人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

断捨離

2015-03-16 06:27:17 | Weblog
 断捨離(だんしゃり)とは、不要なモノなどの数を減らし、生活や人生に調和をもたらそうとする生活術や処世術のこと。
基本的にはヨーガの行法、「断行(だんぎょう)」、「捨行(しゃぎょう)」、「離行(りぎょう)」という考え方を応用して
人生や日常生活に不要なモノを断つ、また捨てることで、モノへの執着から解放され、身軽で快適な人生を手に入れようという
考え方、生き方、処世術である。単なる「片づけ」や「整理整頓」とは一線を画している。

断=入ってくる要らない物を断つ 
捨=家にずっとある要らない物を捨てる
離=物への執着から離れる
ウイッキペディアによると、以上のように解説されている。

 私も断捨離とは程遠いが何年かぶりに大掃除を行った。その結果、廃棄物処理場へ何度も通わなければならないほど大量の
廃棄物が出来た。

 恐らく、その時には何か必要性があって残したものに違いない。それらは使われることなく何年もの間、押し入れの中や
物置に仕舞い込まれたままのものであった。書類もあったし本もあった。パソコンもあったしパソコン関連の電子機器もあった。
全ては、ここ数十年のすさまじいほどの身辺の変化と機械類の進歩によって無用の長物となってしまったものであった。

 これら夥しい廃棄物を後生大事と仕舞い込んだ頃に、こんな日が来ようとは思いもしなかったことである。その一つに私の
年齢があった。これらをいつかは使うことがあるだろうと仕舞い込んだ若い頃なら無限とも思えるほどの時間があった。
無限の時間とは今となっては勘違いだったのだが、その頃はあると信じていた。

 今の私にそのような時間が残されているだろうか。否、残された時間は秒読み段階に来ていることは間違いない。過ぎて見れば
全ては泡沫(うたかた)のようなものであった。そして残された時間を思うと、心の中に大きな変化が出てきた。

 人間は、生まれてくるときも、この世を去る時も裸一貫である。何も持たずに誕生し、何も持つことは出来ないままに
あの世へと旅立つことになる。この世に存在するもの全ては、この世で生きていくためには必要なものであっても、あの世なる
ところでは全く必要のないものばかりである。

 自分の肉体も然り(しかり)である。肉体もこの世に存在するために必要なものであって、あの世へ旅立つときは全てを
脱ぎ捨てていく。この世で生きていくために必要な上着や下着のようなものである。従って脱ぎ捨てたものは全て燃やされて
灰燼に帰すことになる。そのままにしておけば微生物たちによって分解されてしまう。それが世の習いである。

 心の変化と言うものは恐ろしいものだ。あれほど強かった物に対する執着心が徐々に薄れつつある。私達のような年齢に
なって、なおもお金に執着している人を見る時に、実に愚かしいことだと思わざるを得ない。そうした心にあるものは何なの
だろうか。

 また、人を激しい行動に駆り立てるものは何なのだろう。それは心だ。恐ろしいまでの心の動きに左右されながら人は生きている。
従って、今回の断捨離の真似事も私の心の変化から生まれたものだ。生き方を変えようと思えば、心の見方や考え方の方向を
ほんの少し舵を切って帰れば良い。そうすれば暗く悲しい現実も妙に明るく楽しいものへと変わってくる。それが人生と言うもの
だろう。

 「夢と冒険」とは朝ドラの「マッサン」に出てくるテーマだが、私達がこの世に生を受けた理由ははっきりしている。私達は
この変化に富んだ実に面白い今の世に生まれ「夢と冒険」を楽しむために生きているのだ。
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腸内細菌叢

2015-03-15 06:08:40 | Weblog
 叢(そう)とは鬱蒼(うっそう)と生い茂った草むらとでも言ったら良いのだろうか。つまり一塊の集団とでも解釈すれば何となく
理解できるかも知れない。実は先日のNHKの特集番組でも取り上げられ、この番組を見られた方も多かろうと思うが「腸内細菌叢」に
関することは随分と前から知られていたことである。今更ながらと言う感もなくはない。NHKは時々思いついたようにこのような
特集番組を放映する。

 もう、ずいぶんと前の話になるが、菌根菌(きんこんきん)について放映されたことがあった。つまり草木の根っこの部分に焦点を
当てた番組であった。これは植物に関する細菌叢の話であった。

 さて、がらりと話は変わるが戦後の復興期の農業を支えたものは農薬と化学肥料、除草剤、そして耕運機などの農機具の発達であった。
これらの大々的な導入によって日本の農業は劇的に変化した。

