針金の話しではなく、庭に咲くテッセンの話しデス。
百日紅(さるすべり)の木に色の違う花が咲いた。
どうやらテッセンが木をよじ登って来て、時期外れの花を咲かせたようだ。
今更だけど「テッセン」の名の由来に気が付いた
鉄のように強い蔓(つた)でウッド クライミングをして遊ぶ花・・・・
つまり鉄のように強い蔓から"鉄線 テッセン"の名が付いたのだろう
近くで見れば確かにテッセンの花でした
来年も木登りして咲くのかなぁ~
針金の話しではなく、庭に咲くテッセンの話しデス。
百日紅(さるすべり)の木に色の違う花が咲いた。
どうやらテッセンが木をよじ登って来て、時期外れの花を咲かせたようだ。
今更だけど「テッセン」の名の由来に気が付いた
鉄のように強い蔓(つた)でウッド クライミングをして遊ぶ花・・・・
つまり鉄のように強い蔓から"鉄線 テッセン"の名が付いたのだろう
近くで見れば確かにテッセンの花でした
来年も木登りして咲くのかなぁ~
"*不撓不屈の木"ってなんだ *「不撓不屈 ふとうふくつ」は「不屈不撓 ふくつふとう」とも
察するに「自然災害・天変地異で倒れても 枯れたり朽ちたリせず生きてる木」ってことで
いつ誰が付けたかは知らないが、Google Map には載ってます。
場所は豊川市のふるさと公園北駐車場に沿って、明治の頃の御油~金野街道(今は廃道)を行くと
灰野峠の分岐に出る。 宮路山登山道は分岐手前右後方の見落としそうな斜面をよじ登ります。
少し登ると 竹や樹木が横になって生えている不思議な場所に出る。
ここがGoogle Mapに載ってる「不屈不撓の木」の場所だと直ぐにわかる。
18日の日曜日 久し振りに本宮山に登ってこの不思議な「不撓不屈の木」があるを見つけた
見つけたと云うより気が付いたと言うのが正しい。何度も登っている登山道なのに・・・である。
この場所はU字溝の底を歩くような登山道なので、足元を気にして目線を下げていると見過ごしてしまう。
ところが今月2日の大雨で、法面を覆っていた落ち葉や土砂が流され色鮮やかな赤土が剥き出しになり
普通に歩いていれば見過ごすことはない。
木の生命力、逞しさに感動した人が付けたであろう宮路山の「不屈不撓の木」。
早速本宮山の新名所にしょうかな・・・と 登山口の「ウオーキング センター」に相談しょッ
呼称は「不撓不屈の木」にするか「不屈不撓の木」にするか 勝手に名付けて宣伝して見よう。
勝手に命名して勝手に広まった例では本宮山「年金道路」がある。
顔馴染みの高齢者が集まって勝手に造って勝手に名前を付けた下山時の巻き道です。
石段とゴツゴツ岩を避けて、なだらかに楽して帰ろうと歩き出したら
だれ言うでもなく「年金道路」が定着した。
砥鹿神社本殿の石段を下りて直ぐに 右の脇道(らしき道)に入ると、老々男女が楽し気に下山中でした。
今度の日曜日(25日)もし 晴れたら、楽して登れそうな「誕生山」に行って来よう。
以前は「梅雨の晴れ間に」と来れば「洗濯」だったが、それもコインランドリーの普及で死語化?
