人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

ご苦労様です

2011-04-28 06:03:33 | Weblog
 暖かい日の光と適度な雨、庭も畑も見る見るうちに変わって行く。草も伸びれば花や野菜や果樹も
大きくなる。これ全て自然の恵みであり、太陽の働きによるものだ。しみじみと地球は太陽の働きに
よって形作られている事を実感している。

 異常に寒い日もあれば、夏を思わせるような日もあって、体調不良を感じている人も多いのでは
ないでしょうか。ましてや被災地では長い避難所暮らし、さぞかし不自由な思いをされていることと
思います。

 今朝ほどやっとウグイスの鳴き声を聞くことが出来ました。まだ、春先のような下手な鳴き方です。
暦の上ではもうすぐ初夏です。夏も近づく八十八夜、茶摘みの頃です。

 昨日は「いどばたNIE」で、お弁当の話が出ました。ある幼稚園で子ども達が「ごっこ遊び」を
していたそうです。その遊びの中で驚くようなシーンがあったと記事の紹介がありました。

 「ごっこ遊び」ですから、そこには何もありません。ある子が差し出したのは「おにぎり」でした。
受け取った子が食べようとすると、側にいた子が注意しました。おにぎりを包んでいるセロファンを
取り除けと、食べる格好をした子に注意したと言うのです。

 如何に「ごっこ遊び」だとは言え、几帳面な子にはいきなりほおばる子に違和感を感じたのでしょう。
おにぎりを包んでいるセロファンを取れという注意は、その子が常日頃おにぎりと言えばコンビニの
ものしか食べたことがなかったからではないかと記事を書いた人は述べています。

 その続きには、お茶と言えばコンビニのお茶というのが当たり前の世の中になっているそうです。
私達世代には考えられないことですが、今の子ども達やその親達にとって当たり前のことになって
いるようなのです。

 そう言えば食事の時にお茶代わりに牛乳だとか、ジュースやコカコーラなどと言うこともあるので
しょうか。


 また、私達より一世代も下の若い人の中には今回の大震災後、過去に戻るような感覚がしている
と話していました。戦中に生まれ、戦後の何もない時代を過ごした私達には戻るという感覚はなく、
被災地の荒れ果てた現状を見るとき、私達世代の原点を見ているような気がします。

 どのような状況になろうとも、どんなことをしてでも生きていく事が出来るという自負があるから
です。ものの裕福な時代に生まれ育った世代と、何もない時代から今日まで生きてきた世代には、
このような感覚の隔たりがあるようです。

 人間というものは生まれ育った環境によってずいぶん異なる人間が出来てしまうようです。普段は
感覚の異なる人間同士が一緒に生活していても違和感はないのでしょうが、こうした極端な時代を
経験するようになると、両者の違いが際だってくるようです。


 さて、小沢さんへの政治献金の問題が再燃しています。民主党内の菅降ろしに呼応するような形で
裁判が行われ、自供が曖昧だったと言われている水谷建設の社長からの1億円にのぼる献金が、
そっと授受されたと裁判の中で述べられています。

 現金は二度に分けて渡したと言うからには5000万円ずつ渡したと言うことでしょう。しかし、
5000万円の札束は、どう考えてもホテルのロビーなどで、こそっと手渡せるようなものでは
ないような気がします。ましてや紙袋などに入れて渡すには大きすぎるものです。

 本当に金銭の授受はあったのでしょうか。いずれにせよ一方は渡したと言い、一方は受け取って
いないと言っています。どちらかが嘘をついている事になります。

 先の検察官のニセ供述書事件は検事本人がねつ造を認め罪に服することになりました。ありもしない
事件をでっち上げ、それをあたかも本物の事件のように報道し、罪なき人を罪に陥れた人達は裁かれ
なくても良いのでしょうか。

 嘘がまかり通るような世の中に対し、天は何かを警告しているような気がしてなりません。またこの
季節の異常さは、被災地の嘆きとも受け取れるような気がしてなりません。

 地球温暖化、アメリカでは大きな竜巻により多くの被災者が出ています。原発問題の一方で異常気象
は今も進行中です。原発をどうするかという議論の前に私達自身がどのような生活を選択しようとして
いるのかが問われているのです。全てが右肩上がりでなければならないと言う経済のあり方を考え直さ
なければ今回の教訓は生かされないのではないでしょうか。

 私達は、どこかで何か大切なものを置き忘れてきたような気がします。それが何かを気付くチャンス
だと思います。先日、地元のある小学校で環境の話をしました。この時、ある小学生から「2012年
になったら本当に地球は滅ぶのか」という質問を受けました。

 むろん私は即座に否定しましたが、このままの生き方を続けていけば、そう遠くない将来には
子ども達が心配しているような事になるかも知れない。そう考えていました。子ども達は真剣に
未来のことを心配をしているようでした。

 この子達も、あの東日本大震災を見て少なからぬショックを受けているのではないかと思われ
ます。先日も余震の怯える子ども達が多いというニュースが流れていました。大人の私でさせ
津波が全てを飲み込んでいく様を見て体が震えましたから、こうした子ども達にも少なからぬ
衝撃的な事件だったのではないかと思います。言いしれぬ恐れが子ども達の心にも暗い影を落と
しているようです。

