これは私のブログを掲載しているgooに掲載されていた記事の一部である。
以下全文を書き写す。
「週刊朝日」先週号(検察の狂気)への反響が凄まじい。国会では
与野党党派を問わず多くの国会議員や秘書、党職員に声を掛けられた。
一方で政治記者からは皆無だ。
また、編集部には前例のないほどの激励の手紙やメールが寄せられて
いるという。ツイッターなどのネットも同様の反応で盛り上がりを見せて
いる。
そして同じ「週刊朝日」に今週も書いた。タイトルは「検察の卑劣」。
文字通り、国家権力である検察の卑劣さと、そこに寄生する記者クラブの
不健全さをリポートした。内容は同誌に譲るとして、すでに筆者のツイッター
には先週号以上の反響が寄せられている。
一方で、既存の記者クラブメディアには抗議が殺到しているという。
だが、これまでと同じように記者クラブメディアは自らに不利な情報を
一切報じようとしない。そのために抗議の内容は明らかになっていないが、
各社の幹部に取材した。
「今回は、これまでの抗議とは量も質も違っている。『小沢が悪い、
検察が悪い』ではなくて、検察のリーク報道に対して、『本当なのか、
説明しろ、騙してきたのか』という例のない類のものばかりだ。正直、
手をつけられない」(朝日新聞政治部記者)
「視聴者センターへの抗議の電話本数については把握していないが、
相当寄せられているというのは確かだ。その8割程度は検察とその報道に
対する苦情だそうだ」(NHK報道局幹部)
永田町も、検察リーク報道問題で喧しい。各閣僚が記者クラブの発表
報道にようやく疑問を呈しはじめた。
中井洽国家公安委員長が「特捜部にも説明責任がある。何の事件か
分からないというのが率直な感想だ」といえば、赤松広隆農林水産大臣が
「検察の言うことが100%正しいということは絶対にない。冤罪捜査も
いっぱいある」と語る。
「『関係者』という報道は、何の関係者なのか分からない。検察の
関係者なのか、被疑者(の関係者)なのか」と原口一博総務大臣が疑義を
呈し、平野博文官房長官が「あまりにも一方的に情報が媒体に出てくる
ことで不公平感を感じるところはある。弁護士の話が出てこず、一方的に
『関係者の話によると』とか、少し一方的かなあという気はする」と
述べるという具合だ。
やっと私が数日前に書いたブログと同じような疑問を感じ始めたようだ。
私は週刊朝日の記事を読んでいない。従って、記事に関するコメントは差し
控える。
しかし、ここのところ、あれほど連日のように報道されていた小沢関連
のニュースがほとんど聞かれなくなった。不思議に思っていた。
私は小沢さんに同情の気持があってブログを書いたのではない。国家
存亡の危機にある時に、過去には全く問題にされてこなかったような事件
を根ほり葉ほり掘りだして何をしようとしているのか、検察の意図が
分からなかったので書いてみた。また、民主党本部にも同じ記事を書き
送ってみた。
冷静に事の推移を眺めれば、私でなくても変だと思うのは当たり前だ。
私達は報道に踊らされることなく、報道の中から何が真実かを見極めること
が大切だ。
記者は記事を売って飯を食うのが商売である。従って、センセーショナル
に書けば書くほど記事は売れる。かつて戦国時代、相手国を倒す前にあらぬ
噂を立てることによって相手陣営の動揺を誘った。これは相手国を倒す
ための常套手段であった。
社会の混乱を誘うには根も葉もない情報でかき回すのが手っ取り早い。
かつて関東大震災の時、誰が流したのか風評が巷を駆けめぐり、罪もない
人を多く殺害してきた。私達は過去の過ちを繰り返してはいけない。
また、太平洋戦争中は一方的な情報しか得られず、無謀な戦争へと駆り
立てられ、あたら多くの尊い命を失ってきた。報道に踊らされてきた典型
的な事例である。私達に確かな真実を見極める目が求められている。
また、報道関係者の良識ある対応が求められる。あなた達の背後には
報道は正しいものだと信じて疑わない国民が多数いる。あなた達のように
現場を見ていないから、あなた達が書いた記事を信ずる他はない人が
多数いる。それだけに報道は公正なものでなければいけない。また、その
責任を背負っていることを自覚して欲しい。そうしなければ、あなた達
自身の手で報道に対する信頼を失うような事になってしまうのではない
だろうか。かつて新聞記者は無冠の帝王と呼ばれた時代もあったのです。
さて、国会議員まで逮捕し、今をときめく幹事長まで呼んで事情聴取を
した東京検察庁だが、いったいどのように決着させるのであろうか。もう
いい加減にして貰いたいというのが一国民としての率直な願いである。
これからは国民が一体となって、よりよい国造りを目指すときである。
