人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

アメリカ大統領選挙

2008-10-31 06:29:56 | Weblog
 いよいよアメリカの大統領選挙は目前に迫った。多事多難なアメリカ
の政治経済の今後はどうなるのか世界中の注目が集まる。一方、日本
の政治改革は麻生新総理の決断のつかないまま先送りになってしまった。
国民にとって何だか肩すかしを食らった感じである。
 
 その点、二年前から始まっていたとはいえ、実にタイムリーなのが
アメリカ大統領選挙である。どうやら民主党のバラク・オバマ候補が
共和党のマケイン候補を抑え、久々に民主党の大統領が誕生しそうな
勢いである。

 しかもオバマ氏は初の黒人大統領である。過去、多くの黒人達が
奴隷としてアメリカに連れてこられて以来、今日の地位を築くまでに
幾多の困難があったであろうか。黒人が法律の上で守られるように
なったのは、つい最近の事である。
 キング牧師など歴史に残る多くの先人達の努力によって人種差別の
壁が打ち破られてきた。とは言え潜在的な差別の根は深い。

 しかし、オバマ氏はこうした過去を問うことなく人種間の融和を
説いている。黒人だ白人だアジア系だヒスパニック系だといった
人種間の壁を越えて、すべての人が同じアメリカ国民として今後の
アメリカを良くしていこうと訴えている。実に素晴らしい考え方である。

 こうした考え方が出来るのは彼の出自と無関係ではないだろう。
そして上院議員としての実績に見るべきものがないとしても過去に
彼が社会人として弁護士として行ってきた仕事や経歴を見てみると、
そうした過去と無縁ではないと言うことが良く分かる。

 彼は今までの仕事を通じて最下層に生活する人達のことや今日的な
アメリカの病巣の深さを良く知っているのではないだろうか。だから
大統領候補としての人々に訴えかける言葉がまるで他候補とは異なって
いた。そして、あのクリントン候補さえも抑えて民主党候補としての
栄冠を勝ち得たのではないだろうか。
 アメリカの抱える今日的な問題は多岐に渡っている。経済問題に端を
発した社会問題は人の心さえむしばんでいる。

 実は、日本も同じである。これが人間のする事かと思うような訳の
分からない事件や常識を疑うような人間が多すぎる。すべての責任を
政治に帰すわけには行かないかも知れないが、今日的状況を助長して
きた政府自民党の責任は大きい。
 やはり国の根幹を成すのは政治である。明治維新がかくもたやすく
達成されたのも徳川幕府という政治体制が根幹から崩れていたからで
ある。

 人を統治するにはそれだけの信頼に足る政治体制が必要である。
その体制が今の自民党や政府与党にあるだろうか。誰が見ても信頼に
足る政権とは思えない。
 そればかりではなく三権分立の立法府だけでなく行政府までもが
重い病魔に冒されているように思える。

 底辺に生きる人達の事を誰よりも良く知っているオバマ氏と比較
するときに、二世議員の多い日本の国会議員や特に麻生総理のような
苦労知らずで国会議員になった人に底辺に生きる人々の生活実態が
理解できるとはとても思えない。

 私達は、こうした事から政治改革をしていかなければと思っている。
道は長く険しい。しかし、行動しなければ何も代わらない。今回も
アメリカに改革の先を越された形になってしまった。日本の総選挙は
これからである。今度の総選挙では日本を将来を変えるための一里塚
にしたいものだ。
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活弁シネマライブ

2008-10-30 11:34:15 | Weblog
 いよいよ11月4日(火)午後7時~活弁シネマライブが開催される。
今年で4回目となる活弁シネマライブだが、年を追う毎に知名度も
高くなり、入場者数も伸びている。昨年は500名弱だったが今年は
何名ぐらいの人が来てくれるだろうか。

 今年の上映映画は「伊豆の踊子」である。聞けば正式名は「伊豆の
踊り子」ではないとのことだが、今はこの方が知名度も高いのでチラシ
等には「伊豆の踊子」として宣伝している。

 大女優であった田中絹代さんの初々しさが眩しいくらい初期の映画だ。
音楽は入っているが俳優の声は録音されていない。従って、活弁士の
語りがなければ映画らしくない。むろん今年の活弁士も佐々木亜希子
さんだ。彼女の語りが冴えた映画となるのではなかろうか。

