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リタイアーのよもやま話

「大人の流儀」

2013-04-12 22:16:18 | 読書

伊集院静の「大人の流儀」(3冊)を

読み終えた。

ネットでは、彼についてこう書かれている。

“最後の無頼派”と称される直木賞作家・
伊集院静が、無鉄砲とも思える半生の経験
から語る『大人の流儀』

と、紹介されている。

わたしは、文学は素人なので、こう紹介され
ても、その意味するところは、よくは分から
ない。

ところで、無頼について、ネットではこうある。

ぶらい【無頼】とは。意味や解説。[名・形動]

1 正業に就かず、無法な行いをすること。また、
そのさまや、そのような人。「―な(の)輩(やか
ら)」

このように説明があるが、この本を読むとまさに
彼の生活態度は、その説明のままである。

 

彼の本に、1950年山口県防府市生まれ。とある。
わたしの一つ年下になる。

この事実を知った時に、わたしは、愕然とした。

同世代の人間で、あの破滅的とも言える酒浸り、
博打浸りの生活をしている者がいたとは。

あの70年代に、わたしは、左翼にどっぷりかぶれ
たのだが。

あの70年代前後の騒然とした学生運動の世界に
まったく無縁の人がいたとは、それも、後日有名
になる人で。

よくも、あれだけ、酒と博打に溺れて、人格も
破綻せず、人生もドロップアウトせず、それも、
美人の「夏目雅子」を女房にしていたなんて。

 

とにかく、あの時代、多くの学生が左翼に感化
されたが、まったく、あの時代にはずれたとこ
ろで、生活していた若者がいたとは、驚きであ
る。

と、同時に、わたしに染みついたあの時代の刻
印というのは、もしかして、一部の学生の「若
気の至り」で、あの熱気は、単なる妄想でしか
なかったのか。そして、そのなんの根拠もない
思い込みに、とりつかれて、いたずらに人生を
消耗してきたのか。考えこんでしまう。


彼が、小説家で名を成さなければ、ただの自
堕落な酔っぱらいでしかない。才能というの
は、恐ろしいものだ。そのような破滅的性格
の人間でも、その他大勢を飛び抜けた人生を
保障する。

そのような自堕落な性格から、想像できない
辛口の物言いができるのは、不思議でしょう
がない。彼が著名な小説家でなければ、誰も
耳を傾けてくれるとは思えないほどの内容だ。


まるで、明治の人間ではないかと思うほどの
時代離れした。とても、同世代とは思えない
発言内容だ。

しかし、なんとなく説得力を感ずるのは不思議
なことである。

戦後のあまりの平等主義にへつらうことなく、
時代に迎合しない発言は、時折、説得力があり
無頼な人間でなければ、口にだせないと思う。

同世代の人間で、時代に迎合しない傲岸不遜と
も思える生き方をしてきた人間がいるとは、不
思議でならない。

彼の存在にため息がでるばかりだ。

 


「次元の違う金融緩和」が秘めた危険性

2013-04-12 09:56:55 | 経済

ヤフーのニュースである。

 

「次元の違う金融緩和」が秘めた危険性

 

貸手が気前よくなったら経済は要注意。

 これは経済を観るときの私の重要な視点の
1つだ。

 故・速水優氏が日銀総裁に就任した直後に
も私は同氏にそう言った。

「気前が良すぎる貸手が現れたらそれは大き
な異変です。貸手が借手に頭を下げて借りて
もらうのは経済法則に著しく反する行為だか
らです」

 速水氏は細川政権当時、経済同友会の代表
幹事をしていて、細川政権の改革全般を強力
に支援してくれていた。日銀総裁としても「
円高」と「規制改革」には一家言を持つ硬骨
漢であった。

2006年の量的緩和の解除により景気後退のA
級戦犯のように言われるが必ずしもそうでは
ない。私はその直後に、規制改革を進めない
政府に記者会見でボールを投げ返す必要があ
ったと感じて彼にそう言った。

政府が必要な経済政策を推進して、はじめて
金融政策を転換できるという意味であった。

 さて、素人同然の私が日銀総裁に前述のよう
なことを言って実に失礼だと反省したが、彼は
私の話を真剣に聞いてくれた。

 日銀という高台から見張っていて、貸手が金
を持って借手を追いかけている。私のイメージ
はそんなところであった。もしそんな現象を発
見したら半鐘を鳴らして警告すべきだと言いた
かった。

