ラッキーガーデンに子羊二頭入った。
最近自然の中のカフェが増えているが、羊や山羊を飼っているところは少ないだろう。春を感じる(*^^*) ここでメエ~どカフェを開く計画で盛り上がる。
ウェイトレスはみんな、羊の着ぐるみ着て、返事は「メエ~」にする。
ウェイターの場合は、黒服に蝶ネクタイで、シ(ヒ)ツジカフェ、かな。
私も木の芽どき…なのか、精神的に揺らぎがちだが、やはり動物は安らぐよ。
NHKの「ちりとてちん」が終了した。
久々にはまった朝のドラマだった。最初は、若狭塗り箸の職人が出てくるという興味くらいしかなかったのに……。
朝ドラは、ちょうど起きて朝食を取る時間なので、つい見てしまう。これまではまった朝ドラには、ずっと古くて「ふたりっこ」、そして「ちゅらさん」くらいだろうか。
いずれも、なぜはまったか、と分析すると自分の嗜好などに気づいてそれなりに面白いが、「ちりとてちん」の場合は、別の意味がある。
それは、ドラマとしての構成・奥行き・キャラクター設定がピカイチということだ。そのほかのドラマは、仮にハマッテも「こんな展開はないやろ」と突っ込みを入れたくなるところもある。だいたい「いつも元気で前向きな主人公」というのも臭い。登場人物のステロタイプなキャラクターといい、善意と頑張りが人生を切り開くなんて、大甘だ。なかには、バカにするな! と言いたくなるものもある。
ところが、「ちりとてちん」は、後ろ向きでいつも脇役人生を歩んできた人が主人公。そして、実に丁寧に周辺の登場人物を描いている。たいした役割を担っていないように見えた人物の人生や心までしっかり描かれている。そのおかげで、ずっとドラマの奥行きが広まる。
そして、ここがスゴイと思ったのだが、小さなエピソードが見事に絡まっている。これまで番組引き延ばしか、と思えるようなエピソードを次から次へと配置しているドラマが多かったが、ここでは少女時代のエピソードが随分後の人生に絡んできたり、忘れていた言葉が、後々大きな意味を持ったり……。
またテーマのブレがない。ずっと脇役人生の主人公が、ついに落語で主役になれたことを描くドラマ……と思わせておいて、最終章で大逆転させた。脇役人生讃歌になるのだ。
これは脚本家が最初から綿密な構成を組んで、展開を全部決めていたからできたのだろう。これはスゴイことである。半年間、毎日のドラマだけに、視聴者の反応や役者の都合でストーリーを変えてしまうこともある朝ドラだけに、お見事、と思った。
さて、ベタ褒めのドラマ評を書くのが目的ではなかった。実は、自分の執筆に向かう姿勢を示されたような気がしたのだ。1冊書き下ろしを書くときは、やはり次々とエピソードを羅列しがちだし、テーマが揺らぐこともある。
しかし、やはり重要なのは構成だ。綿密に、どの章の内容がほかの章の展開にどんな意味を示すか、十分に考えておかねば完成度は高まらない。脇役への目配りも大切だ。そういう勉強になったドラマだった。
さあ、執筆にもどろう。
懐かしい人からメールが来た。女性である(^o^)。
彼女から初めてメールが来たのは、彼女がまだ高校生の時。拙著を読んで、少し問い合わせもあってのメールだったが、その後東京の大学に進学後も、たまにメールが来ていた。そして近況報告をしてくれた。
実に楽しそうな大学生活を送っている様子だった。抜群の行動力で国の内外を問わず飛び回っていたし、たまたま私が紹介した牧場にすぐ研修に入ってしまうパワフルさ。私は、メールが来たら返事を書く程度である。もちろん会ったこともないし、顔だって知らない。
そして昨年、とうとう卒業した。これまでとは進路希望を一転させて、人を相手にしたいと教職を希望し、青森県に赴任したところまで知っていた。
その彼女からのメールである。青森ではいろいろな経験を送ったようだ。随分考え方も変わったとある。ただ彼女は常勤講師だったので、3月には東京にもどるという。進路を確定させた3年生を送り出す私の進路が未定…とある。
この季節、新たな人生を選ぶ人も多いだろう。
私に助言めいたことを書くことはできないが、きっと成長したんだろうなあ、今後も様々なことを経験していくんだろうなあ、とほのぼのとした気分(^o^)。いつまで顔を知らないままのメールが送られ続けるだろうか。
「そこまでで、逢おうとしたらアカンで。そしたらセクハラかストーカーになるで」とは娘の声である。ハッとした(^^;)。
以前、大阪の書店で拙著を手にしているカップルに出会ったと書いたことがある(これは表ブログだったっけ?)。