 連日のように天皇、皇后両陛下が被災地を慰問されています。頭の下がる思いです。健康状態も
決して万全とは言えない両陛下なのに被災地のみなさんを訪ねての旅なのです。どうかお疲れを
出されぬように。

 また、被災地での被災者の捜索に当たっておられる皆さんご苦労様です。また、原子炉近くで
仕事をされているみなさんも本当にご苦労様です。こうした人達のお陰で少しずつ平常心に戻り
つつあります。心から感謝しています。
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笑顔をこそ復活の力に

2011-04-23 07:50:28 | Weblog
 今日は御大師様の命日である。あいにくの雨になったが熱心な信者さん達の列は続く。今日は家内達
も早朝から近くでお祀りしている大師堂に出かけ接待を行っている。接待を受けるものにも接待を行う
ものにも幸多かれと祈る。ちなみに私は、このお堂の堂守である。

 このお堂、長年の風雪に耐え雨漏りがひどかった。一念発起の後、昨年屋根修理を行った。見違える
ほどにきれいになった。損得抜きで引き受けてくれた近所の大工さんのお陰である。心から感謝している。

 さて、「子育てサロンプーさん」の新年度が始まった。昨年から水島と分離独立して一年が過ぎた。
Oさんに、おんぶにだっこで3年間、やっと独り立ちが出来た子育てサロンである。

 振り返って見れば、私の一途な思いから子育てサロンの運営は始まった。あまりにも幼児虐待などが
多く、私に何か出来ることはないだろうかと考えていたからだ。子育ての悩みを聞いてあげる場を作り
たい。母親の孤立を防ぎたい。そう考えたのが始まりだった。

 本当はこうした場所に来てくれる人より、家に閉じこもって思い悩んでいるお母さん達こそ問題なの
かも知れない。そう思いながら続けている。

 倉敷市からの補助金は年間2万4千円、これではとても十分とは言えない金額だ。大半は子育て
サロンに力を貸してくれる友人達のボランティア精神に負うところが多い。市は他に使うお金を
見直してでも、こうした活動へ資金を出すことは出来ないのだろうか。市の財政がそこまで逼迫して
いるとは思えないのだが。

 不思議な事に今年はウグイスの声を未だ聞いていない。例年ならばウグイスの鳴き声で目覚めることも
少なくないのだが、どうしたのだろう。心なしかツバメの姿も少ないようだ。何か自然には私達人間の
気付かないような変化が生じているのだろうか。

 どうやら東北の被災地にも桜の花が開き始めたようである。季節は大事件にも関係なく確実に動いて
いるようだ。かつてないほどの大惨事となった東日本大震災だが、この大震災の問いかけているものは
何だろうか。繰り返し考えている昨今である。

 全く意味のない大惨事とは思えない。また、この大惨事をあらかじめ予測していたかのような様々な
出来事も単なる自然現象とは思えない。何か意味がある。この世に生ずることで意味のないものはない。
だとすれば、それは何か。

 この世の中はプラスもあればマイナスもある。足し引きすれば得も損もない。悪い出来事の裏には
必ず良いことがある。それに気付いていないだけのことである。そう思っている。

 私達は精神的に強くならなければ生きてはいけない、そんな時代に生きている。弱い気持や思いは
悪いことを引き寄せてしまう。

 未だ終息の見えない原発だが、早くも被爆した大地を取り戻したいと色んな提言がなされている。
その一つが向日葵や菜種の種を蒔いて放射能を吸収させようと言う試みである。かつての原発事故の
被災地チェルノブイリでで試みられ、それなりの実績が得られているようである。

 また、EMを撒いて何とかしようと言う試みも行われている。私の知人は津波に襲われた農地に綿を
植えてはどうかという提言をしている。現に岡山県では塩害の残る干拓地で、お米が作れるようになる
までの間、綿作を行っていたことがある。綿は塩害に強い。米作りにこだわる必要はない。時あたかも
原綿の高騰している時でもある。

 実は、自然は一つだけでなく二つも三つも解決策を準備してくれている。それを実行に移すのは私達
の強い意志である。私達の意識や意志こそ復旧の大きな礎(いしずえ)だ。そして原発事故の収拾にも
必ず有効な収拾の手段はあるはずだ。今はまだそれを見付けていないだけだと思っている。

 そして、ソフトバンクの孫さんのように、本気で原発後のエネルギー問題を考えてみたい。それが
奇しくもチェルノブイリから25年を経過して、いま新たに私達に突きつけられた緊急課題ではない
だろうか。
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季節の移り変わり

2011-04-19 05:24:34 | Weblog
 我が家の畑は、桃や梨の花盛りです。どんな大災害や大事件が起きようとも季節は巡り来るもの
ですね。当たり前のことだと言ってしまえばそれだけのことですが、実はこの当たり前の事がとても
大切なことなのです。目先のことだけに追われるような生活をしていたのでは、なかなか気付かない
のではないでしょうか。

