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人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

エコフェスタ岡山2006

2006-10-31 06:31:44 | Weblog
 エコフェスタなるものが各地で行われている。ここ岡山県でも先日の
10月29日にエコフェスタ岡山2006なる催しがコンベックス岡山で
開催された。
 屋内外の広いイベント広場では舞台が設置され、色んなブースが設置
されて大勢の見学者で賑わった。見学者の中には親子連れも多かった。

 私は岡山県環境保全事業団が主催するブースの一つに球温暖化防止推進員
の一人として参加した。ブースは六区画に分かれていたが、担当ブースは
順番で言えば最後のブースだった。缶バッチ、ピーターラビット、手作り
のフォトスタンドを準備して訪れる人達を待った。
 既に、この日は朝から人が多かった。それだけ事前の宣伝が行き届いて
いたと言うことだろうか。それとも環境問題に関する関心が高いのだろうか。
それに、お天気が良かったことも幸いしたに違いない。

 舞台では児童達の作文や絵画、一般から募集した「もったいない」川柳
などの表彰が行われ、リサイクルに関するトークショーや忍たま乱太郎
ショーなどが行われていた。
 私達のブースも一時は大勢の人が集まって、てんてこ舞いの状態だった
が、何とか無事終了した。この日、フォトスタンドの制作指導に家内も
同行した。私達はフォトスタンドの制作を私達夫婦とK君の三人で担当
した。竹を利用したK君のアイディアのよろしきを得て、皆さん足を止めて
感心をしながら見ていたようだ。

 それにしても環境問題をアピールすると言いながら、夥しい紙の量
(パンフレット等)と景品として配られた品物の量であった。いずれ
これらは捨てられて廃棄物になることを考えると素直には喜べなかった。
 いったい、今日来てくれた人達の何割くらいが真剣に環境問題を考えて
くれただろう。
 また、企業の出展が少なく貧弱だった。出展した会社は数えるほどしか
なく、これほどまでに企業の感心は少ないのだろうか。このような催し
には向かないのか、それともこの程度の取り組みでしかないのだろうか。
 私の企業では、このような工夫をしてこれ位のCO2の排出削減を
行っていますとか、こんな工夫をしてゼロエミッションに挑戦しています
と言った展示ブースが一つくらいあっても良かったのではないだろうか。
 水島コンビナートでは、どの企業も大なり小なり環境問題に対しては
企業イメージアップからも環境問題に関しては真剣に取り組んでいる。
そうした展示は、必ずや見学に来た人達に対し、自分たち自身も真剣に
取り組まなければならないことを喚起出来るに違いない。

 私達の目指すべき方向は、ゴミと言われるものを少なくし、環境に負担
をかけないことだ。また、石油など化石燃料を使ったら、必ず環境負荷と
なってしまうのだから、使わない工夫が必要ではないだろうか。
 また、使ったら燃やしてしまうのではなく、必ず回収するシステムを
作ることが必要だ。

 最近、「ロハス」なる言葉を盛んに耳にするようになった。一時はスロー
ライフが流行語だったが今はロハスの時代だ。ロハスなる言葉はLifestyle
of health and sustainabilityという英語の頭文字を使った略だとか。
簡単に言えば「健康と持続可能な社会に配慮したライフスタイル」と言った
意味らしい。
 「ロハス」なライフスタイルとは、「安ければいい」「効率がよければ
いい」という従来型の選択基準とは異なり、「それは自分や他人のカラダ
に悪い影響を与えないものか?」「それは地球環境にとってマイナスに
ならないものか?」をまず考え、それによって消費や行動を選択していく
という考えに基づいたものだ。
 「健康」と「地球環境」は本来切り離せないものだ。地球がボロボロで
自分だけが健康なんて、あり得ない。今や瀕死の状態にある地球、その
地球に依存して生きている私達も、その他の生き物も近年の著しい環境の
変化によって滅亡の危機にある事は間違いない。

 また、「ロハス」な生き方は仏教思想そのものである。自然と人間が
相対するべきものではなく、ともに生死を同じくするものであること。
自然は私達によって克服されるべきものではなく、私達自身もその中で
生かされていること。そんな運命共同体的なものの考え方、もっと言えば
人もまた自然の一部であること再認識すべき時に来ているのではない
だろうか。
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Pボート文クラブ同窓会

2006-10-27 22:34:52 | Weblog
 船を降りて以来二年間、こんなに長く交流が続くことも珍しいのでは
ないだろうか。今までにも色んな集まりがあった。その一つが、Pボート
文クラブの同窓会である。

 この日、よりによって新幹線事故で四人の仲間の到着が二時間近く遅れて
しまった。何でこんな日にと、偶然の出来事をいささか恨んだりしたが、
仕方がないことであった。そんなハプニングもあったが、全国から無事、
総勢19名の仲間が集まった。(10月25日~26日)
 Pボート文クラブの同窓会とは言っても全ての人がそうではなかった。
中には懐かしさの余り、みんなに会いたいからと特別参加したという人も
いた。それはそれでいっこうに差し支えなかった。同じ第47回の船に
乗った者同士、いささかの気兼ねも気遣いも必要はなかった。 Pボート
文クラブは千客万来なのである。
 そもそもPボート文クラブなるものはピースボートが企画している地球
一周の旅の中で始まった。102日間に及ぶ長期旅行の体験記を書こうと
言うことから始まった自主企画であった。私も仲間の一人であった。