そしてその後当の本人からメールが来て、生駒で会ったことも書いたっけ。二人は夫婦で、男は木材商社に勤めた後に林業関係の学校に入り、森林組合などでも働いた経験者なのだが、結婚を機に退職。
この、男が結婚を機に森林組合を辞めるという選択自体に、今の森林組合の問題点が詰まっているような気がするが、その彼らと「森林の仕事ガイダンス」会場でばったり会った。まだ仕事探ししていたのか。それも懲りずに山関係を。それをノホホンと支える奥さん、エライ! そして少し羨ましい…。
それはともかく、山仕事の職場ガイダンスを開くのはよいが、そもそも結婚退職させないような体制を作ることが先だろう。さもなきゃ、人は雇えない。常に募集するのは辞める人が多い証拠だし。
二人には、これも縁だと私の知り合いの林業会社も紹介したが、今後どんな選択をするだろうか。
写真は、奈良町の資料館だが、近くに庚申堂があって、身代わり申がたくさん吊るされていた。厄難を一身に引き受けてくれることを願って…。
娘が、学校から帰って来て広げたカバンから、チェコレートやらクッキー、メロンパンまでドカドカと出てきた。みんな手づくりの様子。
7つ。おい、なんで娘がもらうのだ。今はそんな時代か。少しおすそ分けを要求したら、断られた。チョコは苦手と言っていたのに。そもそも誰かにやったのか。
娘自身は、まったく誰にも渡していないそうだ。もらった人にホワイトデーにお返しするだけだそうである。もちろん、父にも渡す気はない、と断言された……。
クリスマス、正月、誕生日と立て続けにプレゼントを買ってやった親の恩をどう考えておるのか。少しは親とのつきあいとか恩返しの気持ちはないのか。「ない」と断言された……。この分だと、10日後の私の誕生日も期待薄である。
夜、塾の迎えに行った際に、娘の要望でドラッグストアに寄った。そこで買い物のついでに3割引になったチョコを指さした。仕方ないな、という顔で買ってくれた。
年も明けて10日もたってから、カメラマンの友人の作った今年のカレンダーが届いた。卓上型の小さなものだが、毎年送ってきてくれる。
いつもは北海道の景色など自然ものだった。ところが、今年は愛知県奥三河の花祭りの写真を使っている。この花祭りは、国の重要無形民俗文化財にも指定されている。その神楽の舞をある集落に入って、20年間撮り続けてきたという。
赤い面の鬼、熱い湯を掛け合う若者たち、笛の音に載って舞う子供たち…。
実は、私も奥三河の東栄町には何度か訪れており、その際に花祭りを見ている。若者も参加していて、たいした盛り上がりだった。こうした祭りが残っている田舎は、何か救われる。
そういえば、昨夜のNHKドラマでは、村歌舞伎を残そうと奮闘する人口300人の村が描かれていた。小品だが、心地よいドラマだった。
生駒にも、生駒大社の火祭りがあり、古くからの伝統もあるが、今や狭い一地域の祭りになってしまっている。祭りの力が衰えたというより、ニュータウンの新住民が増えたため、生駒全体の祭りではなくなってしまったようだ。現在の生駒市長は、最初の年、その祭りに参加することを「神社の祭りに市長が出席するのは憲法違反の疑いがある」と拒んだ。
カメラマンが通い続けた集落は、過疎と高齢化で、とうとう祭りを中止したそうだ。
2008年になった。皆さん、おめでとうごさいます…と挨拶するのは、実はおかしい。このブログは、すでに引っ越しているからだ。
である。にもかかわらず、アクセス数が、あまり減らない。下手すると、上記の新ブログより多い(^^;)。やはり過去の蓄積のおかげかなあ。
それで、私もつい更新してしまう。内容は、本編とダブらないように、どちらかというとプライベートなことを書いているけど、それでいいのか? プライベートなことは、私のホームページの日記「生駒通信」にも書いているのだけど。
ともあれ、新年もよろしくお願いします。
今日は、久しぶりに庭で焚き火をした。しばらくの晴天続きで地面も乾いてきたからだ。前から残っていた枯れ草や枝、それに使用済で汚れた割り箸を燃やしたのだ。気持ちよく燃えた。ほか、ヒノキの丸太の輪切り。これは匂い用に車に長く積んでいたのだけど、さすがに香りは消えたのでお役目ごめん。竹やダンボールも灰にした。
明日は、椎茸原木用のコナラの木を伐採して来ようかと思っている。
ここ数年休会していたのだが、来年1月に久しぶりに例会を開くことになり、その前祝い的な集まりとなった。大阪のマレーシア料理店でマライ料理を食べた。この味も久しぶりだなあ。
ただお店のマネージャーが代わって、店が混んできたら2時間たたないのに追い出された。ちょっと感じ悪い。前の中華系マレーシア人のケリーさんなら、こんなことなかったのにな。
