人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

トランスフォーマー

2007-08-29 22:47:03 | Weblog
 ここのところ季節の変わり目を思わせるような、はっきりしない
お天気が続いている。いよいよ畑の準備をしなければと思いつつ、
なかなか手を付けられず一日延ばしになっている。人間は大きな動機
付けか切羽詰まらないと、なかなか動けないものらしい。
 予定しているのはハクサイ、キャベツ、ブロッコリー、ジャガイモ、
それに続くのがダイコンやカブといった根菜類。種だけは色々買って
準備しているのだが。何しろ夏野菜が残っているので、さあ、これから
冬野菜だと一斉に植え替えることが出来ないことだ。

 何日ぶりであろうか久々に映画を見に行った。ホームシアターと
いう設備を設置して以来、ほとんど映画館へ行くことがなくなって
しまった。それくらいホームシアターは手軽に映画館の雰囲気を楽しむ
ことが出来る便利なものだ。
 しかし、如何に画面が大きいとは言っても映画館のスクリーンとは
較べるべくもない。ましてや音響となると映画館にはとうてい及ばない。
と言うわけで、今回は「トランスフォーマー」の大迫力を感じたくて
倉敷MOVIXへ足を運んだ。
 夏休みの終わり近くでもあり、けっこう子ども連れも多かった。
しかし、さして大混雑と言うこともなく予約席の確保は簡単だった。
 60歳以上はシニア料金で入ることが出来る。年齢の確認は別に
免許証など身分証明書を見せることなく口頭で良い。その上、同伴者
も同額で良い。昔の三本立てが300円などと言った料金と較べる
わけにはいかないが、確かに安い。
 但し、客席に持ち込む飲み物や食べ物は、館内で買ったもので
なければ許可されない。館内の椅子は非常に大きくゆったりしている。
難点を言えば冷えすぎである。地球温暖化が問題になっている現在、
もう少し温度を上げても良いのではないだろうか。私達はいつも
ブランケットを借りて客席に座ることにしている。
 この日は珍しいことに会社の同僚だったK君と偶然に会った。私達
が座っていた、すぐ後の席に彼が座った。こんな事もあるものだ。

映画の解説によると「トランスフォーマー」は、日本の玩具をモデル
にして映画化したとのことであった。とにかく、ばかでかいロボット
(他の天体から来た金属生命体)が敵味方に別れて争うという奇想
天外な映画だ。
 このロボット、時には自動車にも変身できる。物語は高校生が
父親に中古自動車を買って貰った事から始まる。買って貰った中古
自動車が、実はある使命を持って異性から来たロボットだった。
 何しろ巨大なロボットが画面いっぱいに暴れ回るので迫力は満点。
ストーリーは、正義は必ず勝つという、勧善懲悪型の至極理解しやすい
ものだ。また、このロボット達、ひょうきんなところもあって可愛い。
 とにかく大画面と大音響でなければ楽しめない映画である。肩の
凝らないお勧め映画だ。詳しくは観てのお楽しみ。
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ダーウインの悪夢

2007-08-27 06:43:05 | Weblog
 かつてアフリカは、暗黒大陸と呼ばれていたことがある。何故そう
呼ばれるようになったのだろう。想像してみるのに理由は幾つかある
ように思われる。その一つは、多くの黒人が奴隷として世界各地へ
連れ去られたこと。そして、象牙やダイヤモンドと言った価値ある
ものが大量に収奪された歴史。そうした事が、そう呼ばせたのだろうか。

 しかし、「ダーウインの悪夢」という、この映画を見ると正に暗黒
大陸と言っても過言ではないような気がしてくる。今も、この大陸は
ヨーロッパなど先進国の収奪の対象に他ならないような気がしてくる
のである。

 アフリカ大陸は日本から遠い。私が訪れたのは三年前であった。
長い船旅の後にケニアのモンバサ港に入港し、遠くアフリカ大陸を
見たとき、子どもの頃からの夢がやっと実現したことに心躍るような
思いであった。
 その昔、山川惣治さんの子供向け連載小説「少年ケニア」が産経新聞
に連載された事があった。タケル少年が活躍する舞台がケニアであった。
密林の中を大蛇や像の背に乗って大活躍するタケル少年の姿は颯爽と
していた。と同時に様々な野生動物が住んでいる国とはどんなところ
だろうと想像をたくましくしたものである。

