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リタイアーのよもやま話

自分のゴールの見つけ方

2010-10-31 23:08:24 | 読書

自分は、本当は何がしたかったのか?これが、ずーっと
分からずじまいで、馬齢を重ねてしまった。

余生と言われる年代に入ったのだ。およそ、この問題は、
時効になっていると考えるのが、普通の人間の感覚では
あるはずだが、どうも、自分の気持ちを急かしてやまない。

ということもあって、苫米地英人氏の本などをひっくり
返して、悪あがきをしている。

 

以下、彼の見解を抜粋してみた。

 

自らの情動をコントロールして、情動に依らない
ゴールを見つけることが、超ネット社会をよりよく
生きるための術なのである。

情動を排して、自分のゴールを見つける方法は2つ
あります。


1)本当のwant toを見つける

2)社会の要請から、自分の生き方を決める


この2つのどちらかを実践していただければ、
自ずと自分らしいゴールを見つけることができ
ます。

 

自分のゴールの見つけ方1)

「本当のwant to」見つける


あなたが「~したい」と感じるとき、必ずと言って
いいほど、誰かに仕掛けられています。

仕掛けたのは、メディアや会社の上司、学校の先生や
両親などいろいろです。


では、仕掛けられたwant toではなく、真のwant toを
見つけるためには、どうしたらいいのか。

もっとも簡単な方法は、見返りを求めないことです。


大切なことは、見返りに喜びを求めるのではなく、
やっていること自体に喜びを求めるようになること
です。

見返りから自由になれば、今の価値観も超えられる。

やっていること自体に喜びを求めることができれば、
今の世界の価値観を超越して、自由な状態になること
ができます。

自分がやっている行為を「別に社会的成功も他人の
評価もいらない。ただ単に楽しいからやっている」
と言い切れるぐらいに好きになることが重要です。


本当のwant toとは、一切の見返りを求めず、純粋
に行為そのものを楽しみ、好きになることです。

本当のwant toを見つけることができれば、自分の
情動や社会的洗脳などの制約から自由になり、脳の
機能が活性化します。

 

自分のゴールの見つけ方2)

社会の要請から自分の生き方を決める

情動を排して、自分のゴールを見つけるためには、
行為それ自体に喜びを見出すようになることが理想的
です。

ただし、この方法は、簡単なようでいて、実はなかなか
難しい。

なぜなら、私たちはこの世に誕生してから今日まで、さま
ざまな価値観の影響を受けて人格を形成しているからです。

何か行動を起こしたり、考えたりするとき、知らず知らず
のうちにそうした過去の価値観の影響を受けてしまいます。

そこで、もう少し簡単な方法をお教えしたいと思います。

それが、「2)社会の要請から自分の生き方を決める」
ことです。

先ほど私は「見返りの抽象度を少しぐらい高めても、情動
であることに変わりない」とお話ししましたが、見返りの
レベルを世界全体、地球全体のレベルまで高めていけば、
個人としての情動は介入しづらくなり、結果として、超
ネット社会で自由に生きることができます。

 

具体的な手順は以下の通りです。

1)現在の社会状況を確認します。

2)そのうえで、未来の社会の最適な状況(理想的状況)
  を考えます。

3)未来における社会の最適化のために、自分はどういう機能
  を果たせるか設定します。
   
  ここで言う「社会」とは、自分が暮らす地域社会や日本と
  いう国家ではありません。抽象度を徹底的に上げて、世界
  全体、地球全体ぐらいをイメージしてください。

  さらに、今日や明日の世界ではなく、1000年先、1万年
  先を考えます。

  もし遠い未来のことまで考えることができなければ、少なくとも
  自分が生きている間の数十年ぐらい先まで考えてください。

  未来における社会の最適な状況とは、世界中の人々が共有
  でき抽象度の高いゴールのことです。

  たとえば、
 「世界を平和にしたい」
 「戦争と飢餓を撲滅したい」 
 「地球の自然環境を守りたい」

  などのゴールは、個人個人の世代のライフスタイル、趣味や
  仕事、思想・信条に関係なく、社会全体として共有されて
  います。
  それが、社会の最適な状況です。

  当然、社会の最適な状況と、現在の社会状況の間には、
  さまざまな未解決な問題が山積みしています。

  世界各地で戦争や飢餓は起こっているし、自然環境の破壊
  もどんどん進行しています。
  
  そうした現状と理想の未来の差を埋めるために必要なことが
  「社会の要請」であり、社会の要請に対してあなたが果たせる
  機能こそが、あなたのゴールになります。
  そして、あなたの機能を設定するときには、論理的判断以外
  はしないようにしてください。

  この手順を踏めば、個人の情動は介入する余地がありません。
  なぜなら、徹底して自分以外のことを考えているからです。

  個人の情動を排除して、社会の要請からのみ自分の機能・役割
  を決める。
  その機能・役割が、超ネット社会の生きるためのあなたのゴール
  になります。


  以上、抜粋である。

 

    最初は、この見解にだいぶショックを受けた。                      

  でも、そのうち、いろいろと考えはじめるうちに、現実問題
  として、彼の提案には、厳しいものを感ずるようになった。

  彼は、まずこのことを推奨している。

1)本当のwant toを見つける
  もっとも簡単な方法は、見返りを求めないことです。

  大切なことは、見返りに喜びを求めるのではなく、
  やっていること自体に喜びを求めるようになること
  です。

  見返りから自由になれば、今の価値観も超えられる。

 

  見返りに喜びを求めるのではなく、やっていること自体
  に喜びを求めるようになることです。

  と言っている。
  非常に単純明快である。

  やはり、世の中で、非凡なる実績をあげている方々をみると
  楽しいことを夢中でやっているうちに、気がついたら、
  とてつもないことをやり遂げていた。という事例にであう。

