人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

あまちゃん

2013-09-30 04:28:11 | Weblog
 朝の連続ドラマが終わってしまった。終わってしまったと
言うほど、この朝ドラは深く私たちの生活に関わっていた。

 さして何かを考えさせるようなドラマだったわけではないが
毎日を楽しくさせてくれるようなドラマであった。脚本も演出も
そして出演者の演技も全てが良かったからではないだろうか。

 東北大震災をどのように描くのだろうか。大震災をドラマの中に
入れるのだろうか、それらはどのように描かれるのだろうか。
そんな興味も尽きなかった。

 そしてドラマの後半に来て、いよいよ大震災、そして復興に向けて
第一歩を踏み出したところで余韻を残してドラマは終了した。
とかく朝ドラと言えば「おしん」に代表されるような誰かの一代記の
ようなものが多かったが、等身大の女の子が等身大の姿を演ずる
そんなドラマであったから気楽に楽しく見ることが出来たのかも
知れない。

 肩の凝らない、それでいて次が楽しみで早く見てみたい。そんな
ドラマであった。おばあさん、お母さん、そして主人公の女の子
親子三代がなつ、はる、アキと演じ分けて、最後は親子三代の
マーメイドで締めくくったところなど憎い演出であった。
ドラマの題名のあまちゃんは海女さんででもあり、このような
言葉遊びも脚本家の宮藤官九郎さんらしさが感じられて良かった。

 ともあれ大女優「鈴鹿ひろ美」の駆け出し時代、母の春子は
「鈴鹿ひろ美」の影武者的存在であった。アキは、その大女優の
付け人になる。そして春子と「鈴鹿ひろ美」の出会いのシーン。
そして過去の二人を絡ませつつ息詰まる対決。見ていて飽きない。

 そして、番組終了までずっと気になっていたことの一つが
春子の少女時代を演じた俳優のことであった。ネットで検索
してみると有村 架純だったとのこと。このドラマの影の主人公でも
あった。そしてゆいを演じた橋本愛。そして主人公の能年玲奈。
それぞれに個性があって面白かった。

 こうした主人公と主人公に次ぐ登場人物、更にはわき役だった
人たちの個性的な演技と描き方が光った印象に残る朝ドラだった。
ちなみに我が家では東京の息子夫婦も神戸に住む娘夫婦も
同じように朝ドラで盛り上がっていた。
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EMの力

2013-09-29 05:06:06 | Weblog
 EMとは有用微生物群を英訳し、その頭文字を用いたものである。
土壌改良材として開発されたものである。私は我が家の畑に使っている。
確かに一年前より二年目、二年前より三年目と年を重ねる毎に少しずつ
改善の兆しが見えるようになってきた。

 実は、自然というものには様々な要因が関わっていて、その効果を
実感することは容易なことではない。植物に必要な水は十分だったのか
気温はどうだったのか等々、植物の成長に必要な様々な要因が決して
一様ではないからだ。従って、これがEM効果かと問われると
即答に困ることもある。しかし、野菜畑では比較的早くからその効果を
確かめることが出来る。ほとんどの野菜はその年に種を蒔いてその年に
収穫するから出来、不出来は容易に判断出来るからだ。

 果樹はその判断が難しい。しかし使い始めて足かけ4年、今年は
伊予柑を除けば、どのかんきつ類も裏年が感じられないほどの
大豊作である。そして栗はかつてないほどたくさんの実をつけている。

 残念ながらその横にある柿の木はたくさんの実をつけたにも
関わらずへた虫の被害を受けて惨憺たる有様である。ぼたぼたと
落ちてもなお目につくくらい実は残っている。やはり大豊作と
言っても良いのかもしれない。今は実感できるくらいたくさんの
花をつけ花が実になっている。

 私がEMを使い始めたのは随分と昔のことになる。何でも新しい
ことが好きな私は市場に出始めたばかりのEMを畑でさっそく
使ってみた。しかし正しい使い方の知識が全くなかったために
その効果を実感することなく、これはだめだと半ば使用を諦めて
いた。

 それから二十数年後のことである。私の住んでいる街の市街地を
流れる川が干潮のとき川底が露出して不快な匂いを発していた。
そこへ街の有志が子供たちと一緒にEM団子を作り、EM発酵液と
一緒に投入した。三か月ほどして川底の色が変わってきた。そして
更に三か月、投入してから半年ほど後の事であった。ヘドロは消え
不快な匂いも消え川底は花崗岩の砂に変わっていた。まさに激変で
あった。