「午後から明日朝にかけて大雨になる・・・」の天気予報を聞いて「今しか無い 」とばかりに
農道専用みたいな軽トラで曇天のなかを「梅雨の晴れ間に山登り」です
いつもは一つ手前の「金山」に登り、稜線を歩いて→「雨生山」だが、雨が気になるので
ササを掻き分けながら文字通りの "ヤブ漕ぎ" で雨生山域に入った。
この時期はどんな花が咲いてるかな・・・花の写真だけ撮って帰ろう
雨雲に急かされながら下る途中で見た「咏板」に、もう一度戻って写真に収めた。
「・・・こんな思いで 花に会いたい」・・・ "花"を亡き人の名に読み替え家路を急ぐ
車に戻るを待って居たかのようにして雨が落ち始めた 14:10
昨日の6月6日は芒種(ぼうしゅ)の日?? 何それ
意味どころか第一に読めない 今どき読めるのはジジババだけじゃないのか
中学生の頃に教師をしていた姉から「二十四節気の一つで・・・云々」を言われ
「芒種の芒はノギって読んで、稲や麦の穂先に出来るトゲのことだがね」と偉そうに言われて
「稲にトゲなんか無い」って反撃して勝ったのを覚えている
芒種とは「稲や麦などの穀物の種をまく時期」を云う今頃の季語だそうです。
殆んど絶滅危惧種ならぬ「絶滅季語種」ですね
入梅に入った先週末は凄かった。 どしゃ降りの雨で避難勧告や土砂災害注意報が伝えられ
身内からも被害の電話があった。
・孫娘から:勤める病院の1階が水に浸かって機能マヒになってる。「・・・私の車もダメだって 」
・会社にいる妻から:従業員が「帰社途中で渋滞で止まってる間に車が水没した」脱出したものの
全員が外国人で「帰る道も電車も分からんと言ってる」のSOS。(孫娘のいる病院前のR151にいるらしい)
台風ならぬ「線状降水帯」一過の4日、まだ置き去りの車が残る中を赤羽根海岸に行ってみた。
すると芒(のぎ)の名 を思い起こす(名前は知らない)植物に出合った。
余談ですが果物のマンゴーって漢字で書くと「芒果」・・・木は似てないしトゲも無いのに字は似てる
少し歩くとパルテノン神殿のようなオブジェが遠望されるので行ってみる。
近づいて直ぐに分かった。 大雨で流れ着いた流木を集めた山と重機が置いてあった。
これはサーファーがスーツを干すために作った物干し場らしいが、まるでアートだ
明日から再び雨になるとか 被害が出ないと良いのだが…
久し振りの登山をと 友達と打ち合わせに近くの喫茶店へ・・・そこで一悶着です。
15分早く着いた友達がコーヒ―飲んでいる席に同席して、コーヒーを飲んで打ち合わせ。
さて、帰る段になって、レジで480円/人の代金を払おうと お互い割り勘で500円玉を出したら
ナント!!(横柄な女店員が)「個別の支払いは出来ません」「そこに書いてあるでしょッ
」だって
何だか訳が分からず二人分と言って1000円札出したらお釣り40円を呉れた。
なんじゃコレってブツクサ言ってこの日は収まった。
が、登山結果が惨め過ぎて改めてリベンジ登山しょうと、昨日再びその喫茶店で落ち合った。
今度はレジで揉めないようにと伝票を夫々1枚づつにして欲しいと頼むと・・・
ナントなんと、またしても(横柄な女店員が)「1テーブルに1枚の伝票しか書きません」とノタマわった。
そこで堪忍袋の緒が切れた。 「そんな事聞いてもいないし書いてもない 」
(横柄な女店員)「私はオーナーの指示だから」と言うばかり (そりゃそうだねゴメン)
怒り心頭でコ✖✖珈琲本店に電話した。
返事はこうだ「店はオーナー制で、店内ルールはその店に任せてあるので知りません」
そこは豊●高校近くの人気店だが感じワリイ~・・・
ここに行く時は、テーブルは一人で座り、友達は隣りの別テーブルが鉄則かも
勘ぐるに コロナ禍の救済措置として国や地方に色々の策があり、雇用助成金や税法上の恩恵に与かるには
売上減の基を立証するのに「客が減った」は恰好の材料であるが故に「来店者数≒伝票枚数」なのではないか
まさにゲスの勘ぐりに過ぎないデス
遅い昼ご飯を食べていると庭にキジが飛来した。 近寄っては逃げられてしまう
写真を撮るには望遠レンズにしたいがそんな時間も惜しい。
部屋の中から・・・しかも網戸越しでは写ったかどうか???