●「借りてくれる」は危険なサイン

 私は80年代末のバブル最盛期に、ある農協役
員にこう頼まれた。

「金を借りてくれる人がいたら紹介してくださ
い」

 このとき私は「借りてくれる」という言葉に強
い違和感を持ち、その後幾日も考え込んでしまっ
た。

「貸してくれる」ならわかるが、「借りてくれる」
はおかしい。「貸してくれる」は古代の人でもわ
かるが、「借りてくれる」は理解できないだろう。

私はつねづね、経済がどんなに大規模になり、
複雑になっても、経済を支配する基本的な法
則は不変であると信じている。それは他でも
ない「人々の暮らしを良くする」という目標
は時代にかかわらず変わらないはずだからだ。

 正常な経済状況の下では、金を借りる必要
のない人は借りない。そして、借りたい人で
も返す力のない人は借りないし、貸手もそん
な人には貸さない。

 問題は借りる必要がない人が借りたり、返
す力のない人が借りる現象が起きることだ。

 リーマンショックの契機となったアメリカ
の住宅バブルの崩壊もその典型であった。

中流家庭に住宅が行き渡ると、バブルを維持
するためには低所得者層に拡大せざるを得な
い。返済困難な人にまで融資をすればバブル
の崩壊は時間の問題となる。

 また、貸手が借手に「借りてもらう」よう
になると深刻なモラルハザードが発生する。
「あなたが借りてくれと必死に頼んだから
借りてやった」のだから返済する気持ちが
極度に弱くなる。結局それが不良債権とし
て蓄積するのだ。

 1980年代バブルが弾けた後、宮沢喜一元首
相に「何とかならなかったですか」と聞くと、
「みんなが歓んでいるときに水をかけるのは
難しいんだな」とつぶやいた。

「80年代バブル」の二の舞にならないために

 私の念頭にあるのは、言うまでもなく、「
次元の違う」金融緩和策。特に日銀が市場に
供給する資金量を2年間で2倍にするという
破天荒な政策だ。資金需要のないところに供
給すればその金はどこに行くか。結局はまず
土地や株に向かい、資産バブルを起こさざる
を得ない。銀行も旨味の少ない国債から離れ
て借手を探すことになる。そうすれば、逃げ
る借手を追う貸手という不条理な風景が再発
するかもしれない。

 黒田日銀はもちろんその対策を考えている
だろう。また、金融当局も学界も、何よりも企
業や個人も、80年代バブルで多くを学んでい
る。今のところ絶好調なアベノミクスをどう
着地させるか。官民挙げて知恵を絞らなけれ
ば元来た道を再び辿ることにもなりかねない。

 もしも、この絶好調を堅実な成長過程につ
なげることができれば、アベノミクスの大実
験は経済史に深く刻まれよう。

 

以上。


興味深い、記事である。

昔、横田濱夫氏の本をよく読んだ。

ウィキペディアではこう紹介されている。

1958年、東京生まれ。1981年に大学卒業後、
横浜銀行に入行。銀行の内幕を暴露した『はみ
出し銀行マンの勤番日記』を出版。横浜銀行を
退行後は専業作家として活動。

以上であるが、彼の書いたテーマに関心がわき、
彼の書いた本をけっこう読んだ。
その時、バブル当時の銀行の様子も書かれていて
大変興味深かった。

だから、今回、ヤフーのニュースにあった「次
元の違う金融緩和」が秘めた危険性、というテー
マの記事については、大変関心を持って、受止め
ている。

あの当時、実は、わたしの身近で、多くの本屋が
支店をだして、盛り上がっていたが、今は、凋落
の様、甚だしい。

よく路上でも、手作りのアクセサリーなどを売っ
て、商売する若者が多く見受けられたが、どこに
いったのだろう。

できるだけ、浮かれることのないよう、われわれ
の世代の人生最後のバブルになるかもしれない。

それにしても、収入は拡大せず、物価高だけが進行
しては、たまらない。

もちろん、いつかは、この政策も終わるはずだが、
その時は、物価はもどるのだろうか。

円安になっても、輸出は伸び悩んでいるという記事
もあったが、なんとなく、恐ろしい気分もする。
となると、なんのための円安だったのということに
なる。

物価は、あがった、収入は見合うほど、上昇しない。
消費税増税はできない。となると、とんでもない
世紀末になるのだが。

アベノミクス、アベノリスクにならなければいいが。

その行き詰まりで、「日本版金正恩」が、出てこ
なければいいのだが。