人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

今年も今日で終わり

2006-12-31 06:40:23 | Weblog
 31日中にアップロードしようと思っていたこのメール、結局、新年に
アップロードする事になってしまった。
 早いもので一年がアットいう間に過ぎてしまった。定年退職になって
二年と数ヶ月、一時は再就職のことも真剣に考えたが、色々あって断念
した。今はボランティア活動に軸足を移しながら気ままに生活している。
 二年数ヶ月、この間には色んな事があって多くの友人に恵まれ充実した
定年後を過ごしている。今のところ健康にも問題はなくありがたいこと
だと感謝している。

 一番大きな出来事と言えば初孫が誕生したことだろうか。嫁いだ娘が
生んだ男の子だ。少し離れたところに住んでいるので行き来は少ないが、
娘が書いてくれるブログで成長の様子が手に取るように分かる。パソコン
上には写真まとめて掲載してくれ、また写真貼付で携帯メールが来る。
実に便利な世の中だ。
 孫の成長は早い。生まれたときには小さくてしわくちゃの顔をしていた。
その子が今は丸々と太り寝返りをうつようになり、ハイハイから伝い歩き
が出来るようになった。そして、つい先日はつかまり立ちからほんの少し
だけ一人で立てたとか。一人歩きが出来る日も近いのではないだろうか。
 人間の進化の過程を見ているようで面白い。こうして人間は直立歩行を
始めたのだと言うことを孫の成長を通じて実感している。体の成長だけ
ではなく脳の成長にも著しい変化が見られるようだ。お片づけが好きな
ようで、自分のおもちゃを家の中のあちこちに仕舞い込んでいるようだ。
性格もこんな小さな時からはっきりしてくるものなのだろうか。非常に
興味深く感じている。
 今は自分のおもちゃだけでは満足できない。お父さんやお母さんの持って
いる携帯電話やテレビなどのスイッチの入り切りの方に興味があるようだ。
何でも口に持っていき舌で味わってみて何かを確かめる。そんな仕草も
チンパンジー達に見られる行動だ。私達の遠い祖先もこのようにして食物
とそうでないものの区別をしながら進化してきたのではないだろうか。

 年末には家内と一緒に買い物に出かけた。さすが年末だ。人の多いこと、
そして店頭には商品が山ほど積まれていた。ガソリンスタンドには車が
列になり、お酒の販売店には駐車できない車が並んでいた。やはり日本は
豊かなで平和な国であることを実感している。
 この豊かさと平和こそは何ものにも代え難いものだ。世界を見回すと
飢えに苦しむ人、戦火の下を逃げまどう人、天災によって家をなくした人、
色んな不幸に苦しんでいる人がたくさんいる。
 世界は西暦2000年代に入っても安定どころか不安定要因が増えている。
環境問題もその一つだろう。私達の見方や考え方をほんの少し変えるだけ
で明るい未来を作ることが可能だと思うのだが。
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子供達の未来に明るい光りを

2006-12-28 07:01:28 | Weblog
 今年も残すところ数日となってしまった。過ぎ去ってみればあっという
間の一年であった。私も定年退職となって二年数ヶ月を過ごした事になる。
私にとっても変化の多い年であったが、この日本でもまた世界でも色んな
出来事が多い年でもあった。

 イラク国内では収拾に向かうどころか混乱を極めている。毎日のように
多くの犠牲者が出ている。あれだけブッシュを支持したアメリカ国民の
戦争熱も冷め、長引くイラク侵攻に嫌気がさしたのだろか。先の上院、
下院の選挙では民主党の圧勝に終わった。

 北朝鮮が核実験を行った時には一時騒然となったが、その後、やっと
六カ国協議は始まったものの解決の糸口さえ見出せなかった。そんなこと
から拉致被害者家族の切実な願いである被害者返還要求も先送りになって
しまった。残念なことである。

 今年は昨年に較べ比較的安定した気象状況だったとは言うものの、少し
不気味だったのは局地的な集中豪雨や竜巻と言った国内ではあまり見られ
なかったような気象変化が出始めたことだ。
 地球温暖化による気象変化は、いよいよ現実のものになってきたようだ。
南半球の各地では少雨による大干魃が広がり、こちらはじわじわと真綿で
首を締めるような被害をもたらしている。台風による被害も恐ろしいが
干魃による被害はもっと深刻だ。
強烈なジャブのように時間をかけてじわじわと影響が出てくるのでは
ないだろうか。今やイラク侵攻等といった愚かな事に時間を費やして
いる時ではない。もっとやるべき事が山ほどあるのではないだろうか。
もっと真剣に現実を見据えるべき時だ。

 北海道の夕張市が破産宣告し、それに続くような市町村が増えている。
政府は救済措置さえ打ち出そうとしていない。一市にそれをすれば同じ
ような市町村が次々に出てくるからだろうか。それくらい地方財政の問題
は深刻なのかも知れない。

