台風九号が日本列島に上陸というニュースが流れている最中、私達
は名古屋から八ヶ岳に向かっていた。今回の集まりは、Tさんが企画
をしてくれたピースボートの第47回と53回の乗客等による合同の
同窓会であった。
参加者の中には47回と53回の二度船に乗った人もいて、そうした
人の共通の友達が一同に会したのだった。未だ、47回の同窓会は形を
様々に変えながらも続いている。
今回の参加者の中には数人だが、今年の春、倉敷で開催した同窓会
の参加者もいた。その一人が今回の主催者であるTさんであった。
場所は八ヶ岳近くの会員制のホテル「ダイヤモンドソサエティ八ヶ岳
美術館リゾートホテル」だった。玄関ホールへ入ると目の前に美術品
が展示されていた。焼き物や絵画など、色んな作家の作品であった。
この日は、私達自身も、また、東京からこちらに向かうという女性
五人も台風の影響で色んなハプニングがあった。私達の方は、塩尻
までは順調に来たのだが、そこから乗り継ぐはずの特急が運休になり、
急遽、普通列車に乗り換えて小淵沢に向かった。そのために、列車の
待ち時間を含めて二時間弱ホテルに着くのが遅くなってしまった。
一方、東京からホテルに向かう予定だった女性五人は、全ての交通
機関が運休になってしまったため、こちらに来ることが出来なくなり、
第一日目は断念して箱根に一泊すると連絡をしてきた。
そんなハプニングにも関わらず五人の内、誰一人、今回は行くのを
やめようと言わなかったようで、その情熱は素晴らしい。
この五人、翌日も午前中は運休の交通機関が多く、午後になって
やっと運行を再開した交通機関を乗り継いで、夕方七時近くになって
たどり着いた。執念と言う他はない。
私達はホテルに着くのが遅くなったとは言え、雨に濡れることもなく、
少し寂しい同窓会ではあったが、大浴場や露天風呂にゆっくり浸かり
楽しい晩御飯を食べた。
台風は、大した事はないと思っていたが、翌朝、ホテル周辺を歩いて
みて驚いた。道には折れた小枝が散乱していたからだ。台風からは、少し
離れていたけれど、それでも風は強かったようだ。
朝、窓を開けると周辺の山々は厚い雲に隠れていた。しかし、時間
が経つに連れ、雲が切れ素晴らしい景色を見ることが出来るように
なった。変化に富んだ雲の形と、背後にそびえ立つ高い山、そして
富士山。このホテルの八階の展望台から眺める景色は素晴らしかった。
この日の富士山は、まるで服か着物を纏うように綿雲に包まれていた。
そして山頂にはレンズのような笠雲が二重に懸かっていた。こんな姿
の富士山も珍しいのではないだろうか。
この日は予定通り、貸し切りのマイクロバスで観光に出発した。
清里高原ではコスモスが花開き、吹く風は大変爽やかであった。ここ
からも富士山の雄大な景色を遠望することが出来た。
昼近くになって昇仙峡に着いた。この日の昇仙峡は台風による雨で
水嵩が増していた。滝を流れ落ちる水はほとばしるように落下し、
急流には濁流が渦巻いていた。
いつもは見られない景色だと、地域の人が話していた。昇仙峡の
魅力は、そそり立つ奇岩、巨岩であろう。山全体が一つの大きな岩で
出来ており、その岩肌が雨に洗われて黒光りしていた。遊歩道には
岩肌を伝い流れ落ちてくる水が小さな川のように流れていた。
しかし、台風のせいか観光客は少なくみやげ物屋も閑散としていた。
この地が賑わうのは、これから始まる紅葉の季節ではないだろうか。
この日の観光は、昇仙峡でお仕舞い。一度、ホテルまで帰り、自家
用車で近くにある八ヶ岳倶楽部へ行った。ここは俳優の柳生さんが
荒れ地を見事なまでの人工林に変えたところであった。今はギャラリー
や喫茶店、あるいは色んな作家の手作り品を売っていた。
ここを見学して帰途に着いた。丁度、その頃、東京組の女性五人が
到着した。再会の喜びをハグに変えて出迎えた仲間の人もいた。みんな
久々の再会を喜んでいた。
私は挨拶もそこそこに富士の夕暮れが見たくて八階の展望台まで
上がり、西に沈む夕日と夕日に照らされた夕焼け雲を眺め写真に写した。
この日は参加者が十八名となり、昨晩とは異なって賑やかな晩餐会
になった。
そして、翌日は早めにみんなと別れ神戸に向かった。ピースグローブ
主催の「田中ルミ子ピアノの弾き語りチャリティコンサート」が神戸
で開かれる事になっていたからだ。
ピースグローブの主催者夫婦も49回のピースボートの乗客だった。
そして、この日のコンサートにもピースボート仲間が数人来ていた。
この日の夜は、八ヶ岳に向かうときと同じように、神戸の娘の家に
一泊させて貰った。そんなわけで、都合、4泊5日の長い旅行となった。
