人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

第47回ピースボートの旅

2021-09-23 05:49:01 | Weblog

人間は生まれてこの方、全てのことが初体験の連続ではありますが
わけても第47回のピースボートによる船旅は思い出深いものでした。
2004年は台風の当たり年とも言われるような年で、8月に一回、
10月に一回、そして東京晴海ふ頭を出港してフィリピンに向かう時にも
台風の進路を避けて大きく迂回しなければなりませんでした。

特に10月の台風は神戸港を出港する日の直前であり、神戸港から
乗船することになっていた人達にはきわめて厳しい台風でした。
多くの方々が様々な困難を乗り越えて神戸港に集まって来られました。

そんな訳で神戸港からの乗船は出来ず、神戸港に集まったものは、
みんなバスに乗って東京晴海ふ頭に向かったのでした。
そして大方半日近くかけて、日が暮れてから港に到着しました。

そして一晩、船の中で宿泊し、翌日は東京港から乗る人たちを迎えたのでした。
東京晴海ふ頭での出港式は、それはそれは賑やかなものでした。
若くない私達夫婦にとっても、活動家であった在りし日の私達を
思い出させるような出港シーンでした。

右を見ても左を見てみも知らない人ばかり。それでも船上での様々な
イベントや活動を通じて次第に多くの方々と知り合いになり、
船を降りるころになると名残惜しい人達ばかりになりました。

また、船を降りてからも何年間かは同窓会などと称して様々な
行き来がありました。
今も変わらず多くの方々との交流が続いています。

そして月日は流れ2021年、あれから17年の歳月が過ぎて行きました。
つい一昨年には久々にピースボートに乗りました。
わずかに10日間余りの日本一周の旅でした。

この旅に於いてもピースボートのスタッフの人、今は船から離れている
スタッフだった人など、懐かしい方々に本当にたくさんの方々にお会いしました。
何かしら私たち夫婦をわざわざ迎えてくれたようなそんな旅でした。

乗船すると早速に出港式に引っ張り出され、皆さんの前でメッセージを
述べさせていただくと言う栄誉を得ました。

過ぎ去りし17年間に日本を始めとして世界も大きな変貌を遂げて来ました。
それは環境問題に大きな影を落としています。私も47回の時の様々な
体験が元になり、帰郷してからは岡山県の地球温暖化防止推進員として、
あるいは省エネ普及指導員などの活動を続けて来ました。

よもやこのようなことになろうとは思いもよらないことでした。
気温の上昇は留まるところを知らず、世界中で大きな気象異変が様々に起きています。

今、二酸化炭素の排出を止めても、この気候変動を止めることが出来ません。
回復には、少なくとも100年はかかるだろうと言われています。

台風、ハリケーン、集中豪雨、干ばつ、山火事、温度上昇による害虫の被害、
竜巻等と災害には枚挙にいとまがありません。

ともあれ、皆さんお元気でお過ごしください。
そしてこの困難な時代を乗り越えて行きましょう。
また、機会があればお会いしたいと思っています。
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コロナの事は忘れよう

2021-09-18 16:55:21 | Weblog
何事に寄らず、いやだいやだと思えば思うほど「いやだ」と言う
思いから逃れられません。
それは「いやだ」と思うことが、常に心のどこかに「とげ」の
ように刺さっていて、それが「いやだ」と思うことを思いささせるからです。

なかなか簡単なことのようで難しいことなのですが、断ち切ろうと
思えば「いやだ」と思うことを自然に忘れてしまうことなのです。

そのためには住んでいる場所や住んでいる環境を思い切って変えてみること。
もっと他に楽しみや打ち込めることを見つけること。

そんなことを言われても出来る訳がない等と思ったら、いつまでたっても
「いや」なことを断ち切ることは出来ないのではないでしょうか。

あるいは覚悟を決めて「いや」なことと共生するのも一つの
解決方法かも知れません。
ものごとは一見、相手があってそうなっているように思われがちですが、
実はそうではありません。
相手がそうしてくるから、あるいは相手が嫌なことを言ったりしたりするからと
考えがちですが、それでは相手がいなくならない限り嫌なことは解決しません。
相手がいなくなると言うことは難しいことです。

