人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

雨は天の恵み

2010-09-23 14:17:40 | Weblog
 午後になって雨は止んだ。ここ二ヶ月近く、この周辺に雨らしい雨は
降らなかった。道路脇の植え込みにも枯れて赤茶けた木が目立つように
なっていた。

 山にも枯れた木々が目立ち始めていた。もともと弱っていた木から
順番に枯れているようだ。自然の摂理である。松は乾燥に強い植物かと
思っていたが、意外にも弱く枯れた木が目立つのはマツノザイセンチュウ
による立ち枯れだけではなさそうである。

 乾燥に強いはずの笹も枯れて白くなっていた。全ては異常な高温と
極度の乾燥によるものだろう。それにしても意外に強いのは豆科植物の
アカシアである。この木は乾燥に強いようだ。砂漠などの緑化に適して
いるかも知れない。

 こんなに高温で、しかも長期間、雨が降らなかったことは過去に余り
記憶がない。やはり今年の夏は異常だった。

 それだけに、この雨は人や動物だけでなく、周辺の草木にとっても
恵みの雨だった。人や動物のように喉が乾いたからと言って、水の側まで
歩いて行けない木々にとって、まさしく恵みの雨だった。一息ついた事で
あろう。

 近隣の畑も遅ればせながら秋野菜の種まきや苗の植え付けが始まった。
その雨は満を持したように降り始めた。その前日の日中は30℃を超える
それまでと変わらない猛暑日だった。しかも時おり乾燥した強い風が
吹いていた。雨が降り始める頃から一気に気温は下がり始めた。

 果樹や野菜にとって気温が高ければ高いほど成長が早いというものでも
ない。やはり適温というものがあって、リンゴの場合なら昼間と夜の気温差
がなければ色付きは良くないし、ブドウも同じ事である。

 野菜にも適温はあるようで30℃を上回ると成長が遅くなるようだ。
ブロッコリーの苗の成長が少し遅れていた。やっと、この雨と気温の
低下で成長が戻ったようだ。

 我が家の果樹で圧倒的に種類の多いのが柑橘類である。柑橘類は他の
果樹に比較すると乾燥にも夏の暑さにも強いようだ。柿の実は日射しが
強すぎると太陽の光が当たった部分だけ日焼けをしている。

 栗も一度、半分以上の葉を落としてしまった。枯れてしまうのでは
ないかと心配したが、どうやら自己防衛のために葉の数を減らしたよう
である。水不足が原因だったようである。また、実がなかなか大きく
ならなかった。専業農家の話では昼と夜の温度差が必要だとの事であった。

 全ては自然の采配なのである。今年は勧める人があって、茂平瓜と言う
ものを植えてみた。金ウリを白くしたような色形をしている。笠岡の茂平
と言うところで偶然に発見されたマクワウリである。味は金ウリに良く
似ている。比較的作りやすく、つい最近まで食べることが出来た。大切に
したい地域野菜である。

 暑かった夏の最後、久々に床の塗装を行った。過去には二、三年おきに
やってきたことだが、ここ数年は忙しくてなかなか出来なかった。今年も
春に塗ろうと思っていたのだが、居間の床を張り替える工事があったので
出来なくて、結局、秋になってしまった。塗りむらがところどころあって
多少見苦しいが、これも愛嬌であろう。ぴかぴかの床を家内は嫌うのだが。
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村木元局長冤罪事件に思う

2010-09-21 16:13:11 | Weblog
 詳しいことは今後の調査待ちであるが、厚生労働省の元局長だった村木
厚子さんの冤罪事件に関する報道について、次のような衝撃的なニュース
が流れた。

 証拠品として押収されていたフロッピーディスクの日付が改竄されて
いたと言うのだ。このフロッピーディスクは裁判所には証拠品として
提出されなかったようであるが、提出されていようといまいと改竄が
あったとしたら重大な問題である。

 何故、このような問題が生じたのか。私達のとうてい窺い知ることの
出来ない場所で行われた証拠隠滅事件である。このようなことが今までにも
行われてきたのか、あるいは今回だけの事なのか、それは分からない。

 しかし、今までになかったとは言いきれない事件である。数々の冤罪
事件が生じ、罪もない人が罪人としての扱いを受け、罪人として獄に
つながれた人もいたはずで、かろうじて獄から逃れた人もいるのでは
なかろうか。

 罪にはならなかったとは言え、社会的信用を著しく失墜したり、政治
生命を絶たれた人も少なくないのではなかろうか、そんなことが思われる
今回の事件である。

 これは組織というものの中にあって本来はあってはならないことであるが
他の省庁と同じように功を焦るあまりのでっち上げ事件だと言えなくもない。

 しかし、事は一般の省庁ではない。れっきとした三権分立の一方にある
厳正で中立的な立場でなければならない検察の中で生じたゆゆしき事件で
ある。私達庶民はいったい何を真実だと信じれば良いのだろうか。