 それまでの農業は家族総動員の農業であった。農閑期には猫の手も借りたいくらいに忙しかった。田植え時期、稲刈り時期は家族だけでは
手が足りず、親戚までもが動員された。

 ところが家族総出で取り組んでも反当りの収量は増えなかった。そこで戦後になって導入されたのが窒素肥料であった。この肥料の導入に
よって一時的には飛躍的に収量が増えた。ところが何もかもうまく行くとは限らなかった。窒素肥料は収量を増やす代わりに病気に弱い稲を
育てることになった。そのために化学肥料と農薬はセットで使われるようになった。

 窒素肥料は稲を成長させる代わりにひ弱なもやしっ子のようなものを育てることになってしまったのだ。当然のことながら病気に罹りやすく
なったのである。そして様々な農薬を使う。つまり悪循環が始ってしまった。

 一方、戦後の経済成長は工場や都会に大勢の若者を必要とするようになった。農家の二男や三男、あるいは女性までもが大量に動員されるように
なった。必然的に農家は人手不足になってしまった。そのために農機具の購入は必要不可欠となり、一年を通してわずかしか使うことのない高い
農機具が農家の重い負担となって、農業経営を苦しめることになった。いわば借金地獄の始まりであった。

 嘘のような本当の話だが、近郊農業をしている人の中には近隣の職場に勤めながら農機具代金を払っている人も少なくなかった。お米の
価格が安いこと、農薬や化学肥料を農協から付けで買っていること。更には耕運機などの農機具代金の支払いに追われていたからだ。
何とも皮肉な話である。農業経営だけでは自立できない農家が増えてしまった。

 こうしてお米だけを生産していたのでは生計を維持していくことが難しくなってきたのだ。その上、どんな山間部の生活でも生活を維持向上
させていくためには現金収入が必要になってきた。昔は塩さえ買えば、大半のものは自家製で間に合わせることが出来た。それが不可能に
なってしまったのだ。完全に近代の貨幣経済の中に組み込まれてしまったのだ。

 こうして不便な田舎暮らしを捨て、現金収入の得られる都会へと人は集中していくことになる。これは日本だけのことではない。大なり小なり
グローバル経済と言われている世界戦略の中で、どの国にでも見えられることである。ちなみに隣国の中国では農家は悲惨な状況に置かれている。
共産主義の国家でありながら完全な格差社会となってしまった。富が都会と田舎では極端に偏ってしまったのである。

 さて、本論に戻ろう。実は人間の腸の中の環境も日本の畑や田んぼ、あるいは山中に至るまで、従来型の環境から大きく逸脱している。
例えば人間のお腹の中を見てみよう。一汁一菜が基本であった日本人の食事は戦後になって激変した。飽食は言うに及ばずカロリーの高い
食事となり、肉食へと大きく変化してきた。日本人の腸が長いのは穀物を中心とする食事が長く続いて来たからであって、どちらかと言うと
草食系の作りになっている。

 肉食は戦後の栄養学やカロリーを中心とする食事指導の普及によって「タンパク質」が足りないとして大いに宣伝され普及してきた。
しかし、そんなに肉食は必要なのだろうか。それなら江戸時代やそれ以前の時代を生きてきた人はどうだったのだろう。それを言えば寿命の
問題や栄養失調による感染症のことを持ち出す人がいるかも知れない。しかし、大腸がん等と言う病気は肉食が進むにつれて増えてきた。
大腸癌などと言うものが癌の大きな部分を占めるようになったのは、明らかに肉食との関連が少なくないと思われる。

 つまり肉食は田んぼにおける化学肥料同様の作用を及ぼしている。いわゆるこのテーマである腸内の細菌叢が肉食等によって明らかに
変化しているからに他ならない。若い世代は、それはそれでも良い。体が活性化している年齢層は活発に酵素を作り出しているからだ。
しかし、高齢化するに連れ、タンパクや油脂を分解する能力が落ちてくる。消化を助ける酵素が足りなくなってくるからだ。つまり体の
構造は成長期と明らかに異なって来ている。子供たちの成長期には成長期の食べ物が必要で、高齢化すると使用するエネルギーも
落ちてくるから、それほど食べなくても生命を維持することが出来るようになっている。

