人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

全てが逼塞状態

2010-08-25 15:46:10 | Weblog
 暑い、この暑さは何日続いているのだろう。省エネに努めてきた我が家
ではあるが、ついに耐えかねてクーラーを使い始めた。立秋後のことである。

 室内で33度を超えると扇風機の風だけではとても過ごせなくなる。
風自体が熱を運んでくるような状態だからである。暑いからクーラーを
使う、クーラーを使えばその分だけ二酸化炭素は増えていく。

 このようにして温暖化は一段と進んでいくのであろう。こうなれば悪循環
の末、見えてくるものはカスタトロフィー(破局)でしかない。いったい
限界はどこなのであろう。その限界が近いような気がしてならない昨今で
ある。

 こんな猛暑日が続く中、円高が止まらない。そして株価の低迷が続いて
いる。一方では民主党内では党首の座を巡っての駆け引きが続いている。
小沢さんか菅さんか。強力なリーダーシップが求められる昨今である。

 そして長らくのアメリカ支配から脱すべき千載一遇のチャンスである。
民主党政権下での努力を促したい。せっかく出来た政権交代を私達の世論
で押しつぶしてはならない。それは自らが天に向かって唾を吐くようなもの
だからである。

 一方、誰が首相になっても、この世界規模の経済状態から日本だけが
脱することは難しいのも事実である。言い換えれば今までの経済自体の
あり方が問われているからだ。

 私達の生活と経済は密接不可分な関係にある。そして経済と環境問題も
また密接不可分な関係にある。つまり全ては私達の生活そのものであり
人の生き様であるからだ。

 風力発電も太陽光発電も温暖化防止の決定的な決めてとするには力不足
である。それ以上に人間の経済活動の伸びの方が活発だからだ。世界の
人口の何割も占めるような中国やインドの経済的な躍進を誰も阻止する
ことなど出来はしないし、阻止する権利もない。それは私達先進国の者が
たどってきた道だからである。黙って見ている他はない。

 しかし、その発展著しい中国にも環境問題の深刻さは様々な形で現れて
いる。経済成長が早ければ早いほど、その現れ方は激しい。表に現れた時
すべては劇症である。新疆ウイグル自治区やチベット自治区の内乱、地震
深層崩壊、大洪水などである。どれ一つとして生き様と無関係なものは
ない。その内に長江の巨大ダムである三峡ダムが決壊するようなことに
でもならなければ良いのだが。

 そして、エネルギーを消費してこなかった開発途上の国々にも被害は
及んでいる。パキスタンの大規模な洪水被害である。

 政治が停滞していようがいまいが、また経済状態が良かろうが悪かろうが
そのようなことは関係ない。全ては人間の行いによって生じた出来事である。
私達が生き方を変えない限り解決できな問題が世界中に山積している。

 科学が進歩すれば何とかなるだろうなどと言うほど簡単な問題ではない。
また、誰かが声高に意識革命を叫んだとしても、誰も耳を貸す者はいない
だろう。そんな心寂しい時代である。私達は全ての有り様にもっと謙虚に
目を向けなければならないと思うのだが。

 また、環境問題の現れ方は形を変えて様々な事件にも現れている。111歳
で健在だと思われていた高齢者は既に30年前に亡くなっていた。家族が
死亡届も出さずに死んだ人の年金を受け取り続けていたからだ。

 死んだ人の年金を生活費にするなどと、おおよそ非人間的なことが
行われるような世の中だ。仕事もせず親の年金を当てにして生活をする
など考えられないようなことが、まかり通る世の中をどのように考えれば
良いのだろう。

 子育てを放棄した母親が子ども二人を部屋へ閉じこめたまま飢え死に
させたという事件や邪魔になるからと繰り返し虐待をして、ついには
殺してしまったと聞けば世も末だと言わざるを得ない。それこそ犬畜生にも
劣ると言えば、犬や他の動物たちにに馬鹿にするなと怒られるだろうか。

 当面は政治に期待する他はない。政治に期待しつつも、私達は私達自身
の生き方を改めて考え直してみたい。全ては個々人の心の中の問題だから
である。
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急がず焦らず

