人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

梅雨の前に

2008-05-28 20:46:52 | Weblog
 梅雨に入る前にと思いタマネギを収穫した。品種にもよるのだろう
が今年のタマネギは総じて玉ぶとりが良いようだ。むろん、大小さま
ざま、中にはラッキョウよりほんの少しばかり大きいようなものも
ある。

 今年は夜間の気温が低いせいなのか、それとも冬の気温が低かった
せいなのか、春先から今までの害虫の被害が少ない。ここのところの
気温上昇で、さして期待していなかったリンゴの津軽やナシやモモの
清水白桃や白凰も実付きが良い。日々喜びを感じながら袋を掛けて
いる。
 枇杷も例年ほど害虫にやられることなく今、ほんの少しではあるが
色が付き始めている。孫の玄が、野菜であろうが果物であろうが喜んで
食べてくれるので作る方も精が出る。どんな顔をして喜ぶのだろう、
想像するだけで作る励みになっている。
 その枇杷も来週ぐらいから6月半ば頃までには、終わるのではない
だろうか。我が家の枇杷は熟すのが早い。

 野菜は一通り夏野菜の定植が終わり、トマトには小さな実が付き
始めた。どの野菜にも今年は出来るだけ化学肥料は使わないように
している。代わりに使っているのは米糠と油粕だ。この両方とも
腐ってからでないと肥料にはならない。即効性ではないのだ。
 そのためか、どの野菜も定植後伸びるのが遅く色も良くない。
肥えた土をいかにして作るかが、化学肥料を少なくするためにも研究
の必要がありそうだ。特に夏野菜は成長が早いので即効性のある化学
肥料の方が良いようだ。

 さて、環境問題をテーマにした地元開催のフリーマーケット
(ふれあいマーケット)が25日に終了した。場所の問題や知名度が
少ないこと等あって、来てくれた人はわずかであった。また、出店数
も少なかった。主催者のFTK(ファッションタウン児島推進協議会)
としても今後の検討課題であろう。
 今回は岡山県の環境学習センターからも設備をいくつか持ってきて
展示して貰ったが、残念な事であった。この児島での行事としては、
これからのようだ。
 その後、27日には児島ロータリークラブの招待で、定例会での
ゲストスピーカーとして講演をやらせて貰った。テーマは地球温暖化
問題であった。わずかに30分間という短時間の講演だったので多く
を語ることは出来なかったが、イースター島を引き合いに出しながら、
明日の地球がイースター島になりつつあると訴えた。

 大洪水の一方では大干ばつが起きている。淡水の確保が急務となり
つつある。氷河が消失すれば下流域の生活は深刻な水不足となり毎日
の生活用水や農業さえ出来なくなってしまう。そんな日が遠くない
将来に待っている。
 莫大な水は森林と不可分な関係にある。多くの古代文明が森の消滅
と時を同じくして衰退したことを考えれば、今の地球は部分的な文明
ではなく世界規模の文明が消滅の危機にあるのではないか。そんな事を
講演の中で訴えておいた。

 何はともあれこれから先、何があるか分からない。農業にもそんな
ところがある。今の出来は良くても人の口に入るまでに何があるか
分からない。風も吹くだろう。鳥の被害もあるだろう。農業とは自然
そのものとの共作なのである。
 梅雨に入るまでにはジャガイモの収穫が残っている。「すもも」の
収穫もこれからだ。「すもも」は長雨を嫌う果樹である。さて、今年
の出来は如何なものであろうか。
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原油暴騰

2008-05-23 21:08:31 | Weblog
 まさに天井知らずの原油高である。いったいどこまで高騰する
のだろう。何しろ今日の経済の根底にあるのは原油である。原油なし
では一日たりとも過ごせないような社会構造になっている。

 実はほんの数十年前までは原油などなくても暮らしていくことが
出来たのである。私が子供だった50数年前、石油コンロなるものが
やっと市場に出回り始めた。それまでお米の煮炊きもおかずを作る
のにも薪や炭を使っていた。むろん暖房にも炭を使っていた。炭に
続いて使い始めたのが練炭や豆炭であった。

