人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

トランプ政治がもたらすもの

2017-01-27 06:15:07 | Weblog
 ドナルド・トランプが大統領に就任して以来、矢継ぎ早に大統領令なるものに署名し、
過去の政権や先のオバマ政権が行ってきたことを根底から覆そうとしている。

 アメリカの大統領とは、かくも権力を有するものであり、簡単に自筆で署名するだけで
政策が次々と変わっていくことに驚かざるを得ない。アメリカ政治のマジックのような
一面を見ている。

 トランプがマジックをしている。そんな冗談では済まされない大きな変化が起き始めている。
歴史は、誰がトランプのような人物を今の時代に用意したのか。

 トランプ大統領は破天荒であるだけに様々な見方があるようだ。既成のシステムを根底から
改めるにはトランプのようなやり方が必要だという見方もある。また、トランプは誰もがなし
得なかったような既成の権力機構を壊すために革命的なことをやろうとしているのではないか
という前向きな見方をしている評論家もいる。
  
 一方で、民族の分断だとか、アメリカの良さは多民族国家であり、これが国の発展を促して
きた。トランプはそれを壊そうとしていると恐怖を抱いている人も大勢いる。

 私はトランプなる人物が、大統領に立候補する前からテレビなどにも出ていたことを後で
知った。その頃のトランプの発言や人となりを見ていないのでどんな人物なのか判断が付き
かねている。

 しかし、どんなに表面を繕っても人間性まで隠し通すことは出来ない。衣の下に鎧を着て
いれば必ずどこかで見えてくる。今しばらくしないと本性なるものも見えてこないだろう。
今は神経質にならず、じっと静観している方が良さそうだ。

 TPPは公約通り、いの一番に離脱宣言をした。膨大な時間をかけての国会審議は何だった
のだろう。日本の論議などアメリカの意向によって簡単に一蹴されてしまった。
情けないと言えば情けないが、これが政治というものであろう。

 さて、トランプ政権の今後は鬼と出るのか蛇とでるのか。怖くもあり興味もある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人こそは国の宝

2017-01-26 05:04:51 | Weblog
 その国が良い国か悪い国かを決めるのは、決してその国が豊かだからとか大きな国だからと
言うだけではない。

 江戸末期、諸外国がこぞってアジアに進出して来た頃、日本は総じて貧しい国であった。
幕府も各藩も財政的には困窮していた。資源の少ない国であった日本は、長らくの間、
鎖国という政策によって諸外国との取引がなかった。従って、富を増やそうと思っても
その手段がなかった。

 こんな貧しい国だったので、アジアの各国をことごとく植民地化してきた欧米各国にとって
日本を乗っ取るぐらいのことは簡単なことであった。隣国中国では巨大な領土と資源を有する
国であったにも関わらず、イギリスが持ち込んだ阿片などをもって簡単に懐柔することが出来た。

 なぜ中国人が簡単に阿片などにおぼれたのか、その当たりのことは定かではないが、イギリス
がと言うより中国側に原因となるべき何かがあったのではないだろうか。

 白人の女性旅行者が書き残した旅行記によると当時の日本人は武士から町人に至るまで至極
まじめで礼儀正しく外国人に対しても寛容であったと書き残している。外人の女性の一人旅で
あっても何ら不安はなかったと書き残している。

 また、貧しくはあっても清潔であったと書いている。当時は相次ぐ天災などで不作続きで
生活は困窮していたものと思われる。にもかかわらず日本人は屈託なく笑顔が耐えなかったと
書いている。これが国民性と言うものであろうか。

 特に当時の江戸は、100万人を越えるほどの人口を擁していたにも関わらず、非常に清潔で
整然とした街であったようだ。長屋と呼ばれた庶民の暮らしの場所には共同の井戸が設置され、
共同便所は近隣の農家がくみ取りを行い、自分の田畑で肥料として使っていた。全ての日用品は
使い捨てではなく、再利用可能なものは使用済みの鼻紙に至るまで再使用された。いわゆる廃棄物や
ゴミなどと言うものはい一切出なかったのである。

 こうした清潔感や潔癖性は現在に至るまで引き継がれたもので、いわば国民性のようになっている。
中国では外国へ出て行く旅行者に対し、マナー教育が必要だと聞けば、国民性というものはどうしようも
なく出てくるものであることが良く分かる。

