とある本にあったことである。
大変興味深い内容だったので
取り上げてみた。
いかに無知でも市民でさえ
あれば権利は完璧に認められ
たアテネだったが、市民権と
いう形での当時の国籍を持た
ない者には、参政権は完令に
閉ざされていた。
アテネ在住の非市民とは、
外国人と奴隷である。仕事
や何かの理由で、当時の
アテネには多くの他国人が
住んでいたが、彼らの多く
は同じギリシア人だったの
だ。
ギリシア語を話し、ギリシ
アの宗教を信じ、ギリシア
的性格をもつことでもまっ
たくアテネ市民と変らなかっ
たこれらの人々は、アテネ
以外の他のポリスの出身
であるという一事だけで、
アテネ市民と差別されて
いたのである。
アテネでは、両親のいず
れかがアテネ市民である子
だけが、アテネの市民権を
もつことができた。それも、
後にペリクレスの時代に
なるともっと閉鎖的になり、
両親ともアテネ生れでなけ
れば市民権をもつ資格が
ないと変るのである。
この傾向は、ギリシアでは
アテネにかぎらなかった。ギ
リシアのポリス社会は、実際
は意外に閉鎖的であったのだ。
何年アテネに住もうと、いや
アテネに生れアテネで死のう
と、他国人には市民権への道
は閉ざされたままだった。
経済や文化の分野でのあれ
ほどの〝自由化〟を思えば
不可思議だが、市民の全員
に平等な権利を与えようと
すれば、勢い市民の数を制
限するしかなくなるのかもし
れない。
ソクラテスは、たとえ悪法
といえども祖国の法には従う
と言って、逃亡のすすめも断
わって死刑に処せられた。
同じ哲学者でもアリストテレス
は、法になど殉じないでさっ
さと逃げた。
アテネ市民であるソクラテス
にとってアテネは祖国だが、
アテネ生れではないアリス
トテレスにとっては、アテネ
の法に殉ずる義理はなか
ったのである。
以上。
取り上げた理由は、「ソクラ
テスの死」についての記述
があったからである。
「ソクラテスの死」について
は、高校の倫理社会の教
科書にあった記憶がある。
とにかく、彼の死については、
ひっかかるものがあって、ず
っと覚えていた。
今回、彼の死についての疑問
が氷解したようで、喜ばしく
思った。
遠い昔に、疑問に思ったこと
が、やがて、50年の歳月を
経て、答えが見つかるなんて、
びっくりである。
ところで、中学校の3年の国
語の教科書にあった「安寿と
厨子王」の安寿の死について
ずっと疑問を持ち続けている。
いつ、答えが見つかるのだろ
う?