だから解決の方法はただ一つ、自分自身の思いを変えるしかないのです。
たとえ嫌なことから一時的に逃れたとしても、目の前のことからは
逃れられたかも知れませんが、心の中にはいつまでも原因が残っています。

そして再び、いつしかチクチクと心を攻めて来るのです。
それは心に刺さったとげを自ら抜くか、消してしまわない限り解決しないのです。
誰に助けを求めても解決はしません。
神も仏も助けてはくれないのです。

だからコロナの事は忘れよう。
みんなが不安に感じている間、コロナは終わらないのです。
みんなを執拗に悩ませ続けるに違いありません。

さりとて恨んだり、怒ったりすればコロナの思う壺です。
恐れや怒り、思い込みの中からごく自然にそっと抜け出ること。
これはコロナに限りません。
思いを断ち切る時の方法は全ての事に共通することなのです。

お金が欲しい、お金が欲しい、と思っている間は不思議に
お金は寄って来ません。
反対に豊かではなくても今は満ち足りている、ありがとう。
そんな感謝の心が自然に芽生えてきたら、いつの間にかお金に対する
執着心が消えていき、大金は入って来なくても生活に足るだけの
お金は入ってくるようになるのです。
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仮想現実

2021-09-15 09:26:57 | Weblog
長らくの間、疑問であったことに、この年になってやっと回答が見えて
来たような気がしています。

自分は何故、この世に生を受けたのだろう。
そんな漠然とした素朴な疑問は、私の幼少期からずっとありました。
誰でもが抱いている疑問かと思っていましたが、
先日、弟と話をしていて、この疑問は私だけのものだと分かりました。
むろん、世間は広いですから他にもそんな疑問を持っておられる方も
少なくないと思います。

ずいぶん前の話になりますが、マトリックスと言う映画が
上映されたころ、この映画を見てふと思ったことがありました。
夢の中をさ迷うようなこの映画の体験は、仮想現実等ではなく
あるいは本当の事なのかも知れないと思ったのです。

最近では、自分の想いが思いの通りではありませんが、
またスムーズに実現することはありませんが、それでも
何とはなく一つ一つが実現していくことに気が付いて
驚いています。

振り返って考えてみれば、急にそのようになったのではなく、
長い時間をかけて次第に変化してきたように感じています。
だから鳥肌が立つような驚きはないのですが、やはり感動して
いますし、驚いてもいます。

また、よくよく思い出してみれば、全ては社会人となって始まった
ようにも思いますし、いやいや、子供の頃からずっとそうだった
と思うようなこともあります。

人間はこの世に誕生する前に自分の生きたい人生を選んで
生まれて来るのだと言うことを、あるドキュメンタリー映画で
観た記憶があります。

つい最近、量子物理学のことをネットで拾い読みしていた時、
あり得ないことに人間の個々の意識が自分が見ているものを
作り出している、いわば仮想現実だと言うことを知りました。

自分が作り出す意識の世界の中で自分一人が生きている。
考えてみれば実に孤独で心寂しい世界を生きている、体験して
いるのだと言うのです。

ですから、自分の両親も兄弟も結婚したら自分の妻や子も
全ては自分の意識の投影として、この世に存在しているものだと
言うことになります。

そうしてみると、周辺の景色も人間関係も自分の意識が
作り出したものとは言え、かけがえのないものです。
そうです。そうでなければ自分一人だけが存在する
実に無味乾燥な世界を生き続けなければならないのです。
これでは人生ゲームになりません。

社会人になって様々な人に出会って来ました。
人間関係において悩んだこともあれば、嫌な思いをしたことも
たくさんあります。

それら全てが自分の意識によって作り出されたものであり、
その作り出したものと葛藤していたと言うことになります。

そう言えば、近くに存在したそうした人達は、私の舞台から
いつの間にか消えていきました。
ある人は死んでしまい、ある人は会社を去り、ある人は大病を
患い、ある人は死ぬような事故に遭って、私の意識の中では
遠い存在になってしまいました。
そして定年まで勤めていた会社まで消えてしまいました。
念の入ったことです。

