人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

夫婦活弁士物語3

2019-11-10 13:26:01 | Weblog
 更に奇跡は続きました。それは玉島の駅前にあるホテルセントイン倉敷で活弁を
行ったときのことでした。

 ホテルのエレベータの中には活弁に先立って私たち夫婦の活弁口演を宣伝する
ポスターが貼ってあったようです。

 この時、偶然にも金光教合楽教会のO先生夫妻が通常は泊まることのなかった
このホテルに宿泊され、私たち夫婦のポスターを偶然にも目にされたのでした。

 更に因縁めいた話は続きます。尾上松之助こと「目玉のまっちゃん」が映画俳優に
なるきっかけとなったのが、実は玉島の甕江座(おうこうざ)という座元での芝居
公演でした。

 その時に甕江座を訪ねて来たのが牧野省三氏(津川雅彦さんや長門裕之さんの祖父)
でした。そしてここで尾上松之助と牧野省三が映画作りの約束を交わしたと言われて
います。

 実はこの度、金光教本部図書館で明らかになったことですが、尾上松之助さんも
牧野省三さんも金光教の熱心な信者さんだったそうです。甕江座で会う前から
信者同士の繫がりがあったのかも知れません。

 そして私たちは金光教合楽教会のO夫妻のエレベータ内での出来事がきっかけで、
合楽教会の秋の大祭で活弁口演をさせて頂くことになりました。母が亡くなった
翌年の事でした。その時はおめでたいものをと言うことで『子宝騒動』をさせて
頂きました。

 先日、倉敷公民館で備中倉敷学を主催する方々のお招きを得て活弁をさせて頂き
ました。その席に来ておられたのが金光教本部図書館のお二人でした。

 その場では立ち話程度でしたが、後日お話しを聞くと、図書館の収蔵品の中に古い
映画フィルムがあり、それを何とか活用したいということでした。

 そしてこの度、お会いしたときには脚本らしきものが出来たので見て欲しいという
ことでした。

 フィルムの一部は欠落しているようですが、その部分は何とか他の方法で埋め合わせ
が出来そうですので、私たちが活弁用に書き直してみようということになりました。

 このフィルムは信者さんの信仰心を高めるために作られたもののようです。従って、
ストーリーは簡単で上映時間も比較的短い作品なので何とかなりそうな気がして引き
受けました。

 来年の11月頃には活弁口演が可能なのではないかと思っています。

 これから脚本を書き直します。そして挿入の音楽を友人に依頼し活弁用の作品に
仕上げようかと考えています。

 今も活弁は様々なエピソードに事欠きません。そして奇跡のような様々な出来事を
伴いながら続いています。

 この先、どんな不思議が待っているのでしょうか。楽しみです。


            夫婦活弁士「むっちゃん かっちゃん」の連絡先
            090-7543-1640
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夫婦活弁士物語2

2019-11-08 09:51:13 | Weblog
 今日に至るまで少しでも活弁という文化を多くの人に知って貰いたいと言う思いから、
ボランティアで活弁士を続けています。また今では違和感なく活弁士として通用するまでに
なりました。

 昭和10年頃にトーキー映画が上映されるようになるまで長きにわたって活弁は一世を
風靡し、多くの観客を沸かせてきました。

 私としてもその時代の経験ないだけに今回の『カツベン!』という映画が、どのように
映画化されているのか非常に楽しみです。

 今回は金光教本部図書館から依頼のあった活弁について触れてみたいと思います。
 
 実は私たちが活弁をやり始めてからは、数々の不思議を体験して来ました。
私たち夫婦は、私が定年になった2004年に縁あってピースボートに乗り地球一周の
旅をしました。

 この長い船旅の途中で出会ったのが、プロ活動を始めて間もなかった佐々木亜希子弁士
でした。佐々木亜希子さんは友人に誘われて行った澤登翠(さわとみどり)さんの活弁に
すっかり魅了されてしまいました。

