人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

隣国から見た日本・その3

2010-05-26 04:45:45 | Weblog
 沖縄の普天間基地移設問題は二転三転した後に、辺野古周辺に落ち着く
ようになったようだ。今のところ、この方法以外に解決の手段はなかった
のではなかろうか。基地機能を沖縄県以外にと願っていた人達にとっては
がっかりさせるような結論になってしまった。誠に残念な事である。

 一度約束してしまったことを撤回することが如何に難しいかと言うことを
まざまざと感じさせる一連の出来事ではあった。ましてや相手はしたたかな
アメリカ政府である。オバマ大統領に期待するのは人が良すぎると言うもの
であろう。

 マスコミも世論もこぞって鳩山さんを責めているが、本当に鳩山さん
一人の責任にして良いのだろうか。今までの自民党政権下で基地問題に
対し真正面から向き合って、精力的に働いてくれた人がいただろうか。
民主党政権になって初めて実現したことである。

 私達は新政権に多くを期待するあまり新政権を自らの手でつぶすような
ことをしてはいないだろうか。新政権になって全てが順調に推移している
とは言い難い。しかし、長く手を付けることが出来なかったことが次々に
実現し、多くとは言えないまでも、新しいことが現実のものとなっている。
素晴らしいことではないだろうか。

 さて、韓国観光旅行三日目、朝食後、世界遺産である水原城に向かった。
お城だけでなく町全体を城壁で囲ったところである。その城壁がとても長く
韓国の万里の長城と呼ばれている。

 しかし、現実は万里の長城と較べるべくもない。私達が見学したのは
その一部分であった。一周すれば5.7㎞とかなりな距離らしいが、一般の
観光客が散策できるのは、わずかな場所に限られている。

 水原城を後にして向かったのは李王朝の王墓である隆陵、健陵であった。
親子二代の陵墓である。韓国特有の饅頭型の円墳である。閑静な松林を
抜けると一気に開ける空間がある。そこに見上げるような小高い丘があって
これがお墓である。

 なかなか静かで落ち着いた雰囲気の場所である。この静寂を一瞬に破る
ような大音響がして上空をジェット戦闘機が飛んでいく。機影が確認できる
ほどの低空飛行である。誠に無粋な飛行と言わざるを得ない。

 私達が訪れた時、南北間の緊張は全く感じられなかった。この国での
戦時体制は日常茶飯事のことで、沈没した哨戒鑑のことなども、その範疇
でのことなのかも知れない。ガイドさんの話題にもならなかった。

 聞けば主要都市全てに米軍基地があり、それも沖縄県と同じように
一等地とも言うべき土地を占有しているとのことであった。この国に
米軍の駐留がなかったら、南北間の和解はもっと早く進んでいたかも
知れない。そう思うのである。

 余談になるがアメリカという国は軍需産業に大きく依存した国である。
国民の何割かが何らかの形で軍需産業に関わりながら生活をしている。
従って、この国から軍をなくし、あるいは縮小することは産業基盤を失う
ことになるのかも知れない。

 そして、日本は基地を提供しているだけでなく、アメリカの国債を買う
ことによって米軍を間接的に支援してきた。この韓国はどうなのであろうか。
いずれにせよ、この国も間違いなく米軍の基地問題を抱え続けている国
である。

 そう言えば水原城に向かうときに通り抜けた長い直線道路はセンター
ポールを取り除けば滑走路になるのだとの説明があった。非常時のためで
あろう。

 午後は南大門市場、北村韓屋村と言った買い物エリアへと向かった。
東京のアメ横や大阪の黒門市場を思わせるような賑やかな場所である。
国内、国外を問わず私が好むような場所である。この雑然さと騒々しさが
良い。人が生きていることを実感させる場所である。

 経済的な危機を完全に乗り切ったとは言えない韓国経済ではあるが
この場所にそれを感じることは出来なかった。驚いたのは日本の若者が
たくさん働いていることである。何故ここで働くようになったのか経緯は
分からないが、日本国内では飽きたらずこの国に渡ってきたのだろうか。

