日本にたいしては、
1943年に米英中3国首脳が発表した「カイロ宣言」で明確にされました。
45年7月の「ポツダム宣言」では、「カイロ宣言」の履行が明記され、
ソ連を含む連合国全体のものとなりました。
◆ヤルタ協定の「千島引き渡し条項」
アメリカ、イギリス、ソ連3国の首脳は、第2次世界大戦末期の1945年2月、
ソ連のヤルタで会談を開きました。この会談でスターリンは、
ソ連の対日参戦の条件に、日本の正当な領土である千島列島の引き渡しを要求。
米、英ともこれを認め、3国の秘密協定に盛り込まれました。
◆サンフランシスコ条約の「千島放棄条項」
第2次世界大戦後、日本がアメリカなどと1951年に調印した
「サンフランシスコ平和条約」の第二条C項のこと。千島列島については、
日本が「すべての権利、権原及び請求権を放棄する」ことが明記されています。
この条項は、ヤルタ協定の当事国であるアメリカが、
ヤルタ協定にしたがってもちこんだものです。
◆幕末・明治初期の日ロ間の国境画定条約
条約は2つあります。最初の条約は1855年(安政元年)の日魯通好条約で、
千島列島の択捉(えとろふ)島以南を日本領、得撫(うるっぷ)島以北を
ロシア領とし、樺太(サハリン)は両国民混住の地としました。
政府は条約を結んだ2月7日にちなんで、この日を「北方領土の日」として
います。その後1875年(明治8年)に結んだのが樺太・千島交換条約。
樺太全体をロシア領とする一方、ロシア領だった得撫島以北の千島は
日本領としました。この結果、千島列島全体が最終的に日本の領土となりました。
↑
ど真ん中のストライクというやつです。
今となっては「大風呂敷」なんだが、これで正面突破が正道だったのでは?
あらためて見直しの要ありと思いますよ。
従前の交渉では「何ら成果がない」わけだからね。
ムネオ&佐藤優がなんと言おうと成果ゼロなわけで、彼らでは無理なんですよ。
あぁ、ラスプーチンのいう「南朝」云々、
元々は亡明(みん)の「朱 舜水(しゅ しゅんすい)」が再点火したようだね、
楠正成に光を当てた、極めてイデオロギー色が強い、いはば電波w儒者ですよ。
御用心、御用心、何を考えておるのやらw
*朱 舜水につき、
◆http://www.eel.co.jp/seigowchannel/archives/2006/08/classic.html
セイゴオちゃんねる より抜粋、
◎朱舜水と水戸イデオロギー
41冊目は石原道博さんの『朱舜水』です。
朱舜水という人物をご存知ですか。
じつは、朱舜水に関する本はこの1冊しかありません。
朱舜水は中国の「明末清初」、すなわち漢民族の明王朝が衰亡し
満州族による清王朝がとって代わるという変転の時代を生きた儒学者であり、
日本人の歴史観に多大な影響を与えた人物です。明の再興を図って
しばしば日本を訪れていた朱舜水を、礼を尽くして迎え入れたのが
将軍家綱の叔父に当たる水戸藩主・徳川光圀、つまり水戸黄門でした。
朱舜水は光圀に本場の朱子学と陽明学を教え、
さらに日本史をいろいろと研究した上で、
「日本の王朝は、南朝こそ正統である」と言い出します。
後醍醐天皇の南朝のことですね。
また朱舜水は後醍醐を支えた楠木正成のことを高く評価しました。
それまでの日本人は楠木正成の忠臣忠義を評価するような
言葉をもっていなかった。朱舜水の指摘によって、
北朝に負けた“南朝”の存在や、その後「南朝ロマン」と呼ばれたような
考え方が初めて水戸藩の中で再浮上したわけです。
これは、漢民族最後の明王朝の誇りをもって落ち延びてきた朱舜水
だからこそ言い得た思想でした。その影響を受けて、
日本において水戸学あるいは
水戸イデオロギーと呼ばれる思想が生まれていくわけです。
ご参照w
話し変わり、快調ですなぁ、
◆http://toshiaki.exblog.jp/
古川利明の同時代ウォッチング
#ほいで、今日(8・4)、三井環のオッサンから、
今度は講談社から上梓した
『検察の大罪 裏金隠しが生んだ政権との黒い癒着』(1500円+税)が、
