人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

報道の在り方を問う

2010-01-29 06:43:13 | Weblog
 これは私のブログを掲載しているgooに掲載されていた記事の一部である。
以下全文を書き写す。

 「週刊朝日」先週号(検察の狂気)への反響が凄まじい。国会では
与野党党派を問わず多くの国会議員や秘書、党職員に声を掛けられた。
一方で政治記者からは皆無だ。

 また、編集部には前例のないほどの激励の手紙やメールが寄せられて
いるという。ツイッターなどのネットも同様の反応で盛り上がりを見せて
いる。

 そして同じ「週刊朝日」に今週も書いた。タイトルは「検察の卑劣」。
文字通り、国家権力である検察の卑劣さと、そこに寄生する記者クラブの
不健全さをリポートした。内容は同誌に譲るとして、すでに筆者のツイッター
には先週号以上の反響が寄せられている。

 一方で、既存の記者クラブメディアには抗議が殺到しているという。
だが、これまでと同じように記者クラブメディアは自らに不利な情報を
一切報じようとしない。そのために抗議の内容は明らかになっていないが、
各社の幹部に取材した。

 「今回は、これまでの抗議とは量も質も違っている。『小沢が悪い、
検察が悪い』ではなくて、検察のリーク報道に対して、『本当なのか、
説明しろ、騙してきたのか』という例のない類のものばかりだ。正直、
手をつけられない」(朝日新聞政治部記者)

 「視聴者センターへの抗議の電話本数については把握していないが、
相当寄せられているというのは確かだ。その8割程度は検察とその報道に
対する苦情だそうだ」(NHK報道局幹部)

 永田町も、検察リーク報道問題で喧しい。各閣僚が記者クラブの発表
報道にようやく疑問を呈しはじめた。

 中井洽国家公安委員長が「特捜部にも説明責任がある。何の事件か
分からないというのが率直な感想だ」といえば、赤松広隆農林水産大臣が
「検察の言うことが100%正しいということは絶対にない。冤罪捜査も
いっぱいある」と語る。

 「『関係者』という報道は、何の関係者なのか分からない。検察の
関係者なのか、被疑者(の関係者)なのか」と原口一博総務大臣が疑義を
呈し、平野博文官房長官が「あまりにも一方的に情報が媒体に出てくる
ことで不公平感を感じるところはある。弁護士の話が出てこず、一方的に
『関係者の話によると』とか、少し一方的かなあという気はする」と
述べるという具合だ。


 やっと私が数日前に書いたブログと同じような疑問を感じ始めたようだ。
私は週刊朝日の記事を読んでいない。従って、記事に関するコメントは差し
控える。

 しかし、ここのところ、あれほど連日のように報道されていた小沢関連
のニュースがほとんど聞かれなくなった。不思議に思っていた。

 私は小沢さんに同情の気持があってブログを書いたのではない。国家
存亡の危機にある時に、過去には全く問題にされてこなかったような事件
を根ほり葉ほり掘りだして何をしようとしているのか、検察の意図が
分からなかったので書いてみた。また、民主党本部にも同じ記事を書き
送ってみた。

 冷静に事の推移を眺めれば、私でなくても変だと思うのは当たり前だ。
私達は報道に踊らされることなく、報道の中から何が真実かを見極めること
が大切だ。

 記者は記事を売って飯を食うのが商売である。従って、センセーショナル
に書けば書くほど記事は売れる。かつて戦国時代、相手国を倒す前にあらぬ
噂を立てることによって相手陣営の動揺を誘った。これは相手国を倒す
ための常套手段であった。

 社会の混乱を誘うには根も葉もない情報でかき回すのが手っ取り早い。
かつて関東大震災の時、誰が流したのか風評が巷を駆けめぐり、罪もない
人を多く殺害してきた。私達は過去の過ちを繰り返してはいけない。

 また、太平洋戦争中は一方的な情報しか得られず、無謀な戦争へと駆り
立てられ、あたら多くの尊い命を失ってきた。報道に踊らされてきた典型
的な事例である。私達に確かな真実を見極める目が求められている。

