人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

今年も終わり

2011-12-26 12:38:23 | Weblog
 日本列島をすっぱりと覆うような寒気が入り込み各地で大雪警報が出されている。幸いなことに
ここ瀬戸内海沿岸はこんな時でも滅多に雪が降り積もるような事はない。

 街はクリスマスから年末へ、そして正月へと大変な混雑と賑わいを見せている。幸せなことに
ここにはあの東日本の深刻さは微塵も感じられない。例年と変わらない日々の営みがあり年末の
慌ただしさがある。

 ただ身辺の大きな変化としては私が勤め始めた事であろう。8月から勤め始め、早や5ヶ月が
過ぎようとしている。日常の大半を置き去りにしたまま慌ただしい5ヶ月が過ぎた。家には未だに
夏のすだれが下がり、畑はいささか荒れ放題という状況だ。身は一つこれもいか仕方のないことか。

 さて、久々に休んだ一昨日はすだれを外し、汚れた窓を掃除した。そして畑のさと芋を掘り、
来年用の種芋も確保した。これからどの程度のことが出来るか分からないが、今の勤めが終わり
再開できるようにだけはしておきたいと思っている。果てさて、それもどういうことになるか。

 昼までに外回りのことを終え一段落した頃から急速に冷え込んできた。早々に家の中に籠もり
TBSの報道特集を見た。2時25分過ぎからの番組はあの忌まわしい東日本大震災を時系列毎に
まとめたものであった。

 地震や津波関係の多くの映像が映し出され、気分が悪くなった人は見ないで欲しいという注意書き
まで添えられていた。ほとんどの映像はリアルタイムであの日見たものであった。今更ながら津波の
すさまじさをまざまざと感じさせられる映像であった。

 二度とあってはならないと言われながらも何度も襲われてきた大津波、何と人間の記憶や教訓の
むなしいものか。教訓の多くは経験者一代限り、後世のために石碑まで建てられていながら多くの
人は何を考えていたのだろう。

 よもやこれ以上の津波は来ることはないだろうと巨大な防波堤を築き安心していた。一見強固に
見えた構築物を微塵に打ち砕くような自然の破壊力、私達はこうした状態を見て何を教訓にし得た
であろうか。

 3.11は私達の考えをリセットするための絶好の機会ではなかったのか。生き方を精算する
ための機会ではなかったのか。

 あの原発が4基も同時に破壊するなど誰が考えたであろうか。それまでは微量な放射能の放出
でさえ異常事態であり考えられないことであった。それがこともあろうにあれよあれよと言う間に
4基とも大爆発をするなど、おおよそ考えられないようなことが生じてしまった。

 しかも二度も核の洗礼を受けた日本に生じたことであった。遠因を探れば色々あるに違いない、
そもそも被爆国日本が原発を作ったことからして間違いだったと言えるだろう。そうしたことを
考慮に入れながらも運命的なものを感じざるを得ない。

 私達日本人は誰も体験し得なかったようなことを同時に二つも体験してきた。そしてこの先
更にもう一つが生じないとも限らない。その可能性は非常に大きい。

 今こそ私達はもっと自分の生き方に謙虚になり、自然に寄り添った生き方を模索すべき時では
ないのだろうか。もっと他の生き方がきっとあるはずである。目の前のお金や物だけでなく精神的
に充実した生き方があるはずである。来るべき2012年はそのような生き方の再出発の年にしたい。
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ものつくり、人作り、友達作り

2011-12-12 05:14:10 | Weblog
 色付き始めた山々も一気に葉を落とし冬近しと言ったところであろうか。掃いても掃いても
次々に落ちてくる落ち葉。やがてこれらの落ち葉も風に煽られ散り散りに散っていくのだろう。
さて、今年の冬はどんな冬なのだろうか。

 市民交流センターに勤務し始めて4ヶ月目に入った。この間、様々に多くの人に出会って
きた。そして今も新しい出会いが続いている。こんな経験を通して人は何故この世に生を受け、
何故、生かされているのだろうと考えるときがある。こんなことをこの年になって思い至る
のも遅いように思うのだが。