 我が家では近所に先駆けて石油コンロなるものを買った。これは
実に便利が良かった。石油コンロの空気ポンプでタンク内に圧縮空気
を送り込んでおくと灯油は青白い炎を出して燃えた。こんな炎を見た
こともなかったから実に新鮮な驚きであった。こうして我が家の石油
元年は始まったのである。
 しかし、石油を使ったのは石油コンロまでで、石油ストーブなる
ものが登場するにはもう少し時間が必要だった。

 その後、石油コンビナートなるものが各地に出来たのが昭和38年
以降であった。このころから石油の需要は想像を絶するくらいに増え、
その後のオイルショックもものともせず需要は増え続けたのであった。
 発電所も水力発電から火力発電へと移り変わり、石油製品が次々と
登場し、電化製品も次々に開発され、石油需要は拡大の一途を続けて
きた。それが昨今の姿である。

 石油の需要はプラス面ばかりではなかった。思わぬ落とし穴があった
のだ。それが大量のゴミであり、地球温暖化問題であった。鉄とプラス
チックが、それまでの産業構造を根底から変えてしまった。電気の需要
は石油だけでは追いつけず(多分に政策的な面もあるのだが)原子力
発電に大きく依存するようになってきた。

 そして今は原油高、背景には多分に投機的な動きもあるようだが、
急速な需要拡大に供給が追いついていない。地下資源であって見れば
無尽蔵とはいかない。中国やインドと言った人口の多い開発途上国の
需要がすさまじい勢いで拡大を続けている。

 四川大地震で壊滅的な打撃を受けた中国ではあるが、復興には莫大
な資金と原油が必要であるに違いない。果たしてこの原油高の中で
復興はうまくいくのであろうか。

 また、原油高に呼応するように食料品が高騰を続けている。まさに
ダブるパンチである。先進国の農業も大きく原油に依存している。
大型の農機具は石油がなければ動かない。農薬も化学肥料もすべて
石油製品である。この石油依存社会が砂上の楼閣のごとく目の前から
消えようとしている。

 その石油が生んだ砂上の楼閣の代表こそが中東のドバイである。
まるで蜃気楼のように砂漠の中に超近代的な建物が次々と建設されて
いる。まさに石油資本が生んだ「あだ花」である。私にはこのドバイ
こそ石油依存社会の終焉を告げるもののような気がしてならない。

 これから私たちはいったい何を考え、どのように生きていけば良い
のだろうか。今こそ真剣に将来を考えなければならないと思っている。
今こそ石油に依存しない生活を考えて見るべき時に来ているのでは
ないだろうか。

 奇しくも先日、無起耕、無農薬、無肥料という米作りの現場を見せて
いただいた。稲の方はこれから植え付けるとの事であったが、野菜の
方は一般的な畑とほとんど変わりがないように見えた。もし、食糧難
の時代が来たら一つのヒントになるような農業であった。

 今は、すべてのことにおいて原点に立ち戻るときではなかろうか。
その点において実に示唆に富んだ農業のあり方であった。
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裁判員制度を考える

2008-05-16 21:29:53 | Weblog
いよいよ来年から裁判員制度が始まる。いったいどんな制度なの
だろう。裁判員は一般の人から不作為に選出され、一定の研修を
受けた後、具体的な裁判に関わるようになるようだ。
 資格は簡単に記されていて下記のような条件さえ有していれば
誰でもなれるようである。

 アメリカには古くから陪審員制度があり、映画などでもおなじみ
である。彼ら12人の陪審員を描いて有名になった映画 『12人の
怒れる男たち』(1957年公開)がある。
 12人のタイプも職業も異なる陪審員が主役という当時としては、
新しい視点の映画だった。アメリカ映画の「法廷モノ」には、ひな壇
に座った陪審員が登場するが、あくまでも脇役というものが多い。
そんな中にあって、あくまで陪審員そのものが主役という珍しい映画
であった。
 来年から始まる裁判員制度を知る上で参考になると思われる映画
である。裁判員制度が始まる前に一度、見てみるのも良いのでは
ないだろうか。