 広島で見たときには音楽はフィルムにあるもので、語りは佐々木さん
であったが、今回は音楽を野原直子さんにお願いしている。どんな音楽
が付くのか非常に楽しみである。

 音楽と言えば私達夫婦の演ずる「豪傑児雷也」にも音楽は付いている。
むろん野原さんの作曲と演奏によるものである。11月4日の前座公演
のため今朝は音楽付きでやってみた。やはり音楽が入るのと入らない
のとでは、これほどまでも差があるのかと驚いている。臨場感がまるで
違うのだ。音楽が入ると語り手もうきうきしてくるから不思議である。

 私達の前座公演は師匠である佐々木亜希子さんの鶴の一声で決まった。
今年に入って岡山の公民館、引き続いて地元の高齢者施設二カ所、
そして、つい先日は「わたしたちのまるごと新聞展」の中で演ずる
ことが出来た。野原さんに言わせれば今までで一番良かったとのこと。

 やはり練習毎に手を加えてきた効果があったのか。今は本番までに
一日に一度は練習をしている。その度毎に不満を感じるところがあって
夫婦互いにダメ出しをしている。
 そんなわけで脚本を何度書き換えた事であろうか。見た目は新しく
ても何度も修正を加えた脚本である。

 なれぬ内は見えなかった人の動きも練習を重ねる毎に良く見える
ようになり、その都度新たに台詞を付け加えたり修正したり、時には
ナレーションを書き換えたりと変化し続けている。

 なまじ夫婦活弁であるだけに二人の息が合わなければ台無しになって
しまう。そこらあたりも二人が演ずる面白さでもあり、難しいところ
でもある。ともかく本番までにはまだ幾日かあるので練習あるのみで
ある。

 そして、今日は地元山陽放送のラジオカーが取材に来てくれた。さて
聞いてくれた人はどのように感じたであろうか。活弁映画とは言葉では
なかなか理解しがたいものである。ぜひ一度、見て聞いていただければ
その良さが理解して貰えるものと思っている。
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9.11仕組まれた構図

2008-10-26 07:04:39 | Weblog
 今、9.11の真相を巡って様々なうわさ話が蔓延している。もはや
うわさ話という域を脱しているのかも知れない。

 世界貿易センタービルの崩壊映像を見たとき不可解なものを感じた
人は少なくないはずだ。特に技術的な素養のある人なら専門家でなく
とも変だと感じた人は多かったに違いない。
 被災者や被災家族はもっと声を大にして真相究明をブッシュ大統領
に詰め寄っても良いのではなかろうか。

 あの頑丈な鉄骨の構造物が、まるで基礎から座屈するようにして
大地に沈んでいった姿を見て変だとは思わないだろうか。また、その際、
膨大な粉塵が巻き上がっていた。その粉塵は逃げていく人を追いかけて
いくような煙に近い微粒粉塵であった。

 まさか巨大な板を砂漠のど真ん中で倒したのでもあるまいに、通常の
ビルが倒れることで巻き上がる量や質の粉塵とはとても思えない。
あの倒壊は用意周到な演出であり、しかも証拠をことごとく消滅させる
ための劇的な演出だったように思えてならない。

 では、誰が何のために。そこのところは興味ある人が一人一人綿密に
調査する以外にはない。しかし、国家的規模の陰謀が隠されていること
は間違いないだろう。でなければあのような馬鹿げた演出は出来なかった
はずである。

 まるで映画のXファイルのように他の星からの侵略にも似た用意周到
なる演出であった。しかし、その陰では罪なき多くの人命が無惨にも
消されたことにあらためて思いをいたさなければならないし、今もって
収束の兆しさえ見えないアフガニスタン問題やイラク問題にも大きな
陰を落としていることを、もう一度考え直さなければならないと思って
いる。

 策謀を企てたものを今こそあぶり出し、新たなる国際秩序作りに
着手すべき時ではなかろうか。たった一機の飛行機が上階に載った
だけで絶対にあのような崩れ方をすることはあり得ない。燃えていた
のはジェット機が突っ込んだところだけである。

 仮に上階の重さに耐えかねたとしても強度の弱い方に傾きつつ
倒れたハズである。しかし、ツインビルの2棟ともほぼまっすぐに
その場に沈み込むように倒壊した。
 どんな事前工作が行われていたのであろうか。あのビルは無理に
飛行機が飛び込まなくても下の方から倒壊するように爆薬を仕掛け
られていたに違いない。

 皆さんは今回のアメリカ発の金融恐慌と9.11をどのように結びつけて
考えられるであろうか。
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金融恐慌

2008-10-25 16:28:23 | Weblog
急激な円高と株価の急落はとどまるところを知らない。マスコミは
金融恐慌直前だと報じているが、国内産業の状況を見ていると金融恐慌
そのものではないかと思えてくる。

