人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

ナルニア国物語

2006-02-28 22:08:06 | Weblog
 三月公開予定の映画「ナルニア国物語」が早くから話題になっている。
イギリスの作家が書いた小説をウオールトディズニーが映画化したものだ。
この映画もそうだが、ファンタジー映画の原作の多くがイギリスで書かれた
ものだと言うから、イギリスという国には何かしらファンタジックな事を
連想させるような雰囲気があるのかも知れない。それは気候によるもの
なのか、それとも自然そのものがそんな雰囲気を持っているのだろうか。

 そのナルニア国とは白い魔女によって百年もの長い間、冬に閉ざされた
国だったという話だ。何かしら一万年以上も前の氷河期を思わせるような
話だ。しかし、氷河期のような最悪の環境の中でも人類の祖先達は智慧を
働かせて生き抜いてきた。
 私達日本人の体の中にも、そんな酷寒の地で命を繋いできたブリヤート
人達のDNAが受け継がれてきていると言うから、想像の世界ではない
現実のナルニア国物語だ。
 そんな氷河期が終わり世界はいっきょに温暖化の時代に突入した。氷河期
には、あのベーリング海峡でさえ陸続きであったらしい。多くの動物や私達
の祖先達は陸続きだったベーリング海峡をアメリカ大陸へと渡っていった。
今のインディアンの祖先達だ。そして、その末裔達は更にアメリカ大陸を
南下し続け、ついには南米最南端の地にまで達した。ここもまた氷河期の
頃と変わらない酷寒の地であった。しかし、ヨーロッパ人達がこの地へ
上陸を始めてから、この末裔達の多くが死に絶えてしまったと聞いている。

 さて、今は地球温暖化の時代だ。今日のニュースでも南太平洋に浮かぶ
南海の楽園「ツバル」が、かつてないほどの大潮による浸水被害を受けて
いると報じられていた。ニュースにならないほど小さな国の出来事だから
報道時間も短く、見落とした人も多いのではないだろうか。「ツバル」と
いう国は島のすべてが珊瑚礁で出来ている。従って、海抜は0メートルに
近い。ここ十数年近く前から、この時期の大潮になると島の内陸部にまで
浸水し、海岸は打ち寄せる波によって激しく浸食されてきた。島民すべて
の移住も考えなければならないような深刻な事態が続いている。そして、
今年は今までにないほどの浸水被害であったようだ。
 こうして「ツバル」の状態を観察していると海面は確実に上昇を続けて
いるようだ。ナルニア国のように永久に冬だというのも困るけれど温暖化
による海水面の上昇も困る。しかし、事態がここまで深刻になってくると
白い魔女でも呼んで魔法でもかけて貰わないと海面の上昇は止まりそうも
ない。そして、その分だけ北極や南極の氷は溶けて小さくなっている。
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過疎化

2006-02-27 09:55:19 | Weblog
 イタリアのトリノで開かれていた冬季オリンピックが終わった。開放的
なイタリア人らしい演出で開幕も閉幕も華やかだった。オリンピックは
スポーツを競うだけでなく、国際的な交流の場にもなっている。日本人が、
考えているほど外国の人の多くは日本の事を知らない。中には未だに
「ちょんまげ」をしたり着物で過ごしている国だと、まじめに考えている
人がいてがっかりさせられることも多い。こういう機会を通じて日本の
ことをもっと知って貰うことは、とても大切なことだ。こうして東洋の
遙か東にある日本という国が、どんな国なのかを考えて貰えるだけでも
意義のある事だったのではないだろうか。
 その上、唯一とは言え荒川静香選手が華やかな氷上の舞で金を取り華を
飾った。また、男子の大回転でもメダルこそ逸したものの入賞者を二人も
出すという快挙だった。総じてメダルには手が届かなかったものの、次の
オリンピックでの活躍が期待できる選手が少なくなかった。選手の皆さん
には長い長い次の四年間かも知れないが、がんばって貰いたい。