 以来、活弁士になりたいという一心から澤登さんの追っかけをし、2001年に活弁士
としてスタートしたばかりの頃だったようです。

 そして2004年の南回りクルーズの時にピースボートから誘いを受け、水先案内人と
なって乗船してきました。

 噂には聞いていた活弁士、興味津々で活弁の場に臨みました。ところが私の想像とは
異なり拍子抜けするぐらい軽々と活弁をやってみせたのです。映画が終わってみれば、
うら若き女性がスクリーンの傍らで語っていたという有様に、私だけでなく会場に
居合わせたみんなは、すっかり活弁士と活弁に魅せられてしまいました。

 私は明けても暮れてもこの経験が忘れられなくなり、2005年船を下り帰郷してから
地元に活弁士を呼びたいと強く思うようになりました。

 幸い、私の提案に賛同してくれた児島文化協会の事務局長の支援の元で第一回目の
児島活弁シネマライブを開催することが出来ました。

 以来、紆余曲折はありましたが10回を数えるまで続けることが出来ました。一時は
500人もの人が詰めかけてくれるようなこともありました。

 その佐々木亜希子活弁士を地元に呼ぶことが出来るようになるまでに不思議な出来事が
あったのです。それは電話交渉だけではいっこうに進展せず、仕方なく東京まで出向いて
話し合いをしたときのことでした。

 自費での上京でしたので宿泊先は鶯谷にあるホテルパインヒル鶯谷でした。
そのホテルは偶然にも佐々木亜希子弁士たちが東京で活弁口演をスタートさせた
「東京キネマ倶楽部」の真ん前にあり、活弁口演の度ごとに打ち合わせに使われていたのが、
他ならぬホテルパインヒル鶯谷だったのです。偶然とは言えないような出来事でした。

 おまけに同じビル内にあったダンスホールこそ周防監督が映画撮影に使った
『Shall we ダンス?』の舞台となったダンスホールだったのです。

 その周防監督がこの度、久々にメガホンを握り作ったのが、他ならぬ『カツベン!』なる
封切り直前の映画なのです。

夫婦活弁士「むっちゃん かっちゃん」の連絡先
090-7543-1640
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夫婦活弁士誕生物語1

2019-11-06 10:32:27 | Weblog
 私は今、久々にブログに向かっています。

 それというのも今年の暮れには『カツベン!』なる映画が上映されると聞いているからです。
『シコふんじゃった』とか『Shall we ダンス?』で一世を風靡した周防監督による映画です。

 ほとんど痕跡をとどめぬほどに歴史の彼方に消えてしまった活弁なるものをどのように
映画化しているのか、非常に興味が持たれます。

 さて、私たち夫婦は長らく夫婦活弁士として岡山県を中心に活動を続けてきました。
私たち夫婦が活弁を始めたのは2007年の岡山映画祭の時からでした。

 この年、前の年の2006年に不慮の事故で亡くなられた松田栄一氏を追悼する意味合いから
特別企画として目玉のまっちゃんこと尾上松之助さんの映画を上映することになりました。

 ※ちなみに松田栄一さんは大の映画好きであり、映画館が岡山に出来たときからのことを
岡山文庫という一冊の本にまとめられています。
また、映画に関するおびただしい物品のコレクターでもあったと聞いています。

 尾上松之助さんは岡山市が出身地であり、無声映画時代に長く映画俳優として活躍された
方でした。

 亡くなられたときに京都での葬儀には、映画関係者ばかりでなく大勢の一般市民が参列し
別れを惜しんだと言われています。

 それというのも京都においては篤志家として知られており世のため人のために大いなる
貢献をされた方であったと聞いています。

 2007年の岡山映画祭では、その松之助さんの代表的な映画『豪傑児雷也』が上映されました。
この映画を上映するには活弁士付きでというのがフィルムの貸し出し条件だったようです。

 困ったのは岡山映画祭関係者の方々でした。プロの活弁士を呼べば多大な費用を要したから
です。色々な人に頼んでみましたが誰も引き受けてくれなかったようです。

 その時、白羽の矢が立ったのがうちの家内でした。岡山映画祭の人に活弁のワークショップの
経験があることを漏らしていたからです。

 ぜひ活弁をして欲しいと懇願されました。しかし、どうあっても首を立てに振ることは
出来ませんでした。ワークショップの経験があるとは行ってもお遊び程度のこと、更に映画の
主演者も共演者も多くは男優でした。

