人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

時間的余裕のない一週間

2007-04-28 06:12:26 | Weblog
 新しい勤務先に通い始めて二週間が過ぎた。まことに慌ただしく
一日一日が過ぎていった。この新しい勤務先でも安全関係の仕事を
している。同僚が五名、ほとんどの人が退職後の勤務だ。みんな
個性派揃い。遠方から単身赴任者が六人の半数いる。この年齢に
なっての単身赴任はさぞ不便で大変だろう。みなさんの健康である
ことを願っている。

 連休後からは、現場にどっと大勢の職人さん達が入ってくる。
今年は大定修だ。今はただ無事故無災害で終わる事を願っている。
設備が壊れるのも困るが、人身事故の発生が一番怖い。安全を担当
するものの精神的負担は大きい。

 そう言えば、ここへ来る前の勤務先が表彰を受けると聞いた。
この会社の安全を担当したものとして本当に嬉しい話だ。仕事の
成果は無論のこと、安全であった事も評価されたに違いない。
きつい仕事であったが今は報われた気持ちだ。

 絶対に、この新しい職場もそうであって欲しい。昨晩は歓迎会を
開いて貰った。定年後、再びこのような場に座れるとは思って
いなかっただけに嬉しかった。美味しい酒が飲めた夕べであった。

 今は改めて定年前の日々を振り返っている。そう言えばあの頃も
朝早く出勤し、夕方帰ればすぐ食事という毎日だったなあ。あの頃は
朝が早いのと一日の疲れとで夜の九時頃には寝ていたこともあった
なあ。

 まあ、今は明日のことを心配しなくても良いだけ気楽かも知れない
などと思っている。正直な気持ちを言えば、今更、仕事などはしたく
ない。気楽な自分の時間がたっぷりある生活に早く戻りたい。そんな
事を考えながら毎日を過ごしている。

 さて、初夏だというのに肌寒い日々が多い。さすがに日中は気温が
上昇し汗ばむくらいの日もあるが、朝夕は気温が下がる。昔から
「目に青葉、山時鳥、初鰹」などと言われた季節だ。山桜の季節も
終わり目に新緑が眩しい。私が最も好きな季節だ。庭には色んな花が
咲いている。中でも日本桜草のやや紫がかった赤は美しい。その他
モッコウバラ、オオデマリ等も開花が始めた。この連休は夏野菜の
準備で忙しい。
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ピースボート南回りコース

2007-04-20 22:11:05 | Weblog
 私達夫婦がピースボートに乗ったのは三年前の十月のことだった。
早いものであれから二年六ヶ月もの歳月が過ぎた事になる。そして
今は第六十回クルーズが募集されている。六十回では絶えて久しく
なかった南回りコースが準備されている。

 私達のクルーズ第四十七回頃は一年に三回の地球一周の旅の一回は
南回りコースが企画されていた。しかし、船の燃料である重油の値上がり
で採算がとれなくなり長らく中止されていた。その南回りコースが南極
行きの特別企画付きで復活した。

 私達夫婦にとって、この船に乗るまでは地球一周など想像を越える
ものであった。また、百余日という長期旅行も体験してみるまで実感の
掴みにくいものであった。しかし、体験してみると意外にも地球は
こんなに身近なものであったこと、また、百余日という時間も過ぎて
みれば意外に短いものであることが良く分かった。

 南回りコースには、希望してもなかなか行けない国が少なくない。
動物王国ケニア、南アフリカ、砂漠の国ナミビア、ブラジルのリオ
デジャネイロ、アルゼンチンのブエノスアイレス、チリのサンチャゴ、
そしてイースター島、タヒチ、パプアニューギニアのラバウル等である。
 これだけでも十分豪華であるのに南極まで行けるとは実に羨ましい
限りである。私達の時には南極の変わりに南米最南端のウシュアイア
からのパタゴニアフィヨルドの航海が入っていた。

 第六十回クルーズは六十回という節目でもあり特別企画だろう。南極
まで行けるとはまたとない企画である。地球一周など遠い存在だと思って
おられる方々には、ぜひ一度体験して貰いたい。船の中の数々の企画も
楽しい。そしてこの地球というものが意外にも小さいものであることに
気が付くはずである。そして地球がかけがえのないものであり、愛おしい
存在である事に気が付く旅になるはずである。
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凶弾許すまじ