 さて、日本は急速に少子高齢化の道を歩んでいる。日本人の平均寿命が
延び、平均余命が伸び、その上、少子化が進んでいる。この先、三人に一人
は65歳以上の高齢者という時代が来ると言われている。現に私が入って
いる俳句のクラブでもほとんどは65歳以上の高齢者だ。その上、一人
住まいの人が実に多い。孤独な境遇や年取ったお母さんのことを詠んだ句も
少なくない。いずれも今の時代の姿を反映していると言えよう。
 仲間の中には、つい一年ほど前、長らく入院しておられた高齢のお母さん
を亡くされた人がおられる。その人の故郷は岡山県の山間部で、お母さんが
住んでおられた家はお母さんが入院されて以来、長らく空き家になっていた
そうだ。聞けばその家だけでなく周辺にも同じような家がたくさんあると
いう話であった。
 私達が住んでいる町の中も新しいマンションが次々建てられる一方で
空き家が目立つようになってきた。一緒に俳句を習っていた人の中からも
一人、二人とやめていく人が増えている。長らく一人住まいだったけれど
病気になって都会の娘さんのところへ行ったとか、ご主人が倒れられて
看病のためにやめたとか、理由は様々だがいずれも高齢化問題と切り離し
ては考えられない事ばかりだ。
 高齢化問題は少子化と切り離しては考えられない。子供がどんどん産まれ
てくれば平均年齢は下がり高齢化には歯止めがかかる。しかし、合計特殊
出生率が1.26等と言う状態では歯止めどころか高齢化はますます進み、
総人口が一億人を切る日もそう遠くはない。
 一方、子供を産み育てるにしても何かと問題の多い時代だ。そんな苦労
までして生むことはないと言うのが若い人達の考え方ではないだろうか。


 先には通園途中の園児が中国からお嫁に来ていた若いお母さんによって
殺害されるという悲しい事件があった。子供さんを亡くされたご両親や親族
の方には慰める言葉もないが、加害者である女性についても聞けば聞くほど
気の毒な話だ。お隣の中国は一方では華々しい経済成長を遂げながらも一方
では口減らしに近いような事も行われている。本来なら中国国内での結婚が
望ましいのだろうけれど、斡旋人の口車に乗せられて日本に連れて来られた
女性も多いと聞いている。日本へ行けば飯が食える、裕福な生活が出来る、
日本に行きさえすれば何とかなるのではないだろうか、みんなそんな甘い
夢を抱いて渡って来たのではないだろうか。しかし、現実の日本は思い描い
ていたような社会ではなかった。田舎までもが厳しい競争の社会だった。
言葉の壁、なじめない日本社会、現実の社会に押しつぶされそうになる気持
ちが一番弱いものに向けられたとしか考えられない。
 しかし、これは中国からお嫁に来た彼女だけの問題だろうか、日本社会が
病的に抱えている問題がはからずも露呈したことのように思えてならない。
私達、これから年を取っていくものにとって安閑とはしておれない問題が
山積している。山間部に起きている過疎化に伴う問題は、いずれ私達の地域
にも生じてくる問題だ。どうすれば良いのか、今から真剣に考えていくべき
問題ではないだろうか。決して他人事ではない。
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温かい雨

2006-02-26 22:27:52 | Weblog
 ここのところ周期的にお天気が変化し始めたようだ。今日も朝から雨
だった。しかし、部屋の中も外もひと頃ほどの寒さを感じなくなった。
どうやら季節は冬から本格的な春へと確かな歩みを始めたようだ。
 春先には雨が多い。この雨は農作物を作るものにとっては、とてもうれしい
雨なのだ。日本には梅雨があるから良いではないかと言う人がいるかも
知れないが、梅雨の雨は気まぐれで当てにならない。また、この季節に降る
雨はいっときにどっと降るような激しい雨ではなく、大地を柔らかく潤して
くれるやさしい雨だ。
 しかし、この雨も時として雪に変わることがあるから安心は出来ない。
日本列島も縦に長く、東北地方や北海道等のようにまだまだ雪のところも
あるようだ。また、気温の上昇や雨混じりの重い雪は表層雪崩を起こす
から大変危険だ。そんな雪に伴う事故も発生しているようだから、今少し
注意が必要かも知れない。