 こんな激動の時代に思いもよらぬことから勤め始めた今の仕事。この仕事は奇しくも13年
前に立ち上げた私のホームページのタイトル「ものつくり、人作り、友達作り」そのもので
あり誠に予言めいていて興味深い。

 ホームページを立ち上げた当時、このように壮大なテーマを現実に取り組むようになろう
とは夢にも思ってみなかったことである。ましてやテーマそのものを仕事にするようになろう
とは・・・。こうして一日に二人も三人もと新しい人との出会いがあり、新しいテーマが
展開しつつある。

 これらの多くは私自身の働きかけや努力だけでなく相手の方から飛び込んでくるものも少なく
ない。そして懸案事項として抱えていた問題が少なからず解決の方向に向いていく。努力をして
いるわけでもない。思い悩んでいるわけでもない。全ては流れるままにしているだけである。

 まさかと我と我が身を疑いつつ今日に至っているが、どうたらこれは夢でもなければ幻でも
ないようだ。全ては自然の成り行きである。今や思い悩む前にいつかは必ず実現する、全ては
解決すると漠然と思えるようになってきた。時至れば焦らずとも全ては良い方向に流れていく
ようである。そして何よりも直感的に行動することの方が結果は良いようである。

 さて、ヨーロッパの金融不安は経済成長著しい中国にも暗い陰を投げかけているようである。
ヨーロッパの経済不安は中国からの輸出品の主力であった大量生産品(日用雑貨、おもちゃ、
繊維製品など)の多くに暗い影を落としている。

 そして中国の不動産バルブは頂点を極め行き詰まりを見せている。どうやら不動産バブル
の崩壊が始まったようである。インフレ政策は緩めすぎても行けないし締めすぎてもいけない。
なかなかにコントロールは難しいもののようである。国内産業の拡大化に伴いインフレも
少なからず助長されてきた。

 そして高速鉄道事故に見られるように著しい経済発展は綻びが見え始めている。地溝油に
見られるような儲けになりさえすれば何にでも手を出すという中国人特有の悪い面が各所に
顔を出している。

 その一例が先の中国漁船の乗組員が韓国の警察官を殴打し死亡させてしまった事件であろう。
国家自らが他国の海域まで入り込んで軍事的な示威行動をしたり資源調査をしているのだから
示しが付かないんは当たり前であろう。どうやらこうしたことが平気で出来るのは中国人の
体質のようである。(CDやDVDの海賊版、ブランドもののコピー商品、粉ミルクへの
メラミン混入、偽の塩、医薬品問題、地溝油などなど)

 北朝鮮の指導者金正日氏が死去した。後継間もない若き指導者を残したまま。今までも
金正日氏はひとかたならぬ軍関係者への気遣いを見せていたようであるが、これからは
ますます軍への依存度は高くなるであろう。全ては軍の手に委ねられていると言っても
過言ではない。

 もはや金日成氏のようなカリスマ性もなければ父親の金正日氏のような気遣いを持たぬ
ボンボン育ちの新しい指導者に何が出来るというのであろう。当分は中国の動向と軍の対応
を見守っていく必要があるだろう。

 それにしても日本の大地震と大津波、そして原発事故、中近東で吹き荒れた革命の嵐、
そして今も続くヨーロッパ経済の破綻、そして地球温暖化に伴う世界規模の気候変動、
そして中国や北朝鮮、ロシアの支配体制の陰り全ては何かに連動するがごとくに大きな
変動期、変革期を迎えようとしている。

 はてさて、2012年はどのような年になるのであろうか。
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冬はそこまで

2011-12-05 04:46:56 | Weblog
 ここのところ周辺の山の黄葉が目立つようになった。これらの山々も30年ほども前だったら
松の木の方が目立っていたが、ここのところ松の木はほとんど見かけなくなってしまった。大半は
松枯れの被害で消えてしまったようだ。