2010-08-19 06:15:35 | Weblog
 韓国も日本に負けず劣らず競争社会のようである。先日、NHK主催の
韓国と日本の若者の討論会を見ていた。その時のコメンテーターの一人
だったローソンの社長の言葉に何だか物足りなさを感じたのは私だけで
あったろうか。

 社長の言葉は、今は経済的な過渡期であり今後の行方を模索中である。
決して今までの経済のあり方が正しかった訳ではないと言いながらも
反省の言葉も今後のあり方についての具体的なコメントもなかった。

 この発言は過激な競争社会の中で韓国でも日本でも自殺者が非常に
多いということを踏まえての発言だったように思う。

 しかし、過激な経済競争のあり方に問題があるとしながらも、原因で
ある経済のあり方そのものには全く触れていなかった。本当に今までの
ような経済のあり方で良いのだろうか。

 先日も企業の第一線で活躍してきた同世代の人と話していて、彼も私と
同じようなことを考えていたので意外であった。いわゆる勝ち組としての
彼の歩んできた人生を振り返ってみても、今までの経済のあり方や今後の
経済のあり方については、大いなる疑問と懸念を抱いているようであった。

 地球は全ての点において有限である。各国の寄港地に立ち寄りながらも
わずか100日余りで一周出来るくらい地球は小さな天体である。この
小さな天体に60億人以上もの人が住んでいて、その上、開発途上国と
称する巨大国家、中国やインドは非常なスピードで経済発展を続けている。
未開発の資源はまだ残っているとは言いながらいずれ限界は来るはず
である。

 いつまでも今以上は続かないはずである。江戸時代の徳川300年間は
ほとんど経済発展らしきものはなかった。それでも人々は生きてきた。
坦々として変わらぬ日々を過ごしてきた。昨日より今日があった訳ではない。
昨日も今日も明日も変わらぬ同じ日々の繰り返しであった。

 何故、昨日より今日がなければならないのだろう。私たち世代が子ども
だった頃を思い出してみよう。大人達は生活に追われていたかも知れないが
子ども達は変わらぬ日々を坦々と過ごしていた。昨日より明日だ等と考えた
ことなどあったであろうか。

 本当はそれで良いのではないだろうか。平和に家族が健康で和気藹々と
日々を過ごすことが出来、寿命が尽きれば死んでいく。その繰り返しの日々
が人間という種の進化の歴史の大半を占めていた。今の方がよほど異常な
社会であることに気付くべきではないだろうか。

 競争社会の果てに何が待っていたのか。それが先進国と言われる国々が
それぞれに抱えている様々な問題ではなかろうか。こうした諸問題は政治
体制を変えただけでは変わらない。それは私たち自身の生き方、思想に
関わる問題だからである。

 政治も経済も問題は山積している。にも関わらずそれらの問題を置き
去りにしたまま、なおも今日よりは明日を目指している。

 環境問題もいよいよ終局を迎えつつあるような気がしてならない。
この夏の暑さを異常だと感じない人はいないだろう。ほんの十数年前まで
は30度を超したら猛暑だと報じていた。昨今は30度を超えただけでは
猛暑とは言わなくなってしまった。

 人間の体温を超えるような日々が続いている。私たちの進化のスピード
を遙かに超えたスピードで気象環境は変化している。モスクワで30度を
超す日々が続き、周辺の森林では火災が相次いでいる。

 大きな変化の見られなかった南極もやがて変化の時を迎えるのではない
かと言われている。氷は0度で凍るが少しでも0度を超えると急速に溶け
始める。その日が来るのも近いような気がしてならない。

 いつまでも変化のない同じ日々の繰り返しだった子どもの頃を懐かしく
思い出している。人生の終着点を目前にしながら、こんな時代に巡り合わせた
ことを何と考えれば良いのだろうか。
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残暑なお

2010-08-17 15:01:59 | Weblog
 西日本地方は連日の猛暑である。私のパソコンが置いてある部屋も
午後からは蒸し風呂のような暑さである。かろうじて扇風機の風を
弱から強にして暑さをしのいでいる。

 畑も連日のように散水しなければならないほど乾燥している。北海道や
東北地方、岡山県では県北に集中している豪雨をこちらに振り向けて
欲しい。

 ぎらぎらと照りつける太陽の下では何もかも色を失い白く見えている。
35度を超す気温も昨今では当たり前のことになってしまったようだ。
こんな時代が来ることを誰が考えたであろう。