 そして、一方的に垂れ流される出所の明かでない報道にもさんざん
踊らされてきた。報道もまた厳正中立でなければならない。そしてその
記事を書いた人は責任を持たなければならない。きちんとした署名入り
の記事にするべきである。

 視聴率だけを稼ぐための大衆を煽るような面白半分の報道は厳に慎む
べきである。報道関係者は、それぐらいの責任と気概を持って報道に
当たって貰いたい。出所の明かでないニュースは流すべきではない。
更に言うなら評論家も然りである。評論家の言葉によって妙に歪んだ
イメージを抱いた聴衆も少なくないはずである。

 そして、ニュースを受け取る私達も真実を見極める目を持たなければ
ならない。事実無根の報道や事件に惑わされることなく、真実を見極める
目を持たなければならないと思うのである。

 再び、小沢一郎氏の土地購入代金の入手先を巡って新たに編成された
検察審査会が小沢氏本人から事情聴取を行い審議を行っている。この事件
は小沢氏が購入したとされる土地登記の期日ズレを疑う検察庁が収賄容疑
として取り上げたものである。

 一方、これは農地から宅地への書き換えに必要だった単なる期日ズレだと
一部では報道されている。真偽のほどは、いずれ明らかになるであろう。

 東京地検はこの件に関しての小沢氏の関与に関しては、立件が不可能
として起訴を断念した。それにも関わらず検察審査会が何度も開かれる
という異常事態になっている。検察が立件できるだけの証拠がないと言う
ものを果たして厳正であるべき裁判で審理できるのであろうか。

 また、検察審査会に、検察に対して裁判に持ち込めと言う権力が付与
されているのだろうか。検察審査会の任務を大きく逸脱しているように
思えてならないのである。

 政治や経済、そして社会問題が私達の未来に暗い影を落としている。
その上に厳正中立であるべき司法までもが、犯罪を犯したとなれば世も
末である。戦前の逃げ場のない特高警察と同じような社会情勢が現実の
ものとなりつつあることに慄然とせざるを得ない。

 村木問題に関しては最高検の内部調査を待ちたい。大阪地検は今回の
不祥事を認めると共に村木局長の控訴を断念した。そして当の主任検事
だった前田恒彦は逮捕された。

 前田主任検事の逮捕だけでなく検察内部に組織的な問題があるのなら
この際、徹底的に原因を究明し内部浄化に努めて貰いたい。これは日本
国内だけの問題ではない。日本という国は、日本の司法は、この程度の
ものなのかと世界に笑われることになってしまう。そのことの方がよほど
恐ろしいことである。

 今また、尖閣列島の問題が大きくクローズアップされている。この問題
もまた曖昧な決着ではなく、毅然たる態度で国民にも中国にも納得行く
ような解決を望みたい。今までの日本政府の態度は何事に寄らず曖昧で
あった。最早、この時代にあって自民党時代のような曖昧な態度は許され
ない。

 私の住んでいる児島には中国から働きに来ている人がたくさんいる。
だからと言って誰一人、中国人に石を投げるような人はいない。こうした
事実も中国向けに報道すべきではなかろうか。それが成熟した社会であり
国際的なルールだと言うことを毅然として主張すべきである。あたら事態
の拡大を恐れる余り主張すべき事まで差し控えるのは良くない。
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異常気象と私達

2010-09-19 16:57:51 | Weblog
 気象の専門家が今年は異常気象の年だったと言うのだから、やはり異常
気象だったのだろう。今でも私の住んでいる岡山県の南部、海よりの児島
では連日30℃近い気温が続いているし、ほとんど雨らしいものは降って
いない。

 日本では、かつてないほどの高温期が長期間続いた。そして、同じような
現象はモスクワ周辺のロシアでも見られた。中国やパキスタンでは、従来
にないほどの大雨が降り、大洪水や深層崩壊が発生した。その他、世界各国
で異常気象が見られた。

 ここ岡山県は夏場の平均気温が日本一高かったと、ありがたくない記録
を作ってしまった。どれもこれも世界規模の異常気象がもたらしたもので
あった。想像を絶するようなゲリラ豪雨が大都市を襲うのではないかと
恐れられている。それも現実のものとなりつつあり、対策が急がれる。

 今年の異常気象は偏西風の蛇行と太平洋、インド洋、大西洋の海水温が
異常に高かったことが原因だと言われている。これら全ては地球温暖化
現象の一つの現れだと見て間違いなさそうである。いよいよ地球温暖化
現象も目に見える形で現実のものとなりつつありそうだ。

 実は異常なのは気象ばかりではない。宮崎県では家畜の病気である口蹄疫
が猛威をふるい、今また人間世界には抗生物質が全く効かないやっかいな
伝染病が広がりつつある。それも時を同じくするようにインドで発生し
日本国内では病院内で感染が広まっている。これら全ては抗生物質の濫用に
よるものだろ言われている。安易に抗生物質を使いすぎるのである。