 如何に弁士といえども男性の声ばかりを連続で語ることには限界がありました。ということで
かり出されたのが私でした。師匠の佐々木亜希子の勧めもあって二人で活弁をすることになったの
です。

 引き受けては見たものの全くの経験がない二人、練習や脚本作りの悪戦苦闘の日々が何ヶ月も
続きました。

 そして上映当日、上映に使うフィルムと練習や脚本作りに使ったビデオテープのスピードが
全く違うというハプニングが生じました。その日の最初のリハーサル時に分かりました。

 万事休す、進退ここに極まれりと言ったところでした。午後からの本番に向けて大急ぎで脚本の
手直しをしました。良くやったと思います。こうして柳下美恵さんのエレクトーンの演奏に
助けられて何とか語り終えることが出来ました。本当に良くやったと思います。

 この時に師匠の佐々木亜希子弁士からの後押しもあってNHK岡山放送局の取材を受けることに
なりました。私たちの日常生活から住んでいる街の紹介、果ては日々の練習風景に至るまで
何日間かの取材を受けました。

 そして本番当日のハプニングまで事細かに撮影されたものが、後日、放送されました。
その放送が思わぬ反響を呼び、その後、今日に至るまで活弁のボランティアを行うことになった
のです。

 後日の全国放送を偶然にも見たという遠い親戚から電話があったのも、この時の事でした。

       夫婦活弁士「むっちゃん かっちゃん」の連絡先
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帆船時代の再来を夢見た感傷旅

2019-09-13 05:08:54 | Weblog
 私は今年の夏、家内と一緒に8月4日~8月23日まで船旅をしていました。
今回の船旅は15年前の地球一周の船旅と異なり日本一周の旅でした。私たち夫婦に
とって15年前の旅が実に思い出深い旅だったので、いつかはもう一度実現したいと
考えていました。旅行会社に申し込んで2年越しに実現した船旅でした。

 2019年8月4日に大阪港を出発し、8月23日に神戸港へ帰って来るという
約20日間の旅でした。

 私にとって今回の船旅は多少思い入れのあるものでした。それは北前船の寄港地を
海から訪ねてみることでした。そして下津井の回船問屋「高松屋」が自ら船を建造し、
カムチャッカ半島まで鮭など海産物を買い付けに行った軌跡を、ほんの少しでも
たどることが出来ればという思いがありました。

 立ち寄った港は日本国内の幾つかの港の他、外国の港としては韓国の釜山とロシアの
ウラジオストックでした。

 釜山訪問では日韓の政治的な問題から不測の事態でも起こりはしまいかと気になって
いましたが、街を歩いていても何ら違和感はなく懸念するようなことはありませんでした。

 一方、ロシアのウラジオストックは近代的な建物と古めかしい建物が混在する街でした。
そしてヨーロッパを思わせるような異国情緒が漂い、旅情をかき立てられるような街でした。

 ロシアにとって極東開発の拠点となる街として、大きな変貌を遂げつつあるように
見えました。

 通りに面してはレトロな建物が建ち並び、一方では巨大で近代的な建物が次々に
建設されていました。

 釜山にせよ、ウラジオストックにせよ急ピッチで近代化が進み、その経済力も
決して侮ることは出来ないと感じました。やはりこれからは、これら近隣諸国と
仲良くしていくことが、結局、日本の利益に繋がるのではないかと強く感じました。

 北海道に戻り最初に立ち寄ったのが小樽でした。小樽は今までにも何度か来た
こともある街でしたが、海から入ってくると言う経験は初めてでした。

 北前船が盛んに出入りした頃は、今とは比べるべくもない古い時代のことですから
今とは景観も大きく異なっていたとは思いますが、北前船もこうして海から港に
入ってきたのかと思うと感慨無量なものがありました。

 ともあれ往時を偲ぶ私のささやかな感傷の旅は終わりました。海はそのものは
今も昔も変わりません。そして船は大量輸送には適した運搬方法です。道路を作る
必要もありませんし、道路や橋のようにメンテナンスも必要ありません。