 昨年から今年にかけて市町村の大合併が相次いだ。その結果、思わぬ
負の財産まで引き受けるようになってしまった新しい市町村も少なくない。
合併という餌に釣られ一緒になって始めて分かった現実だ。今更、後へ
引き返すわけにもいかない。

 色んな県で色んな不祥事が相次いだ。地方の時代だと言われながら
これでははなはだ心許ない。本当に大丈夫なのと言いたい。政権が長く
なると腐敗が進む。片山島根県知事は自らを戒めて三選はしないと宣言
した。潔い決断だと思う。政治は色んな人がやってみる方がよい。同じ
事をやるにしても決して道は一つだけではないからだ。

 自主独立の気構えのないひ弱な地方を作ってきたのは、戦後長く続いた
保守政治だ。かつて地方再生などと言って有効に活用も出来ないような
一億円ものお金をばらまいたのは竹下内閣ではなかったろうか。
 税の全てを中央に集めるのではなく、地方に財布を握らせ、しっかりと
した地方政治をやらせることこそ、地方を育てることではないのだろうか。
 この保守政治に対し、もの申すもののいなくなった今の時代。政府と
自民党が一体となってヤリたい放題のことをしている。
 それが昨今の自民党議員の放言であり、不祥事の数々ではないだろうか。
何も自民党でなければ政治が出来ぬと言うわけではない。いっそのこと
政権党を変えてみたらどうだろうか。もっと異なった将来像が見えてくる
のではないだろうか。

 今日のような状況を招いたもう一方の責任は労働団体にもあるのでは
ないだろうか。組織率がかつてないほど低下している。その原因は、連合
を初めとする既成の労働団体が国民に対し見えるような活動を何もして
いないからだ。
 飼い慣らされた猫のように黙っているときではないはずだ。もっと政治
運動が出来るような組織力を持たなければならないのではないだろうか。
小さな既成枠に留まっている時ではない。
 労働組合が政治問題に口を出すべきではないと誰が言ったのだろうか。
労働組合もまた国民の集まりである。かつての総評議会と日本社会党の
行き過ぎた関係を警戒する言葉であって、政治運動をするなと言うこと
ではない。支持する政党を持ち、その政党を通して国民や労働組合員の
要求を政府にぶつけるべきだ。

 考えれば考えるほど上も下も堕落仕切っているとしか言いようがない。
その現れの一つが家庭内暴力やいじめ等ではないだろうか。犯罪が激増
している。人の命があまりにも軽すぎる。
 こんな不安な社会状況の中で子供を産み、育てるという選択が出来る
であろうか。それは教育基本法を変えたり、子育てのための制度を作れば
よいと言う次元の問題ではない。
 もっと子供達に豊かな情操が芽生えるような社会を作ることではない
だろうか。私達世代が大きくなった戦後のように希望に満ちた社会を作る
ことではないだろうか。来るべき2007年からはそんな社会を作って
いきたいものである。

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少子高齢化

2006-12-23 22:32:53 | Weblog
 少子化が進むと2055年頃には人口の40パーセントが65歳以上の
高齢者にとなると先日の朝日新聞に出ていた。40パーセントと言えば
約二人に一人は高齢者と言うことになる。想像もつかないがどんな社会
なのだろうか。想像する事さえためらわれるような気がするのだが。

 お隣の中国でも急速に高齢化が進んでいるようだ。この国は爆発的な
人口増加を抑えるためにあえて一人っ子政策をとってきた。当然、計画
当初から予測されていた事だろう。しかし、わが国の少子化は自ら選んだ
ものではない。先進国の多くが少子化に悩んでいるのと状況は同じだ。

 一方、開発途上国などでは爆発的な人口増加に悩んでいる。既に六十億
人を越えたと言われている世界人口。飢えに苦しんでいる人も多い。地球
温暖化現象による砂漠化が進み、食料の需要増に対し供給が追いついて
いない。食料だけでなく水の供給も足りない。地球は限界を超えた人口を
抱えているのだ。

 人口増に悩む国と人口減を何とかくい止めたいと考えている国、この
地球上には対照的な国が存在している。そして、深刻な食糧不足や水不足
に対する具体的な解決策は考えられていない。考えられていないどころか、
次々に生じてくる争い事の解決に追われて、それどころではないような
状況だ。
 今朝も散歩をしていると、かつては子供達の声がしていた公園では高齢
者達がゲートボールに興じていた。たった二十数年間の変化なのだ。

 核の問題はますます深刻になっている。先進国が競って核を開発した
時代から開発途上国や独裁国家に近いような国までもが核を開発し持つ
ようになってきた。また、核はいつどんな形で持ち出されるか分からない
ようなずさんな管理状態の国もある。

 核の不拡散条約など、あってないようなものである。自らが核保有国で
あり核大国であるアメリカが声高に核の拡散を論じても説得力はない。
「あんたも持っているではないか。俺達が持って何で悪いんだ」と反論
されたら返す言葉もない。

