ヤフーのニュースである。
「所得倍増計画」胡総書記が共産党大会で打ち出す
テレビ朝日系(ANN) 11月9日(金)19時32分配信
共産党大会で打ち出された「所得倍増計画」が
大きな関心を集めています。
中国メディアは、胡錦涛総書記が打ち出した「2020年
までの10年間に国民所得を倍増させる計画」を大きく
扱っています。
このうち、「具体的な数値目標を初めて打ち出したのは
間違いなく進歩だ」と分析する一方、「収入を毎年7%
以上増やす必要があり、さらに努力が必要だ」と冷静な
指摘もあります。
所得格差が拡大し、社会への不満が高まっていることに
共産党が危機感を強めている現れとも言えます。
以上。
ヤフーにあった記事である。
所得倍増計画、1面で報道 中国紙、日本の経験紹介
2012.11.9 17:13 [中国]
9日付の中国各紙は胡錦濤国家主席が8日開幕した共産党
大会で所得倍増計画を表明したことを1面トップで報じ、
計画への期待の高さをうかがわせた。
新京報は社説で「日本は1960年代初頭、わが国が現在
直面するような発展方式の転換を迫られ、タイミングよく
所得倍増計画を打ち出し、効果的に実行した」と指摘。
「その後10年で1億人近い国民が中間層となり、日本を
消費社会に生まれ変わらせた」とした。
日本政府の沖縄県・尖閣諸島国有化で日中関係が悪化して
以降、日本を前向きに評価する記事が出るのは珍しい。
京華時報や北京青年報も1面で報道した。
経済紙、第一財経日報は、人口増加などの要素を考慮する
と、国内総生産(GDP)と1人当たりの平均所得をいずれ
も10年間で倍増するには「GDP成長率は年平均で7・1
%程度、所得は7%程度の伸びを保つ必要がある」と分析し
た。(共同)
以上。
はっきり言って、笑ってしまった。
そこで、ネットにあった記事を読んで確認してみたい。
1961年
所得倍増計画 ― 高度経済成長の時代 H.T.記
新安保条約で憲法の平和の理念が空洞化すること、及び
民主主義が蹂躙されたことに対する国民の反対運動は空前
の高まりを見せました。
それは、この頃から肯定的に用いられるようになった「市民」
の力の増大を意味しました。
そのため、政府・与党は大きな危機感を抱き、60年7月、
岸内閣は任期途中で退陣、代わって池田隼人内閣を誕生させ
ました。
国民運動は、安保条約の成立は阻止できませんでしたが、条約
を消極的軍事同盟に止めたこと、自衛隊を個別的自衛権の枠で
縛ったことなど、「軍事小国主義」の道から踏み外させなかっ
たことは、その成果でした。
池田内閣は、「国民所得倍増計画」を政策の目玉として掲げ
ました。池田首相は、独特のダミ声で“10年間で月給が2倍
になる”と分りやすい説明を行ない、国民に強くアピールしま
した。
「所得倍増という経済政策の問題で国民統合を実現したのは、
日本の政治の画期的な転換」でした(中村隆英「昭和史Ⅱ」)。
この計画は、道路、鉄道、工業用地など産業基盤の公共投資を
軸にし、社会福祉の増進や農業保護にも一定の予算を振り向け
ることにより、年率7,2%の経済成長を想定していました。
計画期間の61年から70年の間の実績は10.9%と上回り
ました。国民1人当りの消費支出は10年で2.3倍になり、
「東洋の奇蹟」と呼ばれました。
尤も、この計画の背景には、既に55年から始まっていた
経済の高度成長があり、「所得倍増計画」はそれに乗った
側面がありました。高度成長は73年まで続きました。
管理されたケインズ経済政策としての政府の所得倍増計画、
そして18年間の高度成長を可能にしたのは、①財政・金融
面では、投資の源泉である高い貯蓄率、安定した投資資金を
融通する間接金融の護送船団方式、輸出に有利な円の固定制
(円安)、低率の法人税、②労働力の面では、農村の余剰
労働力を活用した良質で安い労働力の大量供給、労使協調
する企業内組合を要素とする強固で安定した「企業社会」の
構築などが挙げられます。
さらに、④冷戦期の日本をアジアにおける中核的な反共工業
国として育成するというアメリカの戦略があったことも見逃
せません。
アメリカは、アジア諸国からの日本に対する戦後補償を値切
ること、朝鮮やベトナムの戦争特需で多大な寄与をしました。
また、⑤平和運動の高まりが、防衛関係費の対GNP比を1%
以内に抑えたこともポイントの一つです(以上、正村公宏
「日本経済」、橋本寿朗「戦後の日本経済」等参照)。
以上。
この文章のなかで、
尤も、この計画の背景には、既に55年から始まっていた経済の
高度成長があり、「所得倍増計画」はそれに乗った側面がありま
した。高度成長は73年まで続きました。
とあるが、この
「所得倍増計画 ― 高度経済成長の時代」という言葉、実は、
わたしたちの団塊の世代の青春時代とイコールだからである。
