ヤフーのニュースである。
“無縁”社会 ~無縁死 3万2千人の衝撃~(仮)
自殺率が先進国の中でワースト2位の日本。
NHKが全国の自治体に調査したところ、ここ数年「身元不明の自殺と見られる死者」や「行き倒れ死」など国の統計上ではカテゴライズされない「新たな死」が急増していることがわかってきた。
なぜ誰にも知られず、引き取り手もないまま亡くなっていく人が増えているのか。
「新たな死」の軌跡を丹念にたどっていくと、日本が急速に「無縁社会」ともいえる絆を失ってしまった社会に変わっている実態が浮き彫りになってきた。
「無縁社会」はかつて日本社会を紡いできた「地縁」「血縁」といった地域や家族・親類との絆を失っていったのに加え、終身雇用が壊れ、会社との絆であった「社縁」までが失われたことによって生み出されていた。
また、取材を進めるうちに社会との接点をなくした人々向けに、死後の身辺整理や埋葬などを専門に請け負う「特殊遺体清掃業」やNPO法人がここ2~3年で急増。
無縁死に対して今や自治体が対応することも難しい中、自治体の依頼や将来の無縁死を恐れる多くの人からの生前予約などで需要が高まっていることもわかって来た。
日本人がある意味選択し、そして構造改革の結果生み出されてしまった「無縁社会」。番組では「新たな死」が増えている事態を直視し、何よりも大切な「いのち」が軽んじられている私たちの国、そして社会のあり方を問い直す。
昨日、病院にいた時、「無縁社会」というニュースがあった。
なんとなく気になって、ネットで調べたら、上記の内容があった。ニュースで話していたのとは、若干違っていたので、がっくりしていたが、ネットで、検索したら、このニュースをしっかりと掌握していた人がいた。
ekuserushioさんが、無縁社会について、投稿されていたが、この投稿に、ラジオのニュースの内容が、ほぼ拾いあげられていて、喜んだ。
ekuserushioさんの投稿の文章です。参照させて貰いたい。
今日NHKのニュースで報道されていましたが、一人暮らしをされている方で特に40代、50代、ご高齢の方々が、両親、兄弟、友人がいなくなり、また仕事を失い就職先が見つからず、それによって人とのつながりがなくなり、孤独な生活を余儀なくされている方が多いと聞き、これは誰もが起こりえる問題ではないかと思い、ここに投稿させていただきました。
また、今から20年後(2030年以降)の非婚率も3人に1人が未婚になるという事実にも驚き、もしそうなると出会う男性そこらじゅうが独身者ばかりになってしまいます。
それがいいことなのか悪いことなのか分かりませんが、結婚がめんどくさいと思う人が今以上に増えてしまうのではないでしょうか?
結婚をしたくてもニートやフリーター、派遣などで結婚を躊躇される方も多いと思います。
人間関係というものは時にはめんどくさく、悩んだりすることも多くありますが生きている以上は何かしら人と関わっていかなくてはならないのかなと思います。
私は今20代で1人暮らしですが最近、小学生だった頃みたいに外でみんなと無邪気にはしゃぐことがなく、大人になるにつれてシビアになったというか冷めているというか、とにかく減ったなあと思います。
社会人になって今思うと、友人に関しても子どもの頃にできた友人ほど親しい仲ではなく、ただの上辺だけな友達の気がします。
うっとうしい文章ですみませんが、先行き不安な将来に不安な毎日です。
以上、ekuserushioさんの投稿の文章です。
最近、孤独死がわたしの隣の市でも、よくあって、気になっていた。
いよいよかということであった。
実は、不謹慎な話であるが、わたしは、若いころに、とあることで、結婚する気にならなくなってしまった。
わたしは、非社交的な人間である。
大勢人が集まる結婚式というのが、とても、辛いし耐えられない。
それに、家庭も持つことによって、多くのしがらみにまとわりつかれることが耐えがたかった。
その他、諸々のことがあって、とても、結婚生活なんて、まともにやっていける自信がなかった。
「煩わしさ」を我慢するより、「寂しさ」を我慢する方をとったのである。
だんだん、仕事のキャリアも積み、仕事が忙しくなってくると、もう駄目である。
仕事と家庭との両立の目処がまったくたたなくなってしまってきた。
だから、老いては、孤独死するという運命であるということを、自分自身に納得させようと努力してきた。
しかし、今にしてみれば、もしかすると、方向転換するかも知れないという気持がどこかに、あったような気がするが。
しかし、実際に、退職を目の前にして、孤独死もそう簡単にできないという気がしてきた。
退職してみると、意外に持ち物もけっこうあって、死んだ後の迷惑も考えると、死ぬことは、どうも簡単にはできないものだと、思うようになった。
そしたら、「無縁社会」という言葉である。
よくよく、考えみると、本質的に誰でも、孤独死の可能性はあるのである。
独身で一生を通した人も、家庭を持って、子育てをしてきた人も。
生きた人の数だけ、いろんな人生があるが、結局、大勢としては、みんな孤独死予備軍である。
けっこう、真っ当な人生を送った人も、でなっかった人も、大方孤独死をするのかと思い、どんな人生を送っても似たりよったりかと思ったら、ほっとするやら、がっかりするやら、複雑な思いがする。