 こんなに素晴らしい輸送手段を過去のものにしてしまうのは、とてももったいない
ような気がしました。

 かつての北前船のように海を滑るように走行する帆船は、実に理にかなった省エネ型の
輸送手段だと思います。これからは近代的な装備を持った帆船が行き来する日を
夢見つつ私の旅は終わりました。

 写真はウラジオストックで撮影したものです。港での歓迎式典その他の写真です。

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人にとっての物とはいったい

2019-08-03 05:25:19 | Weblog
 私たちにとって「物」とはいったいどういう存在なのだろう。
 いわゆる「物」には様々なものがある。お金も土地も日用品も食べ物も、
価値のあるものも価値のないものも数え上げれば切りがない。

 しかし、どれ一つを取ってみてもこの世に生きているからこそ必要な
「物」であり、あの世まで持っていける「物」は何もない。

 生まれてくるときに何も持たずに裸で生まれてきたように、死ぬときも
何も持たずに死んでいく。

 「物」とは、現世だけの約束事のようなものであの世では意味を持たない。

 それなのに人間は、ありとあらゆる「物」に対し、すさまじいまでもの
執着心をもっている。

 特にお金に対する執着心にはすさまじいものがある。お金のためなら
お金以上に大切なものであっても簡単に壊してしまう。殺してしまう。

 しかし、ある年齢に達するに連れて、そんな執着心が浅ましく思え、
なんでそんなことに執着を持っていたのだろうとばかばかしく思えてくる。

 まして、死の宣告を受けたりすると、もうお金なんかどうでも良いように
させ思えてくる。

 70歳を超える年齢になると、どう考えてみても今まで生きてきた年数より
長くは生きられないことに否応なく気付かされる。

 そうなると今まで営々として蓄えてきたことさえ、むなしく思えてくる。
ましてや趣味で集めた骨董品やコレクションは、どれほどの価値があろうとも
色あせて見えてくる。

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梅雨明け十日

2019-08-01 05:56:35 | Weblog
 「梅雨明け十日」と昔から言われているが、梅雨明け以来、焼け付くような暑さが
続いている。一気に夏真っ盛りと言ったところだ。

 特に長く梅雨寒の続いていた関東以北の人々にとっては体が慣れていないだけに
大変なことだろう。

 さて八年前、歴史的な大地震が東日本一帯を襲った。そして福島県の東京電力
福島第一原発で原子炉が爆発するという大事件が起きた。

 歴史に残る大事件だ。こうした大事件は自然災害とともに起きることが多いが、
それ相応の予兆のようなものがなかったのか。いわゆる虫の知らせというやつだ。

 一見、関係のないようなことに見えて、実は重大なことを見落としているような
ことが多い。

 私には人間社会の騒動と自然災害は密接不可分のような気がしてならないのである。
そして自然からの警告は、人が気付かないだけで必ず何らかの形であるような気が
してならない。

 地球はガイアと表現され、生き物に例えられることが多い。地球は今も生きている。
それは人間の体に何億とも、あるいは何兆とも言われている微生物が共生しているのと
同じように、地球も多くの植物や動物、昆虫や魚、そして微生物を共生させている。

 地球が一つの大きな生き物である以上、地球上で生ずることは共生しているもの
全てに何らかの形で影響があり、それ相応の予兆めいたものがあっても不思議ではない。

 いま母なる天体である太陽も太陽の惑星である多くの天体の影響を受けていると
言われている。つまり太陽も太陽の惑星と共生関係にあり、宇宙の全ては互いに
共生関係にあると言っても過言ではない。遠く離れた天体も影響の度合いは違っても、
何らかの影響下にあるのではないだろうか。

 人間社会では意味不明の事件が日常茶飯事のように起きている。そして地球規模の
異常気象と火山の爆発や大地震と言った地球自体に由来する自然現象が爆発的な
広がりを見せている。