それが、笑ってしまった理由である。
24年生まれの場合
55年の時は、6歳
61年12歳
73年24歳
この間に、何が起こっていたか、わたしたちが時代の証人
である。
1、第二次大戦で、多くのインフラが壊滅した。
2、戦前の軍国主義から開放された。
3、東西冷戦があり、安保条約が機能していた。
4、朝鮮動乱があった。
5、ベトナム戦争があった。
6、団塊の世代という「人口ボーナス」があった。
7、石炭から石油、そして原発へとエネルギー革命があった。
8、中産階級の誕生と生活レベルの向上
9、et cetera
そして、なによりも、わたしたちを育てた親の世代は、
空襲等で祖国は荒廃したものの、第二次大戦の敗戦に
よって、ファシズムの恐怖から開放され、民主主義
国家の到来となり、、朝鮮戦争による特需景気(朝鮮特需)
を契機にして、国民一丸となって、新しい国家を創って
いくんだという意識の昂揚があったことである。
丁度その頃、わたしたち親の世代は、わたしたち子ども
に対して、21世紀の新時代を期待するという希望に満ちた
発言をしていた。
1950年代後半、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の家電3品目が
『三種の神器』として喧伝された。1956年(昭和31年)の
経済白書が「もはや戦後ではない」と明記し戦後復興の終了
を宣言した神武景気以降、輸出拡大で日本経済が急成長した
時期である。
1960年代半ばのいざなぎ景気時代には、カラーテレビ (Color
television)・クーラー (Cooler)・自動車 (Car) の3種類の
耐久消費財が新・三種の神器として喧伝された。
これら3種類の耐久消費財の頭文字が総てCであることから、
3Cとも呼ばれた。中でも普及が早かったのは1964年(昭和39
年)の東京オリンピックを境に売れ出したカラーテレビで、
一番遅かったのはクーラーである。
等々、物凄い勢いで、国民生活が向上していった。
上記の資料
④冷戦期の日本をアジアにおける中核的な反共工業国として
育成するというアメリカの戦略があったことも見逃せません。
ということもあって、まさに、競争相手のいない独走状態
だったのだ。
「所得倍増計画 ― 高度経済成長の時代」というキーワード
で、自分たちの人生とすりあわせてして、十分に検証したい
のだが、あまりにも膨大な作業で、一筋縄にはいかない。
いずれにせよ。
「所得倍増計画」胡総書記が共産党大会で打ち出す
テレビ朝日系(ANN) 11月9日(金)19時32分配信
共産党大会で打ち出された「所得倍増計画」が
大きな関心を集めています。
中国メディアは、胡錦涛総書記が打ち出した「2020年
までの10年間に国民所得を倍増させる計画」を大きく
扱っています。
このうち、「具体的な数値目標を初めて打ち出したのは
間違いなく進歩だ」と分析する一方、「収入を毎年7%
以上増やす必要があり、さらに努力が必要だ」と冷静な
指摘もあります。
所得格差が拡大し、社会への不満が高まっていることに
共産党が危機感を強めている現れとも言えます。
ということだが、なにしろ、中国国内で、生み出された
富は、再生産にまわされることなく、汚職した富として
どんどん国外持ち出されてしまっているのだ。
このような国富泥棒は、日本の「高度経済成長の時代」
にはいなかったはずだ。
エコノミストに興味深い記事がある。
データで見る中国経済
改革開放ボーナスの終わり
はっきり言って、今の中国は、日本の「所得倍増計画 ―
高度経済成長の時代」を参考にはできない。
9日付の中国各紙は胡錦濤国家主席が8日開幕した共産党
大会で所得倍増計画を表明したことを1面トップで報じ、
計画への期待の高さをうかがわせた。
とあるが、胡錦濤国家主席、あまりにも「無知」だ。
日本の「所得倍増計画 ―高度経済成長の時代」が、
なんであったか、全く理解していない。
ちょっと皮肉を言いたいが、北朝鮮や中国が共産主義に
なったおかげで、アメリカが日本を育てたという側面も
ある。
いずにれせよ。競争相手のいなかった日本と、競争相手
ばかりの中国とでは、まったく事情が違うのだ。
なにしろ、ベトナム、タイ、ミャンマー、インドネシア
インド、何時の日か、アフリカが競争相手だ。
残念ながら、日本の時のようにはいかぬ。
「未富先老」と囁かれている自らの現実を、理解して
いないのか。
いずれにせよ。「共産主義というファシズム」から
開放され、民主主義国家を創設していくんだという
国民の昂揚感が最低の条件だということが、理解でき
ないようだ。
一粒の麦(共産党)は、死なねばならぬのだ。
「所得倍増計画」は、国民へのリップサービスで、「空手形」
になる可能性の方が大きいと思うのだが。