 また、栄養学に基づく指導は一般論であって万人一様のものではない。植物を育ててみると分かるように同じ品種であってもその成長は
実に様々である。それが個(個性)と言うものであろう。従って、食が細い人もいれば、大食いの人もいる。食が細いからと言って必ずしも
栄養失調になるわけでもないし、寿命は寿命なのである。どんなにしていても死ぬときは死ぬし、栄養学とはおおよそほど遠いものである。
それどころか大食いが習慣化してしまい過剰にカロリーを取りすぎると、かえって糖尿病などになりやすい。現代医学や栄養学は詳しいことを
述べているようで、実は当を得ていないことが多すぎるように思われる。そして画一的である。

 戦前の田んぼは、常に窒素肥料が不足状態だったと言われている。ところが植物も窒素過多になると病気になりやすくなり、おまけに
除草剤や農薬などの影響を多分に受け、本来の土であるべき姿を失っている。人間でいうところの腸内細菌叢が壊れている状態なのだ。
そのことに気が付いたリンゴ農家の木村秋則さんは一切の化学肥料を使わず、むろん農薬も使わず、長い年月をかけて土を自然のあるべき
状態まで戻していった。つまり人間でいうところの腸内細菌叢をあるべき姿に戻したのである。

 これが功を奏して日本一美味しい無農薬リンゴを作ることに成功した。それまでリンゴは農薬を使わなければ出来ないものだと信じ
込まれていた。今やっと不完全な栄養学とそれによって作り出された生活習慣病、その果てに薬漬けの病院通い、そうした現代医学の
あり様に疑問が投げかけられている。人間や動物が本来持っている免疫力に焦点が当てられようとしている。その免疫力こそ腸内細菌叢
が担っていることが明らかになりつつある。

 実は昨今の乳酸菌や酵母など、日本人が古くから食してきた発酵食品の文化の中に、そのヒントが眠っている。人間の体の細胞数ほど
の数の微生物たちとの共生関係こそ、人間の体を支えている根っこの部分の腸内細菌叢であることを、もう一度考えてみたい。
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大震災から4年

2015-03-13 06:31:28 | Weblog
 思い出せば4年前の3月は底冷えのするような日が続いていた。私達は児島創作ミュージカル「最後の五匹」の練習に忙しい日々を
送っていた。そして、いよいよ本番の日が近づいた頃、この大災害が発生した。驚異的な震度9と言う大地震とそれに伴う大津波
更に福島第一原子力発電所の爆発と、あってはならない事故が重なった。ただでさえ寒いのに心から震えが湧いてくるような大事件で
あった。


 突然に襲われた巨大地震による大津波、この大地震にさえ耐えた多くの住宅が、いとも簡単に水に飲み込まれていく様子をテレビで
見ていて、手先が小刻みに震えていたことを思い出す。リアルタイムに送られてくる映像は、それほどに恐ろしいものであった。

 このニュースを聞いたのは「みんなの雑記帳」という同人誌の編集会議があっての帰りのことであった。普通なら点けることのない
カーラジオのスイッチを入れた。途端に広範囲の太平洋沿岸に大津波警報が発せられていると言う繰り返しのアナウンスであった。
「ええっ、本当」一瞬わが耳を疑うようなラジオからの声だった。

 実は私には以前にも同じような経験があった。その時は秋田沖の地震による津波警報であった。二件とも単なる偶然なのか。偶然に
しては、あまりにも出来過ぎている経験であった。私の予感とでも言おうか。何かしら虫が知らせたと言った方が良い経験であった。

 急いで家に帰り、その日はじっとテレビを見ていた。妻はいなかった。テレビに映し出される映像はとても現実とは思えない
ものであった。私は以前から地震や地震に伴う津波に興味があって、色んな文献やネット情報を見ることが習慣のようになっていた。

 その内の一つが「吉村昭」氏が書かれた「三陸海岸大津波」と言う、繰り返し三陸地方を襲った大津波の証言記録をまとめた本の
事であった。この本の存在を知ったのは偶然のことからだった。ちなみに「吉村昭」氏の出版物は好きな読み物の一つで多くの本を
読んでいる。

 この本は、繰り返し三陸地方を襲っている数々の大津波について古老たちの証言を元にまとめたものである。この本の中には
今回の大地震に伴い大津波に襲われた各地での取材記事が掲載されている。いずれも教訓に満ちたものである。今回の大津波でも
これらの体験記録が生かされていれば、あるいは多くの人命を救うことが出来たかもしれない。生きておられれば執筆者の吉村氏は
今回の大災害をどのように記録したであろうか。

 また、少なくとも福島の原発の爆発事故は防ぐことが出来たはずである。いつでも予測を上回るような天災は生じるものである
ことを肝に命じておくべきだ。遅い早いの差はあるものの各地での復興は進んでいる。しかし、未だ先の見えないのは原発事故現場
だけである。ここには手を付けようにも付けられない状況がある。それは強力な放射能の存在だ。こればかりは現代のどんな技術を
もってしても解決できそうにない。炉心の溶融は今も地中深くで進んでいるとも言われている。