 それから私の考え方は大きく変化した。使い方さえ誤らなければ
それなりの効果があるものだということを実感した。それから再び
興味を持ち始め、自分でも発酵液を作り、ボカシを作り、果ては
光合成細菌の培養まで行ってみた。

 そして様々な本を読み、ネット上でEM効果の絶大なことを知り
訪ねて行ったこともある。東京や奈良など大掛かりにEMを使用して
水の浄化や川底のヘドロ対策を行ってきた先進地である。

 さて、本題に戻ろう。今日は畑での効果だとか川や池などの浄化の
ことではない。EMの還元力というものである。私はこの夏、良く
切れる大切にしていた鋸鎌(のこがま)を失ってしまった。畑の
どこかに置き忘れたのだが何度探しても見つからなかった。

 そしてつい先日偶然にもその鋸鎌が見つかった。見るも無残に
赤さびていて、これでは刃こぼれをしているのではないかと思う
ような状態だった。ふと思いついたのがEMの還元力だった。
さっそくボールになみなみとEM発酵液を満たし、その中に鎌の
刃先をどっぷりと漬けてみた。

 そして翌日のことだった。取り出してみると赤さびはなく
黒々とした鉄本来の色を取り戻していたのだ。さっそく水で洗って
詳細に見てみたが心配をした刃こぼれは全くなかった。その色は
力強ささえ感じるほどの打ち立ての刃物の色をしていたのだった。

 実に驚くべきことであった。一口に還元とは言うけれど、どんな
メカニズムによるものだろうか。ちなみに鉄さびは鉄に酸素が付いて
酸化したものだ。そして還元とは酸化したものから酸素が取り除かれ
元の鉄に戻ったものである。EMが果たして赤さびの原因となって
いた酸素を取り除いたのであろうか。
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JR北海道の不祥事に思う

2013-09-28 04:10:02 | Weblog
 かつて在職中にTPMというものに取り組んだ時のことを思い出している。
TPMとは耳慣れない言葉だが、思い出される方も多いのではないかと思う。
私のように工場で設備のメンテナンスに関わった人間なら多少なりとも
思い出す方が多いのではなかろうか。

 TPMを略せば「トータルプロダクティブメンテナンス」TPMを取り組んだ
会社のページを開けば、このような説明がなされている。
”TPM”とは、
生産システム効率化の極限追求をする企業体質作りを目標にして
生産システムの「災害ゼロ・不良ゼロ・故障ゼロ」など、 あらゆるロスを
未然防止する仕組みを構築し、生産部門・開発・営業・管理など全員が参加し
各部門の小集団活動を重複させ “ロスゼロ”を達成する。

 この活動に取り組んで教えられたことは、考えてみれば至極当たり前の
ことだが、機械が壊れて生産がストップすることも、生産量がダウンする
ことも全ては機械を管理している設備管理部門や生産現場にある。広く言えば
会社全体のあるいは工場全ての従業員に責任があるというものであった。

 つまり設備や機械を壊さないように生産を続けていくには、それを管理する
人間がしっかりした意識を持ちながら任せられた部門の仕事をきちんやっていく
ことが前提となっていた。しかし現実にはなかなか難しいことであった。

 設備や機械にトラブルがあれば現場と設備管理部門の責任のなすりあいの
ようになってしまい、なかなか再発防止には繋がらない。こうして生産は
しばしば止まってしまうようなことも少なくなかった。

 簡単に言えば人間サイドの意識を変えない限りいつまでたっても事態は
改善されないと言うことである。

 悲惨な大事故だったJR宝塚線の事故に関する判決が出た。歴代の社長の
責任は問わないという判決であった。果たしてそれで良いのだろうか。
TPMの考えでは全責任は組織全体にあるというものであった。

 この世の中は全てを人間が支配している世の中である。出来事のすべては
人間サイドに起因していると言っても過言ではない。先の東北大震災の被害
にしても一見不可抗力のように見えるけれども、先人たちは様々な教訓を残して
くれた。しかしこうした貴重な経験が生かされていなかった。

 ここから先へは家を建てるなという石碑を無視して新しく建つ家はどんどん
海へ近づいて行った。地震が来たら何はともあれいち早く山のほうに逃げろと
言う教訓も生かされていなかった。全ては人間サイドの問題であった。

