人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

地震対策

2007-09-30 16:50:50 | Weblog
 世界各地で大きな地震が起きている。今日もニュージーランド南島
近くのオークランド諸島を震源地とするマグニチュード7.4という
大きな地震が起きたと報じられていた。

 そして、このブログを書いている最中の10月21日に神奈川県
箱根町付近を震源とする比較的大きな地震が発生した。さしたる被害
はなかったようで幸いであった。何かしら大きな地震が発生するのでは
ないかと言うような予感がして仕方なかっただけに、偶然とは思えない
気がしている。
 東海地震や東南海地震や南海地震と言った太平洋側の巨大地震は
いつ起きても不思議ではない危険周期に入っている。それだけに
不気味である。とにかく油断は大敵である。
 こうした周期性を持った巨大地震は年を追う毎にエネルギーを蓄積し
危険度を増している。10月1日から緊急地震警報が発令されるように
なった。この警報を活用し人的被害が最小限に留まるように心がけたい
ものである。

 さて、土曜日、日曜日と岡山県の「吹屋ふる里村」や「彩りの里宇治」
といったところへ行って来た。土曜日の午後、倉敷市水島の福田公園を
出発し、一路、高梁川沿いを北上し「吹屋ふる里村」に着いた。
 かつて、ここでは銅の精錬が行われていたようである。銅を精錬する
事を「銅を吹く」といった関係で、「吹屋」という地名が今日まで
残ったのではあるまいか。
 今は山間部に小さな集落が残っているだけのひなびた町である。
しかし、往時は銅やベンガラと言った産物によって大変栄えたようで
ある。その面影を今日まで伝えるのが、この町の重要伝統的建造物群
である。
 屋根には赤みを帯びた釉薬瓦、壁はベンガラを混ぜた赤い壁、そして
道路に面した側には格子戸と言った町並みは、この集落特有のもので
ある。かつては、格子戸にも赤い色をしたベンガラが塗られていた
ようである。
 私が育った神辺の町にも、そんな家があったような記憶が残っている。
化学染料や有効な防腐剤などなかった時代、塗料としてのベンガラは
非常に貴重なものだったようである。それだけに町が潤うだけの収入が
あったに違いない。
 こんな山深い町に不似合いとも思えるような豪邸も少なくない。人と
物が集まるところ、人や物が行き交う所には町が出来、繁栄をしてきた。
きっとこの町にも、そんな時代があったに違いない。

 私達はこの町を散策し、買い物をした後、宇治というところに
向かった。ここも山間部の小さな集落である。京都の宇治と同じように、
ここでは一時期、お茶の生産が盛んであったようである。
 しかし、今はお茶に代わってピオーネという大粒で甘い葡萄が生産
されている。ピオーネは、この地の特産品として定着したようだ。
同行した仲間の親戚も葡萄農家であった。加温による栽培と露地栽培
を行っている。今は露地物の出荷最盛期であった。
 経験者でなければ分からない事だが、果物作りは非常に手間暇が
かかるものである。5房で2500円という金額は決して高いもの
ではない。
 ここは夏場の寒暖の差の大きい土地である。そして、雨も適度に
降る。果樹栽培には適した土地であると言うことは言うまでもない。
ピオーネだけでなく栗もたわわであった。

 私達は元仲田邸という古い建物を利用した宿泊施設に一泊した。
大庄屋の建物であったというだけに、敷地も建物も大きかった。
この建物も吹屋と同じように釉薬瓦を使っていた。
 広い田園すら見当たらないこんな山間地に、こんな立派な建物を
建てることが出来る財力が何処にあったのか、同行者誰しもの疑問
であった。如何に庄屋とは言え山間部の農産物による収入は限られて
いるはずだ。何か、それに代わるような産物があったはずである。
この家の所蔵品だったという掛け軸が蔵を改造した展示室に飾って
あった。いずれも有名な絵師に描かせたものに違いない立派な
掛け軸であった。

 この宿の特徴は田舎料理と温かいもてなしであった。田舎料理とは
言えその品数の多さや味は決して他の宿に劣らない。

 旅行の魅力は何と言っても景色だろうが、それにも増して人の触れ
合いこそが、旅の印象を濃くするものである。その人の触れ合いが、
この集落全体にあった。

 ある農家の老婦人が私達が倉敷から来たと伝えると、「よく、まあ
遠いところからお越し下さいました」と実に丁寧な挨拶があった。
私達が道を尋ねた農家のおじさんは、わざわざ作業をやめて道案内を
してくれた。途中の農家で買った葡萄を私達の先回りをして宿まで
届けてくれた。友人のお姉さんは取り立ての葡萄をみんなで食べて
くれと、たくさん持たせてくれた。みんなこの土地の人は実に親切で
あった。