 何度か復活の兆しを見せたものの、それも一時だけのものだったようだ。そんなわけで今、山に
生えている木々の大半はドングリのような雑木の類ばかりである。

 お陰でと言うべきか、晩秋になると山は一斉に黄葉するのである。単なる黄土色なのだが、それは
それで晩秋の澄み切った青空に映えて美しい。12月上旬が黄葉の季節となる瀬戸内海地方である。

 一方、北海道を初め北国の各地では本格的な冬に突入したようだ。台風並に発達した低気圧が北海道
近くにあり、これが冬の嵐をもたらしたようである。

 黄葉と言えば児島市民交流センター横にある橋の公園の紅葉も美しい。数本ある紅葉(もみじ)が
一斉に色付き、公園に風情を添えている。こちらは黄葉ではなく紅葉(こうよう)である。

 せっかく良く手入れされた美しい公園なのに枯山水の砂利の中に走り回ったような足跡がある。
そして周辺の植え込みの中で犬がかき出したものと思われる堆肥が路上に散乱している。これは
一度だけのことではない。毎日のように続いていることから散歩に来た犬がかき出したものに違い
ない。

 また、芝生の中には犬の糞が散乱している。飼い主のマナーが実に良くない。倉敷市では新たに
条例を制定し、これら飼い主達を取り締まっている。ここへ来る飼い主は知らないのだろうか。
こうした公共の施設はみんなできれいに使いたい。


 児島市民交流センターはオープン後二ヶ月が過ぎ三ヶ月目が始まっている。忙しい日々を過ごして
いる。ここに勤めていると新たなる人との巡り会いが多い。これも役得と言うべきものだろうか。
人と接することが好きな私にとってまたとないポジションであり、このポジションにいることを感謝
しつつ更に新しい巡り合いや新しい取り組みを待っている。

 私にとって今までならどれ一つとっても大きな行事ばかりであったが、そんな行事が目白押しであり
今はただ前へ進むだけの日々を過ごしている。


 さて、こんなわけで畑にもあまり行けなくなったが、野菜畑では何とか食する程度には出来ている。
果樹の方はEM農法が定着したようで、寒肥として油粕や米糠程度の肥料だが今年も見事な実りの
季節を迎えている。

 青くて目立たなかった柑橘類も色付き始めるに従って、こんなにも成っていたのかと今更ながら
驚いている。自然の恵みに感謝しつつ自然の素晴らしさを噛みしめている。

 思いがけず庭の柿が豊作であった。富有柿もたくさんなり、その上、渋柿の王様であるあたご柿が
たわわに実った。あたご柿を贅沢に吊し柿にし、更には合わせ柿にした。完璧に渋の抜けた柿は
他の柿にはない美味しさがある。

 ここ数年のEMのお陰でやっとその効果がはっきりと確認できるようになってきた。実に4年越しの
ことである。EMに関しては何よりも継続が必要な条件のようである。継続は力なり。
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困難な時代を乗り切るために

2011-12-01 05:40:23 | Weblog
 やっと今年最後となる活弁口演が終わった。この活弁は岡山のデジタルミュージアムが企画した
「大正時代のおかやま」と称する企画展の中で行われた。

 何でも今年が大正から数えて100年目に当たるそうで、平成も23年ともなると大正時代も
遠くなりにけりと言うところだろうか。父も母も大正生まれだったが、もう亡くなってしまった。

 岡山で生まれた映画界の巨人と言えば「尾上松之助」である。目玉のまっちゃんと親しまれ一世を
風靡した大スターである。この松ちゃんの「豪傑児雷也」を活弁で上映したのが4年前、奇しくも
このデジタルミュージアム内の同じ会場であった。岡山映画祭2007年、今から4年前のことで
あった。

 以来、私達夫婦は「夫婦(みょうと)活弁士 むっちゃん かっちゃん」と称してボランティアで
活弁を行ってきた。過ぎ去ってみれば早いものでもう4年にもなるのだ。振り返ってみれば今年だけで
19回も色んな会場で活弁を行ってきた。

 ひたすら活弁という「古くて新しい語りの文化」を多くの人に知って欲しい楽しんで欲しいと思い、
始めたものだ。岡山映画祭との出会いがなければ、松田さんという方との縁がなければ、更に言えば
佐々木亜希子弁士を地元児島に招き「児島活弁シネマライブ」というものを始めていなければ今日は
なかった。そう思うと感慨無量なものがある。

