人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

国民投票法案で外堀を埋める

2006-05-29 17:35:22 | Weblog
 第164通常国会の多くの法案の中でも特に重要だと思われる法案は教育
基本法、国民投票法、組織犯罪防止に関わる共謀罪法などではないだろうか。
小泉さんの任期は9月までであり、在任期間中に懸案だった事項を全て片付け
ておこうと言う魂胆がありありと見えるような終末国会の様相だ。自民党
政府は会期を延長してでも、これらの法案を成立させたいと考えているようだ。
(5月30日のニュースによると会期延長はしないと小泉首相発言)
 これだけの重要法案を駆け込みで成立させて良いものだろうか。数にもの
を言わせ、ごり押しでも通そうとしているように見える。こんな勝手なこと
を許したのも、元はと言えば先の選挙で小泉自民党政権に多くの票を投じた
国民自身に責任がある。だから今更、文句の言える筋合いのものではない
ように思うのだが。あの時は郵政民営化問題に関して小泉さんの言う方が
正しいから一票を投じたのだと言う人が居るかも知れない。あの時にも何度
か郵政問題だけでは終わらないよと報じられていた。それを聞いていたのか
聞いていなかったのか。このようにして国の方針は意図せぬ方向に曲げられ
ていき、気が付いたときには子供や孫が戦場に立たされていたと言うことに
ならなければ良いのだが。

 教育基本法や国民投票法は、いわば憲法改正への布石だと見て取れる。
いわば大阪城(日本国憲法)を攻め落とすときのために、今から外堀だけ
でも埋めておこうという魂胆だ。
 また、組織犯罪防止法はみんなが集まって行動を起こそうと相談をした
とすれば、何とでもこじつけて逮捕することが出来るような恐ろしい法案
だ。今はテロ対策のためだときれい事を言っているが、戦前の特高警察と
同じで政治活動をしているものは根こそぎ逮捕することだって出来るよう
な法律だ。法は作ったときの精神とは異なり、時が経てば一人歩きをし始
める。実に恐ろしいことだ。どうか一人でも多くの人が関心をもって、
法案成立阻止に向けた世論を高めたいものだ。

 さて、戦後60年、あの戦後の混乱期に人々は何を考えていたのだろう。
戦争が終わってやれやれと思っていたのだろうか。それとも勝っていると
信じ続けていたのに蓋を開けてみると大嘘だったと言うことでがっかり
していたのだろうか。それともアメリカ人が上陸してきたら竹槍で一突き
してやろうと考えていたのだろうか。
 戦後を過ごしてきた人に聞いても、あれほどの大事件であったはずなのに
答えは実に曖昧模糊としている。
 その曖昧さ加減は未だに尾を引いているような気がしてならない。その
曖昧さ故に、自民党議員は何だかんだと口実を付けては靖国神社に詣でて
いるのではないだろうか。
 戦犯と言われた人達は国際裁判で裁かれはしたものの、日本人自らは何ら
戦争についての総括をしていない。先の戦争は正しい戦争だったのか、何故、
多くの国民を犠牲にしなければならなかったのか。何故、多くの他国民を
殺し傷つることになってしまったのか。周辺国に対しては反省はしていると
口では言いながら、誰が戦争に走らせ、その結果がどうだったのか、日本人
自らの反省として国際社会に向けてのアピールもしていない。

 戦後はただただ連合軍に身を委ね、日本人としての誇りも文化も投げ捨
てて、アメリカ一辺倒で来てしまったのではないだろうか。そして、その
結果として日本的な伝統までも否定してしまい、アメリカの良いところを
学ばずして悪いところばかりを取り入れてしまった。
 そして、今も占領国そのままに国内には米軍基地が散在し、沖縄は基地
の島と化したままである。その上、莫大な赤字財政なのに米軍基地の移転
費用まで押しつけられている。

 日中戦争前後から太平洋戦争に至るまでの反省なくして、教育基本法の
議論も憲法の改正もあり得ない。また、隣国の中国や韓国が求めている事
も、そのことではないだろうか。
 いさぎよく非は非として認め、是は是として堂々と公表する。ここから
全てが始まるのではないだろうか。日本人は自らを否定する余り、民族と
しての誇りもアイデンティティもなくしてしまったように見える。
 それは率直に先の戦争を総括していないからではないだろうか。これでは、
いつまでたっても国際社会から半人前の国としてしか評価されない。大人に
なりきれていない日本、いや日本人がここにいるような気がしてならない。
 教育基本法の見直しも、ましてや憲法改正は、この反省なり総括なくして
あり得ないと思うのだが。
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倉敷俳句大会終わる

