人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

異常気象続く

2015-12-31 05:50:13 | Weblog
 明けて2016年(平成28年)、新年早々に大きな事件の報道が飛び込んできた。
フィリピンもドバイも花火による火災だという。それにしても巨大な高層ビルがまるで
ロウソクのようであった。このシーンを見たときに感じたのは神の怒りを買い、瓦解していく
バベルの塔のことを思い出した。

 さて、ここのところ世界各国で異常気象による天災が相次いで生じている。これら天災は
人命を奪うだけでなく、とてつもなく財産を奪っていく。

 先の常総市における洪水被害を見れば分かるように、建てて間のないような新しい家が
どんどん流されていた。そう言えば東日本大震災の時もそうだった。

 高齢者にとって、二度と再び手に入れることの難しい財産だ。同じ高齢者として気の毒で
ならない。

 こうした世界規模の大災害は何故、多くなってきたのか。昔からあったことが、報道を
通じて詳しく報じられるようになったからであろうか。どうやら、そうばかりとは言えないようだ。

 既に地球温暖化の時限爆弾にスイッチが入ってしまったような気がしてならない。海水温の
上昇は既に1℃を越えたとも言われている。海水温の上昇は気象異変の主たる原因となる。

 海水温が上がると海水の蒸発が飛躍的に増えていく。これらは上昇し、冷やされ雲となり
更には雨になる。激しい上昇気流は局地的な嵐を生じ、やがてそれらが集まると巨大な台風へと
変化していく。

 こうした大小の積乱雲は風を呼び竜巻となり、局地的に大雨を降らす。こうした自然現象は
過去にもあったのだが、数は少なかった。それが頻発するようになったのが、ここ数年の大きな
変化である。この変化はますます激しくなり頻度を増して行くことだろう。

 こうした変化を見るときに、ノアの洪水を思い出させる。おごり高ぶった人間どもを懲らしめる
ために、神は大雨を降らせ地球上を大洪水で水没させてしまった。

 まさに地球自らの禊ぎのように思えてならない。福島の原発は収拾のつかない状況に陥っている。
誰にも手を付けることが出来ないし、解決の方法はない。

 そんな状況にも関わらず、再び原発の稼働を始めてしまった。原発というものを止めない
人間どもを懲らしめるために、神は自らの手で原発を破壊してしまったにも関わらず。

 夥しい放射能は、大雨によって来る日も来る日も海を汚染させ続けている。
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軽減税率

2015-12-14 06:10:04 | Weblog
 あれほど両党間で対立していた軽減税率は一挙に解決の方向に向かった。そして、その対象範囲を驚くほど
拡大している。何故・・・・。実に疑問が多い。

 むろん、税金なんてない方が良いに決まっている。使い道さえ良く分からないものに私たちは税金として
搾取され続けている。支払い額に相当するような待遇を受けているのだろうか。

 自民、公明間の交渉が終わってから、自民党幹部連中は、とって付けたようなことを言って誤魔化している。
一兆円を上回るような代替の財源をどこに求めるのか。そんなことは、今更論ずるまでもなく、軽減税率を
適用すれば、その財源をどこに求めるか、言わなくても分かっていたことだ。

 「国民は理解してくれると思う」とは、菅官房長官の言葉だが、当たり前の話ながら、税金が上がって喜ぶ
人間はいない。さんざん議論をしているように見せながら、実は落としどころやタイミングを見ていたに
違いない。

 対象品目が拡大したからと言って、軽々に喜ぶべきではない。それどころか、それは借金の先送りに過ぎない。
財政的に見れば、たこが自らの手足を食っているようなものだ。

 日本の財政赤字は極限に達している。一般家庭にたとえれば、とうの昔に家計破綻であろう。こんな
借金まみれの国に、お金など貸してくれるものはいない。今は信用で、かろうじて生きているに過ぎない。

 今もなお、この国が機能し続けることが出来ているのが不思議なくらいだ。一説には国民の貯蓄が
それを支えているとも言われている。つまり国は借金国でも国民は多くの預貯金を有しているので、
国として見た場合、問題ないと言うことなのだろうか。