 本当に東京電力の関係者や原発事業を推進してきた人たちや、政府関係者は解決しようと言う気があるのだろうか。ただダラダラと
時間を引き延ばしているだけなのではないだろうか。そんな気がしてならない。

 放射能被害は大津波や地震の被害を逃れた人たちをも不幸にしている。存在することを確認することすら難しい放射能の影に
おびえて暮らしている。そして、そうした心配が人を不幸にしている。全く先を見通すことが出来ないからだ。原発事業を強力に
推し進めてきた人たちの罪は大きい。

 そして、今もまた原発再開に向けて動き始めている。この地震大国、津波大国に安全地帯はない。どこかで何かが生ずる危険性は
常に存在している。これ以上の不幸を作らないためにも原発に無関心な人も、あるいは原発の安全神話にどっぷりと浸かっている人にも
もう一度よく考えて貰いたいと思っている。

 原発に関する報道はほとんど行われていない。何の報道がないのも不思議であり不気味でもある。果たして被曝地で奇形や病気
などの事象は出ていないのだろうか。体の異変を訴える人はいないのだろうか。既に4年が経過しようとしている。事態の深刻さを
煽る側の人達は、これから本格的な影響が現れ始めると盛んに言っている。何もないことを祈るばかりである。

 報道によるとチェルノブイリでは今もなお子供たちの多くが深刻な症状にさらされていると報じられている。果たして日本では
何も起こらないと言い切れるのだろうか。
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マッサン

2015-03-07 05:58:51 | Weblog
 春の空は明るい。しかし吹く風は冷たい。「春は名のみの風の寒さや・・・」そう、早春賦の歌詞にもあるように
今はその季節なのだ。しかし、木々の芽吹きには、待ちきれない風情が垣間見える。サクランボの蕾もブルーベリーの
蕾もはちきれんばかりに膨らんでいる。

 NHKの朝ドラも終盤に近付いてきた。我が家の朝食は「マッサン」の放映時に始まる。この度は一馬とエマの恋、
そして一馬の出征という場面であった。懸念された「赤紙」が一馬に来て以来、三日間、一馬の出征を巡るマッサンの
家族と一馬の家族の苦悩や悲しみを描くものであった。

 あの時代には、千人いれば千人の出征兵士の悲しみ、あるいは苦悩のドラマがあったはずだ。その数たるや千や万に
止まらない。何十万と言う若者が家族と別れ戦場へと向かった。何のための戦争だったのか。未だ歴史を明確に解明に
しないまま今日に至っている。

 この国の不幸は何事によらず、全てを有耶無耶に済ませてしまうことにある。それは福島第一原発の事故と安全対策を
怠った時の政府と企業の責任追及の甘さにも表れている。そして事故の解明も進まないままにメルトダウンは続き、今も
なお汚染水の垂れ流しは続いている。

 そして、そうした姿勢は学校における歴史の勉強にも明確に映し出されている。戦後間もない私達の時代も、そして
今日も明治維新以降の歴史については、ほとんど学んで来なかった。何故かしら関係のない鎌倉だとか、平安だとか
戦国時代から江戸時代、それも年表を学ぶかのような、さして問題にはならない年号と、その年に生じた印象的な事件
だけの丸暗記であった。単なる試験のための勉強であった。

 歴史と言うものは年号が必要なのではなく、その事件なり、出来事の検証が必要なのであって、その理由はそうした
過去の出来事から学ぶことがあるのではないかと言う見地から勉強するのである。しかるに年号と事件の表記だけを学んで
何の役に立つと言うのであろうか。今風に言えば「意味が分からん」のである。

 ましてや明治以降の富国強兵に走った時の政府、そして、その後押しをした国民、更には、その後の中国大陸への進出
支那事変や満州事変と呼ばれている中国との戦争、これらの検証なくして今日の日本を語ることは出来ないのではないだろうか。
そして、今また時の政府は大きく道を外れようとしている。こんな時代にあって、こうした過去の歴史は教訓に満ちている。

 戦争に良い悪いの区別はない。戦争はしてはいけない。それは多くの不幸な人を無尽蔵に作り続けるからだ。戦争を
回避するための道は幾つでもある。そして、今日の戦争の多くが理由などあるはずもなく、あるもの達が彼らの必要の
ために作り出している戦争だからだ。そんなものに簡単に乗せられてはいけない。

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