 また、報道関係者の良識ある対応が求められる。あなた達の背後には
報道は正しいものだと信じて疑わない国民が多数いる。あなた達のように
現場を見ていないから、あなた達が書いた記事を信ずる他はない人が
多数いる。それだけに報道は公正なものでなければいけない。また、その
責任を背負っていることを自覚して欲しい。そうしなければ、あなた達
自身の手で報道に対する信頼を失うような事になってしまうのではない
だろうか。かつて新聞記者は無冠の帝王と呼ばれた時代もあったのです。

 さて、国会議員まで逮捕し、今をときめく幹事長まで呼んで事情聴取を
した東京検察庁だが、いったいどのように決着させるのであろうか。もう
いい加減にして貰いたいというのが一国民としての率直な願いである。

 これからは国民が一体となって、よりよい国造りを目指すときである。
検察の潔い決着を願うばかりである。
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アバターを観た

2010-01-22 09:29:44 | Weblog
 このSF映画の時代にあっても、この星(地球)の住民達は相も変わらず
破壊者であった。これは今大ヒット上映中の映画「アバター」でのことで
ある。

 3DCGがついに映画になった。この手の映画が今までにもなかった
わけではない。私達が子どもだった頃にも制作され上映されていた。また
今でも漫画本などには立体画像として登場してくるものである。

 私達が子どもの頃は立体映画とか立体画像と呼んでいた。3DCG等と
いう言葉がなかったからだ。左右の赤と青のフィルターを通してみると
何故だか画像が浮き上がって見えてくる。その不思議さに驚いたもので
ある。

 それが本格的なSF映画となって登場した。かの有名な「タイタニック」
の悲劇を映画化したジェームズ・キャメロン監督が作ったものである。

 CGと言えば、かの映画「タイタニック」の時にも使われていたようだが
とても実写やセットでは不可能なものを映画化してみせる手法としてCGは
欠かせないものになってきた。

 更に、これからは3Dがその主役になろうとしている。その手法にも
様々なものがあるようで、電機メーカー各社も本格的な映像機器の生産を
目指しているようだ。

 この日の映画館も満席に近かった。しかもシネコンの3室で上映という
かつてないほどの盛況ぶりであった。私は字幕スーパーを避けて日本語
吹き替えの方を選んだ。

 連日の上映にも関わらず3室で上映とは、よほどのヒット作と言える
のではなかろうか。

 面白さは3DCGという話題性だけではなく、ストーリーも映像その
ものも見応えあるものであった。近未来、地球人(この映画の中では
エイリアン)達は軍隊まで送り込んで、他の星の地下資源の採掘を行って
いた。

 目指す大鉱脈は、この星に住む住人達のシンボルツリーとも言うべき
「命の木」の地下深くに眠っていた。それを探索していたのが、映画の
主人公、この星の住民の姿を真似して作られた人工生物であった。

 人工生物は人間の頭脳とリンクしており、この機械なしでは動くことが
出来ない。スパイとして送り込まれた人工生物はこの星の住民達と暮らし
を伴にする内に、この星の平和な暮らしを壊したくないと考えるようになる。

 しかし、雇用主である資源開発会社のトップや軍隊の指揮者は強行に
立ち退かせようと軍事力をもって破壊にかかる。やむなく彼は仮の姿で
ある人口生物の体を借りて、これらの軍隊に立ち向かう。

 この映画で描かれていたのは、この星の動植物全てが命のネットワーク
で繋がっていること。そのネットワークを壊そうとしているのがエイリアン
として描かれた地球人であること。

 言い換えればこの映画で描かれている世界は、開発によって破壊され
続けている地球の今の姿そのもので ある。監督がこの映画を通じて語り
かけたかったものはいったい何だった のだろう。