 一方、この温かさは何かしら夏場の気温上昇を予測させるようで不気味だ。
専門家によると今年も長く厳しい夏ではないかとの話だ。また、一昨年の
ような激しい夏台風の襲来も懸念されている。
 三十度を超える気温の上昇は植物にとっても決して良いことではない。
私は三十年近く果樹を作っているが、何かしら年を追う毎に果樹栽培が
難しくなっているような気がしてならない。自然界は微妙なバランスの中
で今の姿を保っている。多少の許容量はあっても一度そのバランスが崩れて
しまうと取り返しが付かない。
 昨年はスモモの大木にアブラムシが異常発生した。昨年の被害は最小限に
とどまったとは言えチョッキリゾウムシやカメムシやダニといった害虫の
被害は年を追う毎に増えている。この被害が増え続けると、その内に今作って
いる果樹の大半は作れなくなるのではないかとさえ思っている。私達の知り
得ない小さな生き物たちの世界は、この地球の微妙な変化を早くから察知
しているように思えてならない。
 先日、東京へ行ったとき、お台場にあるフジテレビの最上階では万博で
人気のあったマンモスの頭部を展示していた。この展示は地球温暖化に
より溶けだした永久凍土の中から数万年を経て現れたものらしい。
 また、シベリア最北端のある島では島民全員が移住しなければならなく
なっているようだ。原因は島を取り囲んでいた厚い氷がなくなり荒波が
直接島を直撃するようになったからだ。島自体の永久凍土が溶け始めた
事もあって、大地は波に削られいずれ島がなくなるのではないかと懸念
されている。


 さて、世界の人口は推定で65億人を突破し、やがて70億人になる日も
遠くないと予想されている。65億人という人口がこの地球にとって適正な
人口かどうかは誰も分からない。しかし、世界の耕地面積が年を追う毎に
少なくなっていることを考えると安閑とはしておられない。また、人口が
増えている多くの国々は開発途上国と云われている国民所得がきわめて
低い国だ。
 60億人でさえ飢餓状態の人が多いというのに70億人もなったらどう
なるのだろうか。人口の増加と食料の減産、その上に、にんげんにとって
もっとも大切な飲料水ですら確保するのが難しくなっていると言うから
私達の将来は実に深刻だ。
 悪政を恨む声が日増しに強くなっているフィリピンでは巨大資本が飲料水
の利権を握っている。水道代を払うことの出来ない人々は水を盗むか、汚染
された川や池の水を飲むしか方法がないという。何故、こんな事になって
しまったのだろうか。地球温暖化がもたらした自然の猛威と政治の貧困が
招いた人災だ。
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話題二つ

2006-02-25 06:14:11 | Weblog
 昨日の国内ニュースはほぼこの話題二つに絞られていたようだ。その一つ
が冬季オリンピックでの女子フィギアでの荒川静香さんの金メダル。不振の
続く日本勢の中で初めてもたらされた明るい話題だった。聞けば一時は引退
までも考えたことがあるとか。人間はどん底を一度経験すると強くなるの
かも知れない。そんな開き直りと無心な気持ちが逆転Vを勝ち取ったのでは
ないだろうか。
 それにしても優雅で素晴らしい演技だった。今までの苦労が報われた勝利
だったに違いない。ご本人は元より彼女を支えてこられたご両親やコーチ陣
に対しても心から苦労をねぎらいたい。ご苦労様でした。そして、おめでとう。
 また、村主選手は惜しくも四位だったけれど、それはそれで立派な成績
だったように思う。また、安藤選手は十五位だったが、まだまだ若いこれ
からの選手、すべて一から出直す気持ちでがんばって欲しい。
 冬季オリンピックは選手にとって何かとハンディの多いスポーツ。特に
夏場の練習には困っているのではないだろうか。そんな環境で良い成績を
残すのは並大抵の事ではない。国としての支援も必要なのではないだろうか。
個人プレーに近いスポーツは良いスポンサーでも付いていれば良いのだが、
スポンサーが付くようになるまでが大変だ。多くは両親なり個々人の自己
負担に負っている。個人にすべてを押しつけるのではなく、有能な選手を
育てるためには国としても何らかの支援と対策が必要なのではないだろうか。