 彼らが違和感なくこの国で働くことが出来るのも、この国が日本人を
受け入れることが出来るほど大きく変わってきたこと、それなりに成熟
社会になってきたことの証ではないかと思うのである。

 最終日はオプショナルツアーであった。李王朝の最後の宮殿となった
ところを見学した。李王朝の最後となった人は、対馬藩から嫁いできた
という日本女性であった。晩年を過ごしたという質素な建物が王宮の脇に
あった。日本と朝鮮の関係は、ごく最近まで続いていたのだ。

 王宮はチャングムでもお馴染みの建物である。公式行事に使ったという
建物の前には百官が集い国王に拝謁した広い広場があった。居並ぶ百官を
前に、王は何を語ったのであろうか。今はただの石畳が残るだけである。

 つい最近まで近くて遠かった国、韓国は急速に変わろうとしている。
国境という境目などない線によって画された国が韓国の隣にある。未だ
未知の国である。閉鎖された国の中にも分断された民衆が残されている。

 主義や主張という壁に阻まれて行き来は許されていない。同胞と言う
だけでなく家族でさえ南北に引き裂かれて住んでいる。そして、日本から
理由なく拉致され、望郷の念にかられながら過ごしている人がいると思えば
観光で喜んでばかりはいられないような気がするのである。
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隣国から見た日本・その2

2010-05-25 04:05:23 | Weblog
 韓国は、ある時期まで近くて遠い国だった。その理由は戦前の日本との
関係にある。日韓併合などと言う日本の植民地的な扱いを受けたことによる
朝鮮民族の反発によるものだ。

 韓国は太平洋戦争後も長く軍事政権下にあった。李承晩ラインなるものが
日本と韓国の間の洋上に線引きされ、そのラインを越えると強制連行された。
日本の漁業関係者が何度も強制連行されては、その都度、両国間の関係が
ぎくしゃくしていたことがあった。

 今も両国間の問題が全て解消した訳ではない。竹島の問題など領土問題が
くすぶり続けている。しかし、軍事政権が民政に変わり、漫画やアニメと言った
日本文化が受け入れられ、韓国からは多くの映画が入ってくるようになった。

 今回は同じツアーに韓国の映画が大好きだというおばちゃん達もいて
賑やかなことであった。免税店の屋上にあったイケメン俳優の立て看板の
横で一緒に写真を写したのだと言って大喜びであった。

 この国は単に文化だけでなく風物も非常に良く似ている。今でこそ日本
の松は、多くがマツクイムシにやられてしまったが、一昔前の近隣の山々を
彷彿とさせるほど松の木が多く、その他はドングリなどと思われる雑木で
あった。杉や檜と言った植林は、ほとんど見かけなかった。松は道路脇や
市中の並木にも使われるほど韓国のシンボルツリーである。

 朝鮮半島は一時期まで漢字文化圏であった。李王朝の頃、ハングルなる
文字が発明され、以来、漢字文化とは離れてしまったが、発音はまさしく
今も漢字文化の影響下にあり、共通する部分も少なくない。聞きように
よってはそうも聞こえると言った程度の違いである。

 しかし、宗教は大きく異なるようだ。この国にはキリスト教会が多い。
いつの頃から、この国にはキリスト教が入ってきたのであろうか。かつては
中国の影響下で色濃く儒教が浸透していたはずだ。

 今でも家庭や地域では、儒教が精神面を強く支配しているようだ。しかし
若者世代は異なるようだ。マザコンが多いとか、晩婚化が進んでいるとか、
子供は必要ないという世代が多くなったとか、モンスターペアレンツが多く
なったとか、親とは同居したくないと言う若夫婦が多いとか、日本と同じ
ような状況が、この国にもあるようだ。経済的に豊になればなるほど国の
状況は似てくるものなのだろうか。

 この国は遡れば仏教国であった。今回の旅の中でも石窟庵、仏国寺など
多くの仏教遺跡を見学した。特に長く山中に埋もれて顧みられることの
なかった石窟庵の釈迦如来像など、実に見事なほどの遺物が残されている。
これだけのものが一時期とは言え、何故、人々の目から遠ざかっていた
のだろうか。