 「タイタニック」の時は、映画の中で人間の思い上がりをたしなめて
いた。決して進歩が全てではない。

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官僚国家からの脱皮

2010-01-20 13:43:08 | Weblog
 誠に日本という国は明治維新以来、官僚国家であった。この官僚組織は
実に強固なもので、ある学閥が中心的存在であった。言うまでもなく東京
大学である。戦前は東京帝国大学と呼ばれ天下の英才が集まっていた。

 詳しくは昨年の暮れにNHKから放映された「坂の上の雲」を参考に
されたい。明治維新では士農工商という身分制度がなくなり、天下国家を
目指す天才や秀才と言われた多くの人材が、この大学に集まった。

 この大学を出れば栄達は思いのままであった。そして、軍閥が台頭して
からも、したたかに生きてきたのが、この官僚組織であった。敗戦となり
占領軍が入ってきて軍閥は解体され、財閥も解体されたが、この官僚組織
だけは解体されることもなく残ってきた。

 官僚組織まで解体してしまうと如何に占領軍と言えども、この国の戦後
を維持管理することが出来なかったからであろう。こうして親子代々何世代
にもわたって高級官僚だったという家系は残されてきた。

 そして、自民党が長く政権の座にいる間は官僚組織も温存され続けて
きた。日本の官僚組織とは冒すべからざる特権階級である。

 実は官僚組織が巨大になりすぎて多くの国が衰退したり消滅していった。
そもそも官僚組織とは改革を好まない組織である。下手に改革でもしよう
ものなら自らの足下をゆるがせかなないからである。非常に保守的な階級
であると言っても過言ではない。

 かつてのソ連邦も官僚組織が巨大になりすぎて崩壊したと言われている。
また、歴代の中国も官僚という組織の腐敗から国家は衰退し崩壊していった。

 やっと事件の真相が見えてきたようだ。何故、民主党なのか。民主党は
官僚組織を改革しようとしている。矢継ぎ早に出された方針が、それを
如実に物語っている。

 自民党時代は官僚が書いた筋書きの中で事が行われてきた。政府答弁然り
である。あれは政治家が語っているようで、実は官僚が全てを作ってきた。
その過程において自分たちに都合の悪いことは答弁には書かれてこなかった。

 当然のことである。自分たちの地位を危うくするような事を書くはずも
なかった。その一番の現れは厚生労働省に凝縮されている。一連の社会
保険庁の不祥事は何を物語っているのだろうか。また、薬剤エイズの問題
や血液製剤の問題は誰が、そのようにしてきたのだろうか。

 官僚は民間に丸投げして、上手く行けば自分たちの功績であり、上手く
行かなければ取り締まれば良いだけの都合の良い組織である。今日の教育
環境を壊してきたのは文部科学省である。現場を知らない官僚が作り上げた
絵空事に教育現場は振り回されてきた。

 このように官僚という特別に頭の良い組織は国民を手玉に取りながら
自分たちの利権を温存し肥やしてきたのである。官僚の問題は単に天下り
だけの問題ではない。もっと国家の根幹に触れる問題である。

 今、新たなる挑戦が始まろうとしている。初めて官僚という組織にメス
が入れられようとしている。私達は冷静な目で事の推移を見ていく必要が
あるようだ。

 これは単なる民主党と検察権力とか、小沢さんや鳩山さんと言った特定
個人と検察権力の争い事ではない。事は国家百年の計にも相当するような
重大事である。この改革が上手く行かなければ日本の将来はない。
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果たして事件は

2010-01-17 05:14:24 | Weblog
 民主党の小沢幹事長が窮地に立たされている。自らの活動資金管理団体
陸山会の資金運用を巡っての取り調べが昨年から今もなお続いている。

 そして、ついに東京地方検察庁は石川議員を初めとする関係者三人の
逮捕に踏み切った。この展開には正直言って驚いたし、その背景に何が
あるのか大いなる感心を抱いている。

 私達のように司法界に疎いものにとって、司法の行動は全て正義に基づく
ものであり、正しいものだと信じてしまいがちである。しかし、その歴史を
紐解けば、決して、そのような事ばかりではない。