2007-04-19 20:21:12 | Weblog
 世は挙げて暴力的になりつつあるような気がしてならない。自分の
思うようにならないからと簡単に人を殺してしまう。そこには良心も
人を殺したという呵責の念の微塵もない。何が人を殺人に駆り立てる
のであろうか。
 同じ種を情け容赦もなく殺すことが出来るのは人間だけだ。猛獣と
言われる動物でさえ簡単に同じ種を殺すことはない。げに人間は実に
恐ろしい動物ではある。

 奇しくも同じ日に報じられた事件が二件ある。いずれの事件も銃が
用いられた事件である。一つはアメリカのバージニア工科大学構内で
行われた大量無差別殺人事件である。もう一つはテロとも言うべき
現役の長崎市長をねらい打ちした殺人事件である。

 長崎市では先の市長であった本島氏が狙撃され九死に一生を得て
いる。そして今回の事件である。平和都市長崎のイメージとはほど
遠い事件である。早急に事件の全貌が明らかになり三度このような
事件が起きないような徹底した対策を望みたい。
 自分の要求を満たすために暴力に訴える。最も卑劣な方法である。
亡くなられた伊藤一長市長に心から哀悼の意を表したい。

 さて、卑劣と言えばこれほど卑劣な事件もないだろう。何が目的で
あったのか良く分からないが自分の心の憂さをぶちまけるように銃で
無差別に殺戮するなどあってはならないことである。
 犯人は韓国からの留学生だ。銃社会アメリカならではの事件である。
アメリカでは学校が標的となった大量殺人事件が後を絶たない。その
度に銃をなくそうという声は起きるのだが、未だかつて全米をあげて
銃の規制が行われたことはない。

 文明社会アメリカ(?)は未だ開拓時代と同じである。自分の身は
自分で守るとして銃の携帯は許されたままである。このままで、この
種の事件を防ぐことは絶対に不可能である。

 特にアメリカ社会は9.11のテロ以来、暴力的になっている。
その証拠がテロ事件以後、相次いで派兵されたアフガンでありイラク
である。大統領自らが「目には目を歯には歯を」という思想の持ち主
だからだ。これで国民に平和を呼びかけること等出来はしない。
 合わせて日本社会からも暴力の追放と銃の取締の強化を強く望みたい。
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国民投票法案衆議院通過

2007-04-17 21:42:37 | Weblog
 何とも気分のすぐれない日が何日も続いた。やっと今日になって
何とか回復に向かっている。今年になって三回も風邪ひきでお医者
さんのお世話になってしまった。私としては珍しいことである。
 ここのところ寒暖の差の大きな日が幾日も続いている。いつに
なったら春らしい温暖な日々が続くようになるのだろう。

 先週まではT社に勤務して安全関係の仕事をしていた。このまま
では枇杷の袋掛も出来そうにないので、予定を一日早めて勤務を終え、
二日がかりで袋掛を終わった。風邪をこじらせてしまったのも、
そんな無理が重なったからに違いない。
 そして、昨日からはM社の定修の安全関係業務に就いている。何とも
忙しい話である。これから七月の上旬まで、ここでの勤務が続くことに
なる。

 何ともあっけないほど簡単に衆議院を通過してしまった国民投票法案、
本当にこれで良いのだろうか。政府与党にも、また野党の民主党にも
それぞれ思惑あっての事らしいのだが、何とも理解しかねるような
審議内容であった。
 国民の多くは審議された過程も、そして肝心な中身も全くと言って
良いほど理解していない。そもそも政府与党が力づくで押し通すよう
なものではない。
 ましてや今の与党の勢力範囲は、かの小泉内閣時代に郵政民営化の
是非を問うて選挙した結果であって、けっして国民投票法案の審議を
託したものではない。国民の多くも、そのことを忘れてしまっている
のではないだろうか。

 生命保険会社の不正が盛んに報じられている。支払うべきお金が
支払われていないようだ。それも莫大な金額である。困ったときに
こそ必要だから入っている生命保険が、どんな理由で支払われて
いないのだろうか。
 私が人権擁護委員をしていたときにも生保の未払いに関する相談が
あった。知人の紹介で加入したにも関わらず、定款を盾にして保険金
を支払ってくれないとの相談であった。
 知り合いに勧誘されて加入した人は少なくない。その人がまだ勧誘員
でいるときは良いが辞めてからは、こんなトラブルが生じ兼ねないのが
実状である。他人事ながらまったく腹の立つ話である。監督官庁の指導
はどうなっているのだろう。困ったときにこそ役に立つのが保険金の
役目である。