 このようにこの世に生ずることの全ての原因は人間にあると言っても
過言ではない。毎日きちんと機械を点検し異常があればいち早く修理や
給油を行う。機械に過剰な負荷をかけない。当たり前のことを当たり前に
していれば、そう簡単に機械は壊れるものではない。経年劣化と呼ばれる
ものにしても、その機械の特性を知ったうえで早めに部品交換をしていれば
壊して生産を止めることはない。全ては人間が意識して初めて解決できる
問題である。

 ではJR北海道の場合はどうであろうか。線路の幅が規定値を超えていても
何もせずに放置していたなど設備管理以前の問題である。そこに何があったのか。
JR宝塚線の事故の時も過剰なまでの過密ダイヤのことが問題になった。
そして若い運転手にはそれまでに何度か運転ミスがあって上司の厳しい監視の
中にあった。その日もダイヤの遅れを取り戻すため急カーブを定められた
速度以上のスピード以上で運転していた。

 背景には過密ダイヤと厳しい労務管理、更には運転手の配属が適材適所
だったのかという問題もある。そうしたこと全ては現場サイドの問題と
言うより、人事管理や過密ダイヤを組んだ会社の経営方針の方に問題が
あったのではなかろうか。

 JR北海道の場合、今のところ幸いにも人身事故には至っていないようだが
鉄道事故は怖い。普通の生産現場なら生産が止まるだけで済むことだが
鉄道事故はダイレクトに人身事故につながる恐れがある。

 やはりJR北海道の組織内に何か大きな問題が発生しているような気がして
ならない。旧国鉄が民営化という名のもとに細分化されて今日の姿になった。
もともと乗降客の少ない地域を持つ北海道や四国など採算が難しいところが
少なくない。そのために合理化と称して支線が廃線となっていった。
そのため廃線となった過疎地はますます不便になり過疎地化に拍車をかけた。
国鉄の細分化が果たして良かったのか。民営化するにしても方法は幾つも
あったはずである。

 今回の原発問題も大都会である東京の大電力を賄うために福島という
東京から遠く離れた場所に大規模な原子力発電所を作ってきた。すべては
東京のためであった。大都会だけが潤い、その陰で地方が犠牲になるような
図式を変えなければならない。

 鉄道も細分化するのではなく東京や大阪や中京地区で稼いだお金で地方の
赤字路線をカバーすれば良い。鉄道が一般の会社のように過剰なまでに稼ぐ
必要はない。便利になっていくところと、ますます不便になっていくところが
あってはならないと思うのである。

 さてJR北海道問題、どのようになっていくのであろうか、早めの解決を
期待したいものである。
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秋の実り

2013-09-27 04:52:39 | Weblog
 コロコロと山の坂道をどんぐりが転がって落ちてくる。つやつやと光る
どんぐりの実。きれいだ。これが自然の美しさなのだろう。御大師様に
ある見上げるような大木。この木の枝にたわわに実っているのがどんぐり。
時には近くの保育園の園児たちが拾いに来ることもある。

 長い長い厳しい夏を乗り切ってやっとたどり着いた実りの秋。昨年は
近所の畑が軒並みイノシシの被害を受け、我が家の畑も惨憺たる有様だった。
そして御大師様の境内でも食い漁ったどんぐりの実がいくつも転がっていた。
今年は近所中が申し合わせたようにネットを張りイノシシ対策を行った。
今のところイノシシの被害はなさそうだ。静かなる秋を迎えようとしている。

 そして我が家の山の畑、ここも実りの秋を迎えている。秋の実りの
代表的なものと言えば柿と栗であろうか。柿はやっと西条柿が熟し始めた。
しかし今のところへた虫の被害によるものか、本格的に熟し始めたのか
定かではない。

 しかし栗のほうは確実に熟して落ち始めている。一昨日の夜は台風の
余波か、かなりな風が吹いていた。翌朝畑に行ってみるといくつものイガが
落ちていた。割れて中が見えるものもあれば、見た目はこれで熟している
のだろうかと思うほど青いものもあった。しかし、割ってみるとこれも
艶々と栗色に光る実が出てきた。もう熟しているのだ。

 昨年の栗のことを振り返ってみよう。昨年も今年と同じように気温が高かった。
そして水不足からか実りを前に大量の葉が落ちてしまった。そして実りの秋、
今度は早々と実が落ちてしまい、落ちたものは一様にクリミガの幼虫が入って
いた。この害虫は栗が熟すころになると姿を見せ始める。恐らくはもっと早い
時期に入っていたものが熟すころ成長をして姿を見せるようになるのだろう。
魚釣りの餌にでもなりそうな虫である。昔はどんぐりに入っている虫や
アザミの花の中に入っている虫を釣りの餌にしたこともある。

