サービス精神が旺盛な私は、子どもの頃から喜んで貰いたい、喜んで貰えれば、
それだけで幸せを感じていました。幼かった頃、大好きだった担任の女先生を
喜ばせたくて、ひょうきんな事ばかりしている子でした。
その「喜ばせたい」が心が高じて、今は「むかし下津井回船問屋」のおやじを
演じています。「むかし下津井回船問屋」は、公的な施設なのですが、心は宿屋の
おやじ気分です。徹底的にお客様サービスをして喜んで貰いたい。その喜びを
「大切な旅の思い出」にして貰いたい。それが楽しませる側の任務だと思って
日々を過ごしています。
お金に執着しすぎると、大切なサービス精神が薄れてしまいます。接客の態度で
観光客には何となく分かってしまいます。この人は本気なのか、それとも単なる
口上手なのか。
商品を売るとき、あるいは観光地としての下津井を売り込むとき、必要なのは
サービス精神と物語(ストーリー)、言い換えれば「心を売る」ことなのです。
人の世の中は、物やお金を中心としたものではありません。表向きは、そのように
見えていても、大切なのは心と心のふれ合いであり、心と心の受け渡しなのです。
物語を売るとはいったい何でしょうか。同じ活きの良い鯛を売るにしても、
ただ活きが良いと言うだけではなく、この鯛はこの地元、実は目の前の海で取れたこと、
どのようにして獲ってきたのか、その海はどんな海なのか、実は潮の流れが
速いから身が引き締まって味が良いのだと言うことを説明するのと、しないのでは
同じ鯛でも異なって見えてきます。味も変わります。
同じものでもお土産に買ったものと、ホテルで食べたものは何となく違います。
何故でしょうか。それは、ホテルでの食事と我が家での食事とでは、雰囲気がまるで
異なるからです。それでも家族と一緒に旅の思い出を振り返りながら食べると、
また少し味が良くなるかも知れませんね。
土地の人に土地の人の言葉で話しかけられれば、それだけで旅の思い出は倍になります。
そして、そこにその土地に伝わる伝説などのお話しが加わると、もう思い出は忘れられない
ものとなります。
東北の秋田県に鹿角(かずの)という駅があります。この駅から地元の語り部が
乗ってきて乗客に民話や伝説を語り聞かせてくれます。方言丸出しのお話しです。
旅の情緒が一段とアップします。
旅は景色もお土産も必要ですが、その土地の人とのふれ合いこそ、旅の醍醐味と
言えるのではないでしょうか。観光ガイドのコツは、流ちょうに説明をすることではなく、
たどたどしくても方言を交えて素朴に語りかけることが一番必要なことなのです。
私は、むかし下津井回船問屋のホームページの冒頭に下記のような文章を書き
記しました。私が下津井と言う街に来て、最初に感じた素朴な思いを文章にした
ものです。ここに二年近くもいると、その新鮮だった景色も当たり前になってしまい、
いま書けと言われても恐らくは出てこない文章だと思います。
幼い頃に走り回ったことのある細い路地。
ふと昔の自分に出会えるような街の角。
遊び回って喉が渇けば、この井戸で渇きを癒やし・・・。
「ひるね姫」の神山監督も、きっとこんな感覚に陥ったのだと思います。下津井と
言う街は、そんな懐かしさの溢れた街なのです。それは江戸時代の昔から明治、大正、
昭和と続いた街だけが持っている独特の味わいなのです。
そして、そこで生まれ育った人達の心が宿っている街なのです。京都には京都の
良さがあり、奈良には奈良の良さがあります。そして、ここ下津井には下津井ならではの
良さがあります。京都にも奈良にもない北前船で栄えた港、漁業を生業とした人達の
泣き笑いの人生が凝縮した街なのです。
改めて観光とは心と心が通い合うこと、それは人の世であってみれば当たり前の
ことなのなのですが。そして、そのことは観光だけでなく全てのことに通じることだと
思います。物の売り買いも、ただ単に物を売れば良いというものではありません。