 心温まる歓待を受けて、この地を後にした。秋の小糠雨が降り続いて
いる山あいの道をひたすら倉敷に向かって走った。道の両側には黄色い
花とサルビアの赤が通り過ぎる私達を見送ってくれた。
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中秋の名月

2007-09-26 05:56:34 | Weblog
 昨晩は中秋の名月だった。例年のこの季節、なかなかスッキリと
した月を見ることは出来ないのだが、今年はからりと晴れ上がった
空に「お盆のような月」が出ていた。
 月に兎は見えなかったけれど、あばたの幾つかは見えていた。
日本が打ち上げた月探査機「かぐや」が、この月を目指している。
成功を祈る。

 さて、長い真夏日や猛暑が終わり、先の日曜日に降った雨以来、
少しずつ気温も下がり始めたようだ。やっと本格的な秋到来なのか。
秋冬物野菜もやっと元気を取り戻し、成長のスピードを増したようだ。
 自然の力は大きい。幾ら散水をしても雨には到底及ばない。
幾ら植物の成長には、気温が必要だと言っても30度Cを大きく
越えるような気温だと植物の成長も止まってしまうようだ。
何事もほどほどが一番と言うことだろう。

 さて、長い空白を作ってしまった安倍内閣の崩壊。首相自身が
政治を投げ出してしまったのだから仕方がないと言えば、それまで
だが、この間の国会は完全な開店休業状態。
 空白期間一日に費やされる費用は莫大なものである。民間会社
であれば、とうの昔に倒産しているのではあるまいか。
 安倍さんのしでかした事の責任は大きい。こんなみっともない
ことをしでかしてもまだ国会議員を続けるというのだから、それを
許す国民も国民なら、続けるという安倍さんも安倍さんだ。何処まで
甘い国民であり、厚顔無恥なる政治家であろう。

 これからの国会では民主党や他の野党に本気で頑張って貰いたい。
福田内閣での課題は山積している。テロ特措法での目は、当然の事
ながらアメリカ艦船への給油が論争になるだろう。
 当のアメリカ軍がイラク戦争に使っている艦船に給油している
と言っているのだから間違いはないだろう。テロ対策と言いながら
その実は他の目的に使用していたと言うのだから言い逃れは出来まい。

 さて、先日は日用品の添加物に関する講演を聴いた。以前から問題
になっていた事ばかりなので、講演の内容にことさら目新しい事は
なかった。
 ただ、改めて思うのは戦後の経済発展と共に開発されてきた商品
の事である。今、大きな環境問題として地球温暖化の問題が声高に
叫ばれている。しかしながら、こういった食品添加物や化粧品、
歯磨きや洗剤、シャンプーと言った日用品への添加物の何が、
人間や動物の身体にどのような作用を及ぼすのか、ほとんど知られて
いない。いや、知ろうとしないのが実状ではあるまいか。
 あらゆる洗剤に使われている界面活性剤と言われるものは、実に
多種多様である。

 それらは色んな形で体の中に入っている。例えば毎日使う歯磨きの
中に入っている界面活性剤、泡立ちを良くするとかと言った宣伝だが、
そんな宣伝をしても良いのかと思うような時がある。
 タバコの吸いすぎに注意しましょうと言うのであれば、歯磨きにも
せめて使いすぎに注意しましょう位は書くべきではないだろうか。
 盛んに中国製品が問題視されているが、日本の国内で作られている
製品にもずいぶん危険なものがたくさんある。

 問題なのは、講演をしてくれた永伊さんの締めくくりの言葉にあった
ように、こうした添加物や製品情報がまったく公開されていない事で
ある。動物実験をしているから大丈夫だと言っても、どんな実験をし、
その量がどれくらいだったのか私達は知らない。また、知ろうとも
しない。「無知と無口は罪である」という言葉が今も耳に残っている。