 かつて日本は苦いバブル崩壊を経験し、一時、都市銀行は国有化同然
の状態であった。長い長いデフレ時代は、まさに我が会社生活における
締めくくりの時代であった。
 相次ぐリストラや経費節減は限界とも思えるような状況を乗り越えて、
私達が定年退職とほぼ時を同じくして急速に改善方向に向かった。
私達は会社生活最後の段階で業績改善の礎になったと自負している。
 しかし、定年を迎えるに当たっても、また、定年後も退社前の業績
だとして何ら表彰の恩恵に預かることもなく、まるで無冠の帝王の
ように会社を去った。

 そして、今日である。この間、株価は上昇を続け、いつの間にか
立派な経理内容に復していた。

 しかし、そんな会社の株価もアメリカ発という予期せぬバブル崩壊
の余波を受けて見る影もなく暴落している。きちんとした業績を上げ
ながら何故、このような目に遭わなければならないのだろうか。誰も
理不尽さを感じないのだろうか。

 当のアメリカは住宅バブルで大もうけをした時期があった。その時
のカネはどこかに眠っており、陰で笑っている奴がいるに違いない。

 このまま、国内産業が衰退していけば、私達が定年前に経験した
以上のリストラが行われるに違いない。リストラどころか倒産企業も
多発しかねないような状況である。

 底の浅い中国では相次いで倒産企業や工場閉鎖が行われ、多くの
従業員が路頭を彷徨うような事になっている。私達の子ども達世代に
どうか人員整理などが行われないよう願っている。

 しかし、輸出型の国内企業は買い手がなければ生産をストップせざる
を得ない。その上、円高である。確かに原材料は入手しやすくなり価格
は下がっている。特に燃料代は大きく下落している。ありがたいことに
は違いないが、これも製品が売れての話である。作っても安くしても
売れなければ何にもならない。

 想像以上にヨーロッパもアメリカも冷え込んでいる。まず、輸出相手
国にしてみれば、景気が悪い上に円高ドル安や円高ユーロ安である。
買いたくても手が出ないと言う事情があるだろう。また、アメリカや
ヨーロッパに代わるような市場はない。それこそ開発途上国は食べる
のに事欠くような事になりそうだ。とても贅沢品を買えるような状態
ではない。

 では、どこに買い手がいるのであろうか。実に深刻な問題である。
しかし、このような状況はなるべくしてなったと言えなくもない。
何度もブログやホームページに書いてきたが、実態のない経済ほど
不可解なものはない。ものの売り買いのためだけなら必要もないほどの
札束を乱発し、それらは投機という博打に費やされてきたお金である。
お金でお金を売り買いするというばかげたことをやってきた。いずれ
行き着く先は分かっていたと言えなくもない。

 お金によって人の価値が決まり、お金に翻弄されるような社会に
変わってしまった。人の愛や優しさまでお金によって変化してしまう
ような全く変な社会になってしまった。
 その実態は今の温暖化による気象変動のようにとらえどころがない。
予測しがたい社会状況を作りだしてしまった。便利さのために使った
お金に人間自身が翻弄されるような世の中が果たして正しい世の中
なのだろうか。

 今こそ、社会も環境も変えるべき時に来ている。この金融恐慌こそ
天からの啓示とは言えはしないだろうか。さて、時は2008年、
ある人は変わるべき時が来ていると大まじめに話している。その話が
嘘であろうが本当であろうが、今までの人間の浅知恵で考え出して
きたシステムのすべてが行き場のない閉塞状態に置かれている。
政治も経済も社会全体も変わるべき時にあるのかも知れない。

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秋らしからぬお天気

2008-10-25 15:28:45 | Weblog
 ここのところ、おおよそ秋らしからぬ鬱陶しいお天気が続いている。
秋雨かと思えばぬるい雨であったり、雨の後はすっきりとした秋晴れ
かと思っていたら蒸し暑くはっきりしないお天気が続いている。

 夏から秋にかけての空模様が未だに続いているのではないか、そんな
昨今である。ちなみに今日はまた雨だと言うことで秋晴れの晴天は
当分期待できそうにない。

昨日は家内と一緒に果樹にネットをかけた。こうしなければカラスの
集団に食い荒らされてしまうからだ。ネットは完全でなくても良い。
かけていることがカラスたちに分かれば容易に近づいてはこない。
一種の脅しのようなものである。それにしても二人作業は早い。
お互いにああだこうだと文句や注文を付けながらも共同作業は早い。

 そんな気候にも関わらず、果樹畑の蜜柑はほんの少し黄色くなり、
食べると結構甘い。店屋に出ている色だけは良いが甘みの薄いものとは
比較にならないくらい、こくのある甘みである。