 政治にさしたる変化も改革もないままに民主党の党首選挙が終わり新政権
になったが、経済問題や中国との領土問題や解決の目処が立たない沖縄の
基地問題など難問が山積している。果たして、これら難問が菅政権で解決
出来るのだろうか。虚ろな瞳の菅さんに国をリードしていくだけの生気が
感じられないのは私だけであろうか。

 これら様々の難問解決は通常の人間の能力を超えた問題ばかりである。
同じような立場にアメリカのオバマ大統領も置かれている。長年の懸案
事項やブッシュ政権時代の負の遺産が重くのしかかっているからだ。
果たしてオバマ一人で解決できるのだろうか。

 一方、破竹の勢いに見える中国も薄氷を踏むような政権運営が続いて
いる。チベットや新疆ウイグル自治区の領土問題や、相次ぐ天災が追い
打ちをかけている。いずれ環境問題や水問題、果ては食糧問題など金銭
だけでは解決できない問題が出てくる日も近い。

 中国の富裕層は我が世の春だとばかりに統制の効かない経済の暴走を
始めている。隣国、北朝鮮では経済が全く機能しなくなり、天災と言う名の
人災が地方をより貧困に追いやっている。その上、後継者問題で揺れている。

 全ては先の見えない行き止まり状態である。その現れが日本のデフレや
理由なき円高ドル安や円高ユーロ安となって日本経済の先行きを暗くしている。
雇用問題のこれだと言う決めてもないまま、高校生や大学生達が就職時期
を迎えている。

 これら政治経済の問題はそれだけに止まらず、人々の生活や心に暗い
影を落としている。何か良い解決方法はないのだろうか。環境問題と
社会問題は様々な異常現象を伴いながら、今もなお暴走を続けている。

 環境問題も政治経済の問題も全ては人間サイドの問題である。私達自身が
何かを変えない限り解決できない問題である。一方、何かを変えさせすれば
実は簡単に解消する問題である。その何かをみんなで考え解決して貰いたい。
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世に棲む日々

2010-09-13 06:43:25 | Weblog
 私の住んでいる倉敷では相変わらず厳しい残暑が続いている。夕方の
天気予報での気圧配置には、さして変化はなさそうである。先の台風は
二つとも、この地方には何らの影響ももたらさなかった。それだけ太平洋
高気圧の勢力が強いのであろう。

 昨晩も雨はほんのわずかな時間降ったばかりで庭や畑を湿らすまでには
至らなかった。いつまで待てば雨は降るのであろうか。やたら枯れかけて
赤茶けた庭木が目に付く昨今である。

 昨晩も来年の3月20日開催予定の「最後の五匹」という瑜加伝説に
テーマを取った創作ミュージカルの打ち合わせと練習があった。これは
地元のミステリー作家である石井さんが書き下ろした原作をミュージカル
仕立てにしたものである。

 神話の時代から近未来に渡っての世界の出来事をテーマにした壮大な
スケールで描く、オリジナル作品に基づいたミュージカルである。

 全くの素人集団が手がけているので、なかなかスムーズに事は運ばない。
それでも配役が決まり、スタッフにも得難い人材が集まり、何とか、なり
そうな気配が感じられる昨今である。

 国民文化祭が終われば本格的な練習や準備が始まることになっている。
主役級の配役は決まったが、より大勢の出演者が必要である。 これから
も引き続きこのミュージカルに協力してくれる人を募集しているので
ぜひとも参加をお願いしたい。

 さて、民主党選挙もいよいよ投票日間近となったようである。日本は
かつて経験したことがないほど長期間にわたる円高不況の中にある。
せっかく持ち直したと思われる景気も底辺を支える中小企業から悲鳴にも
似た声が聞こえてくる。タイなど国外に出ていく企業も多いと聞いている。
国内の雇用悪化が心配である。

 小沢さんという人が、かつてこんなに能弁だったのだろうかと驚いて
いる。何を聞かれても要領を得ない訥々とした語り口調が特徴であった
だけに、街頭でマイクを握った姿は同一人物なのだろうか目を疑うくらい
である。また、ことの確信をついた話は聴くものを納得させるのに十分
である。

 長引くデフレと円高をどのように克服していくのか、従来型の景気対策
や円高対策では効果を見出すには無理であろう。思い切った政策を打ち
出さなければ、国難とも言うべき異常事態を乗り切ることは難しいのでは
なかろうか。

 その点に於いて、残念ながら菅さんより小沢さんの方に軍配をあげざる
を得ない。民主党の選挙の最中に新党大地の鈴木宗男さんの有罪判決と
厚生労働省の村木厚子さんの無罪判決が言い渡された。

 政治的に微妙な時だけに、この判決は何の意味があったのだろうかと
考えさせられる判決であった。

 鈴木宗男さんの有罪判決に関しては様々に取りざたされている。特に
当時外交官でありロシア通だった佐藤優さんの書かれた本などを読むと
その背景にあるものが見えてくるのではなかろうか。