 最近、普通だった(?)子ども達が親を斧で殺したり、傷つけると
いう不可解で衝撃的な事件が相次いでいる。普通だった子どもに何が
あったのだろうか。
 単なる教育や社会問題で済ませて良いのだろうか。胎児の時には
母体を通して入る物、生まれてからは母乳や乳製品を通して入る物、
成長期には色んな食品や日用品を通して身体に入ってくる物に
何の問題もないのだろうか。
 何か、子ども達の脳に障害を及ぼすようなものが取り込まれている
のではないだろうか。そんな素朴な疑問が湧いてくる。
 終戦後約60年が過ぎた。たった60年の間に多くの化学物質が
次々に開発され、それらは戦後生まれの子どもたちに、たくさん
吸収されてきたはずだ。誰も安全だと言い切れない未知の事ばかり
である。

 日本は何でもメーカーの言いなり、ヤリ放題のところがある。
そして国民の健康を守る立場にある厚生労働省は、過去に様々な
過ちを犯してきた。他の国では早くから使用禁止になっていても
いつまでも使用を許していたようなものがたくさんある。政府は
信用できないと言うのが私の考えである。
 例を挙げれば薬害エイズやサリドマイド事件である。私達の身の
回りにあるものは本当に大丈夫なのだろうか。アトピーはどうなのか、
個々人の異常で済ませて良いのだろうか。それでは何人が発症すれば
規制をするのだろうか。

 私達が子どもだった時のことを思い出してみよう。街の中には整備
されていない大小様々な水路があった。むろん、下水設備や浄化設備
等なかった時代の事である。
洗濯水も食事に使った水もみんな垂れ流しの状態であった。こうした
水が流れる水路は黒くよどんだ「どぶ川」が多かった。しかし、底の
土からメタンガスが出ていても上を流れる水はきれいに澄んでいた。
 そして、その水の中では無数のイトミミズが顔を出して水の流れに
身を揺らせていた。溝の中には無数の微生物がいて炊事場から流れて
くる水を浄化していたに違いない。だからこそイトミミズは元気に
生きていたのである。
 今、何處にそのような流れがあるだろうか。最早、微生物たちが
水を浄化することすら出来ないような毒に汚染された水になって
しまっている。その原因の多くは私達が使っている洗剤や歯磨き
などの界面活性剤を初めとする添加物にある。
 
 また、最近の宣伝では自然由来の椰子油を使っていると言っている。
しかし、合成界面活性剤がまったく入っていないわけではない。
 また、この椰子油はパーム椰子という木から作っているものだが、
この椰子を栽培するために熱帯の自然林がたくさん失われている事を
知っているだろうか。
 この椰子を栽培するために、日本国内では使われていないような
農薬が大量に使われている。その農薬のため、多くの現地住民や
労働者に健康障害が発生している。

 結局のところ、永伊さんが言うように、みんな知ろうとしない、
つまり「無知」なのである。ところで、洗剤を使わなくても洗濯
出来るという洗濯機は何処に姿を消したのだろう。日本の技術力を
持ってすれば超音波で洗濯をするような機械が出来るのではない
だろうか。

 知ろうとしない、現実を見ようとしない無知、知っていても声高に
語ろうとしない無口、これらは永伊さんが語るまでもなく罪である。
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あっという間の一週間

2007-09-19 22:35:13 | Weblog
 「暑さ寒さも彼岸まで」とは、季節の変わり目を語るときに良く
使われる表現だが、この暑さは何だろう。正に真夏日である。この夏は
猛暑や真夏日と言われる日が幾日続いただろう。秋野菜の種蒔きや
成長にも大きな影響が出ている。
 そして、実りの秋を迎えた果樹にも高温と水不足の影響が出ている。
近所の柿は、極端な水不足と高温で実に皺がよって落ちてしまった。
我が家のクリの大半は、表面が部分的に茶色くなって落ちてしまった。
今年こそ豊作だと喜んでいたのは、ぬか喜びであった。
 何事によらず、ほどほどが一番良い。これから毎年このような夏が
続くのではないかと思うと、いつまで果樹作りが続けられるのだろう
かと気がかりである。

 さて、慌ただしい一週間が過ぎてしまった。この間、「地球温暖化
問題」と「健康生きがいづくり」の二つの講座を公民館で開かせて
貰い、何とか無事に役目を終えることが出来た。いずれの講座も良く
分かったとの評価を貰い、ホッとしている。
 人前で話すことには慣れているとは言え、専門的な話をするとなると、
緊張しないと言えば嘘になる。しかし、冗談話こそ出来なかったが、
色んな話題を幅広く取り入れて話すことが出来、満足している。
 今後は、より身近な話題やみんなが最も感心を持っている話などを
積極的に取り入れて話せるようにして行きたいと考えている。その内、
余裕を持って話が出きるようになれば、冗談の一つも言えるように
なるのではないだろうか。