ワシんとこに届いたで。
帯に、「鳥越俊太郎氏(ニュースキャスター)推薦!」ってことで、
「白を黒という検察との究極の闘い!」っていう「見出し」が、
踊っておるなあ。鳥越のオッサンが、「特別寄稿」ってことで、
「検察は汚れた服をきれいに洗え」っていう一文を巻頭に載せておるんだな。
ざーっと、一読した印象だが、双葉新書の方は、編集者のインタビューに対する
「語り下ろし」っていうことで、編集者がピンポイントで投げてくるタマを
打ち返していったっいうカンジだったが、こっちの講談社本の方は、
自分でPCで原稿を打ったと言っておっただけあって、
一連の口封じタイホ劇の発端から、そのデッチ上げジケンの内容に到って、
かなり詳細に書き込んだな、という思いを持つ。
加納駿亮との確執の原点から始まって、亀谷直人、渡真利忠光とのこととかも
含めて、「なぜ、ワシが、ケンサツ裏金告発に到ったのか」
という憤りと怒りが、伝わってくる。それでいうと、
オッサンの著作の流れでいうと、325日間の拘置所暮らしの後に、
光文社から出した
『告発!検察「裏ガネ作り」 口封じで逮捕された元大阪高検公安部長の
「獄中手記」』(1500円+税)の続編といっていいと思う。
一見、さらりとしながらも、文章に気迫が籠もってる。
ハイライトは、やはり、「加納との確執」だと思うが、その経緯を見ていくと、
三井環のオッサンが裏金の内部告発へと向かわせた、
「私憤」から「公憤」への変遷が、よくわかる。当初は、
京大病院の独自捜査ジケンを潰されたことによる、加納の逆恨みが出発点で、
当然、この段階では、「加納VS三井のケンカ」っていう、ある意味、
「関西ケンサツ内部の、コップの中の嵐」に過ぎなかったわけだが、それが、
「加納の高検検事チョー昇任人事」とリンクして、
「赤レンガ案件」へと昇格してしもうたことで、総チョーの原田明夫、
さらには、あのコイズミまで巻き込む事態に拡大してしもうたんで(笑)、
手がつけられんようになったんだなあ。
三井環のオッサンが、最終的に「顔出し」で、
鳥越俊太郎のオッサンんとこの「ザ・スクープSP」に、
現役の最高幹部の検事ながら、「組織内部の裏金告発」をするとハラを括った
要因が、
「原田明夫が、コイズミにアタマを下げて、加納人事を飲んで貰った」
というところに尽きるんだな。コレで、
「もう、加納のことなんて、どうでもよくなった」と言っておったからなあ。
加納が、三井環のオッサンを逆恨みした根本にあるのは、
「真実の追求よりも、自分の(出世のための)メンツ」ってことなんだが、
そういう「退廃の根源」にあるものが、じつは、「検察のウラガネ」こと、
「ちょーかつ」であるというのが、コレを読めば分かるだろう。
あと、読み応えのあるところでは、今回も、これまでにも増して、
「検察カンブ」の人間を、フルキャストで、実名を出して、ブッた斬っておる。
土肥孝治、原田明夫、松尾邦弘、但木敬一、樋渡利秋といった
歴代総チョーはもとより、今の総チョーは、オッサンと同じ24期の
大林宏ってことで、「アンタ、ワシが、高松地検の次席検事でおったのと
同時期に、札幌の次席で、同じようにちょーかつのウラ帳簿の決裁しとったでしょ。
だから、ウラガネのからくりを全部、知ってるんだから、全部、認めて、
罪を懺悔しろ!」って、斬り込んでるよなあ。
だから、このハナシは、セー権交代したところで、全然、
「終わったハナシ」ではない。だって、赤レンガの連中は、この期に及んでも、
「我々のソシキに、URAGANEなど、存在しない」って、
シラを切りマクってんだからな。だから、その後の、チケンの国策ソーサの連発、
さらには、セー権交代後の、「小鳩狙い撃ちソーサ」のツボも見えてくる。
その意味では、この前の双葉新書と合わせて、今度の講談社本の「ダブル刊行」は、
まさに、「ツボの核心」を、ピャーッと突くハナシだからなあ。
連中にしてみるとだな、
「いいか、まかり間違っても、あの三井の野郎を国怪に呼び出して、
ちょーかつの追及をしようもんなら、分かってるだろうな?