 ところが、実際に目にしたケニアは赤茶けた大地とサバンナが延々と
続くようなところであった。少なくとも私達を乗せて飛んだ眼下には
密林のようなものは見えなかった。
 そして、たくさんの動物たちが住んでいるマサイマラ自然保護区は
わずかばかりのブッシュと大草原が延々と続くような大地であった。
そして、ここの土も他と同じように赤かった。ひとたび雨が降れば
激しくぬかるむような道が草原の中を網の目のように走っていた。
これらはサファリカーが通る道であった。

 少年ケニアに出てくるような密林はなかったが、動物たちは実に
たくさんいた。そして、少年ケニアにも出てくるマサイ族の生活は
実に質素と言うよりは貧しかった。牛糞を塗り固めた小さな屋根の
低い家に住んでいた。彼らの財産は痩せこけた牛や羊であった。
野生動物と共生するような生活であった。

 私達はマサイマラ自然保護区へはモンバサの空港から飛び立った
のであるが、港から空港へ行くまでの道のほとりの集落は、とても
都会の町とは思えないような貧しいたたずまいであった。
 土埃が舞う道路の周辺には雑然とした町並みと自動車の修理屋で
あろうか廃品に近いような鉄くずが山のように積み上げられていた。
また、店を持たない散髪屋が道のほとりで商売をしていた。

 そんな町の姿を思い出しながら、この映画を観た。「ダーウインの
悪夢」という記録映画である。アフリカ諸国の多くが、このような
実状なのだろうと言うことを余すところなく描いていた。

 場所は世界有数と言われる巨大なビクトリア湖のほとり。その湖は
かつて「ダーウインの箱庭」と呼ばれたこともあった。それほど、
この湖には魚の固有種が豊富だった。ところがバケツ一杯のナイル
パーチという肉食魚を放ってからは様相が一変した。400種近く
いたという草食魚達はナイルパーチに食い荒らされ200種近くまで
激減してしまったのである。

 その上、この魚は、この湖周辺に住む人達の生活も一変させて
しまった。決して豊ではなかったが、この湖固有の魚を獲って暮ら
していた人達は、ナイルパーチによって生活の手段が断たれ漁業を
放棄せざるを得なくなった。また、一部の漁民は貧弱な漁具でナイル
パーチを獲るという生活となった。

 しかし、このナイルパーチと言う魚は、ここの漁民達の口には入ら
ない。全ては加工されてヨーロッパや日本に輸出されるからだ。奥地
での農業を放棄した人達は魚で儲けようと出てきたのだが、ここでの
生活はそのように甘いものではなかった。

 職に就けないもの達は、以前にも増して苦しい生活が待ち受けていた。
貧困は女達を売春に走らせ、売春はエイズ(HIV)を拡大した。
子ども達は学校に行くことも出来ず、タバコやシンナーに溺れ、住む
家もなく路上で寝起きする。食べ物が元で喧嘩になることもある。

 魚の加工工場から安く買ったナイルパーチの頭と骨は山積みにされ、
蛆が湧いている。こんな物でさえ油で揚げると食料になる。 腐った
魚の激しいアンモニア臭に冒された女達、しかし、ここに医者はいない。
村から出てきたものは動かれなくなる前にバスで田舎へ送り返される。
そこで死を待つ。

 加工された魚を運ぶのは旧ソ連圏の飛行機でありパイロットだ。
オンボロ飛行機は離陸できずに何機も墜落し残骸をさらしている。
パイロット達は、ここへ来るときは空便だと言うが実は妖しげな箱を
積んでくる。多くは武器弾薬である。これらは、ここからアフリカの
紛争地へと運ばれていく。

 魚の加工場で夜警をしている男は言う。戦争は金になる。戦争が
ある方が食えるから良いと。これでは、この地から紛争はなくならない。
貧しさと貧しさ故の無学が、ますますこれらの国を疲弊させていく。
それを知りつつ武器商人達は殺し合いの道具を持ち込んで、彼らに
売りつけていく。