 さて、お騒がせな事件がまた一つ。この国会では民主党にとって、起死
回生のチャンスだと思っていたのに、永田議員の力不足でふいになって
しまった。しかし、この問題は永田議員一人の問題にしてしまうのは少し
可愛そうだ。やはり民主党という党自体の力量不足のような気がしてなら
ない。
 そもそも政党とは何なのか。少なくとも烏合の衆の集まりではない。同じ
志を持った人の集まりではないだろうか。ある民主党の議員が言っていた
言葉が少し気になった。野党議員には与党議員にはないハンディがある。
だから少しくらいの言葉足らずや勇み足は仕方がないのだと。
(この辺の事情は「つながるモリタクブログ」に詳しいので参照願いたい)
だから、多少の問題は許して欲しいと言うのだろうか。そんな甘えは持た
ない方が良い。かつて日本社会党は万年野党だと言われてきた。圧倒的な
多数勢力を誇る自由民主党は優位な政府与党という地位を利用して質問状
も自由に作ることが出来たし、データの入手も難しい事ではない。しかし、
野党という立場はそうはいかない。やはり与党並に質問状や意見書を作る
には、それなりに苦労があったに違いない。
 そんな不利な立場にありながら党としての対面を保つことが出来たのは
総評議会という労働団体があり、少数だとは言いながら、党を支える熱烈な
党員がいたからだ。党員は報われない事を承知で日本社会党を支え続けて
きた。時には街頭に立ってビラ配りをやりデモをやってきた。真夏の太陽の
下でももくもくと選挙運動を続けてきた。時には消費税反対の署名集めも
やってきた。こんな党員がいたからこそ国会議員はガセネタと揶揄される
ようなものがなくとも正面から政府自民党に挑戦できたのである。
 今の民主党にこのような基盤はない。党員というようなものが何人いる
のだろうか。その党員は汗水垂らしても党を支えるような情熱を持っている
のだろうか。私は、民主党は一から出直すべきだと考えている。また、思想
が百八十度も異なるような人が集まっていることこそおかしい。日本の政治
の貧困さと不幸は強力な野党を持てないことにある。そして、自民党議員は
寄らば大樹の陰とばかりに金と権力の元に集まっているおおよそ政治家とは
言えないような人が多いように見える。
 望むべくは政界の再編の中でがっぷりと四つに組むことが出来る政党が
欲しい。そうなれば、たとえ保守党同士であっても国民の意見を聞くこと
なしに政治は出来ないはずだ。国民の考えが反映されないような政治は国を
滅ぼしてしまう。フィリピンでもタイでも現行政権の悪事が明らかになり
怨嗟の声が満ち満ちている。一党独裁は政治を根幹から腐らせてしまう。
そうならないためにも早期の党の立て直しと、国民の期待に応えられるよう
な党の再生が望まれる。
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東京も春だった

2006-02-24 21:48:22 | Weblog
 この度の上京で何度目になるのだろう。ピースボートを降りて以来、日本
各地に住んでいる友人達との交流が増え、これほどまでに東京が身近な
存在になろうとは想像もしなかったことである。在職中にも何度か上京する
機会はあったが、それは長い年月の間の数えるほどの事であり、東京へ
行くときには、いつも特別なところへ行くような感じを持っていた。
 そんなわけだから、子供の頃の東京はまるで外国のような感じだった。
その東京にわずか半年ばかりの間に三度も上京するようになろうとは。
また、東京は高速バスに乗って一晩過ごせば翌朝は新宿に着いているのだ
から単に感覚だけのものではなく、実質的にもかなり近い存在になったと
言える。

 こうして今回は、地球一周の旅の船で交流のあった「旅行記を書こうと
いう仲間の集まり」のために上京する事になったのである。この集まりは、
今までにも何度かあったようだが私自身の参加は帰国後、初めてのことで
あった。
 心許せる仲間との語らいほど楽しいものはない。今回の集まりもそんな
人達の集まりであった。寝苦しいバスでの移動とあって、いささか睡眠不足
ではあったが、酔いつぶれることもなく夕方近くまで賑やかにおしゃべりを
してホテルまで送って貰った。みんな良い人ばかりで心から感謝している。