“無縁”社会 ~無縁死 3万2千人の衝撃~(仮)
自殺率が先進国の中でワースト2位の日本。
NHKが全国の自治体に調査したところ、ここ数年「身元不明の自殺と見られる死者」や「行き倒れ死」など国の統計上ではカテゴライズされない「新たな死」が急増していることがわかってきた。
なぜ誰にも知られず、引き取り手もないまま亡くなっていく人が増えているのか。
「新たな死」の軌跡を丹念にたどっていくと、日本が急速に「無縁社会」ともいえる絆を失ってしまった社会に変わっている実態が浮き彫りになってきた。
「無縁社会」はかつて日本社会を紡いできた「地縁」「血縁」といった地域や家族・親類との絆を失っていったのに加え、終身雇用が壊れ、会社との絆であった「社縁」までが失われたことによって生み出されていた。
また、取材を進めるうちに社会との接点をなくした人々向けに、死後の身辺整理や埋葬などを専門に請け負う「特殊遺体清掃業」やNPO法人がここ2~3年で急増。
無縁死に対して今や自治体が対応することも難しい中、自治体の依頼や将来の無縁死を恐れる多くの人からの生前予約などで需要が高まっていることもわかって来た。
日本人がある意味選択し、そして構造改革の結果生み出されてしまった「無縁社会」。番組では「新たな死」が増えている事態を直視し、何よりも大切な「いのち」が軽んじられている私たちの国、そして社会のあり方を問い直す。
昨日、病院にいた時、「無縁社会」というニュースがあった。
なんとなく気になって、ネットで調べたら、上記の内容があった。ニュースで話していたのとは、若干違っていたので、がっくりしていたが、ネットで、検索したら、このニュースをしっかりと掌握していた人がいた。
ekuserushioさんが、無縁社会について、投稿されていたが、この投稿に、ラジオのニュースの内容が、ほぼ拾いあげられていて、喜んだ。
ekuserushioさんの投稿の文章です。参照させて貰いたい。
今日NHKのニュースで報道されていましたが、一人暮らしをされている方で特に40代、50代、ご高齢の方々が、両親、兄弟、友人がいなくなり、また仕事を失い就職先が見つからず、それによって人とのつながりがなくなり、孤独な生活を余儀なくされている方が多いと聞き、これは誰もが起こりえる問題ではないかと思い、ここに投稿させていただきました。
また、今から20年後(2030年以降)の非婚率も3人に1人が未婚になるという事実にも驚き、もしそうなると出会う男性そこらじゅうが独身者ばかりになってしまいます。
それがいいことなのか悪いことなのか分かりませんが、結婚がめんどくさいと思う人が今以上に増えてしまうのではないでしょうか?
結婚をしたくてもニートやフリーター、派遣などで結婚を躊躇される方も多いと思います。
人間関係というものは時にはめんどくさく、悩んだりすることも多くありますが生きている以上は何かしら人と関わっていかなくてはならないのかなと思います。
私は今20代で1人暮らしですが最近、小学生だった頃みたいに外でみんなと無邪気にはしゃぐことがなく、大人になるにつれてシビアになったというか冷めているというか、とにかく減ったなあと思います。
社会人になって今思うと、友人に関しても子どもの頃にできた友人ほど親しい仲ではなく、ただの上辺だけな友達の気がします。
うっとうしい文章ですみませんが、先行き不安な将来に不安な毎日です。
以上、ekuserushioさんの投稿の文章です。
最近、孤独死がわたしの隣の市でも、よくあって、気になっていた。
いよいよかということであった。
実は、不謹慎な話であるが、わたしは、若いころに、とあることで、結婚する気にならなくなってしまった。
わたしは、非社交的な人間である。
大勢人が集まる結婚式というのが、とても、辛いし耐えられない。
それに、家庭も持つことによって、多くのしがらみにまとわりつかれることが耐えがたかった。
その他、諸々のことがあって、とても、結婚生活なんて、まともにやっていける自信がなかった。
「煩わしさ」を我慢するより、「寂しさ」を我慢する方をとったのである。
だんだん、仕事のキャリアも積み、仕事が忙しくなってくると、もう駄目である。
仕事と家庭との両立の目処がまったくたたなくなってしまってきた。
だから、老いては、孤独死するという運命であるということを、自分自身に納得させようと努力してきた。
しかし、今にしてみれば、もしかすると、方向転換するかも知れないという気持がどこかに、あったような気がするが。
しかし、実際に、退職を目の前にして、孤独死もそう簡単にできないという気がしてきた。
退職してみると、意外に持ち物もけっこうあって、死んだ後の迷惑も考えると、死ぬことは、どうも簡単にはできないものだと、思うようになった。
そしたら、「無縁社会」という言葉である。
よくよく、考えみると、本質的に誰でも、孤独死の可能性はあるのである。
独身で一生を通した人も、家庭を持って、子育てをしてきた人も。
生きた人の数だけ、いろんな人生があるが、結局、大勢としては、みんな孤独死予備軍である。
けっこう、真っ当な人生を送った人も、でなっかった人も、大方孤独死をするのかと思い、どんな人生を送っても似たりよったりかと思ったら、ほっとするやら、がっかりするやら、複雑な思いがする。