 こんな調子で一日一日の過ぎるのが早く、アットいう間に9月も
終わってしまいそうである。

 昨日は、地元児島の王子ヶ岳山頂で「王子ヶ岳夕日のしらべ」という
催し物があった。私も友人の勧めで事務局員の末席を汚していた。
とは言いながら名ばかりの事務局員であり、実務的なことの総ては
企画会社が請け負っていたので何もするような事はなかったのだが。

 開催日当日は30度を越える真夏日となり、とても秋とは思えない
一日であった。午後からリハーサルがあり、午後4時から始まった。
木陰さえない舞台や観客席は、太陽が西に傾くまで地獄であった。
 開催地は鷲羽山と同じように瀬戸内海国立公園の一角であり、実に
風光明媚なところである。舞台近くの山頂に立つと瀬戸大橋が一望
でき、360度の大パノラマが広がる。

 残念だったのは夕方近くになって雲が懸かり、真っ赤な夕焼けを
見ることが出来なかったことである。しかし、太陽が西に傾き始めた
ころ、児島湾を挟んで向かいの竜王山付近から鷲羽山近くの久須美鼻
まで長く尾を引くように霧か靄が漂い、実に幻想的な景色であった。
こんな景色を見たのは初めての事である。

 さて、コンサートは鷲羽山が洋楽だったのに対し、ここ王子ヶ岳は
邦楽と踊りが中心であった。児島由加太鼓の演奏に始まり、作陽音大
の学生さんによるお琴とフルートの共演、下津井節と踊り、お琴や
三味線の演奏、締めくくりは青森から来た小山内薫さんの津軽三味線
の演奏で締めくくりとなった。

 演奏が終わる頃になると、頭上には半月が顔を見せ、涼しい風も
吹き始めた。なかなか良いコンサートであった。
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ブラッドダイヤモンド

2007-09-15 17:07:59 | Weblog
 最近になって、アフリカをテーマにした映画がたくさん目に付く
ようになった。私がレンタルショップで最初に借りたのは「ホテル
ルアンダ」という映画であった。フツ族とツチ族という同じ国内に
住む黒人同士の間で発生した悲惨な事件であった。背景に何があった
のか、依然、謎のままである。

 アフリカの国内ではこのような内紛が耐えない。その一例を描いた
のが、この「ブラッドダイヤモンド」という映画である。舞台は
西アフリカにあるシェラレオネという小さな国である。
 反政府軍による容赦ない村々の襲撃。彼らの手によって無惨にも
村民は次々に殺されていく。政府側の候補者には投票できないようにと
手を切り落とされていく大人達。
 更には、拉致されて兵士(殺人マシーン)に育て上げられていく
少年達。武器を購入するための資金源であるダイヤモンドを掘り出す
ために強制連行されていく屈強な男たち。
 家族は離散し、生き残ったものは難民として強制収容に送られていく。
そして、そこからはいつ帰れるという当てもない難民生活が続く。

 かつてアフリカからは黒人が奴隷として輸出され、その後は象牙、
金、石油、ダイヤモンド等と先進国が必要とするものが次々に収奪
されていった。そうしたものを売ったお金が、大量の武器となって
自国民を殺し傷つける武器に変わっていった。

 ダイヤモンドの表向きの輸出はゼロであっても、その裏では大量の
ダイヤモンドが密売業者の手によって運び出されている。近年、国際
条約によってダイヤモンドの密売は厳しく取り締まられている。
しかし、需要がある限り密売はなくならないと言うのが、この映画の
私達に向けられた重い言葉であった。

 石油が必要だから石油を巡る国際紛争が起きるのである。それならば
石油をさして必要としないような世界を作れば良いではないか。少なく
とも私達のそう遠くない先祖までは石油も石炭も天然ガスも使って
いなかった。
 そして、資源があれば資源を有する者が優位な立場を占めるように
なる。日本のように何もないから資源を巡る国内紛争もなく、平和だと
言えるのではないだろうか。満たされているばかりが幸せな事ではない。

 さて、前回の「ダーウインの悪夢」と言い、「ブラッドダイヤモンド」
と言い、重い映画であった。しかし、これはアフリカの現実でもある。
アフリカ諸国に多くの問題を持ち込んでいるのは、私達自身である事を
もう一度考え直して見たいものである。
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にわか弁士になる