 肉食魚ナイルパーチは、その象徴のような魚だ。弱肉強食が平然と
まかり通る国、それがアフリカ大陸の国々だ。私達が少年の頃夢みた
少年ケニアのような正義はここにはない。あるのは貧困と退廃だけで
ある。これらの国を救うのは武器ではなく食料援助と子ども達の教育
である。教育こそが唯一、これらの国を救うことの出来る手段である。
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不都合な真実

2007-08-24 16:28:21 | Weblog
 今年の2月、地元の小学校で地球温暖化対策問題について語る機会
を与えて貰った。担任の先生の努力と校長先生の理解の元に実現した。
対象は六年生であった。その六年生も卒業し、今は中学校へ通っている。

 下手な私の話であったが一様に良く理解してくれ、それぞれに感じる
ところがあったようである。彼らなりに事態は深刻であり、何とか
しなければと言う思いを感想文に書いてくれた。

 その後、地元の公民館で環境講座を一つ持たせて貰うことになって
いる。これだけでは十分ではないと思い、直接、市内の小学校へ講座
を開かせてくれないかと申し入れをしてみたが、反応は芳しくない。
授業時間が足りないというのが大きな理由のようだ。

 しかし、地球温暖化問題は深刻さの度度合いを加えている。それは
目に見える形で現れているからだ。過去の最高気温を上回るような
夏がここ数年、毎年続いている。北極海の氷が今までにないくらい激減
している。多くの氷河が小さくなり消えようとしている。豪雨と干魃が
同じ国の中で同時進行している。台風やハリケーンが大型化している。
永久凍土帯がどんどん溶けている。
 このように、あげればきりがないほど従来には見られなかったような
気象異変やそれに伴う異常が発生している。

 今日、初めてアメリカの元副大統領だったアル・ゴアさんが制作した
「不都合な真実」という映画を観た。内容的には全て知っていること
ばかりだったので、さしたる感動も感想もない。ただ、映画の中で彼が
語っている「政治家達は何もしようとはしない」ことについて、この
問題に取り組んだら最後、後へは引けなくなることを恐れていると
あった。少なくとも地元の票を拡大することには繋がらない困難で
成果の見えないテーマには違いない。

 しかし、政治が動かなければ解決しない問題が多すぎる。私が学校
へ頭を下げて講座を開かせてくれと頼みに行くよりは、文部科学省が
環境学習を積極的に行うように指令を発すれば済むことである。
 事態の深刻さを知らない人が多すぎるし、そんな人が多すぎても
仕方がないほど政府も報道機関も関心が薄く取り組みが甘すぎるように
思われる。

 そんな愚痴を言っている間にも二酸化炭素は消費されるより蓄積
される方が加速度的に増えている。今はわずかばかりの変化に過ぎ
ないが、いつの時点かで一挙に大きな変化が現れるかも分からないと
言うのが、環境学者の見方であり、地球メカニズムの複雑なところで
ある。

 人は目の前で劇的な変化が現れないと動こうとはしない。映画の中
にあったように、今はぬるま湯の中に浸かっているような状態なの
かも知れないが、気が付いたら一挙に沸騰と言うことになりかねない。
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満を持して雨が

2007-08-23 06:32:28 | Weblog
 実に長い猛暑の日々であった。子どもの頃、30度Cを越えるような
ことは滅多になかった。それだけに昨今の35度Cを越えるような日が
毎日続くようになると、やはり地球温暖化の影響を考えざるを得ない。

 こんな日が何日も続くと草も木も人も動物もみんな弱り切ってしまう。
また、こんな炎天下で仕事をしている人達を見ると、思わずご苦労様と
頭を下げたくなってくる。

 昨日は秋野菜の準備をと久々に畑で草取りをした。じっとしていても
汗をかくほどの気温だから、少し動いただけでも作業着に汗がにじみ
出てくる。群れては乾き、乾いては濡れを何度繰り返しただろうか。
口の中が粘くなってくると熱中症の危険信号だ。準備しているスポーツ
ドリンクか水を出来るだけ早く飲むようにしている。

 これから先、毎年これ以上暑くなることを考えると夏場の農作業を
いつまで続けることが出来るのだろうかと気の弱いことを考えてしまう。

 昨晩から早朝にかけて断続的に激しい雨が降った。裏の畑に思い切り
散水したばかりだ。果たして散水が呼び水になったのだろうか。天気
予報では前線が南下しているとのこと。これに南からの湿った空気が
流れ込んで雨になったようだ。