ケンシンの再ギケツなんて、ウラからナンボでも手を回して、
『作れる』んだからな!」っていったところだろうなあ(笑)
↑
「けもの道」に入ったわけですよ。
キムチ小泉&飯島はアメの犬だもの、よりによって悪いのに尻尾つかまれた。
ここから迷走が激しくなってゆくわけですねぇ。
検察も汚れた幹部一掃で再生しなくてはね、自力が筋だが、
できないだろうからw 小沢にやってもらうかねぇ。
号は、香蝶楼・一雄斎・五渡亭など 作
「東海道五十三次之内 日本橋品川の間」
「高輪 大星力弥」です。
☆曇り、湿気戻る。
今年の北海道は異様にムシ暑い、珍しい年です。
さて、昨日の記事関連で、
◆http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-02-08/02_02.html
2005年2月8日(火)「しんぶん赤旗」
◎「北方領土返還要求全国大会」での志位委員長のあいさつ
<略>
私は、日ロ領土問題を解決するにあたって、何よりも大切なことは、
日本国民がロシアに領土返還を求める大義―国際的に通用し、
ロシア国民も納得させうる大義を、堂々とかかげて交渉にのぞむことにある
と思います。その大義とは、
スターリンによる領土拡張主義を正すということであります。
スターリン時代の旧ソ連は、第二次世界大戦の時期に、バルト三国の併合、
中国東北部の権益確保、千島列島の併合をおこないました。
これは「領土不拡大」という連合国の戦後処理の大原則を
乱暴にふみにじるものでした。
このなかで、いまだにこの無法が正されていないのは、
千島列島だけになっています。
ヤルタ協定の「千島引き渡し条項」やサンフランシスコ条約の「千島放棄条項」
を不動の前提にせず、スターリンの領土拡張主義を正す
という正義の旗を正面から掲げて交渉にのぞむことが、
何より大切であることを強調したいのであります。
北海道の一部である歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)とともに、
国後(くなしり)、択捉(えとろふ)から得撫(うるっぷ)、占守(しゅむしゅ)
までの千島列島全体が、一八七五年の樺太・千島交換条約で平和的に決まった
日本の歴史的領土であり、その返還を堂々と求める交渉が切にのぞまれます。
この問題が道理ある解決をみるようにするため、力をつくすことをお約束し、
ごあいさつとします。
__________________________________________________________________________________________
☆領土問題 キーワード
◆連合国の「領土不拡大」原則
第2次世界大戦で連合国がとった戦後処理の原則。
日本・ドイツ・イタリアが戦争などによって奪った土地は返させるが、
そのほかの土地の割譲は求めないというもの。日本にたいしては、
1943年に米英中3国首脳が発表した「カイロ宣言」で明確にされました。
45年7月の「ポツダム宣言」では、「カイロ宣言」の履行が明記され、
ソ連を含む連合国全体のものとなりました。
◆ヤルタ協定の「千島引き渡し条項」
アメリカ、イギリス、ソ連3国の首脳は、第2次世界大戦末期の1945年2月、
ソ連のヤルタで会談を開きました。この会談でスターリンは、
ソ連の対日参戦の条件に、日本の正当な領土である千島列島の引き渡しを要求。
米、英ともこれを認め、3国の秘密協定に盛り込まれました。
◆サンフランシスコ条約の「千島放棄条項」
第2次世界大戦後、日本がアメリカなどと1951年に調印した
「サンフランシスコ平和条約」の第二条C項のこと。千島列島については、
日本が「すべての権利、権原及び請求権を放棄する」ことが明記されています。
この条項は、ヤルタ協定の当事国であるアメリカが、
ヤルタ協定にしたがってもちこんだものです。
◆幕末・明治初期の日ロ間の国境画定条約
条約は2つあります。最初の条約は1855年(安政元年)の日魯通好条約で、
千島列島の択捉(えとろふ)島以南を日本領、得撫(うるっぷ)島以北を
ロシア領とし、樺太(サハリン)は両国民混住の地としました。
政府は条約を結んだ2月7日にちなんで、この日を「北方領土の日」として
います。その後1875年(明治8年)に結んだのが樺太・千島交換条約。
樺太全体をロシア領とする一方、ロシア領だった得撫島以北の千島は
日本領としました。この結果、千島列島全体が最終的に日本の領土となりました。
↑
ど真ん中のストライクというやつです。
今となっては「大風呂敷」なんだが、これで正面突破が正道だったのでは?