 これら全てが人間社会で生じていることと決して無縁ではない。また、歴史的に
見ても過去にも繰り返されてきたことが多い。

 私たちは大きな混乱の時代に生きている。
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カツベン・その不思議な縁

2019-06-12 14:38:36 | Weblog
 いよいよ久々に活弁を行うことになりました。先にも記事に致しました備中倉敷学の
皆様方のご招待による口演です。

 その口演の前に私たちが何故活弁に関わるようになったのか、その経緯について、
少しばかり書いておこうと思います。

 私たち夫婦が夫婦活弁士としてデビューすることになった映画が尾上松之助主演の
「豪傑地雷也」でした。2007年の岡山映画祭の時でした。

 その際にテレビ局や新聞社から質問され、自信のないままにこれからも続けていくと
宣言してしまったことが、アマチュアの活弁士として活動を始めるきっかけになったのです。

 今も各種団体や学校、公民館などの依頼を受け、少しでも活弁文化の宣伝になればと
続けています。

 私たち夫婦が活弁士としてデビューした岡山映画祭との出会いと言い、その後に続く
色んな方々との出会いや不思議な縁は、今も続いているのです。

 実は、2004年にピースボートという旅客船の中で「佐々木亜希子」というデビュー
して日も浅いプロの活弁士と出会ったのが全ての始まりでした。

 彼女を呼んで地元児島で活弁映画鑑賞会を開いてみたいとの私の熱い思いから、活弁士が
所属するプロダクションと交渉するために東京へ行ったとき宿泊したのが「ホテルパインヒルズ鶯谷」
と言う場末のホテルでした。

 何とそのホテルは交渉相手だった活弁士と活弁士が所属するプロダクションが活弁を
始めた頃、打ち合わせのためにいつも使っていたホテルだったのです。単なる偶然でしょうか。

 しかも、その向かいには活弁口演の会場だった映画館、そして、その隣は映画監督の
周防正行さんが、有名な「シャルウイダンス」の撮影に使ったダンスホールだったのです。

 実は今年の暮れに周防正行監督がメガホンをとった「カツベン」(仮称)と言う映画が
封切りになります。

 児島で活弁シネマライブを主催して15年、15年後の今年になって周防監督の「カツベン」
が封切られることになっています。

 何となく色んな出来事を通じて私たち夫婦の活弁との縁は薄くなるどころか、より一層
強いものになりそうです。

 私たちが活弁に関わることになった映画が「豪傑地雷也」でした。主演の「尾上松之助さん」
(目玉の松ちゃん)は岡山の人です。

 松ちゃんは、玉島の甕江座(おうこうざ)という座元で芝居公演中に津川雅彦さんたちの
祖父である牧野省三さんと出会いました。私は、このことを玉島での活弁口演の際、地元の
方からお聞きしました。

 日本映画の草分けとして、松ちゃんと牧野省三さんのコンビは長く続き、多くの映画が
生まれました。これまた人の縁の不思議さという他ありません。
 
 その牧野省三さんと組んで生まれた数多くの映画の中に、私たち夫婦のデビュー作となった
「豪傑地雷也」という忍術映画もあったのです。「ドロン」と一瞬にして人や物が画面から
消える忍術映画は、映画が持っている効果を最大限に活用したものではないでしょうか。

 子供は言うに及ばず大人までもが、その不思議さ故に、忍術映画の魅力に引き込まれて
いったものです。

 今も私たちはカツベンの魅力や面白さを知って貰いたいという思いから、細々ながら
活弁士として続けているのです。どうやら、どの口演においても大人たちより子供たちの方が
素直に喜んでくれます。それはまたアニメ映画やカラー映画にはない魅力が活弁には
あるのかも知れません。

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夫婦活弁士 むっちゃん かっちゃん

2019-05-28 11:56:17 | Weblog
 すっかり私たち夫婦のライフワークとなってしまった活弁口演が、また一つ
終わりました。今回は受け入れ先の希望で「突貫小僧」と「豪傑地雷也」
「子宝騒動」の三本を演じました。