2006-05-28 05:18:00 | Weblog
 今年の倉敷俳句大会が終わった。過去の経緯を聞くと倉敷ホトトギスに
入っておられた人達が始めた行事が、今日まで受け継がれて来たとか。
むろん、継続することや今日のような盛会に至るまでには、多くの先人の
苦労や陰ながら支えてこられた人の努力によるものではないだろうか。

 私も今年初めて事務局の一人として参加させて貰った。昨年、一昨年と
会を重ねる毎に盛会になっているようだ。今年は百五十人の参加だった。
ただ残念なのは当日の参加者が百人を割った事である。今は現代俳句、
ホトトギス、伝統俳句と言った、それぞれの垣根を取り払って、あらゆる
ジャンルの俳人が集まっている。これも倉敷俳句大会の良さではないだろ
うか。
 ただ残念なのは若い人の姿をまったく見かけないことだ。若い人にもっと
日本の伝統文化の良さを知って欲しい。若い感性で素晴らしい句を作って
貰いたい。俳句には、味わって欲しい心の文化がある。

 私のような新参者には俳句の境界は、どこなのか良く分からない。また、
秀句は垣根を越えて良いものだと思う。その意味に於いて、この大会は成功
していると思うし、お互いに良い刺激になっている会でもある。来年こそ
はもっと多くの人に呼びかけてぜひ参加して貰いたいと思っている。

 私も下手な句ながら三句作って駆け込み投句した。その内の一句が何人
かの人に選ばれて、いささかの面目を保った。また、共に学んでいる三人
の方が、それぞれに何らかの形で評価の対象であった。特に一人は選者に
よる特別賞と互選による賞のダブル受賞であった。すごいことだ。この人
の句は、この人にしか作れない独特の世界を持っており優しさの溢れる
秀句が多い。おめでとう。

 俳句の奥は深い。たった十七文字の中に広大な景色や作者の思いが広が
っている。それはまた、作者の世界でもあり、その句を読む人の世界でも
ある。両者の思いが重なり合うと、たった十七文字なのに大作の小説にも
匹敵しうる広がりと深さを感じさせる。ただ、その思いが文字にならなく
て、いつも苦しんでいる。いつも思いとは別に、出来た句は実に凡庸な
ものになってしまう事が多い。今はただ精進あるのみ。選者の言葉のように
思いや感じた事を素直に表現することに心がけていこう。
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5月も末だというのに冷たい雨

2006-05-26 14:31:10 | Weblog
 今日もまた昼前から冷たい雨が降り始めた。春先からずっとこんなお天気
が続いている。気象情報によると例年とは異なる気圧配置によるものだとか。
その上、気温の低い日が多い。今日も降り始めてから室温が下がり、素足
ではいられなくなって靴下を履いた。

 こんな雨の中でキウイの花が咲き始めた。まだ蕾のままのものもたく
さんある。本格的な開花はこれからだ。柿の花は目立たない地味な花だ。
ひっそりと咲いて散ってゆく。と言うよりはこぼれてゆくと表現した方が
良いだろうか。山の畑では柑橘類の花が最盛期を迎え、甘い香りをあたり
一面に漂わせている。柑橘類の花は最盛期を過ぎ、花びらの後から小さな
実が顔をのぞかせている。栗の花はこれからのようだ。やっと花穂が伸び
始めたところだ。

 果樹作りは良い年もあれば悪い年もある。どちらかというと悪い年の方が
多いかも知れない。今年はチョッキリゾウムシがたくさん飛来して袋掛前
の桃やネクタリン、リンゴやナシ等がみんな被害を受けた。チョッキリ
ゾウムシは七、八ミリほどの小さな甲虫だ。口に当たる部分が異常に長く、
象の鼻のように見えることからゾウムシと名付けられたようだ。豆や穀物
に穴を開ける虫もコクゾウムシという。穀物に被害を及ぼすゾウムシだから
コクゾウムシと言うのだろうか。