 能登半島の地震から日も浅いというのに今度は紀伊半島の亀山付近
でかなり大きな地震が発生した。次はどこだろうか。まことに不気味
な昨今である。未だ南海地震も東南海地震も東海地震も起きてはいない。
それだけに余計不気味である。
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子育て支援はどうなっている

2007-04-11 07:26:50 | Weblog
 どうやらこの事件は私の誤解だったようだ。幼児を自宅に残したまま
遊びに出かけた(スノボー)母親の留守にアパートが火事になり、幼児
が焼死するという痛ましい事故があった。
 多くの人から子供を育てることが出来ないくらいなら子供を生むなと
言った厳しい意見も寄せられていたようだ。私も同じ気持ちだった。

 ところが事実は実に悲しむべき状況だったようだ。この女性は誰にも
頼むことなく一人で子育てをしていたらしい。子供の父親は若い母親と
幼子を残したまま家を出てしまい、女性は一人で子育てをしていた。
 仕事は収入が良いと言うことで深夜の居酒屋で働き、昼間は子育てに
専念していた。スノボーに行ったのは実に久々で、自分の留守中に
風邪を引かせてはいけないと言うことで点けておいた電気ごたつが
ひっくり返って毛布に燃え移ったのではないかと言うことであった。
 子育てと仕事の両方で一生懸命にやってきた三年間、その間の
たった一度の息抜きだった留守中に事故は生じてしまった。恐らく
女性にとっては痛恨の日々ではないだろうか。

 相談できるような人や施設はなかったのだろうか。立派な法律は
幾つもありながら、運用面では実に寒々としている。大企業では
人集めのために次々に子育て支援策が制度化しつつあるようだが、
本当に必要な底辺の労働者には何の支援策もないのが実状だ。
 そして、私達が子供だった頃のような人情が通い合う地域の環境
があれば、こんな悲惨な事件は生じていなかったに違いない。実に
むなしい情けない思いがしてならない。けなげにも一人で子育てを
していた若い女性の心中を察すると胸にこみ上げて来るものがある。

 先進国だ経済大国だ少子化対策だと言ってみても、こんな悲しむ
べき事件が生じてみると為政者のトップである安部総理や政府関係者
は威張っておられるのだろうか。政府は政治はどうしている。
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地方選終わる

2007-04-09 08:58:51 | Weblog
 春の大きなイベントとも言うべき地方選が終わった。本来なら選挙戦
前にコメントを掲載するのだが、何とも争点の見えない選挙戦について、
どんなコメントを書けば良いのか迷っている内に終わってしまった。
幸いだったのは私が推薦していた候補者が当選したことである。私と
しても久々にこれはと思う人に一票を投じた選挙であった。

 さて、注目の東京都知事選は石原慎太郎氏の圧勝に終わったようだ。
対抗馬だった浅野氏は無党派層に背中を押されて立候補の決意をしたと
話していたが、決断をするのが遅すぎたようだ。争点がオリンピック
だけというのも話題性に欠けたことも否めない。
 最初から民主党や社民党など幅広い反石原陣営で闘えなかったの
だろうか。選挙戦後半での政党応援では効果は薄かったのではない
だろうか。

 とかく問題発言の多い石原氏だが彼を支持するものも多い。何しろ
今も弟の裕次郎さんの影響は少なくない。そんな事もあってか、親族や
お金のスキャンダルもさして大きなものにはならなかったようだ。
今や東京都は石原王国になってしまった。

 果てさて、これからの四年間、東京都はどう変わっていくのだろうか。
石原さんがトコトンやりたい放題の事をやって、人気を落として退陣と
いうことになるのだろうか。いずれにせよ、今や飛ぶ鳥さえ落とす勢い
の石原都政である。いずれ「おごる平氏や久しからず」と言うことに
ならなければ良いのだが。

 自民党に比較して民主党の脆弱さは否定できない。それは地方に
確たる拠点を持っていないからではないだろうか。これからは自民党
より、より若い層を多用し育てて行くことこそが肝要であろう。
急がば回れである。五年先、十年先を見据えた党組織の強化が必要だと
思うのだが。
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花の命は短くて

2007-04-08 10:39:35 | Weblog
 「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」とは、放浪記などで有名な
作家の林芙美子が書き残した一節であるが、まことに花の季節は短くて
はかない。人の一生もまた同じようなものではないだろうか。
 それだけに今の今を大切に生きたいと思うのである。幼少期から少年期
(少女期)そして花開く青年期、特に女性の場合、大人の女性になる頃は
実に輝くばかりに美しい。蛹から蝶への変身に似ている。