ウソみたいに写ってた。紛れも無くキジが写っていた。
こんな住宅地でキジを見たのは初めてで、どうかしたのかって聞いてみたかった。
春は駆け足で来て駆け足で散って行くようだ。
3月17日の桜は枯れ木状態・・・だが近寄って見ると開花準備中と判る。
足元にはすでに春が届いていた。
それから10日後、桜にも春が来て満開になった。
「桜と花の女学生」初々しい風景で春が来たって感じ。
年季の入った桜も次世代に継ぐ準備は怠らないようで、後期高齢者が見るとナンカ複雑な写真。
今年も定点観測の様にして、萩町の山蔭川に桜を撮りに行く。
例年より少し早いようで、ほぼ満開。中には散り始めたのもありイイ感じ。
貸し切りの桟敷席で?握り飯が美味い。
最近テレビでモノクロ映像をカラー化して放映していたのを見た。
「額の汗・・・あれは血だったんですね」と戦争当時の映像を見ての会話があり
白黒写真の「汗」がカラー化で「血」と判るリアルな映像に変った。
今、後期高齢者と呼ばれる自分たちの想い出写真も白黒写真ばかりで、結婚式も
お金が無くてカラーでは撮れなかった!! そこで最近のカラー化技術や如何にと試してみた。
60年前の白黒写真が1分で色付き写真になるんだから、想い出新たなりって感じです。
ただ、カラーが当たり前の現在だから、出来栄えの比較は暫らく待って
素直にAI技術の恩恵を楽しみます。
昔の写真をカラー化して楽しむためには、事前に知っておいた方がイイ項目がありました。
・真っ赤の被写体(鳥居など)は苦手のようだ(違和感のある色に変換される)
・背景ボケが強い写真も苦手
・団体の集合写真など密度が高い写真も苦手
・曖昧な部分が多い写真
・彩度が強い鮮やかな写真
苦手な写真例:
1.本宮山の真っ赤な鳥居を撮ったカラー写真
2.カラーを抜いてモノクロ写真にします(昔の白黒写真のつもり)
3.カラー化する(赤い鳥居はグレーで違和感が大きい)
4.手動で補う(手間暇が掛かるので大雑把に済ませた結果…落第作品)
それにしてもスゴイ時代になりました。
ようやく春が・・・そう感じる来訪者?が来ました
2年前、庭のザボンに巣作りをしてヒナ鳥と共に飛び去ったヒヨドリが再び姿を見せた
あの時のヒヨドリかどうかは分からないが二羽のペアなので楽しみが出来た。
もう一つの春を感じる出来事は、「梅に鶯」ならぬ「花にメジロ」です。
庭のボケが綺麗に咲きまし
しばらく眺めていると、風も無いのに時折りソワソワと動く。メジロが花の蜜を吸いに来ていた。
余談だけど・・・花卉栽培の多い田原 (愛知・田原市)ではメジロを嫌う人も多いって。今日来た山仲間の
オバサンが言ってた。 花が売り物にならないことになるンだと ッ!
余談その2:ことわざにある「梅に鶯」だが、実は鶯では無く メジロなんだと書に記されています。
昨年10月に崖から落ちたことに臆したか、この冬は観る側に回って富士山を眺めに出掛けた。
年末の人出と交通ラッシュの合間を狙って、暮れの30日に家を出て正月1日の夜には帰宅。
極寒用寝袋+毛布にスコップ、飲料水、パンとカップ麺とどら焼き+菓子イッパイで
当然タイヤはスタッドレス履いて人間様も登山靴と簡易トイレで雪対策を済ませた。
◆1日目(12月30日):朝霧高原+甲府城公園
朝霧高原 道の駅
甲府城公園 武田信玄像・・・目的外だが記念に撮った。
◆2日目(12月31日):昇仙峡
覚円峰(かくえんぽう)・・・目的外だが記念に撮った。
金桜神社遙拝所から富士山
御嶽町宮本の民家脇に鹿が・・・目的外だが記念に撮った。
弥三郎岳1058mに登る
弥三郎岳1058mから富士山
弥三郎岳1058mから金峰山(2年前に登った近くの北奥千丈岳2600mが懐かしかった)
弥三郎岳山頂・・・目的外だが記念に撮った。
羅漢寺山・・・目的外だが記念に撮った。
この日は南アルプス市内に泊まる