 チョッキリゾウムシは桃やリンゴ、ナシと言った幼果に穴を空けるだけ
でなく、幼果の軸の部分にも穴を空ける。何故、実の部分だけに穴を空け
ず軸にまで穴を空けるのかよく分からない。とにかく細い軸だから穴を空
けられると、そこからぽっきり折れてしまう。その折れた様子が鋏で切り
落としたように見えることからチョッキリゾウムシと名付けられたようだ。
これから大きくなり始める実がことごとくやられてしまい、袋をかける実
がないくらい大きな被害を受けてしまった。これで今年の桃もナシも収穫
はゼロに近いだろう。プルーンは特徴ある細長い小さな実が枝のあちら
こちらからのぞいている。

 ジャガイモはいま紫色の花を咲かせている。おおよそ野菜の花らしくない
きれいで可憐な花だ。かつては色んな花の色があったようで、根菜と言う
よりは花を愛でる植物でもあったようだ。タマネギは既に根元近くから折れ
て倒れてしまった。収穫は間近だ。
 それにしても夏野菜の生長が良くない。気温が低いのと日照不足が原因
だろう。こんな年に限って害虫の被害が多い。やはり野菜達の元気がない
から害虫をはねのける力がないのだと思われる。

 収穫が近くなったスモモや梅、アンズもチョッキリゾウムシの被害が出
ている。昨年はほとんど見られなかった被害だ。何が害虫の発生量をコン
トロールしているのだろうか。気温だろうか、それとも大量発生の周期が
あるのだろうか。

 さて、ここのところ不可解な事件が相次いでいる。小学生の川への転落
死(?)、同じ集落での小学生の絞殺死体、他の町では小学生のマンション
の上階からの転落死。不気味で原因の分からない悲惨な事件が絶えない。
 社会で模範となるべき人達が起こす破廉恥な事件の数々。人々の心の中
に何が起きているのだろうか。心落ち着かない日々はますます不安をかき
立てる。人の心が魂が彷徨っているような気がしてならない。
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ジーンズの街児島へ来てみられえ

2006-05-23 09:15:03 | Weblog
 最近、街でよく見かけるジーンズ姿。その多くが横糸だけのすり切れた
ぼろぼろの服のように見えます。また、色が落ちて如何にも履き古した
ジーンズのようにも見えます。いつの頃からこんなジーンズが流行し始め
たのでしょうか。

 先日、NHKの地域向け番組の「ふるさと発」の中で作家の立松和平
さんがレポーターになって私の住んでいる町、倉敷市児島のジーンズの
ことを紹介していました。

 倉敷市児島は昔から繊維の町として発展してきました。古くは足袋に
始まり、帯や真田紐等を生産し、学生服の町として広く全国に知られる
ようになりました。繊維産業が最盛期だった頃には、日本全国から女工
さん達が集められ、また、路地裏からは盛んに内職のミシンの音が聞こえ
てくるような町でした。

 今は学生服も多様化しファッション性の高いものへと変化してきました。
今は学生服や作業服だけでなく色んな製品が作られているようです。そして
一貫して繊維の町としての地位はいささかも揺らいではいません。
 そんな町だからこそ生まれたのがジーンズではないでしょうか。多くは
インディゴという化学染料で染めたものですが、中には昔ながらの藍染め
によるものもあります。

 ここにパンフレットがあります。最近運行を始めたばかりのジーンズバス
を紹介したものです。表には「日本ジーンズ発祥の地、倉敷児島」と大きく
書かれています。このバスに乗るとジーンズ関係の施設を案内してくれます。
バスのボディには大きくジーパンの絵が描かれています。実はこのパンフ
レットは関西の方に行ったとき、ふと目に付いたので一つ貰って帰りました。
自分の住んでいる町が紹介されていることは、うれしいものです。

 如何にも履き古されたように見えるジーンズがどのようにして作られる
のか。それはNHKの番組の中で詳しく紹介されていました。児島に住んで
いても、まったく知りませんでしたが実に手の込んだ方法で作られている
のです。その種明かしまでは、やめておきます。

 とにかく一度児島に足を運んでみては如何でしょうか。先週の土曜日、
用事があって岡山の町を歩いてみました。ジーンズ製のスカートやパンツ
姿の若い男女をたくさん見かけました。その多くが破れたようなジーンズ
姿でした。今や定着したかに見える新しいファッションです。