 特に戦前の特高警察などの行ってきたことを見ると、多くの疑問が残る
ところである。戦前は軍事政権下であった。それだけに政治批判は絶対に
許されなかった。

 多くの政治活動家が理不尽な逮捕の中で非業の死を遂げてきた。過酷な
取り調べによる獄死である。こうした獄死は長く秘匿され、一般には公開
されなかった。しかし過酷を極めた取り調べの中で無念の死を遂げた人は
少なくない。

 さすがに戦後の民主国家になってからは非常に少なくなった。とは言え
冤罪事件が全くなったわけではない。未だ絶えないと言うことは、形こそ
変化しても、取り調べ方法などに大きな変化は、なくなっていないのでは
なかろうか。

 さて、今回の事件、4億円という庶民には縁のない大金の扱いを巡って
の事件である。問題なのは土地取引ではなく、その取引に使われた4億円
という金の出所の問題である。

 ここら当たりの事が報道を聞いていても、なかなか理解出来なかった。
検察庁は、この金の出所がゼネコン当たりのものではないかと疑っている
ようだ。

 気がかりなのは、検察の取り調べの執拗さである。そして、自民党政権
時代には、ほとんど問題視されなかった政治資金の問題が、次々に取り
上げられ今日に至っている。検察庁のさじ加減一つで事件になったり
ならなかったりしたのではいけない。

 民主党がまだ野党だった頃の小沢氏の資金管理問題、その次は鳩山氏の
選挙資金に関する不実記載を巡っての問題、そして管さんまでが取りざた
されかけた事がある。民主党の大物政治家ばかりを狙っての取り調べの
背景にあるものはいったい何だろう。

 民主党という政権が誰かにとって不都合なのであろうか。その誰かが
良く見えないところに一連の事件の暗い影の部分を見るのである。今回
家宅捜索があって多くの書類が押収された。これで一段と検察側の取り
調べは厳しくなるであろう。

 しかし、これらの書類の中に新たなる疑惑や証拠を見付けるには時間が
足りない。そこで逮捕と言うことになったのであろうか。いずれにせよ
目を離すことが出来ない事件である。

 マスコミがこぞって面白可笑しく書き立てて来た報道が果たして正しい
報道だったのであろうか。もっと真実を明らかにするような報道をして
貰いたいと願っている。

 今のところ国民は全て蚊帳の外である。せっかく私達が民主的な方法で
選んだ政権である。そして、今は未曾有の危機的な状況にある。安定した
政権を確立しなければ、この危機を乗り越えることは出来ない。

 あたら騒ぎ立てて掌中の玉を捨てるような事はしたくない。事件の背景
に多少の疑問があったとしても、国民の信頼を大きく損なうようなもので
なければ良しとしなければ、新しい日本を築くことは出来ない。

 贈収賄という政治がらみの汚職は、今後の監視を強めていけば良い。
私達は事件の推移を注意深く見守っていきたい。そして、民主党に代わり
得るような政党がなくなった今、国益を損なうような事だけはしたくない。
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大雪注意報

2010-01-13 09:12:13 | Weblog
 昨今は暇さえあれば畑に出ている。果樹畑である。柑橘類の収穫
そして果樹の剪定、冬の間の病害虫防除等々である。

 実に忙しい毎日を過ごしている。このようにしてみると365日
百姓に暇なときはない。稔りの時は嬉しいが手間のかかる仕事である。
趣味だから出来るのであって生計を立てるためだったら、こんな事も
言ってはおられないのだろう。

 さて、山の畑にいると色んな事がある。先日も栗の木に群になった
シジュウカラがやってきた。愛くるしい顔をした小鳥である。盛んに
幹をつついている。幹に着いている虫などを探しているのかも知れない。
すぐ近くにいる私さえ気にならないほど近くまで来て飛び回っている。

 山の畑の柑橘類の収穫もほぼ終わり、剪定の一部も終わった。大量
の剪定枝は燃やしている。

 昨日から急に寒くなってきた。ここ瀬戸内海地方は晴れたり曇ったり。
さすがに海岸近くでは風が強い。岡山県も県南は本当に晴れの国である。

 果樹の剪定が急がれる。もう一月も半ばを過ぎた。春の足音は近い。
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来るべき日に備えて