 児島駅から始まった今回のツアーは私が企画した。マイクロバスで
「むかし下津井回船問屋」「田之浦海岸」そして「鷲羽山」へと移動した。
そして児島の宿泊施設の中でも群を抜いて見晴らしが良い国民年金センター
「しもつい」に着いた。
 鷲羽山からの眺めと宿泊先からの眺めはいささか異なるが、皆さんの
感動は同じであった。鷲羽山からは瀬戸大橋を一望し、ここからは水島
灘が一望できた。同行者は地球を一周し、世界中の数多くの観光地を見て
きた人達ばかりであった。それでも、この景観は格別なものであったに
違いない。この素晴らしい景色を皆さんに見て貰いたかったからこそ、
この地での同窓会を企画したのである。
 穏やかな瀬戸の海、散りばめられた大小の島々、今は景観の一部になって
しまった瀬戸大橋。これらは、世界にも誇るべき景観美であることは間違い
ない。
 また、この地は日本夕日百景の一つにも選ばれた地である。残念ながら
この日の夕焼けはこぢんまりとしたものであったが、それでも荘厳な落日は
初めての人にとっては感動だったようだ。案内をした私としては何とか面目
を施した次第である。自然ばかりは、その日その日で異なるからどうしよう
もない。

 夜は下津井の蛸やメバルの料理を堪能して貰った。そして、一人一人の
近況報告。さすが旅行好きな人ばかり。皆さん船を降りて後も海外旅行も
たくさんされているようで、そんな報告も多かった。
 中にはインターネットを駆使して計画した旅行スケジュールに基づいて
個人旅行を楽しんでいるという旅行の達人もいた。外国暮らしが長かった
というご夫婦は毎年のようにレンタカーでヨーロッパ各地を走り回って
いるという人もうらやむような人もいた。
 みんなそれぞれに人生を楽しんでいる人ばかりであった。そして、程良く
酔って別の部屋で更に歓談。夜更けてやっと床に就いた次第である。

 翌朝はお風呂から朝日を眺めゆっくりと時を過ごした後、朝食。そして
八時過ぎに出発。途中、クラブの会長を児島駅で降ろし、バスは美観地区
を目指した。秋にしては少し日差しが強かったようだが、文句なしの観光
日和であった。
 美術館前の「今橋」のところで記念写真を写した後、二手に分かれた。
一グループは大原美術館に、もう一グループは私の案内で市内を散策し
買い物も楽しんだ。こうして昼前には合流し昼食を済ませた後に解散した。

 ある人達はこれから次の目的地へ。ある人は列車の時間まで美術館に。
ある人達は少しだけチボリ公園に。本当に遠路はるばるご苦労さまでした。
これに懲りずにまたのお越しをお待ちしています。またの機会には民宿
「やぶき」が皆さんのお越しをお待ち申し上げています。
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危機的な地球環境

2006-10-25 06:23:57 | Weblog
 手許に小さな修了証書がある。証書には省エネルギー普及のための人材
研修」と書かれている。主催は経済産業省資源エネルギー庁となっている。
講習に先だって「省エネナビ」なるものを貸して貰い、我が家に設置して
いる。

 講習は二日間、高松市であった。省エネに関しては各省庁が独自の形で
取り組んでいる。取り組んでいるとは言っても、その効果が期待できる
ほどのものは少ない。日本は京都議定書で約束した二酸化炭素6パーセント
の削減をどのようにして達成しようとしているのだろうか。一般国民にその
姿はなかなか見えてこない。

 実は我が家にはソーラー発電システムを設置している。投資に見合う
だけの回収はまず不可能だと知りつつ、瀕死の状態にある地球に対し、
何もしなというのは罪だと思い設置した。
 我が家に設置した当時にはあった「なみだ金」ほどの補助金も支給が
打ち切られてしまった。どうやら国の政策は自然エネルギー指向ではなく、
原子力発電推進の方に傾いているようだ。
 ヨーロッパ諸国の中にはチェルノブイリの原子力発電所の大事故以来、
原子力発電をやめてしまった国もある。原子力発電も大きな視点から見る
と環境汚染の脅威を秘めている。ひとたび、この小さな国、日本の中で
チェルノブイリのような事故が発生した場合、環境破壊は計り知れない。
それどころか、住むところさえなくなってしまう可能性だってある。

 さて、話を元に戻そう。環境問題は地球温暖化の問題に止まらない。
現在の私達の生活そのものが環境汚染源となっている。60億人もの人間
を養うために地球は酷使され続けている。これだけの人間を養いつつ地球
環境を守るためにはどのようにしたら良いのだろうか。
 経済産業省は経済発展を考えながら、二酸化炭素などの排出量を押さえ
ようと言う考え方である。果たしてそんな事が絵に描いた餅のように旨く
行くのだろうか。
 確かに、今の生活を五十年いや百年前にまで引き戻せと言われても急に
出来るものではないかも知れない。しかし、このまま行けば加速度的に
温暖化は進み、気が付いたときには後には引き替えす事が出来なっている
事は間違いない。
 現状維持ですら温暖化は更に進むだろうと言われているのである。それ
にも関わらず、政策的には無為無策のように思えてならないのは私だけ
だろうか。クールビズは浸透したけれど、それ以上の政策は見えてこない
のである。
 小学校から高校まで省エネ教育や地球環境問題が語られているだろうか。
私の知る限りにおいては何も行われていないのが現実である。彼らの将来
が危ぶまれているのに何もしないとはどういうことなのだろう。
 わずかばかりの資金援助が自然エネルギー利用促進に貢献するとは思え
ないが、何の補助もないよりはましである。その補助金さえ打ち切って
しまうとは、政府の今まで言ってきたことはジェスチャーだけだったのか
と思えてくる。