2007-09-14 16:57:32 | Weblog
 雨らしい雨に恵まれぬまま、早や、9月も中旬になろうとしている。
山も畑も乾燥が極限状態になり、香川県では又も取水制限が始まる
ようだ。豪雨は必要ないが雨は適度に降って欲しい。
 しかし、地球温暖化が進むに連れて益々この傾向は顕著になるらしい。
降れば豪雨、降らなければ極度の水不足。西日本地方は昔から、干魃に
よる被害が多かった。だから溜め池がたくさん残っている。
元々、雨の少ない地方だが、それに拍車をかけているのが地球温暖化
である。

 そんなわけで、秋冬野菜のシーズンだというのに種蒔きも出来ない
ところが多い。みんな今か今かと雨の降るのを待っている。その上、
気温が異常に高い。今日は朝から再び真夏に逆戻りしたような暑さ
である。

 さて、懸案であった岡山映画祭での活弁にも、やっと先が見え始めた。
思わぬ事から私達夫婦が、にわか活弁士になることになった。映画は
「豪傑児雷也」である。
 この映画は活動写真なるものが、日本で作られるようになった初め
の頃の作品である。日本映画の父と言われた牧野省三がプロデュース
し、主演は岡山県が生んだ往年の名優、目玉の松ちゃんこと、尾上
松之助である。演技は、かなり歌舞伎風であるが、初期の頃としては、
これが当たり前だったのであろう。

 私達は、この無声映画に台詞を付ける事から始まった。何度も見て
ストーリーを追いながら台詞を付けたつもりが、実際にフィルムを
回してみるとまるで合わないことが判明した。急遽、場面毎に何度も
何度も何度も巻き返しをしながら台詞を付けていった。
 一時はストーリーに関係なく台詞を入れようかとも考えたのだが、
それも結構面倒で難しい事であった。結局、急がば回れで、画面に
忠実に台詞を付けていった。そして、読み合わせを何度もしながら
修正を加えていった。

 本番は11月3日である。約一ヶ月半後に迫った。とにかく繰り返し
練習することが、より完成度の高いものになると思い、時間があれば
練習をしている。

 映画好き高じて、地元で活弁シネマライブを開き、更には自らが
活弁を演ずるようになろうとは思いもよらぬ事であった。
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安倍首相退陣

2007-09-13 16:44:57 | Weblog
 個人的には気の毒だと思えなくもないが、一国の総理である。その
総理が敵前逃亡そのままに退陣をしたとなると、「気の毒」だでは
済まされない。

 これが生死をかけた戦場だったらどうだろう。多くの将校や兵士は
どうなるのだろうか。敵の前に烏合の衆として置き去りにされたと
同じことではないだろうか。

 この際、感情に流されることなく冷静に考えてみたい。また、安倍
さんを、ここまで追いつめた自民党や自民党議員に何の責任もないと
言えるのだろうか。
 首相就任時は人気の高かった安倍さんだが、月日を追う毎に支持率
は低下した。その原因の一つは要職に就いた大臣達の不祥事であった。
そして、更に追い打ちをかけたのが年金問題であった。
 これら全ては驕りきった自民党の長期政権の弊害によるものであった。
「驕る平氏や久しからず」とは平家物語の中に出てくる言葉であるが、
権力を握ったものが同じ場に居続けると、ろくな事はない。

 先日、ある若い女性と話していると、その女性の両親は保守的な人で
「今の自民党なら、まず間違いはないだろう」と自民党議員に一票を
投じ続けてきたそうである。「寄らば大樹の陰」という考えだった
のではないだろうか。
 恐らく、この女性の両親に限らず、多くの日本人がこのような考えに
近く、この考えが自民党に長期政権を与えてきた最大の理由ではない
だろうか。そう考えると、今日の状況を作りだしたのは自民党ではなく、
私達有権者だったと言うことになる。

 話は変わるが、国政調査権というのがあるそうだ。今までの野党には、
この調査権がなかなか行使できなかったようだ。それだけ官僚の壁は
厚いと言う他はない。
 今日の経済問題や社会問題に関する様々な問題を作りだしてきたのは、
改革を嫌う官僚達(国、地方を問わず公務員)であった。官僚という
ものは、この日本に限らず他国に於いても多くの問題を生じている。
 あたかも政治の責任の全ては政治家にあるというような顔をして、
その実は後から糸を引いていたと言うことも少なくない。
 そのためか国会議員が質問状を作るための資料提供を依頼しても
野党議員には容易に応じてこなかった。