 畑の野菜もトマトが終わり胡瓜が終わった。ナスビやピーマンはとっくの
昔にテントウムシダマシやカメムシの被害にあって枯れてしまった。

 今年は初めて稲を植えてみた。むろん我が家に田んぼなどはない。
畑に陸稲を植えてみた。草丈約120㎝、先端には見事なまでの稲穂が
出ている。これは、あるテレビ番組を見ていて実験してみたくなり植えた
ものである。果たして畑でお米を作ることが出来るのか。その実験であった。
そして来年は除草もしないで作れるのか挑戦してみたいと考えている。

 さて、先のブログにも書いたように朝日新聞の取材記事が一昨日の
朝刊に掲載され、アサヒコムの岡山版にも同じ記事が掲載されていた。
記事と一緒に私たちの練習風景の写真も掲載されている。

 写真も良いが文章が良い。まさに名文だと言っても過言ではないのでは
ないだろうか。記者という文章のプロに対して失礼な言い方かも知れないが、
久々に名文に出会ったような感じである。

 むろん、私たち自身を取材した記事であるからひいき目もあるかも
知れない。しかし、私たち自身のことを書いてくれているからこそ分かる
こともある。活弁なるものを紹介し、私たちのことを的確に紹介した文章
には正直言って感心させられた。

 文章はニュースとして伝えるという使命以外に、今回のような場合は
読む人に感動を与え心動かすものでなければならない場合もある。

 インターネット上で様々な情報が行き交う世の中であり、新聞離れが
進んでいると聞いているが、今回のような文章に出会うと文字の持つ力や
醍醐味を感じる。新聞の持つ使命や力はインターネットの及ぶところでは
ない。

 だからこそ文は多くの人の感動を呼び、文章で人を行動へと駆り立てて
来たのかも知れない。今日はその感動を伝えたくてブログを書いている。
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少しの温度変化で

2010-08-10 15:55:06 | Weblog
 異常気象によると思われる様々な災害が相次いで報道されている。報道
されているとは言いながら報道材料に乏しいのか、それとも報道管制なのか
ほんのわずかばかりの情報なので詳しいことは分からない。

 その一つがチベット族などがたくさん住んでいて、先の大地震の際にも
多くの犠牲者が生じた中国の甘粛省で発生した土石流の被害である。この
地域では先の大地震によって地盤が緩んでいたのではないかと報じられて
いるが連日の大雨で街を飲み込むような大きな土石流が発生した。

 報道映像で見る限り都市と思われる街の背後には山肌がむき出しのまま
の山が映っている。この山の一部が崩壊したようである。

 この地方は地下資源が豊富だとかで、近年著しく開発の進んでいる地域
らしい。その開発によるものかどうか定かではないが、樹木の少ない山が
街の背後に迫り、これではいつ土石流が発生しても不思議ではないような
異様とも思える景観である。

 一見、近代的に見えるビルが建ち並ぶこの町も急速に都市化が進んだに
違いない。こうした都市化の背景には、チベット族以外に多くの漢民族が
移り住んで開発が急ピッチに進んでいるようだ。

 そして多くの富は後から入り込んできた商魂たくましい漢民族が握って
いる。それは新疆ウイグル族自治区でも同じ事である。自然とともに生きて
きた地元の人達にとって、こうした急速な開発は役立っているのだろうか。

 ロシアでは、もう何日も高温期が続いている。ロシアの首都モスクワ
周辺は元々緯度の高い地域である。従って、夏でも過ごしやすい気候が
普通のようである。それが連日のように38度近くの高温が続いている
らしい。

 通常クーラーなどとは縁のない生活をしてきた人達にとって、この高温
は耐え難いものではないだろうか。その上、高温と乾燥は各地に森林火災
を発生させているようだ。軍の主要施設や核関連物質を保管して施設へも
迫るような勢いだと報じられている。

 そして、雨を伴わない異常高温と乾燥は農作物の中心である小麦の生産
に著しい影響を及ぼしているようである。ロシア政府は急遽、小麦の輸出
にストップをかけた。国内の消費に足りるだけの生産量は確保されている
のだろうか。