 繊維の町児島は今新たなる飛躍の時を迎えたようです。この記事の詳細
は後ほど私のホームページでも紹介するつもりでいます。
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見たよ見たよ江戸の誘惑

2006-05-20 05:37:50 | Weblog
 葛飾北斎は自らを「画狂老人」と呼ぶほど生涯絵に強い執着を持った人
であった。北斎が晩年に描いた絵の中に中国の文人が滝に向かって立つ絵
があった。流れ落ちる滝が絵の全体を占め、人物はその脇に小さく描かれ
ていた。無駄なものを全て取り除いた単純ではあるが実に味わい深い絵で
あった。
 北斎の絵は、その他にもたくさんあった。幟旗に描かれ魔よけに使われ
た鍾馗の絵、形の異なる提灯に描かれた龍と蛇、あるいは龍と虎の睨み合
う絵、枕屏風に使われたと思われる小さな屏風に描かれた鳳凰の絵など、
いずれも美人画の多い中にあって異彩を放っていた。むろん傑作と言われ
る美人画もあった。

 これは神戸市立博物館で開かれている「江戸の誘惑」と称する浮世絵展
の一こまである。この展覧会は日本からアメリカに渡った美術品の中でも
浮世絵だけを展示したものである。全ては持ち帰ったアメリカ人医師が
ボストン博物館に寄贈したものの一部である。これら持ち帰った浮世絵の
中には日本に数点しか残っていないと言う作家の肉筆画も多く貴重なもの
である。
 日本から専門家が招かれ、これら未公開の収蔵品が紐解かれ整理されて
きた。その一部が今回日本に里帰りしている。


 この日も多くの見物客が来ていた。ここの職員の話だと連日このような
状態で、ゆっくり見ていただけないのが気の毒だと話していた。私達夫婦
が訪れたのは去る5月17日の水曜日であった。それにも関わらず列に
なって順番を待たなければ見られないような大盛況であった。今回の浮世
絵展の関心の高さが良く分かる。
 私達が通常目にする浮世絵の多くは版画である。版画では表現に限界が
あって着物の柄などは詳細に表現できない。しかし肉筆画であればこそ
着物の柄も本当の布をそこに貼っているかのように緻密に書き表されて
いる。

 浮世絵はそれまでにあった日本画とは異なる独特のものである。江戸で
生まれて江戸で開花した日本固有の絵画文化である。多くの絵師達が競って
美人画を描き残した。それらは華やかな江戸の文化を今に伝えるものである。
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単なる偶然

2006-05-16 17:07:01 | Weblog
 先日来、家を留守にしていた。昨日、帰宅してみると何となく周辺の
景色が変わっていた。たった数日間のことであった。この季節、かくも
短期間に景色とは変化するものかと驚いている。
 木々はより長く枝を伸ばし葉を茂らせていた。満開だった平戸ツツジは
見る影もなく色褪せてしぼんでいた。その後を埋めるようにサツキの花が
開き始めていた。サクランボの実が紅く色付き、イチゴがほんの少し色付
いていた。
 あるものは花が終わり実の季節を迎え、あるものは形が見えないほど
小さかった実が目立つほどに大きくなっていた。あるものは花が終わり
葉の茂る季節となり、あるものはやっと花開く季節を迎えている。
 自然の移ろいは千変万化、実にめまぐるしく変化を見せてくれる。そして
片時の休みもなく変化は続いている。これが自然というものだ。

 人もまた、その自然の一部であって見れば、一時もとどまることはない。
昨日の仲間は今日は敵対する相手であり、昨日の敵は今日の友となって
いる。人の離合集散もまた時の移ろいとともに変化し続けている。
 喜びは悲しみに、悲しみは喜びに、人は喜んだり悲しんだり、怒ったり
泣いたりと、これもまた自然の移ろいであろうか。時至れば悩みも解決
され、全ては霧が晴れるように消えてしまう。