 その国民も高齢化と少子化、更には長い不況の中で所得を減らし続けている。高度成長期とは明らかに
異なる生活実態が、そこここに見える。国民に国を支えるだけの余裕があるのだろうか。

 ヨーロッパでもギリシャが破綻し、それに次いでスペインも怪しいと言われている。あの豊かであるべき
産油国でさえ、原油価格の下落で経済的に逼迫していると言われている。

 財政赤字の国は世界中にある。アメリカだって資源国だが財政的には双子の赤字を抱えている。慢性的な
国の財政赤字と貿易赤字だ。アメリカは大いなる債務国なのだ。ただ日本と決定的に違うのはお金をコントロール
することが出来る力を持っている。為替のコントロールで借金をチャラにすることだって平気な国だ。
自国のためなら何でもする国だし、出来る国なのだ。

 日の出の勢いの中国はどうなんだろう。やはり経済の陰りは覆いがたい。成長を遂げた国が一様に辿る
道を辿っている。賃金の安いことが成長のメリットになっていたが、賃金が上昇し、そうも行かなくなった。

 中国もこれからが正念場であろう。日本の何倍にも相当する国民を有する国だ。恩恵が、隅々まで行き渡らない
ないままに経済破綻を来す可能性も少なくない。中国型のバブルの崩壊だ。

 隣国、韓国も深刻な就職難の中にある。良い職に就こうと思えば良い学校に入らなければならない。
そのための熾烈な競争社会となっている。競争について行けないものは脱落するしかない。

 今や世界中が様々な問題と矛盾を抱えながら生きている。しかし、いつかは限界に達するに違いない。
社会システムを変えるしか解決の道はない。社会システムを変えるには経済活動一辺倒の人間の考え方を変えるか、
石油や石炭に変わるエネルギー革命しか道はない。

 人間の欲望には限りがない。その欲望故に他の生き方があっても、それが見えてこない。哀れと言うほかはない。
貧しくても心豊かだった私の幼い頃が無性に懐かしい。しかし、そんな良い時代の思い出を持ったものも少なく
なってしまった。お金や物だけを追い続けている人間社会に未来はない。

 もっと精神的にピュアな人間に戻ることが、今ほど求められている時代はないと思うのだが・・・・。

 
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報道の見方

2015-12-12 05:13:48 | Weblog
 報道は一部の記事や一部のメディアの報道を見たり聞いたりしただけでは真実は見えてこない。
見えてこないというか、惑わされやすいと言った方が良いだろうか。

 今日ほど情報を多岐にわたって集めることが出来る時代はない。従って、その気にさえなれば
あらゆるところから情報を得ることが出来る。だからといって真実が見えるかというと、それは
別問題だ。

 昨今の報道には虚偽報道もも多いし、情報の操作も巧みに行われているようだ。単純に考えても
意図的に報道されなかったら何も分からない。戦前に行われた報道管制というやつだ。

 残念ながら人間は、自分の周辺のことしか分からない。見えていない。従って、何もかも知って
いるように思っているが、それは大いなる勘違いだ。

 何が真実で何が嘘なのかは、自分の目で見て、あるいは自分自身で体験したことでなければ
真実とは言えないし、分からない。

 ましてや世界の情報は、ごく限られたニュースソースからの配給でしかない。それも各社が
お金を出して買っているのだ。従って、ニュースの配給会社が意図的なニュースを流していたり
意図的に隠していたりすると真実は何も伝わらない。

 ただ幸いなのは、今はインターネットを通じて、個人でもリアルタイムに情報を流すことが出来る。
また、その場に居合わせなくてもユーチューブなどを通じて、動画として情報を得ることが出来る。

 これらは報道機関のニュース番組や報道と異なり、意図して情報を操作することは少ない。その場に
居合わせたものが、それぞれの感性によって映した映像などが大半であるからだ。

 今、世界は激動の最中にある。地球も変だが、人間社会も混乱している。どうやらISは、ある勢力が
意図的に組織化し、破壊活動を起こそうとしてきたものであることが明らかになってきた。