 しかしながら無罪であろうが有罪であろうが、人の一生に関わる事で
あるだけに、その事件を取り調べた検察官に何の責任も問われないのは
理不尽な気がしてならないのである。

 冤罪事件とも言うべき今回の事件を元に早く取調室の可視化、つまり
ビデオや録音などが行われるようになること望んでいる。裁判員制度が
始まって一年有余になるが、私達が間違って冤罪事件などに巻き込まれ
ないよう対策が急がれる。

 今日も蒸し暑い一日になりそうである。畑の野菜達は日を待っては
くれない。種まき、苗の定植などが待っている。また、しばらくは水やり
に追われる日々が続きそうである。空を仰ぎつつため息をついている。
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若者よ農業を目指せ

2010-09-09 05:57:32 | Weblog
 台風は足早に日本海を北上し、日本列島を横断したようである。しかし
ながら私の住んでいるところでは、期待した雨はその形跡すら止めない
ほどのものであった。

 一方、夕方のNHKニュースでは東京、埼玉、千葉周辺の集中豪雨に
よる被災状況が長時間報じられていた。何と皮肉なことか。何とか出来る
ものなら、この雨の何分の一かでも、こちらで引き受けたいと思ったほど
である。

 ちなみに、この夏の平均気温が一番高かったのは岡山県だと報じられて
いる。未だ秋の気配は見えない。周辺の畑では秋まき野菜のシーズンなのに
畑すら耕すことが出来ないくらい土は固く乾燥しきっている。

 幸いにも我が家では井戸というものが未だ機能しており、枯れることなく
日々使い続けている。井戸はありがたい。

 さて、日本の農業人口は5年間で22パーセントも減ったと9月8日付の
朝日新聞が一面で報じている。食料の自給率が40パーセントを切り、農村
の少子高齢化は益々深刻度を増している。このまま行けば日本の農業は
どうなるのだろう。農業に直接携わっていない者でさえ心配になってくる。

 加えて日本の森林が中国を初めとする諸外国の資本によって買われて
いると聞けば、改めて農林業が置かれている状況の深刻さを考えざるを
得ない。

 農地もさることながら山林は私達の生活の全てに影響を及ぼしかねない
ような国家的財産である。一個人の所有物とは言いながらも山林は二酸化
炭素の貴重な吸収源であり、河川の多くは山林に依存している。地下水も
同じである。

 これらが他国の人によって勝手に開発されたらどうなるのだろう。想像
することすら恐ろしいことである。実は私達もかつては同じようなことを
他国に対してやってきた。熱帯雨林での乱開発である。材木の伐採輸入や
アブラヤシの栽培促進などである。これらによって熱帯雨林の多くは失われ
インドネシアなどの国土は荒廃したままである。因果は巡ると言うことなの
だろうか。

 農業は生やさしいものではない。夏の暑い時にもクーラーの利いた快適な
オフィスで仕事をしているような訳にはいかない。特に今年のように30度
を超えるような日が何日も続くようになると、決して楽な仕事だとは言い
難い。

 反面、喜びも少なくない。実りの時には何とも言えない喜びがある。
また、野菜や穀物の日々の変化も工場やオフィスでは感じることの出来ない
喜びである。

 今、若者の多くは生きがいや喜びを見いだせないまま仕事を続けている。
これは個人としても国としても大きな損失である。そして自暴自棄に陥った
若者も少なくない。精神的な負担や長時間労働に心を病んでいる若者も
多いと聞けば、農林業こそ自分らしさを取り戻せる貴重な仕事だと言える
だろう。

 40年近くも農家でもないのに土に直接関わってきたものだからこそ
良いことも悪いことも差し引いて農林業を勧めることが出来る。但しゼロ
からのスタートとなると生やさしいものではない。また、農業で一定程度
の収入を得ることも簡単ではない。一定期間の行政の手厚い支援が必要だ。

 農村も急速に高齢化が進んでいる。我々のような世代が農村で生き残って
いる間の今こそ、若者を農村に送り込む最後のチャンスではなかろうか。
一度荒れてしまった農地を元の状態に戻すことは容易なことではない。

 農村には今日まで蓄積してきた多くのノウハウがある。このノウハウを
早く若い世代に伝承したいと思うのだが。

 さて、今年初めて稲を植えてみた。テレビで紹介されていた「米食う人々」
という番組の中で、タイの山間部での陸稲栽培を見てからの事である。
本来、稲は大量の水を必要とする穀物である。その穀物が焼き畑で栽培
されているのを見て、さして手間暇かけずに出来るこれからの農業は
これだと思ったのである。