は名古屋から八ヶ岳に向かっていた。今回の集まりは、Tさんが企画
をしてくれたピースボートの第47回と53回の乗客等による合同の
同窓会であった。
参加者の中には47回と53回の二度船に乗った人もいて、そうした
人の共通の友達が一同に会したのだった。未だ、47回の同窓会は形を
様々に変えながらも続いている。
今回の参加者の中には数人だが、今年の春、倉敷で開催した同窓会
の参加者もいた。その一人が今回の主催者であるTさんであった。
場所は八ヶ岳近くの会員制のホテル「ダイヤモンドソサエティ八ヶ岳
美術館リゾートホテル」だった。玄関ホールへ入ると目の前に美術品
が展示されていた。焼き物や絵画など、色んな作家の作品であった。
この日は、私達自身も、また、東京からこちらに向かうという女性
五人も台風の影響で色んなハプニングがあった。私達の方は、塩尻
までは順調に来たのだが、そこから乗り継ぐはずの特急が運休になり、
急遽、普通列車に乗り換えて小淵沢に向かった。そのために、列車の
待ち時間を含めて二時間弱ホテルに着くのが遅くなってしまった。
一方、東京からホテルに向かう予定だった女性五人は、全ての交通
機関が運休になってしまったため、こちらに来ることが出来なくなり、
第一日目は断念して箱根に一泊すると連絡をしてきた。
そんなハプニングにも関わらず五人の内、誰一人、今回は行くのを
やめようと言わなかったようで、その情熱は素晴らしい。
この五人、翌日も午前中は運休の交通機関が多く、午後になって
やっと運行を再開した交通機関を乗り継いで、夕方七時近くになって
たどり着いた。執念と言う他はない。
私達はホテルに着くのが遅くなったとは言え、雨に濡れることもなく、
少し寂しい同窓会ではあったが、大浴場や露天風呂にゆっくり浸かり
楽しい晩御飯を食べた。
台風は、大した事はないと思っていたが、翌朝、ホテル周辺を歩いて
みて驚いた。道には折れた小枝が散乱していたからだ。台風からは、少し
離れていたけれど、それでも風は強かったようだ。
朝、窓を開けると周辺の山々は厚い雲に隠れていた。しかし、時間
が経つに連れ、雲が切れ素晴らしい景色を見ることが出来るように
なった。変化に富んだ雲の形と、背後にそびえ立つ高い山、そして
富士山。このホテルの八階の展望台から眺める景色は素晴らしかった。
この日の富士山は、まるで服か着物を纏うように綿雲に包まれていた。
そして山頂にはレンズのような笠雲が二重に懸かっていた。こんな姿
の富士山も珍しいのではないだろうか。
この日は予定通り、貸し切りのマイクロバスで観光に出発した。
清里高原ではコスモスが花開き、吹く風は大変爽やかであった。ここ
からも富士山の雄大な景色を遠望することが出来た。
昼近くになって昇仙峡に着いた。この日の昇仙峡は台風による雨で
水嵩が増していた。滝を流れ落ちる水はほとばしるように落下し、
急流には濁流が渦巻いていた。
いつもは見られない景色だと、地域の人が話していた。昇仙峡の
魅力は、そそり立つ奇岩、巨岩であろう。山全体が一つの大きな岩で
出来ており、その岩肌が雨に洗われて黒光りしていた。遊歩道には
岩肌を伝い流れ落ちてくる水が小さな川のように流れていた。
しかし、台風のせいか観光客は少なくみやげ物屋も閑散としていた。
この地が賑わうのは、これから始まる紅葉の季節ではないだろうか。
この日の観光は、昇仙峡でお仕舞い。一度、ホテルまで帰り、自家
用車で近くにある八ヶ岳倶楽部へ行った。ここは俳優の柳生さんが
荒れ地を見事なまでの人工林に変えたところであった。今はギャラリー
や喫茶店、あるいは色んな作家の手作り品を売っていた。
ここを見学して帰途に着いた。丁度、その頃、東京組の女性五人が
到着した。再会の喜びをハグに変えて出迎えた仲間の人もいた。みんな
久々の再会を喜んでいた。
私は挨拶もそこそこに富士の夕暮れが見たくて八階の展望台まで
上がり、西に沈む夕日と夕日に照らされた夕焼け雲を眺め写真に写した。
この日は参加者が十八名となり、昨晩とは異なって賑やかな晩餐会
になった。
そして、翌日は早めにみんなと別れ神戸に向かった。ピースグローブ
主催の「田中ルミ子ピアノの弾き語りチャリティコンサート」が神戸
で開かれる事になっていたからだ。
ピースグローブの主催者夫婦も49回のピースボートの乗客だった。
そして、この日のコンサートにもピースボート仲間が数人来ていた。
この日の夜は、八ヶ岳に向かうときと同じように、神戸の娘の家に
一泊させて貰った。そんなわけで、都合、4泊5日の長い旅行となった。
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