 そして仏国寺は往時の仏教文化の粋を極めたような壮大な建物群であった。
この寺は秀吉軍に攻められた際に、ことごとく焼失してしまった。その時の
火の勢いを今に止めるほど石垣には劫火の跡が色濃く残っている。今は
こつこつと再建事業が進められ最盛期を偲ぶほどの建築物が建ち並んでいる。

 そして、この日の最後に訪れた寺院は海印寺という名刹であった。八万本
とも言われている木版製の仏教の教典が今も大切に保管されている。未だに
一枚の虫食いもないと言うほどに保存状態は良い。

 と言うのも建物の構造と工法によるものらしい。蜘蛛さえも糸を張らない
と言うほどの建物の中には整然と木版の教典が収められている。教典の
数もさることながら、ここもまた壮大な建物群である。

 実は、この国の旅行スタイルらしく、一度もホテルや宿舎で食事をした
ことがない。全ては外食であった。そして、どの食事にも出てきたのが
キムチであった。その店ごとの味わいがあって、出されたもの全てを食べ
尽くした。

 私にはキムチ独特の匂いや味、そして唐辛子の辛さに抵抗はない。まさに
この国はキムチなくしては考えられないほどのキムチ文化の国であった。

 その他の食べ物で美味しかったのは昼食に出たサムゲタンという鳥料理
であった。朝鮮人参など素材だけの味に塩を好みに応じて付けて食べる。
非常にあっさりとした薬膳料理であった。

 土産物に見るべきものはほとんどない。と言うより私自身が興味を持って
いなかったからかも知れない。同行した人の多くが免税品だとか何とか
言って下車するたびに買い物に夢中になっていたが、私が買ったのは男女の
顔を形取った木製のお面(ハフェタル)と中国の画家が描いたという扇面
だけであった。

 この国は発展途上国だと言うが、経済的には成熟した国のように見える。
ただ、やたら道路網が拡大基調にあり、それに呼応するかの如く広大な
土地が開発途上にある。

 また、都市近郊に人口が集中し、首都ソウルには実に全人口4000万人
の4分の1が集中しているという過密ぶりである。世界的な経済の冷え込み
で失業率は高い。失業者が多いのも日本と同じである。

 とは言うものの都市近郊では高層建築が今も建設途上であり、果たして
かくまでも住宅は不足しているのだろうかと驚きを隠せない。すごい数の
高層建築物が、どこを走っても建ち並んでいる。

 また、車がやたら多い。日本の高速道路が貧弱に思えるほど車線が多く
その道を高密度に走り回っている。北から南まで驚くほどの台数の自動車
が走り回っている。運行効率が良くないのではないかと言う印象を免れない。
車の大半は韓国製の国産車である。

 この国に来て省エネだとか自然保護などと言うのは、よそ事のように
思えることである。建築ブームだとは言え、集合住宅であるから太陽光発電
など個人レベルで設置することが出来ないからか、ほとんど見かけることは
なかった。

 今もこの国は省エネを目指すより経済発展を最優先にしているようだ。
それが国策なのか、公共投資による景気刺激策なのか聞き漏らしてしまった。
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隣国から見た日本・その1

2010-05-24 09:35:13 | Weblog
 5月としては記録的な大雨だという。確かに、この時期としては異例の
荒れたお天気になった。我が家の庭にある花梨はたくさんの実を付けた
まま折れてしまった。空洞になっていたとは言え太い幹である。かなり
強い風だったに違いない。

 天気予報では、これから北日本は暴風雨に注意となっている。春先の
長雨と低温、そして、この時期の大雨、異常気象はまだ続いているようだ。

 荒れたお天気と同様にお隣の国、韓国が揺れている。どうやら先に沈没
した哨戒鑑は北朝鮮が発射した魚雷によるものだったようだ。北朝鮮は
韓国やアメリカの言いがかりだとして、いつでも受けて立つ構えを見せて
いる。評論家に言わせれば北朝鮮はプチ戦争をしたいのではないかと延べて
いる。

 その理由は二つ。一つは北朝鮮の経済問題。国内の経済の混乱から国民
の目を反らせたいという思惑。もう一つは金正日氏の後継者問題。三男の
正雲氏が後継者と目されているようだが、後継者としての彼のカリスマ性
と軍事的な天才としての権威を高めるためだと言われている。さあ、実態は
どうなっているのだろう。
 