 激しい稲光と雷鳴、いよいよ季節の変わり目が来たようだ。これで
人も動物も草木も一息つけそうだ。東北地方では集中豪雨による被害
が出ていると報じられている。最近の雨は激しさを増している。これも
温暖化のせいではないだろうか。南方のスコールに似ているようだ。

 パプアニューギニアで遭遇したスコールはすごかった。道づたいに
流れ込む雨が瞬く間にラバウル港内の海水を赤茶色に染めていった。
坂道を流れ下る雨は川のようであった。何もかも洗い流してくれる
ような激しい雨は南方のものだ。日本に降る雨もそんな様相を見せて
いる。

 さて、ロシアが北極の海底に自国の旗を立てたと報じられている。
一時は国が崩壊するのではないかと思われるほどの経済危機に陥った
ロシアだったが、今は石油や天然ガスと言った天然資源に助けられて
国力を付けて来たようだ。

 その天然資源王国ロシアが更に北極海の海底にまで手を伸ばして
いるようだ。帝政ロシア時代の拡張主義は未だ衰えていないようだ。
天然資源と言われる石油や石炭、果ては天然ガスの大量消費が今日の
地球温暖化の原因だと言うのに、これ以上、こうした地下資源を取り
出して、どうしようと言うのだろう。ますます温暖化に拍車をかけよう
と言うのだろうか。
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高校野球夏の大会終わる

2007-08-22 16:30:06 | Weblog
 毎年の事だが高校野球が終わると急速に秋の気配が感じられるよう
になる。今日の優勝決定戦をもって高校球児達の暑い夏が終わった。

 8月22日水曜日、広島県の広陵高校と佐賀県の佐賀北高校の優勝
決定戦をもって全ての試合が終了した。まさかの途中敗退をした高校
もあれば、あれよあれよという間に勝ち進んで行った高校もある。

 そして、今日の優勝決定戦、実に良い試合だった。常に押し気味に
得点を重ねていった広陵高校に対し、広陵高校のピッチャーがうち崩せ
なくて、ずるずると八回の裏まで来てしまった佐賀北高校だった。
負けていながら、何かあるのではないかという予感は常にあった。
それが八回の裏の集中攻撃だった。佐賀北高校のピッチャー自らが
ヒットを打ち出塁した。これが一挙5点という逆転試合になった。

 本当に野球というものは、どこでどんな変化があるか分からない。
これは得点を競うスポーツ全体に言えることかも知れない。
 このようにしてドラマは常に形作られてきたのだろう。これが高校
野球の魅力ではないだろうか。リードしているものが常に勝つとは
限らない。むしろ後を追いかける方の気迫が勝っていたと言うこと
だろうか。
 幾ら鍛えられているとは言え高校生である。心理面で揺さぶられれば
心の動揺は隠せない。押し出しで一点を取られた時の広陵のピッチャー
の少しはにかんだような笑いは何だったのだろう。こうして、たったの
一イニングで5対4と逆転した佐賀北高校が頂点に立った。

 今年の高校野球でも、また一つドラマが出来た。しかし、両者とも
惜しみなく力を出し切った試合ではなかったろうか。優勝でも準優勝
でも、その重みにいささかの差もない。両校の選手の皆さんに心から
ご苦労様と申し上げたい。

 さて、今年の夏も猛暑日が何日も続いた。ましてや炎天下で戦う
高校生達には、ことのほか暑い夏ではなかったろうか。そう言えば
広陵高校の監督さんが、気分が悪くなって治療を受けられた事も
あったようだ。軽い熱中症だったのではないだろうか。
 アルプススタンドの応援の方々も大変だったのではないだろうか。
このような夏がこれから先、毎年続くようになるとすれば何らかの
暑さ対策も考えなくてはならないのではなかろうか。

 私も県予選の際、母校の応援に広島平和台球場に何日も貸し切りバス
で通った経験がある。そう言えばあの時も近年ほどの気温ではなかった
が、炎天下の応援席は非常に暑かった事を思い出している。

