goo blog サービス終了のお知らせ 

森林ジャーナリストの裏ブログ

表ブログに書けない、書く必要もないドーデモ話をつらつらと。

山尾三省の言葉

2006-10-17 12:23:38 | 田舎・田舎暮らし

山尾三省という詩人を知っているだろうか。

幾年か前に亡くなったが、屋久島に移り住み、多くの詩とエッセイを残した。

 

私は、生前逢ったことがあるのだが、その席で同席した人が「屋久島の生活のよいところと悪いところは」という質問をした。
よいところは、美しい森、海、空、美味い水、魚、野菜、完全な暗闇と星空、そして人……次々と出てくる。
では、悪いところは?
「それは金がないことです」

その場は爆笑に包まれた。が、
「だって、そうでしょ? こんなに良いところなのに、人の数は年々減っているんですよ。みんな島を出て行くのは、金がないからです」

この言葉に、みんな我に返った。そう、田舎暮らしは金だ。

 

ちなみに私は田舎暮らしをしているわけではないが、やはり距離のハンデは受けているなあ。東京に住んでいないことで潜在的な仕事のチャンスロスもあるし。
先日も、メールで仕事の依頼が来たのだけど、その後電話で話して奈良在住だとわかると驚いていた。もし、最初からわかっていたら発注されたかどうか。

 


田舎暮らしは金!

2006-10-16 11:17:46 | 田舎・田舎暮らし

フジテレビで「Dr.コトー診療所2006」が始まった。昨日、娘と録画したビデオを見たのだが、もともと好きな番組ではある。

だが、腕も人情もスーパーマン的な医者が離島を救う図式では見たくない。過疎地の医療は、もっと深刻であり、一人の医者の努力の問題ではないからだ。

それでも、この番組が好きなのは、お金の問題を取り上げているから(^^;)。
今回も、医者をめざす男の子が、東京で一人学び、私立中学に合格した。が、そこで降りかかるのは高額の入学金と授業料であることを描いていた。また、当然東京での生活費もいる。漁船を売っただけでは間に合わない。
首都圏では、私立中学・高校に行かなければ、まっとうな大学に進学できないとされているようだが、まさに格差社会の始まりだろう。

 

勘違いしている人が多いが、田舎暮らしには金がかかる。食費だってそんなに安くならないし、安売りショップもない。とくにかかるは、医療と教育だ。

どちらも問題は距離だ。診療所さえ、歩いて行ける距離にあるところは限られている。学校も複式学級になれば、進学が心配だ。塾も遠い。

そう、田舎暮らしには金がかかる。

 

奈良県の東吉野村に移住したEさんは、NPOを設立した。車を運転できない高齢者のために安く車で送迎するビジネスを行うものだ。それを思いついた理由を、自分が老後も村に住み続けるためだという。

運転免許のあるなしに関わらず、高齢化すると山道の運転がきつくなる。かといって1日に数便のバスは当てにできない。しかし病院に通うのにタクシーを使うと、片道6000円くらいはかかる。これでは病院にかかることさえ躊躇する現実がある。

だから自分が元気なうちに、老後を過ごせるシステムを作る必要を感じたのだそうだ。ほんと、金だよ、金。

 


田舎暮らし記事

2006-09-15 11:33:44 | 田舎・田舎暮らし

ちょっと出遅れましたが、現在発売中の、雑誌「ON!」(ビジネス社)に、

「誤算・誤解だらけの田舎暮らし」という記事書きました。

 

全体に『田舎で暮らす!』の論調を移したような感じの記事です。

この雑誌、「仕事は男の本懐!」と名打っていますが、特集が「趣味を仕事にして人生大儲け!」なんて記事が入っているとおり、ビジネス雑誌というよりは人生雑誌でしょうか。だから田舎暮らしの記事も載る。ほかに政治家になる方法も書いてある。「本を書く」という記事もある。これも私に書かせてくれ(笑)。

 