 そんな目的があって上京した集まりだったが、皆さんに会ってそのまま
帰るというのは、いかにももったいない感じがして、上京の都度そうして
いるように、今回も「とげ抜き地蔵」と「お台場」に行ってみようと思って
いた。
 東京の新宿着が午前六時四十分、そのまま山手線に乗り換えて巣鴨まで
行き、駅のコインロッカーに重い手荷物を預けて早朝の巣鴨界隈を歩いた。
その詳細はいずれ旅行記として書こうと思っているが、この場では簡単に
感じたことを書いてみたい。
 上京する度に思うのは、ものすごいスピードで街の様子が変わっている
ということである。十年近く前、シンガポールに行ったとき超高層ビルが
林立している街の様子を見て正直驚いたものである。ところが今の東京が
まさに同じ状況である。シンガポールには昨年も旅の途中で立ち寄ったが、
高層ビルに関してはさほどの変化は見られなかった。ところが東京はその
数も増えるスピードもシンガポールを遙かに超えている。
 高層ビルと高層ビルの間に更に新しい高層ビルが見えるような景色も珍しく
なくなった。この大きな変化をさすがは世界に冠たる大東京だと褒めるべき
なのかどうかは分からないが、お台場まで行く途中のユリカモメの車中から
見た新橋から汐留当たりまでの建設ラッシュも、いずれは新宿のようになる
のではないかという予感さえしたのである。
 そして、お台場という人工の島に作られた新しい観光地は、外国からの
お客さんもたくさん集め、未来都市を予感させるような近代的な建物と緑
をたっぷり取り入れた開放的な空間が広がる街であった。
 一方、東京に着いた日に歩いた「とげ抜き地蔵」周辺は、まだまだ昔の
面影を色濃く残す懐かしい街の姿をとどめていた。商店街から横に伸びる
細い路地、民家の軒先には所狭しと並べられた花の鉢植えや小さな庭、人々
の生活や息づかいまでもがそのまま感じられるような街だった。むろん巣鴨
地蔵商店街は「おばあちゃんの原宿」とも言われているように、人情味溢
れた街であり、老舗の店先には海産物が山ほど盛られ、手焼きのせんべい
屋さんの軒先では香ばしい匂いが漂っていた。
 下町の風情がそのまま残っているような街並みと好対照の超近代的な
のっぽビル、これが東京という街の魅力なのかも知れない。
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畑の春、海の春

2006-02-20 13:03:03 | Weblog
 春はそこまでといったところだろうか。岡山県を代表する春の行事「西
大寺の裸祭り」も終わり、吉備路にもいよいよ春間近と言ったところだ。
 我が家の畑も冬物野菜が粗方終わり、これからは春もの野菜の準備に入
る予定だ。アラスカ、絹さや、スナップといった各エンドウ類、そして
空豆も大きく成長を始めたようだ。相次ぐ寒波によって痛んだ葉が痛々し
い。それでも枯れることなく新しい芽が伸び始め、生命力の逞しさを感じ
させる。
 先日耕しておいた畑にはジャガイモの種芋を植え終わった。例年になく
たくさん植えたので収穫が楽しみだ。果樹の方は剪定を終わり、新たに
竜峡小梅、日本イチジク等の苗を定植した。また、挿し木で育てていた
ブルーベリーを一回り大きな鉢へ移し替えた。昨年、近所で貰ったピート
モスと買い置きの鹿沼土を適当に混ぜたものに植え替えてみた。
 果樹などの寒肥は例年のように油粕を適当に撒いてみた。今朝から降り
始めた雨で気温さえ上がれば適度に発酵をするのではないだろうか。
 重すぎて自由に動かせないほどのドングリの木が一本650円だった。
地元の農協の人に「これなら当分生えるでえ」という言葉に促されて椎茸
用の太いほだ木を買ってしまった。しめて5本、種コマを植え付けて家の
裏に伏せ込んでいる。雑菌が入らずに上手くほだ木全体に椎茸菌が回って
くれれば良いのだがと思っている。
 隣の畑の白梅は花を開いたというのに、我が家の紅梅の蕾はまだ固い。
しかし、この雨でいっきょに開花することを期待している。日々温かく
なるに連れて雑草が目立つようになってきた。お天気が良くなったら次の
仕事は草抜きだ。こうして今年もまた雑草との抜きつ抜かれつの競争の
日々が始まるようだ。
 三月に入ったら安政柑の収穫を始めようと思っている。この柑橘は癖が
なく、その分、人によって好きな人とそうでない人に別れるようだ。今年
もたくさん出来ている。また、枇杷の方も花が咲き終わり小さな実が出来
始めている。