 昨今の核拡散状況はこのような実状を反映している。今まで持っている
のではないかと噂されながら隠し続けてきた国がイスラエルだ。そんな
事から近隣のイスラム国でも核を開発したいと思っている。イランが
その国の一つだ。国連では制裁決議が行われたようだが、イランはこれ
からも開発を続けるだろう。
 北朝鮮は不完全ながらも核保有国になったようだ。その前にはパキスタン
やインドなどが核保有国になってしまった。これらの国が一斉に核放棄を
宣言しない限り、これからもジリジリと核保有国は増えていくのではない
だろうか。日本のように被爆国でありながら核保有を口に出すような物騒
な政治家もいる。

 残念ながら北朝鮮を巡っての六カ国会議は不調に終わった。このメンバー
ではどう考えても解決の道は見出せそうにない。そんな予感がしていたが、
解決の道筋すら見出すことなく不調に終わってしまった。その間にも経済
制裁は続いている。北朝鮮の人達はどのような生活をしているのだろう。
この寒い冬をどのように乗り切るのだろうか。何とも気の毒な話である。

 政治が悪いからといっても自らの意志で国の行く末を論ずることの出来
ない国である。そんな事を考えることさえ出来ないような国民に作り上げ
られてしまった悲しさ、むなしさがある。考えてみればこれほど残酷な
事はない。かつての日本もこれに近い状態であったことを考えると他人事
では済まされない。
 一日も早く解決の糸口が見出せて、国の体制がどうであれ、核放棄、
経済開放、国力回復の道へと進むことを望んでいる。そして、過去を
反省し、多くの拉致被害者の解放を望んでいる。

 私はかつてアメリカのイラク侵攻前に、こんな事をするとパンドラの箱
を開けたような状態になると予測しておいた。今日のイラク情勢はどうで
あろう。フセインの圧政をしても押さえきれなかったほどの国民である。
その国の重しを取りのぞいた結果が今の惨状だ。

 あの厚顔無恥なブッシュ大統領でさえ、その非を認めなければならない
ほど今のイラク情勢は混沌としている。宗教対立は憎しみの連鎖でしかない。
かつてヨーロッパでもキリスト教における宗教対立があって苦い体験をして
いる。

 その上にクルド人という独立を叫んでいる民族もいる。彼らはフセイン
の元でも自治権を求めて抵抗運動を続けてきた。このように宗教問題と
民族問題という複雑な対立関係を持つ国の中で一度混乱が生じてしまうと
容易には治まらない。果たして来るべき2007年には解決の道が見出せる
のであろうか。

 こんな事をしている間にも地球環境はどんどん悪化の一途をたどり、先
の見えないまま過ぎていくのだろうかと思うときに、人間の愚かさを感じ
ないわけにはいかない。例えは適切ではないが、既に屋台骨が傾きかけて
いるのに、相変わらず相続争いを続けている人間のようなものだ。
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ナルニア国物語

2006-12-22 09:18:14 | Weblog
 レンタルDVDの「ナルニア国物語」。前評判の良い映画だったので
映画館に行こうと思いつつ機会を逃してしまった。そこでDVDを借り
ホームシアターにてこの映画を鑑賞した。

 時代は第二次世界大戦の頃、男二人、女二人の四人兄妹は空襲の
始まった都会から子供達だけで一時田舎に疎開する。疎開先の古い大きな
屋敷の中にあった衣装ダンスがこの物語の出入り口であった。この四人の
兄妹それぞれ個性が強く、いつも喧嘩ばかりしていた。

 疎開先で退屈しのぎに始めたかくれんぼで末っ子の女の子が偶然にも
ナルニア国という魔法の国の入り口を見つける。そこは一面雪でまっ白な
冬の世界だった。ここは白い魔女が支配する国だった。この魔女が支配を
始めて百年の間、冬のままであった。

 偶然にも、この国へ四人の兄妹が迷い込んだことから、魔女の力が弱く
なり春の兆しが見え始める。これを快く思わない白い魔女は四人兄妹を
殺してしまおうと弟を好きなお菓子で誘惑し他の兄妹を連れてくるように
命ずる。

 しかし、他の兄妹が心優しいビーバー夫婦に導かれ、ライオンが指揮を
執る国に行き、そこで白い魔女と戦うように説得される。戦争から逃げて
きたばかりの兄は、またここでも戦争かと後込みをするが、頭領である
ライオンが殺され、やむなく剣を持って立ち上がる。

 こうして「善と悪」の戦いが始まる。詳しい事は映画を観て欲しい。
この映画以外にも外国映画の中にはロード・オブ・ザ・リングのように
「正義と悪や善と悪」の戦いの話は多い。

 この世の中は、こうした映画のように「善と悪」の世の中なのだろうか。
キリスト教の中には、このような「善と悪」を代表するものとして天使と
悪魔が登場する。
 仏教の教えの中には「天国と地獄」はあっても天使も悪魔も存在しない。
同じ人間の心の中に「善と悪」があって、善が悪に勝る時ばかりではなく、
悪が善を押さえ込んで罪を作る。