 自衛隊はテロ対策特措法に基づいてインド洋上に於いてアメリカ艦船
に給油活動を続けている。このテロ対策特措法の継続か否かが今国会の
争点の一つになっている。
 問題なのは、アフガニスタンなどのテロ対策と称して、実はイラク
戦争の艦船に給油されているらしいのだ。国民の税金がテロ対策と
称してアメリカの軍事支援に使われているとしたら大きな問題である。
 実は、そう言った事実関係を確認することすら政府自民党は拒んで
きた。野党に対して資料提出に応じて来なかったのだ。参議院選で
民主党が多数を占めたからこそ、堂々と提出要求が出来るようになった
のである。

 さて、今国会はテロ対策特措法だけではない。安倍首相が掲げてきた
「美しい国」の前に正すべき問題が山積している事である。多くの人が
過激な小泉改革によって勝ち組と負け組に分断されてしまった。
 多くの社会的弱者が格差社会に泣いている。金持ちは益々金持ちに
なり、貧乏人は益々貧乏人になっていく。これで「美しい国」と言える
のだろうか。
 日本の将来を担って立つ若者達の就職一つにしても、きちんとした
指導が出来ないような政府に何が出来るというのだろうか。理想だけ
では飯は食えない。理想と現実が、しっかりスクラムを組むように
するのが政治の力である。
 理想を語る前に今は、妙にねじれてしまった、この現実を少しでも
まともな姿に修正すべき時ではないだろうか。

 今や自民党に任せておけば安心だという神話が崩れつつある。徳川
幕府は安泰だと思われていたが、幕末には外観はともかく中は完全に
腐りきっていた。今の自民党がそうであろう。神話が崩れたときこそ、
新しい風を吹き込むべき時である。
 小泉チルドレンなる人達も「一時のあだ花」にならぬよう、自分の
将来ではなく、一人の政治家として、これからの日本をどうしていく
のか真剣に考えるべき時ではないだろうか。そうしなければ、あなた
達の将来はないかも知れない。
 ともかく、小泉劇場から始まった自民党の独り舞台は終わったように
思われる。毎回、同じ顔ぶれの芝居では面白くない。
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ピースボート同窓会

2007-09-10 05:46:13 | Weblog
 台風九号が日本列島に上陸というニュースが流れている最中、私達
は名古屋から八ヶ岳に向かっていた。今回の集まりは、Tさんが企画
をしてくれたピースボートの第47回と53回の乗客等による合同の
同窓会であった。
 参加者の中には47回と53回の二度船に乗った人もいて、そうした
人の共通の友達が一同に会したのだった。未だ、47回の同窓会は形を
様々に変えながらも続いている。

 今回の参加者の中には数人だが、今年の春、倉敷で開催した同窓会
の参加者もいた。その一人が今回の主催者であるTさんであった。
場所は八ヶ岳近くの会員制のホテル「ダイヤモンドソサエティ八ヶ岳
美術館リゾートホテル」だった。玄関ホールへ入ると目の前に美術品
が展示されていた。焼き物や絵画など、色んな作家の作品であった。

 この日は、私達自身も、また、東京からこちらに向かうという女性
五人も台風の影響で色んなハプニングがあった。私達の方は、塩尻
までは順調に来たのだが、そこから乗り継ぐはずの特急が運休になり、
急遽、普通列車に乗り換えて小淵沢に向かった。そのために、列車の
待ち時間を含めて二時間弱ホテルに着くのが遅くなってしまった。

 一方、東京からホテルに向かう予定だった女性五人は、全ての交通
機関が運休になってしまったため、こちらに来ることが出来なくなり、
第一日目は断念して箱根に一泊すると連絡をしてきた。
 そんなハプニングにも関わらず五人の内、誰一人、今回は行くのを
やめようと言わなかったようで、その情熱は素晴らしい。
 この五人、翌日も午前中は運休の交通機関が多く、午後になって
やっと運行を再開した交通機関を乗り継いで、夕方七時近くになって
たどり着いた。執念と言う他はない。