 モスクワ市内は周辺の森林火災による煙が充満している。一酸化炭素
濃度が異常に高く、呼吸器障害で亡くなる人も出ていると言うから深刻
である。周辺諸国からは旅行を控えるようにと言う勧告も出されている
と言うから、より一層、深刻さが伺える。果たして、ロシアの高温期は
いつまで続くのであろうか。

 そして中国では土砂災害だけではなく、大雨による洪水被害が多発して
いる。詳しくは報道されていないが北朝鮮でも洪水による大きな被害が
出ているようだし、パキスタンでも大洪水により多くの人が亡くなった
ようである。

 そして極北の国グリーンランドではアメリカのマンハッタンの4倍もの
巨大な氷山が流出したと報じられている。地球温暖化の影響は地球シュミ
レーションの予測通り、特に極地と言われる緯度の高い地域に温度上昇の
影響が強く現れているようである。

 日本も温暖化による影響は例外ではない。台風が日本近海でも発生する
ようになってきた。それとともに海水の温度上昇により台風が巨大化の
傾向にある。今年は果たしてどのような台風シーズンになるのだろうか。
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被爆から65年

2010-08-10 06:19:10 | Weblog
 被爆者の皆さんにとって、この65年間は忘れようとしても忘れられない
長い年月だったのではないだろうか。また、被爆していても被爆認定も受け
られない人も多いと聞いている。

 8月6日広島、ついで8月9日長崎と相次いで違うタイプの核爆弾が
投下された。そして一瞬の内に多くの方々が相次いで亡くなられ、生き
残られた人も塗炭の苦しみを味わうことになった。

 私の住んでいた神辺にも被爆直後から被爆者の方々が親戚や親元を頼って
逃れてこられ、次々に息を引き取られたと聞いている。

 また戦後、数多くの原爆に関連する映画を見て育ち、子供心にも戦争は
絶対にしてはいけないと強く感じたものであった。

 アメリカ合衆国は戦争終結のためと称して、何故、二度も日本に核爆弾
を投下したのであろうか。それも成果を確かめるかのように違うタイプの
核爆弾を使った。

 開発から実験に至るまでその威力の大きさを知っていたのは、開発を
進めてきたアメリカ自身であった。だから開発に参加した研究者の中には
その威力を知って開発から手を引いた人も居たようだ。

 今回、オバマ大統領の代理としてルース駐日大使が広島の式典に参列した。
しかし、長崎には参列しなかった。そして、式典での表情は非常に硬かった。
恐らく彼の心の中は非難の目にさらされることを極度に恐れていたのでは
ないだろうか。だが、その口から謝罪の声を聞くことは出来なかった。

 アメリカ政府の考えが、自らの行為を正当化しようと言う考えだから
アメリカ国民の多くは正当な行為だったと思っている人が多いに違いない。
いや、そう思いたいと思っているのかも知れない。

 しかし、普通の人間なら良心の呵責にさいなまれるのが当たり前のこと
である。だからこそ自らの行為を正当化したいのかも知れない。そうで
なければ原爆を投下した爆撃機エノラゲイなどを堂々と展示できる訳がない。
如何に戦争とは言え、罪もない数多くの命を奪った爆撃機である。

 私には残念ながら被爆者の皆さんの心の中までは分からない。第三者
だから、こんな事を書けるのかも知れない。本当なら書いてはいけない
ことなのかも知れない。

 そんな思いに逡巡しながら、それでも書かなければいけないと思って
書いている。私たち日本人はもっとアメリカ政府に反省を強いても良い
のではないだろうか。そうしなければ人の命の大切さが分からないのでは
ないだろうか。

 それは単に過去の過ちを責めるだけでなく、これから社会人になっていく
アメリカの若者達に人の命の重さを知って貰うためである。そして、被爆者
の話を聞き、原爆資料館の夥しい展示物を見て貰いたいと思うのである。
その上でアメリカ人の意見を聞いてみたい。それでも正当な行為だったと
言うのであろうか。
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偶然とは思えない出来事

2010-08-09 06:04:06 | Weblog
 最早、ボランティアなどとは言えないほど忙しい日々が続いている。
考えようによっては現役で仕事をしていた頃より忙しいかも知れない。
それでも続けていけるのは健康であることと、ストレスにならない仕事
だからかも知れない。