 活弁映画は、一世を風靡した文化ではありましたが、今ではすっかり
忘れ去られてしまいました。そもそも映画館に映画を見に行くことすら少なく
なってしまいました。一つには娯楽が多くなったこと、更にはレンタル
ビデオの普及によって、わざわざ映画館に行かなくても自宅で映画鑑賞が
出来るようになったからでしょうか。

 しかし昔懐かしい映画館の雰囲気を味わったことのある世代にとっては
忘れがたい思い出となっています。立ち見席あり、入れ替えなしなので
上映途中からでも、あるいは何回でも繰り返し観ることが出来ました。

 私たち夫婦が活弁に使っている映画は、あまりにも古いフィルムのため、
モノクロであり映像の濃淡が弱くて、とても鑑賞には堪えそうもないものです。
それなのに活弁映画を観てくれた人は、一様に感動した、良かった、楽しかったと
言ってくれます。実際に鑑賞したものでなければ分からない活弁映画の面白さや
魅力なのです。

 監督が魂を込めて作りこんだ映画は、時代の古さを感じさせません。そして
私たち夫婦が書き上げた脚本を私たち夫婦が生音声で語り、映画説明を行います。
また音楽は、ベテランの作曲家が作曲し、自ら電子楽器で演奏しています。
こんな贅沢な芸能が他にあるでしょうか。上映会場では笑いの渦と、時には
すすり泣きの声が聞こえてきます。それによって活弁士は喜びを感じ、更に
口演に熱が入るのです。

 年齢のせいかも知れません。活弁口演が終われば、ぐったりと疲れているのが
自分でも分かります。それでも頼まれれば飽きもせずにどこへでも出かけていくのは、
私たち自身も活弁映画の魅力に取りつかれているからかも知れません。

 次回は6月13日(木)14時~「備中倉敷学」主催の鑑賞会です。
倉敷公民館で開催されます。
 まだ席に余裕があるそうですので、ぜひ観に来て下さい。お待ちしています。
次回は活弁についての数々の不思議な縁について書いてみようと思います。
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次元上昇

2018-11-02 05:09:08 | Weblog
 次元上昇などと書くと何となくオカルトのように受け取られかねないのですが、
私の考えている次元上昇は、決してそのようなものではなく人々の心の中に生ずる
変化のようなものではないかと考えています。従って、心の中の変化は人それぞれで、
決して一様なものではないと思います。

 過去を遡ってみますと、様々な変化の時代がありました。一番手近な変化の
時代は第二次世界大戦や太平洋戦争が終わった時、更に遡れば幕末から明治維新に
かけて、そして更に遡れば戦国時代が終わり徳川幕府になった時、と言うように
時代ごとに大きな節目のようなものがあります。

 こうした節目、節目は、人々の心にも大きな変化をもたらしてきました。
そして次の時代の到来と共に社会にも大きな変化を見せて来ました。
このように私たちは時代の移り変わりを様々に体験してきたのではないでしょうか。
そして今も大きな変化の時代の中にいます。

 現在は既成のシステム全体にひずみが生じ、価値観に大きな変化が生じ、
資本主義が終わりを迎えようとしています。また人間自らが作り出してきた
環境問題が人間の将来を危うくしています。また、宇宙規模と言っても
良いような地球や天体にも大きな変化が生じています。 

 まさに「進退窮まれり」と言った状況に見えます。しかしながら、人間が
生きて行くためには、このままというわけにはいきません。何とかしなければ
ならない切羽詰まった状況です。しかしながら人間は、どのような困難な時代も
生きてきました。

 私が次元上昇と考える変化は、変化とは関係のない生き方をしている人、
変化を敏感に受け止めている人と言うように二極分化しているように思われます。
変化を敏感に感じる人は、すでに新しい生き方を模索しています。そして実行しています。

 この二極分化は、その人の人生に大きな変化をもたらすとともに、社会にも
大きな変化をもたらすことは間違いがないと思われます。既に混乱の時代から
新しい時代が始まっています。そう感じています。次元上昇は、新しい生き方を
している人には訪れているのだと思います。

 また、これを良いとか悪いとか論ずるのではなく、それはそれで、それぞれの
人生と受け止めても良いのではないでしょうか。宇宙船地球号は様々な人生を
乗せて今も新しい時代に向かって動き続けています。
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時代のうねり