 私達はホテルに着くのが遅くなったとは言え、雨に濡れることもなく、
少し寂しい同窓会ではあったが、大浴場や露天風呂にゆっくり浸かり
楽しい晩御飯を食べた。

 台風は、大した事はないと思っていたが、翌朝、ホテル周辺を歩いて
みて驚いた。道には折れた小枝が散乱していたからだ。台風からは、少し
離れていたけれど、それでも風は強かったようだ。

 朝、窓を開けると周辺の山々は厚い雲に隠れていた。しかし、時間
が経つに連れ、雲が切れ素晴らしい景色を見ることが出来るように
なった。変化に富んだ雲の形と、背後にそびえ立つ高い山、そして
富士山。このホテルの八階の展望台から眺める景色は素晴らしかった。
 この日の富士山は、まるで服か着物を纏うように綿雲に包まれていた。
そして山頂にはレンズのような笠雲が二重に懸かっていた。こんな姿
の富士山も珍しいのではないだろうか。

 この日は予定通り、貸し切りのマイクロバスで観光に出発した。
清里高原ではコスモスが花開き、吹く風は大変爽やかであった。ここ
からも富士山の雄大な景色を遠望することが出来た。
 昼近くになって昇仙峡に着いた。この日の昇仙峡は台風による雨で
水嵩が増していた。滝を流れ落ちる水はほとばしるように落下し、
急流には濁流が渦巻いていた。
 いつもは見られない景色だと、地域の人が話していた。昇仙峡の
魅力は、そそり立つ奇岩、巨岩であろう。山全体が一つの大きな岩で
出来ており、その岩肌が雨に洗われて黒光りしていた。遊歩道には
岩肌を伝い流れ落ちてくる水が小さな川のように流れていた。
 しかし、台風のせいか観光客は少なくみやげ物屋も閑散としていた。
この地が賑わうのは、これから始まる紅葉の季節ではないだろうか。

 この日の観光は、昇仙峡でお仕舞い。一度、ホテルまで帰り、自家
用車で近くにある八ヶ岳倶楽部へ行った。ここは俳優の柳生さんが
荒れ地を見事なまでの人工林に変えたところであった。今はギャラリー
や喫茶店、あるいは色んな作家の手作り品を売っていた。
 ここを見学して帰途に着いた。丁度、その頃、東京組の女性五人が
到着した。再会の喜びをハグに変えて出迎えた仲間の人もいた。みんな
久々の再会を喜んでいた。

 私は挨拶もそこそこに富士の夕暮れが見たくて八階の展望台まで
上がり、西に沈む夕日と夕日に照らされた夕焼け雲を眺め写真に写した。

 この日は参加者が十八名となり、昨晩とは異なって賑やかな晩餐会
になった。

 そして、翌日は早めにみんなと別れ神戸に向かった。ピースグローブ
主催の「田中ルミ子ピアノの弾き語りチャリティコンサート」が神戸
で開かれる事になっていたからだ。
 ピースグローブの主催者夫婦も49回のピースボートの乗客だった。
そして、この日のコンサートにもピースボート仲間が数人来ていた。
 
 この日の夜は、八ヶ岳に向かうときと同じように、神戸の娘の家に
一泊させて貰った。そんなわけで、都合、4泊5日の長い旅行となった。
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地下鉄(メトロ)に乗って

2007-09-05 05:30:24 | Weblog
 浅田次郎氏の原作による映画らしいが、実に発想が良い。地下鉄に
乗ると時代は過去に遡る。地下鉄は、いわば現代のタイムトンネルだ。

 東京へ行くと地下鉄が縦横無尽に走り、都内なら何處へゆくにも
便利がよい。その上、最近ではカードに現金をチャージしてさえ
おけば、その都度、切符を買うこともない。
 それほど便利な地下鉄だが、人の少ないホームは何となく寂しく
不気味な感じさえする事がある。カーブの先は暗く細いトンネルが
何處までも続いている。
 この未知なるトンネルこそが「地下鉄に乗って」と言う映画の舞台
にはふさわしい。この物語は、男兄弟三人とこの子達の父の話である。
父は政界とも繋がりのある実業家。病の床にあるような時にも新聞
沙汰になるような事件を起こしている。

 そして今は生死の境を彷徨っている。長男は父親の生き方に不満を
抱き家を飛び出した時、将来を期待されながら若くして交通事故で
亡くなった。昭和三十年頃の事である。
 次男は、そんな父の生き方に嫌気がさし母親と一緒に家を離れた。
末の弟が父と一緒に会社を経営し生活している。そんな家族関係を
背景に、次男が戦時中の父や戦後の焼け跡時代の父に遭遇する。