 高校野球が終われば急速に秋の気配が感じられるようになってくる。
夏休みも残り少なくなってきた。さあ、新しい季節の始まりだ。
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終戦記念日

2007-08-17 05:52:38 | Weblog
 当たり前の事のように新聞広告で旧日本軍の勲章が売られている。
よほど位が高かった人でないと手にする事の出来ないような勲章だ。
勲章はどのようなものであろうと、それなりの功績があった人で
ないと手にすることは出来ないものだった。

 私の父も勲章を持っていた。むろん位が低かったので小さな勲章
だった。それでも父にとっては命と引き替えに手にした勲章だった。
ノモハン事変に参戦し、九死に一生を得て帰還した際に手にしたもの
であった。200人の内、生き残ったものはたったの3人という激戦
だったようだ。

 と、一面勇ましくも見えるが、実はこの戦争、参謀本部の無謀な
開戦と敵方であるロシアの戦力を甘く見た結果による大敗であった。
明治以来の人海戦術による戦争で、とうていロシアの機動力には
勝てない戦争であった。この戦争は後々まで尾を引き、太平洋戦争
でも同じような考えを捨てきれず、敵のアメリカ軍の圧倒的な機動力
と戦力の前にはとうてい歯が立たなかった。

 人を人と見ないような、人をまるで消耗品のように扱った参謀本部
の指示に、あえなく命を落とした兵や民間人は少なくなかった。戦争
は単なる精神論では勝てない。精神論はある種の強さではあっても、
近代兵器の前には実に脆いものである。

 そして、見落とすことの出来ないのは地位のある人やお金を持って
いる人は、軍や政府の幹部に密かに付け届けをして息子の兵役逃れを
していた事である。軍の幹部連中の子弟の中にも、そのような者が
いたのではないだろうか。あれほどお国のためにと鼓吹しながら、
一方ではお金のために兵役逃れを平気で許すような軍幹部をどの
ように考えれば良いのだろうか。

 所詮、戦争は戦争である。国辱的な扱いを受けたとか、資源の輸入
がストップするからというだけで、大切な憲法9条を変える必要が
あるのだろうか。屈辱も資源輸入も少し我慢をすれば済むことである。
命まで落とすことはない。

 戦争は戦争をして儲かるものがいるからしていることだと言っても
決して言いすぎではない。特にアメリカが仕掛けている戦争に正当性
は見出せない。背後に巨大な軍事産業が後押しをしているような気が
してならないからだ。そうした軍需産業や会社幹部達にすれば、所詮
国などの存在は意識しておらず利用すべきものに過ぎないようだ。

 アルカイダでさえ誰かに踊らされているのかも知れない。戦わせれば
戦わすほど武器は無尽蔵に売れていくからだ。蔭の人間は使われている
兵達が流す血を見て喜んでいるようなサディストかも知れない。

 あり得ない話ではない。このように人間に武器を持たせることは
人間を変えてしまう。そこには正義だとか人間性だとかは、まったく
存在しない。無味乾燥な殺戮だけしか見えない。

 アフリカに武器を持ち込んだばかりに内戦が今日も続いている。
イラクでは大量の人が亡くなるというテロが今日も続いている。
アフガンでは、ロシアでは、世界の至るところで紛争が絶えない。
紛争や戦争が続く限り武器商人達の限りない欲望と微笑みは続く。

 終戦記念日を過ぎて思うのは、人と言う動物の愚かさである。
どのような戦争であれ正義はあり得ない。いざその場に及んだら
人が人を殺すだけである。そこには凄まじい修羅場があるだけである。

 私の叔父はミューギニア近辺の南方戦線に動員されて亡くなったと
聞いている。あの灼熱のジャングルと飢えとマラリアに冒されて多くの
兵達が亡くなっていったと聞いている。食料は現地調達、マラリアの
薬さえない蒸し暑いジャングルの中で、飢えと病気と疲労で戦わずして
亡くなった人が多いようだ。それが戦争というものの現実の姿である。

それでも貴方は憲法九条を変えた方が良いと思いますか。
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異常な夏

2007-08-13 22:16:21 | Weblog
 一時は冷夏を感じさせるような時期もあったが、ここ一週間ぐらい
は異常な暑さだ。気温37度や38度と言っても、これは温度計を
設置している百葉箱の中での話、日なたはもっともっと暑いに違いない。
日影でじっとしていても暑い。ましてや少しでも身体を動かそうもの
ならたちまち汗だくである。

 やはり今年の暑さも昨年同様、地球温暖化の影響と考えざるを得ない。
日本は京都議定書で6%の削減目標を約束していた。ところが削減
どころか、それを上回るような排出量アップとなっている。原因の
一つは大きなオフィスビルが次々に増えていること、そして、核家族化
の進行により人口は頭打ちなのに世帯数が大幅に増えていることだ。
現に、私の住んでいる周辺を見渡しただけでもアパートなどが、かなり
建設されている。世帯が増えれば電力の消費量もガスの消費量なども
確実に増えていく。

 こうしている内にも温暖化は日々深刻さを増している。私は岡山県
の地球温暖化推進員をしながら、ささやかではあるが啓蒙活動を続けて
いる。しかし時々、こんな事をしている場合なのだろうかと無力感に
襲われることがある。

 啓蒙活動も必要だろうが、もっと政府なり地方自治体が具体的な
温暖化ガスの排出規制をかけなければならないのではないだろうか。
具体的な削減目標なり削減方法を指示して、それが守れないところ
には、行政指導なり罰則を科すなどの必要があるのではないだろうか。

 政府や自治体はやったやったと、私達が所属しているような機関や
制度だけを作って、上辺だけの活動に終わっているのではないだろうか。
原子力発電所も地震等の問題があってとん挫している。原発のような
危険性を孕んだものを作るようなお金があれば、何故、太陽光発電の
助成金を出そうとしないのだろうか。もっと真剣な取り組みが望まれる。
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森が泣いている

2007-08-11 05:23:49 | Weblog
 私の母方の里は三重県の山深いところにあります。大台ヶ原の裾野
に連なる林業の盛んな町です。子どもの頃、この地を訪れると一番に
目に付いたのが材木の集積場でした。駅のすぐ近くにありました。
杉や檜特有の爽やかな匂いが印象的でした。
 しかし今は、集積場だったところには大きな道路が出来、道路沿いは
ホームセンターなど近代的な街並みに変わってしまいました。材木の
集積場は必要なくなったのでしょうか。

 先の朝日新聞には次のような記事が掲載されていました。
林野庁が出資を募った「緑のオーナー制度」で99~06年度に満期
を迎えた契約者の9割以上が元本割れしていた問題で、農林水産省は
6日、契約者への説明の経緯や制度設計に問題がなかったかなどを
林野庁内で検証して今後の対応策を検討することを明らかにした。

 材木の需要が減っているとは言え、日本へはお隣の中国や遠くは
シベリア当たりからも大量の材木が輸入されています。かつては
ラワン材がインドネシア当たりから大量に輸入され、そのために
密林が消えてしまいました。
 今は割り箸の多くが中国からの輸入木材によるものだと聞いています。
そのため、中国の山々から木がなくなり、砂漠化が進んでいるとも
聞いています。
 また、シベリアのタイガと呼ばれているところでは木々を切り出した
後、永久凍土帯が溶けだして大量の温暖化ガスであるメタンが放出
され初めているとも聞いています。こうした木々もたくさん日本に
輸出されて入るようです。

 実は日本には他の国々から輸入しなくても有り余るほどの木々が
あります。特に先ほど紹介した母方の里などは日本有数の林業地帯
であり、山には切り出し可能な大きな木がたくさん育っています。
私のおじいさんやおじさん達が汗水垂らして植林を続けてきた木々
です。孫子の代には売ってお金に換えることが出来るようにと植えて
来たものです。

 ところが、こうした木々は使われる事なく山に眠っているのです。
木を切り出すためには労働力が必要です。しかし、木の売値より労賃
の方が高くて切り出すことが出来ないのです。
 他国からは密林が消えてなくなるほどの木々を輸入していながら、
日本国内には大量の木々が使われないままに眠っている。こんな矛盾
したことがあって良いのでしょうか。
 結局、「緑のオーナー制度」が破綻したのも同じような理由からです。

 歴史的に見ると日本には江戸時代から植林という思想があったよう
です。その思想は戦前、戦後を通してずっと受け継がれて来ました。
ところが、そのような思想がない国も少なくありません。木々は手を
加えなくても自然に再生するものと思っているようです。
 ところが気象条件によっては非常に再生力の弱いとこともあるのです。
一度失われてしまった森や林はなかなか元には戻らないのです。

 過去の多くの文明が森や林と共に失われています。実は森や林は
人間の生活や文明を支える要なのです。人や動物は水無しでは生き
られません。森がなくなると言うことは、大きなダムが失われるのと
同じことなのです。

 そう考えると地球温暖化防止のためにも他国の木々を切り出すのでは
なく、森や林の再生のためにこそ力を尽くしたいものです。そして
材木は国産のものを使うようにすれば、また日本の林業も潤います。

 日本は温帯のモンスーン地帯にあります。従って、年間の降雨量が
多く、木々の再生力は非常に強いのですが、国によっては、一度、
森や林が失われてしまうと、なかなか元通りになるのは困難なよう
です。
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このままで良いのか地球温暖化

2007-08-01 06:54:47 | Weblog
 お隣の国中国では、大洪水と干魃という二つの自然災害が発生して
いるようだ。五月には北京でピンポン玉大のヒョウが降ったと報じられ
ている。また洞庭湖では広大な湖の水位が上昇し、20億匹もの鼠が
住みかを追われ周辺地域へ広がり被害をもたらしている。

 大洪水による被災者や死者の数も報じられている数字より遙かに
大きな数字だとも言われている。緊急援助を要請したと報じられて
いるから尋常な被災状況でない事は明らかだ。

 広大な中国で今何が起きているのか、厳しい報道管制もあって真実
が見えてこない。中国政府はもっと事実を明らかにすべきではない
だろうか。

 アメリカでは中国からの輸入品に疑惑の目が向けられている。しかし、
多くのものを中国の輸入品に依存しているアメリカである。直ちに
輸入ストップ出来ないのが実状のようだ。しかし、他人事と笑って
済ませるわけにはいかない。と言うのも日本も同じように中国からの
輸入品に依存しているからだ。一説によると輸入野菜の無許可農薬は
輸入元である日本の商社も絡んでいるとも言われている。それが事実
だとすれば日本の商社のモラルが問われる。たとえそうではないと
しても税関の検査で引っかからないような安全な野菜や商品を持ち込む
義務がある。安かろう悪かろうでは済まされない。
 人のモラルと異常気象、何かが何処かで狂い始めているような気が
してならない。

 さて、明らかに地球温暖化の影響と思える各国での異常現象をどう
考えれば良いのだろう。私達には、なかなか世界の情報が届きにくい
ので他の国でどんな事が起きているのか良く分からないのだが、
インターネットなどの情報をつなぎ合わせていくと、大変な事態に
立ち至っていることが、おぼろげながらも見えてくる。

 地球温暖化の影響は、多くの人の無関心をよそに着々とその全貌を
現し初めているようだ。しかしながら日本国内において、こうした
問題が大きく報じられた事は皆無に等しい。何故なのだろう。政府が
報道管制をしているのだろうか。それとも国民年金の方が急ぐべき
問題なのだろうか。政治の場がドタバタ劇を演じている間にも地球
温暖化ガスは24時間休むことなく吐き出され、多くは大気中に蓄積
され続けている。

 私は県から地球温暖化防止推進員という役目を貰い、温暖化防止の
ために働いているが、我々自身が勉強をしているような段階ではない
ように思っている。国も県ももっと削減に効果のある具体的な手を
次々に打っていくべき時ではないのだろうか。

 今年になって早くも二度も台風がやってきた。従来にはなかった事だ。
この時期、過去には迷走台風が多かった。ところが今年は4号、5号
共に発生して間もなく、ストレートに北上し日本列島を襲った。こう
した事も従来にはなかったことだ。幸いに被害は少なかったものの、
これから先が本格的なシーズンだ。どんな台風が来るか分からない。

 今の段階でなすべき事は法による排出規制と生活レベルを下げて
でも地球温暖化をくい止めるための私達の覚悟が必要なのではない
だろうか。地球温暖化の影響は孫子の時代の事ではない。既に始まって
いる明日のことでもある。
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