 私はつい先日、初めての韓国旅行へ行った。ほんの一時間半余りで行ける
隣国でありながら、ついぞ訪れる機会のなかった国である。主要目的は観光、
それも単なる名所旧跡を巡るだけでなく、韓国の人達の生活や経済状態を
知りたいと思ったからである。

 岡山空港からは直行便が行き来している。ほんの一時間半という近距離は
国内旅行と変わりはない。岡山空港を飛び立ち、飛行機が水平飛行に入って
から、慌ただしく簡易食が出され、食べ終わった頃には既に朝鮮半島上空
であった。

 岡山が吉備の国であった頃から朝鮮半島と人の行き来があったと聞いて
いる。その頃はごく当たり前に半島から離島である日本列島へ人が行き来
していたことは間違いないようだ。

 韓国の円墳から出土したという馬具や曲玉などの装飾品には日本で発掘
されたものと多くの共通点がある。韓国人のガイドさんは、ごく普通に日本
との濃厚な人物往来があったと語っていた。

 朝鮮民族として、かつての侵略者であったことや支配者であったことに
対する違和感はあまりないようである。それともガイドとしての立場から
口に出さなかったのであろうか。

 私達は仁川空港に降り立った。眼下に広がる広大な砂州の一部を埋め立て
て作った空港である。近くにはサムソンの建物などもある。工業地帯として
は最適地であろう。

 しかし、この空港は隣国北朝鮮に限りなく近い。現に哨戒鑑が魚雷攻撃に
あったという海域は、この広大な砂州へと続いている。

 本来、陸にも海にも国境はない。同じ海であり、この海は豊富な魚介類を
産する。特にガザミと呼ばれるカニの宝庫である。その気になれば短時間で
乗り込んでくることのできる近さであり、監視の目を盗んで韓国へ入ろうと
思えば出来るような広大な場所である。

 韓国の首都ソウルはここから近い。従来の主要空港だった金浦空港と
仁川空港は高速鉄道で結ばれている。いずれ、この鉄道は延長されソウル
へも繋がるようである。

 さて、延長20数キロという出来たばかりの空港からの高速道路から一般
の高速道路へ入り一路目的地である慶州を目指した。かつて新羅王朝が
あった場所である。

 ここには先ほど紹介した夥しい数の円墳や、かつての王城跡など古代の
歴史的な遺産がたくさん残されている。それらの多くは世界遺産に指定
されたものである。

 夜は古民家を再生した「瑶石宮」で新羅の宮廷料理を頂いた。食事の間、
屋根を激しく叩くようなにわか雨が降り雷鳴がとどろいていた。ここ韓国
も4月半ばまで気温が上がらず雪の日もあったようだ。

 この急な雨も上空の寒気によるものであろうか。懸念されたにわか雨も
食事が終わる頃には上がり、この日最後の予定である夜の雁鴨池の遺跡
散策へ向かった。

 この遺跡は広大な敷地内に壮麗な建物があったところである。多くは
元寇の役によって失われてしまった。ちなみに元寇は朝鮮半島の豊富な
木材を使って軍船を仕立て日本を攻めた。

 今は主要な建物が再建され、ライトアップされていて美しい。
                      ・・・・その2へ続く
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口蹄疫

2010-05-20 05:58:06 | Weblog
 今日は久々にブログに向かっている。実は韓国旅行をしてきたので簡単
な旅行記を書いてみようと思ったのだが、意外な拡大と大きな被害に発展
しつつある宮崎県の口蹄疫について書いてみたい。

 そもそも感染経路が明らかでないまま徐々に拡大しつつある口蹄疫。
牛やブタなど蹄を持つ家畜しか感染しないと言う特殊な伝染病である。
宮崎県には畜産農家が多いだけに深刻な問題だと言えよう。

 実は過去にも、この県内では口蹄疫が発生している。こうした前例を
考えれば病原体であるウイルスが密かに生息していたとしても不思議では
ない。姿を見せず徐々に毒性を高め、一挙に伝染を始めたのかも知れない。