  しかし、現実を振り返ると「逆は必ずしも真ならず」とも
  言われるように、彼の提案は、そう簡単に一般化し得ない
  ものではなかろうか。

  下手の横好きということがあるように、これが趣味であれば
  人生を楽しくすることになるが、生活の糧を得る事を差し置
  いて夢中になると人生の破滅ではないだろうか。

  ブルジョアか貴族でもない限り、このような信条を生活のメイン
  にすることは不可能だろう。

  われわれは、「時は金なり」の言葉で象徴されるように、毎日
  の生活で何事かを成し、その見返りとして報酬を得るというのが、
  最優先するべきことになっている。

  つまり、経済的自立が最優先である。

  憲法第27条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
  持ち出すまでもなく、学校教育は、基本的に労働者をつくる
  ことを前提としていることは誰も疑問とする者はいないであ
  ろう。

  だから、われわれはいかに見返りを確保できる人間になれるか
  ということが、日々の大きな目標となっている。

  そういうことだから、われわれは、時代に社会に洗脳されることを
  前提としている側面を無視するわけにはいかない。

  もちろん、そのことで、タイムラグが生じたりすることは、往々に
  あることなので、そのような枠組みで人生を設計することは、
  やはりリスクを伴うことなので、運が悪い人も出てくる。


  苫米地英人氏の論からすると、

  あなたが「~したい」と感じるとき、必ずと言っていいほど、
  誰かに仕掛けられています。

  仕掛けたのは、メディアや会社の上司、学校の先生や両親など
  いろいろです。

  となっている。

  わたしも何か大きな間違いをしでかしていることになっている。
 
  が、しかし、取り立てて能力のない人間にとって、とりあえず
  騙されてみることで、不必要な横道にそれることなく、退職まで
  辿り着けたような気がするので、必要悪かなと是認するしかない
  とも思ったりする。

  わたしは、30代前半に仕事をやめようと思ったことがあった。
  しかし、ちょっとした偶然でやめることを思いとどまった。

  今、振り返って、もし止めていたりしていたら、どんなにか悲惨
  な人生であったろうかと思っている。

  というのは、団塊の世代の仲間の人生をいろいろと推察して
  みると、商店街がシャッター通りになっていったように、一国
  一城の主の悲惨な人生の展開を多く目にする。

  中小企業に勤めていた同輩は、少ない退職金・少ない年金で
  老後を不安に迎えていることだろう。

  ましてや、小規模の農業をやっていた人なんかも、大変な老後だ。

  国民年金だけが、年金収入であったりする多くの仲間は、とんでも
  ない老後をおくっているはずだ。

  という現実を目の当たりにするにあたって、不本意な自分の人生
  が結果として、大過なく第一幕を終了したことに気づき、胸をなで
  下ろしている。

  自分の人生に、充分納得いったとは思えないが、とりあえずそこ
  そこの年金を確保できたということについて、幸運な人生であった
  と評価すべきではと考えるようになったのだ。

  見返りに喜びを求めるのではなく、やっていること自体を喜べる
  人生も羨ましいが、とりあえず、時代にそこそこに騙されて、
  乗ってみることを疎んずるのは、確率的にみて安全策ではない
  のは?

  とは、言うものの バブルな歯医者や弁護士になって、引き返せな
  い人生になっている者もいるので、断定できないところが、難しい。

  もしかして、時代にそこそこに騙されて、乗ってみて良かったの
  ではというのは、わたし個人の場合に限ってかもしれない。 
 
  いや、少数派かもしれない。 

  人生、第二幕。見返りに喜びを求めるのではなく、やっていること
  自体を喜べる人生にありつけたら、「終わり良ければ全て良し」
  と言うように、人生前半、不毛な人生を帳消しにすることが
  できるのだが、いくら頭の中を見渡しても、心の中を手さぐりして
  も、何も出てこないのだ。悲しいことに。

 

  ところで、苫米地英人氏こうも言っている。

  自分のゴールの見つけ方2)
  社会の要請から自分の生き方を決める


  これは、とてもとてもである。

  彼は、そしてこう言っている。

  ここで言う「社会」とは、自分が暮らす地域社会や日本と
  いう国家ではありません。抽象度を徹底的に上げて、世界
  全体、地球全体ぐらいをイメージしてください。

  さらに、今日や明日の世界ではなく、1000年先、1万年
  先を考えます。

  もし遠い未来のことまで考えることができなければ、少なくとも
  自分が生きている間の数十年ぐらい先まで考えてください。

  以上。


  残念ながら、わたしには、この発想についていけない。
  彼は、経済的には裕福であるので、このような日常の生活
  から飛躍した発想ができるかもしれない。
  
  言い出しっぺだから、先行者利益にもあずかれるであろう。

  大方の人間は、とても、とても、この発想を是とする気は
  ないだろう。

  わたしなどは、いかに寝たきりの父親と背中の曲がった母親
  の天寿をどう全うしてもらおうとか。自分自身の天寿をどう
  全うできるかなんてことで、日々懊悩している。
  
  あと20年そこらの人生にあって、

  自分のゴールの見つけ方2)
  社会の要請から自分の生き方を決める

  このテーマを対象とするには、年齢制限に引っかかるとしたい。


  それにつけても、

  見返りに喜びを求めるのではなく、やっていること自体
  に喜びを求めるようになることです。

  これって、どういうことなんだろう?

  何時の日か、自分の生活にもこのようなことが起こり得る
  のだろうか?

  どうなんだろう?

 

 


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