 家の前の渋柿であるアタゴガキの一枝が根本から折れてしまった。柿の
実の重さに耐えきれなかったからだ。それほどたくさんの実を付けている。
ヘタムシによる被害を最小限にとどめようと9月に入って手入れした
ことが良かったのか。
 家内に言わせれば、こんなに成らせてどうするの。という感じだ。
この柿は吊し柿にする。しかし、気温の高い昨今ではカビが生える
ことが多い。さて今年はどうしようか。

 夏の終わり頃、壊滅的に葉を食べられてしまったスモモは季節はずれ
の花が咲き始めている。完全に枯れたと思っていた紫陽花の根本近くに
小さな芽が出ていた。あれほどの夏の暑さと水不足にも関わらず、命を
つないでいた植物達の生命力の強さを感じた。

 一夏を精力的に蔓を伸ばし数知れないほどの実を付けたニガウリを
今日抜いてしまった。まだまだ、この気温であれば実を付けるであろう
激しいまでもの勢いであった。大地を掴むように力強く太い根が四方に
伸びていて、これもまた生命力の強さを感じた。

 白菜、キャベツ、大根、ブロッコリーと冬野菜には事欠かない我が家
の畑ではある。子ども達にも分けてやりたいという思いからせっせと
耕作面積を増やしている。

 こんな畑もトマトやナスなどの連作障害に苦しんでいる。そこで
EMの力を借りて畑を何とか活性化しようと、今年の夏から取り組んで
いる。やっと二杯目の発酵した生ゴミを畑に投入し、発酵液を蒔いて
EMによる畑にしようと取り組みを始めている。さて、どんな畑になって
いくのであろうか。非常に楽しみである。

 これからは柑橘類の収穫期になっていく。既にハッサクや夏みかんや
伊予柑や安政柑、先に紹介した蜜柑類も次第に色付き始めている。
これからは蜜柑と柿が中心になっていく。いずれも豊作のようである。
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子どもに教える難しさ

2008-10-22 07:00:33 | Weblog
 昨日は私が関わっている地域環境を改善していこうという団体と
して初めてとも言うべき行事が行われた。地元K小学校のプールへ
EMという微生物群を入れてプールの水質浄化をしようという試み
であった。

 これを機にプール使用前にもう一度投入しプール清掃を薬剤の使用
をしないで行おうという試みである。既に、児島地域内でも幾つかの
小学校で実施されていることのようである。

 プールに投入するものとは何なのか、環境学習という観点から私に
講師依頼が来たのは夏の初め頃であった。それから猛勉強を初め、
やっと資料らしいものが完成したのが小学校の夏休みが終わろうかと
いう頃であった。
 一応、出来た資料は担任の先生方に観て貰い、これなら良いだろうと
言うことで先日の講演となった次第である。さて、聞いてくれる小学校
4年生と言えばどの程度の理解力があるのか全く分からないことから、
出来るだけ優しくと言葉を選んで話したつもりだったが、どうだった
のだろうか。

 「ある程度理解できた」と大半の子が手を挙げてくれたようだ。
そして「良く分かった」という子が140数名中20名くらいいた
だろうか。帰り際には、ありがとう御座いましたと大きな声で数人の
子が、誰に強制されることもなく言ってくれたので本当にうれしかった。

 私の話は約40分くらいだった。話の前に校長先生から我慢して
聞いてくれるのは、一時限の45分くらいだと聞いていたので、
出来るだけその時間内には終えようと余分なことは話さずに、まっすぐ
に伝えたいことだけにとどめて話した。

 私が伝えたかったのは、EMとは化学薬品のようにすべてを殺して
しまうようなものではないと言うこと。殺してしまうのではなく人間
活動によって壊された環境バランスを元に戻すのだということ。
この地球上には無駄なものは何もないのだということ。だから君たち
一人一人が、かけがえのない存在であること、等であった。

 その辺のことが幾らかでも上手く伝わっていれば、この講演は成功
であった。

 さて、EMを投入したときのプールの水はアオミドロのようなものが
大量に繁殖して濁っていた。これが改善されれば一応の成功である。

 このプール投入に先立って小田川の河口周辺にEMを投入した場所
に行ってみた。すると、あれほど黒くべたべたしていたヘドロは全く
なくなり、上流から流されてきた山土そのものがむき出しの状態に
なっていた。
 場所によってはEMの浸透が充分でなかったのか、土の割れ目から
黒い水が少しばかり流れ出していたが、少なくとも上辺はかつてここが
ヘドロで汚染されていた場所なのかと目を疑うばかりの状態になって
いた。素晴らしいEM効果である。