 春の魚「イカナゴ」は、ちょっと目にはドジョウに良く似た形をしている。
大きくなると大人の小指ぐらいの太さにもなる。また、小さいものは、
ちりめんじゃこのようなものもある。いずれにせよ瀬戸内海の春を告げる
魚である。
 イカナゴは色んな魚の餌になる。それだけにイカナゴの豊漁が他の魚の
豊漁を占う鍵になる。ところが、この魚が近年激減していた。原因は沖合の
海砂の採取が原因だと言われていた。イカナゴの住みかは、この砂の中で
ある。この海砂がコンクリートの骨材として使われるようになって海の底
は砂がなくなり次第に荒れていった。住みかを失ったイカナゴは当然の事
ながら少なくなってしまった。
 一方、春を告げる魚の代表は魚へんに春と書いてサワラと読ませる。鰆
は岡山県の代表的な魚だと言われている。むろん、ここ岡山県だけで獲れ
る魚ではない。しかし、岡山県人は昔からこの魚を好んで食べていたよう
だ。鮮度の良いものは刺身、そして味噌漬けにした焼き魚、酢でしめたもの
をばら寿司に入れて食べる事が多い。
 大振りな魚でありながら身が柔らかくて痛みやすいので鮮度が問題となる。
春になると俳句の季語にもなるほど多くの船が漁場に向かう。この鰆の餌に
なるのが先ほどのイカナゴである。
 近年サワラの漁獲高が極端に減っていた。海の環境の変化であるとか色々
言われていたが、やはり生きた餌でないと食べないと言うサワラ特有の食性
もあってイカナゴの激減が原因ではないかと言われていた。そのイカナゴ
がベテラン漁師も驚くほどの豊漁だと言うのである。原因は定かではない
が海砂の採取を岡山県も香川県も中止して数年が過ぎた。海砂採取の中止
が好結果をもたらしているのではないだろうか。
 自然は微妙なバランスの上に成り立っている。そのバランスを壊してきた
のは他ならぬ私達人間だ。私達が考えを改めさえすれば自然はこんな恩恵
をもたらしてくれるのである。

 鰆は高級魚だがイカナゴは鰯以上の大衆魚である。昨日も大きなパック
一つがたったの二百円だった。今日は昨日のものより更に大振りなものが
入っていて値下がりをしていた。一パック百五十円だった。小さなイカナゴ
は痛みが早いので店先に出ているものは湯がいてある。これに三杯酢を
かけて食べるとあっさりしていて実に旨い。
 また、一パック二百円なりだった大きいものは、醤油と砂糖とみりんで
甘辛く煮ると柔らかくて骨まで食べられる。大振りで適度に油が載った
ものは、これまた酒が幾らでも進むくらい旨い。いずれにせよ、この季節に
なると必ず食卓に並ぶ季節の魚である。
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地球シュミレータ

2006-02-19 06:50:40 | Weblog
 フィリピンのレイテ島と言えば太平洋戦争当時、戦地に赴いた人ならず
とも多少は記憶に残っている島の名前ではないだろうか。この島で大規模
な地滑りが発生したと報じられている。既に千人近くの人が生き埋めに
なっていると言われているが、村一つが丸ごと飲み込まれたようであり
犠牲者は更に増えるかも知れないと報じられている。この一帯は比較的
年間降雨量が少ないところのようだが、今年はフィリピン周辺海域の水温
が高く例年になく大量の雨が降っているようだ。そんなわけで、地盤が
ゆるんで大規模な地滑りになったようだ。日本でも梅雨の終わり頃や台風
シーズンには良く起きる災害だ。しかし、千人もの人が一度に飲み込まれ
るような地滑りは聞いたことがない。想像を絶するような大規模なもの
だったようである。それと同時に周辺の開発が進み土砂崩れが生じやすい
状態になっていたのかも知れない。

 さて、昨晩はNHKが放映した地球シュミレータという超大型コンピュ
ータによる今後の温暖化によって生ずるであろう世界の気候変動の予測を
描いたものを紹介したい。見られた方も多いと思うがどのような感想を
抱かれたであろうか。
 今回のシュミレーションは大気中の炭酸ガスの増加が700PPMという
一番控えめに見た時の予測であった。960PPMまで上昇するという予測
もあり、700PPMでさえこのような大災害が発生すると予測されている
のだから、想像するのさえ恐ろしい事ではないだろうか。
 地球シュミレータの予測は、はからずもある現実に生じた異常気象に
よって立証された。それは赤道から大きく離れた南米での出来事だった。
ここで台風のような熱帯性低気圧が発生し、周辺に大きな被害をもたら
したのだ。通常、この当たりでは台風のような熱帯性低気圧を経験した
ことがなかった。しかし、地球シュミレータは熱帯性低気圧が発生する
前に同じ場所で同じものが発生することを予測していたのだ。あり得ない
ことが、とんでもないところで予測されていたために地球シュミレータに
携わっていたスタッフを戸惑わせた。データの入力ミスかコンピュータ
の予測精度の悪さではないかと思われていたようだ。しかし、そうでは
なかった。スーパーコンピュータは正しく予測していたのだ。
 はからずも、コンピュータがはじき出すすべての予測は正しいことが
立証されたのである。そのコンピュータのあるシナリオによると日本には
相次ぐ超大型の台風が何度も襲ってくるようになり、100年後には温暖
化のためにお正月頃が紅葉の最盛期であり、夏の期間が5月から始まって
10月まで続くと言うのである。四季を感じるような事はなくなってしまい
季節は大きく二分されてしまうようだ。亜熱帯性の気候になると言うこと
だろうか。
 最早、疑いようもない大きな気候変動であり、覚悟を決めて対策を練ら
なければならないようだ。しかし、少子高齢化、財源不足、どのように
して対策を立てれば良いのであろうか。描かれた超大型台風のシナリオの
中で七、八メートルにも及ぶような高波が押し寄せるようになるかも知れ
ないというから、その状態を思い描くだけでも恐ろしい事である。今や
「デイアフターツモロー」という映画が現実のものとなりつつある。