 さて、今日は偶然とは思えないような事が二度ほどあったので書いて
いる。一つは私の書いたホームページの記事を読んだ人からのメール
であった。それは「真珠湾攻撃と同時多発テロ」というタイトルの記事
についてであった。これらは未だ謎の多い事件だけに、今も色んな憶測
が数限りあるようだ。私の書いた記事はリンク先を記しておくので読んで
貰いたい。メールをくれた人もやはり私と同意見で疑問の多い事件として
書いておられた。この方のリンク先も記しておく。
 ここで書こうと思っているのは、これらの記事の事ではない。このメール
を貰い返事を書いた後、再びメールボックスを開けると田中宇氏からの
メールが来ていた。そのメールの中身がアメリカの「同時多発テロ911」
関連の記事であったのだ。私としては見知らぬ方からのメールで、もう少し
関連記事を読んでみたいと思っていた矢先の事であっただけに驚いた。
と同時に偶然とは思えないものを感じた。
 また、もう一件は日常にありがちな実に些細なことであったが、その人
の名前を出して話をしていたとき、その人が突然現れたのだ。これもまた
偶然とは言えないような不思議体験であった。近頃は、この類の出来事が
実に多いのでいささか気味悪く思っている。単なる偶然なのか、それとも
何らかの理由あっての事なのか、不思議な事が続いているので書いてみた。

「真珠湾攻撃と同時多発テロ」
http://www2.kct.ne.jp/~monohito/sinjyuwankougeki.html

「911同時多発テロの大きな疑問」
http://club.pep.ne.jp/~nonoyama/9_11Tero.htm
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何故キレる子供

2006-05-12 05:29:33 | Weblog
 いわゆる「キレる子供」についてNHKのクローズアップ現代で取り上
げていた。最近の事件を見ていると、これは決して子供達だけの現象では
ないように見える。今や社会的に大きな問題となっている衝動的な行動に
走る大人や子供について、犯罪防止上からどのようにすればよいのかは
大きな社会問題だ。また、単に教育現場に任せておけば良い問題でもない。
親も子供も社会も一体となって取り組むべき問題ではないだろうか。

 ともすれば過去の教育や子育てを馬鹿にする風潮があるが、古きに学ぶ
ことは多い。その一つがこの「キレる子供」の問題ではないだろうか。
私達が幼年期を過ごした頃には子供同士の喧嘩はあっても今日のように
いわゆる「キレる子供」はいなかったように思う。また、意地悪やいじめ
もあったけれどお互いに仲直りも早く陰湿なものではなかった。また、
喧嘩にせよ、いじめにせよ相手を死に至らしめるようなこともなかった。

 何故、こんな変化が生じてきたのだろう。その問題を脳科学の面から
解析し対策を立てて行こうという試みがなされている。ある幼稚園の話だが、
この幼稚園では子供達が登園してきたら一番に思い切り暴れさせること
から始めるという。ずいぶん乱暴な事のように思えるが、この後の授業は
非常にスムーズに行くと言うから不思議だ。
 人間にはコミュニケーションが必要だと言われている。集団で生活を
していくとなると当然の事である。このコミュニケーション能力なるものは
一朝一夕には身に付かない。様々な体験を通して次第に理解できるもので
ある。「あの時あんな事を言ったりしたからあの人は怒ったのだな」では
「今度は注意しよう」このようにして様々な壁にぶつかりながら人間は
成長していく。その過程に於いて人と人の接触は欠かせない。

 猿の子育てを見ていると学ぶべきものが見えてくるような気がする。
集団の小猿達がもつれ合うようにしてじゃれている。この様子は私達の
子供時代や先の幼稚園と同じである。人もまた一人前の人間としての発達
過程に共通の体験が必要なのではないだろうか。下にNHKの簡単な解説
を紹介しておくので参考にして欲しい。



 年々増えているともいわれる「キレる子ども」。文部科学省が専門家を
集めて「キレる子ども対策」に取り組む委員会では、教育学や心理学など
従来のアプローチだけでなく、最新の脳科学の知見を取り入れた対策に
乗り出した。
 注目するのは、脳のふたつの器官。感情を生み出す「アクセル」となる
扁桃体と、感情を制御する「ブレーキ」の役割を担う前頭前野。様々な
実験を通じて明らかになった
 「効果的な訓練法」を学校などの現場で生かしていこうと取り組みが
始まっている。どうすれば「キレない脳」を育てられるか。最新の研究
成果と現場の取り組みを伝える。
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たまには畑の様子も