 そこでは政治や法律といった人間が作ったシステムは機能せず多くの
犯罪や悪い誘惑をもたらす。善と悪は互いに葛藤しながら、ある時は
心優しい人間を作り、ある時は醜い殺人鬼を作ってしまう。

 少し横道に反れてしまった。この兄妹、多くの困難や試練に立ち向かう
中で大きく成長していく。かつてのように勝手気ままな行動をしていた
兄妹ではなく、四人が力を合わせて白い魔女に立ち向かっていく。
 そうして人間として大きく成長したときに現実の世界に戻ってくる。
いわば子供達に何が大切なことなのかを教えるファンタジーなのだ。

 現実の社会では必ずしも勧善懲悪とは行かないようだ。現に悪事を重ね
ながらものうのうと生きている人間もいる。しかし、だからと言って悪が
悪のままで良いわけではない。やはり正義が勝たなければならない。
だからこそ「ナルニア国物語」ようなファンタジー映画が多くの映画ファン
を魅了するのではないだろうか。
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財政破綻

2006-12-17 22:08:32 | Weblog
 ノロウイルス等という変な名前のウイルスによる嘔吐、下痢症が大流行
している。インフルエンザウイルスと同じように空気感染をするという
からたちがわるい。外から帰ったら手洗いやうがいを忘れないように。

 今のところノロウイルスの陰に隠れているのがインフルエンザ。これも
油断ならない。鳥インフルエンザがいつ人感染型のウイルスに姿を変える
か分からないからだ。今から大流行に備えての注意が必要だ。

 さて、今年の冬は今のところ温暖化の影響を思わせるような温暖な日が
続いている。と同時に雨の日が実に多い。完全に冬型の天気に移り変わって
いないのではないだろうか。
 さっきまで晴れていたと思ったら急に小雨がぱらつくようなお天気だ。
じとじと降り続く雨によって、せっかく作った吊し柿にカビが着いている。
何とも恨めしい冬らしからぬお天気だ。

 そんな不順なお天気が影響したわけでもあるまいが、ロシアで開催された
フィギアスケートのグランプリファイナルでは男女ともに期待した成果が
得られなくて残念な結果に終わってしまった。何やら体調を崩した選手が
多かったようだ。体調の維持管理、そして何よりも試合に向けて気力を
集中することの難しさを感じる。
 また、色んな雑念が頭の中をよぎり、手足を硬直化させてしまうのも
人間なるが故か。選手達もまた人間である。長い人生に於いて何度も同じ
ような経験をしてきたものとして同情を禁じ得ない。精神面での強さこそ
勝利への道ではないだろうか。がんばって欲しい。

 さて昨今、地方自治体の中には破産宣言や破産破綻寸前にあると言う
ことをしばしば耳にするようになった。財政破綻の問題はずっと以前から
言われて来たことなので別に珍しいことではない。
 既に国家財政も破綻寸前にあると言われている。それをかろうじて支え
ているのは勤勉なる国民の預貯金だと言われている。国の累積赤字が国民
の預貯金残高を上回るようになると、円に対する国際的な信用は失墜し
一気に財政破綻が現実のものとなると言われている。

 今、北海道の夕張市は破綻状態であり、どのようにして財政を立て直す
かが市から市民に提案されている。市民の立場からすると今更そんな事を
言われてもという気持ちではないだろうか。
 市民の中には本気で市から出ていこうかというような人がいるという。
地方自治体の財政破綻は実に深刻な問題である。出るものを削減する以外
に国のように税法を変えて税収入を増やすという権限がないからだ。

 かつて夕張市は炭坑の町として栄えたこともある。しかし、石炭の需要
が無くなった頃から税収入は少なくなった。産業の衰退と人口の減少は
税収の道を閉ざしてしまった。
 その後、観光客を誘致するための投資もしたようだが、所詮は武士の
商法である。観光客は増えず投資の分だけ借金が増え、それが更に財政を
圧迫し、結局は財政破綻を公表せざるを得なくなったのでは無いだろうか。

 国にせよ地方自治体にせよ何故、一般の会社のように余裕のあるときに
内部留保という事が出来ないのだろうか。それをすると地方交付税が削減
されるからだろうか。使い切りの予算というシステムが私達国民の側から
すると納得行かない。

 余った予算は岐阜県のように裏金として引き継がれ、ふくれにふくれた
お金は隠しようがなくなり県民の前に出てしまった。期末になると各部署
では不必要なものまで買って帳尻を合わせていると聞いたこともある。
リストラにリストラを重ねている民間企業の立場から見ると実に羨ましい
話である。

 市民、県民が怒るのは当然である。そうでなくても高い税金を取られ、
そのお金が県民の為に使われることなく、職員達の裏金として利用されて
いる。そんな馬鹿な話はない。そんな事をしてしまうのも結局、苦労して
作ったお金ではないからだ。