 地球環境に関する問題は一人一人の問題であり、利害関係はみんな一緒
である。郵政の民営化とは大きく異なる。それ故に、みんなの問題として
国を挙げて取り組むべき政策ではないだろうか。
 あのタイタニックは当時の技術の粋を集めて完成された完璧な船だと
言われた。戦艦大和も浮沈戦艦だと言われた。しかし、その神話はもろく
も崩れたのである。何の手も打たず船が沈んでしまって気が付いたのでは
遅いのではないか。
 みんなは地球のことを浮沈戦艦だと思ってはいないだろうか。既に船底
には小さな穴が無数に空き水が漏れ始めていると言うのに。穴が小さな内
に塞がないと取り返しのつかないことになってしまうのは間違いない。
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ピースボートに乗って2年目

2006-10-23 23:12:25 | Weblog
 早いものである。10月22日は、私達がピースボートに乗って東京
晴海埠頭を出港して2年目になる。この日、会社のOB会があった。
ここでもピースボートに乗った経験談を問われるままに語った。いくら
語っても語り尽くせない経験であり、いくら語っても全てを伝えきること
が出来ない経験でもあった。

 そして、10月25日、26日とこの船で一緒だった仲間達20名が
一同に会することになっている。同じ体験をしたもの同士、この場に集ま
れば共通の体験者として思い出話に花が咲くことになる。
 それが楽しみで、こんな集まりを幾つも企画し参加者に喜んで貰って
きた。今回はピースボートの旅行記を書こうという目的で集まった人達を
中心とした集まりだ。しかし、それは表向きの理由で要は関係したものも
そうでないものも一緒に集まって多いに語り明かそうというのが目的だ。

 さて、そんなピースボート繋がりが縁となって行うのが活弁シネマライブ。
今日も地元の話題をテーマにしているエフエムくらしきの番組協力スタッフ
の人と会ってきた。25日に放送するという番組で児島市民文化祭とその
中で行う活弁シネマライブのことを取り上げてくれるとのことだ。
 先日は私自身が、このことを伝えるために生出演したばかりだ。同じ
テーマで二度も取り上げてくれる事に感謝している。

 ピースボートの経験は私達夫婦に多くの友人を作ってくれただけでなく、
新たなる活動の場をも提供してくれた。それが健康生きがいづくりアド
バイザーであるし、地球温暖化防止推進員であり、更には活弁シネマライブ
である。
 ピースボートの経験は私達夫婦の生活に深く根を下ろしたようだ。そして、
線から面への広がりが始まっている。大変楽しみな事である。人の縁と
いうようなものは、こんな形で作られて行くのだろうか。昨日まで見ず
知らずだった人が、今日からは知人になり更には友人に変わっていく。

 それにしても、この気温は異常ではないのだろうか。雨上がりの午後も
秋らしさは少しも感じられず、むしろ夏のような蒸し暑さだった。
 畑には一度は枯れてしまったと思われる夏草が芽を出し、いつの間にか
大きくなっていた。そして、本格的な春になって咲くはずの「ホトケノザ」
が早くも咲いていた。いったいこの国の気候はどうなっているのだろう。
 大きくなり過ぎたキュウリを捨てていたらツルが伸び花を付け、立派な
キュウリになった。もう何本収穫しただろう。
 ピーマンは適度な水を得てどこへ出しても恥ずかしくないような立派な
実を付けている。
 
 一方、この気温で大きな被害を被ったものもある。それはハクサイだ。
立派なハクサイを期待していたのだが、かぶせたネットの中でもヨトウムシ
の被害にあって、葉がレース状態になってしまった。ネットの効果もあまり
なかったようだ。そう言えば隣近所でも同じような被害の話を聞いている。
 どうやらヨトウムシが異常発生しているようだ。目に見えて温暖化の
影響が現れているような気がしてならない。自然は変化に敏感だ。人には
感じられない変化も虫や植物は敏感に感じているようだ。
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釣り

2006-10-22 07:29:00 | Weblog
 潮流の変化は早い。そして、当然の事ながらとどまることがない。潮の
変化に従って釣果は変化する。特にサヨリのような回遊魚の場合、その
変化は潮流の変化と共にあるようだ。

 10月20日(金)大潮の初めの日、満を持して釣りに出かけた。釣り
の釣果だけは行ってみなければ分からない。前回は良く釣れたからと言って
今回も同じようにと言うわけにはいかない。
 定年前にはシーズンになったら毎日でも行ってみたいと思っていたのだが、
実際にその日が来てみると意外にも何だかんだと用事が多く、なかなか行け
ないことが多い。一つには、このシーズンの行事が多いこと。これは自分
自身でそうした事なので誰に文句の言いようがない。
 そして、人間というのは得手勝手なもので、いつでも行けるようになる
と、まあこの先にも機会はあるさと決断がつかないものだ。だから今回の
ように忙しくても思い切って行く決断をしないと、いつまでたっても行く
ことは出来ない。