 これが入った実は味が良くない。収穫量が少ないときは仕方がないので
被害の少ないものを選んで持ち帰ることもある。しかし、今年は大収穫の
年になりそうだ。この虫の被害にあったものがほとんどない。素晴らしい
出来である。厳しい夏で水不足と異常高温、植物も人間と同じように
弱っていた。植物が弱ると情け容赦なくむしばむのが害虫たちである。
自然界の仕組みはみな同じだ。

 しかし今年はブルーべりの害虫であるイラガの幼虫も、そしてクリミガも
害虫の被害を受けなかった。被害と言えば栗の木の隣の隣にある富有柿の
へた虫による被害だけは収まりそうもない。相変わらず早熟れしたものが
ぼたぼたと落ちている。そのうちに収まりそうに思うのだが、今のところ
収まる気配はまったくない。果たして収穫は出来るのだろうか。
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やっと花が

2013-09-18 05:36:05 | Weblog
 今年は何もかも異常続きの夏であった。ところによっては40度を
超えるような異常高温と熱中症、度重なる各地での集中豪雨、
信じられないような数の竜巻、気象に関しては数え上げれば
切がないくらい色んなことがあった。

 子供のころを振り返ってみると、夏休みに30度を超えるような日が
何日あったであろう。30度を超えると「今日はものすごう暑かったなあ」
であった。日中がどんなに暑い日でも夕方になると気温が下がり始め、
夜も9時を過ぎるとひんやりとした風が吹き始め、鍵も締めずに蚊帳を
つって寝るのが習慣であった。盗まれるような財産も何もない時代の
ことであった。

 やっと芙蓉の花が咲き始め、エンゼルトランペットの花が本格的に
咲き始めた。どうやら植物たちも温度が高すぎると良くないらしい。
例年より開花がかなり遅い。当たり前のことだが植物にも適温という
ものがあるのだろう。こんな夏は今までなかった。

 我が家の夏を少し振り返ってみよう。夏が収穫期となるブルーベリー、
昨年より収穫量が少なかった。収穫量が少なかったのは異常高温が原因と
ばかりは言えないかも知れない。ただ収穫時に助かったのはイラガの
幼虫がいなかったことである。イラガの幼虫にうっかり触ろうものなら
激痛が走り、刺されたところは見る間に腫れてくる。

 あながち防鳥ネットを早くかけたからばかりではなさそうだ。多くの
庭木に付くイラガだが今年は他の木々もほとんど被害を受けなかった。
気温の関係なのか、それとも他に要因があるのだろうか。

 柿や栗は豊作である。栗は熟して落ちる頃になるとガの幼虫が食い荒らし
ぼたぼたと落ちるのだが今のところその様子はなさそうだ。柿のへた虫の害は
今年も変わらない。山の畑では相変わらずぼたぼた落ちている。

 しかし木によってはほとんど害のないものもいある。愛宕柿はほとんど被害は
なさそうである。この違いはなんなのだろう。

 八朔をはじめ夏ミカン、ミカン、安政柑、ネーブルオレンジ、ダイダイ、
柚子など豊作である。昨年たくさん実をつけた伊予柑は裏年(前年豊作だと
翌年はほとんど実をつけないことがある)のようだ。

 我が家の果樹の大半は無農薬、少肥料なのだが毎年良く出来る。決して
環境が良いわけではない。むしろすぐ近くには山がありいくらでも害虫は
飛んでくる。現にイチジクなどは毎年カミキリムシにひどくやられている。
何度も枯れては植え替えている。

 無理をして無農薬栽培を実行しているわけではない。それが楽だし体にも
良いからである。無農薬を続けていく確たる自信はない。ただ何となく続けて
いる。続けていくことが出来ていると言ったほうが良いだろうか。肥料も
極限に抑えている。冬場にわずかばかりの油粕とたまに糠を混ぜて撒いて
いるだけである。化学肥料はまったく使っていない。

 切っても切っても侵入してくる竹と笹、果樹はこれらと競うように成長して
いる。ただ夏場の乾燥だけは散水をすることによってしのいでいる。生き物に
とって水は命である。乾燥し垂れている枝葉を見るに堪えない。夏場の適度な
雨さえ期待できればほぼ完ぺきな自然栽培となるのだが。

 さて全ての収穫はこれからである。いかなることになるやら・・・。
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終わりの見えない原発問題

