人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

原発の是非を考える

2012-02-27 06:07:44 | Weblog
 原発廃棄論が高まる中、もう一度、原発の何たるかを考えてみたい。被爆国日本では核に対する
関心は高い。そして4回も核の洗礼を受けている。一度は広島、二度目は長崎、そして三度目は
ビキニ環礁近くで操業中のマグロ漁船が死の灰(放射性物質を含むチリ)を被爆、そして今回の
福島第一原子力発電所の爆発による被爆である。

 こんな国は他にない。それにも関わらず原子力を止めてしまおうという議論にはなかなかならない
のは何故か。そして一方、原発は何が何でも反対だという人も多い。

 しかし、圧倒的な人は何の意思表示もしていない。それは原発が何であるかを知らない人が多すぎる
からではないだろうか。原発のことは難しすぎて分からないと思い込んでいるからではないだろうか。
もっと原子力や核のことを知れば是非の判断もしやすいのではないだろうか。

 国民的な議論にならず、あたら感情論だけが先行しているような気がしてならない。もっと冷静に
原発の是非を議論してみたい。

 国民に情報らしい情報も与えず原子力行政は進められてきた。そうしてきたのは時の政府や自民党、
ひいては学会やマスコミである。まるで原子力を語ることはタブーのように議論に蓋をしてきた。

 原発を受け入れた地域住民の中で原発についてどれほどのことが理解されていただろう。地域の
活性化だとか、過疎化対策だとか、仕事が増えるからだとか、おおよそ原発とはかけ離れた思いの
中で受け入れて来た。

 そして金がばらまかれたり反対派の切り崩しなど、おおよそ核の議論とはかけ離れたところで原発
行政は半ば強引に押し進められてきた。その結果が今日を招いている。

 原発問題はさして難しい問題ではない。核そのものを語るとすればそれなりの知識は必要であるが、
原子力発電の仕組みは実に簡単である。要は発電のための熱源を何に求めるかの違いによる。

 石炭や石油やガスなど化石燃料を用いるか、核分裂による核物質の崩壊の際に出てくる熱を利用する
かの違いである。一方は化学反応による熱であり、一方は核分裂による熱である。両反応は次元の
異なる世界の話であるが、熱源という点では全く違わない。

 しかし核は非常に扱いにくい物質である。そして核分裂は制御しにくい。だから火力発電所のように
簡単には停止できないし、出力を制御することも難しい。勢い一定出力を維持しつつ、火力発電所などで
需要に応じた制御をしている。余った電気は揚水式の発電所で水を汲み上げてダムに貯えている。

 今回の事故でも明らかになったように原発にとって水が命である。冷却が効かなくなった原発は
暴走する。自ら発する熱を何かによって取り除かなければならない。そのために非常用の発電機などを
設置し冷却水の循環ポンプを回すようにしている。

 福島第一原発はそれが出来なかった。第二原発はかろうじて非常用発電機が機能した。それは単純に
言えば運命が両者を分けたと言うより設備の違いという単純な問題である。投資を惜しまず二重三重の
安全対策さえしていれば事故は防ぐことが出来た。

 原発の機能劣化や原発の廃棄、使用済みの核燃料をどうするかは別問題である。これはこれで大きな
問題だが一緒に議論をすると難しいことになる。

 今日を招いたのは臭いものには蓋をしろという日本人らしいごまかしによるものである。もっと情報
を一般公開し、理解できない人には出来るだけ理解できるように説明する。その上で何を選択するかの
討論を闘わせたい。必要なら投資を惜しまず必要な安全対策を行いたい。

 デリケートな問題だからと言うだけで情報を公にしてこなかった政府自民党や関係機関、学会や
マスコミにその責任を問いたい。そして改めて国民的な議論の中で今後の在り方を選択したい。
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正義はどこに

2012-02-18 10:33:01 | Weblog
 小沢氏の収賄容疑に関する裁判が新しい展開を見せている。先日の報道が一斉にそのことを伝えて
いる。

 そして、そうしたマスコミの先頭を切って小沢問題を報じてきた朝日新聞も一面トップの小さな
見出しで、そのことを伝えている。

 小沢さんの秘書であった石川知裕議員の供述調書が利益誘導によって作られたものである。従って
小沢裁判に証拠として取り上げることは出来ないというものである。

 そのことは初めから分かっていたことである。それは当の取り調べを行った検察自らが起訴できない
として自ら断念したものであった。それにも関わらず検察審査会なるものまで総動員して裁判を執拗に
続けようとしたのは何故なのか。

 如何に大物政治家と言えども人間である。この間の心の葛藤はいかばかりなものか。私個人は
小沢氏なる政治家を決して好ましい人だとは思っていない。しかし、彼を闇に葬ろうとした何かに対し
多大なる疑問を感じてきた。

 それは小沢さんが師と仰ぐ田中角栄氏のロッキード裁判から始まっていたと見ている。偶然かも
知れないが田中角栄氏の系譜とされる大物政治家は、ことごとく裁判で闇に葬られている。