 昨今の事件や裁判などを見聞きしていると被害者の立場と被害者の
人権を擁護しようとする弁護士の立場がしばしば事件の背景にあって、
事の審理の難しさを感じさせられる場合が少なくない。
 私達が過去に見てきた裁判では、被告人の立場を擁護することに
力点が置かれてきたようだ。その結果、冤罪事件などが明らかになり、
無罪を勝ち取った事件も少なくない。

 特に戦後の一時期は戦前からの捜査方法が尾を引いて、自白を強要
され、それが元で死刑を宣告された人も少なくなかったようだ。
 戦後の新しい憲法の元では、状況証拠や証拠品等が優先されるように
なったとは言うが、それでも密室の中での取り調べで自白を強要され、
やむなく調書にサインをしたという事例も少なくない。
 つい最近もいくつかの事件が行き過ぎた捜査として問題になった
ばかりである。

 一方、被害者や被害者の家族の立場を考えると実に気の毒としか
言いようのない事件も少なくない。特に昨今の凶悪な事件を考えると
被害者ならずとも憤りを感じるような凶悪犯罪も少なくない。
 被害者や被害者家族の立場からすれば何とか犯人を懲らしめて
恨みを晴らしたいと思っても不思議ではない。

 また、事件の中には痴漢をしていないのに、わざと痴漢にされて
しまい、名誉だけでなく仕事まで奪われた人もいる。犯人は慰謝料が
目的だったようだが、こんな事件の場合、確たる目撃者もなく本人の
申告だけで逮捕され、密室の中で次第に追いつめられていく様子など
を想像すると、事の重大さを考えざるを得ない。

 裁判官でさえ判断を迷うような事件の多い中で、経験のない私達に
人を裁くことが出来るのだろうか。とかく人の判断の背景には、その
人の日常なり生い立ちなりが色濃く反映するものである。
 神ならぬ私達に、そうしたことを抜きにして的確な判断が出来る
のだろうか。裁判が確定したときに被告人から恨まれるような事は
ないのだろうか。

 恐らく具体的に機能し始めたら色んな問題が生じて来るに違いない。
先輩国であるアメリカでは陪審員の心のケアまで行わなければならなく
なっているようだ。日本でも裁判員制度の始まりに先立って、こうした
ケアの準備もなされるようである。
 凶悪な犯罪などの審理に当たって気の弱い人は、我が事のように
抱え込んでしまいノイローゼになる人もいるのではないだろうか。
ともあれ、裁判員制度は動き始めている。

裁判員の資格として記載されている事項

(1)欠格事由
・義務教育を終了していない人
・禁錮刑以上の刑に処せられた人
・心身の故障のため裁判員の職務遂行に著しい支障のある人  など

(2)就職禁止事由
・国会議員等
・司法関係者
・大学の法律学の教授等
・都道府県知事及び市町村長等
・自衛官
・禁錮刑以上の刑に当たる罪について起訴されて裁判中の人
・逮捕又は勾留されている人   など

(3)事件に関連する不適格事由
・審理する事件の被告人又は被害者本人及びその親族等
・審理する事件について証人又は鑑定人になった人
・裁判所が不公平な裁判をするおそれがあると認めた人  など

(4)裁判員の辞退事由
・70歳以上の人
・地方公共団体の議会の議員(会期中に限る)
・学生又は生徒
・過去5年以内に裁判員,検察審査員等を務めたことのある人
・過去1年以内に裁判員候補者として裁判所に行ったことのある人
・一定のやむを得ない理由により裁判員の職務や裁判所に行くことが
 困難な人(重い病気・けが,同居親族の介護・養育,父母葬式等,
 事業に著しい損害が生じるおそれがある場合など)


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天災は人災

2008-05-15 22:46:40 | Weblog
 実は相次ぐ天災に驚いている。そして、その天災に襲われたところが、
いずれも政治的にも社会的にも不安定なところだと言うことに不思議さ
を感じている。歴史を振り返ると日本国内でも諸外国でも同様な事例が
少なくない。何故だろう。単なる偶然なのだろうか。