 そして、そうした国民性は金銭などでは置き換えることの出来ない崇高なものである。これが国と
言うものであり歴史や伝統に根ざした文化力というものではないだろうか。日も浅い歴史も伝統もない
国には望むべくもないものである。

 私たちは気づいていないけれど外国からの旅行者の多くが底知れない日本文化の奥深さを感じて
いるところであり、それが単にお城や神社仏閣の魅力だけでなく、日本人自身が醸し出す魅力に
なっているのではないだろうか。そして、それを作り出しているのは、他ならぬ私たち一人一人で
あることを誇りにしたい。

 私はナショナリズムをあおり立てているわけではない。むしろ今日の日本人が自信を失いかけて
いることを心配している。そして、常に日本人の心の中にあった自然を敬う心、神仏を敬う心を
忘れかけていることを心配している。

 貧しくても心優しかった日本人は自然を敬い、神仏に敬虔であった。そして心寄せ合って
生きてきた。縄文時代には数万年もの長きにわたって、そのような生活を続けてきたことが
発掘を通じて明らかになっている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神が降りてくる

2017-01-22 05:54:37 | Weblog
 他の人の同じような経験を読んだとしても、どうせオカルトの類いくらいに考えていた。
ところが自分自身が、その様な体験をし始めると「ええっ、嘘だろ」と思う位、色んなことが
現実のものとして現れ、その体験が最初は不可思議なもの、単なる偶然と思われていたものが、
どうやら嘘でも非現実的なものでもなく、この世の中には当たり前のようにあることなのでは
ないかと思えるようになってきた。

 そして、因果は巡ると言うけれど、今生じている現実も人の出会いも過去に約束されていた
ことなのではないかと思わされることがしばしばである。その体験や現れようは人によって
様々なのであろうが、大なり小なり誰でも経験することなのではないだろうか。

 ただ、意識していないと見過ごしてしまうようなことであり、偶然で済ませば偶然のことの
ように思えるような実にさりげない出来事の連続である。

 こうしてみると幸せも不幸も誰かが仕向けているものではなく、自分自身が作り出している
もののようだ。しかし、人間というものは弱いもので、悪くなれば悪くなるほど他人のせいに
したくなるし、自分にとって都合の悪いことからは目を反らしたくなる。

 それをあえて否定すると益々悪循環となり、深みにはまっていくようなことが少なくない。
出来れば何事もなかったようにさりげなくやり過ごせれば、いかほどにか楽なことであろうか。

 結局は自分が作り出した悪の幻想に惑わされ続けているのが私たちのようだ。良いことも悪い
ことも全ては自分が作り出した幻想だと言うことが、はっきりすれば人間どれほど幸せなことで
あろうか。

 しかし、全てが明らかになってしまうと面白味も何もないことになってしまうので、何となく、
もやもやとしている方が良いのかも知れないが。

 ユングという心理学者はこうした体験は誰にでもあり、人類共通のものだと言っている。そして
植物も動物も万物が共通に持つものだと言っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真実は何か

2017-01-14 05:09:58 | Weblog
 政治は嫌いだとか、ダサイだとか、とかく政治嫌いだったり、政治を敬遠する人が少なく
ありません。しかし、世界では逆に政治のありようや政治に対しての関心が高まっています。

 隣国韓国では、大統領が国民の批判を浴び、退陣せざるを得ないような状況にありますし、
アメリカでは大統領に最も向かないと思われた人が選ばれ、世界中が大きな影響を受けつつ
あります。

 また、ヨーロッパにはシリアをはじめとし、中東諸国やアフリカから多くの難民や難民を
装った人の流入が続いています。イギリスは国民投票によってEUの離脱を決め、EUに
加盟している他の国々でも離脱の動きが強まっています。

 私たちは政治とは無縁だと距離を置きながらも政治によって大きな影響を受けてきました。
今も沖縄ではアメリカ軍の基地問題で揺れ続けています。

 太平洋戦争は、明治維新以降の富国強兵策の中で大陸へ進出し、孤立化を深め、とうとう
アメリカとの太平洋戦争に突入し、とてつもなく多くの犠牲者を生んできました。今も原子
爆弾の被害者として多くの人が心と体の後遺症に苦しんでいます。