 そんな多忙な中での実に貴重な一日だった。サヨリは大潮の日を選んで
いく事にしている。これは潮の動きが大きいほどサヨリの寄りが良いよう
に思えるからだ。そんなわけでシーズンの中でも特定な日になってしまう。

 今回は実に一年ぶりの釣りであった。いつもの渡船業者のプレハブ小屋
を通り越してしまうような失態をしてしまった。と言うのも、例年なら
ここだけはこうこうと明るいからだ。ところがその小屋の中に人影はなく、
広い駐車スペースにも大きな物が置いてあって、すっかり周辺の景色が
変わってしまっていたのだ。
 だから、ついつい見落として通り過ぎてしまったのだ。午前六時まで、
あまり時間はなかった。大急ぎで別の渡船業者の小屋へ行くと釣り客が
数人待っていた。やれやれ間に合った。

 釣り客を迎える小屋らしく壁一面に誇らしげな釣り客の写真が貼って
あった。手にした獲物は全て大型のタイやチヌといった魚であった。ふと
カウンターの側面に貼ってあった料金表を見ると、私が行こうとしている
島渡しの料金は2500円になっていた。去年までは1500円だった
のにと思って待合い客に聞いてみると、実はこの周辺の渡船業者一斉に
値上げしたとの事だった。そう言えば料金表には周辺業者の名前も出て
いた。やはり燃料の値上げの影響だろうか。これでは何回もは行けないなと
思った。

 さて、舟は定刻の六時に港を出て、途中一人の釣り客を降ろした。瀬戸
大橋の橋脚の根元であった。わずかしかない足がかりでどのようにして釣る
のだろう。危険を承知の釣りのようだ。
 さて、その次は私の番だった。島には既にチヌ釣りの老人が来ていた。
いつもの橋の下当たりまで行くと薄明かりの中できらきらと輝く魚の姿が
あった。やはり、この時間だとサヨリは集まっているようだ。
 はやる気持ちを抑えながら準備をする。第一投目、見事に餌を取られて
しまった。それにしてもこの群のすごさは。とにかくわずかな潮の流れに
逆らって集団で泳いでいるのだ。群の中には上から見ただけでも分かる
ほど大きい物もいる。
 こうして次第に明るくなってきた島の堤防で釣りを続けた。その内に
向かいの島影から真っ赤な朝日がぽっかりと浮かんできた。多少、靄が
かかっているのか、決して強烈な朝日ではない。まるで作り物のような
真っ赤な太陽だ。

 しかし、釣りも決して一様ではない。良く釣れる時もあればしばらくは
釣り落としてしまうこともある。サヨリの喰いの甘さによるものだろうか。
中には素早く餌だけを取って逃げるのもいる。
 余談ながらこの島には野良猫が多い。こんな人住まぬ離れ島に猫はどの
ようにして住み着いたのだろうか。猫達は余程飢えているのか、人が来る
と近くに寄ってくる。そして釣り落とした魚を狙っている。
 だから堤防に落ちた魚をそのままにして置くわけにはいかない。大急ぎ
で取り込まないと横取りされてしまうからだ。いったい、この島に何匹の
猫がいるのだろう。親はどれで子猫はどの親から生まれたのだろう。三毛
猫もいれば虎猫もいる。パンダのような顔をしたのもいる。

 私自身の不慣れなこともあって糸が縺れたり、自分の服に引っかけたり
と、この日はさんざんであった。しかし、間断なく釣れ続けた事は幸い
だった。その内に突然のようにサヨリの姿が見えなくなってしまった。
それは縺れた糸をほどいていたわずかな間の変化だった。
 あの群はどこに消えたのだろう。その頃から潮流にも変化が現れた。
沖の方では大きな流れが見え、ところどころでは小さな渦を巻いていた。
サヨリの群は潮の変化に実に敏感なようだ。刻々と変化する潮の流れの
中で泳ぐ場所を変えているのだろうか。

 魚の姿は見えなくなったが、全く釣れないと言うわけではなかった。
試しに半分に切った餌の頭の部分を付けてみた。すると投げ込むとすぐに
大きな当たりがあった。竿先が大きくしなるほどの大物だった。どうやら
しっぽの方には見向きもしない大物だったが、頭の方には何か惹かれる
ものがあるのだろうか。実に喰いが良い。単なる偶然ではないようだ。
同じ手口で何度でも釣れたからである。
 しかし、大物釣りも長くは続かなかった。その内に全く釣れなくなって
しまった。こんな事を繰り返しながら十一時近くまで釣っただろうか。
潮の変化は足元近くまでやってきた。まるで油を流したようなのっぺりと
した潮の流れになり、潮位は更に高くなった。
 この日の満潮は十一時頃だった。この後もしばらくはぽろぽろと釣れた
がレジャックス推薦の撒き餌をしてもサヨリは寄ってこなくなった。サヨリ
の場合、姿が見えなくなっては釣りにならなかった。

 少し早じまいながら午後一時過ぎには二時の迎えを頼み帰る準備を始めた。
まあ、そこそこの釣果であり良い釣り日和だったとしよう。目の前に広がる
広々とした海の景色を見ながらの釣りは心癒される。命の洗濯とでも言った
ところでもあろうか。頭を空っぽにしての釣りであった。
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人を巡る様々な出来事