そして今、定年後に始まった新しい人生を生きています。
この場においても次々に新しい出会いがあり、今もその出会いの
中にいます。

そして夢として抱いていたことが、様々な形、中には形に
ならないような歪(いびつ)なものもありますが、曲がりなりにも
形となって実現し続けています。

しかし、こうして書いていることすら、仮想現実なのかも知れません。

このような過去の体験や今も体験していることを書き残したい
と言う思いからパソコンに向かい、キーボードを叩いています。
しかし、この作業ですら自分の意識が自分をしてパソコン上に
文字を残しているだけかも知れません。

この世に生を受けて、本当に数えきれないほどの嫌なことも
体験してきましたが、人生の終盤にさしかかった今、
悔いになることは何もありません。
今はただ、たんたんと生きて生を全うしたいと思っています。

それにしても望みもしない、この新型コロナによる混乱や
地球温暖化による世界の終わりを暗示するような出来事は
いったい何なのでしょうか。

私の心の片隅にそんな体験をしてみたいと言う意識が存在して
いたのでしょうか。存在していたとしたら、それは何故、
疑問は残るばかりです。

今も自分の望むことの様々なことが、ことの大小はありますが、
多くが実現しています。天気になって欲しいと望めば天気になります。
と言うか強く念じるとか意識をしなくても好ましいことが
現実のものになって現れるのです。但し、宝くじが当たるとか
そんな夢のような破天荒なことはありません。

お釈迦さんが伝えたと言う般若心経の中にも色即是空とか
空即是色などと書かれた一節があります。
この解釈を読むと「この世のあらゆるモノや現象には、実体がない」
となっています。
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コロナからコロナ後に

2021-09-06 08:57:08 | Weblog
第三部(最終章)
一方、コロナだけでなく世界中で異常気象による災害が
年を追う毎に深刻さを増しています。
今の時代は得体の知れない感染症、そして異常気象による
天災と二重苦、三重苦に苦しんでいます。

今のところ、いずれも抜本的な解決策は見つかっていません。
しかし、全ては先送りすることの出来ない問題ばかりです。

こうした様々な問題については、あらかじめ予測できたことです。
特に地球温暖化問題は、人為的なものとして早くから対策が
求められていました。

しかし、人間の性というものでしょうか。先送りを繰り返し
抜本的な対策をしてきませんでした。喉元に匕首を突き付けられて
みなければ気が付かないような鈍さです。

最早、今から対策をしても毎年激しさを増している災害を
防ぐことは難しいとさえ言われています。
これらは、ことごとく人間の欲深さから生じていることです。
満足と言うことを知らない人間の貪欲さは、ついに足元を
洪水で洗われるような、事実、足元どころか住む家まで流されて
しまうような深刻な状態になってしまいました。

営々として築きあげてきたものが、無情にも壊され流されていく。
そんなニュースが日本国内だけでなく、世界各国からも
届くようになってきました。

最近の国内ニュースを見ていて思うのですが、流され壊されていく
住宅の多くは近年に建てられた新築が多いように思います。
それらの多くは無残にも全て瓦礫と化してしまうのです。
あるいは洪水によって使用できなくなり、止む無く取り壊される
ものも少なくないようです。

高齢者が住むこれらの住宅は退職金をはたいて建てられたものや
古い家を取り壊して新たに建てたものではないでしょうか。
多くの資産が残り少ない人生を前にして失われていく。
同世代を生きるものとして、察するに心中余りある出来事です。
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コロナからコロナ後に

2021-09-05 04:17:41 | Weblog
第二部
時あたかも今年は4年ごとに開催されるオリンピックと
パラリンピックの年です。
さすがに予定されていた2020年の開催はコロナ元年でもあり
見送られましたが、コロナ二年目の今年は大勢の反対を
押し切って開催されました。

既にコロナ前と今では色んな事に変化がみられています。
日本中で開催されてきて年を追うごとに数が増え、その規模も
拡大の一途をたどってきた伝統的な行事やお祭りが
ことごとく中止されたのです。

