森林ジャーナリストの裏ブログ

表ブログに書けない、書く必要もないドーデモ話をつらつらと。

間伐論(序説)

2007-04-04 01:04:10 | 林業・林産業

ここ数週間、非常に仕事がたて込んでいて、疲労困憊している。やるべきことと、できることのバランスが狂ってきた。いろいろ考えすぎて、頭がくすぶっている。肩がヒリヒリする。(と言いつつ、生駒山でランを見てきたのだけど……。)

で、こんなときにあえて取り組みたくなるのが、間伐論だ。今書いている原稿のせいでもあるのだけど、世の中の、間伐に関する意識・発想について疑問を感じるのだ。

人工林には、間伐が必要だ。なぜなら密植したから、空かさないと、残す木が育たないから。……ようするに残す木のために間伐するのであると。

本当かあ? それって、徐伐、もしくは保育間伐のことじゃないか。
保育間伐は、造林初期にわずかな量行なうものだよ。それなのに、林齢何十年の森林まで保育間伐し続けるなんておかしい。
だいたい保育のための間伐だから、金はかかるばかり。だから低コストにするため切り捨てにしようとか、巻き枯らしで十分とか、切り捨ての方が獣害防げるとか、切り捨てた木が腐って山に栄養分をもたらすとか、理屈こねるのではないか。

本当の間伐とは、収入間伐であるべきだ。これが私の持論。主伐までの大半の期間は、間伐材そのものを金に換えて収入を得るために伐るものだ。
それは人のためだけでなく、山のためにもなる。

切り捨てるくらいなら、間伐なんぞしない方がよい。その方が低コストだ

なぜ、そう考えるか、ここで論じるには疲労困憊しすぎているが、ようするに日本の林業史をひもといた結果、たどりついた結論だ。そして科学は、それを後押ししている。土倉翁、エライ!

もう、まともな文章書けそうにないから、止める。気が向いたら、また続けよう。


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4 コメント

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間伐について (bwe)
2007-04-04 10:36:20
1ha当たり3000本植林する根拠はなんなのでしょうか。
最終的な結論は、植林後20年頃から利用できる木の大きさとなることから、20年で樹冠がいっぱいになる本数を机上で考えたものではないかと考えています。
事実、かっては20年頃から間伐される木が利用されていました。
しかし、細い小径材の利用がなくなった現在、3000本の植林本数は問題があることになります。
自然淘汰で本数が調整されればいいのですが、うまくいかないようです。
では1ha当たり何本であれば自然に任せて放置することができるのか、肝心のことはなにも判っていません。判ろうともしません。
当然間伐の意味には利用することが前提にあったわけですが、利用が進まない現在どのようにすればよいのかなにも検討されていません。
造林と同じように間伐も国の無策にあきれてしまいます。
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適正本数 (田中淳夫)
2007-04-04 16:30:14
1ha当たり3000本の根拠は知りませんが、戦前は各地で様々な植栽本数があったのは間違いありません。

なかには密植することで「小径木の生産」を行なう地方だってあったし、疎植の方が早く大径木を生産するには有利です。
放置しても育つという意味では、本数は関係ないですよ。自己間引きが起きるから。天然林のように。

小径木の利用が進まないから間伐をしないというのではなく、小径木の利用法を開発するのが筋だと思いますね。
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疎植で問題がなければ (bwe)
2007-04-04 17:45:35
疎植で問題がなければなぜ疎植しないのでしょうか。
小径材の利用が進まないのは何十年も前から判っています。
造林補助は今でも3000本くらいを植林しているのではないでしょうか。
1000本程度で十分育つのであれば、手間のかかる間伐はしなくてすみ、なおかつ植林費用も少なくすみます。
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疎植と密植 (田中淳夫)
2007-04-04 23:15:37
疎植すると、肥大生長しやすく、伸長生長は遅くなるんですね。すると曲がったり真円にならなかったり、年輪幅が広がる……のではなかったっけ。

昔は3000本植えないと補助金でなかったけれど、今は緩んで1000本くらいでもよくなった……のではなかったっけ。

まあ、それぞれ問題はあるわけですよ。ようは、どんな経営計画か目的をはっきりさせて、最適の技術を使うことでしょう。
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