 その範囲は中東という部分的な地域だけに止まらず、欧州にまで広がりを見せ、まさしく世界大戦の
様相を呈している。これはテロという戦術を使い、世界を相手に戦争を仕掛けている世界大戦だ。
大袈裟に言えば第三次世界大戦と言えなくもない。

 彼らテロ集団のバックにあるのは何か。何を目的にしているのか。彼らに知恵を授け、裏で操って
いるのは誰か。資金源は・・・。資金源はどうやら原油の密売だったことが明らかになってきた。
それらの原油は格安の価格で日本にも流れているらしい。

 その積み出しに深く関わっていたのが、トルコの大統領の息子だと言うことも明らかになってきた。
どうやら彼らが描いていた図式が一気に明らかになってきたようだ。

 その遠因を探ると、かつて大統領だったブッシュの影が見えてくる。イラクとの戦争もアフガンとの
戦争も大いなる伏線があった。その伏線に沿って、各地の戦争は作り上げられていった。

 やがて全ては明らかになるだろうが、私たちはいい加減に目覚めなければならない。何が真実で
何に踊らされているのか。
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心の時代

2015-12-05 05:55:14 | Weblog
 先に文芸評論家の高橋源一郎さんが、NHKの朝のラジオ番組で自分自身の不思議体験を
語っていました。私が聞いただけでも二度もの体験談でした。

 ご自身の体験談は、長年お会いしたいと思っていた人物に、相次いでお会いすることが
出来たという不思議体験でした。

 実は私自身もずいぶん前から良く似た体験を繰り返すようになっていました。最初の頃は
単なる偶然の積み重ねくらいの感覚で受け止めていましたが、その体験が時間を置くことなく
実に直截で、今会って相談したいことがあるのだがとか、今日中には電話しておかなければと
思っていたようなことが、その場で実現するようになって、実は驚いています。

 今は、その体験も数重なり、不思議とも何とも感じなくなってしまいました。今は偶然では
なく、世の中の仕組みは、そのようになっているのが当たり前のことなのだと思うように
なりました。そして、その不思議体験は、絶えることなく、今も続いているのです。

 不思議体験は、人に会うと言うことに止まりません。欲しいと思っているものがいつの間にか
手に入るようなことも少なくありません。どうやら人や物と言った特定のものに止まらないよう
です。

 こうした体験を振り返ってみたときに、いったい、いつから始まっていたのだろうかと記憶の
糸をたぐっていくと、どうやら子ども時代から同じような体験が始まっていたことに気がつきました。

 私は色んなものの収拾が好きで、それこそ様々なものを集めていました。あれが欲しい、あんな
ものがあったら良いのになあと思い始めると、不思議に次から次へと手に入るようになるのです。

 むろん、手に入れたものの中には、後になって取り返されたりしたようなこともありましたが
こうした体験は、とても偶然ではなかったような気がします。

 それらの体験は、自分自身の意識がその方向に集中されることによって気付かなかったことや
目に入らなかったようなことが、はっきりと見えるようになったと言うことも背景にはあるでしょう。

 しかしながら、数多くの体験を振り返ってみたときに、とてもそれだけでは説明しきれないような
ことが数多くあるのです。

 近年になって「引き寄せの法則」と言うものに接する機会がありました。ある言葉を繰り返すと
念ずれば通じるようなことが起きるようになると書かれていました。しかし、そのような法則が
なくとも人間には本来、そのような能力が備わっているのではないでしょうか。

 人間の意識が世界を作るのではないかと考えています。今の余は、信仰心が偏り、乱れた世に
なってしまいました。本来、人間は自然の一部として生きてきました。自然を敬う心もいつしか
失われてしまいました。

 そのような心では、目に入るべきものも入らないし、手に入れたものの指と指の間からこぼれて
しまいます。私たちは深い精神性の中で生きていることは間違いがないようです。その精神性の
表れが具現化したときに、実は、引き寄せで手に入れることの出来るものであり、幸せなのかも
知れません。