あらためて見直しの要ありと思いますよ。
従前の交渉では「何ら成果がない」わけだからね。
ムネオ&佐藤優がなんと言おうと成果ゼロなわけで、彼らでは無理なんですよ。
あぁ、ラスプーチンのいう「南朝」云々、
元々は亡明(みん)の「朱 舜水(しゅ しゅんすい)」が再点火したようだね、
楠正成に光を当てた、極めてイデオロギー色が強い、いはば電波w儒者ですよ。
御用心、御用心、何を考えておるのやらw
*朱 舜水につき、
◆http://www.eel.co.jp/seigowchannel/archives/2006/08/classic.html
セイゴオちゃんねる より抜粋、
◎朱舜水と水戸イデオロギー
41冊目は石原道博さんの『朱舜水』です。
朱舜水という人物をご存知ですか。
じつは、朱舜水に関する本はこの1冊しかありません。
朱舜水は中国の「明末清初」、すなわち漢民族の明王朝が衰亡し
満州族による清王朝がとって代わるという変転の時代を生きた儒学者であり、
日本人の歴史観に多大な影響を与えた人物です。明の再興を図って
しばしば日本を訪れていた朱舜水を、礼を尽くして迎え入れたのが
将軍家綱の叔父に当たる水戸藩主・徳川光圀、つまり水戸黄門でした。
朱舜水は光圀に本場の朱子学と陽明学を教え、
さらに日本史をいろいろと研究した上で、
「日本の王朝は、南朝こそ正統である」と言い出します。
後醍醐天皇の南朝のことですね。
また朱舜水は後醍醐を支えた楠木正成のことを高く評価しました。
それまでの日本人は楠木正成の忠臣忠義を評価するような
言葉をもっていなかった。朱舜水の指摘によって、
北朝に負けた“南朝”の存在や、その後「南朝ロマン」と呼ばれたような
考え方が初めて水戸藩の中で再浮上したわけです。
これは、漢民族最後の明王朝の誇りをもって落ち延びてきた朱舜水
だからこそ言い得た思想でした。その影響を受けて、
日本において水戸学あるいは
水戸イデオロギーと呼ばれる思想が生まれていくわけです。
ご参照w
話し変わり、快調ですなぁ、
◆http://toshiaki.exblog.jp/
古川利明の同時代ウォッチング
#ほいで、今日(8・4)、三井環のオッサンから、
今度は講談社から上梓した
『検察の大罪 裏金隠しが生んだ政権との黒い癒着』(1500円+税)が、
ワシんとこに届いたで。
帯に、「鳥越俊太郎氏(ニュースキャスター)推薦!」ってことで、
「白を黒という検察との究極の闘い!」っていう「見出し」が、
踊っておるなあ。鳥越のオッサンが、「特別寄稿」ってことで、
「検察は汚れた服をきれいに洗え」っていう一文を巻頭に載せておるんだな。
ざーっと、一読した印象だが、双葉新書の方は、編集者のインタビューに対する
「語り下ろし」っていうことで、編集者がピンポイントで投げてくるタマを
打ち返していったっいうカンジだったが、こっちの講談社本の方は、
自分でPCで原稿を打ったと言っておっただけあって、
一連の口封じタイホ劇の発端から、そのデッチ上げジケンの内容に到って、
かなり詳細に書き込んだな、という思いを持つ。
加納駿亮との確執の原点から始まって、亀谷直人、渡真利忠光とのこととかも
含めて、「なぜ、ワシが、ケンサツ裏金告発に到ったのか」
という憤りと怒りが、伝わってくる。それでいうと、
オッサンの著作の流れでいうと、325日間の拘置所暮らしの後に、
光文社から出した