 砂州状態となった場所ではたくさんのカニが生息していた。このまま
推移すれば、あさりやシジミなどの生息も難しいことではないのでは
ないかと思われる。何よりも驚いたのはシオマネキがいたことである。
近隣の海岸では見たこともない生き物だったので感動してシャッターを
押した。

 また、潮が満ち始める頃だったので、少し濁った水ながらフグやチヌ
などの小魚が群をなして泳いでいた。昔を知る人に伺うとこの橋の下を
大きなチヌやスズキなど海の魚が群をなして泳いでいた時代があった
そうであるから、環境が改善されれば、そんなことも夢ではないのかも
知れない。

 それにしてもネット上で見る限りEMに関する記事が格段に多い。
私がEMのことを知った二十年近く前のことを思うと、その情報量の
多さに驚くばかりである。

 また、生ゴミを減らすためにEMを活用している自治体も少なくない。
我が岡山県では20年近く前にEMには水質浄化の効果がないと結論
づけたままである。これだけ広く認知され、格段の効果や実績を上げて
いるにもかかわらず、未だこのような状態を恥ずかしく思うべきである。

 瀬戸内海の海底にヘドロが溜まっていることは海底調査で明らかで
ある。また、底引きなどで上がってくる夥しい生活関連ゴミもバカに
ならない量である。これらすべてとは言わないまでも何らかの方法で
除去する方法はないのだろうか。

 また、国は児島湖の環境浄化に浚渫船によるヘドロの除去を行って
いる。しかし、除去するだけでなくEMによる浄化という方法は考え
られないのだろうか。ともかく固定観念を捨て効果あるものには果敢
にチャレンジすることが必要である。

 お役所の事なかれ主義がEMへの取り組みを遅らせているような
気がしてならないのである。
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孫の成長

2008-10-20 17:04:04 | Weblog
 午前中から妙に蒸し暑く、真夏のように水蒸気を多く含んだ大気の
ために空はどんよりと曇っていた。そして、午後はにわか雨になった。
この季節としては極めて珍しい降り方の雨だった。やはり温暖化現象
は目に見える形で異常を伝えているような気がしてならない。
 表向きは秋ながら現実は夏の延長のような日々が続いている。

 私には孫がいる。県外に住んでいるので、いつでも会えるという
わけではない。
 先週は久々に孫の顔を見に行った。孫もおじいちゃんが来るのを
心待ちにしていたようで大喜びであった。祖父の私にとって無邪気な
孫の喜びようは何者にも代え難い嬉しさだ。

 娘夫婦の家に着くと早速、孫はブロックを持ち出して何かを作ろう
と私にくっついて離れない。ほっと一息入れることもなく孫と一緒に
遊ぶはめになってしまった。

 毎回そうなのだが家内は娘と積もり積もった話があるらしく孫の
ことなど気にかける様子もなく話し込んでいる。娘も娘であれほど
毎日のように電話をかけてきながら、なおも話があるようで次から
次へと話はとりとめもなく続いている。

 娘婿は近い内に国家試験があるとかで自分の部屋に引きこもっている。
結局、孫がおじいちゃんを慕っていることを良いことに、みんな孫の
守を任せきりで、安心しきってそれぞれのことに専念している。

 それにしても孫の成長は著しい。まだ、満三歳には数ヶ月あるという
のに大人とも十分会話が出来るような成長ぶりである。まだまだ赤ちゃん
だと思うときと「ええ、これが二歳数ヶ月の子どもなの」と驚くような
時がある。

 文字こそ書けないが数字は十まで言えるし、お絵かき帳の絵はそれなり
の形をしているから驚きだ。自分の頭で考えていることが、そのまま
形に描けるようである。

 また、素直に注意を聞かないこともしばしばあるが、これも自我の
芽生えだと思えば理解できないこともない。今は、「うんこ」も
「おしっこ」きちんと言えるようになって、よほどのことがない限り
しくじることはない。お風呂だけは滅多に一緒に入ってはくれないが、
トイレはおじいちゃんと一緒にいけるようになった。

 孫にとってお化けは怖い。だから戸をワザとがたがた鳴らして
「お化けが近くに来ているよ」と言うと、わがままも影を潜める。
子どもにとって怖いものの一つや二つはある方が良い。

 今回は三泊四日の滞在であったが、おじいちゃんとしては久々に
孫の顔を見て一緒に遊んで満足をしたと言うより、すっかり疲れて
しまった。
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ミクロの世界