2010-01-13 05:17:30 | Weblog
 今は混沌として先の見えない時代だ。先日も畑にいると近所の人が
来て話し始めた。この人は昭和20年生まれだと言うから私と同世代
の人である。今は定年となり私と同じように畑などしながら毎日を
過ごしているらしい。

 お互いに在職中は家と会社の往復で、ほとんど顔を合わせることも
なかったし、互いに挨拶を交わすことさえなかった。しかし、同世代
というものはありがたいもので、こんな間柄でも話し始めると話題は
尽きない。

 そんな話の中で、これからの時代の事になった。誠に先の見えない
時代である。子ども達は都会へ出てしまい高齢者の姿ばかりが目立つ
昨今である。比較的、人口も多く地場産業もあるこの町でも若者は
少なく、一人暮らしの老人世帯も少なくない。

 私達の世代の高齢化が進めば、ますますこのような状態が進行する
に違いない。それは目前に迫っている。五年先か、あるいは十年先か。

 そして同世代の仲間が亡くなったという話を聞くようになってきた。
現に彼の同級生も既に十数人が亡くなったと話していた。定年を待たず
して亡くなった人や定年になるかならないかで亡くなった人も少なく
ない。人ごとではなくなってきた。

 さて、そんな先の見えない世の中ではあるが、こうした問題全てを
政治で解決できるのだろうか。既に行き詰まっている社会保険、そして
医療保険、大量の失業者を救済している生活保護費、これらのお金は
私達が税金として国庫に納めた一部のお金である。

 しかし、来年度の予算を見ても税収入の倍以上が赤字国債によって
まかなわれている。既に国家の財政は破綻している。色んな保険制度
も私達は私達の手足を食って生きているような状態なのである。

 昭和30年代から始まった高度成長期に考えた経済モデルは完全に
破綻している。なのに見直しも行われないままに今日に至っている。
納めても貰えない年金制度が破綻しているのは、火を見るより明らか
である。

 こうした時代を私達はどのように生きたら良いのだろうか。タコが
自分の手足を食うような生活は見直すべきではなかろうか。分相応な
生活にするべきである。

 こうした生活は貧困を伴うようなものかも知れない。しかし、国は
戦後一貫して公共投資を行ってきた。それらは老朽化しつつはあるが
財産として残っている。

 戦前と決定的に異なるのは、この点である。戦前の国家予算の多くは
軍事費に費やされていた。貧弱な輸出産業で外貨を稼ぎ、その大半は
軍事費として使われていた。従って道路も橋も全ては昔のままで公共
投資というものがほとんど行われなかった。

 戦後、軍事負担と言うものが少なかったことは、幸せだったかも
知れない。戦前のように軍拡競争の最中にいたのでは、このように
行かなかったのではないだろうか。

 さて、極端な時代の事を考えてみよう。それは終戦直後の状態を
想像してみると良いのではなかろうか。食べるものも着るものも、住む
家さえもなかった時代の事である。

 あのころは国家と言うものが崩壊し、お金も機能しなくなっていた。
何が人々の生活を支えたのであろうか。食べ物の多くは物々交換だった。
私の父も人手が足りない田舎へ労働奉仕に行き、その代わり僅かばかり
の食べ物を貰っていた。

 お金を持っていても買うものさえない時代が来るかも知れない。
そんな時代にお札を何枚持っていても紙切れ同然だろう。使う手段が
伴わなければ使えないのである。

 物々交換にせよ、いきなり訪ねていって簡単に交渉に応じてくれる
とは考えにくい。必要なのは人の体力と智恵、そして生きていくための
才覚である。

 そして何よりも大切なのは人と人の繋がりではなかろうか。現代人
のように近所の人とさえ付き合いのないひとが、果たして生きていける
のだろうか。

 戦後の混乱期、幸いだったのは戦前から引き継いできた近所づきあい
や人と人の繋がりがあったからこそ助け合いも出来たし、情報を得る
ことも出来た。

 また、曲がりなりにも田舎が生きていた。しかし、今多くの田舎が
消えている。このような状態で生活の支えになるのだろうか。はなはだ
疑問である。私達は来るべき時に備えて、それなりの覚悟を決め、対策
を練るべきである。そして人の繋がりを再構築すべきではなかろうか。
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尽きぬ謎

