NHKの「ちりとてちん」が終了した。
久々にはまった朝のドラマだった。最初は、若狭塗り箸の職人が出てくるという興味くらいしかなかったのに……。
朝ドラは、ちょうど起きて朝食を取る時間なので、つい見てしまう。これまではまった朝ドラには、ずっと古くて「ふたりっこ」、そして「ちゅらさん」くらいだろうか。
いずれも、なぜはまったか、と分析すると自分の嗜好などに気づいてそれなりに面白いが、「ちりとてちん」の場合は、別の意味がある。
それは、ドラマとしての構成・奥行き・キャラクター設定がピカイチということだ。そのほかのドラマは、仮にハマッテも「こんな展開はないやろ」と突っ込みを入れたくなるところもある。だいたい「いつも元気で前向きな主人公」というのも臭い。登場人物のステロタイプなキャラクターといい、善意と頑張りが人生を切り開くなんて、大甘だ。なかには、バカにするな! と言いたくなるものもある。
ところが、「ちりとてちん」は、後ろ向きでいつも脇役人生を歩んできた人が主人公。そして、実に丁寧に周辺の登場人物を描いている。たいした役割を担っていないように見えた人物の人生や心までしっかり描かれている。そのおかげで、ずっとドラマの奥行きが広まる。
そして、ここがスゴイと思ったのだが、小さなエピソードが見事に絡まっている。これまで番組引き延ばしか、と思えるようなエピソードを次から次へと配置しているドラマが多かったが、ここでは少女時代のエピソードが随分後の人生に絡んできたり、忘れていた言葉が、後々大きな意味を持ったり……。
またテーマのブレがない。ずっと脇役人生の主人公が、ついに落語で主役になれたことを描くドラマ……と思わせておいて、最終章で大逆転させた。脇役人生讃歌になるのだ。
これは脚本家が最初から綿密な構成を組んで、展開を全部決めていたからできたのだろう。これはスゴイことである。半年間、毎日のドラマだけに、視聴者の反応や役者の都合でストーリーを変えてしまうこともある朝ドラだけに、お見事、と思った。
さて、ベタ褒めのドラマ評を書くのが目的ではなかった。実は、自分の執筆に向かう姿勢を示されたような気がしたのだ。1冊書き下ろしを書くときは、やはり次々とエピソードを羅列しがちだし、テーマが揺らぐこともある。
しかし、やはり重要なのは構成だ。綿密に、どの章の内容がほかの章の展開にどんな意味を示すか、十分に考えておかねば完成度は高まらない。脇役への目配りも大切だ。そういう勉強になったドラマだった。
さあ、執筆にもどろう。
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