2013-09-16 06:12:03 | Weblog
 私はかつて高校時代、原子力研究班というクラブ活動に入っていた。
顧問の先生はM先生と言う物理の先生だった。先生の指導の下に、当時としては
もっとも話題性のあったアメリカやソ連やフランスの大気圏内での核実験の
度に飛来してくる放射能について調査していた。

 手法は至ってシンプルであった。ワセリンを塗った紙を広げておき何時間か
経過したのち回収し蒸し焼きにして残った灰をシンチレーションカウンターに
かけて放射線量を測定するというものであった。

 詳しいことは覚えていないが核実験の報道後、必ず何日か後に核実験の塵は
飛来した。学校から少し離れた山頂で採取したこともあった。回収時に道に迷い
暗くなってやっと下山したこともあった。今となっては懐かしい思い出である。
こうした苦労も興味のほうが先に立ち、苦労を苦労とも思わなかった。元気の
いい青年時代のことであった。

 こうした調査を続けていたある日、先生から野菜の葉に直に感光紙を当てて
調べてみたらどうかという指導を受けた。さっそくキャベツだったか白菜だったか、
とにかく大きな葉物野菜を感光紙の上に置いて、しばらくした後に感光紙を
現像してみると、驚くことに点々としみのように白くなったところが写っていた。
すべては放射能によるものであった。放射能の強い電磁波によって感光紙が
感光したのだ。その数は並みの数ではなかった。大小の点々が無数と言って
いいほどあったのだ。

 あの当時、マスコミの報道はどうだったのだろうか。確かに被爆国として
声高に核実験反対を叫んでいた。しかし放射能による健康被害の報道は
されていたのであろうか。ほとんど記憶にない。記憶にあるとすれば葉物野菜は
できるだけよく洗って食べなさいと言うくらいのものではなかったろうか。

 むろん水道水も飲んだであろうし野菜も食べたであろう。あの当時、南半球も
北半球もすべてが放射能に汚染されていた。核実験は何度となく繰り返し行われた
ために減少してはまた増え、増えては減少していくことを繰り返していたはずである。

 そのうち、大気圏内の核実験はインドが加わりパキスタンが加わり中国が加わった。
地球上に撒き散らかされた核物質の量は並みの量ではない。中国からの塵は偏西風に
乗って一挙に中国本土や日本列島や朝鮮半島などを襲ったに違いない。

 かつてビキニ環礁付近で日本のマグロ漁船がアメリカの核実験による死の灰の
洗礼を受けた。このときは乗組員にすぐ影響が現れた。放射能被爆による体の
急性異常であった。船員さんたちにひどい放射線障害がでたのだ。
今ではほとんど忘れ去られてしまった感のある第五福竜丸事件である。
むろんビキニ環礁付近に住む南の島の住民たちにも大きな被害をもたらした。

 大きいとはいえ地球は一つである。その影響は一か所にとどまらない。
広く地球全体に害を及ぼす。放射能は手の付けられない厄介者である。
人間が素手で扱うことができないようなものをなぜ使ったのか。悪魔の誘惑に
負けたとしか言いようがない。

 私はチェルノブイリの原発事故があった時、そして福島の原発事故があった時、
言いようのない恐怖に襲われた。世界中にばらまかれたわずかな塵の中でさえ
感光紙を著しく感光させてしまうような放射能が見て取れた。

 水素爆発とは言え今は原発というまさに核爆弾と同じものようなものが、
異常反応を生じ今も続いているのだ。この手の付けられないようなものを
誰がどのようにして収束させようと言うのであろうか。

 そしてこの地球上には数えきれない核爆弾や核施設がある。今回の事故の
ようにいつなんどきこのようなことが生じるかもしれない。そうなればますます
放射能汚染は広まるばかりである。

 放射能による環境問題は他の環境問題と同じテーブルで語ることはできない。
しかし人間という欲望の塊がこのような危険極まりないものを作り出したことは
間違いない。欲望におぼれ豊かな生活を追求した結果が電力を必要とし原発を
許してきた。悪魔の誘惑におぼれたとしか言いようがない。

 そして今も福島もチェルノブイリも終わってはいない。また核兵器は未だ
温存されたままである。制御不可能なものをなぜ作ったのか、そしてなおも
作ろうとしているのか。その原爆や原発の恐ろしさを一番良く知っているものが、
他の国にそれを売ろうとしている。正気の沙汰とは思えない。

 知らないということは恐ろしい。原発といえども周辺機器は化学会社でいう
高圧設備に他ならない。熱源が核燃料というだけのことである。だからこそ
原子力保安院と言うところが化学会社の高圧設備と原発とを管理している。