 環境関連の講演や出前授業、そして今年に入り急に増えてきたのが
活弁口演だ。その上、今年は当たり年のように地元関連の仕事も加わった。
御大師様のお堂の大修理である。私がこのお堂の管理を頼まれて以来
一番の悩みだったのはお堂の雨漏りがひどかった事である。いつ崩れても
不思議ではないくらい傷んでいた。

 その修理が降って湧いたような出来事から急遽決まったのだ。そんな
巡り合わせになっていたのかも知れない。地元の大工さんの協力で破格
の価格で修理して貰い、新しい屋根に吹き変わった。これで一安心である。

 そして、来年3月の公演に向けて急ピッチで進んでいるのが創作舞台
と称するミュージカルである。脚本も完成し出演者も徐々に決まりつつ
ある。今のところ音楽が一番進んでいる。プロを頼まない地元だけで作る
ミュージカルであり、完成すれば画期的なものとなるのではなかろうか。

 活弁の場合、公演と言わずに口演と言うらしい。昨日は急遽依頼のあった
西大寺の養護老人ホーム「会陽の里」での出前口演があった。予算がない
のでと言うことだったが二つ返事で引き受けた。

 演じたのは「突貫小僧」と「豪傑児雷也」であった。会場には早くから
高齢者の皆さんが詰めかけられ、私たちの活弁を熱心に鑑賞して下さった。
ついでに次回も約束して帰った。

 次は邑久の本庄コミュニティ主催の活弁口演である。これも急遽依頼
されたものである。そして8月はこれで終了になると思われるが岡山市
の山南公民館での活弁口演が残っている。

 この方は何ヶ月も前から予約の入っていたものである。新作で行きましょう
と言うことで、ここでは「子宝騒動」を予定している。私たちにとっては
初演作品である。

 音楽も出来、練習を重ね準備は日々整いつつある。活弁について言えば
児島と隣接する玉島でも佐々木亜希子弁士を呼んで活弁を行おうとしている。
実施までの道のりはまだまだ遠いようであるが、実現すれば児島だけの
地域限定での口演だった活弁の輪が更に大きくなることで画期的な出来事だ。

 玉島では児島と異なり、映画をコンセプトにして街おこしをしようと
考えている。従って、計画の中心にいるのは玉島観光協会の人達である。
観光によって街に活気を取り戻したいと考えている人達である。私も
及ばずながら協力をさせて貰いたいと思っている。

 そんな動きのある中で不思議な出来事があった。私たちに朝日新聞から
の取材依頼があったのだ。山南公民館での活弁口演の事を知った女性記者
が電話で取材を依頼してきた。

 実は私自身もせっかく岡山で三回もの活弁を行うので、何か取材して
貰えないだろうかと口演日程や簡単なプロフィールを書いたものを
ファックスで送っておいた矢先の事であった。

 ところが取材をしようと思ったのは、そのファックスが来たからでは
なく、その前からの計画であったらしい。しかも取材に来た女性がピース
ボートで一緒だったある女生と同期入社であったと言うから驚きである。

 しかもピースボートで一緒だった女性も家内と一緒に佐々木亜希子弁士
のワークショップに参加していた女性であった。その上、取材に来た女性
の出身地(ご両親が住んでおられるところ)が私の出身地である神辺だと
言うことで二重の驚きであった。とても偶然にしては出来すぎた出来事に
大変驚いている。

 さて、先の岡山では来年の活弁予定が入り、これも大きな飛躍のきっかけ
になるような気がしている。この依頼に先立って事務局の方に引き合わせて
下さったのがKさんという方で、この方は先の活弁ワークショップの発表会
に特別ゲストとして招かれた時、東京行きの車中で声を掛けて下さった方で
ある。

 思いがけない人と思いがけないところで出会ったのがきっかけで来年の
この場で活弁をして欲しいという事になったのである。
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ロシアの森林火災

2010-08-07 06:16:13 | Weblog
 どうやら地球温暖化の被害は遠くロシアにまで及んでいるようだ。
連日猛暑が続いているとのニュースは早くから聞いていた。しかし
山林火災や小麦の不作がここまで深刻だとは思っていなかった。

 やはり高温と乾燥が原因であろう。昨日の報道では首都モスクワも
周辺の山林火災の煙が充満していた。一部の軍の施設も燃えたようだ。

 地球温暖化など大したことはないと言っていた人達は、この現実を
どのように見ているのだろうか。これでも二酸化炭素などの影響では
なく、太陽の活動周期によるものだとでも言うのだろうか。