 思いついたら早速実験をしてみたくなった。と言うわけで畑の片隅に
種籾を直播きして栽培を始めた。種籾を蒔いた時期は周辺の田んぼと同じ
時期であった。しかし、周辺の田んぼより遙かに早く収穫の時期を迎えて
いる。来年はもっと過酷な条件下で栽培してみたいと考えている。
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検察が危ない

2010-09-06 21:55:23 | Weblog
 この事件は、郵政民営化問題の行方が取りざたされていたころの事件で
まだ記憶にも新しい事件である。また、明らかなる冤罪事件で、つい先ほど
の朝日新聞でも大きく報じられていたので、その記事を読まれた方も多い
のではなかろうか。

 以下は元検事でもあった「検察が危ない」を執筆された郷原信郎氏の
書かれたものを、そのまま掲載したものである。

 2009年4月、大阪地検特捜部が郵便法違反で強制捜査に着手し、虚偽公文書
作成罪による厚生労働省の現職女性局長の逮捕に至った「凛の会」郵便不正
事件は、捜査段階での関係者の供述が公判でことごとく覆され、検察官が
証拠請求した供述調書の大半が却下されるという特捜検察の事件としては
異例の展開になった。村木氏の弁護人は「無罪は確実」と述べている。

 裁判所が証拠請求却下決定で行った検察官の取調べや供述調書作成の
手法についての指摘は従来からの特捜検察の捜査手法の根幹に関わる問題
である。そればかりでなく、最高検も含めた検察組織全体の了解の上で
行われた想定ストーリーがいかに不合理かを浮き彫りにするものとなった。
東京地検特捜部が手掛けたPCI特別背任事件で一審に続き二審の東京高裁
でも無罪判決が出て無罪が確定したこととも相まって、特捜検察の能力
低下の深刻さを露呈した。

 筆者が、近著『検察が危ない』でも指摘したように、ここ数年、低迷・
不振を続け、昨年春の西松建設事件以降の小沢一郎氏に関連する一連の
事件でも暴走・劣化を繰り返してきた特捜検察は、最後の頼みの綱で
あった裁判所からも厳しく断罪されるに至り、一方では、検察審査会の
議決の起訴強制による圧力にもさらされて、今や抜き差しならない状況に
立ち至っている。今回の事件で明らかになった検察捜査の問題を改めて
考えてみることとしたい。

 まず、郵便不正事件のこれまでの経過を振り返ってみよう。


捜査段階から容疑を全面否認

 同年4月の当初の強制捜査の容疑は、実体のない障害者団体の定期刊行物
を同封することによって、障害者団体向けの低料第三種郵便割引制度を
適用させ、大量のダイレクトメールを発送させて正規料金との差額を不正に
免れた郵便法違反だった。

 罰金30万円以下という極めて軽い法定刑の事件だったが、大阪地検特捜部
は、障害者団体「凛の会」、大手家電量販店会社、広告代理店、大手通販・
印刷会社などの関係者10名を逮捕・起訴、低料第三種郵便を不正に受け
付けた郵便事業会社側関係者も郵便法違反で逮捕・起訴した。

 そして、5月には、障害者団体を認定する虚偽の証明書を発行したことに
関連して、厚生労働省の担当係長だった上村勉氏を、「凛の会」関係者と
ともに逮捕、6月には、当時担当課長であった村木厚子雇用均等・児童家庭
局長を、上村係長に虚偽の証明書の作成を指示した虚偽公文書作成の容疑で
上村氏及び「凛の会」関係者とともに逮捕した。

 その間、村木氏に虚偽の証明書の発行をするよう要求していた民主党の
大物議員の介在がしきりに報道され、衆議院の解散総選挙を控えた時期に
世の中に民主党議員に郵便不正事件に関して重大な疑惑があるかのような
印象を与えた。

 村木氏は捜査段階から容疑を全面否認し、虚偽公文書作成で起訴されたが
公判でも一貫して無罪を主張した。上村氏は、村木氏の指示で虚偽の証明書
を作成したとの捜査段階での供述調書について、公判では、検察官の執拗な
誘導によるもので「偽の証明書は独断で作った」と供述し、捜査段階の供述
調書で村木氏の関与を認めていた他の関係者も、公判ではほとんどが供述
調書の内容を否定した。

 そして、2010年4月27日に、郵便法違反に加え、虚偽の証明書作成を村木氏
に依頼した虚偽公文書作成の事実で起訴されていた「凛の会」の倉沢邦夫氏
に対して、虚偽公文書作成について無罪の判決が出されたのに続き、5月26日
には、村木氏の公判で、検察官が証拠請求した検察官面前調書(検察官の
取調べで作成された供述調書、以下「検面調書」)43通のうち上村氏の
供述調書15通全部を含む34通が、検察官の誘導によるもので、検面調書の
証拠採用の要件である「信用すべき特別の情況がない」として却下された。
村木氏の関与についての検察官立証は極めて困難となり、次回公判期日で
検察官が証拠に基づく有罪論告を行えるか否かすら危ぶまれる事態となって
いる。