 しかし現場のことは現場を経験したものしか分からないことがたくさんある。
冷却系の配管が壊れたら原発の冷却はできない。水で冷やすことが出来なければ
今回のような悲惨な事故となる。

 私自身も使用済みの核燃料棒が冷やし続けなければならないものだとは知らなかった。
そのようなものが他にこの世の中にあるだろうか。実に厄介なものだ。冷却系の
配管はいくら頑丈に作ったと言っても老朽化していく。地震にも弱い。
今回も地震がもっと強烈だったら津波ではなく地震で壊れていたかも知れない。

 その程度のものが原発にも使われているのだ。一方、冷却に使うポンプもポンプの
動力源である電動機も電気制御設備も水には弱い。水をかぶったら再び使うことは
出来ない。

 こんな自然災害に弱いものを使っているのが原発である。そしてなお怖いのは、
その恐ろしさを知らない人が経営トップや政治家にいるという事実である。

 所詮、原子力設備と言えども人間サイドの問題なのである。この人間が
考えを変えない限り原発問題は終わらない。私たちは電気という貴重なエネルギーを
いとも簡単に手に入れている。そのために水道の水と同じような次元で考えては
いないだろうか。便利さゆえにその便利さにおぼれ湯水のように使ってきた。

 一人一人がもっと省エネを心がけ電気の使用量を減らさなければならない。
それが地球温暖化を軽減し原発を一基でも止めることにつながらないだろうか。
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台風18号

2013-09-15 05:40:35 | Weblog
 夜中から雨のぱらぱらという音がし始め夜明けには本格的な雨になった。
久々の雨である。畑にとってはこの上ない恵みの雨となった。

 今日こそは畑を耕し種を蒔こうと準備していた蕪の種まきは中止。この
雨が止んでからにしよう。それにしても今年ほど不純な天気の年は少ない。
多くの行事やイベントが雨に泣かされてきた。

多少雨不足と異常高温とにさらされてきた果樹であったが今年の出来は
上々と言えよう。八朔、夏ミカン、ミカン、ダイダイ、ゆず、レモン
ネーブルオレンジ、安政柑など柑橘類はいずれもたわわに実っている。
そして、秋の代表的な果物である柿、栗、いずれの収穫も期待できそうだ。

 しかし、油断は禁物である。かつては収穫をまじかに控えていながら
強風を伴う台風で完全にやられたこともあり、レモンなどは木が裂けて
しまったこともあった。私の口癖だが収穫の喜びは口の中に入るまで
分からない。

 今降っている雨や台風による被害も大きくなければ良いのだが。
さて10月は近い。10月に入ると色んな行事が始まる。地元の八幡様の
秋祭り、恒例の児島繊維祭、そして新たにセンターからジーンズストリート
を中心に行われる「こじまブルーインターナショナルアートフェスティバル」
等である。

 その「こじまブルー・・・・」であるが、春の反省から秋は児島の
代表的な産業であるデニムをはじめとする繊維産業活性化と芸術を
基調にした一大イベントに大きく舵を切った。このイベントは先細り
感のある児島の繊維産業の活性化による町おこしの行事である。

 いかに地場産業を活性化し人口減を食い止めるか、地元にとっては
大きな課題である。若者を地元につなぎとめる産業がない。これは
地方都市が共通に抱えている悩みである。都会だけに人口が集中し地方は
疲弊の一途をたどっている。

 しかし国も地方も若者が将来の鍵を握っている。戦争で疲弊した日本を
経済大国と言われるまでにしてきたのは田舎から大量に動員されてきた
若者達であった。「ああ上野駅」という流行歌に自分の人生を重ね合わせて
感慨にふける人も少なくないだろう。明治維新然り、若者のエネルギー
抜きでの日本の未来はない。

 私は残された自分の人生を若者たちにかけている。実はセンターの仕事を
引き受けたのも、その思いがあったからである。私たち世代が培ってきた
様々なノウハウを少しでも伝達しておきたい。今はその思いでいっぱいである。
 
 私たち世代は何もない状態から出発した。ある意味何もないことが
原動力となり日本の戦後を作ってきた。作ってきたと自負している。
そして登りつめるところまで登りつめ一気に急降下、どん底も見てきた。
そして定年が目の前に見えてきたころ、どん底を這うようにして次の
世代に手渡すべきレールも敷いてきた。