 復興期にある東京や焼け跡に闇市が建ち並ぶ東京が画面に映し
出され、あの時代を生きてきた者には妙に懐かしい。そんな懐かしさ
と不正でもしなければ生きては行けなかった闇市時代の父の姿を見て、
やくざのような父の生き方に批判的だった次男の心にも変化が見え
始める。そして、次男の不倫相手だった女の素性も明らかになって
いく。
 これ以上は書くのはよそう。決して明るい映画ではないが、何か
ほろ苦く切ない思いを抱かせる映画である。長い地下鉄のトンネルの
先には、戦後の何もない焼け跡から立ち上がり、一生懸命生きてきた
時代があった。
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政治とお金

2007-09-03 17:11:47 | Weblog
 就任したばかりの遠藤農林水産大臣が辞任という記事が新聞に掲載
され、朝からテレビのニュース番組でも繰り返し報道されている。
その上、坂本外務政務官までもと言うと、事の理由はともかく、ただ
ごとではない。

 金と政治の問題は、今までにも辞めていった政治家の多くが指摘され
てきたことなのに、未だに後を絶たないのはやはり長期政権の問題では
ないだろうか。それを許してきた有権者である私達にも半分の責任は
あるような気がする。

 お隣の国、中国でも一党独裁の中、多くの官僚や政治家達が私腹を
肥やしていると問題になっている。この国も日本と同じように次から
次へと多くの問題が発生している。戒めにと高級官僚が死刑になって
いる。

 ドラマ「水戸黄門」の共通するテーマは政治と金の問題である。
悪代官と悪徳商人ややくざとが結びつき、町民を苦しめる。そこへ
黄門様一行が通りかかり、この紋所が目に入らぬかと三つ葉葵の印籠
を突きつけて代官や悪徳商人を懲らしめる。

 徳川三百年は一党独裁の時代であった。幕府には何度も腐敗があり、
江戸町人達の戯れ歌などが流行り始めると、これでは示しが付かない
と綱紀の引き締めがあり政治改革がなされてきた。

 有名なのは田沼意次時代のたるみきった幕藩体制を引き締めようと
松平定信が綱紀粛正を行った。その結果、あまりにも厳しすぎると
田沼時代を懐かしむ声さえ出たという。(事実は異なるという説も
ある)こうした腐敗、改革の繰り返しの中でも次第に幕藩体制の維持
は困難となり明治維新へと向かうことになった。

 政治は、一党独裁では腐敗を生むことになり、適当に相争う関係に
ある二党ないし三党体制が一番良いのではないだろうか。その上、
一党支配が長すぎると、今の自民党のようになってしまうのである。

 政治家が受け取るまいとしても誘惑の手は、あの手この手と伸びて
くるものらしい。ましてや、農水産業のように多くの補助金が支給
されているような部署におれば、補助金目当ての胡散臭い連中が寄り
集まってくるものである。

 日本の農業は農業の育成強化のため補助金で支えられてきた。食料
自給率がここまで下がり、農業後継者が次第に少なくなる現状の中で
果たして補助金だけで乗り切れるのであろうか。補助金という安易な
方法ではなく、抜本的な農業政策を考え直すべき時に来ているのでは
ないだろうか。

 その現れが今回の参議院選挙でもあった。補助金の恩恵を受けてきた
農業従事者自体からも批判票が出ているのだ。

 農村では農業後継者にお嫁さんが来ないと嘆いている。農業に魅力
がないから女性が嫁いで来ないのだ。もっと魅力ある農業にするには
どうすれば良いのか真剣に考えてみる必要がある。

 農業は立派な自営業であり、魅力ある産業だと思う。ましてや今後
は深刻な食糧不足が懸念されている。もっと真剣に見直されなければ
ならない仕事ではないだろうか。

 いよいよ、追いつめられたかに見える安倍政権、これから何處へ
向かおうとしているのだろうか。一挙に政権交代へ向けての総選挙に
打って出るのか、それとも、とことん「じり貧状態」を続けるのか。

 一方、民主党にも今後は誘惑の手が伸びてくるだろう。その時の
ために徹底的な政治資金の規制強化を行う必要があろう。政治は個人
ではない。政党が政治を行うのである。お金を渡して利権を得ようと
言うものは国を滅ぼす者である。国を良くするために徹底的な取締を
行って貰いたい。
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