 被災地にも桜の花が咲き始めたと報道で知りました。あれだけの大津波と塩水に浸かりながら桜は
健気にも生きていたようです。命のたくましさを感じます。しかし、一度塩水に浸かった田や畑は
容易に元の状態には回復しないようです。

 私の住んでいる街でも八年ほど前の台風の際、高潮の被害に遭ったところでは多くの木々が枯れて
しまいました。未だ、その時の後遺症が残っているところもあります。回復までには、何年かの時が
必要かも知れませんね。

 桜の花が急速に散り始めました。これから山は若葉の季節です。今年は暖かい日があるかと思えば
ストーブが必要なくらい寒い日があります。寒暖の差が大きいようです。被災地のみなさんにとって
不自由な生活が続いています。くれぐれも健康には気を付けて下さい。

 時々、テレビを通してみる被災地の子ども達の笑顔には癒されます。大地震後、ずいぶん涙もろく
なりました。心温まる報道を見聞きする度に涙が溢れてきます。テレビドラマにも涙を流すことが多く
なりました。年を取ったからでしょうか。それとも私の心に何か大きな変化が生じたのでしょうか。

 韓国の人達はスターだけでなく、多くの人達が心から私達に同情してくれているようです。韓国の
人達は感情豊かな人が多いと聞いています。だから余計に隣人のことを他人事とは思えないのかも
知れません。

 何かしら人の心に生じた変化のようなものを感じます。実は地球上に国境などという線はないのです。
ましてや私達は、たった一つの遺伝子が様々に分化して今日に至っているだけの事なのです。

 ミトコンドリアイブと言うことを知っていますか。私達の遺伝子をたどっていくと、たった一人の
女性の遺伝子にたどり着くそうです。人間みな兄弟姉妹なのです。争い事などしているときではない
のです。

 神も仏もみんな我が心の中にあるのです。ましてやキリスト教やユダヤ教、イスラム教などの違いは
ないのです。宗教的な心の有り様は我が心に生じた事なのです。どうか、今すぐにでも国境や宗教的な
対立を捨てて、明日からの地球のことを考えてみたいものです。

 今は大地震に目を奪われていますが、それまで毎日のように報道されていた鳥インフルエンザや
韓国での口蹄疫、新燃岳の噴火は治まったのでしょうか。そして、いつ強毒性のインフルエンザが
流行し始めるか分からないのです。

 依然としてこうした恐怖は去っていません。私達の祖先は幾多の試練や困難を乗り越えながら命を
繋いできました。そして、これからも命は繋がっていくものと確信しています。それが命なのです。

 命はしたたかなのです。どんなに恐ろしい病気が流行ろうとも生き残る人は出てきます。命の持つ
不思議さです。決して種の全滅等と言うことはないのです。地球規模の気象変動をもたらした小惑星
の衝突の時でも命の連鎖はありました。恐竜の多くが絶滅し、その後を埋めるようにほ乳類が大繁殖を
しました。

 桃と梨の花が咲いています。ピンクと白の取り合わせがとてもきれいです。梅やスモモ、アンズの
実が大きくなり始めました。枇杷の袋掛けが急がれます。夏野菜の植え付け準備も急がれます。今年
のように遅霜が心配されるほど夜が冷えると夏野菜を早植えするのもどうかと思いながら状況を見て
います。

 昨日は良い雨が降りました。乾燥気味だった畑に久々の恵みの雨でした。自然は本当にありがたい
ものです。自然に感謝の日々を送っています。全ては太陽と地球の関係で作られたものです。太陽と
地球に感謝しながら・・・。
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震災復興

2011-04-16 05:17:09 | Weblog
 相次ぐ余震が続く中、震災現場において、いつまでもこのような状態ではいられないとして復興の
兆しが見え始めた。日本人の底力、東北人の粘り強さを垣間見るようだ。

 そんな状況の中、新しい復興計画案なるものも提示され始めたようだ。どんな高い強固な防波堤を
築くよりも高台に住宅地を建設する方が良い。それは前の大津波からの教訓だったようである。事実、
高台に作った住宅地では被害らしい被害はなかった。今後の復興計画の大きな柱になるのではない
だろうか。

 インドネシアのスマトラ島を襲った大津波の際の余震は五年後にあったと報じられている。未だ
余震の治まらない状況にあるが、今後、数年は大きな余震があるものとして復興計画を考えた方が
良さそうである。

 それにしても驚くのは東北新幹線である。一部、高架橋に阪神大震災の時に見られたような橋脚の
損傷はあったものの、脱線事故もなく不幸中の幸いだったと言えよう。

 どうやら地震の事前感知機能が働き、減速運転に入っていたようだ。高速運転のままだと、あるいは
脱線という事態になりかねなかった。地震対策を十分に行っていた成果であろう。技術大国日本の誇り
でもある。

 また、仙台平野をなめ尽くすように襲いかかった津波を見ていて気付いた事であるが、少なくとも
津波に飲み込まれるまでの住宅にさしたる損傷が見られなかった事である。これは耐震化に力を入れて
きた成果ではないだろうか。

