人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

地震対策

2007-09-30 16:50:50 | Weblog
 世界各地で大きな地震が起きている。今日もニュージーランド南島
近くのオークランド諸島を震源地とするマグニチュード7.4という
大きな地震が起きたと報じられていた。

 そして、このブログを書いている最中の10月21日に神奈川県
箱根町付近を震源とする比較的大きな地震が発生した。さしたる被害
はなかったようで幸いであった。何かしら大きな地震が発生するのでは
ないかと言うような予感がして仕方なかっただけに、偶然とは思えない
気がしている。
 東海地震や東南海地震や南海地震と言った太平洋側の巨大地震は
いつ起きても不思議ではない危険周期に入っている。それだけに
不気味である。とにかく油断は大敵である。
 こうした周期性を持った巨大地震は年を追う毎にエネルギーを蓄積し
危険度を増している。10月1日から緊急地震警報が発令されるように
なった。この警報を活用し人的被害が最小限に留まるように心がけたい
ものである。

 さて、土曜日、日曜日と岡山県の「吹屋ふる里村」や「彩りの里宇治」
といったところへ行って来た。土曜日の午後、倉敷市水島の福田公園を
出発し、一路、高梁川沿いを北上し「吹屋ふる里村」に着いた。
 かつて、ここでは銅の精錬が行われていたようである。銅を精錬する
事を「銅を吹く」といった関係で、「吹屋」という地名が今日まで
残ったのではあるまいか。
 今は山間部に小さな集落が残っているだけのひなびた町である。
しかし、往時は銅やベンガラと言った産物によって大変栄えたようで
ある。その面影を今日まで伝えるのが、この町の重要伝統的建造物群
である。
 屋根には赤みを帯びた釉薬瓦、壁はベンガラを混ぜた赤い壁、そして
道路に面した側には格子戸と言った町並みは、この集落特有のもので
ある。かつては、格子戸にも赤い色をしたベンガラが塗られていた
ようである。
 私が育った神辺の町にも、そんな家があったような記憶が残っている。
化学染料や有効な防腐剤などなかった時代、塗料としてのベンガラは
非常に貴重なものだったようである。それだけに町が潤うだけの収入が
あったに違いない。
 こんな山深い町に不似合いとも思えるような豪邸も少なくない。人と
物が集まるところ、人や物が行き交う所には町が出来、繁栄をしてきた。
きっとこの町にも、そんな時代があったに違いない。

 私達はこの町を散策し、買い物をした後、宇治というところに
向かった。ここも山間部の小さな集落である。京都の宇治と同じように、
ここでは一時期、お茶の生産が盛んであったようである。
 しかし、今はお茶に代わってピオーネという大粒で甘い葡萄が生産
されている。ピオーネは、この地の特産品として定着したようだ。
同行した仲間の親戚も葡萄農家であった。加温による栽培と露地栽培
を行っている。今は露地物の出荷最盛期であった。
 経験者でなければ分からない事だが、果物作りは非常に手間暇が
かかるものである。5房で2500円という金額は決して高いもの
ではない。
 ここは夏場の寒暖の差の大きい土地である。そして、雨も適度に
降る。果樹栽培には適した土地であると言うことは言うまでもない。
ピオーネだけでなく栗もたわわであった。

 私達は元仲田邸という古い建物を利用した宿泊施設に一泊した。
大庄屋の建物であったというだけに、敷地も建物も大きかった。
この建物も吹屋と同じように釉薬瓦を使っていた。
 広い田園すら見当たらないこんな山間地に、こんな立派な建物を
建てることが出来る財力が何処にあったのか、同行者誰しもの疑問
であった。如何に庄屋とは言え山間部の農産物による収入は限られて
いるはずだ。何か、それに代わるような産物があったはずである。
この家の所蔵品だったという掛け軸が蔵を改造した展示室に飾って
あった。いずれも有名な絵師に描かせたものに違いない立派な
掛け軸であった。

 この宿の特徴は田舎料理と温かいもてなしであった。田舎料理とは
言えその品数の多さや味は決して他の宿に劣らない。

 旅行の魅力は何と言っても景色だろうが、それにも増して人の触れ
合いこそが、旅の印象を濃くするものである。その人の触れ合いが、
この集落全体にあった。

 ある農家の老婦人が私達が倉敷から来たと伝えると、「よく、まあ
遠いところからお越し下さいました」と実に丁寧な挨拶があった。
私達が道を尋ねた農家のおじさんは、わざわざ作業をやめて道案内を
してくれた。途中の農家で買った葡萄を私達の先回りをして宿まで
届けてくれた。友人のお姉さんは取り立ての葡萄をみんなで食べて
くれと、たくさん持たせてくれた。みんなこの土地の人は実に親切で
あった。

 心温まる歓待を受けて、この地を後にした。秋の小糠雨が降り続いて
いる山あいの道をひたすら倉敷に向かって走った。道の両側には黄色い
花とサルビアの赤が通り過ぎる私達を見送ってくれた。
コメント
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