参加者の一人の女性は、青年海外協力隊でマレーシアに行き、その後個人的に留学してマライ語と英語を納め…というユニークな人なのだが、7年前に初めてあったときと、全然変わらないよ~と言って喜ばせたのだが、ついその後に「名前も変わっていないしねえ」とオチをつけてしまった。これで嫌われたか(^^;)。
東京でムンク展に行ってきた。 上野の国立西洋美術館である。朝、開館前に着くと、そこそこ人が待っていた。
私は、少し周辺を歩く。うまく配置されたイチョウなどの黄葉が広がっており、あたかも人工の樹林風景の極致のように感じた。絵を描いている人もたくさんいる。そんな環境なのだな。
実は、奈良で開催中のシャガール展に行ったのだが、そこで見たシャガールは、「色彩の魔術師」だの「愛の伝道師」といった世間の評価と違うものを感じた。とくに初期のロシア時代の作風は、陰惨で鬱屈した心の襞を連想させた。なんだかムンクみたいだな…と思ってたら、美術館の壁に「ムンク展」のポスターが。東京でムンク展をやっているのか、それなら行かなきゃ、というわけである。
ムンクは好きである。画集も幾冊か持っているし、これまでもムンク展には行っている。その狂気性に惹かれるのは、私の中にも鬱屈した何かがあるのだろうか。
が、今回のムンクは、なかなか明るかった(^o^)。同じモチーフを描いた中にも明るい色彩の作品があり、人妻に恋をした作品(写真)も、微笑ましく感じる。
それどころか、晩年の人魚姫とか、労働者を描いた作品群は写実的で、ムンクのイメージをかなり変える。なんだかシャガールみたいやん、と感じたのは私の思い入れだけだろうか。
で、出るとポスターが。上野の森美術館で「シャガール展」を開催中だって。
これは行かなくちゃなりませんねえ……と足を向けたが、さすがに時間が足りない。昼は約束がある。それによく見るとシャガールの作品の展覧会ではなく(作品の大半は、今は奈良にあるのだ)、シャガールの制作風景を撮影した写真家の展覧会のようである。今回は断念することにした。
ほかにも科学博物館のファーブル展とか大江戸展とか、そそる展示会がたくさんある。その点だけは、東京が羨ましい。
ジャングルを思い出したら、やっぱり未知生物への憧れが。
これは大阪で開かれている「世界最大の翼竜展」の展示。
翼長10mを越えると言われる「ケツァルコアトルス」の復元だ。親子連れがカップルばかりの会場に男一人で行くと、オタクっぽいが、なかなか感心。
さあ、明日は「丹波竜」の発掘現場を見に行こう(^o^)。
宮崎空港から飛行機が飛び立つと、窓から月が見えた。その日は朝から快晴。夜空も雲がない。
浮かんでいたのは、三日月よりも細い、1~2日目の上弦の月。
利鎌のよう……そんなフレーズが浮かんだ。それで思い出した。
鳩啼時計今啼きぬ
冬の夜更けの11時
木枯らし寒き外面には
利鎌のごとき月冴えて
西条八十である。「鳩啼時計」という詩だ。ある小説に登場して、その語感が気に入って、いつしか暗記していた時期がある。その断片が甦った。
とくに「利鎌のごとき月」という形容が好きだった。ちょっぴり文語調で、鳩時計を鳩啼時計と表現するような時代がかった言葉を使うところも、不思議に心地よかった。
そこで、ちゃんと調べてみると、その後は
過ぎし日君と一つずつ
銀座の街に求めたる
鳩啼時計今啼けば
憂いは深し我が心
と、続く。そうそう、「憂いは深し我が心」というフレーズも脳裏にリフレインしていたな。口ずさみたくなるようなリズムになっている。さすが数々の歌詞を作った八十だ。
ようするに恋人同士が同じ鳩時計を二つ購入して、離れて住んでいても同じ時刻に鳩が啼き、お互いを思い合う……といった情景か。なかなか甘ったるい詩である。
ところが、その後は
運命は恋を裂きたれど
心は常に君と棲む
鳩啼時計かうかうと
冬の夜空を啼き渡る
う~ん、ようするに遠距離恋愛?に破れた歌であった。
私はかつて遠距離恋愛ばかりしていて、ことごとく破れた経験があるのだが(;_;)、この詩のようにきれいに思い出せないなあ。すっかり臆病になっちまったよ。
運命(さだめ)と言うより、ふがいなさか。今頃になって置き去りにしていた思い出が、チクチクとささる。
とはいえ、まだ枯れていません(笑)。ボルネオのジャングルだ、未知の洞窟に巨大生物だ、と追いかけていた頃も一緒に思い出して、また無鉄砲な夢を見たいと思うのであります。
仕事であった村長からであった。写真撮る前にパクパク食べちゃったけど、山盛りだったんだよ。