 今、岡山県でも阪神大震災の教訓から公立学校の耐震化工事が次々に行われている。古い建物は耐震
強度に問題がある。従って、今後もその対策は必要であろう。

 どうやら世界から日本人は特殊な民族に見られているようだ。震災後に社会的な秩序の乱れが見られ
なかったこと。我慢強いこと。これらが奇跡的とも言われた戦後復興にダブって見えるのかも知れない。
曰く「日本人は必ず立ち直るであろう」

 確かに日本人には他国に見られないような特質があるようだ。この日本人特有の性格は何故作られて
きたのだろう。地震、火山活動、台風と、この国に課せられた試練は少なくない。建てたものが、すぐに
破壊されてきたような事も少なくない。その度に再建築されてきた。

 時の為政者に頼ってばかりいられなかった。民衆は不満を為政者に投げかける前に自らの試練として
受け止め耐えてきた。その歴史は長い。特に農業技術の確立していなかった、その昔は冷害などの被害
によって餓死者を出すようなことも少なくなかった。

 また、2.26事件の背景にあったと言われている貧しさ故の人身売買なども歴史に残されている。
こうした事の積み重ねの中に粘り強さが培われて行ったのであろうか。宮沢賢治の詠んだ詩の中にも
書かれている。「雨にも負けず、風にも負けず・・・」

 それ故に時の権力者や政権に向かうべき民衆のエネルギーが発散されることはなかったのだろうか。
つい先ほどまで自民党政権からの本格的な政権移行は行われなかった。これはある種の不幸である。
やはり向かうべきは政権の舵取りに対してである。

 今回の天災も人災という一面が見え始めている。このままの政権で良いのだろうか。菅政権に舵取り
を任せておいて良いのだろうか。復興に向けての政権のあり方を考えて見たい。強力なリーダーシップ
の執れる人が政権の座に就いて欲しい。

 相次いで市町村合併が続く中、古い地名がどんどん消えていく。実は消えていく古い地名の中に過去
の教訓が込められていることをご存じであろうか。地名には地形など今は見えなくなったものが色濃く
反映されている場合が少なくない。

 そうしたことは北海道の地名に数多く残されている。先人達が地形を見て名付けたものである。同じ
ような事例は北海道だけでなく各地に存在する。

 それらは百年に一度位の頻度で発生する大災害を避けるためのサインかも知れない。調べてみると
面白い。

 また、宅地造成によって埋め立てられ、今は見えなくなった地形や地域的な特徴がある。池を埋めた
ところは地盤が弱い。地震の際は液状化現象が見られる。地下水脈のあるところは、どんなに強固な
石垣を作っても足下からの崩壊は避けられない。そのようなところは造成すべきではない。等々である。
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科学は万能ではない

2011-04-15 14:47:59 | Weblog
 未だ先の見えない原発問題、この原発問題が震災復興の大きな足かせになっている。なかなかに
やっかいなものを作ったものだ。簡単に制御できないようなものを作っておいて科学万能などとは
とても言えまい。

 私達は科学が万能だと信じ込み、信じ込まされてきた。科学的に解明できないものは迷信だとして
一蹴されてきた。しかし、その科学でどれほどのものが解明できているのだろうか。

 この宇宙にしても自分自身の体にしても不可思議な事ばかりである。この不可思議にして未知なる
ものが膨大にある。私達は、その膨大なるもののわずかばかりのところを知っているに過ぎない。

 コロンブスはアメリカ大陸を発見した。アメリカ大陸はコロンブスが発見しようがすまいが、昔から
そこにあったものである。いわば追認に過ぎない。科学も同じ事である。

 優れた発明発見も自然が有するものの真似事に過ぎない。太陽は核融合によって膨大な熱エネルギー
を発し続けている。人間が核分裂だ核融合だと大騒ぎをしている前から自然に行われていた。

 人間の誕生にいたるまでのプロセスを見てみよう。混沌として普通の生物が住めないような環境を
変えてきたのは膨大な数に上る光合成を行う微生物であった。彼らはひたすらに二酸化炭素を固定し
酸素を吐き続けてきた。それが彼らの繁栄の証であった。

 その結果、この地球上には存在しなかった酸素が生まれた。酸素は光合成を行う従来型の微生物に
とって毒であった。その毒の中で生きるための手段が、新しいタイプの微生物の誕生であった。酸素
を使って生きる微生物の遙か未来に私達の誕生があった。

 これらのプロセスは決して試験管やフラスコや顕微鏡の下で行われたことではない。この地球上の
海という圧倒的な水の中で行われたことである。

 むろん、ここに至るまでにも様々な試練があった。寒冷化、小惑星の衝突等々である。パンゲアと
いう大きな大陸が分裂するという地殻変動もあった。火山活動もあった。むろん数知れぬほどの巨大
地震もあったに違いない。

 そうした様々な試練を受けながらもDNAという命の設計図を受け渡してきた。壮大な生物のドラマ
である。これら人間の叡智の遙かに及ばないような壮大な生への営みであった。