 裁判所は、証拠請求却下決定の中で、検察官の取調べの方法や検面調書
作成に関して、以下のような指摘を行った。

(1)検察官の意向に沿う供述をしないと調書を作成しない。(2)検察官が
「記憶なんか曖昧だから取調べた関係者の多数決で決めよう」などと言って
記憶に反する供述調書への署名を求めた。(3)調書の内容について主任
検事の了承をとった上で調書を作成する。(4)調書の訂正を求めても応じ
ない。

 そして、(5)取調べ状況に関する証人として出廷した担当検察官が
いずれも「取調べの際のメモを保管していない」と証言し、その理由に
ついて合理的な説明ができなかったことも調書の信用性を判断する重要
な事実として指摘した。

 以上が記事の全てである。詳しくは筆者が書かれた「検察が危ない」を
読んでいただきたい。

 今、民主党の党首選挙が行われている。世論は圧倒的に菅さん支持
だと報じられている。また、街の声の多くは小沢さんの政治資金問題に
対する不信感に根ざしている。

 しかし、一連の政治資金問題はかなりの部分が明らかになっていながら
報道にはいっさい出てこない。いわば国民を手玉にでも取るように騒ぐだけ
騒がせておいて、後のことは全くフォローされていないのが実状である。
国民は報道だけが真実を知りうる手段である。何故、明らかにしようと
しないのか。大きな疑問が残るのである。
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茂木さんのツイートから

2010-09-05 14:51:20 | Weblog
 下に掲載したものは、かの有名な脳科学者の茂木さんが連続ツイート
したものをそっくりそのまま掲載させて頂いたものである。

 私も随分前から「ロッキード事件」を初めとする田中角栄氏の政治資金
に関する一連の事件とは何だったのかを考えていたところであった。当時
としては正に晴天の霹靂のような早業で日中国交正常化という誰もなし
得なかった偉業を成し遂げた。

 当時、世界は共産主義と自由主義が東西に分かれ対峙していた時代で
あった。時代の背景が今とまるで異なっていた。しかも日本は、太平洋
戦争前に於いては侵略者としての加害者的な立場の国であった。その国と
国交を正常化したのである。

 アメリカがニクソン大統領時代に中国と国交回復すると間髪をおかずに
日本も中国と国交正常化を行った。戦後一貫して日本を属国扱いにしていた
アメリカがこころよく思うはずもなかった。

 間もなくロッキード事件はアメリカから始まった。その当時、小沢一郎さん
は将来を嘱望された若きエースとして田中角栄氏の元にいた。同じく若手
には早く亡くなってしまった橋本龍太郎氏もいた。

 共に田中学校の優等生だったのであろう。当然のことながら田中角栄氏
の強い影響力を受けていたに違いない。

以下は茂木さんのツイートである。

田中角栄氏に関しての連続ツイート
昨日深夜の田中角栄氏についての連続ツイートを、ここにまとめて掲載
します。


茂木健一郎

 金曜またぎの深夜でもあるし、帰って来ながらいろいろ考えたので
いつもは朝やる連続ツイートを、もう少ししたらやりたいと思います。

角栄(1)あれは数年前だったか、学生たちとカラオケをしている時に
「まあ、その〜国民のみなさまにはですね、まあ、その〜」と田中角栄の
ものまねをしたら、誰もわからなかった。昭和を象徴するあの人のダミ声
を知らない世代が生まれてきているのだと知り、ショックだった。

角栄(2)その頃から、なぜか、田中角栄さんのことが気になった。
最近になって、いろいろな意味で田中さんと比較される小沢一郎さんに
ついての、マスコミの報道ぶりを見ていて、なぜ角栄さんのことが気に
なっていたのか、わかった気がする。角栄さんは、私たち日本人にとって
一つの「宿題」なのだ。

角栄(3)田中角栄さんは、高等小学校と中央工学校を卒業という
決してエリートとは言えない出自の中、持ち前の強靱な知性と驚くべき
バイタリティで、ついには総理大臣まで上り詰めた。支持率も高く
マスコミは「今太閤」と褒め称えた。

角栄(4)「コンピュータ付きブルドーザー」と評された頭の回転の
速さと、エネルギー。人心を掌握する術にもたけていた田中角栄さんが
卓越した人物であったことを疑う人はいないだろう。

角栄(5)田中角栄さんの最大の功績は、日中国交正常化を成し遂げた
ことだった。ニクソンの電撃的訪中によって、日本が「ジャパン・ナッシ
ング」になる危険を察知した角栄さんは、総理大臣として驚くべき
スピードで調整し、いろいろと障害のあった日中の国交正常化を成し
遂げた。

角栄(6)その驚異的な頭の回転は、幾つもの伝説を読んでいる。
大蔵大臣に就任した時、大臣室に来た官僚たち一人ひとりの名前を
フルネームで呼んで、居並ぶ人たちを感激させたという。