2006-10-19 08:47:03 | Weblog
 今、人を巡る様々な出来事がニュースで流れている。二十一世紀なら
ではの話題かも知れないが代理出産の話である。子宮の摘出手術を受けた
娘さん夫婦のために娘さんのお母さんが代理出産した。
 また、亡くなったご主人の凍結精子を使って妻が出産した。しかし、
裁判所は現行法にそんな記載はないからと、亡くなったご主人の子供だと
認知をしなかった。同じく自分の体では出産出来なかった女優の向井さん
がアメリカ人女性に代理出産して貰い、向井さん夫婦の子供だと言うこと
をこちらは裁判所が認知した。
 こんな事は数十年前にはとても考えられなかった出来事だ。全てが科学
の進歩によるものだが、事の善し悪しは日本の現行法律では判断の難しい
事ばかりである。

 つい最近のニュースでは他人の腎臓をお金で買って移植手術をして成功
している。既に医学の進歩は、お金さえ出せばどうにでもなるようなレベル
に達しているようだ。
 ただ、人間の体の一部をお金を出して買うと言うことが良いことなのか
悪いことなのか。生きたいと願う気持ちは誰しも同じだが、お金を持って
いる者だけが恩恵を受けるという不平等をどう考えれば良いのだろうか。

 学校の荒廃が取りざたされるようになって久しい。生徒だけでなく先生
までもが加わったいじめによる生徒の自殺、上司によるパワーハラスメント
での先生の自殺。
 多くの先生が管理教育と言う名の下での教育の在り方に苦しみ心身症を
病んでいる現実。そして先生による不祥事の増加。学校という聖域ももはや
聖域ではなくなりつつある現実は、現代社会の縮図そのものである。

 地球が病んでいるように人間も病んでいる。そして又、世界も病んでいる
としか思えない。

 北朝鮮の核実験は成功だったのか不成功だったのかの問題ではない。
問題なのは、誰も抑制することの出来ない独裁国家が核兵器を手にした
ことにある。
 金正日総書記を頂点とする独裁国家は裸の王様に誰も貴方は裸なのです
よと言うものがいない。彼の周辺の者は自分の地位や権益を守ることに
一生懸命で、国民の事や国の将来の事など知らぬ存ぜぬを決め込んでいる。
 こうなったら国民は哀れである。哀れを通り越して悲惨としか言いよう
がない。私は戦前の日本の姿を重ね合わせて見てしまうのである。
 多くの国民が飢え、病に苦しんでいる現実を考えるときに経済封鎖が
果たして良いことなのだろうかと考え込んでしまうのである。これから
長い冬がやってくる。多くの国民は、この長い冬を暖をとるものもなく、
空き腹を満たす物もなく、いったいどのようにして過ごすのだろうか。
それでも将軍様に忠誠を尽くす国民をどう見れば良いのだろうか。

 その愚かなる行いに対して日本も核武装などと物騒な事を言う輩がいる
のもお寒い日本の政治家の現実だ。何を考えてそんな不謹慎な発言をして
いるのだろうか。
 そんな事を言えば北朝鮮と同じレベルの国だと自ら言っているような
ものではないのか。日本は被爆国である。二度も原爆の洗礼を受け、更に
はアメリカの核実験の被害をもろに受けた事のある国である。
 尊い先人の犠牲の上で「核は作らない、持たない、持ち込ませない」と
いう非核三原則を国是としているのではないのか。わざわざ声高に言わなく
ても日本の技術力を持ってすれば核兵器を作ることも作った核兵器を飛ばす
こともいとも簡単な事である。そんな事は世界中が知っている。
 それをあえて言う愚かさをどのように考えれば良いのだろうか。日本の
政治もまた貧困だと言わざるを得ない。ひとたびこの国の舵取りを誤れば
北朝鮮と同じように国になるような気がしてならない。だからこそ平和
憲法を堅持したいという思いが募るのである。

 安倍さんがいち早く非核三原則を堅持するという発言をしたばかりなの
に足元を掬うような発言をしてどうするのか。安倍さんの発言が台無し
ではないか。
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孫の成長

2006-10-16 06:18:45 | Weblog
 すごいスピードで這い回り、コーナーが回りきれず勢い余って頭を打って
大泣き。小さな家の中だが孫にとっては興味ある物ばかり。狭い部屋の中
を所狭しと這い回っている。

 まだ、お尻は持ち上げられないが腕の力と足をけっての推進力。それでも
早い早い、たちまち目的のところへ。興味を引くような物音がしたり物が
見えたら一目散。少しでも興味を引くようなものが目に入ったら掴みに行く
のも早い。どこで見ていたのだろうと思うような素早さだ。
 従って、食器戸棚を開けるのも注意しながら。少しでも油断するといつの
まにか足元に来ていて、さっと手が伸びる。まるで小さな忍者のようだ。

 興味ある物はパソコン、ゲーム機、食器等々。何でそんなものに興味が
あるのだろうと思うような物ばかり。しかし、小さな目には全ての物が
興味のある物ばかりのようだ。
 そして、まだまだ考えて行動すると言うのではなく直感によって動いて
いるようだ。魚がルアーの色や光りに反応するようなものかも知れない。