2010-01-10 05:47:13 | Weblog
 宇宙の果てはどうなっているのだろうか。この宇宙は今も膨張を
続けていると言われている。今、観測可能な領域が135億光年彼方
だと言われている。光りのスピードで135億年彼方の事である。

 人類は天体望遠鏡などない時代から空の彼方を眺め、色んな想像を
してきた。その後、望遠鏡なるものが作られ、より具体的に宇宙と
言うものが分かるようになってきた。ガリレオ・ガリレイがその魁
(さきがけ)となった。

 実のところ宇宙の大きさは天体観測技術の進歩によって広がって
きたと言っても過言ではない。天体望遠鏡などなかった時代の宇宙は
肉眼で見えるだけのものであった。

 それがガリレオの天体観測によって同じ星であっても惑星なるものと
恒星なるものが全く異なるものだと言うことが分かってきた。地動説
であり太陽系の発見であった。

 以来、観測技術の進歩に連れ、宇宙は広がり続けている。今以上に
観測技術が進歩すればもっと遠くの宇宙のことが分かるかも知れない。
そうなれば更に宇宙は大きくなる可能性もある。

 さて、その宇宙に関し様々な疑問が生じている。その最大なものが
宇宙の大半を占めると言われているダークマターとかダークエネルギー
と言われているものである。

 こうしたエネルギーや物質の存在を抜きにしては、宇宙を語ることは
出来ない。私達の目に見えているのは宇宙のわずかに数パーセントだと
言われている。

 と言うことは、私達が目にしているものは宇宙のほんのわずかな
部分に過ぎず、目に見えないものが圧倒的な部分を占めていることに
なる。

 では目に見えないダークマターやダークエネルギーとは、いったい
どのようなものなのであろうか。目に見えないだけに、どのような
観測技術を持ってしても謎を解き明かすのは困難である。

 宇宙を構成する大きな存在という謎は、今後ますます議論を呼ぶ
のではないだろうか。この見えない部分こそ異次元と呼ばれている
部分かも知れない。

 さて、謎は宇宙だけではない。実は私達の脳にも大きな謎の部分が
ある。他の動物には見られないほど大きくなった頭脳である。

 この大きくなった頭脳の大半は、どのような必要があって進化した
のか十分な解明がなされていない。実は、日常生活で使われている
部分はほんの少しだと言われている。

 では、何故このような大きな脳になったのであろうか。進化するから
には何か大きな理由があったに違いない。ある人は、大半の部分は
潜在意識を司る部分だと言っている。

 では、その潜在意識とは何だろう。他の動物たちにはないのだろうか。
進化発達の段階で決定的な違いは、どのような理由があって生じたので
あろうか。疑問は深まるばかりである。

 人間も宇宙も謎多き存在として、これからも私達の謎解きゲームは
続くようである。

 折しも人間社会では大きな変革が始まろうとしている。際限のない
欲望ばかりが支配する世の中になってしまった。神や仏という存在を
無視する人も少なくない。その一方で神や仏を盲信する人も増えて
いる。両極端が同時進行の形で存在するのが今の世の中である。

 快楽や欲望に身を任せる人も少なくない。麻薬やドラッグの横行
である。犯罪も多発するようになった。刹那的な生き方しかできない
人も増えている。無気力な日々を送る人も少なくない。生きることを
諦めて自ら死を選ぶ人もいる。