2008-10-07 11:39:25 | Weblog
 私達の足下には幾万いや幾千万もの微生物がいるらしい。しかし、
ミクロの世界のことなので、直接、目で見ることは出来ない。
 これら微生物の誕生に関しては様々な説があって、どれが正しいのか
依然謎のままである。
 最近の調査では火星にも生物がいるのではないかと言われている。
もし、火星にも生物がいるとしたら彼らはどのようにして誕生した
のであろうか。また、あの厳しい環境下で、どのように生をつないで
来たのだろうか。生命の誕生に関しては、ますます謎が深まるばかり
である。

 火星だけでなく、実はこの地球上にも驚くべき環境下で生きている
微生物がいる。亜硫酸ガスが立ちこめるような環境下や深海底の熱水
が噴き出すような場所や、とうてい生きてはいけないだろうと思われる
ような高温下でも平気な生き物がいると言われている。
 また、つい最近、地元岡山の大学で、金属を食べる微生物を使って
微細な金属加工が出来ないかという研究をしていると聞いている。

 私は長く化学会社に勤めていた。ここでは工場から吐き出される
化学薬品混じりの廃水を微生物を使った活性汚泥法という方法で
処理を行っていた。
 この方法は今や下水処理から工場廃水の処理まで広く使われている。
多種多様な化学薬品や汚物に対し、それぞれに適合した微生物を培養し、
その微生物を使って水処理を行う。
 微生物たちは廃水に含まれた化学薬品などを餌にして増殖する。
処理後の水は沈殿地で汚泥部分を沈降させ清水部分を排水している。
沈殿地の上水(うわみず)である清水は各種の測定を行い、排水基準
に適合していれば工場外へ排水される。
 汚泥部分の大半は廃水が入ってくる曝気槽に戻され、再び廃水の
処理を行う。微生物が生息する汚泥は増えてくると余剰汚泥として
脱水し焼却処理を行う。

 このように人間や他の動物には害のある化学薬品が無毒化される
という実に不思議な能力を持った特定の微生物が、この世にはたくさん
存在するのである。とても興味深い生物の多様性である。

 今、ある微生物群が注目されている。一般にはEMと呼ばれている。
EMとは有用微生物群と言う意味だ。このEMに出合ったのは、かれ
これ二十年も前になる。
 さしたる文献もインターネット上の情報もなかった頃のことである。
当時、微生物によって環境を変えると言うことに非常に興味を感じ、
販売され初めて間もない頃のEMを買って様々に使ってみた。
 まずは畑に使い、次に生ゴミ処理に使ってみた。しかし、畑に使用
する方法も生ゴミに使用する方法も中途半端(今になって考えると)
で見事に失敗してしまい、以来、使用していなかった。

 そして、つい最近、地元の環境衛生協議会の人達が中心となって
学校のプールに使ってみようと言う話が出た。そして、ある小学校で
実際に投入が始まった。
 使うからにはEM教育が必要だと言うことで、小学生に対しEM
教育なるものを頼まれ、近い内に実施することになった。それが
きっかけで再びEMなるものとのつきあいが始まった。

 今は二十年前と違い、文献も多いしインターネット上の情報も多い。
何よりも二十年前の失敗や工場で微生物を使い廃水処理を行っていた
という経験もある。
 こうして再び微生物に関する勉強を再開してみると目から鱗のような
話も少なくない。いちいち納得のいくことばかりである。決して妄信的
にEMを推奨するわけではないが、少しずつ使用実績を積み上げながら
EMの有用性を追求していきたいと考えている。

 今は失敗した畑での使用と生ゴミ処理を行い、ボカシやEM発酵液
を作っている。いずれも順調に推移している。使い方や培養の仕方など
方法を誤らなければ難しいことではない。

 未だ実績と言うにはほど遠いが、二、三年をかけて何とかそれなり
のものを掴みたいと考えている。この活動が契機となって多くの方々
と知り合いになり、私の地球温暖化防止推進員としての活動基盤も
出来はじめた。
 何よりもうれしいのは同じ指向性を持った知人が幾人か出来たこと、
そして子ども達にEMを通じて環境教育や「人の生き方」についての
話が出きることである。

 それにしても奇妙なのはEMという微生物の世界である。どっち
つかずの日和見型が大半で、時に応じて腐敗型と蘇生型の力が強い方
になびくという、この有り様は何か人間世界にも似ていて面白い。
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日教組攻撃

2008-10-07 11:30:53 | Weblog
 自民党議員による日教組を中傷する発言が相次いでいる。何を今更
という感もなきにしもあらずだが、日教組の名誉のためにも一言述べて
おきたいと思う。お断りをしておくが、私自身、日教組との利害関係
は全くない。