 何かに夢中になっていたかと思うと、思い出したように洗面所の方に
這っていく。どうやらお母さんを捜しているようだ。お母さんがいる場所
を覚えていて思い出したらそこへ行くようだ。そこにお母さんがいなかった
ら急に不安そうな顔になる。何度も何度も行ったり来たり。
 それでも見つからないと大きな声で泣き始める。お母さんが相手をして
くれなくても自分の目が届く範囲に居てくれるだけで安心するようだ。
 お父さんも大好きのようだ。自分の側に居てくれるときは、いつもにこ
にこしている。いつも自分の遊び相手をしてくれる優しいお父さんなのだ。

 孫の起き出すのは早い。お父さんもお母さんも寝ている内から起き出して
周辺を這い回っている。もう少しお母さんを寝させてやろうと、しばらくは
別の部屋で私が相手をしていた。しばらく遊んでいたが、お母さんの姿が
見えないことに気が付いたようだ。いつも居ると思われる場所に行って一生
懸命さがしていた。
 その内にとうとう大粒の涙を流しながら泣き出してしまった。急に寂しく
なったようだ。お母さんの顔を見たら安心したのだろう。にこにこ顔に戻って
又遊び始めた。

 朝の公園は静かだ。私の腕に抱かれていて次第におとなしくなった。目を
盛んにこすっている。どうやら眠くなったようだ。太陽の日差しが温かい
場所を選んで子守唄を歌ってやる。その内にとうとう寝てしまった。
 そう言えば昨日もここへ来たとき寝てしまった。静かで気持ちよいのかも
知れない。この子の耳に子守唄はどのように聞こえているのだろう。寝た子
は急に重くなる。九キロになったという孫の重さが腕に応える。
 こうして朝の一時を孫と二人きりで過ごす。興味ある物には一目散。そして
仰向けになって何かしらぶつぶつ言いながらしばらく観察した後で口に入れて
味わってみて、興味がなくなったらポイと捨ててしまう。実に微笑ましい
孫の仕草だ。
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核実験

2006-10-11 06:17:23 | Weblog
 ここのところ晴天が続いている。快晴、鰯雲、金木犀の香りと言えば秋
を代表するものばかり。その上、私の町では氏神様の秋祭り。私の住んで
いる町では毎年10月の第二土曜日と日曜日が鴻八幡宮の秋祭りだ。
 土曜日は地元を中心に巡回し、日曜日は八幡宮の長い急坂を登っての
宮入で賑わう。かつてのような喧嘩騒ぎはない。
 大半は段じりだが、傘鉾、千載楽等もある。午前と午後に分かれて境内
まで登り、ここでお祓いを受ける。さして広くない境内が段じりなどで
いっぱいになる。
 近年は法被も参加毎に同じ柄になり、若い女性達の参加も多く
なって華やかになった。彼女たちの装いも様々で、中には手書きの法被
などと言う珍しいものもあった。若い女性が参加するといっそう華やかな
ものとなる。
 そして、ここ繊維の町「児島」ならではの風景として、中国から研修に
来ている女性達の参加がある。私達のの段じりにも二人の可愛い女性
が参加していた。彼女たちの目には、このお祭りがどのように映っている
のだろう。話しかけてみたが、さっぱり言葉が通じず意志疎通は全然
出来なかった。

 秋祭りの次の日は空一面の鱗雲だった。鰯雲と言ったり、鱗雲と言って、
時には羊雲と言ったりもする。観る人の感覚によって様々に見えるのだろう。
ここでは鰯雲と言っておこう。渋川の海岸で見た鰯雲、王子ヶ岳の山頂で
見た鰯雲、空全体を覆い尽くした雲は場所と時間で様々に変化して見える。

 この日、遠く離れた太平洋上を通過した台風の影響だろうか、空の空気
が澄んでいたようだ。珍しく向かいの四国、石鎚山系と思われる高い山々
の連なりが見えた。讃岐富士の背後にひときわ高く。珍しいことである。

 そして、路地裏には金木犀の香りが。段じりが大きな道路から脇の路地
へ入ると途端に良い香りが流れてくる。金木犀の香りだ。周辺を見渡すと
民家の庭に大きな木があった。香りはこの木からのものだった。
 ああ、秋だなあと感じる瞬間だ。思いは誰しも同じか。段じりの綱を
握っていた後の人が「金木犀じゃなあ」と一言。人それぞれに感じ方の
違いはあっても、秋が来たなと言う思いは一緒だ。
 そう、金木犀の香は秋そのもの。この香りを嗅ぐと幼い頃のふる里の
情景に立ち戻るのは、毎年繰り返される私だけの思いで。

 さて、ここのところ北朝鮮の行動はエスカレートするばかり。このまま
進んで誇示するものが何もなくなったらどうするのだろうか。ミサイルに
核爆弾を積んで発射しようとでも言うのであろうか。愚かな事である。
これで自己主張が通るとは思えない。ますます孤立化するばかりである。
 せっかく緒に付いたばかりの開放経済政策も強硬派に阻止された形。
金正日氏でさえ軍部の独走を阻止する事が出来ないのか、それとも金正日
氏自身の考えなのだろうか。国として崩壊寸前の断末魔だとしか思えない。
 新総理の安倍さんが中国や韓国訪問の途中の出来事であった。その点に
於いては実にタイミングが良かった。スタンスの違いはあっても両国とも
核実験には賛成は出来ない。
 ましてや中国は友好国であり、韓国は統一問題がある。いわば主義主張
は異なっても北朝鮮とは同胞の国である。出来るだけ事を荒立てたくない
という思いは一緒だろう。だだっ子をあやすような気持ちでいるに違いない。
平和裏にこの国が開かれることを祈って止まない。