 巨大なサイクロンに襲われたミャンマーでは軍事独裁が今も続いて
いる。軍人であり政府のトップにあるものは、誰はばかることなく
華やかな生活をしている。一方、国民の多くは生活苦にあえいでいる。
 これを見かねた僧侶達が蜂起したばかりである。結局、蜂起は軍事力
によって押さえ込まれてしまった。この国の場合、軍隊は国を守るため
ではなく、軍事政権を維持し国民の不平や不満を押さえ込むたねに
存在しているようである。
 過去の日本でも同様の時代があった。軍隊というものは両刃の剣で
ある。国を守るためと言いながらも時として国民を押さえ込むために
使われることが少なくない。

 そのミャンマーを未曾有の天災が襲った。サイクロンである。台風
もサイクロンもハリケーンも呼び名こそ異なるが同じ大型の熱帯性
低気圧である。
 先ほど日本でも台風2号が日本列島の南を通り過ぎたばかりである。
すでに次の台風が発生し北上しつつある。今年は台風の当たり年の
ような気がして不気味だ。
 ミャンマーでは、比較的今まで台風の被害が少なかったようだ。
しかし、これから先の台風は規模もコースも予測が付かないほど
多様に変化している。地球温暖化の影響ではないだろうか。いつ何時
どんな台風やサイクロンやハリケーンが来てもおかしくないほど
気象条件は大きく変化している。常に心がけておくべきであろう。

 一方、オリンピックを間近に控えた中国を巨大地震が襲った。先に
内乱が起きたチベット自治区に近い地方である。この地方には、その
チベット族の人たちもたくさん住んでいるところだという。
 オリンピック開催という華やかなムードに包まれている一方で内乱
という他国には見せたくない騒動を見せたばかりである。各国では
聖火リレーの列に何度も抗議行動の妨害が生じた。中国政府は力で
押さえ込みながら何とか成功させようと腐心している。
 この巨大地震をチベット族の不満の現れだと見ても良いような
タイミングであった。単なる自然現象だと言ってしまえばそれまで
だが、それだけではないような気がしてならない。

 いずれにせよ多くの被災者が出ている。ミャンマーでは他国による
救済を拒否している。食糧不足や伝染病が非常に気がかりである。
体制を維持しようとする軍事政権の頑なな姿勢の陰で亡くなっていく
人たちが少なくない。
 中国政府は面子を捨て我が国からの救援部隊を受け入れる事に
決めた。今は体制維持や面子にこだわっているべき時ではない。
人命の救済が最も優先されるべき事である。

 そして私達も台風の国、地震の国に住むものとして、この天災を
他山の石とせず、いつ何時何があっても対応できるように心がけて
おくべきではなかろうか。天災を人災だと揶揄されないためにも。
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新緑の東京を満喫

2008-05-10 11:35:23 | Weblog
 5月4日から9日までの間、久々の東京滞在となった。滞在期間中
の宿泊先は息子夫婦の新居であった。新婚夫婦の住まいに宿泊させて
貰うことには多少のためらいもあったのだが、連休中はどこにも行か
ないから遠慮せずに来れば良いと言う息子からの電話に甘えて泊めて
貰うことにした。

 想像していたより大きな住まいだったので遠慮も杞憂であった。
場所がピースボートセンターのある高田馬場だというのも何かの縁
ではなかろうか。元のピースボートセンターだったと言う建物は、
息子夫婦の住まいまでの目印となる建物であった。何という不思議な
巡り合わせであろうか。

 時は5月の初旬、東京も新緑の季節であった。東京へはいつ来ても
感じるのだが、大都会とは思えないほど緑が多い。有名な公園や施設
等がたくさんあるからかも知れないが、早くから街の緑化に取り組んで
きた成果でもあろう。渋谷駅から青山に向かう大きなケヤキ並木は
何となくシンガポールのオーチャード通りを思わせる。