 この続きは翌日の日曜日にも放送された。その中では乾燥化の問題が
描かれていた。衝撃だったのはあの緑豊かなアマゾンの大半が次第に乾燥
し、サハラ砂漠のようになってしまうと言うのである。アマゾンが砂漠化
すればここに吸収されていた炭酸ガスは大気中に放出され、温暖化を更に
加速化させるという予測もある。日本を始め多くの地域が気温上昇により
蚊が媒介するデング熱やマラリア等という恐ろしい伝染病が蔓延するよう
になるとも言われている。
 いずれにせよ、温暖化の兆候は既に現れている。今回のフィリピンの
大きな地滑りもそうである。数年前、東ヨーロッパ一帯を襲った集中豪雨、
スペインの小雨と乾燥による農作物の大きな被害、中国の長江流域で発生
した大洪水、アメリカのハリケーンの被害、アマゾンの小雨による乾燥化
など数え上げれば切りがないほどの大災害が発生している。
 一方、温暖化を止めるための会議では各国の思惑でなかなか意見がまと
まらないような状態だ。人間のエゴが更に事態を悪化させようとしている。
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自然の驚異

2006-02-17 10:08:17 | Weblog
 極北の地であるグリーンランドの氷が異常なスピードで解けていると
いうニュースが報じられた。ここの氷がすべて解けてしまうと海面は
七メートルも上昇するとのことで、かつての映画「ウオーターワールド」
も現実のものとなりつつある。
 たとえ七メートルも上昇しなくても南太平洋に浮かぶ珊瑚礁の島々は
ことごとく海中に没してしまうのではないだろうか。これらの島々で起き
ようとしていることは他人事ではない。世界中の海抜零メートルと言われ
ているところも状況は同じである。今以上に堤防を高くして水没から守ろ
うと言うのであろうか。
 このような状況の中で今もなお京都議定書を批准しようとしないブッシュ
政権は何を考えているのだろうか。かたくなに石油資本の肩を持ち自らの
足元がじわじわと海中に没し続けている状況を漫然と眺めているつもり
だろうか。
 地球温暖化の影響は両極に近いところほど顕著に表れると言われている。
南極では大きな棚氷の崩壊だけでなく、従来には見られなかったような
現象が数多く見られるという。また、北極近くの永久凍土帯と言われる
ところでも永久凍土の解凍が進み建物や電柱が大きく傾き道路が陥没の
ために波打つようになっているようだ。
 「だからどうすれば良いのだ」と言う人がいるかも知れない。確かに
現状は為すすべもないように見えなくもない。しかし、何もしなければ
なお一層事態は悪化するばかりだろう。世論を変えて温暖化をくい止める
しか方法はない。世論を変えることは、私達一人一人の生き方や考え方を
根底から変えることだ。すべての発想を二十世紀型の大量生産、大量消費型
から変えなければ事態は解決しない。それは自らの欲望を抑制すること
でもある。