ともあれ、田舎暮らしという選択肢が、(男の?)生き方の一つとして取り上げられているんだな、と妙な感慨を持った。本来は住む場所、あるいは仕事場所の一つにすぎない地域を表す田舎という言葉が、人生になってしまった。

田舎の過大評価は禁物だが、それほど田舎への期待と潜在力があるということか。


日本沈没と田舎暮らしパート2

2006-08-17 01:39:41 | 田舎・田舎暮らし
「日本沈没第二部」後半を一気に読了。

いろいろ意見はあるだろうが、私はほぼ満足。ただ小松左京というよりは、谷甲州の小説だろう。それでも小松さんのエッセンスは詰めてある。国土を失った日本人の生き方としては、国土の再構築か、コスモポリタリズムか、という論争があったが、結局、小説としては後者を取ったことになる。それは小松さんの想いなのかもしれない。

が、私としては前者だな(笑)。よるべき土地なくして、人はアイデンティティを持って生きていけないと感じる。ようするにジモティということよ。

さあ、「日本沈没」上下巻を読み返すか。

日本沈没と田舎暮らし

2006-08-15 17:45:16 | 田舎・田舎暮らし

盆休み……といっても、普段と何ら変わりのない生活なのだが、暑さに喘ぎながら「日本沈没第二部」を読んでいる。

 

「日本沈没」(小松左京・著)は、30年前のベストセラーで今夏はリメイク版映画も公開されているが、この小説の真意は、日本という国土がなくなったら、日本人はどうなる?という点だった。だから第1部であった「日本沈没」は、イントロにすぎなかった。
ようやく出た第2部は、小松左京も原案づくりに参加しているものの、執筆は谷甲州。だから別物ではあるが、今のところ(前半部)はパプアニューギニアなどに移り住んだ日本難民の姿が活写されている。

 

私もニューギニアは行ったことがあるのだが、なかなか難しい国だ。が、何百万人もの難民が移り住む地域としては可能性がある気がした。
が、それよりも先進国だった日本人が、発展途上国に移り住む様子は、大袈裟に言えば都会落ちした田舎暮らしに近いかも(^^;)。その国の事情に遠慮しつつ、日本人たるアイデンティティを守るために苦心する。地域の発展を手助けしようと思っても空回り。さらに外野の国の市民団体やマスコミなどが環境問題を振りかざしていちゃもん付けてくる……。
さて、人は生まれ育った都会を捨てて、田舎で生きていけるか?

 

ただ、国土を失った日本難民に帰るところはない。田舎暮らしに破れて都会にもどるようなことはできないのだ。さて、いかに日本人は日本を取り戻すか。後半を楽しむとしよう。

 


「クロワッサン」と田舎暮らし

2006-08-10 14:23:30 | 田舎・田舎暮らし

本日発売の『クロワッサン』(マガジンハウス)に、田舎暮らしの記事が載っている。ついでに私も載っている(^^ゞ。

 

私が取材先などをコーディネイトしながら、取材も受けるという変則的?な形で行った仕事なのだが、編集部の要請は、「地域に溶け込んで田舎暮らしをしている人」であった。そこで登場する二組を紹介したわけである。
一件は伝統野菜によるレストランを田舎の集落内に作った夫妻、もう一組は自ら年老いても田舎で住み続けるために高齢者の送り迎えを行うNPOを設立した夫人。

 

思うに、編集部は軽いノリでこの企画を立てたのではないかと想像する。新たな生き方を紹介するのに、田舎暮らしなんてのもいいんじゃない? といった調子で。

でも、取材先に私を選んだことで、田舎暮らしの奥の深さに気づいてしまった……のかもしれない。田舎で暮らすというのは、自然と戯れられて楽しいよ、では済まない。地域社会のことに触れず田舎暮らしを紹介しても、本当の姿が描けない。内心、こんなテーマを選ぶのではなかった、いや取材先にこんな人を選ぶのではなかった、と悔やんだかも(^^;)。編集者兼記者は、最初は私と被取材者の会話している言葉の意味がわからない、と言っていた(^o^)。
まあ、私も軽いノリの記事に協力してもよかったのだけど、いきなり深遠を覗いてもらうのも編集者としては価値あったのではないか。