◆3日目(2023年1月1日):忍野村経由身延山
南アルプス市内 ホテル前の日の出
忍野村に向かう途中の富士山(富士吉田市 R139号線)
忍野八海から富士山
身延に向かう途中の富士山(本栖湖湖畔 R300号線)
身延山 久遠寺から富士山
いい新年でした・・・でも「歩けなくなったなぁ」と実感する旅でもあった。
天体の出来事にはトンと関心がないが 「皆既月食」がどうのこうのと・・・
乗せられて 月食の時刻まで調べて物干し台を出たり入ったりして天空を眺める。
名古屋辺りの状況をネットで調べたら こんな具合だそうだ
始まりは6時頃からお終いは8時半頃とあったので、カメラ持って物干し台に行ったり来たり。
物干し場の前は空き地で空を覗くには具合が良い。
なるほどまん丸の月が欠けてるよ
カメラの設定を変えて撮るとまた異なった月が見える。
赤い月も見えるとかでヤッテ見た。
撮れないと思ったら結構写ってた 写真は腕じゃないカメラが100%ですね
★南木曽岳(なぎそだけ)下山中に梯子橋から転落した。
南木曽岳の登山道は上り専用/下り専用の一方通行で、下山道は梯子や鎖が満載です。
間伐材を利用した梯子橋は有難いが、腐食が進んでいたりする箇所もあるので要注意です。
今回は梯子橋を渡り終えた所で起きた・・・
梯子橋の着地点で手摺を持ったら、バサッと先端部が取れてヨロッとよろめき
バランスを崩し、そのまま背中から谷側に転落してしまった。
気が付けば、幸いに崖下まで落ちることなく、足を登山道に頭を谷側に仰向けで倒れていた。
背中のリュックサックがクッションと滑落防止の役割を果たしてくれた。
これ以上ずり落ちないように、相方が足を掴んで確保して呉れたので
自力で方向転換を果たし、登山道に這い上がり復帰出来た。
相方には感謝あるのみ 。 必死だったんだろう。
掴んでくれた足首と手首に紫色のアザの手形が残っている。
登山道に戻ってからは、日没までに時間が無いことで気が急くも
疲労で脚に力が入らず、まだまだ続く梯子やえぐれた溝の登山道に難渋した。
それでも、もう再びは来れないからと写真を撮りながら懸命に下った。
登れた喜びと転落事故を小事に留めてくれた相方への感謝を持って駐車場に戻った。
そこには思いもよらない感動があった。
下山途中、足が攣って小休止していた時、後から来た二人の男性が
「安全に気を付けて」と声かけして下山して行った。
・・・ナント駐車場に戻った時この二人が車で待っていてくれたのだ。
時刻は17:05・・・薄暗くなり下山を心配してのことだと直ぐに分かる。
「無事の下山よかった」とOKサインを出して駐車場を離れて行った。
深く一礼して見送った後
山仲間の絆のような思いが伝わる出来事に感動した。「ありがとうございました」。
この歳になると気持ちと肉体の乖離が大きくなり、山登りは次第に難しくなる。
9時間の南木曽岳登山 おつかれさん。相方には「ありがとう」。
今回の出来事を忘れず山を楽しみたい。
10月最終日曜日(10/30)4時起きして待ちかねた紅葉の山に行って来た。
長野県にある「南木曽岳 なぎそだけ 1679m」。 以前にも二度登っているが
なにせ後期高齢者が登るにしてはキツイ山なので気にしながらスタートした。
案の定 想定外の事態が起きてしまった。
何とか無事下山したが、歳を取ることとはこう云うことかと思い知った。
が、その一方で山でつながる無意識の「仲間意識」に感動した。
先ずは南木曽岳登山のスタートから
登山口まで林道歩きが続く
林道終点の橋を渡るといよいよ登山開始になる
橋を渡った右手が南木曽岳の登山口
30分ほどで南木曽岳名物?間伐材利用の渡橋や梯子、木道が現れる
この辺りはすでに1000m超の高度ゆえ秋色の木々が美しい
本格的な登山道に入り上り専用、下り専用の分岐を進む(当然上り道を進む)