 それはともかく、今日はgooの記事の一つに『郵便不正事件で無罪判決が確定した村木厚子・厚生
労働省元局長(56)=現内閣府政策統括官=が17日、国側が違法捜査の責任を認めて支払った
賠償金を、社会福祉法人「南高愛隣会」(長崎県雲仙市)に寄付することを明らかにした』とあった。

『同会は、刑務所を出所した知的障害者らの社会復帰を支援している。賠償金約3770万円から、
弁護士費用を除く約3千万円を寄付する。村木さんは「国民の税金を、最も光が当たりにくい人々の
ために使いたい」と話している』とも書かれている。実に素晴らしい行いだと思う。人物高潔なる
人であるが故に出来ることではないだろうか。

 その村木さんをこともあろうに冤罪で獄に繋ごうとは。あの時も新聞やテレビは裏付けもなく
いっせに村木さんを悪者に仕立て上げてきた。

 思い返せば村木さんこそ検察が意図した不当な取り調べによる犠牲者であった。罪無き人が罪を
きせられ獄に繋がれる。こんな理不尽なことがあって良いだろうか。小沢さんとて村木さんと同じ
ように法の前には平等であるべき一人である。

 先日の報道はこのようなものであった。『資金管理団体「陸山会」をめぐる土地取引事件で、
政治資金規正法違反(虚偽記載)の罪で強制起訴された民主党元代表・小沢一郎被告(69)の
第14回公判が17日、東京地裁で開かれた。大善文男裁判長は、元経理担当秘書・石川知裕
衆院議員(38)が捜査段階で「政治資金収支報告書への虚偽記載を小沢氏に報告し、了承を
得た」と認めたとされる供述調書について、すべて証拠として採用しない決定をした』

 また続けてこうも書かれている。『東京地検特捜部で調書を作成した田代政弘検事(45)の
取り調べは「虚偽供述に導く危険性が高く、違法不当だった」と述べ、証拠としての能力はないと
判断した。小沢氏が虚偽記載に関与したことを示す直接的な証拠は元秘書らの調書のみ。後任の
経理担当・池田光智元秘書(34)が共謀を認めた調書の一部は採用されたものの、4月の判決に
向けて、検察官役の指定弁護士は有罪立証の大きな柱を失った』とのことである。

 こんな記事もネットの片隅には掲載されている。『小沢強制起訴を主導したのは、検察ではなく
最高裁だった――? 本当ならば仰天する話だが、ブログを中心に検察審査会のデタラメを追及
してきた匿名ジャーナリストの「一市民 T」氏がこう告発する

 最高裁の中に事務総局という組織があります。ほとんど表に出てくることがなく、秘密のベール
に包まれた組織ですが、実はここが小沢元代表をめぐる一連の裁判の“司令塔”なのです』

 にわかには信じがたいことだが、昨今のように何が起きても不思議ではないような時代に生きて
いると、それもあり得る話だと思えてしまう。

 大新聞やテレビもまた報道の全てが小沢問題を一方的に報じてきた。裏をとるということが
常識である報道関係者が十分な裏付けもなく検察が垂れ流す報道を一方的に報じてきた。その結果、
国民の多くは小沢嫌いも相まって、やはり小沢さんなら不思議ではないと信じ込まされてきた。

 これは戦時中のファッショ報道に相通じるものがある。そして政治ショーよろしく拍手をしながら
その報道に踊らされてきた国民がいる。実に愚かな茶番劇としか言いようがない。

 東日本大震災の不幸な出来事は、そうした愚かな私達に対する天啓ではなかったのか。そう思えて
ならないのである。今私達に求められているのは、真実とは何かと言うことを厳しく見つめる目である。

 今、原発を巡って様々な報道がなされている。そうした報道の中から自民党時代に行われてきた
原発行政や電力会社から報道管制のために支払われてきた莫大なお金の流れが明らかになっている。
そうしたお金に群がってきた政治家や報道関係者、そして業者達、それらは全て金に取り憑かれた
亡者であった。そうしたことの全てを明らかにしなければ、この原発問題の解決はない。

 それは単に原発を持続するかどうかを議論する以前の問題だと思うのだが。
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ここは天国

2012-02-18 09:39:09 | Weblog
 昨日は寒風が吹きすさび、時々、粉雪も舞うような寒い一日であった。しかし、雲間から洩れ来る
日差しはとても明るかった。瀬戸内沿岸は2月も半ばを過ぎる頃になると、もう春の日差しである。
太陽の光や空の色は春のものだ。私達の住んでいるところは本当に恵まれた地域だと思う。

 さて先日、ある住宅関連会社に勤めている人と話していたら意外とも思えるような話を聞いた。
「景気はどうですか」と言う私の質問は、当然返ってくるであろう「いやあ、あまり良くないですよ」
を意図したものであった。

 ところが彼の返事は「今、供給が需要に追いつかないんですよ」と言う意外なものであった。
「ええ、何故なの」「そう言えば景気が悪いとか、どうのこうのと言いながら、一方では新しい
造成地は新しい住宅で埋め尽くされ、その上、立て替えの住宅もたくさんありますよね」と私。
本当に景気が悪かったら、そんなことはないはずである。