そこに通じ合う心がなければ売る品物にも心が通いません。
それだけで幸せを感じていました。幼かった頃、大好きだった担任の女先生を
喜ばせたくて、ひょうきんな事ばかりしている子でした。
その「喜ばせたい」が心が高じて、今は「むかし下津井回船問屋」のおやじを
演じています。「むかし下津井回船問屋」は、公的な施設なのですが、心は宿屋の
おやじ気分です。徹底的にお客様サービスをして喜んで貰いたい。その喜びを
「大切な旅の思い出」にして貰いたい。それが楽しませる側の任務だと思って
日々を過ごしています。
お金に執着しすぎると、大切なサービス精神が薄れてしまいます。接客の態度で
観光客には何となく分かってしまいます。この人は本気なのか、それとも単なる
口上手なのか。
商品を売るとき、あるいは観光地としての下津井を売り込むとき、必要なのは
サービス精神と物語(ストーリー)、言い換えれば「心を売る」ことなのです。
人の世の中は、物やお金を中心としたものではありません。表向きは、そのように
見えていても、大切なのは心と心のふれ合いであり、心と心の受け渡しなのです。
物語を売るとはいったい何でしょうか。同じ活きの良い鯛を売るにしても、
ただ活きが良いと言うだけではなく、この鯛はこの地元、実は目の前の海で取れたこと、
どのようにして獲ってきたのか、その海はどんな海なのか、実は潮の流れが
速いから身が引き締まって味が良いのだと言うことを説明するのと、しないのでは
同じ鯛でも異なって見えてきます。味も変わります。
同じものでもお土産に買ったものと、ホテルで食べたものは何となく違います。
何故でしょうか。それは、ホテルでの食事と我が家での食事とでは、雰囲気がまるで
異なるからです。それでも家族と一緒に旅の思い出を振り返りながら食べると、
また少し味が良くなるかも知れませんね。
土地の人に土地の人の言葉で話しかけられれば、それだけで旅の思い出は倍になります。
そして、そこにその土地に伝わる伝説などのお話しが加わると、もう思い出は忘れられない
ものとなります。
東北の秋田県に鹿角(かずの)という駅があります。この駅から地元の語り部が
乗ってきて乗客に民話や伝説を語り聞かせてくれます。方言丸出しのお話しです。
旅の情緒が一段とアップします。
旅は景色もお土産も必要ですが、その土地の人とのふれ合いこそ、旅の醍醐味と
言えるのではないでしょうか。観光ガイドのコツは、流ちょうに説明をすることではなく、
たどたどしくても方言を交えて素朴に語りかけることが一番必要なことなのです。
私は、むかし下津井回船問屋のホームページの冒頭に下記のような文章を書き
記しました。私が下津井と言う街に来て、最初に感じた素朴な思いを文章にした
ものです。ここに二年近くもいると、その新鮮だった景色も当たり前になってしまい、
いま書けと言われても恐らくは出てこない文章だと思います。
幼い頃に走り回ったことのある細い路地。
ふと昔の自分に出会えるような街の角。
遊び回って喉が渇けば、この井戸で渇きを癒やし・・・。
「ひるね姫」の神山監督も、きっとこんな感覚に陥ったのだと思います。下津井と
言う街は、そんな懐かしさの溢れた街なのです。それは江戸時代の昔から明治、大正、
昭和と続いた街だけが持っている独特の味わいなのです。
そして、そこで生まれ育った人達の心が宿っている街なのです。京都には京都の
良さがあり、奈良には奈良の良さがあります。そして、ここ下津井には下津井ならではの
良さがあります。京都にも奈良にもない北前船で栄えた港、漁業を生業とした人達の
泣き笑いの人生が凝縮した街なのです。
改めて観光とは心と心が通い合うこと、それは人の世であってみれば当たり前の
ことなのなのですが。そして、そのことは観光だけでなく全てのことに通じることだと
思います。物の売り買いも、ただ単に物を売れば良いというものではありません。
そこに通じ合う心がなければ売る品物にも心が通いません。