 宮崎県は日本でも有数の畜産の盛んなところであるようだ。今の東国原
知事が就任した直後に鶏の病気である鳥インフルエンザが発生した。この
時は幸いにも早めの対処が成功し、最小限の被害で押さえ込むことが出来た。

 前回の経験があっただけに知事を初め県の関係者も何とかなるのでは
ないかと思っていたのではなかろうか。そもそも感染対象がないところでの
このような病気は発生しない。高密度な畜産であればあるほど感染力は高く
その危険性は大きい。

 実は、こうした状況を作りだしているのは人間である。その点から言えば
人間が作り出した現代病と言えるのかも知れない。人間の飽くなき欲望は
より豪華な食事を求め、より旨いものを求めて限りがない。

 私達が子供だった頃には滅多に口にすることのなかった食肉がふんだんに
出回るようになり、簡単に食することが出来るようになった。一方、農家も
より儲けの多いものへと一斉に飛びつき、多くの農家が牛やブタや鶏などを
肥育するようになった。全ては人間の果てしない欲望の結果である。

 また、人の移動は広範囲になり、広範囲な移動が様々な乗り物によって
実に簡単になった。牛やブタは勝手には移動できないし、移動もしない。
感染範囲を広めたのは牛やブタではなく人間である。人間がウイルスを持ち
歩いて多くの家畜に感染させている。

 悲しいことに、ことの良し悪しは別にして、畜産で生計を立てている人が
大勢居ることである。これらの人達は忽ち生活の基盤を失ってしまうことに
なる。降って湧いた天災のようなものであり、実に気の毒である。

 野党である自民党は対策が後手に回ったことを与党の責任のように言って
いるが、それは当たらない。東国原知事がインタビューで答えていたように
鳥インフルエンザの時と同じように簡単に押さえ込むことが出来ると思って
いたのではないだろうか。

 ところがウイルスの感染力は想像以上に強かった。ただそれだけのことで
ある。人間の欲望の対象にされた牛は罪もなく大量に殺されていく。これを
人間のエゴでなく、なんと表現すれば良いのだろう。そして天災ではなく
人災である。

 聞けばある畜産業差は口蹄疫の疑いのある牛がいることを知っていながら
放置していたらしい。こうなればますます人間サイドの行いが問題となる。
全ては人間の諸行によるものである。

予告

 韓国旅行のタイトルは「隣国から見た日本」に決めている。近くにある
国でありながら、国の有り様が異なる国である。反面、共通するところも
多く、隣国韓国から見ていると日本のあり方も見えてくる。古くから行き
来の多かった国である。そして同じ民族の血が流れている国でもある。
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世論を作り行動を起こそう

2010-05-10 06:23:32 | Weblog
 アメリカの著名な米国際政治学者のチャルマーズ・ジョンソン氏が満を
持してロサンゼルス・タイムス紙に寄稿している。沖縄の基地問題に関して
である。傲慢なアメリカのやり方を批判しているのだ。

 普天間基地の移設を含む一連の基地問題に関し、日本国内ではこれほど
までに大きく報じられていることであってもアメリカ国民にはほとんど
知らされていない。世の中にこんな理不尽なことがあって良いのだろうか。

 米軍は自国の国益のために沖縄を初めとする日本国内の軍事基地が必要
だと言っていて、日本を守るためだとは言っていない。あえて言うなら
ついでに守ってやっていると言う程度のことであろう。

 それにも関わらず、歴代の自民党と自民党政府は、長く日米安保体制の
元に、あえてそのことを許してきた。その罪は大きいと言わざるを得ない。

 ここのところアメリカは微妙な発言をし始めている。オバマ政権下の
キャンベル国務次官補の発言である。あまり、ことを急ぎすぎると基地
撤去という話になりかねないことを懸念したのであろうか。あるいは
「窮鼠 猫を噛む」ことを恐れたのであろうか。