 「実は東北の方でも住宅ラッシュで生産が追いつかなくて順番待ちなのですよ」これまた意外な
話であった。打ちひしがれ、その上財産の何もかも無くしてしまい、新しい家どころではない」と
思っていたのは私の勝手な思いこみであった。意外にも建設ラッシュとは・・・。

 そう言えば縫製工場を経営している友人が話していた言葉を思い出す。注文をさばききれなくて
作業場を拡張したとのこと。工場を拡張したのだが、肝心な縫い子さんが集まらなくて困っている
こと、「誰か良い人はいないだろうか」という相談であった。

 「中国からの人がいるじゃあないですか」とは研修生と称しての出稼ぎ労働者のこと。この質問
には「だんだん質が悪くなって使いにくくて困っている」とのこと。縫製は単純作業ばかりでは
ないので言葉の壁も大きいようだ。言葉が壁になって小さな指示が通じないようだ。そして言葉の
問題ばかりではなく、背景には国民性の違いによる問題もあるようだ。

 友人の言葉に寄れば、この業界ももう少し辛抱すれば展望が見えるようになるとのこと。安いだけ
の繊維製品に一方的に追われる時代は終わりを迎えようとしているようだ。妙に確信を持った言葉の
中に、今後の日本の姿が見えたような気がした。

 こうした新しい兆しが見え始めていることを報道は何故伝えようとはしないのだろうか。何事に
寄らずマイナスイメージばかりを助長するような報道ばかりである。一線の記者は何を見ている
のだろうか。彼らの目は節穴だとしか思えない。

 震災という大きな事件は新しい時代を作り出そうとしている。古いものだけの中からは新しい
ものは生まれてこない。乱暴な言い方をすれば信長の破壊があったから秀吉や家康の時代が
あった。太平洋戦争という莫大な犠牲があったから新しい戦後があった。

 「三丁目の夕日」は、まさしく破壊の中から生まれた新しい時代であった。どうやら私達の
国は破壊から建設へと言う周期を繰り返しているらしい。それは人為的なものもあるけれど
多くは台風や大洪水、そして地震や大津波と言った天災であった。

 今はマイナスイメージを払拭して新しい時代への展望を開くべき時ではないだろうか。原発事故
も意外に新しい時代への展望を開く足がかりになるかも知れない。
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春の兆し

2012-02-13 05:09:46 | Weblog
冷え込みはまだまだ厳しいが春の兆しが見え始めた。まず一つは朝明けるのが早くなったこと。
日中の日差しの何と明るいこと。車の中では温かさを通り越して暑いくらい。瀬戸内は確実に
春への一歩を踏み出したようだ。

さて、そんな春の兆しを予感させるような児島の地で初めて本格的な映画上映会を行った。上映した
映画は「ひかりのおと」岡山県の県北に在住している山崎樹一郎さんが脚本を書きメガホンを握った。
彼は都会暮らしから田舎暮らしに転じた若者の一人である。夏場はハウスでトマト栽培をし、シーズン
オフを利用してせっせと撮り貯めたフィルムだ。

 シネマニアを中心とする大勢の仲間に支えられ見事な作品となって今シーズン各所で上映されて来た。
ここ児島も先の試写会を含め二度目の上映であった。

 この作品、県北に於ける農業の実態を余すところなく描いている。酪農を営むある若者と彼の家族、
そして彼を囲む親戚や友人達。農村には決して手放しでは喜べない農家の実態がある。監督は酪農家を
モデルに農家のおかれている実態を誇張することなく等身大に描きたかったとのこと。

 作品が総じて暗すぎるのではないかとか、田舎にも田舎らしい良さがあるのだから、そんなシーンも
入れてはどうかという会場からの意見に対し、その地で暮らしていると生活の厳しさの方が先に立つと
監督は答えている。いわゆるハッピーエンドで終わる劇映画風には描きたくなかったようである。

 そんな気持も理解できるような気もするが、客席からの感想にも頷けるところがある。意見は総じて
二つに分かれたようだ。私達の年代層のものには分かりにくかった。暗かった等、厳しい意見が多かった
ように思われる。反面、若者の中には映画の描き方に工夫が見られて良かったなど年代によって意見は
分かれたようである。
 
 実際のところ上映にこぎ着けるまでは苦労した。東京国際映画祭にノミネートされたとか、オランダ
のロッテルダム国際映画祭に招待されたとは言っても地方の無名の監督が作った作品である。どのように
説明しても観客の動員の一助にはならなかった。

 結局、日頃のお付き合いに免じて無理をお願いしたのが偽らざる実態である。この地で映画鑑賞会を
立ち上げようと言うのがこれからの目標である。児島にはかつて幾つもの映画館があった。それらは
ことごとく閉鎖され、今は一館も残っていない。

 映画の衰退は著しい。しかし映画が唯一の娯楽であった時代に育った私達としては、ぜひとも実現
したい夢の一つである。今はアレコレと策を練っている。

 ともあれ苦労の多かった映画会が一応成功裏に終わってホッとしている。さあ春だ。更に飛躍の時で
ある。人生は楽しむためにある。これが今の私の生き方である。
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