 この度は松田栄一さんの弟さんからお招きを頂き昼食を共にした。前回のお礼と、今回の出演を
祝しての招待だったと思っている。紙面を借り心からお礼を述べさせて頂きたい。

 残念ながら活弁というものの知名度が今もって少ないだけに会場の入りは今ひとつであった。
しかし、会場に来ていただいた方々からは一様に良かった、こんなものだとは思わなかった来て
良かったと感動の感想を聞かせていただいた。

 4年前の棒読みのような未熟な活弁からやっとそれらしく語ることが出来るようになったことは
未熟なりにも歳月の積み重ねによるものだろうか。いよいよ来年は満を持して長編ものに挑戦しようと
思っている。



 さて、大阪市長選、県知事選は橋下氏が率いる維新の会が圧勝した。既成政党が推薦する候補は
いずれもが落選した。これは何を意味するものなのだろうか。良く良く考えてみなければならない
大きな問題である。

 自民から民主へと多くの人々の期待を後押しに政権は交代した。にも関わらず現実の政治に目新しい
ものはない。それどころか政治の置かれている状況はますます悪化の一途を辿っている。

 それは根底に根ざしているものが全く改善されていないからではないだろうか。言葉は悪いが頭を
据えかねただけで根底にある行政面が全く改善されていないことに起因している。依然として役人
天国なのだ。

 そして既得権だけが幅を利かすような世の中なのだ。組織の中で働く者のものの考え方や行動が
変わらなければ政権がいくら変わっても大きな変化は望めない。人間で言えば高齢化した脳のような
もので、若者のような柔軟な脳を失っている。

 それは行政だけでなく、社会全体にも言えることだ。人は社会保障だけを当てにして自らの努力を
忘れている。健康保険は既に破綻している。年金保険も破綻している。なのに健康保険は国民皆保険
であるが故に健康に対する気遣いや努力を怠った者にも一様に恩恵を受けることが出来るようになって
いる。

 私達は戦後の何もない時代から自らの力で生きてきた。生きるべき道を手探りながら生きてきた。
そのたくましさを忘れ、何かあればすぐに他を頼みにしている。国の財政は底をつき最早、再生の
力を失っている。

 実は、東日本大震災はそうした政治や社会の在り様に対する警告なのではなかったのか。のべつ
まくなしにエネルギーを垂れ流しのように使い、挙げ句の果てに再生不可能なまでに温暖化は進んで
しまった。こうした全てのことを問い直すべき時ではないのだろうか。

 不平や不満は政治だけで解決できる限界を超えている。だからといって政治に無関心で良いと言って
いるのではない。政治には目を向けつつも全てのことに対し我がこととして考え対処していくべき時代
ではないだろうか。

 もっともっと個々がしっかりしなければ今以上に困難な時代を乗り切ることはとても不可能ではない
だろうか。そんな困難な時代がもう目の前に来ているような気がしてならない昨今である。



 福島第一原発1号機はメルトダウンが進行しチャイナシンドローム直前だったことが明らかになった。
実は早くから分かっていたことではないだろうかと思うのである。チャイナシンドロームとはアメリカ
のスリーマイル島での原発事故の際に使われた言葉である。

 核燃料棒の溶解によって圧力容器や格納容器を溶かし岩盤にまで達するような事故のことを称して
そう呼んでいる。恐ろしい事故が直前にまで及んでいたことになる。岩盤に達すると更には地下水に
触れ壊滅的な巣蒸気爆発を起こす危険性が考えられた。

 原発事故のその後についてはまだまだ明らかになっていないことが山ほどあるに違いない。いったい
この困難をどのようにして克服していくのだろうか。注目していきたい。それにしてもエネルギー
として取り出すことの出来るウラン235は数%しか含まれていないと言う核燃料棒でさえ、このように
危険なものである。それでは核爆弾は・・・。考えてもみたくない恐ろしいことである。
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