 たかだか人間の歴史は数百万年である。その数百万年の内でも科学といえるほどのものが如何ほど
のものであったろうか。人間はもっと謙虚になるべきではないのだろうか。科学は決して万能ではない。
自然の営みに対しては足下にも及ばない存在であることを肝に銘ずるべきではないのだろうか。

 自然に寄り添った生き方と言うものを、こういう時だからこそ、もう一度考え直してみたい。
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トモダチ作戦

2011-04-10 06:25:30 | Weblog
 多くの善意の手が被災地へ差し延べられています。また、諸外国からも支援物資や援助金も届いて
いるようです。本当にありがたいことです。人の情けと言うものを感じます。

 先にも、このブログに書きましたが、喫茶店のオーナーの提案で活弁口演の売上金は、ささやかでは
ありましたが義援金にさせて頂きました。また、この中に私達のポケットマネーも入れさせて頂きました。

 今回の大震災は被災者のみなさんにとって、とても不幸な出来事でしたが、かつてない規模で善意の
輪が世界中に広がると言う希有な現象が生じています。

 こうした動きが、これから先も予想されるであろう色んな天災や不幸な出来事に対して、世界の人々
が一緒になって助け合うという動きに繋がるようになれば、亡くなられた多くの方々の霊にも報いる
ことが出来るのではないかと思います。

 たとえ救世主は現れなくても私達一人一人が救世主になれば良いのです。私達人間は、自分自身では
想像も出来ないような強い意志を持っています。この意志というか、意識のあり方を少し変えるだけで
どんなことも実現出来ますし、どんな困難なことにも立ち向かえます。

 私達は、これからも生ずるかも知れない不幸な出来事の入り口に立たされているのかも知れません。
明日のことが分からないのが人生です。昨晩、久々にこの地方でも小さな地震がありました。先日の
新聞の片隅には小さく記事が載せてありました。その記事によると、地震の頻度は東北地方から次第に
西へ移動しているようです。どうかこれ以上、不幸な出来事が起きないように願うとともに、心の
準備だけはしておきたいと思います。

 人は自分自身の人生を選んで、この世に生を受けたと言われています。従って、全ての人がそれぞれ
の人生を背負って生きています。どのように生きるかは、その人それぞれに任せられています。明るく
生きよう思えば、どんな不幸な出来事に遭遇しようとも明るく生きていける、そんな気がしています。

 むろん、私自身の人生も未だ現在進行形ですから確信を持って言っているわけではありません。そう
言われてみればと、過去の体験の中に思い当たることがたくさんあります。

 これを世間では「引き寄せ」と言うのだそうです。どうか心の中のマイナスイメージをキャンセルし
プラス思考に変えてみて下さい。特にマスコミから受ける影響は大きいですから、個々人が心がけると
ともに報道関係の方々も心して対処願いたいものです。事件を面白可笑しく茶化して人の心をかき乱す
ような番組作りや報道を控えて貰いたいものです。

 少しずつですが北国にも春の兆しが感じられて来ました。かつて広島や長崎の被爆地で、いち早く
芽を出した木々を見て多くの市民の方々が励まされたという話を聞いたことがあります。春は必ず
来ます。多くの人が支援の手を差し延べています。元気を出して下さい。

 アメリカ軍が「トモダチ作戦」と称して被災地に入っています。アメリカの海兵隊と言えば最強の
軍団だと聞いています。本来は戦地に向けて派遣される兵士が被災地で平和のための活動をしています。
かつてこのような事があったでしょうか。あったとしても極めて限定的な作戦行動であったと思います。

 如何に百戦錬磨の兵士と言えども人を殺すことが気持の良いものだとは思えません。被災地の人達
から手を合わせての感謝の言葉を聞く、どんなにか兵士自身も癒されていると思います。こうして
人の心が変わっていく、そのことこそ今回の不幸な出来事が報われるのではないでしょうか。

 評論家達は色んなことを言いますが、自ら行動を起こしたことがあるのでしょうか。街頭に立って
援助金のカンパをしたと言う話を聞いたことがありません。被災地に入ってボランティアをしたという
話を聞いたことがありません。

 政治家はどうなのでしょう。税金の多くを報酬として受け取りながら、それ相応のことをしてきた
のでしょうか。昨日、統一地方選挙が終わりました。今回も相変わらずの連呼連呼の選挙戦でした。
この人達の多くに政治的なエネルギーを感じる事が出来ません。まだまだ、意識改革と言うには
ほど遠い状況です。

 マスコミ関係者の多くや政治家や評論家と言われる人達こそ、意識改革が一番望まれる人達では
ないでしょうか。備えあれば憂いなし。どうか、これから先のことを考えて心の準備だけはしっかり
しておきたいものです。
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一喜一憂

2011-04-07 05:33:23 | Weblog
 このブログを書いている間に、またまた大きな地震が発生した。先の大地震の余震なのだろうか。
被災状況が懸念される。まだまだ地殻変動は落ち着いてはいないようだし、今後の動向が懸念させる。

 千年近くも前に、この地方一帯で今回の大地震と同じような地震が発生したことがあるようだ。
最近の調査で判明したことである。その対策を急がなければと説明会などを開こうと作業を進めていた
矢先の事であったらしい。歴史は繰り返すと言うことであろうか。