『告発!検察「裏ガネ作り」 口封じで逮捕された元大阪高検公安部長の
「獄中手記」』(1500円+税)の続編といっていいと思う。
一見、さらりとしながらも、文章に気迫が籠もってる。
ハイライトは、やはり、「加納との確執」だと思うが、その経緯を見ていくと、
三井環のオッサンが裏金の内部告発へと向かわせた、
「私憤」から「公憤」への変遷が、よくわかる。当初は、
京大病院の独自捜査ジケンを潰されたことによる、加納の逆恨みが出発点で、
当然、この段階では、「加納VS三井のケンカ」っていう、ある意味、
「関西ケンサツ内部の、コップの中の嵐」に過ぎなかったわけだが、それが、
「加納の高検検事チョー昇任人事」とリンクして、
「赤レンガ案件」へと昇格してしもうたことで、総チョーの原田明夫、
さらには、あのコイズミまで巻き込む事態に拡大してしもうたんで(笑)、
手がつけられんようになったんだなあ。
三井環のオッサンが、最終的に「顔出し」で、
鳥越俊太郎のオッサンんとこの「ザ・スクープSP」に、
現役の最高幹部の検事ながら、「組織内部の裏金告発」をするとハラを括った
要因が、
「原田明夫が、コイズミにアタマを下げて、加納人事を飲んで貰った」
というところに尽きるんだな。コレで、
「もう、加納のことなんて、どうでもよくなった」と言っておったからなあ。
加納が、三井環のオッサンを逆恨みした根本にあるのは、
「真実の追求よりも、自分の(出世のための)メンツ」ってことなんだが、
そういう「退廃の根源」にあるものが、じつは、「検察のウラガネ」こと、
「ちょーかつ」であるというのが、コレを読めば分かるだろう。
あと、読み応えのあるところでは、今回も、これまでにも増して、
「検察カンブ」の人間を、フルキャストで、実名を出して、ブッた斬っておる。
土肥孝治、原田明夫、松尾邦弘、但木敬一、樋渡利秋といった
歴代総チョーはもとより、今の総チョーは、オッサンと同じ24期の
大林宏ってことで、「アンタ、ワシが、高松地検の次席検事でおったのと
同時期に、札幌の次席で、同じようにちょーかつのウラ帳簿の決裁しとったでしょ。
だから、ウラガネのからくりを全部、知ってるんだから、全部、認めて、
罪を懺悔しろ!」って、斬り込んでるよなあ。
だから、このハナシは、セー権交代したところで、全然、
「終わったハナシ」ではない。だって、赤レンガの連中は、この期に及んでも、
「我々のソシキに、URAGANEなど、存在しない」って、
シラを切りマクってんだからな。だから、その後の、チケンの国策ソーサの連発、
さらには、セー権交代後の、「小鳩狙い撃ちソーサ」のツボも見えてくる。
その意味では、この前の双葉新書と合わせて、今度の講談社本の「ダブル刊行」は、
まさに、「ツボの核心」を、ピャーッと突くハナシだからなあ。
連中にしてみるとだな、
「いいか、まかり間違っても、あの三井の野郎を国怪に呼び出して、
ちょーかつの追及をしようもんなら、分かってるだろうな?
ケンシンの再ギケツなんて、ウラからナンボでも手を回して、
『作れる』んだからな!」っていったところだろうなあ(笑)
↑
「けもの道」に入ったわけですよ。
キムチ小泉&飯島はアメの犬だもの、よりによって悪いのに尻尾つかまれた。
ここから迷走が激しくなってゆくわけですねぇ。
検察も汚れた幹部一掃で再生しなくてはね、自力が筋だが、
できないだろうからw 小沢にやってもらうかねぇ。