今回、思いがけなく高知県の梼原町を訪ねることになった。岡山市
にある「エネルギーの未来を考える会」略称「エネミラ」の主催に
よるエコツアーでの訪問であった。
実は数年前、この町にある四国カルストという石灰岩台地を友人の
車で訪れたことがあった。ちなみにカルストという地形で良く知られて
いるのは山口県の秋吉台である。
最初の訪問時、倉敷から四国カルストまで、ずいぶん時間を要した
記憶がある。その時は、友人の奥さんが梼原町主催のマラソンに
出場すると言うことで、応援方々同行させて貰った。
ここは標高1500メートル近い高原である。車から降り立つと
目の前に巨大な風力発電用の風車が立っていた。初めて目にする
景色であった。風車は二基設置されていた。
このカルスト台地は大半が牧場となっており、道縁は鉄条網で
囲まれ、この中で牛が草を食べていた。高原特有の爽やかな風が
吹き抜け、野草が花開き、その上で風車がゆっくりと回転していた。
まるで異国の地を訪れたような第一印象であった。
その梼原町を今回はエコツアーで訪問した。実は風車のある高原
から標高で100㍍近く降りたところに梼原町の町並みがある。
古くは坂本龍馬が脱藩の際、抜け道として使ったという道がある。
町には龍馬の脱藩の手助けしたという地元の若者達の立派な銅像が
建てられている。
この町の誇りでもあろうか。この銅像は未来に向かって今にも
駆け出しそうなほどに生き生きとしている。こんな立派な、しかも
芸術性の高い銅像を見たことがない。この抜け道、今もなお一部が
保存されている。
この山深い町に維新の風が流れ込んだのは何故だろう。地元の人の
説明では四国を行脚していたお遍路さん達から情報を仕入れていた
のではないかという事であった。情報収集は、その気にさえなれば
地理的なハンディ等関係ないものと思われる。要は意識の持ちよう
である。
そうした先見性に富んだ気質が今も脈々と受け継がれていることを
思わせるのが、梼原町を上げての取り組みである。実は異様とも
感じたあの風車は梼原町が建設したものであった。
町長の先見性ある着想と、その実現を許した町民の気質は今も
維新時に活躍した若者達に通ずるものがあるのではなかろうか。
この町は、まさに時代の最先端を行くエコと新エネルギーの町で
ある。
この町では、様々な工夫で新しいエネルギーを生む取り組みと省エネ
が行われている。百聞は一見に如かずであるが、まずは簡単に取り組み
事例を紹介してみよう。
風車二基の建設後、それが生み出す電力代は基金として貯蓄され
次々に新しい施設に投資されている。その一つが中学生達の寮の
冷暖房施設である。ここでは地元で産する木材の廃材となったものを
加工した木質ペレットを燃料にした吸収式ヒートポンプが設置されて
いる。
また町は、こうした施設で使うペレットの製造販売と今後の普及を
考慮して大きなペレット工場を造ってしまった。
町の温水プールは地中の熱を利用したものである。地中の熱を
ヒートポンプで圧縮加熱する方法で昇温し使っている。年間を通じて
使用可能な温水プールである。
つい最近、小水力発電所を稼働させた。エネルギーに変わるもの
なら何でも使ってしまおうという考えである。むろん太陽光発電は
言うまでもない。町の中心に建てられている近代的な総合庁舎の
屋上には大きな太陽光発電パネルが設置されている。
この町では個人の住宅に太陽光発電を設置した場合、1kw当たり
20万円という破格の補助金を支給している。投資金額が100万円を
超えるようなものであるだけに本格的な二酸化炭素の削減を行おう
と思えば、これくらいの補助金は当たり前なのかも知れない。
梼原町の人口はわずかに4600人、この小さな町が目指しているのは
2030年には温室効果ガスの排出量を50%削減し、更に2070年には70%
削減しようと言う意欲的なものである。
また、森林面積を更に拡充し二酸化炭素吸収量を2030年には3.5倍
2050年には4.3倍にしようというものである。もってエネルギー自給率
を100%にしようと考えている。
森林を守り育てるには、多くの人手が必要となる。都会に遠く
仕事の少ない山間部での雇用を林業で守ろうと言う一石二鳥を
狙っての事ではないだろうか。
町の施設は山間部の町とは思えないほど近代的な建物が多い。施設
の全ては地元産の杉や檜を使っている。鉄骨や鉄筋コンクリートの
使用は必要最小限に止められている。これも循環型社会を目指しての
事ではなかろうか。
町のメインストリートは二車線の道路が整備されて統一感ある
町並みになっている。この道路を整備する時、住民参加の意見交換会
を開き、道路拡充の論議をしたとの事である。そして住民賛同の上で
町並み整備が行われ、今も進行中である。ちなみに通りには電柱が
一本もない。また、町の中心部にはやがてホテルも建設されるとの
事である。
過疎化に悩む山間地域のお手本にすべき街づくりがここにはある。
これからの地方が生き残っていくためのヒントがこの町にはある