 先の教育基本法のタウンミーティングや法務省のタウンミーティングで
も「やらせ」が問題になっている。サクラを作り、あらかじめ準備した
質問状でサクラに質問させる。これではタウンミーティングになっては
いない。

 その際、質問を依頼した人には5000円。タウンミーティングを準備
した企画会社には数千万という金が詳細なチェックもなく支払われたと
言われている。聞けば聞くほど腹立たしい事である。
 これなどは最もずさんな金使いの例ではないだろうか。個人や民間の
会社では絶対に考えられないことである。増税を画策する前にこういった
システムこそを考え直すべきではないだろうか。

 戦後、日本は民主化したと言うが役人天国と言うことに置いては全く
変わっていないように思える。また、議員は国民や市民の代表としての
チェック機能を強化すべきではないのか。

 また、国の税制調査会は法人税の方には景気対策と称して手を付けず
国民の方からばかり徴収しようと色んな徴収策を答申している。政府の
立場からすれば非常に都合の良い答申内容になっている。
 国民の反発は必至だとして自民党議員の中でさえ、やりすぎではないか
という意見が出ているようだ。自民党議員でさえ後ろめたさを感じるような
税制をこのまま許して良いのだろうか。
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日々の生活

2006-12-14 15:35:36 | Weblog
 ここのところ妙に鬱陶しいお天気が続いている。この季節にこんな
お天気が続くというのも珍しい事ではないだろうか。山の畑では色んな
柑橘類が黄色く色付いている。晴れた日には青く澄んだ青空をバックに
美しい。そして、お茶の花が咲き、枇杷の花が咲いている。枇杷の花は
白く実に地味な花だが香りは良い。近くの木々や藪の中から笹鳴きが
聞こえてくる。ウグイスだろうか、それともメジロだろうか。
 今朝はほとんど葉が散ってしまった大きなドングリの木にオナガが
群れていた。どうやら木の幹に付いている虫か何かをついばんでいる
ようであった。

 家の改装がやっと終了した。奥の部屋の増築と改装に始まって、押入を
戸棚に改造したり壁を塗り替えた。タンスや戸棚の不要な物を捨てて部屋
を広くした。
 整理してみると何と不要な物の多いことか。貰い物のタオルや敷布や
もう着ることのないような服などだ。昔の感覚では捨てるのはもったい
ないようなものもたくさんあった。しかし、置いていても使わないような
物ばかり。現代人は如何に贅沢な生活をしているかが良く分かる。
 全てが資源なのだが使わなくなってしまえばただのゴミに過ぎない。
これだけの物を作るのに、どれくらいのエネルギーを使っただろうと
考えると地球温暖化問題が起きるのも当然だと思えてくる。
 人間一人が生きていくだけでも大変なエネルギーを消費し、夥しいゴミ
を作っている。そんなことを考えると何かしら複雑な気持ちになってくる。

 今日は宇宙の話題を二つ。今、遠く小惑星イトカワまで飛んでいった
日本の探査機「はやぶさ」が地球に向かっている。通信にすら片道6分も
かかるような遠いところを飛んでいる。
 小惑星の観測には成功したものの貴重な燃料を使い果たし、肝心な通信
すら途絶えていた。その通信が奇跡的に回復し帰還が可能になった。今は
イオンエンジンというこの探査のために開発されたエンジンの推進力を
使っている。
 地球帰還のハードルは高い。しかし、ぜひ無事帰還成功を願っている。
小さな探査機の偉業を見守りたい。

 火星に水があるかないかは以前から議論の対象になっていた。火星の
極に当たる部分には季節によって白いものが見える。これが果たして水
の固まったものなのだろうか。
 最近の調査では地下から水がしみ出た跡のようなものが何ヶ所かで
確認されているという記事と証拠の写真が新聞に掲載されていた。証拠
写真には以前写した写真には見られない水の流れた跡のようなものが
写っている。
 火星の地下には水があるのだろうか。氷のようなものが何らかの作用
によって解け出してきたのだろうか。火星では探査機が今も調査を続け
ている。探査機が送ってきた写真にも水の流れた跡のようなものが写って
いる。
 太陽系で水があるのは地球だけだと言われている。しかし、形はどうで
あれ火星に水が残っているとなると大きな発見である。火星への移住も
不可能な事ではないからだ。
 また、水があれば小さな生命体もいるかも知れない。宇宙にはまだまだ
謎が多い。
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地球が熱くなっている

2006-12-12 21:17:10 | Weblog
 二日間にわたる地球温暖化の特集番組を見ていてふと考えた。何かしら
人間社会と似ているのではないか。人も地球も熱くなりすぎているようだ。
 19世紀の産業革命以降から地球の温暖化は始まったと言われている。
それは、あらゆる面での人間活動が活発になり始めた時期と一致している。