少しは気づいたかな。都会と田舎、どちらも暮らすという点では同じなのだということを。田舎は桃源郷ではないし、都会で失敗したことが田舎では成功するわけでもない。逆に田舎の大変さは都会の大変さと裏でつながっている……ということに。


移住者迎える前と後

2006-08-09 22:43:27 | 田舎・田舎暮らし

せっかくだから、田舎暮らし関係の話題を続ける。

 

たまたま手元にある2年前に行われた地域社会計画センターの農村調査の結果を、紹介しよう。
農村住民にとって、都市住民を受け入れることに関して、期待しているのは、圧倒的に「集落人口の増加」と「子供の数の増加」。人口増が地域の活性化になり、税収増にもつながると見ている。人口流出も止める効果も期待する。

逆に不安なのは、「移住者との人間関係」「農業への悪影響」。とくに農村地域ならではのしきたりに理解や協力が得られるか、コミュニティに軋轢が生まれないか。生活排水の問題や家庭菜園が農地に与える影響(害虫の発生など)。逆に農薬を播くことにいちゃもんを付けられたり、農機具の騒音問題…などだ。

 

さて、実際に移住者が来てからの反応は、人口増については満足しているが、活性化までは期待通りではなかったりする。しかし、人間関係の悪化はさほど多くなく、杞憂に終わっているようだ。一方で農作業への影響は感じている。

 

この15年間で全国5000の集落が姿を消し、農地も毎年3~4万ha減少している。

こうした状況の中で、田舎暮らし希望者は、何ができるだろうか。


都市と田舎の二地域居住

2006-08-08 16:53:19 | 田舎・田舎暮らし

思わぬコメント欄で話題になった二地域居住について考えてみよう。

 

現在、提案されているのは、ようするに別荘生活に毛の生えたもののようで、田舎暮らしとは根本的に違うのではないかと感じている。そのうえ山本さんのご指摘どおり、

「二地域に住める人は経済的に限定される」し、「下手をすると家庭崩壊につながる」ことが多い。だいたい別荘を持っている人でも、十分有効に両方の住居を利用している人は少ない。毎週通っていたのが月に1度、年に幾度、数年に1度と減っていくケースをよく聞く。

 

田舎暮らしを謳うなら、少なくても田舎側に住民票を移すのが最低条件だろう。週末田舎暮らしならぬ、週末都会暮らしにしなくてはならない。

 

何より、発想が都会人向けだ。都会の人には「両地域のいいとこどり」かもしれないが、田舎で迎える側にはメリットが少なすぎる。それでは歓迎されることはない。
以前、「森林都市」構想というのがあって、森林地域に新都市を建設するアイデアが出されたことがあるが、これは旧来の地元住民を視野に入れないものだった(無人の森林地域を対象にする)。ほか田園都市構想も同じだ。あくまで都会人のための田舎(の魅力)収奪にすぎなかった。
しかし、それさえも失敗する。基本的に、日本人は2つの居住地を持つのに慣れていないのではないか。両方を均等に扱うのは無理のように思える。そして都会に重点を置くかぎり、田舎には溶け込めない。

本気で二地域居住を考えるなら、精神的に田舎に重点を置いて、都会を仮の住まいとする覚悟を持つことだ。

 

ところで、実は山村住民の中には、都会にも家を持つケースが少なくない。マンションの一室を確保していたりする。もちろん、比較的裕福な家庭なのだろうが、田舎の代々引き継いだ家はただ同然だけに、都会に家を持つのは、定期収入があればさほど難しくないようだ。その点からの二地域居住はすでに進んでいる。


