またまた、小泉前首相の言葉である。もっとも、その言葉の元は、小説家の渡辺淳一の本「鈍感力」から来ているのだろうし、その前には「老人力」なる言葉が流行ったこともあるとおり、そんなに新しい言葉ではない。
内容は、あまり周囲の批評などにピリピリ反応しなさンな、ということだ。老人のようにぼけて見せたり、そもそも感じない鈍感の方が、世の中うまくいく、という処世術を表しているのだろう。
先日の東京-福島の巡業で、この言葉を私も使うべきかと思いついた。世の中、敏感に反応しすぎる。
地域づくりのために地元の人たちのグループに、Iターンの人が入ってきた。Iターンの人は張り切って、都会感覚でいろいろアイデアを出す。起業をしようというのだから、仲良しグループだけではダメだとか、会計的な目も取り入れるとか、まあ当然すぎる意見を口にした。が、すると地元の人々は引いてしまったそうである。そんなこと言われるのなら、と肝心の地域づくりをあきらめてしまう。
一方、Iターン者は、なぜコッチが熱心にやろうと思っているのにみんな協力してくれないのだろう、と悩む。
まさに、よくあるパターンなのである。実際、田舎の人は、外部からちょっと批判されると、すぐ引く。すねる。逆切れする。Iターンの人のアイデアや言い方に問題があったかどうかはともかく、なぜそんなに過剰反応するの、と言いたくなる。言い返して、喧嘩した方がマシではないか。でも、争いごとは嫌らしい。
そこで、「鈍感力」が必要なのだ。
同じことは、公務員全体にも言えるだろう。外部の批判に対して、なぜあれほどまで気にするのか。わずかな批判に驚天動地するがごとく対応するか、あるいは聞く耳持たない。どちらも過剰反応だ。
政治家ほど鈍感でも困るが、ハンドルに遊びがないと運転に支障をきたす。話半分、ではないが、批判・批評をやんわり受け止め、やんわり跳ね返す精神がないと、人と人がぶつかる地域づくりや政策執行はできないよ。
むしろ「打たれ強さ」というか、批判を受けても、自らの定めた目標に向かってじっくり進める力が求められているのだと思います。
何かに対する意見を誰かに伝えようとするにしても、
まず相手の話をよく聞くことが大切なのではないでしょうか。
いきなり自分の意見を言ってしまうから相手からすれば外から批判された気分になるし、
相手の持つ理想や意図、要望とずれてしまうのでは。
よく聞いた上で、悩みや、希望に合った指摘をするなら先に進んでいくのではないでしょうか…
甘いですかね?
謝っておけ感100%の人というのは市民から見てもすぐわかりますよね。
謝ればいいと思っているのか!って言いたくなる。
逆に謝ると自分(行政とか企業ね)の非を認めることになるから、すぐ謝るなという人もある。
番組捏造とかホリ○モンも、まず謝るのは迷惑をかけたことだし、それから他人の過ち、でしょ。自分の責任についての謝罪はなかなかしない。
トップは自分が謝ることの損得計算がよくできてるってことなのかなぁ。
ビジネスライクに行くべきところと、情を捨てたくないところとを
自分で持っておくといいのかな。
これは、困るなあ。形だけ誤って済むわけじゃないんだから。今後欧米流に、「謝るのは自らに責任があると認めていること」と取られてしまう可能性もある。
どうせ心にもない謝るという演技をするなら、いっそ鈍感な演技をした方がマシでしょう。
ま、私は著作などでも反発買いまくり(笑)。それを鈍感なふりして過ごすんですが、後で泣いているんですよ……(ホントか? これも演技か?)
ちなみに行政の立場から言わせてもらうと、最近は何やっても批判は付き物なので、過剰反応すら通り越して「理由なんかどうでも良いから、何でも最初から謝っておけ」感100%の人も多いような気がします。