 いつもは横を通り過ぎるだけであった靖国神社へも行ってみた。
荘厳な雰囲気は参道や本殿周辺の大木や緑濃き植え込みによるもの
だろうが、戦前の軍国主義やA級戦犯合祀等という問題さえなければ
国の慰霊施設にふさわしい。ただ信教の自由という観点から神社で
よいのかどうか。

 この日は中国の胡錦濤国家主席の来日の日でもあった。靖国神社
周辺も実に物々しい警戒態勢であった。その靖国神社には早朝から
右翼の街宣車が集結していた。いつの時代もこの神社には戦争の暗い
陰がつきまとうものらしい。

 この日は靖国神社から武道館や東京国立近代美術館のある北の丸
公園を経由して皇居東御苑に入ってみた。晴天の元、実に大勢の人が
訪れていた。私は江戸城天守閣があったという北桔門から中に入った。
 天守閣址に立つと目の前には芝生広場が広々と広がっていた。
大奥のあったところだという。芝生広場を取り囲むように竹や木々の
植え込みが、城跡らしい雰囲気を醸している。
 私の関心は、珍しい木々や草花だけではなく、数多くの江戸城の
石組みにあった。見事という他はない美しい石組みであった。多くの
城跡やお城を見てきたが、これほど見事な石組みは数少なかろうと
思われる。さすがは将軍様が住んでいた江戸城であった。

 それにしても東京には人が多い。そして東京に高齢化の波は感じ
られない。実に若者達が多い。こうした若者のほんの1パーセント
だけでも倉敷に移すことが出来たら、街はどれほどか活気づくに
違いない。高田馬場駅からの行き帰りに日々すれ違う人の列を眺め
ながら考えていた。
 児島の中心地である味野のスーパーマーケットでさえ、すれ違う
人の多くは我々の年齢か、それ以上の人ばかりである。それに引き替え
ショートパンツにハイヒール姿という出で立ちで颯爽と闊歩する
うら若き乙女たちを見ていると、その若さがまばゆいばかりである。
夜になると誰はばかることなく抱き合っている若い男女も少なくない。
彼らには今しか見えていないようである。

 日本だけでなく世界の先進国は病んでいる。それは精神ばかりでは
なく、富や人口の偏りにも端的に現れている。この不平等を解消しない
限り、先進国としての日本の将来はない。

 私達が滞在中に三度ほど立て続けに地震があった。実に気色の悪い
揺れであった。何か起きなければ良いのだが。これほどの人口が集中
する大東京でいったん事が起きたら、どのような混乱が生ずるで
あろうか。考えるだに恐ろしい。

 軍政に苦しむミャンマーでサイクロンによる大きな被害が出た。
自然は何故このようなむごい仕打ちをするのだろうか。人々の苦しみ
に更にむち打つような大災害であった。
 軍事政権は頑なに外国からの支援の手を拒否している。軍のトップ
の子弟は人もうらやむような派手な結婚式を挙げたと報じられている。
こうした事を見ていると独裁国家と言うものは、いつの時代も国民の
生活など二の次で、自らの立場を誇示するがごとき振る舞いである。
 先には軍政に苦しむ国民の窮状を見かねて若き僧侶たちが蜂起した
ばかりである。いずれこうした軍政にも天罰が下る日が来るに違い
ない。

 今回も多くの人との交流や出会いがあった。久々に訪れたピース
ボートセンターには第47回クルーズの際、お世話になったスタッフ
が大勢いた。久々に彼らと共に旧交を温め近況を語り合った。
 また、活弁仲間やしゃべり場の仲間との会食も楽しいものであった。
青山では偶然にも有機無農薬の店に入り、会食もマクロヴィオテック
の店であった。

 東京国立近代美術館フィルムセンターでは、お互いに電話を通して
の知り合いだったTさんにもお会いして親しく話をすることが出来た。
 こうした出会いや交流は偶然とは思えなかった。心と心の繋がりが
次元の異なる場所を通じて広がっている、そんな事を想像させるような
出来事ばかりであった。大都会とは言いながら私達夫婦にとって東京
は実に居心地の良い街である。そこには都会特有の冷たさは微塵も感じ
られない。
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夏野菜