 思い残すことは何もないが、心残りなのは未曾有の災害を受けて
打ちひしがれている人たちに何らかの希望の灯を灯したいという
思いだけである。

 私には日本人の血が色濃く流れている。天災の多いこの国に生まれ
何度となく完膚なきまでやられても、その度にひるむことなく立ち上がって
来た民族の血である。こんな国民は他国にはあまりいないのではなかろうか。
何度でも雄々しく立ち上がる姿こそ日本人である。そして日本人は無類に
優しい。たくましさと優しさこそ日本人の特質ではないだろうか。

 時は西暦2013年、日本歴では平成25年、今こそ新しい日本という国を
作るために心を一つにしたい。
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イノシシ横行す

2013-09-13 16:29:19 | Weblog
 私は今、児島市民交流センターに勤めている。3年10ヶ月と
いう契約である。主たる業務は講座を開いたりイベントの企画運営
である。とは言いながら活動の範囲は広い。人と人を繋ぐ役目も
私の仕事だと思っている。

 そんな中、昨年の夏は大変だった。ただただ仕事に夢中で心ならずも
肝心な畑から心が遠のいていた。今の畑は私が何年もかかって今の姿に
してきたものだ。畑で植物を育てるということは容易なことではない。
少しでも手を抜くとたちまち元の自然の状態に戻ってしまう。こうなって
しまうと元に戻すのは難しい。

 まして我が家の畑は二か所とも竹藪の傍にある。竹の根が次々に
入ってくるのだ。簡単に竹藪になってしまう。以前にも書いたことは
あるが、竹はまるで強力なポンプのようなもので畑の水分も養分も
吸い取ってしまう。そしてその根の伸長は早い。一年間で何メートル
もの根を何本も伸ばす。太い根幹から毛細血管のような小さな根が
無数に伸び、その先端から畑の水分や養分を吸い取っていく。細根の
周辺は乾ききっている。

 昨年の夏はそのような状態であった。その上のイノシシの被害で
あった。私の近所では長くイノシシの被害に遭うことはなかった。
それが昨年の夏の盛り、近所の畑でサツマイモが掘り取られたと
いう話を聞き、その畑に行ってみるとサツマイモは掘られて蔓だけに
なっていた。

 そんな被害の後、一か月ほどして我が家にもやってきた。
イノシシは一度だけでなく何度もやってきた。そしてネットを
張ったのだが、にわか仕込みの防御対策だけでは何の役にも
立たなかった。サツマイモは完全に掘り取られ収穫はゼロで
あった。そのサツマイモは苗から作った新種のサツマイモで
あった。残念なことこの上なかった。

 イノシシは何でやってきたのだろう。むろん餌を求めてきたに
違いないが我が家の畑ばかりが何度も襲われたのである。その違いは
なんだったんだろうと今もって謎は解けない。青色のLED電球を
下げてみた。まったく効果はなかった。ネットも効果はなかった。
とうとう最後の手段で電撃を発する電気柵にした。

 電気柵、この優れものは直流で動く。直流をパルス発生装置と
昇圧トランスとで昇圧したものを張り巡らした電線に流している。
7000ボルトという超高圧である。電流が少ないので死ぬような
ことはないがかなりなショックを感じる。長靴を履いていても感じる
のであるから、長靴など履いていないイノシシにとってかなりな
衝撃ではなかろうか。

 こうして約一年をかけて荒れた畑の修復とイノシシ対策を行ってきた。
勤務し始めた時は、この三年間は畑が荒れても仕方がないと思ってきた。
しかし畑というものは「足音が肥やし」と言われるように足しげく通う
ことがもっとも大切なことのようである。

 こうして今は早朝に畑に行き一時間から二時間ぐらい手入れを続け
それから児島市民交流センターへ出勤するという毎日を続けている。
今年の夏、今のところ近所にも我が家にも被害はない。今はただ
何事もなくこの夏が終わることを待っている。
 
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生物の進化

2013-09-13 05:22:25 | Weblog
 わけあって生物の進化について勉強を始めた。これがなかなか面白い。
この宇宙は謎に満ちている。この先で触れることがあるかもしれないが、
この世のものは大から小に至るまで同じような構造をしているとか、
木の姿形は人間の血管や川の流れに似ているとか、この宇宙の成り立ちの
一端を見るような事例も少なくない。

 私は幼少のころから、そんな不思議に少なからず興味を持っていた。
陽子と中性子を核としてその周辺をいくつもの電子が取り囲んでいる。
この構造を知った時、そういえば太陽を中心とする太陽系も、更には
アンドロメダのような星雲も同じような形をしていると不思議に感じた
ものだ。木を眺めた時に木の上の枝の姿と根の部分の姿が似ていることにも
不思議さを感じていた。