2006-05-10 10:05:36 | Weblog
 ここのところ晴天の日は本格的な夏を思わせるような陽気が続いている。
その上、蒸し暑い。しかし、こんな蒸し暑さこそが植物達にとっては好ま
しい気温や湿度のようだ。
 先日の雨をたっぷりと吸った植物達は目に見えて大きくなっている。
こうして植物の日々変化を見ていると、平凡な景色の中にも生き物として
の躍動感のようなものを感じる。

 チューリップ等の春の花が終わり、春の終わりのボタンやツツジが終わり、
今はツツジの代わりにサツキが咲き始め、ボタンの代わりには清楚な佇まい
のアヤメが咲き始めている。しかし、これらの花も気温の上昇とともに急に
色褪せて散ってしまう。

 果樹畑では桃やネクタリンやナシの花が終わり、リンゴの花も終わった。
スモモが終わりこれらの仲間としては一番遅咲きだったプルーンも終わって
しまった。今はそれぞれが小さな実を付けている。このまま害虫等の被害を
受けなければ幾らかの収穫は得られそうだ。
 昨日、やっとビワの袋掛が終わった。ビワの木にはオレンジや白の袋が
たくさんかぶせられ、遠目には花が咲いているようだ。ビワは来月の中旬
当たりから収穫が出来るようになるのではないだろうか。毎年、カラス達
が塾期を待って横取りをしてしまう。梅の実もアンズの実も同じような
スピードで大きくなっている。今年は知り合いに多少配ることが出来る位
は収穫できるだろうか。ヤマモモの花が終わり、虫眼鏡でなければ見え
ないほどの小さな実を付け始めている。

 一昨年、台風で大きな被害を受けたキウイは今年やっと復活したようだ。
今は蕾をたくさん付けている。何よりもうれしいのは半分に裂けてしまった
レモンの木の半分が生き残り小さな蕾を付けている事だ。また、昨年は一個
の実も付けなかったユズが蕾を付けている。

 これからは柑橘類が一斉に開花する。今年は遅いように思われた開化も
ここのところの気温の上昇で例年通りの開花になりそうだ。色んな果樹を
作っていると一年中休む暇がない。いつも手入れや袋掛に追われている。
こんなに手間をかけても満足なものが収穫できることは少ない。いつもの
口癖ながら「野菜も果物も口に入るまで何があるか分からない」

 野菜の方は苗を植えたもの、種を蒔いたものがある。苗を植えたキュウリ
やトマトは昨日ビニルのおおいをはずし肥料をやった。また、大根やニン
ジンも小さな芽を出している。この季節に作るのは初めての経験だ。旨く
出来るだろうか。

 イチゴの実がやっと大きくなり始めた。しかし、収穫はもうしばらく先
のようだ。今年こそは本格的な収穫が出来ればと思っている。農作物は
自然に大きく左右される。良い年ばかりではない。そんな事も野菜や果樹
作りの楽しさなのかも知れない。
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格差社会

2006-05-08 10:29:33 | Weblog
 今年の長い連休も終わった。月曜日はゴミの収集日だった。そのゴミ
だが、大家族とはこんなものなのだろうかと思うほどの大量であった。
子供達が家を離れ久しく感じなかった量であった。私達夫婦だけの日常
では、この日の四分の一くらいの量である。
 長女夫婦と孫の帰省、それに合わせて長男の帰省、それに長女や長男の
友人達、家内の従兄弟夫婦と、それはそれは賑やかな事であった。今は嵐
が去った後のような静けさだ。家内も通常通りの勤務に戻り、私はやっと
落ち着いてパソコンの前に座っている。

 今、格差社会が問題になっている。戦後はみんなが一様に貧しかったが
高度経済成長の中で、得も増え、平均的と言われる家庭が社会の大勢を
占めてきた。しかし、バブル社会からバブル崩壊へと社会は大きく様変わり
してしまった。その間には小泉政権が誕生し、このまま行けばいずれ国家
財政が破綻するとして、良くも悪くもそれまでの自民党政府がやりたくても
出来なかった様々な行政改革を行ってきた。