 一閣僚や国会議員当時はタカ派と言われた安倍さん。中国や韓国訪問時
や先日来の国会答弁を聞いているといささかイメージが変わってきた。
果たして考えが変わったのか、以前の姿はジェスチャーだったのか。それ
とも今が仮の姿なのか。
 たとえ民主党から変節したと言われようとも変わって欲しいという思い
は、多くの平和を願うものの思いだ。日本の置かれた立場としては、どう
考えても平和外交でいくしかない。軍事力を強化して他国に対抗しよう
などとは「ゆめゆめ」考えるべきではない。
 たとえ可能だとしてもアメリカのように国家予算の大半をつぎ込まなけ
れば不可能な事である。アメリカは軍事力強化のため日本などが莫大な
債務を負担している。アメリカ独自の予算では不可能な事をしているのだ。
 アメリカは早くから軍事予算で破綻をきたしている国なのである。中国
もそのようになりかねない危険性を孕んでいる。そんな国に対抗していこう
などと考えるのは、まったくばかげているし現実味がない。
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中秋の名月

2006-10-06 22:41:14 | Weblog
 今日は中秋の名月である。お月さんにウサギはいないと分かっても、名
月はは名月だ。風は強いが晴れ上がった空に、まん丸い大きな月が輝いて
いる。あたかも自らが光りを放つ天体のように明るい。
 この季節、晴天続きのように見えて、意外に曇っていたり雨の日が多い。
現に今日も晴天なのは西日本地方であって東日本は激しい雨になっている
ようだ。
 私が住んでいる町は明日、明後日と秋祭り。本番を前にして今夜も段じり
が家の前を通っていった。中秋の名月と秋祭りという取り合わせは珍しい。
今年は暦の関係で秋祭りが例年より約一週間ほど早くなっているからだ。

 私達の子供が小学生だった頃は子供の数が多すぎて、あこがれである
段じりに乗せて貰うことが出来ない子供もいたぐらいだが、昨今は少な
過ぎて低学年の子供でさえ鐘や太鼓を叩いている。
 「ようい、ようい、よういっとこ、どっこい、どっこい」というかけ声
を聞くと、地元の人はじっとしてはおられないようだ。お祭りは誰でも
好きなのだ。と同時に、地域の人みんなが一緒になって何かをするという
機会が少なくなった昨今、貴重なコミュニケーションの場なのではない
だろうか。

 私もしばらくは忙しくて遠ざかっていたが、今年は参加してみようと
考えている。先日、かつて吹いていた篠笛を取り出してみたが、息が続か
なくて吹けなかった。笛は吹けなくても、ここは参加することに意義が
あると言うことにしておこう。

 私が育ったのは広島県の神辺である。今は平成の大合併で福山市に統合
されてしまった。小さな町だったが、夜店だとかお盆だとか秋祭りは大変
賑やかだった。娯楽の少ない時代だったからであろうか。それとも青年団
などの活動が活発だったからであろうか。手作りの大きな御輿に手作りの
飾りをいっぱい付けて街を練り歩いていた。
 時に他の御輿に出会うと、その場で激しいせめぎ合いをしていた。
いわゆる喧嘩御輿である。それが面白くて見物人が周辺からはやし立てて
いた。
 また、あるだけは鬼の面を着けて太鼓のリズムに合わせて跳ねて
いた。それを「跳ね」と言って見物していた。時に鬼の面を着けた若者が
子供達を追いかけてくるものだから、怖くて小さな子供達は遠巻きにして
見ていた。背中に負われた幼子の中には泣き出す子もいて、鬼を怖いと
思う純な子供達の姿であった。
 あの「跳ね」はどうなったのだろうか。喧嘩御輿を再び見る機会はなく
なってしまったのだろうか。遠い思い出として、今も秋になると思い出す
のである。

 さて、安倍政権が始まり、国会の予算委員会では各党代表から安倍総理
に質問が投げかけられている。質問の多くが安倍さんの思想に対してなの
は仕方のないことであろう。その上、おじいさんの岸信介氏が極東裁判
での戦犯であり、第二次世界大戦の遂行者の一人であったことを考えれば
当然のことであろう。
 安倍さん自身も自らの著書の中で美しい国造りなどと書いており、憲法
改定や教育基本法の見直しなどを提唱しているのであるから尚更のことで
ある。あるいは戦前を美化することによって、何かをなそうとする意図が
あるのだとすれば、非常に危険な考えだと言わざるを得ない。