 あの太平洋戦争当時には、多くの人が生死の境目で生きながら
生きることを渇望していた。自ら死を選ぶ等と言うようなことは
考えられなかった。

 なのに戦地に送られることもなく、衣食住の満たされた今の時代に
なぜ人は死を選ぶのだろうか。

 時代の終末論の待つまでもなく、私達は何か大きなものを見失って
いるような気がしてならない。その見失ったものは何か、それは私達
の大半を占める脳の未知なる部分とダークマターやダークエネルギー
と言われている宇宙の未知なるものに通じる何かがあるのではない
だろうか。
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捕鯨

2010-01-08 05:44:39 | Weblog
 日本人と鯨とのつき合いは長い。日本は海洋国である。四方を海に
囲まれているから魚や鯨は身近なものであった。また、地方によっては
重要な食料源でもあった。

 流通網の発展していない時代だったので日本全国に出回ることは
少なく、捕獲された地域で細々と食されてきたようだ。日本全国には
鯨塚なるものが点々と見られる。

 このことからも土佐の高知だけでなく、隠岐の島でも和歌山県の太地
でも山口県の青海島でも、私の知っている範囲だけでも、かなり多くの
地方で捕獲され食されていたようだ。

 これら捕獲した鯨の霊を祀っているのが鯨塚である。中には胎児だけ
を祀ったという塚もある。また、当時の捕鯨は肉食だけでなくあらゆる
部位を利用していた。捨てるものがなかったのである。

 ちなみにアメリカが日本に開国を迫った理由の一つに捕鯨船の補給
基地として日本を利用したいという思惑があったようである。それぐらい
日本は地の利を得ていたし、日本近海には鯨が多かったようである。

 アメリカの捕鯨は鯨油とるための捕獲であった。これらの捕鯨船が
どれほど鯨肉を利用してきたのか定かではないが、捕獲の目的の
大半は肉ではなく油だったようである。従って、大型船で大量に捕獲
された鯨は脂を採取した後、捨てられていたようだ。

 また、捕獲の頭数も並の量ではなかったらしく、この当時、相当数が
捕獲され種の絶滅の危機さえ懸念されたくらいである。

 ちなみに絶滅種であるアメリカの旅行鳩という鳩は肉の利用と射撃
目標にされて絶えてしまった。何万、何億という数であったと聞いて
いる。

 戦後の私達にとって鯨肉は実に貴重な蛋白源であった。私達が幼い
頃の肉食と言えば、筆頭にあげられるのが鯨肉ではないだろうか。

 それまで大々的に畜産というものが行われたこともなく、ましてや
江戸時代まで肉食は忌まわしいものとされてきた。動物の肉など口に
することはなかったのである。あったとしても「またぎ」など特殊な
職業に携わる人達だけで食されていたのではなかろうか。

 戦後の食糧難を支えてくれたのは鯨肉であった。ほとんど食べること
がなくなった現代にあっても鯨肉は懐かしい味の一つである。

 ちなみに私が小学生だった頃、小学校に捕鯨船の人が来て、勇壮な
捕鯨の話をしてくれた。私達が話を聞いた講堂の長さほどもあるという
シロナガスクジラのことを聞いたときには驚いたものである。

 私の幼い頃の絵には、しばしば鯨が登場する。見たこともない鯨を
想像の中で描いたものである。その鯨はいつも潮を高々と吹き上げて
いた。今も何故か懐かしく思い出される絵である。

 私がピースボートで地球一周の旅をしているとき、水先案内人と
呼ばれていた講師が乗ってきた。この人は鯨を保護する団体の人で
あった。船内で話があり、その後に質問時間があった。

 私達と一緒に話を聞いていた人達の中に定年まで調査捕鯨船の船長
だったという人がいた。その人から、あまりにも一方的な話だと抗議
の声があがった。日本の調査捕鯨の実態を知らないと言う抗議であった。

 講師との間の通訳がうまくいかず話がかみ合わなかった。私は抗議
した元調査捕鯨船の船長さんだったという人の意見の方が正しいと
思った。日本人同士だったからかも知れない。