角栄(7)政治家にとって、他人の名前を覚えるのは大事な能力うっかり
誰かの名前を忘れてしまうと、角栄さんは、握手をしながら、「君の名前
はなんだっけ?」と聞き、「鈴木です」と答えると、「名字はわかって
いるよ。下の名前はなんだっけ?」と相手を傷つけずに聞き出したのだと
いう。

角栄(8)「日本列島改造論」などで、狂乱物価を引き起こしたと批判
された田中角栄さんだが、その旺盛な活動の背後には、故郷の新潟の
貧しさに対する深い思いがあった。何とか、冬は豪雪に覆われる地域の
人々の生活を向上させたいと願ったのである。

角栄(9)「今太閤」とたたえられた田中角栄さんの運命が暗転したのは
マスコミが「田中金脈」批判のキャンペーンを張ったことだった。集中
豪雨的な批判記事の圧力の下、角栄さんは総理大臣を辞した。

角栄(10)辞任の翌年、米国の上院における証言から、「ロッキード
事件」が発覚する。「総理の犯罪」を追求するマスコミの嵐のような記事。
角栄さんは、逮捕され、一審で実刑判決を受ける。

角栄(11)逮捕、起訴後も、角栄さんは自民党内で力を持ち続けた。
そんな角栄さんに、マスコミは「闇将軍」というレッテルを張った。
やがて、角栄さんは病に倒れ、その影響力は次第に低下していく。

角栄(12)最高裁に上告中、角栄さんは帰らぬ人となる。その刑事
責任は、結局確定しないまま、公訴は消滅することとなった。

角栄(13)田中金脈追及からロッキード事件発覚にかけて、私は小学生
から中学生だった。当時の私は、マスコミの記事、報道をそのまま信じて
田中角栄という人は悪いひとだ、「よっしゃ、よっしゃ」といって賄賂を
受け取った、その後も「闇将軍」として居残り続けていると思っていた。

角栄(14)その一方で、人間としての田中角栄という人を、どうしても
憎む気にはなれなかった。その頃、『わたくしの少年時代』という自伝を
読んだことがある。そこから伝わってくるのは、あくまでも真っ直ぐな
情熱に満ちた人柄だった。

角栄(15)それでも、長い間、「総理の犯罪」「田中金脈」「闇将軍」
というレッテルから、私の思考は自由にならなかった。田中角栄さんの
ことが気になり始めたのは、今年になって、日本の良識ある人々の中で
検察や、マスコミの「正義」に対する不信感が本格的に頭をもたげてから
のことである。

角栄(16)マスコミは「政治とカネ」と一つ覚えのように言う。統計的
に考えて、その悪弊はさまざまな政党のさまざまな人たちにポアソン分布
で生じるだろう。それなのに、なぜ、政権交代を果たしたばかりの政党の
代表と幹事長だけが狙い撃ちされるのか、まずここでおかしいと思った。

角栄(17)マスコミや検察の「正義」が絶対的なものではないという
ことは、成熟した民主主義の下では当たり前のことだろう。ところが
「有罪率が100%近い」という近代国家ではあり得ない事態の下
日本人は、長らく、マスコミと検察は絶対正義であるという「幻想」
の魔法の下にあった。

角栄(18)魔法がとけて見ると、田中角栄さんのことが気になり始めた。
あの一連の出来事は、一体何だったのだろう? あの一切の異論、反論を
許さないような報道の嵐の中で、本当に「正義」はなされたのか? 田中
角栄さんは、マスコミが描こうとしたような、極悪人だったのか?

角栄(19)田中角栄さんの問題は、日本人が未解決のまま抱えている
宿題だと思う。あれほど功績のあった人、卓越した人を、マスコミが
ヒステリーじみたキャンペーンで、葬りさった。その狂乱の本質は何だった
のか、私たちは振り返り、整理すべき時期が来ている。

角栄(20)中国の人たちは、日本のマスコミのキャンペーンに踊らされ
なかった。日中関係の井戸を掘った偉人として、首脳が日本を訪れる度に
田中角栄氏を訪問した、今考えると、角栄という人物の本質を見ていたのは
マスコミだったのか、それとも中国の人たちだったのか?

角栄(21)自分たちに絶対的な正義があると思っている人たちは
うさんくさい。「闇将軍」などと揶揄する記事を匿名で書き飛ばしていた
新聞記者たちと、田中角栄さんと、どちらが人間として興味深く、また
誠実に生きていたのか、今となっては答えは明かであるように私には
思える。

角栄(22)ニーチェは、人間の最悪の罪の一つとして「ルサンチマン」
を挙げた。田中角栄氏をめぐる一方的な報道ぶりを振り返ると、そこには
新聞記者たちの、角栄さんに対するルサンチマンがあったと思えてならない。