 ともあれ、どうやらこの世の中の全ては、それぞれの心が映し出したものだと言えるようです。
澄んだ心で心穏やかに暮らしていれば、世の乱れも治まり、病も関係ない世界を手に入れることが
出来るのではないでしょうか。

 しかしながら、地球人は、みんな心を病んでいます。持って生まれた素晴らしい魂を、心を失って
います。物や金ばかりに目が行き、本来失ってはならない魂や心、そして「愛」までも、どこかに
置き忘れているような気がしてならないのです。
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巨大国家中国

2015-12-04 06:29:35 | Weblog
 決して品の良い人ばかりではない中国。マナーという点では、改めるべきところも少なくない。
しかし、振り返ってみれば、かつて日本が高度成長期だった頃、急速に個人所得が増え、日本人も
列をなして海外旅行をするようになった。

 この頃、日本人旅行客の買い物ツアーなるものも増えて、各国の免税店には日本人が押し寄せるように
なったことがある。オバタリアンと揶揄されたおばちゃんたちが、大声で話しながら賑やかに歩き回る
姿が、ひんしゅくを買ったこともある。

 つまり、日本人も他人のことはあまり言えない過去があるのだ。誰でも海外へ行くと開放的な気分に
なるのは良くある話だからだ。

 ただ、日本人と中国人は、比較するまでもなく国民性がまるで異なる。ましてや抑圧された長く苦しい
生活からやっと開放されつつある国民が、ついつい海外旅行で開放的になり、爆買いに走るのも無理はない。

 そして、中国人には長い長い民族の歴史がある。異民族支配を受けてきた時代である。異民族支配とは
言っても、元々、多民族国家なので異民族支配という表現が適切かどうかは分からないが、中国国内で
一番多い漢民族を中心に考えてみた場合、最後の王朝である清は満州民族が征服して作った国だ。
満州人が支配し、その配下に漢人や他の民族がいた。

 いずれの中国の王朝も長くは続かなかった。めまぐるしいほど王朝は替わり、王朝が変わる時には
必ず大きな戦乱が生じた。

 こうした戦乱と社会的な混乱の中で中国人は、民族と言う集団とは関係なく生きて行かなければならなかった。
我が身を守るのは、他ならぬ自分自身と家族、更には親族の結束によるものであった。

 王朝がどう変わろうとも、王朝には逆らわず迎合しながら生きてきた。その裏側で、王朝など関係はないと
ぺろりと舌を出していた。表面は服従し背面はしたたかに反発して生きてきた。背面服従であった。

 こうした生き方は長い歴史の中で中国人自身の生き方になっていった。それは今も続いている。
そして、今後も変わりなく続いていくのではないだろうか。そうした生き方をいつの時代も支えているのが
お金である。彼らにとってお金が全てだと言っても過言ではない。

 そこのところが日本人とまるで異なると言っても言い過ぎではないだろう。だから中国人は、ある面
たくましい。世界の果てまで人間世界であればおおよそどこにでも中国人は住んでいるし、商売を
している。これは先に地球一周旅行で南半球を一周した時に行く先々で見て感じたことである。

 そして中国人らしい結束力は、多くの国で中国人街を作っている。また、自らがその国の中心になっている。
マレーシア、シンガポールなどである。中国人華僑を先祖に持つ人々が少なくない。

 今、盛んに中国人が東南アジアやアフリカに進出しつつある。こうした進出先で様々な問題が
生じている。中国人らしいやり方での強引な現地収奪だ。既に中国国内では、新疆ウイグル自治区などで
漢民族などにより現地の商取引は牛耳られている。この反発が現地人たちの暴動となって現れている。

 先の小笠原沖でのサンゴ取り尽くし事件を見ていて分かるように、やり方は強引で徹底している。
儲けとなると、ひるむことはない。それが、全てとは言わないまでも中国人の姿であろう。実に
したたかな民族なのだ。反面、日本人が長く島国という閉ざされた中にいて特殊な民族なのかも
知れない。
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