「田舎暮らしの失敗談」

2006-07-27 11:42:57 | 田舎・田舎暮らし

ただいま某誌用に「田舎暮らしの失敗談」を書いている。
『田舎で暮らす!』を読んでの原稿依頼だ。

 

その雑誌は、田舎暮らしを今後積極的に取り上げたいというのだが、そこで「失敗談」を書いてくれというところをどのように捉えたらよいのか迷う。

『田舎で暮らす!』の書評でも、失敗談がたくさん載っている点に触れているものが多かった。たしかにたくさん触れたのは事実。その点では異色の本だったのかもしれない。そして失敗例を知ることで、田舎暮らしをめざす人に警告なり、注意喚起になり、反面教師にしてくれればよいと思っている。

 

しかし、編集的に考えると、「失敗談は面白い」のでは、と思う。田舎暮らしに憧れを持つ人が増える中、田舎のどこがいいんだ、そんなにうまく行くわけねえや、と僻んだ?思いを持つ都会人も少なくないと感じる。あるいは「田舎をなめるなよ!」と思っている田舎人、元田舎人もいるのだろう。

実際、田舎の田舎である所以の地域性を嫌う人は多い。全国一律の社会を望んでおり、(都会から見れば)理不尽な田舎の慣習や人間関係などを撲滅したいと秘かに願っている人もいるのだ。

 

今回の記事がどうのというのではないが、案外、田舎や田舎暮らしに対する敵意は根強いように感じるのだが、いかがだろう。


田舎暮らしへの根源的質問

2006-06-22 23:27:44 | 田舎・田舎暮らし

某編集部の人をつれて、田舎暮らしの取材に行ってきた。私はコーディネイトが担当なので、取材は、編集部員がする。

 

ところが、この編集部員、田舎暮らしはまったくの素人なのだ。
そもそも「田舎に住んで何が楽しいの?」といったところから質問する。
「なぜ自然があるところに住みたいの」
「なんで地域の活性化なんて、やりたいの」

 

いやあ、これほど根源的な質問が出ると、かえって楽しい。むしろ目からうろこ
なるほど、こういったことに疑問を持つ人がいるんだ、いや都会人にとってはそちらの感覚の方が一般的なのかも…と多少「専門バカ」になりかけていた自分に気づけた。案外、こうした疑問をなおざりにしてきたかもしれない。

 

さて、明日も続きを行うぞ。どんな質問が出るか楽しみ(~_~;)。


田舎暮らしライター

2006-06-16 14:28:21 | 田舎・田舎暮らし

すでに紹介しているが、今月出た2冊の田舎暮らし系の本を読んだ。

山本一典氏の「夫婦いっしょに田舎暮らしを実現する本」(洋泉社)
西川栄明氏の「北海道アクティブ移住」(北海道新聞社)

 

この二人のライターは、私の知り合いで、それぞれ田舎暮らししつつライター稼業をしている。私は田舎暮らししているどうか微妙なので、3人トリオにはならない(^^;)。

 

山本氏は、完全な農村と言える福島県田村市都路町に移り住んで、20年以上田舎暮らしの記事を中心に執筆している筋金入りの田舎暮らしライター。名刺にもそう記されている。本もタイトルそのままで、田舎暮らしをしたいと思っても配偶者(たいてい妻)が反対するケースが多いことを捉えて現状を分析するとともに、それを打開するノウハウ・事例を紹介したものだ。

西川氏の住まいは、北海道の摩周湖近くの弟子屈。森の中に温泉も引いたログハウスを建てた。奥さんは通訳・翻訳業で国の内外を飛び回っているし、本人も木工・アウトドア系の記事が多く、全国を歩いている。東京にも家を残しているそうだ。
本は、朝日新聞の北海道版に連載した夫婦のエッセイ集。(なぜか出版元は違うけど(^^;))

 