 それだけに、その歳月を大切にして欲しい。あたら若さばかりを浪費
することなく、自分の将来に向けてのステップアップに繋がるような
生活スタイルや内面の美しさをも追求して欲しい。林芙美子は自身の
体験から実感を込めてあの言葉を書き残したのではないだろうか。
それは彼女自身の生きてきた過去に対する反省であったかも知れない。

 今は常緑樹の秋である。新しい葉と古い葉が交替する時期だ。落ちた
落ち葉がかさかさと音を立てながら庭の片隅に集まっている。見苦しいと
落ち葉をかき集めゴミとしてしまうが、少し待って欲しい。

 木々は自ら落とした葉や小枝を肥やしとして自らの成長する環境を
作り出しながら成長している。氷河が大きく後退した岩場には苔の
ような原始的な植物が根を下ろし、やがて、そこに種が飛んできて
(鳥に運ばれて)他の植物が根を下ろす。こうした植物は岩の透き間
に根をはって、やがて岩の裂け目を大きくし崩していく。この繰り返し
の中で岩から土を作り、自らの成長すべき環境を少しずつ作り替えて
いく。
 やがて更には木々が根を下ろし森や林へと変わっていく。気の遠く
なるような繰り返しではあるが、これこそが偉大なる自然の営みなの
である。
 
 私が驚いたのはケニアのマサイマラに行った時であった。大平原には
あちこちに蟻塚があった。その蟻塚はやがて崩れて土に帰るのだが
その時、運良く根を下ろした種があると、そこには木が成長する。
 いわば蟻塚が木々の苗床のようになっているのだ。あの小さな生き物
の絶え間ない営みが環境を変え、新たなる植物が成長する環境を作り
出しているのだ。自然の偉大な営みである。
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若者達の生活を考える

2007-04-06 11:49:22 | Weblog
 通勤途中の道縁に大きな桜の木ソメイヨシノがある。大きく四方に枝を
広げた姿は実に美しい。その大きな木に寄り添うように少し小振りな
ソメイヨシノがこれもまた四方に大きく枝を広げている。何かの記念樹
であろうか。何かしら仲の良い夫婦の姿を見ているようで微笑ましい。

 東京では早くも葉桜の季節だと言うのに、ここ倉敷市児島では三分咲き
の木もあれば、四分咲きの木もあって、なかなか咲きそろわないようだ。
ここのところの気温が安定しないからではなかろうか。

 さて話は変わるが、禅宗では食べ物を食べるとき命を頂くとして万物
に感謝するとともに、その作法も厳しく定められているようだ。人は身を
持って体験しないと、いくら言葉を尽くしてもなかなか行動に結びつか
ない。

 なまじ人間のようにものを考える力が備わっているという事はやっかいな
ものだ。何だかんだと理屈を付けて他人の注意することを聞こうとしない。
人は日頃からの生活態度がきちんとしていないと、その影響は色んな
ところへ出てしまうものだ。昨今の多くの若者達を見れば良く分かる。

 上辺だけを如何に美しく飾っても、その人の行動や肉体の欠陥まで隠す
ことは出来ない。日頃からの規則正しい生活や身の回りの整理整頓が
きちんと出来ない子は生活態度も自堕落になってしまうような気がして
ならない。
 そんな子供達が大人になって次の世代をきちんと育てていけるのだろうか。
学校教育の前に家庭での人間教育が必要だ。

 近年、高血圧や高脂血症と言った生活習慣病の予備軍のような若者
が少なくない。今までは高齢者のものと思われていた心臓病や脳溢血など
と言った突発死の原因となるべきものである。

 現にある会社の健康診断結果を見て驚いた事がある。二十代の若者が
中高年者のように血圧が高いのだ。明らかに生活習慣病であろう。
 コンビニ弁当やインスタント食品には野菜はほとんど使われていない。
また、万人に好まれるように味を濃くしたものも少なくない。こうした
ものは栄養の偏りと塩分摂取の過剰をもたらす。そうした事が若者達の
体を蝕んでいるのではないだろうか。

 中高年のメタボリックシンドロームを心配する以上に、将来ある若者達
の健康を考えなければ早晩大変な事になるのではないだろうか。
 若者を家から出す前に、まずは食事の調理の仕方を教え込んでおくべき
ではないだろうか。
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核家族化と環境問題