高度を上げてゆくと「高さを感じる景色」になる
喘ぎながらも頂上に着いた。 三等三角点のここは1677.3m
ここから先は展望広場を通って下山道になるが、下るばかりじゃない まだまだ上る山が続く。
山頂避難小屋、トイレのある展望広場に向かう
中央アルプスに雪はまだ無いようだが雲でハッキリとは見えない
広場を過ぎると「いまから下山」の気分になるが、なんと まだ上り坂が待ってるから高齢者には辛い。
摩利支天の絶壁は素通りして文字通りの「下山道」を行く。
大岩と笹原の景色に癒されて先を急ぐ・・・
・・・が、先を急ぐなんてとても無理な梯子橋と鎖場と絶壁の連続です
10年前に登った(下った)時は怖いとか危ないなんて思ったことは120%無かった。
が、今回はアブナイって思った。
掴めるものは何でも掴み、垂直に近い梯子は後ろ向きに尻から下りる・・・歳は取りたくナイ
梯子橋を手放しで渡るなんてバランス感覚の低下した高齢者には出来ません
★今回の転落事故はここで起こった(・・・後述)
幸運にも無傷で登山道に戻れたが大幅なタイムロスを生じ、陽のある内に
下山出来るかギリギリのタイミングになった。だが、この山に再び来ることは
叶わないと思い、写真を残したい気持ちは強くあった。
______この後のことは「感動の山のぼり-2」_____
ヤマガラやメジロが庭に来るようになり、写真を撮ろうと意気込んでいる時は来ないが
ボーっと外を見ている時に来る。
最近、人慣れしたヤマガラに出会える山があると聞いて行って来た「弥勒山 みろくさん 437m」。
愛知県春日井市の「春日井三山」と呼ぶ低山で、弥勒山、大谷山、道樹山がポコポコっと連なり
「ミニ縦走」気分が味わえるとの誇大宣伝もあって人気の山だそうです。
今回登ってみて「眺望なし、花なし、紅葉なし、登り甲斐なし」で、山登りの魅力は薄かったが
ヤマガラが手のひらのクルミを取りに舞い降りて来たのには感動ものでした。
スタートは細野キャンプ場から入る「道樹山 どうずさん 429m 登山口」から
山頂には祠もあったが少し朽ちかけていたり草と鉄囲いで人が立ち寄った気配なし・・・素通り
20分ほどで三山の真ん中「大谷山425m」に到着
ここも足を止めて一息入れる気にならないチョット寂しい山・・・素通り。
ここから「弥勒山 みろく山429m」まで25分程度。
途中、途中に植物園に下る分岐があり確認しながら「みろく山」に向かう
何故か山名表示が "かな書き" に変わっている。
「みろく山」到着11:25分 先客は少なく数人ほど。展望台も二三人でゆっくり出来た。
広場に戻って待望のヤマガラとの対面
持参したクルミやひまわりの種を掌に広げた相方と並んで身体の前に差し出す。
半信半疑で3分ほど待ったところで相方の方にヤマガラが舞い下りて来てクルミを持ち去った
続けてもう一羽が・・・空振り 焦ったか
(再度挑戦したのか、先に舞い降りた一羽か見分けが付かないが)見事三度目の飛来で
クルミを持ち去った・・・・なぜ相方ばかりで自分方には来ないのか
(推測だが自分の掌の中にはクルミ、ひまわりの種、ピーナッツ、黒豆の混合が禍したのかも)
写真撮りをしたが、何時どこから舞い降りるのか見当もつかず全部ボケボケだった
そうこうしている間にお昼の時刻になって、あれとあれよいう間に人・人・人で埋まる
登山道にまで人が並んで頂上待ちになった・ なるほど「人気の山」でした
長居をするのが申し訳ない気がして早々に下山開始。
それにしても雑草の花すら無く、眺望は全くゼロで終始樹林帯で詰まらない山でした。
ここは登山靴ではなく運動靴のママゴトの山。
後50メートルで植物園の公園広場という登山道終点で初めて花を見た。ごく普通のツワブキ(石蕗)でした。
面白いのはツワブキってヤブ蚊 に好まれるのかぁって新発見があったこと。
お疲れの山でした