このように紹介すると、同じ田舎暮らしライターと言っても、全然別世界だと感じるだろう。北海道と東北というお国柄の違いもある。

ただ共通点もある。それぞれ地域に溶け込む覚悟があることだ。住民票はもちろん、その地を終の住処と決めている(と思う)。決して、仮住まい(別荘)扱いしていない。

田舎暮らしも千差万別で、何も自然の中に暮らしているだけではない。東京・大阪でも下町に行くと、田舎顔負けの濃密な人間関係が残っている。
もっとも重要な分類は、その地に骨を埋める覚悟で住んでいるか田舎、いや否か、ではないか。土地への思いの濃淡で、精神的な田舎暮らし度を計れる。


田舎暮らし系の本続々

2006-06-07 16:31:03 | 田舎・田舎暮らし

続々と田舎暮らし本が出版されている。

西川栄明 『北海道アクティブ移住』(北海道新聞社出版局)
山本一典 『夫婦いっしょで田舎暮らしを実現する本』(洋泉社)

いずれも私の友人だ。拙著の『田舎で暮らす!』と並べたら、田舎暮らし3部作になる(^o^)。この調子で、書店で田舎暮らし本フェアでも開いてくれないかな、と思う。

 


拙著を読んで、某雑誌の編集部より取材したいという依頼が来た。私は喜んでさせてもらいます、と応えた。すると…私を取材したい、のだそうだ。

「田舎暮らしをしている田中さんの生活を紹介しつつ田舎暮らしの現実を語っていただきたいんです」

 

??(^o^)(~_~;) 私の生活を田舎暮らしだと書いたら、怒る人が出るだろうな。

だって特急も止まり、百貨店もある駅から徒歩4分。住宅地の中だもの。『田舎で暮らす!』で、私も田舎暮らしをしていると思わせるようなこと書いたっけ?
たしかに我が家から徒歩4分で森の中だし、落差10m以上の滝もあるし、車で10分もあれば棚田地帯に行けるし、森遊びもやっているけどね。

私を取材するのではなく、私に取材させてくれ。

 

さて、なぜこの時期に、田舎暮らし本や記事が集中するのか。
おそらく2007年問題と言われる、団塊の世代の大量リタイヤが始まるからだろう。定年退職した中高年を田舎暮らしに誘う声がある。だから、今後都会から田舎への大量の人の流れが起きるかもしれない。…それに出版社も便乗しているのではないだろうか。

 

でも、ねえ。ここで自分で本を出しているのにいうのだけど、本当にそんなこと起きる? 定年退職したら、田舎へ移り住む?
私は、それは幻だと思うのだ。リタイヤしてから田舎に行くのはきつい。まったく新たな生活や人間関係を作るのは面倒だと考えるのが普通だろう。
実は拙著で紹介しているのも、まだ働く世代の田舎暮らしだ。悠々自適のリタイヤ世代ではない。むしろ、そんな田舎暮らしを危険視している。

よく読んでね。

 


ループ橋

2006-05-13 15:13:03 | 田舎・田舎暮らし

また川上村ネタ。

 

川上村には大滝ダムを作る際に、谷の両側を結ぶ橋がたくさんかけられた。谷が水没してダム湖ができることを見越したものだ。
その橋は、よく見るとみんな形状が違う。1本足2本足、吊り橋やらラーメン構造まで、建築的には面白い工法がいろいろ使われている。そのうちの一つはデザイン賞をとったほど。

 

ま、国土交通省が遊んだ、とも言われているが、それなりに意識して見て歩くと面白い。建築マニアもいるだろう。もっとも、ダム湖はまだないから、天空にかかる橋みたいだけど。

 

私は゛この橋巡りのガイドブックを作ってスタンプラリーでもやったら、と提案した。この際、なんでも観光資源に利用しよう。橋を見るために村内を走り回り、一つ一つ止まって見学したりスタンプを押せば、お金も落とすかもしれない。今の観光客は通りすぎるだけで、落とすのはゴミと排気ガスだけ、といわれているのだから、やってみる価値はあると思うが。