 いずれにせよ温暖化は悪い影響ばかりではなく、温暖化が進めば
北の方でも農産物が収穫できるようになるなどと言っていたが
そんな生やさしいものではなさそうである。

 その証拠に雨が降らず、小麦の輸出が出来ないほど収穫量が激減して
いるとの事である。

 今年も連日の猛暑で記録ずくめの日本列島である。二十数年ほど
前までは、猛暑だと言いながらも33度くらいではなかったろうか。
それが40度に迫ろうという暑さである。その上、日本は湿度が高い。
夜も熱帯夜で眠れない日々が続いている。

 暑ければクーラーを運転する。それだけ二酸化炭素の量は増えていく。
悪循環である。この上、中国やロシア、インドなどでもクーラーを使う
ようになったら、その影響は計り知れない。

 パキスタンや中国では記録的な豪雨だという。日本も例外ではない。
世界各地で様々な気象変動が常態のごとく生じ始めている。

 最早、私たちは引き返すことの出来ないような泥沼の中に入って
しまったのであろうか。この先、解決の手段は見つかるのだろうか。
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あれから一年

2010-08-05 15:56:24 | Weblog
 そう言えば昨年の今頃は、新型のインフルエンザで大騒ぎをしていた
ことを思いだし、過ぎ去った一年の早さを感じている。あれから一年
あの大騒ぎは何だったのだろうかと思うくらい、今年の夏は静かだ。

 マスクをしているような人は、ほとんど見かけなくなってしまった。
その代わりと言っては何だが、今年は宮崎県で発生した家畜の伝染病
「口蹄疫」が新聞、テレビを賑わせ、多くの家畜が殺された。この病気
もウイルスによる恐ろしい感染症である。

 インフルエンザ騒ぎがなくなったからと言って、新型インフルエンザの
恐怖がなくなった訳ではない。依然として感染力の強い新型インフルエンザ
の恐怖は去っていない。いつ大規模感染が始まるか分からないという恐怖
は常に潜んでいる。

 なまじ感染力の弱い新型を体験しているだけに「あんなものか」という
安易な考え方が芽生えてしまった。実はこの考えの方が恐ろしい。全ては
人間サイドの思いや行動の中に大流行の恐怖が潜んでいる。

 さて、雨を待つ日々であるが雨の兆しはいっこうに見えてこない。
これから果てしない乾燥と強烈な日射しとの闘いの日々が続くかと
思うとうんざりとしてくる。くり返される毎年の事である。

 人も動物も植物も疲れ果てた頃、やっと雨の季節がやってくる。その日は
いつのことになるのだろう。ここのところ記録ずくめの猛暑が続いている。
寝苦しい夜が続いている。熱中症で病院に搬送される人も例年になく多いと
報道されている。最早、誰もこれを異常気象などと言わなくなってしまった。
それくらい猛暑は常態化してしまったようだ。

 東京都で百才を越える人が、既に亡くなって何年も経過していたという
事件をきっかけに全国で同じような事例が多発している。最早、人の死が
問題になるようなことも、ましてや悲しい出来事だという認識もなくなって
しまったのだろうか。それとも死を明らかにすることも出来ないような事情
でもあるのだろうか。

 幼児や児童の虐待が常態化しつつある。人の心にどんな変化が生じて
いるのであろうか。今更始まったことではないと言いながら、人と人の
繋がりがますます希薄になっている。石原都知事ならずとも嘆かわしい
事だと言わざるを得ない。

 向こう三軒両隣だと言われた時代には、煩わしく思うことも少なく
なかったが、人と人の繋がりだけは濃密であり、孤独死などと言うことは
なかったし、虐待などと言うことも聞いたことがなかった。
 
 それがいつの間にかこんな世の中になってしまった。国が財政上破綻
するなどと言うことを誰が想像し得たであろうか。
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夏本番

2010-08-01 05:10:28 | Weblog
 どうやら先のブログに書いた蝉の鳴き声が聞こえないというのは、私の
早とちりであったようだ。例年なら、もう鳴き始めているのにと思って
いたのも勘違いであったようだ。蝉は正しく同じ時期に土の中から出て
きて鳴き始めた。