 また、原発事故に関しては一進一退の状況が続いているようだ。どうやら頑丈に作られていると
思われていた格納容器のあちこちに損傷が見られ、そこから冷却水が漏れだし、冷却水とともに
放射性物質も洩れだしているようだ。冷却を続けなければ暴走しかねない、冷却のため通水を続ければ
核物質による汚染水が漏れだしてくる。ジレンマが続いている。

 さて、これらに関する報道も様々である。大丈夫だという報道がある反面、本当に大丈夫なのかと
言った報道もあり、私達はどちらを信じたら良いのか分からない。まあ、中ほどを捉えておけば良い
のだろうか。特に懸念されるのは一部のニュースショー番組での軽口の批判や煽り立てるような問題
の取り上げ方である。

 ソ連のチェルノブイリの事故の時は報道管制が敷かれていたので正確な事は分からなかった。日本
での事故に関しては全くのオープンである。それだけに事故対応を一つ誤ると国際的な批判を受け
かねない。

 チェルノブイリがソ連邦という国家体制の崩壊に繋がったことを考えれば、今回の原発事故は実に
やっかいな問題である。これを機会に世界中から核に関する全てのことを凍結すべきではないだろうか。
いたずらに危険きわまりないものを持っておく必要はない。

 いま、私は50年前の先進各国が競うようにして核実験をしていたときのことを思いだしている。
あの頃、私は高校在学中であった。高校には原子力研究班なるものがあって、私はそのクラブ活動に
加わっていた。

 忘れもしないのは核実験が行われるたびに数日を経て、日本中に死の灰と呼ばれた物質がたくさん
降り注いでいたことである。その頃、汚染物質による危険性の衆知も、ましてや、どれくらい取り
込んだら危険かというような規制もなかった。ある意味、放射性物質の降下は野放しの状態であった。
ただ被爆国として核実験の危険性を訴えての抗議行動は繰り返し行われていた。

 ソ連は自国内の広大な領土の中で、アメリカはビキニ環礁で、フランスはムルロア環礁でと言った
自国とは遠く離れた美しい珊瑚礁の南太平洋で行っていた。近隣の島の住民は強制疎開をさせられて
いたが、今も被爆による後遺症は残っている。当然、大気だけでなく海も著しく汚染されていたはず
である。

 先に旅行でタヒチを訪れた際、フランス軍に徴用された島の住民の中に被爆による後遺症のことが
語られていた。私達は繰り返し核の脅威にさらされ、また、知らぬ間に様々な形での放射能汚染を
経験してきた。あれから、かれこれ50年、その影響はどのようになったのであろうか。

 私達に体内被曝は残っているのだろうか。その後を追跡調査したという話を聞かないし、そのような
ニュースに接したこともない。当然の事ながら、その後に核保有国になった国も大なり小なり自国内で
の核実験を行ってきた。中国、インド、パキスタンなどである。私達は夥しい核を様々な形で保有して
いる。これらを直ちに放棄すべきであろう。

 さて、今回の大地震や津波による被災状況はどのように報道されているのだろうか。かつてケネディ
大統領が暗殺された時のようにリアルタイムで報じられたのであろうか。各国から夥しい励ましの
メッセージや援助物資やお金が届いているようだ。これらの反響を見る限り、世界中の人が一様に
ショックを受けたことが良く分かる。この報道は実にセンセーショナルであったに違いない。

 日本人より遙かに所得の低い人からも義援金が届いているようだ。ありがたいことである。日本人は
当然のことのようにして尽くしてきたことが、当の日本人は忘れていても過去に支援を受けたことの
ある国の人は覚えていてくれた。私達は、その限りに於いて感謝の心とともに、私達のことを誇りに
思っても良いのではないだろうか。

 今回の大事件が引き金となって世界中が一つになれるような意識革命が生ずることを願っている。
私達は一国の被災でも世界中が巻き込まれかねないような小さな天体に住んでいる、核実験による
汚染物質は実験後、瞬く間に地球を覆い尽くした。今回の原発事故も同じである。海、空の境なく
汚染が進んでいる。

 しかし、50年前にはその危険性を知らせる基準もなく、ましてや大国を相手にしての抗議すら
無視されるような繰り返しの中で、夥しい数の核実験が行われてきたのである。もう一度、かけがえ
のない、この小さな地球という天体の未来のことを考えてみたい。

 この冬、極北ではかつてないほどの巨大オゾンホールが出没したと報じられている。フロンガスに
よるものだ。私達の飽くなき欲望とエネルギーの浪費の果てに生ずるものは何なのか。
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我が家の春

2011-04-06 04:37:52 | Weblog
 暗いニュースが続く昨今、それでも被災地の子ども達の屈託のない笑顔を見るときに、何となく
ホッとさせられる。子どもは宝だ。この笑顔にこそ明日のエネルギーを感じることが出来る。

 被災地には厳しい冬の名残が感じられる。いつまでこの寒さは続くのだろう。しかし、この寒さ故に
助けられていることが幾つかあることを考えれば、これも天の采配と言えようか。文句を言っては
いけない。不平不満を言ってはいけない。生かされてあることを感謝しよう。