 さて、日教組は戦前の軍国主義教育を悔いた良心的な先生達が
「二度と再び教え子達を戦場に送るまい」と固い決意の元に結成
されたと聞いている。誠に尊い理念の元に作られた組織である。

 従って、戦後一貫して君が代や日章旗の掲揚には反対をしてきた。
それは君が代も日章旗も太平洋戦争までの日本軍の旗印であった
からだ。戦争動員へのシンボルに対し、簡単には妥協できなかった
理由は十分理解できる。

 本来、日本の国歌や国旗としては、君が代も日章旗も国民総意と
いう意思統一が必要だったのではないだろうか。それを政府自民党は、
あたかも国民総意であるかのような押しつけをしてきたことに対し、
日教組としては決して妥協できないと言う深い理由があったと思う。

 日本国憲法では天皇は象徴となっている。従って、国民主権の今の
世に天皇を尊ぶような国歌は馴染みにくい。もっと開かれた国民総意
の国歌が必要なのではないだろうか。むろん、戦争責任がすべて天皇
にあったわけではない。

 自民党議員の発言の中には、社会道徳が失われた今日の社会を
招いたのは日教組だと言わんばかりの発言が目立つ。しかし、教育は
日教組だけが行ってきたのではない。

 子ども達の教育の多くを担わなければならなかったのは私達家庭に
おける親であり、地域における大人達ではなかったのか。子ども達と
一番接触が多いのは学校ではなく家庭であるはずだ。

 高度経済成長期にあっては父親不在という家庭も少なくなかった
はずである。私の同級生の中には会社勤務の大半を単身で海外で
過ごしたという人もいる。父親が単身赴任という家庭も多かった
はずだ。そんな家庭に充分な家庭教育を行う余裕があったであろうか。
 それもこれも高度経済成長を助長してきた政府自民党ではなかった
のか。

 また、教科書検定では再三に渡り歴史問題を取り上げ修正させて
きたのは政府自民党ではなかったか。その度に近隣諸国からクレーム
を付けられ、修正を余儀なくされてきた。
 そんな中途半端な検定を行っているから正々堂々たる反論が出来
なかったのではないか。戦後教育の大半の責任は科学文部省にあった
と言っても過言ではない。

 現場の意見を聞かず、半ば押しつけのように制度を次々に変えて
きた。その結果教壇に立つ先生達が、どれくらい苦労し苦しんできた
のか分かっているのだろうか。
 先生達は子ども達と、もっと人間らしい触れあいをしたいと思って
いても、その時間的、精神的余裕さえないほど、不毛とも思えるような
事務作業に追われている。
 これで良い教育をせよと言うのだろうか。教育は紙を提出さえすれば
事足りることではない。もっと子ども達と触れあってこそ充実した教育
が出来るのではなかろうか。

 先の中山氏や町村氏の日教組発言は、モンスターペアレントと
呼ばれている人達にとって都合の良い先生や学校攻撃の材料に
なるのではないだろうか。彼らに、だから学校が悪いと言わせる
ようなものだとは思わないのだろうか。

 現場の先生達の中には、こうした心ない親と教育委員会との
板挟みに苦しんでいる先生が少なくないと聞いている。精神状態が
不安定になっている先生方も少なくない。こうした先生達を励ます
ような温かい言葉が何故出てこないのだろうか。

 私の知る限り日教組に入っているからと言って特別な先生はいない。
むしろ入っている先生達ほど、まじめで教育熱心な人が多い。

 また、私の知る限り日教組はずいぶん組織力が弱くなった。今更
目の敵にするような影響力は持っていないように思える。もっと強く
なって、ともすれば右指向の教育を正しく国際的に通用するような
歴史教育をして貰いたいくらいだと思っている。
 大事なのは神話時代の歴史教育ではなく、幕末から明治維新を経由
して敗戦に至るまでの歴史教育である。

 先生方も一人の親である。その親が子供達の将来を考えぬはずが
ない。親としての視点と教育者としての視点を持っているのは先生
だけである。誹謗中傷にくじけることなく子ども達の将来のため
厳しい教育環境を乗り越えて欲しい。心からそう思い応援している。
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政治的混乱

2008-10-06 06:54:28 | Weblog
 何とも世の中は騒然としている。こうした状況を少し距離を置いて
見てみると、人間の歴史の中では何度も繰り返し行われてきたように
感じられるのだが、そう感じるのは私だけであろうか。