 追いつめ過ぎて鳩山さんが投げ出してしまえば基地移転問題は、より一層
こじれるだけでなく、国内の他の基地問題にまで波及することを恐れた
のであろうか。

 いずれにせよ解決を急ぐ必要はないと言っている。それはそうであろう。
アメリカ軍にしてみれば現状維持が一番良いのだから。

 基地を国内の他地域へ持っていこうとすれば、どこの自治体もOKとは
言わないであろう。日本中、どこの地方自治体も基地は要らないと言って
いるのだから。

 だったら何故、国民みんながNOと言わないのだろうか。何故、みんな
一緒になって基地反対の行動を起こそうとしないのだろうか。何故、基地
反対の抗議行動をしようとしないのだろうか。何を恐れているのだろうか
それとも自分には関係のないことだと思っているのだろうか。

 実に不思議でならない。行動することを忘れ、まるで他人事のように
傍観しているだけの日本人が居る。行動しなければ何も始まらない。声を
上げての行動が必要な時ではないのだろうか。特に若者にそれを望みたい。
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季節の便り

2010-05-08 04:29:57 | Weblog
 季節は春から初夏に。「夏も近づく八十八夜」と歌われたのは、まさに
今の季節である。先にも書いたように一週間ぶりに東京から還ってみれば
出ていくときには固かった蕾が一斉に花開き、我が家の庭は百花繚乱の
様相を呈していた。

 花は牡丹、コデマリ、オオデマリ、モッコウバラ、ヒラドツツジ、アヤメ
カキツバタ、アイリス、クレマチス、スズラン、シラン、ブルーベリー
そして香気を漂わせ始めたのが神が降りてくると言われているオガタマの
木である。

 畑も様相が大きく変化していた。苺の花が終わり、今はエンドウ豆の
類が次々と花開き、日々収穫しなければならないほどの成長を続けている。

 確かにEMの力は大きい。苺の草丈が並の高さではない。恐らく40㎝
から50㎝近くはあるのではないだろうか。草丈にふさわしい巨大な葉を
繁らせている。

 そして、最も偉大なのは自然の働きである。適度な雨と降り注ぐ太陽の
光りさえ十分であれば植物の成長は止まるところを知らない。驚くほどの
成長ぶりである。

 空豆が目立つほど大きくなってきた。ジャガイモやタマネギも順調に
育っている。夏野菜も植えた。夏野菜の種も蒔いた。果樹の成長も著しい。
梅、スモモ、枇杷の実は目立つほどに大きくなってきた。

 桃やリンゴの袋掛けの日も近い。これからは農作業に日々追われる日が
続くことになる。今日もヒヨが来て鳴き騒いでいる。そろそろサクランボの
実が熟し始めたからだ。彼らはどのようにして情報を得ているのだろう。
日々偵察に来ているのだろうか。生き物の世界は不思議だらけである。

 そう言えば今まで見たこともないような生物がスモモに着いていた。
カイガラムシの一種だろうか。固い殻の中には夥しい卵のようなものが
詰まっていた。拡大鏡でないと見えないようなものである。

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マスコミの冤罪

2010-05-07 10:58:05 | Weblog
 ここのところ政治情勢は混沌としてきたように見える。その一つは自民党
の分裂である。一人抜け二人抜けして行く内に、ついには党としての機能を
失っていくのではないだろうか。

 まだまだ残留者が多く、残った方から出ていった方を色んな口調で論評
しているが、論評を加えれば加えるほど残留組の方が哀れに見えてくるのは
何故だろうか。

 一方、沖縄の基地問題は普天間基地移設の問題に止まらず、長く沖縄
県民だけに過大な負担をかけ続けてきたことによる沖縄県民の不満が一挙
に噴き出した感に見える。

 これを見て論評を加える自民党は天に向かって唾を吐くようなもので
ある。何故、これほど問題の根が深くなるまで、基地問題を放置してきた
のか、この場に及んで鳩山さん一人を悪者にするわけにはいくまい。

 また、鳩山さんの発言を巡って報道では沖縄県民みんなが約束を反故に
したと怒っているように報じられているが、それは事実とは異なるのでは
ないだろうか。

 もっと沖縄県民は冷静に、ことの推移を見ているように思う。それは
長い年月の間、押しつけられ続けてきた重い負担に対する私達が窺い知る
ことの出来ない思いがあるからではないだろうか。単純なものではない
ように思われる。