 さて、我が家はと言うとミュージカル「最後の五匹」を終えて一段落と言ったところであろうか。
暇さえあれば畑に出ている。

 畑では冬物野菜が終わり、一斉に花開き始めた。取り残された白菜、水菜、チンゲンサイ、高菜など
黄色の花が美しい。ダイコンの如きは私の太股ほどに太くなっている。初めての事である。どうやら
4年目に入り、土の質が大きく変化してきた証拠であろう。EMのお陰である。

 果樹畑の方では梅に続いてアンズ、スモモの花が満開だ。桃やリンゴ、梨の蕾も膨らみ始めている。
今年はキウイに蕾は付くだろうか。

 寒さ故か、なかなか芽が出なかったジャガイモの芽が土をい割って顔を見せている。ここにも春が
来たようだ。どんな事があろうとも季節は確実に移り変わっているようだ。

 そして、いよいよ枇杷の実も膨らみ始めた。この調子では早めの袋掛けも必要になってきた。枇杷
の袋掛けが終わる頃には初夏が近い。一斉にミカン類の花開く頃である。

 昨日、地元の小学校での環境教育の依頼を受けた。毎年、春と秋に実施している。今年はどんな話を
しようか。小学校もいよいよ新学期なのだなあ。被災地の子ども達の新学期はどんな新学期なのだろう。
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シンプルライフ

2011-04-03 06:12:21 | Weblog
 人は、このような形でなければ生き方を変えることは出来ないのだろうか。東北関東大震災は津波に
よる生活破壊と原発の事故という大きな災害を残していった。この大災害の残していったものの意味は
大きい。

 かねてより私達は、私達の生き方について様々な形での問いかけを受けていた。地球温暖化による
気候変動、エネルギー資源(電気、石油、天然ガス、石炭、地下資源)の飽くなき浪費、生活用品の
浪費(私自身の反省も含めて)、金さえ出せば何でも手にはいるという思い上がり(拝金主義)、
暴力、虐待、麻薬、ねつ造による犯罪捜査、飽くなき政争、不毛な議論の積み重ね、他人事のような
面白半分のニュースショーのあり方、生き方を見失った人々、自殺、過労、就職難、絶望、そして
今も続く地域紛争や戦争等々、数え上げれば切りがないほど、今の世は生き地獄のような様相を呈して
きた。

 しかし、いずれも解決の目処も付かないまま、複雑に絡み合って更に深刻さを加えている。どこかで
何らかの方法でリセットしなければ収拾が付かなくなる。そんな危機感や絶望感を抱いていたのは
私だけだろうか。

 被災地の方々には誠に気の毒だけれど、今回の大震災や原発事故は、私には神からの警告のような
気がしてならないのである。「お前達の手で出来なければ、わしの手でやるしかないが良いか」と
問われているような気がしてならないのである。むろん私は無神論者であるが、それでも自然が私達に
何かを問いかけているような気がしている。

 東日本に目が向いている間にも西日本では少しずつ物不足が進んでいる。買い占めなどによるもの
ではない。震災復興のための資材が足らないのだ。先日も建築関係の人が来て合板やシステムキッチン
などの入手が困難になっていて、仕事を受注することが出来ないのだと話していた。

 土木や建設関係に合板は欠かせない資材である。その合板が不足していては仕事にならないであろう。
瀬戸大橋線の電車は間引き運転になっている。原因は電車のモーターのブラシ(黒鉛で出来ている)が
入手できないとの事である。もともと一時間に一本しかない電車を間引き運転とは情けないことに
なってしまったものだ。

 被災地報道が多い中で、あまり報道されることの少ない鹿島コンビナートであるが、この地域には
運転再開の目処が付かないまま相当数の会社が運転停止の状態にあるようだ。多くの従業員が自宅待機
だと聞いている。

 アメリカの自動車会社が運転停止に追い込まれている。原因は茨城県にある日立関連の会社からの
部品調達の目処が立たないとの事である。このように国の内外を問わず私達の生活は有機的に結ばれ
営まれている。その一角に損傷を来すと、その影響は計り知れないものとなる。

 私達は戦後、無一物に近いような状況からはい上がってきた。それをかろうじて支えたのは戦争の
被害に遭わなかった田舎である。田舎は主人や息子を戦地に取られたが農地だけは無傷だった。戦後、
この農地の細々とした生産が多くの人の命を支えた。闇米などと呼ばれ取り締まりの対象になったのは、
この頃の事である。

 私の父も糸の仲買という仕事を見付けるまでの数年間は徒歩で山間部の農家へ出稼ぎに行っていた。
お金の代わりに貰って帰るサツマイモや時々の野菜などが質素な生活を支えてきた。

 私達には西日本や北海道、九州、四国という無傷の財産が残されている。これらを生かして東日本を
支えていかなければならない。そして、出来れば戦後復旧の底力となった街の工場の復活を願っている。
これらの工場があったからこそ、多くの雇用を生み私達労働者の生活を支えてきた。決して大企業が
支えてきたわけではない。