また、芸術と言う分野は音楽にせよ、アートにせよ規模を
大幅に縮小し、あるいは完全に中止されてしまいました。
ライブハウスなども閉鎖せざるを得なくなりました。

そして、ささやかな気分転換や親睦や息抜きの場として
利用されてきた飲食やそれに関連する施設の営業停止が
求められ、飲酒時間の縮小が求められてきました。
緊急事態宣言などと聞きなれない言葉も当たり前になりました。
それは今も断続的に繰り返されています。

規制の厳しい国にあってはロックアウトなるものも行われています。
アメリカのニューヨークでは繁華街の大きなショップなどが
軒並み閉鎖され、略奪を恐れた経営者が窓や戸に板を打ち付けて
閉鎖してしまいました。人通りが絶えてしまったのです。

第三次産業と呼ばれている分野では医療関係だけを特例として
ほとんどの分野が大きな損害を受けています。
観光や旅行、ホテルや映画館など、人間の娯楽に関することも少なくなり、
また移動に必要なバスやタクシー、鉄道なども乗車率がガタ落ちの状態です。
今後は様々な分野での倒産企業も出て来るのではないかとさえ言われています。

当然のことながらこうした産業の衰退は、ボディブローの
ようにじわじわと全体の経済に影響を及ぼしてくるのではないでしょうか。
国の税収入にも大きな影響を及ぼすものと思われます。
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コロナからコロナ後に

2021-09-03 09:01:23 | Weblog
コロナからコロナ後に・・・三部構成で書いてみました。

第一部
私は今、コロナ後の世界について妄想しています。
現代人が経験したこともないような長く鬱陶しい時代が
終わった後は、いったいどうなっているのでしょうか。
何も変わっていない、そうかも知れません。

コロナ前を思い出してみましょう。
日本中が毎日のようにお祭り騒ぎで、世界旅行もごく当たり前で、
諸外国からも大勢の人が、憧れの国として日本に来ていました。
そんな時代に戻ることが出来るのでしょうか。

余談になりますが、パソコンやスマホなどが広く世界中に
普及するまでは、どこの国であろうと自国以外の事は
あまり知られていませんでした。

敢えて教科書にも取り上げられなければ、またマスコミにも
取り上げられなければ、他の国のことを知る機会も方法もなかったからです。

しかし、パソコンやスマホが広く普及して以来、世界各国のことが
ものすごい情報量とともに受け取ることが出来るようになりました。

ほんの数十年前までの日本は、スシ、フジヤマ、ゲイシャガール、
サムライの国、その程度の事しか認識されていませんでした。
世界に冠たる経済大国だと言っても、本当の日本の姿を知る人は
いませんでした。

ましてや韓国や中国のように、何十年もの間、戦前の日本を引き合いに
出しては敵国扱いにしているような国では、今の日本を知る機会もなければ、
その必要もありませんでした。

一方、欧米の人達は、物珍しさから、あるいは神秘の国として日本に
憧れ来てみたら、おおよそ想像の国とは異なっていたようです。
神秘の国どころか、遥かに近代的で、日本の若者たちは神仏への
関心などほとんど持っていませんでした。過去のものになっていたのです。

僅かに茶道や剣道や柔道、禅や神社仏閣の一部に東洋の神秘が
残像のように残っているに過ぎなかったのです。

韓国や中国からの旅行者たちは、旧日本軍の極悪非道な行いを
嫌と言うほどプロパガンダのために作られた映画等を通して
洗脳されていました。

ところが日本に来て接する日本人は、映画の中の軍人たちとは大違い、
本当に優しくて親切で世話好き、その上、礼儀正しかったのです。
恐らく万人が万人、現実に接した日本人の姿に驚いたに違いありません。

こうして欧米人が考えていた神秘の国日本のベールも、
中国や韓国の人達が洗脳されていた極悪非道な日本人の姿も
薄皮をはぐように変化し始めた矢先のコロナ騒動だったのです。

外国との行き来は閉ざされ、外国人が日本を訪れることもなくなり、
日本人も海外へ行く機会を失ってしまいました。
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