2007-04-05 12:40:48 | Weblog
 ここ最近、私の住んでいる地域ではコーポというプレハブ型の集合住宅
が増えている。長い間、空き家だった家が壊されて新地(さらち)になった
かと思うと、新しい集合住宅が建つといった具合である。新しい家には周辺
の整地が終わらない内から新たな住人が入っている。

 一人住まいのお年寄りが増え、一方ではこのように新しく建った家に若い
人が入居する。核家族化は相も変わらず進行しているようだ。我が家も典型的
な核家族化の一例である。長女は神戸の方に嫁ぎ、長男は東京で新居を構えよう
としている。
 核家族化で困るのは田舎に高齢者世帯がたくさん取り残される事である。
先の新潟や能登半島の地震では、お年寄りの家庭が大きな被害を受けた。
高齢化しての被災は深刻だ。精神的なダメージが大きく再起する勇気が
湧いてこない。本当に他人事ではない。

 そうした中で、これからの見本になるのではないかと思われる事例が紹介
されていた。その地域は常日頃から連帯意識が強く、その絆の強さが被災後
の復旧に威力を発揮していると言うことであった。
 昨今、地域力の再生が叫ばれているが、地域力こそ地方の高齢化には欠か
せないものである。これに若者の力が付加されれば鬼に金棒である。

 核家族化の問題に話を戻そう。今、産業界ばかりでなく民生レベルでの
地球温暖化ガス削減さえも目標達成が危ぶまれている。その大きな原因と
なっているのが核家族化による世帯数の増加である。
 核家族化により一世帯が二世帯に分散すれば、排出ガスは倍にならなく
ても、それに近い数字になりかねない。

 あの京都議定書に調印をしなかったアメリカでさえ、地球温暖化ガスの
排出規制が強化されようとしている。地球温暖化ガスの削減は差し迫った
問題である。日本も独自の対策が必要なのではないだろうか。
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近況

2007-04-04 15:15:28 | Weblog
 今日は我が家の近況を記しておこう。私が勤めに出始めて以来、帰りが
遅いので家の中の掃除が出来なかった。やっと昨日の夕方、二階から一階
まで一部の部屋を残して掃除をした。さすがに、一週間以上も掃除をして
いない家の中は、ほこりと小さなゴミがたくさん溜まっていた。家族が
少なくてもほこりやゴミだけは出るものだ。

 さて、庭では木々の花がたくさん咲いている。代表的な花はレンギョウ、
カイドウだ。レンギョウは黄色が鮮やかな花である。カイドウはエンジに
近い濃いピンク。いずれも群れ咲く様子は豪華で美しい。
 そして、それらの足下には小さな花がたくさん咲いている。代表的なのは
水仙の花。これにも色んな種類の花がある。更に、日本桜草、モッコウバラ
等が加わる。
 花とともに雑草も一斉に伸び始めた。こんなにたくさんの雑草の種は
どこから来るのだろう。取っても取っても湧くように生えてくる。雑草の
生命力の強さであろう。

 今日は格別冷え込んだ。空にはまるで入道雲のような雲が立っている。
冬の名残の寒気団と太平洋から吹き上げてくる温かい空気がぶつかった
ためだ。時々、雨が降り風が強い。県北では雪になったと夕方のニュース
が報じていた。醍醐桜と雪、風流な組み合わせだ。
 近くの山では見る見るうちに山の緑が濃くなっていく。山桜の赤い新芽
が美しい。ソメイヨシノは大半がこれからのようだ。私が働いている会社
のソメイヨシノは五分咲きであろうか。この寒さでほんの少し開花が遅れた
ようだ。それでも春の勢いを止める事は出来ない。

 久々に畑に行ってみるとブロッコリーは花が咲き始めていた。食べられる
のも終わりに近いようだ。その代わり昨年植えたアスパラガスが芽を出し
始めた。既に一回は収穫を終わった。
 スナップ豌豆、絹さや、アラスカ、空豆は勢いよく伸びていた。アンズの
花が咲きスモモ花が咲く。そして桃の花やナシの花が咲くと果樹畑は桃源郷
のようになる。
 そう言えばジャガイモが一斉に芽吹いていた。そして何よりも急がなければ
ならないのはビワの袋かけである。今年は開花が一段と早く、冬が温かった
ので実の太りが早いようだ。
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