角栄(23)そもそも、権力者を次々と犯罪者に仕立てるのは、未成熟な
国の特徴である。すばらしい点の多々あるお隣の国、韓国はまた、元大統領
が次々と刑事被告人に貶められる国でもある。一方、成熟した民主主義の
国では、そのような極端な変動は、絶えて久しい。

角栄(24)成熟した英国流のカモン・センスから言えば、田中角栄氏の
「犯罪」は、果たして、あれほどのヒステリックな断罪が行われるべき
ことだったのか、大いにあやしい。少なくとも、その功績とのバランスに

おいて総合的に判断する、そのような知的態度は有り得たはずである。
角栄(25)私は、過去に遡って、田中角栄氏にあやまりたい。小学校か
ら中学校という、世間知らずの年代だったとは言え、自らの正義を信じて
疑わないマスコミのヒステリックな報道によって、「闇将軍」であり
「悪人」であるとたとえ一時期でも思ってしまったことに対して、心から
謝罪したい。

角栄(26)今、こうやって振り返って思い出すのは、ロッキード事件の
渦中にあった頃の田中角栄氏が時折見せていた、孤独でさびしそうな横顔
である。あそこには、人間の真実があった。一方、居丈高に正義を振り
かざしていたマスコミの様子を思い出すと、浅薄さといやしさの印象だけ
が強まってくる。

角栄(27)ロッキード事件が明るみに出たあとも、田中角栄氏は、新潟
でトップ当選し続けた。マスコミは、新潟の選挙民の意識が低いなどと
揶揄し続けた。今考えれば、人間としてまともだったのは、一体どちら
だったのだろう。

角栄(28)人間は、過去を振り返り、反省することで、未来への指針を
得ることができる。日本の国の将来を、小学生の学級会のような幼稚な
「正義」で危うくしてはならない。今こそ、田中角栄さんをめぐる一連の
事態は一体何だったのか、真剣に検討すべき時期が来ているのではないか。

以上、田中角栄氏に関しての連続ツイートでした。深夜、大変お騒がせ
しました。おやすみなさい。

 以上で茂木さんのツイートは終わっている。私はこの飾らない脳科学者
らしいツイートに少なからず感動してしまった。それは私自身の心の中に
わだかまりとして長く居続けた疑問を解き明かすキーワードに思えたので
ある。

 鳩山氏や小沢氏の一連の政治資金問題は何だったのか、妻とも話しながら
歪められた一方的な報道が私達国民の利益を大きく損ねていること、そして
それを信じ同じ立場でものを考え、思考を停止してしまった私達国民にも
その責任はあるのではないかと思うのである。

 かつて太平洋戦争やそれまでの戦争に於いても公器と呼ばれた新聞が
同じような報道を行い多くの人々を不幸に追いやったことを考えるとき
同じ事を性懲りもなくくり返しているのではないかと思えてならない。 

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過ぎていく日々

2010-09-01 05:28:37 | Weblog
 民主党の党首選挙がかしましい。何も話し合いで解決しなくても党内
選挙で選べば良さそうに思うのだが、どうもそうは行かないらしい。

 しかし、昨日のニュースを見ていたら菅さんと小沢さんの話し合いは
決裂したらしい。もともと考えの異なる二人だから仕方がないのでは
なかろうか。

 また、マスコミを初め、周辺が騒ぎすぎるようだ。小沢さんの金の問題
がまだ尾を引いているようだが、これはこれで解決したのではなかろうか。
検察が不起訴にしたものを検察審査会が問題だとしても果たして裁判を
続けることが出来るのかどうか。専門家ではないので何とも言えないが
何とも理解しがたいことである。

 そんな政界での出来事を横目で見ながら、私の周辺は誠に平穏である。
来年の創作ミュージカルに向けて大きな前進があった。若い人を中心と
して大勢が集まってくれ、具体化の方へ大きな一歩を踏み出した。

 秋の市民文化祭が近づいている。大きな事業が二つ同時進行中である。
そして、市民文化祭の行事の柱として定着してきた活弁も第6回目を迎え
玉島でも行われることになった。喜ばしい限りである。

 定年になって走り続けてきた5年間、過ぎ去ってみればその足跡は
大きかった。と同時に歳月を重ね、私の部屋には山ほどの資料が溜まって
しまった。いつかは必要かも知れないと思い残してきたものである。

 しかし、残されたこれからの歳月を考え、少しずつだが整理を始めて
いる。必要だと思っていたものが年月を経て、不要なものに変わって
いくことが不思議に思えてくる。それは歳月の成せるものだろうか。

 その人にとって必要なものも後に残された人にとって価値のないガラクタ
であることは少なくない。その類かも知れない。どうせあの世とやらには
持っていけないものばかりである。

 そう思うと、この世の中の出来事とは何だろうと思えてくる。喜怒哀楽
喜びも悲しみもその人だけのものである。バタバタと人生を送っている
内に歳月は過ぎていくものである。まさしく私自身の人生がそうであった。
人生とは自分にとって何だったのだろうと思う昨今である。
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