 恐らく世の中に大きな変化が現れる時は、同じような状況なのでは
ないだろうか。残念ながら人間の寿命はわずか数十年なので昔のことは
誰にも分からない。

 そして、それは人間というものの生まれ合わせた時からの宿命なの
かも知れない。平和なときはなかなか長続きせず、常に騒然とした
状況が、人間というものがこの世に誕生したときから続いているように
思えるのだが。

 植物にも他の動物にも決してこのようなことはない。自然には地球
環境や外的な問題による大きな変化はあっても人間社会のように騒然
とはしていない。自然のままに、ゆったりと静かに時間は流れている。
それが自然というものである。

 ここに60億を越えるような人間が存在するばかりに数え切れない
くらい多種多様な問題が生じている。


 さて、サブプライムローンに始まった経済危機は収まるどころか
深刻さを増している。今回はヨーロッパ諸国も他のアジア諸国も
蚊帳の外の問題ではなかった。大きな影響を受け金融機関などの
一時的な国有化が続いているようだ。

 日本の諸銀行がどれくらいの影響を受けているのか定かではないが、
アメリカバブルの頃、我が内のバブル処理に追われていてアメリカ
バブルの恩恵を受けることが出来なかったことは幸いであった。

 しかし、常に追いつ追われつの競争の中で、このような問題の発生
は宿命のようなものである。マネーゲームと呼ばれているが、まさしく
マネーゲームそのものである。早く、このような愚かな経済競争から
脱却すべきではないだろうか。実態のない経済ほど一般の人にとって
迷惑な話はない。せいぜい個々の企業実態に即した証券取引ぐらいが
マネーゲームとしての限度ではないだろうか。
 紙で紙を買っているのが今のサブプライムローンの問題だ。所詮、
実態のない経済取引は幻と言うべきか。

 しかし、こうした取引に大きく依存しているのがアメリカの年金で
あり、日本の年金もまたしかりである。資産運用という形で多額の
カネが流れ込んでいると聞いている。いずれどこかに流れ込んだカネ
は新しい投資先を狙っているに違いない。

 お金はあくまで生活の手段に過ぎない。金や銀や価値あるものの
代わりに考え出され、それは売り買いされる物に結びついていた。
お金はお足と呼ばれた時代もあった。つまり足があって常に世の中を
循環しているからこそ価値があって、どこかに貯め込まれた金は
死蔵金と言われ価値を失ってしまう。

 しかし、この死蔵金が増えている。一部の大金持ちの蔵の中や
私達の老後や何かあったときのお金として貯金されている。こうした
お金が滞留することなく流れている状態が健全な状態である。

 そのためには今の税制を変え高所得者からは貯めていても損をする
ように所得税などを高くし、私達の老後のカネは貯めなくても良い
ようなシステムを作ることである。

 そして、紙で紙を買うような実態のない経済活動は厳しく取り
締まるようにしなければならない。また、労働に見合った賃金が
得られるようなシステムを作り、日本の高度経済成長を推進して
きた国内の購買力を上げることである。

 しかし、過去に繰り返してきた公害や大量消費によるゴミ問題は
二度と再び生じては行けない。そのためのリサイクルシステムや
省エネや私達自身の生活のあり方も見直す必要があるだろう。

 少なくとも農業生産の効率化アップと半分以上を他国に依存して
いる食糧問題を早期に解決していく必要があるのではないだろうか。
そのためには私達自身の食生活まで大きく踏み込んだ見直しが
必要だと思うのだが。

 漁業も獲る漁業から育てる漁業へ大きな舵取りが必要だ。そして
漁業に依存している人達が率先して環境問題に取り組んでいくことが
必要だ。何しろ海は漁民にとって自分の畑や田圃なのだから。

 政治を揺るがすアメリカの経済問題は形を変えた黒船だと見えなく
もない。たがの緩みきった政治担当能力を失った幕府(自民党政府)
に対し、開国を迫る黒船(経済基盤を失い政治的権威までも失墜
しつつあるアメリカ)に、いつまで付き従うのかと問われている
ように思われる。

 自主独立の道を模索すべき絶好のチャンスではないだろうか。
そして、政治だけでなく莫大なアメリカ国債を背負わされている
この実態を早期に解決すべき時ではないだろうか。

 時あたかもアメリカの大統領選挙の年である。チャンスは今しか
ない。北朝鮮は素早くこの状況を見抜き核開発再開を宣言している。
なかなかに抜け目のない国である。

 日本も総選挙が近い。今こそ政治体制を変え、新生日本としての
道を模索すべき時ではないだろうか。そのためには私達の貴重な
一票の力を存分に発揮すべき時だろう。
 今こそ日本を変える絶好のチャンスだ。
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