今まで活弁を通じてNHKの取材を受け、その後、地元紙である
山陽新聞の取材を受け、更にはRSKのラジマルが自宅にまで来て
インタビューをしてくれた。
この間、岡山の光南台公民館では活弁の実演が取材対象となって
RSKや地元ケーブルテレビoniビジョンが取材報道してくれた。
そして今回は、倉敷のケーブルテレビに生出演する事になった。
これは私から児島活弁シネマライブの宣伝を兼ねた取材依頼をした
ことに始まる。
実は、その前日に思いがけない電話があった。昨晩KCT(倉敷
ケーブルテレビ)から電話があり、児島市民文化祭の作品展の取材
に行きたいので、誰か立ち会って貰えないだろうかと言うもので
あった。
直接電話を受けた人も他の人も、あいにくこの時間帯には所用が
あり、急遽、私に応対して欲しいとの要望であった。既に会場へ
来ているとのことで、取るものもとりあえず展示会場へ駆けつけた。
そこで簡単なインタビューを受け、展示品の撮影を終えて取材班は
帰っていった。
そして、その翌日である10月27日がスタジオ入りの日であった。
16時にKCTに着き、台本の確認とリハーサルが行われた。そして
本番となった。
インタビューの内容は作品展や舞台発表の他に、活弁についてで
あった。家内と私が交互に答えた。活弁とはいかなるものかという
簡単な質問の後、映像無しで活弁の一こまをやって欲しいという要望
に応えて、ほんの少しばかりやってみた。
こうした事がお知らせとして流れ、その後、ケーブルテレビで見たよ
と幾人かの人から電話があったり、声をかけられた。二人とも失敗なく
スタジオ生出演は終了した。
実は、このような初体験以上に大きな出来事があった。この番組の
担当ディレクターが長男の高校時代の親友だったことである。
親友だった事と、聞けば我が家にも来たことがあるとの事であった。
長男にメールすると本当に懐かしいと言っていた。もう十数年以上
会っていないようだ。
お互いに紆余曲折があって今を生きているとの事であった。活弁を
通じての偶然とは思えないような出来事は今も続いているらしい。
山陽新聞の取材を受け、更にはRSKのラジマルが自宅にまで来て
インタビューをしてくれた。
この間、岡山の光南台公民館では活弁の実演が取材対象となって
RSKや地元ケーブルテレビoniビジョンが取材報道してくれた。
そして今回は、倉敷のケーブルテレビに生出演する事になった。
これは私から児島活弁シネマライブの宣伝を兼ねた取材依頼をした
ことに始まる。
実は、その前日に思いがけない電話があった。昨晩KCT(倉敷
ケーブルテレビ)から電話があり、児島市民文化祭の作品展の取材
に行きたいので、誰か立ち会って貰えないだろうかと言うもので
あった。
直接電話を受けた人も他の人も、あいにくこの時間帯には所用が
あり、急遽、私に応対して欲しいとの要望であった。既に会場へ
来ているとのことで、取るものもとりあえず展示会場へ駆けつけた。
そこで簡単なインタビューを受け、展示品の撮影を終えて取材班は
帰っていった。
そして、その翌日である10月27日がスタジオ入りの日であった。
16時にKCTに着き、台本の確認とリハーサルが行われた。そして
本番となった。
インタビューの内容は作品展や舞台発表の他に、活弁についてで
あった。家内と私が交互に答えた。活弁とはいかなるものかという
簡単な質問の後、映像無しで活弁の一こまをやって欲しいという要望
に応えて、ほんの少しばかりやってみた。
こうした事がお知らせとして流れ、その後、ケーブルテレビで見たよ
と幾人かの人から電話があったり、声をかけられた。二人とも失敗なく
スタジオ生出演は終了した。
実は、このような初体験以上に大きな出来事があった。この番組の
担当ディレクターが長男の高校時代の親友だったことである。
親友だった事と、聞けば我が家にも来たことがあるとの事であった。
長男にメールすると本当に懐かしいと言っていた。もう十数年以上
会っていないようだ。
お互いに紆余曲折があって今を生きているとの事であった。活弁を
通じての偶然とは思えないような出来事は今も続いているらしい。