 それまでの紛争は蒙古軍がヨーロッパまで侵攻したとは言っても第一次
世界大戦や第二次世界大戦と比較すれば地域紛争程度に過ぎない。また、
一部の地域を除けば生活は格段に向上した。経済活動は巨大化し、お金が
絶対的なものとなり人間の価値観が根底から変わり始めた。
 人と人の繋がりは次第に希薄になり物質文明が世の中を支配するように
なった。人と物の行き来は活発になり、輸送手段の進歩は時間の観念を
大きく変化させた。

 今、地球は過去に例を見ないような大きな変化を見せ始めている。北極
の氷が年を追う毎に小さくなり、過去に経験したことのないような大型の
熱帯低気圧が世界各地を襲い始めている。
 極地の氷が溶けるとともに海面の上昇が進み、内陸部では乾燥化による
砂漠化が進んでいる。降るときは極端な豪雨となり、降らない地方では
干魃が大きな被害をもたらしている。
 たった1、2度Cと言う温度上昇は、かつての温帯地方を亜熱帯地方に
変貌させ、蚊などの害虫による熱帯性の伝染病が猛威を振るい始めている。

 人間社会では人の心が失われ、いじめやDV(ドメスチックバイオレンス)
等と言った暴力がまかり通り、人を傷つけたり殺したりという事件が日常
茶飯事の事になってしまった。
 隣の住人には関心を示さず、人はお互いに孤立化を深めている。へたに
干渉でもしようものなら逆に殺されてしまうような危険性すらある。人は
互いに見て見ない振りをしている。

 便利さや豊かさとは一体何だったのだろう。求めていた幸せとはこんな
生活や世の中だったのだろうか。人の心が物や金に狂奔し始めた頃から
地球も病んできた。最早、重症だとも言われている。
 もっと人間社会が沈静化し落ち着いた日々を送るようになったら地球の
環境も良くなっていくのではないだろうか。そんな気がしてならない。
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昨日、今日

2006-12-09 07:16:02 | Weblog
 あえてこの際オバちゃま達と呼ばせていただこう。第47回のピース
ボートで出会った二人の女性。年齢は私より一回りくらい上であろうか。
いま航海中の第55回のピースボートに乗って旅行中だ。そのオバちゃま
達二人から絵はがきが届いた。
 今回のクルーズにも私達が乗った第47回の時と同じ古今亭菊千代さん
と中村隆市さん(こうした人達を水先案内人と呼んでいる)が乗ってこら
れると書いてあった。

 二人としては、どの水先案内人パートナーになろうかと迷っているようだ。
文面からは、何となく古今亭菊千代さんの「南京たますだれ」を習いたいと
考えているように思える。元気で行動派の二人の事だから、大いに、この旅
を楽しんでいるのではないだろうか。二人の張り切っている様子が目に見える
ようだ。

 一人は長野から参加したYさん、もう一人は小浜から参加したYさん
である。この女性達二人、生き方も人生も全く異なるが、戦前、戦後を
たくましく生きてこられた方である。
 今回も参加するに当たっては体力的な面での色んな懸念材料があった
ようだが、それらを自分の努力で克服し、どうしてももう一度乗ってみたい
という強い思いから参加されたようだ。いずれも超元気なオバちゃま達
なのである。
 このお二人の事は第47回の地球一周旅日記に詳しく書いているので
省略する。また、第55回の航海日記は、かなり詳しく書かれているので
「ピースボート」を検索し読んで貰えればと思っている。

 さて、ピースボートと言えばもう一つの話。昨日、Kさんというこの方
も第47回のピースボートで一緒だった人から突然の如くメールが届いた。
確か、乗船してすぐの頃、パソコンコーナーで一緒になった人だ。まだ
お互いに右も左も分からない頃の事で、隣同士の席に座った事が縁で名刺
を交換した。
 たったそれだけのつき合いだったが、旅行記を書いたので送りたいと
いうメールだった。実は、こうした旅行記は乗船したものの間では広く
読まれている。

 何で同じ体験をしたものが読むのだろうと不思議に思われるかも知れ
ないが、懐かしさと同じ体験をしたものでないと理解できないことが多く、
あの人はどんな気持ちで乗っていたのだろうかとか、同じ体験でも人に
よって感じ方が異なるので、そのことに興味があって読んでいる。
 船に乗って三ヶ月もの長い間旅をする。この非日常的な体験は、体験
したものでないと分からないだろう。幾ら言葉を尽くして説明しても理解
して貰えないことが多い。話したいと思っている方は、思っていることの
何分の一も相手に理解して貰えないので、いつもフラストレーションを
感じている。
 特殊な船の上の生活を分かれと言う方が無理なのは分かっていても
何か聞いて欲しいという欲求を常に持っていて、聞いて貰えない、理解して
貰えないと言うもどかしさを常に感じているのである。
 その思いがあるからこそ同じ船に乗った者同士が未だに交流を続けて
いるのかも知れない。
 また、私達夫婦のように、船上での活動に始終追い回されていたものは
初めの頃こそ色んな人と話をしていたが、そんな時間もなくなってしまい、
船を降りてからの方がじっくりと話す機会が多くなった。船を降りて二年が
過ぎた今でも色んな集まりに出席しては交流を深めている。船上では十分
ではなかったお互いの事が理解しあえて楽しい。