 何も5月末という期限にこだわる必要はない。要は日本のどこからも
米軍基地を撤去せよという日本人なら誰でもが抱いている思いがあるからだ。
もう日本に基地はいらない。その根底から問い直さなければ、この問題に
対する解決の道はない。

 さて、今日の本論に入ろう。検察審査会は小沢さんの政治資金問題に
関し、再審を請求している。しかし、検察審査会という素人集団に正しい
判断材料や十分な検討資料を与えずに判断させることが果たして正しい
ことなのだろうか。

 一切公式な報道はなされていないが既に石川議員の逮捕は証拠不十分で
刑の適用は難しいと言われているようだ。石川議員に罪がないと言うことに
なれば、その問題によって調べられている小沢さん自身の立件も難しい
のではないだろうか。

 それが分かっていながら検察審査会は何故あのような判断を下したので
あろうか。事件は状況証拠に基づくものでなければ立件は不可能である。
それが法律というものであろう。

 だからこそ検察は夥しい証拠物件を押収し調査してきたにもかかわらず
裁判に持ち込むのは難しいと判断したのではなかったのか。

 実は、ここまで事件を大きくしてきたもう一方の組織は報道機関各社
であった。報道と言うものも、また確たる証拠が明らかでなければ憶測
だけで報道をすべきではない。ましてや出所を明らかにしないままに
多くの報道がなされてきた。その違和感を抱いたのは私だけであったろうか。

 一般人はマスコミの報ずるものは正しいものと思い、検察が調査して
いると聞けば、それは絶対的なものだと信じて疑わない。しかし検察も
報道機関も所詮は私達と同じ人間が行っていることである。違いと言えば
多少法律に詳しいとか、事件のより近いところにいるということだけで
ある。

 マスコミは慎重な上に謙虚でなければならない。江戸時代の瓦版でも
事実無根のことは書かなかった。その事実無根なことが特定の人物や場所
から意図的に流されていたものであれば、その罪は大きい。

 何の資格や権限があって根拠のない報道をしているのだろうか。また
その報道が国益や大衆の利益になるものなのだろか。新聞報道のペンは
公器である。私物ではない。

 私は今一冊の本を読み、更にもう一冊の本を読みかけている。その一冊
は随分前に発刊された佐藤優氏による「国家の罠」であり、更に一冊は
郷原信郎氏による「検察が危ない」と言う本である。

 ご存じのように佐藤優氏はロシア外交に精通した優れた外交官であった。
その人が政治家「鈴木宗男」氏に連座して「背任と偽計業務妨害」という
罪を着せられて懲役2年6月を言い渡された。

 調査に始まって刑が言い渡されるまで、この間のロシアとの外交や今後
のロシア外交のことを考えれば、その損失は計り知れない。私は冤罪に
近い事件ではなかったかと感じている。

 そして、今は小沢氏の政治資金問題である。読売新聞などマスコミに
よって大衆はあおられ、更には意図的とも思えるような強制捜査が行われ
てきた。これはマスコミと検察が作り上げてきた冤罪事件ではないのか。

 「検察が危ない」の執筆者である郷原氏は元東京地検にも席を置いて
おられた方である。いわば検察内部に精通された方である。その方が
あえてこの本を執筆された背景には、このままの検察であれば国民の信頼
を失いかねないことを憂えてのことではないだろうか。

 私もそのように思う。もっと検察は慎重の上にも慎重を期し、毅然たる
態度で事件に当たって貰いたい。検察への信頼が揺らぎ検察が劣化が進展
すれば、三権分立の一角が崩れ、冤罪事件はますます増えていくのでは
ないだろうか。恐ろしいのは昔の特高警察のようになってしまうことである。

 ましてやマスコミは大衆の側にあるべきものだ。それが国家権力や検察
の道具になってしまえば、国民の信頼は大きく損なわれ、報道の自由という
自らの足下を損なってしまうことになりかねないと思うのだが。
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東京は刺激的

2010-05-04 05:40:31 | Weblog
 良い大人がこんなことを書くと不謹慎かも知れないが、東京には得体の
知れない刺激が溢れている。若者達の目が東京へ向くのも無理はない。
それほど東京には若者が多くて刺激的なことに溢れている。

