ニューズウィーク 2012.2.8 にあった記事
で興味深いのがあった。
パーティー気分が消えたダボス会議
少し前まで、スイス東部のスキーリゾート地ダボ
スに集まった各国の政治家や企業幹部は、自分たち
が世界を支配していると思っていた。
だが今年のダボス会議に参加したのは、世界情勢に
手を焼いている人々だ。
ヨーロッパは債務危機の中でもがき、アメリカも
崖っぷちの財政状況からようやくはい出そうとして
いるだけの状態。
世界の経済成長の新たな原動力である中国やインドも
停滞している。
資金の避難先が次々と変わり、安定した経済は遠い昔
の記憶のようだ。
今年発表されたダボス会議の目標は、未来を予測する
ことでも、形作ることでもない。どんな未来にしたいの
かを考えるだけ。
これまでのダボス会議の中心だったグローバリゼーション
の教義とは似ても似つかない。
経営者のセミナーとして71年に始まったこの会議は、
時代とともに若いリーダーや非政府組織、芸能人など
にも門戸を開くようになり、それにつれてパーティーも
大きくなった。
ただ今回会議室に向かう参加者たちの姿は陰影だ。今年
もパーティーは催されたが、パーティー気分は問違いなく
どこにもなかった。
以上。
最近、マスコミでダボス会議のニュースがあった。
それが、わたしには、奇異に思ったのだが、それなり
の事情があったのだと分かった。
昔、なんかの本で、ダボス会議のことを読んだ。
その当時は、
少し前まで、スイス東部のスキーリゾート地ダボ
スに集まった各国の政治家や企業幹部は、自分たち
が世界を支配していると思っていた。
この記事で書かれているとおりで、おそらく、世界
を支配している階級の集まりだという感想をもって
いたし、この会議に参加するなんて、とんでもない
連中で、ある意味で、うさんくさい感じもした。
であるが、これだけ変化してきたのだということが
分かり、いい記事である。
しかし、
今年発表されたダボス会議の目標は、未来を予測する
ことでも、形作ることでもない。どんな未来にしたいの
かを考えるだけ。
という事実は、愕然としてしまう。
同じニューズウィークのperspectivesには、風刺画が
掲載されている。
その中で、「富裕層と超富裕層の格差が拡大していま
す!」なんて、叫んでいる者がいる。
もしかして、このダボス会議の本当の姿か?
先程の記事で、
資金の避難先が次々と変わり、安定した経済は遠い昔
の記憶のようだ。
と、書かれいたが、
最近のニューズウィークで、ジョージ・ソロスが、世界
の経済的な状況について、たいそう悲観的な発言をして
いたが、やはり、困難な状況にあるのかもしれない。
もっとも、資本主義というシステムも世界中に広がり、
行き詰まった「ネズミ講」になったかのように、思って
いるのだが、どうだろう。
問題は、次がどうなるかだ。
肝心のダボス会議の参加者でさえ、見当がつかない
のだから、やっかいだ。