 さて、ピースボートの繋がりはこんなわけで今も続いている。そんな
中でのもう一つの話。これもKさんからのメールが届いた日と同じ日の
出来事だった。
 その日、一本の電話があった。関西に住んでいるTさんからの電話だった。
Tさんも下船近くになって知り合いになり親しくなった一人だ。彼女は
私達夫婦と同世代の人であり、彼女の娘さんがピースボートのスタッフと
して、いま航海中の55回ピースボートに乗っている。
 電話は来年の干支にちなんだ凧を贈りたいという電話だった。手織を
習っている知り合いの方のご主人が作られたものだとの事であった。その
方は長く凧作りをしてこられたとのことで、ミニチュア凧がギネスブック
にも載っているとの事であった。
 凧は揚がると言って縁起物でもあるので、喜んで頂きますと返事をして
おいた。ちなみに彼女の娘さんが福岡ピーセンに居た頃私達二人で会いに
行ったこともある。

 私はこうした繋がりを「人の縁」だと思っている。全く異なる場所に
住んでいるものが、あることをきっかけに古くからの友人のように親しく
なる。とても偶然とは思えない「人の縁」を感じるのである。時空を越え
て人は繋がっている。そんな気がしてならないのである。そしてその私の
思いは距離や時間を関係なく、その人の元に届いているのではないか、
そんな気がしてならない昨今である。
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芋たこなんきん

2006-12-07 09:56:47 | Weblog
 「芋たこなんきん」という奇妙な名前の番組。今、NHKで放送して
いる朝ドラの一つ。作家の田辺聖子さんの自叙伝らしい。戦前と戦後の
大阪を舞台にした人情味あふれるテレビドラマだ。
 ドラマでは回想シーンとして、しばしば主人公を中心とする家族の生活
が出てくる。田辺聖子さん自身、多感な少女時代を戦前から戦後にかけて
過ごして来られたようだ。
 その時代のありのままの姿が誇張される事なく素直に描かれていて好感
が持てる。主人公の少女は、軍国少女でありながら何かしらそれだけでは
満たされずキリスト教の教えに傾いていく。
 そんな誰しもが経験するような多感な少女時代の想い出に共感できる。
従兄弟のお兄さんへのあこがれが淡い恋に変わり、ある時は親友と喧嘩し、
また仲直りしたりと言った日々が描かれている。
 太平洋戦争という時代にあって、誰もがこの流れに逆らうことも出来ず
時代の波に翻弄された時代。そんな様々な事を経験しながら少女は成長
していく。
 厳しくも優しかったおじいさんがある日突然亡くなり、後を追うように
曾祖母が亡くなっていく。そんな悲しみの反面、お母さんのお腹の中には
新しい生命が宿る。
 人の一生は一瞬たりとも止まることなく変化を続けている。時の移ろい
は川の流れのように、ある時は激しく、ある時は緩やかに、しかし、決して
止まることなく変化し続けている。こんなありきたりの変化が、このドラマ
を面白くしているのかも知れない。

 さて、ニュースでは連日のように企業のトップやら県知事と言った最高
権力者の不祥事が報道されいる。トップの職に就いたものは自らに厳しく
なければ誰も制してくれる者はいない。
 また、トップの一挙手一投足はみんなが注目句している。トップが指示
しなくても部下はトップの考えをいち早く察知して、その意向に添うように
動くこともある。それは出世したいとか、何とか良く思われたいという
部下の本能のようなものかも知れない。
 一方、業者は業者で何とか仕事を取りたいという思いから様々な攻勢を
しかけてくる。これらを排除して公正を期すことは容易な事ではない。
しかし、それをしなければトップは勤まらない。そして、少しでも気を
許してしまうと「裸の王様」になってしまう危険性を常に孕んでいる。

 果樹畑では一段と柑橘類が色付きを増してきた。この季節になると裏年
だと思っていたハッサクの木にも何個かの実が付いていてびっくりする
ような事もある。
 温州みかん、ハッサク、夏みかん、ダイダイ、ユズ、伊予柑、ネーブル
オレンジ等々だ。これら柑橘類の鮮やかなオレンジ色に引き替えキウイ
フルーツは何と地味な色だろう。先日、一部を収穫しリンゴと一緒に
ビニル袋に入れて完熟するのを待っている。
 今年は吊し柿もたくさん作ってみた。気温も高く雨も降ったので少し
カビが着き始めたが焼酎をかけたのと、お天気が回復したので何とかくい
止めたようだ。
 これから柑橘類は更に色を増すだろう。今月の末か来年早々には収穫し
スクモに囲っておこうと思っている。