 夜が明け周辺が明るくなると、我が家の周辺ではクマゼミ、アブラゼミ
ニイニイゼミなど様々な蝉が、うるさいほどに鳴き始める。

 そして、早朝の薄暗い内や夕闇が迫る頃になると、遠くかすかにカナカナ
と蜩の鳴き声も聞こえてくる。庭の柿の木でツクツクボウシがうるさいほど
鳴いている。

 これから8月、夏は本番である。我が家の畑ではモロヘイヤ、オクラ
二度目のインゲン豆などが収穫期に入ってきた。トマト、キュウリは
どうやら最盛期を過ぎたようである。今年もキュウリは収穫期が長く
今も成長を続けている。

 また、トマトはトマトトーンで処理したこともあって、数多くの実を
付けてくれた。何年かぶりの大収穫であった。大地の恵みに心から感謝
している。

 しかし、出来の良いものもあれば悪いものもある。トウモロコシは
収穫直前に全てカラスに食べられてしまい、一粒も口には入らなかった。
その代わり、桃の収穫は比較的順調だった。

 桃やブドウほど害虫の好む果物は少ない。人間が好きなものは、昆虫も
好きなようだ。それを無農薬で作ろうというのであるから、出来の良いもの
を求める方が無理な話だと言えよう。それでも何とか収穫できたのだから
大げさに言えば奇跡だと言えなくもない。

 しかし、子ども達のところへ送るには無理があったようだ。大半は
家で食べ、残りや傷んだものはジャムにしたりコンポートにして食べた。

 桃を送るのは難しいらしい。少しでも当たると、その部分の色が変わり
商品価値は落ちてしまう。また、腐りやすいからと言って保冷車などで
送ることも出来ないらしい。実が固くなるのである。桃は出来るだけ
地元の人が地元で消費する果物のようである。

 さて、7月も慌ただしく過ぎてしまった。この間、地球温暖化問題や
環境に関する出前講座や講演を行ってきた。また、活弁の依頼もあった。

 8月に入っても更に各地での講演や口演依頼が来ている。8月も忙しい
月になりそうである。

 昨年の今頃は母が入院していた。何度も何度も病院通いしていたことが
もう遠い過去の事のように思えてくる。あれから一年、実に年月の過ぎる
のは早い。

 地元の御大師様の屋根の葺き替え工事が終わった。私が管理を引き受けて
以来、何年か越しの懸案事項であった。やっと肩の荷が下りた感じである。
大雨や台風の度毎に雨漏りがして、このまま放置すればいずれは朽ちて
倒れてしまう懸念があった。

 そんな問題の多いお堂だとも知らずに管理を引き受けたのが間違いで
あった。一度は組内の人に修理を提案したのだが、一部の人からの反対で
断念せざるを得なかった。

 その後、色んな経緯があって二度目のチャンスが廻ってきた。全ての
機が熟していたかのように、何もかもが順調に行き着工となった。

 懸念していた費用の方も地元の大工さんの協力で何とか予算内に収まった。
梅雨の最中であったにも関わらず工事の滞りもなく順調に終わった。

 「待てば海路の日和あり」とは、こんな事を言うのであろうか。そう
言えば今も何となく奇跡のように、望んでいたことが望んでいたように
解決したり道が開けている。

 こう言うのを世間では「引き寄せの法則」と言っているようだが、自分
でも半信半疑ながら疑う余地もないほど、そのようになっていることを
考えれば、あるいはそのようなこともあるのかも知れない。

 別に特別な何かをしているわけではない。ただ何となく、いつかは
そうなるのではないだろうかと思っているだけである。どうせおまけの
ような定年後の生活である。とにかく坦々と日々を生きるのみである。

 世界では頻々として大災害と言えるようなものが発生している。今も
紛争の最中にあるパキスタンで大洪水が起きている。中国でも洪水の
被害があったばかりである。

 そして日本も決して穏やかな日々ばかりではない。これら全ては近年に
なって生じ始めた天災と言えるものである。私たちの生きている時代は
何かしら新しい変化の時代に突入しているようである。

 その変化は誰にも先の見えない変化である。どの時代に生きても人間は
目に見えない変化を甘んじて受けながら生きてきた。私たちも又、先人達
と同じように未知なる時代を生き続けなければならない。
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