 今、韓国とは慰安婦像の撤去を巡って、大使が一時帰国をするという緊張状態にあります。
日本は隣国中国や韓国から加害者国だと言うことで今も非難を浴び続けています。

 慰安婦問題について、ことの真意は明らかではありません。しかし、中国や韓国の時の政府は
自らの失政から目を反らすために日本を敵視し、その為の宣伝や教育を続けて来ました。

 日本は両国との関係改善のためODA等を通じて多くの資金援助をしてきましたし、資金だけ
でなく、友好関係を築くための努力もしてきました。

 しかしながら、いまだに政治の道具として慰安婦問題や南京虐殺問題などが持ち出されています。
かくも禍根を残す戦争は、どんな理由があろうともしてはいけません。

 かつて中国では司馬遷という偉大な歴史家が時の権力者の懐柔や脅しに負けることなく冷静な
目で歴史的事実だけを書き残してきました。その努力のお陰で何者にも偏ることのない歴史的
事実のみが書き残されています。

 中国も韓国も、もとより加害者であった日本も加わって事実はどうであったのか書き残す
必要に迫られています。これは単に事実を書き残すと言うことだけでなく、人類が同じような
過ちを二度と繰り返さないためにも重要なことです。韓国も中国も時の政権とは一線を画して
共同研究を進める必要に迫られています。

 そして、従軍慰安婦の問題がどうであったのか正しい認識を持ちたいものです。先のベトナム
戦争時には、韓国から派遣された兵士がベトナム女性を蹂躙しています。戦争とはいつの時代も
狂気なのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人生いろは坂

2017-01-01 10:48:21 | Weblog
 私が、このブログを書き始めたのは2005年12月のことであった。誰かに読んで
貰いたいと言うより、自分の記録として日記代わりに書き始めることにしたものだ。

 そして、タイトルを「人生いろは坂」にし「人生は山あり谷あり、そんなしんどい
人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる」とタイトルの
下に書いた。

 私は、それまで自分のホームページを開き、そこへ色んな事を書いてきた。自分が
考えていること、体験してきたこと、いま世の中で起きていること、旅行記等々、
その分野は多岐にわたった。

 しかし、リアルタイムに何かを書くには、あまり形式にこだわらずに簡単に記録する
ことが出来るブログを使うことにした。

 そのタイトルが、冒頭にも記した「人生いろは坂」である。実際のいろは坂は栃木県
にある。山肌をくねくねとつづら折りに登っていく長い坂道である。

 私は高校の修学旅行の時、初めてこの坂道を体験した。これが有名な「いろは坂」
なのかと。つづら折れの道は、方向が変わる度に景色が転回して見えた。それが面白かった。
それまでの私の周辺の小さな日常の中で、こんなにダイナミックな景色を体験したことが
なかったからだ。

 そして、この体験を人生に重ね合わせてみた。そう人生は「いろは坂」に似ている。
今は退屈な景色に見えていても、必ず次の転回が待ち受けている。そして、今までとは
全く違う雄大な景色が目の前に現れてくる。

 私は、この転回を俳句にもしたことがある。トライアスロンをテーマにした俳句だった。
どんなにしんどい坂道も我慢して上り詰めれば次は一気に下り坂となる。そして気持ちも
体も楽になる。

 人生は山あり谷あり。それも私達が現世という今の世界を選んで生まれてきたからに
他ならない。このワンダーランドのような現世を楽しまずして、何のために生まれてきたのか。

 そう現世の体験は、自らが選んで作り上げているものだと言うことを考えてみたい。
良くすることも悪くすることも自分自身であることを考えてみたい。

 昨年の暮れには私の住んでいる街で子が親を殺すという不幸な出来事があった。そして
糸魚川では年の瀬も押し迫って災難としか言いようのない大きな火災が発生した。これらの
事件の意味することは何なのだろう。何か意味があるはずだ。何かメッセージが発せられて
いるはずだ。そう考えて当事者の皆さんはもとより、私達もこれからを生きて行くための
糧としたい。

 幸も不幸も全ては自分自身が作り上げたものだ。人は決して他人の人生を生きることは
出来ない。生まれて来るときも一人なら、死んでいくときも一人だ。そして裸で生を受け、
裸で死んでいく。それが自然の有り様であり、人それぞれの人生なのだ。

 我が身の不幸を他人のせいにしてはいけない。他人の人生を妬んではいけない。自分は自分、
他人は他人。それがこの世で過ごす人生なのだと。

 今年一年、皆様にとって幸せな年でありますように。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする