前回の「ディドロ効果」での引用は、
「アメリカ的な生き方とは、本当の高足感を得ること
ではなく、満足げにふるまう人たちをつくること
なんだ」その欲望が、より多くのものを手に入れる
ことへの絶え間ないプレッシャーを生んだ。
そこで企業が乗り越えなければならない壁は、簡単
な支払い方法を消費者に提供することだった。
という文章で終わっていた。
なんとも落ち着きのない終わり方であった。
このような文章に出逢ったのは、今まで本を読んで
経験がない。
連続物のテレビでも、見ている気分である。
これは、
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〈共有〉からビジネスを
生み出す新戦略
レイチェル・ボッツマン
ルー・ロジャース
小林引人=監修・解説
関美和=訳
NHK出版
の著者が、次の話題へ展開せんがための伏線で
ある。
この本の次ぎのテーマは、「今買って後払い」と
なっている。
つまりクレジットカードの話題である。
話題が、多岐に渡っていて、コメントするには、
気が遠くなって、やめようかと思ったが、一晩した
ら、何か書きたくなってきた。
ここでは、クレジットカードの誕生のエピソードが
出てきた。
以下、引用。
クレジットカードが生まれる前の生活は、今となって
はなかなか想像できない。
クレジットカードのもとになるアイデアは、企業から
出てきたのではなく、このプラスチックのカードが
もたらす現代の消費行動とはまったく違う、個人の
差し迫った理由から生まれた。
1949年、ハミルトン・クレジット・コーポレー
ションのフランク・マクナマラは、ニューヨーク市の
メジャーズ・キャビン・グリルでパートナーたちと
夕食を共にしていた。
話題の中心は、ハミルトン・クレジットからお金を
借りたある顧客が、借金を返せなくなっているという
問題だった。
その日はフランクが支払うことになっていたが、勘定
書きがきたあとに、財布は家にある別のスーツのポケ
ットに入れたままだったことに気づき、大恥をかいた。
彼は妻に電話して、お金を持ってくるよう頼み、二度
とこんなヘマをしでかさないと心に誓う。
と、その時、借金を返せなくなった問題の顧客と自分の
この恥ずかしい体験が頭の中でつながった。
「現金が手元になくても勘定を支払える方法はないだろ
うか?」と、フランクは考えた。
そして、これがきっかけとなって、フランクは、初の
個人向けクレジットカードを開発し、ダイナースクラ
ブが生まれた。
クレジットカード業界で、この夕食は「最初の晩餐」と
呼ばれている。
最初の1年問で2万人がダイナースの会員になった。
100年後に、その数は10倍になっていた。
他の金融機関もこの新しい支払い方法の人気に気づいて
いたが、1957年までは、クレジットカードに対する
一般大衆の認知度は低かった。
その年、アメリカでは、ハロルド・ボーツフィールドと
いう人物が、妻と二人で、ペンシルヴァニア州ランカス
ターから航空券とダイナースクラブのカードだけを手に、
30日間の世界一周旅行に旅立ったという話題でもち
きりになった。
その後まもなく、アメリカン・エキスプレスが、初めて
「多目的用の」「出かける時は忘れずに」のプラスチック
製クレジットカードを発売し、「今こそマスター」の
マスターカードや「必要な時はいつも」のVISA、
そしてその他のカードも続々と生まれた。
クレジットカードの歴史における決定的な転換点は、
アメリカン・エキスプレスがリボルビング払いの
サービスを開始した1959年だった。
カード会員は1か月で全額を支払う必要がなくなり、
次の月に残額をもちこせるようになった。
ジョセフ・ノセラは、その著書『アメリカ金融革命の
群像』に、こう書いている。
「こうして、アメリカ人はまだ手元にないお金を使う
ようになった。
ついに持たざる者が持てる者になったのだ」
1989年から2001年にかけて、クレジット
カード債務は、2380億ドルから約3倍の6920億
ドルに急拡大した。
2007年には9270億ドルまで膨れ上がった。
これは、わかりやすい図式だ。
クレジットカードをより使えば、より多くのものが買え、
より多くの材料が消費され、より多くのムダが生まれる。
アメリカ人は13億枚を超えるクレジットカードを所有し、
クレジットカード(より正確には、クレジットカード債務)
は、アップルパイにひけをとらないアメリカンライフの
シンボルになった。
ひとりあたりのカード保有数は四枚を超える。
これと対照的に、中国では12億人の人口に対して500
万枚のカードしかない。
西ヨーロッパでは、ひとりあたりの枚数はわずか0.23枚
にとどまる。
ここで、あなたのクレジットカード利用明細を思い出して
ほしい(あなたが明細に一度も目をとおさないという、
4人のうちのひとりに該当しなければ、だが)。
当然あるべきなのにそこに欠けている四つの情報とは何だろう。
最初の二つは簡単だ。
あなたが支払った利子と手数料の金額。
それでは、利率そのものと、現住の最低支払額で借金を払い
終えるまでの期間はどうだろう?
こうした情報が見えないことこそ、平均的なアメリカ世帯が、
たいがいの場合それと気づかず、8000ドルの借金を抱え、
8枚以上のカードで、金利と手数料だけで年間1000ドル
も支払っていることの説明になる。
アメリカでのクレジットカード利用総額は、年間1・8兆
ドルにものぼる。
一体払たちは何にそれほど使っているのだろう?
もちろん、私たちのほとんどは、クレジットカードの
恩恵を何かしら受けたことがある。
クレジットカード業界が言うように、「信用貨しによって
多くの人々は、商売を始めたり、もっと買い物をしたり、
よりよい生活を送ったりといった、今までだったらでき
ないことができるようになる」では、何が問題なのか。
消費者の購買行動を見てみると、クレジットカードがいく
つかの不健全な浪費習慣を助長していることがわかる。
前倒し消費、無意識の消費、新製品や高級品の購入だ。
もちろん、この三タイプの浪費は重なりあうところ
も多い。
ひとりの消費者がこのすべてに当てはまる場合も多い
だろう。
いずれにしろ、結果は同じでだれの目にも明らかだ。
消費者は持てる以上に浪費し、新しいものをより早く、
より簡単に、より頻繁に購入している。
前倒し消費とは、「今すぐこれを手に入れなくちゃな
らない」という気持ちが抑えられず、手の届かないもの
を買ってしまうことだ。
ハーヴァードの経済学者、テヴィッド・ライブソンは
こう言う。
「感情脳は、クレジットカードを限度額まで使い、
デザートを注文し、タバコを吸いたがる。
何か欲しいものを見つけると、それを手に入れるのを
待つことは難しい」ほとんどの人の脳は、「今買って
あとで払う」式の計算をするようにはできていないし、
「指数関数的成長」の概念はなかなか理解しにくい
(クレジットカードの金利がまさにそれだ)。
ダートマス大学の経済学の教授、ジョナサン・ジンマンは、
おなじみのゲームでこの点を解説する。
最初のマスが1ドル、次のマスが2ドル、その次が
4ドル、8ドル、16ドル、と増えてゆくチェス盤を
想像してみよう。
以後の六四個目のマスは何ドルになっているだろう?