 今日も録画して置いた六十数年前の硫黄島での悲惨な戦闘について、
わずかな生存者からの証言を聞いたところである。玉砕などと言う戦争を
美化するような言葉では言い表せない地獄の体験談であった。
 語りつつ言葉に詰まる証言者の姿を見ていると、こちらまで胸の詰まる
ような思いであった。死ぬも地獄なら生きるも地獄、食べるものも水も
なく、米軍が流し込んだガソリンと海水の火攻め、水攻めの中で最後の
生き残りと言われた人達までもが死んでいった。
 その有様は攻撃したアメリカ軍の兵士自身でさえ地獄を見たと証言して
いることからも想像に絶するような悲惨さであったに違いない。
 アメリカ軍の呼びかけに応じて投降すれば国賊との汚名が着せられ、時
には上官から銃殺される。投降しなければ次第にエスカレートしていく
アメリカ軍の攻撃、進むことも引くことも出来ないような組織を作り上げ
たのは、まさしく戦前の教育であった。
 私達は北朝鮮の人々を笑うことは出来ない。彼らの立場は戦前の日本
国民の姿だったのではないだろうか。教育というものは、人間を変えて
しまうのである。

 確かに昨今の状況を見て、このままで良いという人はいないだろう。
それでも思想で行動の自由を奪われることよりは良いのではないだろうか。
また、今日的状況は戦前の思想教育を持ち込まなくても解決できることで
ある。些少な改善とみんなが問題意識を持つことによって、人の道をわき
まえた人間を育てることは出来ると確信している。
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久々にブログ

2006-10-03 14:45:50 | Weblog
 予想していたとは言え、活弁シネマライブの整理券の消化状況は決して
良くない。組織内での取り組み状況は、良いところと悪いところの明暗が
はっきりと現れている。良いところは100パーセントの消化であり、
悪いところは一枚も売れないと言って戻ってきた。やはり組織に依存する
ことの限界を感じた次第。
 さて、このままだと実施することすら危うくなってきた。この怖さを
想像していたからこそ、一年間色んな手を尽くしてきたのだが、さて、
どうしたものか。これから先は個別電話や個人ルートでの消化以外に方法
はないようだ。
 今回のライブが終わったら「活弁シネマライブ始末記」なるものでも
書いてみようと思っている。出来れば失敗ではなく成功を収めての始末記
にしたいものだが。何しろテレビでも紹介されたことのない活弁をどう
伝えれば理解して貰えるのだろうか。
 昨晩も地元の演劇鑑賞会の会場前でチラシを配らせて貰ったが、返って
くる反応は全くのゼロだった。関心を持つ人もいなければ、むろん整理券
をくれという人もいなかった。七百枚近いチラシ配布は無駄に終わって
しまったわけで、いささかガッカリしている。

 さて、先日の雨はこの地方にとっては久々の雨だったが、野菜にとって
も恵みの雨だった。今までにも何度も書いて来た事であるが、雨に勝る
ものはない。いくら毎日のように散水していても、わずか半日ほどの雨に
さえかなわない。やはり自然は偉大だと言う他はない。
 今、ダイコン、カブ、ミズナ、シュンギク、ホウレンソウ、ニンジン等
の野菜類が日に日に大きくなっている。また、それらの種を蒔く頃に定植
したハクサイやキャベツ、ブロッコリーなどは、その後、順調に成長し、
大きな葉を勢いよく広げている。
 芽が出るのが少し遅かった秋植のジャガイモも、やっと芽が出そろった
ようだ。畑のものは何もかも、これからが本格的な成長期のようだ。

 果樹の方は、へた虫にやられた柿が未だにぼたぼたと落ちていて、治ま
る気配がない。まだ日中の気温が高いからだろうか。このままでは本格的
な熟期には何も残らなくなってしまうのではないだろうか。
 桃栗三年とは言うが、栗の苗木を植えて約五年、今年やっとまとまった
数の実が付いた。いくら栗の木の成長が早いとは言え、しっかりとした
木になるのには、これくらいの年数が必要なようだ。
 さて、たくさん出来た栗の実をどのようにして食べたものか。一度位は
栗御飯だろうが、その他には。

 ハッサクを初めとする柑橘類の成長も順調だ。特に昨年不作だったユズ
がたくさん実を付けている。毎年、木に付けたままで鳥の餌になっていた
のだが、今年こそは何とか有効活用をと考えている。
 近年、ユズを使った色んな商品や食べ方が紹介されている。今年は一個
も無駄にすることなく何とか加工してみたいと思っている。
 夏みかんの枝がたくさんの実の重さに何本もの枝が折れそうになって
いる。先日、台風が来そうだったので支柱をしたばかりだ。
 昨年豊作だったハッサクだが、背の高い方の木は今年、裏年になって
しまい一個の実も付いていないと思っていた。ところが近頃になって幾つ
かの実に気が付いた。どうやら実が小さいときには気が付かなかっただけ
のようだ。
 こうしたことは良くあることで、少ししか実が付いていないと思って
いても、収穫時には意外にたくさん付いていることがある。こんな時には、
もっと思い切って間引いておけば良かったと思う。
 台風で木が倒れたり、裂けたりしていたキウイやレモンもやっと元に
戻ったようだ。こうした木々の復活を見ていると、その生命力の強さに
驚かされる。
 間引き菜なども抜いてそのままにしておいても一雨降ると根を下ろした
りすることがある。そうかと思うと、きちんと植えたはずなのに4、5日
後には枯れていたりすることもあり、驚いたり嘆いたり。

 このように良いことも悪いことも日々変化し、一日たりと言えども止ま
ることはない。そして毎年、同じことの繰り返しのように見えてもいても
一つとして同じことはない。全ての出来事は移ろいやすく、かつ変化に富
んでいるようだ。

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