2018-10-11 05:00:26 | Weblog
 常に時代は海のように大小のうねりを伴いながら変化し続けているもののようです。

 2018年は、天災という面において記録に残るような年になるのではないでしょうか。
振り返って見ますと、今から14年前の2004年も同じような年でした。この年も台風が
繰り返し襲ってきて、日本各地に甚大な被害を残しました。

 気候穏やかだと言われていた瀬戸内海に面するこの地方にも珍しく大きな被害がありました。
瀬戸内海沿岸が広範囲に高潮の被害にあったのです。瀬戸内海に面したところは干拓地が多く、
こうした標高の低いところが海水の浸食によって水没したのです。玉野や児島、水島や対岸の
高松などでした。

 また雨を伴わない激しい風は大量の海水を巻き上げ、台風が過ぎ去ってからは電線などに
塩分が残り、これが原因で絶縁不良となって、電気にとっては最大の被害をもたらしたのです。
水島コンビナートや広島など各地で大規模な停電が発生しました。

 私たち夫婦は、2004年の10月に地球一周の旅に出たのですが、ずっと後になって
インドネシア沖で発生した大地震によって大津波が発生し、インドネシアだけでなく近隣諸国
にも大きな被害をもたらしたことを知りました。船にはずいぶんと遅れて新聞記事が届きました。
私たちは、そのニュースをむさぼるように読みました。

 実は出港間もなくのこと、新潟県の山古志村当たりを震源地とする大地震があり、心配をされた
出身地近くの方は旅行途中でしたが、船を下りてお帰りになったという話を聞きました。

 そして2018年の今年は「晴れの国 岡山」と呼ばれ、気候が穏やかで天災の少ないことが
自慢だった岡山県も自慢の鼻を折られるような天災が起きました。県南から県北に至るまで
広範囲に大雨による洪水被害を受けたのです。私の知人の幾人かも被災者となりました。
被災地の復興は、今もあまり進んでいないようです。

 相次ぐ台風の襲来と、更には2004年と酷似するようにインドネシアで大地震による大津波が
発生しています。また、高槻市周辺で地震が発生し、北海道でも大きな地震がありました。
まさに2018年は2004年と酷似しています。と言いますか、日本にとってはまるで厄年の
ような最悪の年になりそうです。

 天災ばかりでなく人の世も様々な変化を見せています。世界に大きな影響力を及ぼす国と
言えばアメリカです。そのアメリカであり得ないような出来事が生じました。今まで全く
政治には無縁だった人が大統領になりました。この大統領の誕生は少なからぬ影響を世界に
及ぼしています。

 昨今は、意図的に誰かが何かをしようとしている。そんな風にもとれる出来事が続いています。
激動の時代であった幕末から明治維新当時を振り返ってみますと「ええじゃないか、ええじゃないか」と
お伊勢さんのお札をばらまきながら練り歩いたという狂信的な人の群れを思い出します。

 一見、平穏に見えますが、刹那的な生き方しか出来ない人や生きることをはかなんで自ら命を絶つ人、
更には色んな薬物に溺れる人が日本だけでなく世界中で見られます。銃の規制がないアメリカでは
銃の乱射事件が後を絶ちません。そして数々のテロ事件、世界中で狂気が渦巻いています。
もし神がいるとすれば、神は何を考え何をしようとしているのでしょうか。

 一方、幕末の混乱期から明治にかけて偉人と呼ばれるような人が数多く誕生しましたが、
今も同じように意欲に溢れた人が数多く生まれています。従来の組織に従順な人だけではなく、
組織とは関係なく大きく羽ばたいている人達がたくさん見られます。

 実は混乱期も見方によっては新しい秩序が生まれ整っていくための過渡期だとも言えます。
これも波のような時代のうねりだと見たら面白いかも知れません。世の中は一歩たりとも歩みを
止めることなく前へ前へとひたすら進み続けている。自然も人の世もダイナミックにうねりを
伴いながら進化し続けている、そんな気がするのです。
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