検察の潔い決着を願うばかりである。
以下全文を書き写す。
「週刊朝日」先週号(検察の狂気)への反響が凄まじい。国会では
与野党党派を問わず多くの国会議員や秘書、党職員に声を掛けられた。
一方で政治記者からは皆無だ。
また、編集部には前例のないほどの激励の手紙やメールが寄せられて
いるという。ツイッターなどのネットも同様の反応で盛り上がりを見せて
いる。
そして同じ「週刊朝日」に今週も書いた。タイトルは「検察の卑劣」。
文字通り、国家権力である検察の卑劣さと、そこに寄生する記者クラブの
不健全さをリポートした。内容は同誌に譲るとして、すでに筆者のツイッター
には先週号以上の反響が寄せられている。
一方で、既存の記者クラブメディアには抗議が殺到しているという。
だが、これまでと同じように記者クラブメディアは自らに不利な情報を
一切報じようとしない。そのために抗議の内容は明らかになっていないが、
各社の幹部に取材した。
「今回は、これまでの抗議とは量も質も違っている。『小沢が悪い、
検察が悪い』ではなくて、検察のリーク報道に対して、『本当なのか、
説明しろ、騙してきたのか』という例のない類のものばかりだ。正直、
手をつけられない」(朝日新聞政治部記者)
「視聴者センターへの抗議の電話本数については把握していないが、
相当寄せられているというのは確かだ。その8割程度は検察とその報道に
対する苦情だそうだ」(NHK報道局幹部)
永田町も、検察リーク報道問題で喧しい。各閣僚が記者クラブの発表
報道にようやく疑問を呈しはじめた。
中井洽国家公安委員長が「特捜部にも説明責任がある。何の事件か
分からないというのが率直な感想だ」といえば、赤松広隆農林水産大臣が
「検察の言うことが100%正しいということは絶対にない。冤罪捜査も
いっぱいある」と語る。
「『関係者』という報道は、何の関係者なのか分からない。検察の
関係者なのか、被疑者(の関係者)なのか」と原口一博総務大臣が疑義を
呈し、平野博文官房長官が「あまりにも一方的に情報が媒体に出てくる
ことで不公平感を感じるところはある。弁護士の話が出てこず、一方的に
『関係者の話によると』とか、少し一方的かなあという気はする」と
述べるという具合だ。
やっと私が数日前に書いたブログと同じような疑問を感じ始めたようだ。
私は週刊朝日の記事を読んでいない。従って、記事に関するコメントは差し
控える。
しかし、ここのところ、あれほど連日のように報道されていた小沢関連
のニュースがほとんど聞かれなくなった。不思議に思っていた。
私は小沢さんに同情の気持があってブログを書いたのではない。国家
存亡の危機にある時に、過去には全く問題にされてこなかったような事件
を根ほり葉ほり掘りだして何をしようとしているのか、検察の意図が
分からなかったので書いてみた。また、民主党本部にも同じ記事を書き
送ってみた。
冷静に事の推移を眺めれば、私でなくても変だと思うのは当たり前だ。
私達は報道に踊らされることなく、報道の中から何が真実かを見極めること
が大切だ。
記者は記事を売って飯を食うのが商売である。従って、センセーショナル
に書けば書くほど記事は売れる。かつて戦国時代、相手国を倒す前にあらぬ
噂を立てることによって相手陣営の動揺を誘った。これは相手国を倒す
ための常套手段であった。
社会の混乱を誘うには根も葉もない情報でかき回すのが手っ取り早い。
かつて関東大震災の時、誰が流したのか風評が巷を駆けめぐり、罪もない
人を多く殺害してきた。私達は過去の過ちを繰り返してはいけない。
また、太平洋戦争中は一方的な情報しか得られず、無謀な戦争へと駆り
立てられ、あたら多くの尊い命を失ってきた。報道に踊らされてきた典型
的な事例である。私達に確かな真実を見極める目が求められている。
また、報道関係者の良識ある対応が求められる。あなた達の背後には
報道は正しいものだと信じて疑わない国民が多数いる。あなた達のように
現場を見ていないから、あなた達が書いた記事を信ずる他はない人が
多数いる。それだけに報道は公正なものでなければいけない。また、その
責任を背負っていることを自覚して欲しい。そうしなければ、あなた達
自身の手で報道に対する信頼を失うような事になってしまうのではない
だろうか。かつて新聞記者は無冠の帝王と呼ばれた時代もあったのです。
さて、国会議員まで逮捕し、今をときめく幹事長まで呼んで事情聴取を
した東京検察庁だが、いったいどのように決着させるのであろうか。もう
いい加減にして貰いたいというのが一国民としての率直な願いである。
これからは国民が一体となって、よりよい国造りを目指すときである。
検察の潔い決着を願うばかりである。