郵政民営化はその集大成とも言うべき象徴的なものであったが、私達の
気付かないところでは、もっと多くの様々な民営化と称する改革が行われ
てきた。その結果、今まで経験しなかったような出来事が次々と起きて
いる。その一つがライブドアの一連の出来事であり事件であった。そして
今もなお真相が良く分からない耐震偽装など一連の事件が起きた。
 お役所がやっていた検査業務を民間委託した結果生じた事件であった。
民間委託後の監視業務はどうだったのか。地方では耐震偽装を見破ること
も出来ないほど窓口が縮小されてしまったと聞いている。恐らく事件には
ならないまでも多くの問題が隠されているようだ。

 ここのところ毎日のように報道されている悲惨な事件。いったいこの国
はどうなっていくのだろうか。そんな不安がよぎるような昨今である。
どこでどんな事件に巻き込まれるか分からないのが実状である。誰の責任
とは言い難いが、少なくとも小泉政権誕生前後から急速に増えつつある
のが実状だ。長い不況と雇用不安、就職浪人と言われるニートやフリーター
の激増や生活保護世帯が増え、刹那的な生き方しか出来ないようなことが
犯罪の増加や自殺の増加に反映しているのではないだろうか。
 その上に少子高齢化社会、不安定な先の見えない社会保障、どれ一つを
とってみても心安らかに暮らしていけるようなものは何もない。これが
政治の責任ではないと言えるのだろうか。アメリカ型の弱肉強食の社会が
安定した社会だと言えるのだろうか。竹中さんは競争こそ社会を成長させ
る原動力などと言うが、それを実感出来るのはほんの一握りの人でしか
ない。多くの人は頂点に立つものの下で喘いでいるのが実状ではないだろ
うか。
 この異常とも言える格差社会こそが、多くの犯罪を生む温床になって
いるような気がしてならないのである。政治こそ安定した社会を作る義務
を持っている。憲法改正などを論ずる前に、なすべき事があるのではない
だろうか。
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憲法記念日

2006-05-04 14:00:14 | Weblog
 5月3日は憲法記念日だった。毎年の事ながら各地で賛否両論に分かれて
の集会が開かれたようだ。終戦から数えて61年、世は平和ボケと言った
ところであろうか。
 最近の世論調査では改憲の賛成派が増えているという。特に若い世代に
改憲支持派が多いというのも気になるところである。「喉元過ぎれば熱さ
を忘れる」とは、このことか。

 昨今、北朝鮮の拉致問題や韓国との竹島を巡る領土問題や中国のガス田
開発問題、さては小泉首相の靖国神社参拝と近隣諸国との関係は決して
良好とは言えない。そんな事も改憲支持派の後押しをしているのかも知れ
ない。
 若い世代に改憲派が増えたというのも力には力で対抗せよという単純な
発想なのだろうか。そんな若者達の後押しをしているのは、アメリカの
ブッシュ政権の強引とも思えるような武力行使が背景にあるような気が
してならない。

 私は時々、日本が太平洋戦争で勝っていたら、この国はどうなっていた
だろうかと考えることがある。依然として天皇を頂点とする軍事国家が
存続していただろうか。世界を敵に回し軍事費はますます増加し、若者は
戦地に駆り出されていたかも知れない。少なくとも今日のように自由度の
ある生活などは望めなかったはずである。常に何かに怯えながら、戦前と
変わらないような言論統制の中で暗い惨めな生活を強いられていたに違い
ない。そんな事を考えると、大きな代償を支払ったけれど戦争に負けて
良かったのではないかと思う。

 戦前は国家予算の多くを軍事費に充てていた。そのために道路などの
整備が大きく遅れていた。今日のような道路網が整備できたのは平和国家
であったからだ。この歴然たる事実だけは誰も否定できない。
 私達は平和憲法によって今日を築いてきた。若者達は終戦直後の惨めな
生活を知らない。世界各国に今もたくさんいる難民の生活を知らない。
私達はまさに難民と同じような生活を強いられてきた。アメリカ兵達の後
を追って彼らが投げてよこすチョコレートやチューインガムを両手を広げて
受け止めていた子供達はまさに難民そのものであった。

 戦争は破壊のみで何かを作ることはない。国の破綻と心の荒廃、そこには
夢や希望はない。私達を愛しみ温かく包んで守ってくれた日本国憲法を自ら
の手で汚してはならないと思うのである。
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