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リタイアーのよもやま話

オバマ氏のといよりもミシェル夫人の「里帰り」

2009-08-08 11:09:07 | 社会
ヤフーのニュースの記事である。



オバマ氏のといよりもミシェル夫人の「里帰り」、そして涙――ニュースな英語

2009年7月13日(月)10:00
■本日の言葉「fight back tears」(涙をこらえる )■

国際ニュースで使われた英語をご紹介するこの月曜コラム、今週は、オバマ米大統領と家族のアフリカ訪問についてです。オバマ大統領にとっての「里帰り(homecoming)」という報道をちらほら見ましたし、現地ガーナの人たちも「おかえりなさい(Welcome home)」と大歓迎していましたが、感極まる思いをしたのはむしろ、妻ミシェルさんの方だったようです。(gooニュース 加藤祐子)
 
 
○自分の先祖がここに……?

イタリアのG8首脳会議に出席後、オバマ氏と家族はアフリカ西部のガーナを訪れました。父親の出身国ケニアはたびたび訪れたことがあっても、大統領としてサハラ砂漠以南アフリカ(Sub-Saharan Africa)を訪れるのは初めてです(腐敗と暴力にまみれたアフリカの支配層を批判するため、オバマ氏はあえて政情不安に揺れるケニアを避けて、平和的政権交代を実現したガーナを訪問先に選んだとされています)。

そこでオバマ夫妻は二人の娘たちを連れて、ギニア湾に面するガーナの港町にあるケープコースト城を見学。17世紀に築かれたこの城は、かつて大西洋間の黒人奴隷貿易の拠点だった悪名高い場所です。

英タイムズ紙によると、ミシェルさんは涙をこらえ(fight back tears)、そして娘たちと一緒に、この海辺の城の薄暗い細い階段を下り、暗い牢獄へと降りていったそうです。牢獄にはかつて一度に何千人ものアフリカ人が鎖に繋がれ、アメリカ大陸行きの奴隷船が到着するまで押し込められていた場所だそうです。
 
自分の先祖がもしかしたここに……と思ったかどうかは、もちろん分かりませんが、仮に自分の先祖ではなかったとしても、その場にしみついているだろう何万人もの怒りや悲しみや絶望は、ミシェルさんに、そして娘たちにどう響いたのでしょうか。
 
 
○奴隷と奴隷主の血が流れて

大統領選の最中、オバマ氏のユニークな経歴は日本でもかなり有名になりました。なので、オバマ氏はアメリカにとって「初の黒人大統領」だけれども、お母さんは白人だし、お父さんはケニア人なので、オバマ氏はいわゆる「奴隷の子孫」ではないというのは、多くの人がご存知と思います(しかも大統領選出馬当初はそのおかげで、「オバマは奴隷の子孫じゃない、自分たちの仲間じゃない」という反発さえ、一部のアフリカ系米国人にはあったのです)。

一方で妻ミシェルさんは、シカゴの黒人家庭に生まれた、いわば「生粋の」アフリカ系アメリカ人です。多くの米報道によると、父方のロビンソン家は、かつて奴隷制のさかんだった南部アメリカのサウスカロライナ州ジョージタウンを地元にしているそうで、ミシェルさんも幼い頃から夏休みになるとジョージタウンにたくさんいる親戚を訪れていたのだとか。そして夫バラクが注目されるに伴って米マスコミが掘り起こしたロビンソン家の歴史によると、ミシェルさんから直接たどれて、最も早い時期に記録に残っている先祖は、1850年にジョージタウンの巨大な米作農園の奴隷として生まれた、曾々祖父のジェームズ・ロビンソンだそうです(その米作農園の本宅は、まるで「風と共に去りぬ」に出てくる大邸宅タラさながらだったとか)。

さらにミシェルさんの評伝「Michelle Obama, An American Story」(David Colbert著)によると、ジェームズ・ロビンソンの息子と結婚した女性はローザ・エレン・コーエンと言い、ユダヤ系の姓を名乗っているので、このローザさんはおそらく、ジョージタウンに入植したユダヤ系家族に仕えた奴隷女性と、奴隷主の間に出来た子供の末裔である可能性が高いそうです。

だからこそオバマ氏は、民主党予備選を戦っている最中の2008年3月、アメリカの人種問題について触れた「A More Perfect Union (より完璧な連邦のため)」演説で、こう語りました。「I am married to a black American who carries within her the blood of slaves and slave owners(私は、奴隷と奴隷主の血を受け継いでいる黒人のアメリカ人と結婚しています)」と。

ミシェルさんの先祖が、アフリカのどの地域からいつ、アメリカ大陸に運ばれたのかは分かりません。訪問したガーナのケープコート城だったかもしれないし、そうではなかったかもしれない。けれどもタイムズ紙によると、地元の人たちはミシェルさんを「She's one of us (彼女は私たちの仲間です)」と大歓迎し、地域の伝統的な族長たちはミシェルさんを「ケープコーストの女王」と命名したそうです。

奴隷と奴隷主の血を受け継いでいるという自覚をもって、かつての奴隷貿易の拠点を訪れるとき、どういう気持ちになるのか。途方もない歴史の流れの中に自分はいるのだと言ってしまえばそれまでですが、ミシェルさんは、涙ぐみ、涙をこらえようとした姿に、自分が同じような立場だったらどういう思いか、考えずにはいられませんでした。そして小さな二人の幼い娘たちが、果たして何を思ったのか……。
 
○色々なモノをこらえて

ちなみに「fight back」は直訳すれば「戦って退ける」(もうちょっとこなれた訳だと「反撃する」)。なのでストレートに敵を戦って退けるならば、「fight back the enemy」という言い方になります。
 
一方で、今回の「涙をこらえる(fight back tears)」のように「こらえる、我慢する」という意味で使うことも多く(というかむしろ敵に反撃するよりも、こちらの「こらえる」意味で使う機会のほうが日常生活では多いはず)、「あくびをこらえる」ならば「fight back yawns」、「眠気をこらえる」なら「fight back sleepiness」、「くすくす笑いをこらえる」なら「fight back giggles」などとなります。

先週の金曜日は、マイケル・ジャクソンの小さな娘さんが涙をこらえてこらえきれずに泣きじゃくった様子について書きました。いくらニュースとは言え、次からはもう少し明るい話題をとりあげたいものです。

 

ずーっと若い頃、アフリカからの奴隷船の話を本で読んだ。あまりにも非人間的な状態で、船倉に押し込まれて、死人が出ても当然のような感覚で、扱われて、アメリカに渡ったという話である。

その子孫から、アメリカのファーストレデイが誕生し、かつての奴隷船の出発の地を訪問する。このようなことが起こるんだということ。なんとも不思議でしようがない。

この本を読んでいたその昔、このような起こるなんて、想像もできなかった。

この記事を読んで、言葉にしようがない思いがわき出た。

なんだろうな?