 何と私が東京滞在中に東京都の人口が1300万人を突破したと言う
から驚きである。どんな場末の街を歩いても私が住んでいる倉敷より
人の数が多い。

 そして、何よりも交通機関が発達していて、どこへ行くにも便利が良い。
時間待ちがない。一時間に一本しか便がない私の最寄り駅とは異なる。

 それにしても上京の度にのっぽビルが増え、今や六本木ヒルズは時代
遅れとなりつつある。現に私達が、この地を訪れた日は、天気が悪かった
こともあったのだろうが人が意外に少なかった。ボストン美術館の展示会
など催し物が行われていたにしては珍しい状態であった。

 そう言えば東京では、いつもどこかで何らかの展示会やイベントなどが
行われている。年に数えるほどもない地方とは随分異なるようだ。

 この度は国立博物館で行われていた細川家の至宝展、そして目黒雅叙園
で開かれていた辻村寿三郎展に行って来た。実に滞在中は展示会三昧で
あった。

 今回は息子の住まいに四泊、ホテルに三泊した。ホテルはシェラトン
都ホテル東京であった。このホテル、スパのサービス付きで、スパには
プールやサウナや大浴場もあるというサービスぶりであった。

 しかも通常料金よりは安く泊まることが出来た。最寄りの駅は目黒駅、
駅からホテルへは、ホテルの専用バスがピストン運転をしていた。


 今回上京の目的の一つは佐々木亜希子弁士の元で活弁のワークショップ
をしている仲間達の発表会に私達夫婦の夫婦活弁が特別参加をさせて貰う
ことになったため。

 開催場所は真向かいに聖母病院がある落合第一区民センターであった。
息子夫婦の住まいから歩いて行ける距離にある。この日、私達夫婦の口演
は「突貫小僧」。

 幼い子供が誘拐犯達、大人を手玉にとって困らせるという喜劇。短編だが
面白い。これをオリジナルバージョンで脚本を作り、岡山弁で演ずるという
もの。どこで口演しても、なかなか好評な活弁である。

 今回はせっかく東京で行うと言うことで、東京や東京近辺の在住の方々に
声をかけさせて貰った。すると思いがけず大勢の方々が鑑賞に来て下さった。
お陰で大盛況であった。

 主催者側発表では60人近くの方々が来て下さったとのこと。また久々に
お目にかかる方々も多く、何やらピースボートの同窓会のようでもあった。

 また、息子のお嫁さんのご家族にも来て頂き重ね重ねの感謝であった。
そんな訳で恒例の「しゃべり場」の集まりだけに止まらず、活弁仲間の
集まりや活弁開催日の打ち上げなどと飲み会も多かった。

 これ全て良い友人に恵まれているからこそだと感謝している。それに
しても滞在中に雨の日はたった一日だけ、後半は連休に向けて天気も
回復し十分なる東京滞在を楽しんだ。

 今回の目的のその二は神田川や日本橋川の浄化に取り組んでおられる
事務局のIさんにお会いすることであった。お忙しい時間を割いて頂き施設
の見学や取り組みの状況などをお聞きすることが出来た。

 聞けばIさんのお父上が岡山県出身の方とか。縁浅からぬものを感じる
とともにIさん自身もそのことを喜んで下さり、我々も感動。

 そう言えば佐々木亜希子弁士を支えておられる仲間の一人、Sさんは
余命を宣告されていた大病が跡形もなく消えたとか、打ち上げ会場のアズ
を尋ねてくださった折り紙の先生Iさんとは折り紙の大先輩を通じて
話が盛り上がり十年来の知己のような親しい会話が弾んでいた。

 誇張ではなく私のまわりには、このような事例が多く、人の縁と言うものを
感じずにはおられない昨今である。ともあれ私達夫婦の東京滞在は瞬く間
に終了し、私は家内より一足先に岡山への帰路に就いた。

 5月1日、満員の新幹線で家に帰り着いてみれば庭は一気に冬から初夏
の風情に変わっていた。これから夏野菜を植えるという畑仕事が待っている。
コメント (1)
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