 雇用こそは復旧の要である。仕事があれば希望は持てる。不屈の日本人魂を見せるときだ。そして、
この教訓を将来に生かしたい。私達は人間とは何か、私達が生きていくと言うことはどんな意味がある
のかと言ったことを世界規模で問いかけられている。

 自然に寄り添って生きる生き方の大切さを求められている。シンプルで質素な生き方こそ目指すべき
地球に寄り添った生き方だと思うのだが。今までの物やお金中心の生き方を完全にリセットし、お金や
物に囚われないシンプルな生き方を目指したい。そうすれば自然は有り余るほどの恩恵を与えてくれる
はずである。

 今回の大震災ではかろうじて首都東京は大きな被災を免れた。しかし、立地を考えると今回が運良く
助かったと言うだけの事である。首都移転が言われ初めて久しい。この際、いっそのこと岡山県に
首都を移転してはどうだろうか。岡山県は比較的天災の軽微なところである。吉備高原当たりが空港も
近く山陽道や中国道と言った高速道路も近い、開発途中で放棄されたところも残っていて最適地だと
思うのだが。何よりも「晴れの国」と言うのが明るくて良い。但し、島根原発からの距離が近い。
懸念材料の一つである。

 被災者の皆さんに一日も早く心落ち着ける日が戻ってくることを心よりお祈りしています。
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水に救われて

2011-04-01 06:35:23 | Weblog
 太平洋や大西洋、インド洋と世界に名だたる大海原を船で行くと、その圧倒的な水の量に驚かされる。
船の舳先でかき分けられた海面をトビウオたちが先を争うように散っていく。

 そして時には思いがけないものが姿を見せる。クジラやイルカたちだ。イルカは群になって海水面に
姿を現し飛び跳ねながら去っていく。穏やかな日は海がまるで鏡のようになり、遠く水平線上に浮かぶ
入道雲を映している。これが水の惑星と呼ばれる地球の由縁であろう。

 今、日本は東日本の大震災後、自然災害では経験したことのないような危機的状態にある。そして
原発問題は更に踏み込んだ対策が求められている。今の世だから色んな対策や手段が考えられるに違い
ない。多くの知見を結集し危機的状態を何とか脱したい。

 今回の大地震で何が問題だったのか。その一つが、冷却機能が完全に失われたことにある。緊急停止
をしても原子炉はなお過熱状態にある。従って、相当時間の冷却が必要だ。その冷却には水が使われて
いる。この水を循環させる機能が停電のために失われてしまった。

 非常用の発電機も動かせない、それに代わる直流電源装置も放電してしまい、ついには全ての冷却機能
が失われてしまった。そのために一部の炉心が露出し高熱のため溶け始めた。その時使われたのが海水で
ある。

 東京消防庁などの必至の放水活動により、かろうじて暴走を食い止めることが出来た。そして今は
海水に代わり米軍から提供された真水が使われている。

 もっと早く、何とかしたらというのは後で言うことで、こんな混乱時に絵に描いたような対策は簡単
に出来るものではない。

 私の経験で化学工場の大火災を経験したことがあるが、足がすくんで動きがとれなかった。ましてや
原子炉の暴走などと言う未知の分野の経験である。全ては初めての事ばかりである。対応の遅れや不備
を口で言うのは簡単だが、現実となるとそう簡単なものではない。

 今はただ冷静に今後の事を考えてみたい。原子炉は意外にも水で冷やされているばかりでなく、有害
な放射線も水が抑制している。水が周辺への放射能洩れを防いでいるのだ。

 このことを考えるときに水の惑星と呼ばれる地球と原発の因果関係を思わざるを得ない。私達は水に
よって生かされ、水によって助けられている。きっと、これから先を考えるとき「水」がのキーワードと
なるような気がしてならない。

 さて、今回の原発問題は新たなる対応を迫られている。放射能の拡散防止と根本的な沈静化である。
田中宇さんが、この辺のところを分かりやすく書いているので、そのサイトを紹介したい。

http://tanakanews.com/110331japan.htm

 ともあれ、アメリカ軍の特殊部隊、フランスのサルコジ大統領の来日など世界からの支援も届いて
いる。今回の原発問題は単に日本だけの問題ではなく悪くすれば地球規模の問題でもある。世界が一つ
になって、この事態をどのように乗り切ることが出来るのか。その動きが国境を越えて全人類の統一に
向かうきっかけにでもなればと願うばかりである。

 私達は大震災、原発事故を通じて大きな意識の変革を求められている。希望は捨てては行けない。
その先にあるものを見つめながら新しい未来に向けての第一歩を踏み出したい。世界が日本人の動向に
目を向けている。あれだけ日本人を牽制してきた中国人でさえ、日本人の冷静沈着な行動に驚いている。

 やはり日本人は数多くの宿命を担わされた民族のような気がしてならない。それにしても一部の
ニュースショー番組などの中には、小さな問題をほじくり返しての批判的な論評を加えた番組が
少なくない。実は、この番組制作者達が今日の不幸な日本を形作ってきたという反省はないのだろうか。
今は一丸となって復興を目指してがんばるべき時なのに。
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