 こうしたことは見過ごしてしまえば何でもないことなのだが、そんな
ことに気付いたとき、この世の中は単なる偶然ではなく必然的な力が
働いて今の姿になっているのではないだろうかと思えてきた。

 さて話を生物の進化に戻そう。最近になってやっと微生物に関する話題が
増えてきた。むろん、ずっと昔から目に見えない世界に興味を抱いてきた
人も少なくないとは思うのだが、昨今の研究による進歩は著しい。

 たとえば植物の根と土中に住む微生物との関係である。両社は互いに依存
し合って生きている。微生物は植物から自分に必要なものを貰い、植物は
微生物から成長に必要なものを得ている。

 実は微生物の進化にもそのような互恵関係が見られるのである。原核生物
から真核生物への進化に原核生物同士の共生関係が見られるようなのである。
実は、この生物界はすべてお互いに何らかの形で依存し合って生きている。
サンゴは体の中に植物プランクトンを住まわせ植物プランクトンが作り出す
ものを餌にしている。植物プランクトンはサンゴの体を借りて繁殖している。
いわば互いに共生関係にある。

 しかし人間はどうだろう。生物の互恵関係の枠外にあって生物界の微妙な
バランスを壊しているのは人間である。生物界のバランスの一角が壊れて
しまうと修復は不可能となる。その自然破壊の歴史が人間の歴史でもある。
幾多の文明が壊れてきたのも他ならぬ人間自身の自然破壊によるものだ。

 この地球上のものは、すべてのものが一つ一つの人間の細胞のように
欠くことのできないものとして存在している。それらは進歩の初めから
あたかも約束されたもののように作られ進歩してきた。

 そうしたバランスが人間の手によって急速に破壊され今や絶滅したものや
絶滅危惧種は数知れない。そして私たち人類自身の足元にも絶滅の危機が
迫っている。
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近況あれこれ

2013-09-12 04:11:47 | Weblog
 時はあわただしく流れていく。いつの間にか夏がゆき秋が訪れようとしている。
周辺を見渡せばところ構わず彼岸花がつぼみを伸ばしている。もうそんな季節
なのだ。

 昨日は月一回の子育てサロンプーさんがあった。もう何年も前から開いている
子育て中の母と子の会である。母親たちの孤立が我が子の虐待につながっている
という思いから、出来れば母子が集う場を作り、お互いの悩みを打ち明け交流が
できる場を作りたい。そんな思いから始めたものだ。

 母子の入れ替わりはめまぐるしい。会を重ねるごとに幾組かの新しい親子が参加し
反対にいつしか顔を見せなくなった親子も少なくない。そうかと思うと久々に次の
赤ちゃんを抱いてくる母親もいる。珍しいといえばパパが子供を連れて来たり
夫婦で参加する親子もいてなかなか楽しい。

 しかし、こうした場に出てきてくれる親子は良い。なかなか出てくることが
できない母子も少なくないらしい。一度か二度参加してそれ以降出てこない
母親もいていつも気になっている。大した手助けもできないのだが、それでも
いくらかは役に立てているのではないかと今も続けている。

 ありがたいことに世話をしているスタッフも来てくれるママたちの親の世代である
私たちが中心なのだが、初めからスタッフの人もいれば途中から参加してくれた
人もいて、みんな和気あいあいと楽しくやっている。

 こうした母子の集まりの中から「こじmama」という集まりが誕生した。
きっかけは子育てサポーター養成講座であった。この講座に参加してくれた
若い母親たちに今何がしたいかと問いかけたところ正直に子育てから離れて
自由な時間が欲しいとのことであった。それならどうしたら良いと思うと
問いかけたらグループの半分が子守をし、残りの半分が習い事や自由な時間に
使ったらどうだろうということで今に続いている。

 その集まりも習い事や自由な時間ばかりでなく、自主的に映画鑑賞会や地域の
イベントの一翼を担うことができるまでに成長した。今は中心になる仲間たちが
集まって計画を立て具体化のための準備に忙しい。どうか無理をせずに長く続けて
ほしい。そして活動を楽しんでほしい。

 見ず知らずの者同士が何かのきっけで知り合いになり親しくなって絆を深めて
いく。こんな素敵なことはない。これからは家族ぐるみで交際できるような
仲間になってほしい。

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