 野菜畑ではシュンギクやミズナ、カリフラワー等が実に巨大になって
いる。肥料、気温、雨のお陰だ。ホウレンソウもカブも良くできていた
のだが、気温が高かったので害虫の被害に遭ってしまった。
 ホウレンソウは次を植えている。また、タマネギやタカナの苗を定植
した。
 この間に収穫したのはナンキン豆と秋ジャガ。ナンキン豆は、そこそこ
採れたが秋ジャガの方は出来が良くなかった。トマトの後に植えたので
連作障害だったのだろうか。
 ハクサイはほんの少し油断をしたばかりに大半が害虫にやられてしまった。
幸い、その横に植えているキャベツは順調に大きくなり収穫を始めている。

 出来の良いものもあれば悪いものもある。また、途中までは順調でも
少し油断をするとそれまでの努力が無になってしまうことも良くある
ことだ。いつも思うことだが果樹も野菜も口に入るまではどんな事が
あるか分からない。
 今年の冬は暖冬の影響で野菜の価格が安い。それと同じように我が家の
野菜達もカリフラワー、ブロッコリー、ニンジンと冬物野菜には事欠かない
くらい出来ている。出来の良い年はどこも同じように出来が良いようだ。
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中国残留日本人孤児だった人達

2006-12-04 11:05:43 | Weblog
 先日も中国残留日本人孤児の人達が親族を捜しに一時帰国した。残留
孤児として親や親族を捜しに来られる人達も少なくなっているが、両親は
おろか親族を捜し出すことさえも非常に難しくなっているようだ。
 
 残留 日本人孤児として中国に取り残されてきた人達の大半は私達より
年齢が上の人達だ。恐らく両親は生きておられても相当な高齢であろうし、
親族とは言っても取り残されたという事実すら語られなかったケースも
多く、名乗り出てくれる人は非常に少なくなっているのではないだろうか。

 こんなに苦労して親を見つけ親族を捜して帰国を果たしても幸せだった
のかどうか。迎えた側の私達は帰国されて良かったですね。それだけで
終わってはいないだろうか。

 帰国を果たした喜びは束の間の事であり、以後、厳しい生活が続いて
きたようだ。時々は特集のようにして帰国後の様子が取り上げられること
はあったが、今回の神戸地裁の判決が報道されるまでは、多くの人が
その実体を知らなかったのではないだろうか。

 何と言っても言葉の壁は大きい。自分自身に置き換えて考えてみれば良く
分かることだが、幼少の時であれば何とでもなるのだろうが、大人に
なって新たに言葉を覚えるのは非常に難しい。ましてや十分なケアをして
こなかったとなると尚更のことである。

 どうも国は軽く考えていたのではないだろうか。帰国さえさせれば良い。
その程度にしか考えてこなかったのではないだろうか。帰国さえさせれば
それから先は自助努力でやっていくだろう等と簡単に考えていたのでは
ないだろうか。
 本当に必要だったのは帰国させるだけでなく、帰国後の手厚いケアだった
のではないだろうか。言葉の問題は仕事だけでなく、生活全てに及ぶこと
である。言葉が十分通じるようにならなければ、良い仕事にも就けない。

 中には、それなりの経験や腕前を持った方もおられたのではないだろうか。
こうした能力を有効に活用することなく、生活保護に頼らなければ生きて
いけないような生活に追い込んだのは政府の責任である。

 今年も先の大戦に関する多くの特集番組が放送された。その中には残留
日本人孤児の両親達の事も詳細に報じられていた。新天地を切り開くと
いう美名のもとに満州を目指した人は多い。しかし、着いたところは厳しい
自然環境に置かれた原野であり、中国やロシアと国境を接するような地で
あった。
 敗戦の色が濃くなった頃、軍人や軍属が特別列車でどんどん引き上げて
いく中で、開拓団の人達はたくさん置き去りにされてしまった。連れて
こられた満州は対戦相手の盾となるような国境周辺であり、情報さえ十分
には伝わってこなかったようだ。気が付いた時は既にロシア軍が目の前に
来ていた。このような状況の中で孤児達の両親は逃げまどったのではない
だろうか。
 そのことを思うと孤児達の両親を責めるわけにはいかない。むしろ、
そんな事を平然とやってのけた時の政府と日本軍に責めを負わせるべき
ではないだろうか。

 戦後日本は急速な復興を遂げた。日本人の勤勉さと努力に負うところが
大きい。そんな中にあって未だ中国に取り残され不幸の中にあった孤児達
を何故もっと早く探し出し帰国させることが出来なかったのだろうか。
手段は幾らでもあったはずである。

 そして、何よりも帰国後はもっと手厚い保護の元で社会復帰出来るよう
にすべきではなかったのか。裁判に訴えなければ聞き届けて貰えなかった
現実を考えると気の毒でならない。
 政府は直ちに控訴などを止めて全帰国孤児に対し保護の手を差し伸べる
べきではないだろうか。同じ船中、戦後を生きてきたものとして見過ごす
わけにはいかない問題である。
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