2008-05-02 23:01:47 | Weblog
 ここのところ朝晩と昼間の寒暖の差が大きい。その影響か例年なら
チョッキリゾウムシやその他の害虫の被害が懸念されるのだが、今の
ところ目立つような被害は出ていない。しかし、油断は禁物である。

 害虫の被害と言えば梅の木にカイガラムシの一種と思われるものが
木の幹にびっしりと張り付き樹液を吸っていた。まさか硬い幹に樹液
を吸う虫が付こうとは驚きであった。
 遠目には大きなアブラムシが付いているのかと思っていた。ところが
よく見ると表面のやや丸い黒い色をしたカイガラムシのようであった。
硬い幹の表皮が裂けたような所を選んで付いていた。どうやらこの部分
は皮が薄いようであった。
 太陽の光を避けるように幹の裏側に付いていた。幹の皮が柔らかく
なったのも、あるいはこの虫が付いたためかも知れなかった。割れた
表皮の柔らかい部分に群がって、更に表皮の裂け目を広げているに
違いない。
 薬剤では死にそうにないので、面倒だが手でつぶすことにした。
カイガラムシが排泄したと思われる液が周辺の葉の上にまき散らされ
べとべとになっていた。このまま排泄が続けば「すす病」になるに
違いない。
 いったい、この害虫はいつ頃から繁殖を始めていたのだろう。この
夥しい数からすると相当以前から繁殖を始めていたに違いない。昨年
からだろうか。木の衰弱具合や小さな枝の枯れ具合から推測すれば
かなり以前から被害は続いていたようだ。全く気が付かなかったのは
残念な事であった。やはり冬の間の防除は必要だ。

 さて、我が家の畑では果樹だけでなく夏野菜の方もこれからが
シーズンである。気温は一気に上昇を始めている。やっと一昨日、
キュウリ、トマトなど主立った夏野菜を植え終えた。また、インゲン
やトウモロコシなどの種まきが終わった。
 今、豌豆の収穫最盛期である。今年は植える場所を選んだので
連作障害もなくサヤエンドウ、スナップエンドウ、アラスカともに
非常に出来がよい。タマネギも目に見えて玉太りしているようだ。
ジャガイモはやっと芽が出始めているものもあってこれからだ。

 モモの花が終わり、ナシの花が終わり、リンゴの花が散り始めて
いる。スモモやウメは、まだまだ小さな実だが目に入るほどの大きさ
になってきた。
 今は枇杷の実の摘果と袋かけに追われている。この木もずいぶん
大きくなったものだ。収穫が楽しみである。孫はどんな顔をする
だろうか。彼は野菜や果樹が大好きである。

 先日、奈良県の吉野山の桜が枯れ始めたと報じられていた。巨木
だった我が家の桜も数年前に枯れてしまった。原因は定かではない。
ここのところ果樹や庭木の中に急に枯れてしまうものが次々に出始めて
いる。松枯れなどもその中の一つではないだろうか。
 これらの大きな原因が酸性雨によるものではないかと思っている。
酸性雨で弱った樹木に害虫や菌などが進入し枯れ死を早めている。
そんな気がしてならない。
 そして、地球温暖化の影響による害虫の大発生や木を枯らす菌類の
大繁殖が拍車をかけているのではないだろうか。すべては人間による
ものである。
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市長選

2008-05-01 06:33:31 | Weblog
倉敷市長選が終わった。現職市長に対し9000票近くの大差を付け
ての勝利だった。この日は山口県で衆議院議員の補欠選挙があり、
マスコミや衆人の目はそちらを向いていた。従って、全国的にも珍しい
女性候補だというのにマスコミの取材も少なく地味な選挙戦だった。

 現職の壁は厚く、特に現職の地元では各町内会等の半強制的な動員
もあったようで想像以上に熾烈な選挙戦だったと聞いている。それだけ
に新人候補を支持する側としては肩身の狭い思いをしながらの選挙で
あったようだ。