田舎の建築物はヘン、といわれている。補助金でやたら妙な形の不要の建築物が多いとされるからだ。まあ、否定はせんが、利用できるものは利用すればよい。

 

ちなみに最大の見どころは、川上村の奥(東部)、上北山村につながる叔母谷地域にかかるループ橋である。
ここは難所で、街道を開くのも苦労したらしいが、すぐ崩れた上、狭くて車がすれ違うのも大変だった。拡幅するのも難しい地形である。そこをトンネルで抜く計画になったが、高低差が大きい。そこで国土交通省が採った手法は、なんと橋をループさせること。トンネルとトンネルの間で、空に飛び出すように橋がループを描いている。


先祖代々

2006-03-26 22:17:17 | 田舎・田舎暮らし

郷土史家?を訪れた。

そこでいろいろ資料を提供していただいたのだが、話を聞くと、彼自身の家もかつての名家で山林地主だったらしい。ただし、3代前に逼塞(没落)したという。

その彼がいうのだが、「山林所有者なんて、どんどん変わっているで

つまり、よく先祖代々の土地という言い方するが、結構いい加減なのだ。山林も農地も昔からわりと簡単に取引対象になっていて、持ち主が変わっている。それも何代目が女に博打に放蕩して家財を失ったという話はごまんとあるそうだ。逆に何か商売で当てて、その金で山林や農地を買うケースも少なくない。

何も推測で言っているのではない。「家の古文書見ていたら、江戸時代初期の山林の取引なんぞが出てきた」と現物の古文書を山ほど広げて見せてくれる。

「先祖代々受け継いだ」土地が、たった3代前のものだったりするのだ。

山村・農村は、人の出入りが少ないというのもウソ。かなり入れ代わっている。ある村の過去帳を調べたら、江戸時代から続いている家は一軒もなかったそうだ。昔からIターンも受け入れている。分家と入れ代わったりすることもある。

そろそろ土地神話を打ち破って、山林・農地の流動化を進めるべきではないか。

ちなみに、この郷土史家は、宝の山の文献を、「もう捨てる」という。


ジモティとよそ者の差

2006-03-07 17:19:17 | 田舎・田舎暮らし

私が住む生駒市の市長が、若い人に交代したことは以前も触れた。

ところが、市長就任1カ月、なんと転居してしまった。隣の奈良市に、である。
その理由が振るっている。子供が生まれたので、保育園に連れて行きやすい妻の職場近くに住むため、である。ご丁寧にも、法的に問題ありません、と結んでいる。

唖然とする。もともと生駒市に住んで6年にすぎない関東人ではあったのだが、それゆえ地元に溶け込もうと努力するかと思いきや、選挙が終わってさっさと脱出である。

それも、やむを得ない理由というよりは、「便利だから」。

この情報を知って、ムカムカしたのだが、少し冷静になると、なるほど、これは田舎移住者に多い発想だと気づいた。そして私の気持ちは、ジモティのよそ者に対する反応そのもの(^o^)。

田舎移住者は、ここに移り住むと家が貰える、土地が貰えるなど特典があるとか、農業するのに便利だからといった実利を上げやすい。言い換えると、実利優先で、いつでも住む土地を変える。
しかしジモティは、そんな移住者を白い目を向けがちだ。地の者は、好き嫌いとか便利不便ではなく、客観的に見て苦労の多い土地であっても愛着を持っている。よそ者には、それがない。ここに決定的な乖離があるのではないか。
ジモティとよそ者の差は、そこで生まれたかどうかではなく、地域へのこだわりで決まる。いやなら去る、と考えるか、損してもしがみつく、か。

それにしても、一介の市民ではなく、首長がねえ。ここまで地域意識がない首長も珍しいのではないか。

次回作の著者校正も終わった。出版は、4月10日の予定である。
タイトルは、「田舎に暮らす!」に決まった。ばりばりジモティの本である(^o^)。