そう、もしあなたが私だちと同類なら、計算してみよう
とも思わないはずだが、直観的に、10万ドルあたりと
見当をつけるかもしれない。
正解は、9億兆ドルだ。
今何かを買うために借金をする時、私たちは金利の影響を
よく考えない。
私たちの脳は、行動の対価を計算できない。少なくとも、
その瞬間には。
無意識の消費は、「何に使ったのかわからない」タイプの
浪費で、目的もなくモールをぶらぶらしたり、昼休みに
ふらっと店に立ち寄って、夜家に帰る時には買うつもり
もなかったものを手にしているといった行動に表れる。
人々が特定のものを買おうとする意識的消費者から、
衝動的な買い手に変わる瞬間を、1956年に第一号
のショッピングモールを建てた建築家、ヴィクター・
グリュエンにちなんで、「グリュエン変化」と呼ぶ。
グリュエンが目指したヴィジョンは、「理想的な買い
もの環境]と「コミュニティの核」をつくることだった
-今のようなごちゃごちゃと四方八方に広がった迷路
とは、似ても似つかぬものだ。
新製品や高級品の消費は、「もっと大きい(小さい)から、
質がいいから、速いから、あるいは単に新しいからこれを
手に入れなければいけない」というタイプの消費を指す。
ほとんどの場合、今あるもので充分だ。
しかし、それでは最新のものを持ちたいという欲求を満
たすことができない。
私たちは古くて長持ちするものや中古品よりも、
新品で目新しいものをありがたがる。
このメンタリティは、オルダス・ハクスリーのファン
タジー小説の古典、『すばらしい新折界』に描かれた
「ユートピア」とそれほど違わない。
そこでは子どもたちが生まれた時から消費はよいこと
だと刷り込まれる。
新しいことそれ自体が何か大事なことだとされる。
ハクスリーの想像の世界では、子どもたちが寝ている
間にその耳元で教師がこう囁く。
「新しい服は素敵です。繕わずに全部捨てましょう……
古い服は汚らしい。
古い服は捨てるのです。繕うと安っぽくなります」
『すばらしい新世界』の支配者、ムスタファ・モンドの
哲学は、「古いものを大切にさせてはならない。
新しいものを欲しがらせるのだ」というものだ。
以上。
クレジットカードに関わるおぞましい話が、いっぱい
である。
個人の差し迫った理由から生まれたクレジットカード
が、国民から富みを収奪するシステムに変貌している。
なんとも、恐ろしい話である。
この話を読んで、日本でも話題になっている消費者金融の
多重債務者の話を思いだす。
(多重債務相談とは、言いながら、多重債務者から貪ろう
とする法律事務所も問題となっており、複雑な気分がす
るが)
アメリカの国民そのものが、仕掛けられた債務者に貶め
られているのではないか。
どこに行けるわけでもないのに、回転車の中で、必死に
なって走っているような様に見えたりして、侘しくも
なる。
自由・平等・個人主義の精神によって醸成される国民間の
見栄、虚栄心、羨望、妬み、有能感への渇望等の様々な
心情に食い込むようにして、物を売りつけられているの
かもしれない。
時には、コンプレッス、寂寥感 飢餓感、自信のなさ等
人々の諸々の心理状態さえも、つけ込んでいって食い物
にしているのかも知れぬ。
もちろん、わたしも、クレジットカードはある。1枚。
インターネットの決済が、どういうわけか、クレジット
カード決済になっているのである。
どうして、口座引き落としでないのか、不思議であるが。
とある本を読んでいて、クレジットカードを使うもんでは
ないと、教示していた。
このクレジットカードが貧乏の始まりだと、くどく説明
していたからである。
横田 濱夫氏の『200万円から始めるお金持入門』講談社、
2000年。
だったかもしれない。
ちょっと、自信がない。
2000年では、最近すぎる。
この話、彼ではなく、もっと前のようだった気もする。
横田 濱夫氏から、消費者金融について、勉強した
のかも?
わたしには、キャッシュカードで、必要な金は、取り出せる
のに、なぜクレジットカードかである。
消費者金融の本も読んでみた。
なんとも恐ろしい話である。
なんでも、借りてもすぐに返すような客は、消費者金融に
とっては、招かれざる客なようである。
なかなか返せない貧しい人の方が、利息を取り続ける
ことができるということで、わたしたちの常識とは
まったく違う論理で、最高の客のようだ。
そういう意味では、アメリカは、国全体が、国民から
収奪しようとする恐ろしい国だ。
自己破産ができないという大学生活に使う学生ローンが
あったり、もっと恐ろしいことに、刑務所に入っても
金をむしりとられるシステムになっているようだ。
ところで、先程の引用の文章にあった
クレジットカードの歴史における決定的な転換点は、
アメリカン・エキスプレスがリボルビング払いの
サービスを開始した1959年だった。
カード会員は1か月で全額を支払う必要がなくなり、
次の月に残額をもちこせるようになった。
ジョセフ・ノセラは、その著書『アメリカ金融革命の
群像』に、こう書いている。
「こうして、アメリカ人はまだ手元にないお金を使う
ようになった。
ついに持たざる者が持てる者になったのだ」
この話である。
こんな社会では、サブプライムローンというあくどい
商売が出てきても、さもありなんという気がする。
それはさておき、少しでも、賢く生きていきたい