 鯨肉の恩恵に預かったことのない人と、鯨を保護しようとしている
人の立場では自ずと意見が合わないのは当然である。

 外国人の多くは肉食をしているのに、鯨肉を食すると言えば何故
こうも激高するのであろうか。生きものの命を頂くという観点に立てば
同じ事である。鯨やイルカが賢い動物だからであろうか。牛やブタにも
それ相応の智恵はある。

 それでは世界の海にいる鯨の頭数はどれぐらいであろうか。調査捕鯨
によると捕獲頭数さえきちんと守れば種の絶滅には繋がらないだけの
頭数はいると言われている。

 シーシェパードという鯨の保護団体が日本の調査捕鯨の妨害をして
いて船が大破したと大きく報じられ、国際問題にまで発展しかねない
状況になっている。

 調査捕鯨は勝手に行っているわけではない。国連を通して話し合いが
行われる中で行っている。また、調査データは会議に提出されている。
頑なにデータを認めようとしないのは捕鯨に関心のない国であったり
国内に強力な保護団体がいる国である。

 これらの国々との議論は平行線のままである。今更、鯨肉が食べたい
とは思わないが、理不尽な反対運動を断じて許すわけにはいかない。
この際、日本政府も主張すべきは遠慮なく主張するべきである。

 曖昧な対応をしていては、このような問題はますますエスカレート
するばかりである。主張と主張を闘わす中から妥協も生まれ、解決策
も生まれてくるのではなかろうか。
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意識の時代

2010-01-03 05:52:37 | Weblog
 21世紀に入り早くも10年という歳月が過ぎてしまった。この
10年間めまぐるしいばかりの変化が生じている。

 その第一に挙げられるのは、何と言っても政権交代ではなかろうか。
私達の生活に一番身近なものが政治である。その政治が戦後60数年
もの間、一党に独占されていた。

 かつては政治改革を求めて政党活動に身を投じた事のある小生と
しては思いがけない政権交代に拍子抜けした感じである。むろん私が
夢に描いていたものとは、ほど遠い政権ではあるが大きな変革である。

 政権が交代したとは言え、アメリカとの関係を初めとして戦後政治
の尻尾を付けたままである。これからが正念場だと言えよう。真の
独立国を目指して国民が心を一つにしなければ、この難関を乗り切る
ことは出来ない。政治に関しては決して傍観者であってはいけない。


 さて、この世の中は人の世の中である。物のためにあるのでも
なければ、お金のためにある世の中でもない。私達人間を初めとして
生きとし生けるもの全てのためにある。

 そして、その世の中を良くするのも悪くするのも私達自身である。
私達が意識して変えようと思わない限り、この世の中は変わらない。
そんな単純な事が分かっていながら何故出来ないのだろうか。

 その最たるものが環境問題である。気候変動だけの話ではない。
大気汚染も土壌汚染も海や川や湖の汚染問題も、みんな私達自身が
よりよい生活がしたいという思いから生じたものである。

 こんな欲望を抱くものは人間以外この地球上にはいない。飽くなき
欲望から全ては生じている。そして、その欲望ゆえに私達自身も苦しめ
られている。こんなバカなことがあるだろうか。

 実は、その欲望に激しく鉄槌を打ち込んだのがお釈迦様の教えである
仏教だ。心優しい仏教は教え諭すように、そのことを解いている。欲望
に歯止めをかけるという意識がなければ、この暴走を食い止めることは
出来ない。

 今年一年間は私自身の生き方を含め意識や心の問題に焦点を当てて
行きたいと思っている。人間とはいったいなんだろう。何のためにこの世
に生を受けたのだろう。この世に生を受け、これからどこへ旅立とうとして
いるのだろう。

 人間の意識には顕在意識の他に潜在意識があり、どうやらその先には
宇宙意識とでも言うような万物共通の意識帯があるのではないかと
言われている。高度な物理学も探求すれば探求するほど、その領域に
近づいているようである。

 光りが全ての始まりであり、この世の現れを光りによるものだと
すれば宇宙に境などないのかも知れないし、意識を通じて見ている
だけの世界かも知れないと思うのである。
コメント
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