のではなかろうか。
にある「エネルギーの未来を考える会」略称「エネミラ」の主催に
よるエコツアーでの訪問であった。
実は数年前、この町にある四国カルストという石灰岩台地を友人の
車で訪れたことがあった。ちなみにカルストという地形で良く知られて
いるのは山口県の秋吉台である。
最初の訪問時、倉敷から四国カルストまで、ずいぶん時間を要した
記憶がある。その時は、友人の奥さんが梼原町主催のマラソンに
出場すると言うことで、応援方々同行させて貰った。
ここは標高1500メートル近い高原である。車から降り立つと
目の前に巨大な風力発電用の風車が立っていた。初めて目にする
景色であった。風車は二基設置されていた。
このカルスト台地は大半が牧場となっており、道縁は鉄条網で
囲まれ、この中で牛が草を食べていた。高原特有の爽やかな風が
吹き抜け、野草が花開き、その上で風車がゆっくりと回転していた。
まるで異国の地を訪れたような第一印象であった。
その梼原町を今回はエコツアーで訪問した。実は風車のある高原
から標高で100㍍近く降りたところに梼原町の町並みがある。
古くは坂本龍馬が脱藩の際、抜け道として使ったという道がある。
町には龍馬の脱藩の手助けしたという地元の若者達の立派な銅像が
建てられている。
この町の誇りでもあろうか。この銅像は未来に向かって今にも
駆け出しそうなほどに生き生きとしている。こんな立派な、しかも
芸術性の高い銅像を見たことがない。この抜け道、今もなお一部が
保存されている。
この山深い町に維新の風が流れ込んだのは何故だろう。地元の人の
説明では四国を行脚していたお遍路さん達から情報を仕入れていた
のではないかという事であった。情報収集は、その気にさえなれば
地理的なハンディ等関係ないものと思われる。要は意識の持ちよう
である。
そうした先見性に富んだ気質が今も脈々と受け継がれていることを
思わせるのが、梼原町を上げての取り組みである。実は異様とも
感じたあの風車は梼原町が建設したものであった。
町長の先見性ある着想と、その実現を許した町民の気質は今も
維新時に活躍した若者達に通ずるものがあるのではなかろうか。
この町は、まさに時代の最先端を行くエコと新エネルギーの町で
ある。
この町では、様々な工夫で新しいエネルギーを生む取り組みと省エネ
が行われている。百聞は一見に如かずであるが、まずは簡単に取り組み
事例を紹介してみよう。
風車二基の建設後、それが生み出す電力代は基金として貯蓄され
次々に新しい施設に投資されている。その一つが中学生達の寮の
冷暖房施設である。ここでは地元で産する木材の廃材となったものを
加工した木質ペレットを燃料にした吸収式ヒートポンプが設置されて
いる。
また町は、こうした施設で使うペレットの製造販売と今後の普及を
考慮して大きなペレット工場を造ってしまった。
町の温水プールは地中の熱を利用したものである。地中の熱を
ヒートポンプで圧縮加熱する方法で昇温し使っている。年間を通じて
使用可能な温水プールである。
つい最近、小水力発電所を稼働させた。エネルギーに変わるもの
なら何でも使ってしまおうという考えである。むろん太陽光発電は
言うまでもない。町の中心に建てられている近代的な総合庁舎の
屋上には大きな太陽光発電パネルが設置されている。
この町では個人の住宅に太陽光発電を設置した場合、1kw当たり
20万円という破格の補助金を支給している。投資金額が100万円を
超えるようなものであるだけに本格的な二酸化炭素の削減を行おう
と思えば、これくらいの補助金は当たり前なのかも知れない。
梼原町の人口はわずかに4600人、この小さな町が目指しているのは
2030年には温室効果ガスの排出量を50%削減し、更に2070年には70%
削減しようと言う意欲的なものである。
また、森林面積を更に拡充し二酸化炭素吸収量を2030年には3.5倍
2050年には4.3倍にしようというものである。もってエネルギー自給率
を100%にしようと考えている。
森林を守り育てるには、多くの人手が必要となる。都会に遠く
仕事の少ない山間部での雇用を林業で守ろうと言う一石二鳥を
狙っての事ではないだろうか。
町の施設は山間部の町とは思えないほど近代的な建物が多い。施設
の全ては地元産の杉や檜を使っている。鉄骨や鉄筋コンクリートの
使用は必要最小限に止められている。これも循環型社会を目指しての
事ではなかろうか。
町のメインストリートは二車線の道路が整備されて統一感ある
町並みになっている。この道路を整備する時、住民参加の意見交換会
を開き、道路拡充の論議をしたとの事である。そして住民賛同の上で
町並み整備が行われ、今も進行中である。ちなみに通りには電柱が
一本もない。また、町の中心部にはやがてホテルも建設されるとの
事である。
過疎化に悩む山間地域のお手本にすべき街づくりがここにはある。
これからの地方が生き残っていくためのヒントがこの町にはある
のではなかろうか。