 私達の思っていたより早く当確のテロップが流れて驚いた。そして、
まもなく当選のテロップが流れた。選挙事務所内は一瞬喜びに包まれた。
思えば長い選挙戦であった。労組の選挙しか見たことのない私にとって、
このような地域型の選挙は極めて珍しい経験であった。

 現職に2人の新人候補者が挑戦するという図式であったが、一人は
県議選を狙っての立候補だと聞いているので、実質は現職と新人一人
の一騎打ちという図式であった。現職に知名度の少ない新人が挑むと
言うことは、現職に表立ったスキャンダルでもない限り極めて難しい。

 一般の見方は保守系三人の争いだと映っていたようである。しかし、
現実には混沌とした世情を反映してか、そうでもなかったと私は見て
いる。確かに掲げた公約(最近ではマニフェストと言うらしい)は
同じように見えても、それを約束通り実施していくかどうかが問われて
いるのだ。街の声によると、現職のやってきたことが見えてこないと
言う評価であった。
 新市長としての力量や実行力はこれから試されるわけで、ここでは
期待だけにとどめておこう。しかし、彼女の講演などを聴いていると
並々ならぬ熱意を感じた。これからの政治家は熱意がなければ、幾ら
良い公約を掲げようと絵に描いた餅にすぎない。
 問題は厳しい倉敷市の財政再建をはかりながら、どのように多くの
公約を実行していくかである。何しろ41歳という若い市長である。
体力、気力も満ちあふれている。
 彼女はとても女性とは思えないほどの声量である。この力強い声を
聞くだけでも何かをやってくれそうな気がしてくる。

 隣家の主婦は何かが変わって来つつあるような気がすると言って
いた。それは山口県の衆議院議員の補欠選挙や現職を倒しての新市長
誕生を指しての事のようだ。
 今の日本は極めて幕末に似ている。幕末から明治維新期は描く人に
よって様々な姿を見せているが、一つだけ共通しているのは、現体制
を守ろうとする幕府も、その幕府を倒そうとする薩長連合も決して
一枚岩ではなかったと言うことである。様々な思惑や離合集散を繰り
返しながら混沌とした状況の中で大政奉還が行われ、江戸城の明け
渡しが行われたことである。その後も地方では大小の小競り合いが
幾つもあり多くの血が流された。

 自民党対民主党の攻防も他の野党を巻き込みながら参議院選以来、
激しさを増している。もし仮に民主党が政権を取っても、これから先、
一波乱も二波乱もありそうな感じである。
 それは県や市町村といった地方政府も同じ事である。幕末には大小
を問わず、どの藩も大なり小なり財政事情は逼迫し、莫大な借金を
抱えてあえいでいた。幕藩体制は何をせずしても倒れていたに違いない。

 昨今、自殺者や自暴自棄に陥って殺人に走る人が急増している。
これは一体何を表しているのだろうか。終戦直後、食うに困って自殺
した人はいたかも知れないが、その数は限られていたに違いない。
反面、満たされた時代に人は何故死を選んだり、自暴自棄に陥って
人殺しをしなければならないのだろうか。
 そこに並々ならぬ世情の混乱を感ずるのである。すべてが息詰まった
状態である。行き場のない閉塞感が人の常識を混乱させている。それは
若者だけではなく分別盛りの大人も同じである。
 人は満たされていなくとも希望さえあれば生きていけるのである。
この世の中の閉塞感を解消しない限り自殺者も殺人者も少なくならない
のではないだろうか。
 それを変えることの出来るのは人の意識である。意識の持って行き
所をほんの少し変えるだけで世の中の動きは驚くほど変化するもので
ある。
 それを端的に表しているのが今の国会である。混乱しているのは
国会ではない。政権維持が極めて困難になった自民党政権である。
彼らに大政奉還を促すことが出来るのは実は私達自身である。私達の
意識をほんの少し方向転換するだけで世の中はずいぶん風通しが良く
なってくるに違いない。
 道路特定財源などと地方の首長までもが予算の分捕りに奔走すべき
ではない。倉敷には、ほんの少し天下国家に先駆けて新しい時代の
風が吹き始めている。
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