 時代の寵児と言われた堀江貴文氏が起訴され被告人となった。彼の心中
に去来するのはどんな思いなのだろう。彼のような人物を作り上げたのは
やはり時代だったかも知れない。インターネットは子供の遊びぐらいにしか
思われていなかった頃から、いち早くホームページを作成する事業を立ち
上げ、瞬く間に巨万の富を集めるまでの大企業を作り上げた。その手腕も
インターネットという未知数の追い風があったからこそ出来たことだ。
アクセス数の多いホームページに広告を貼り付ける。この広告収入が企業家
としての出発点だった。
 どこまでが本当の姿でどこからが虚業なのかインターネットという未知数
の世界では見極めがつかなかった。ヤフーという検索サイトが高値の株価
を維持できているのも見極めのつかない未知なるものの魅力ではないだろ
うか。こうした人気を背景に自社株を実力以上に見せ、多くの企業を買収
し傘下におさめていった。その手法には危うさもあり犯罪臭もあるが時代
を変えるという意気込みだけは何となく理解できるのである。いつまでも
旧弊にこだわるのは良くないことだ。しかし、事業となるとやはり地道な
努力が必要なのではないだろうか。大胆さと時代への挑戦、それは起業家
としての心意気ではあっても実業はもっとまじめで真摯なものでなければ
ならないと思うのである。
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モーツアルト生誕250年

2006-02-15 21:54:50 | Weblog
 幼少の頃より天才の誉れ高かったモーツアルトが生まれて250年だと
いう事で、生誕の地では大々的に記念行事が行われているようだ。日本
でもNHKのBSハイビジョンで「風のハルカ」の後、特集が放送されて
いる。
 わずかに12歳という若さで名だたる音楽家達を嫉妬させるほどの音楽
を書き上げたという、この天才ぶりをどう評価すれば良いのだろう。五本
の線の上に、次々に浮かんでくるメロディを書き記す。彼の頭の中には
常に音楽が流れていたのだろうか。
 この頃、残念ながら日本には五線紙や楽譜というものがなかった。その
ため音楽は口伝か楽器の演奏を通して体で覚えるしか後世に伝える方法が
なかった。一方、ヨーロッパでは早くから音を記号で表現し、記号を用い
ることで口伝や楽器がなくとも広く伝えることが出来、後世にも残すこと
が出来た。これもまた偉大な発明だと言わざるを得ない。
 この発明のお陰で壮大な交響曲が数々作られ、後世に名を残すような
偉大な作曲家達が誕生した。その先駆けとも言えるのがモーツアルトでは
ないだろうか。13歳の時には更に音楽を極めるべく父親とともにオペラ
の先進地であるイタリアに出かけている。既にこの時、モーツアルトの
名はイタリア全土にも知れ渡っており、各地で盛大な歓迎を受けたようだ。
今の時代のようにマスコミというものがなかった時代でさせ、彼の名は
近隣諸国に知れ渡っていたのだから、今の時代であれば世界に名を馳せる
ような大スターだったに違いない。
 音楽というものは人間にとって欠くべからざるものである。音楽のない
世界がどんなにつまらないものかは想像に難くない。悲しいときにも、
うれしいときも音楽は欠かすことが出来ない。音楽は難しい記号で書き
表されるけれど、それが音になり声になると得も言われぬ心地よいものに
変化し、私達の魂までも揺さぶるような力を持っている。
 時には戦に利用され時には病んだ人の心の支えとなってきた。それほど
までに音楽というものは私達にとって大きな力を持っている。モーツアルト
は、その音楽を様々な形に組み上げることの出来た数少ない天才だろう。
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何故

2006-02-14 16:52:52 | Weblog
 岡山の一番街を歩いていると鉢植えの色とりどりのチュー
リップがたくさん置いてあった。チューリップは春を代表する
花である。改良に改良を重ねたこの花には、色も形も様々な
ものがある。ここ一番街にもそんなチューリップがたくさん
あった。一方、我が家のチューリップはやっと小さな芽を出
したばかりである。

 さて、日本の三大奇祭とも言われている西大寺の会陽が終わ
ると吉備路の春がやってくる。会陽は裸祭りとも言われている。
この祭りは西大寺の境内に集まった締め込み姿の男衆の中に
香を炊き込めた宝木(しんぎ)が投げ込まれて始まる。男達
は、この宝木を奪おうとして激しくもみ合う。肉体と肉体が
激しくぶつかり合う男の祭りだ。毎年この日だけはどういう
ものか寒い日が多い。しかし、裸の男達にとって寒さなど関係
ないようだ。水を浴びせられると肉弾戦の男達の体からは激し
い湯気が吹き上がる。奈良のお水取りの行事と同じように春を
迎えるための神聖な行事である。
 この日を境にして寒暖の繰り返しはあっても、確実に春の
足音が聞こえるようになる。そう言えば昨日、畑仕事をして
いてウグイスの鳴き声を聞いた。お世辞にも上手とは言え
なかったが力強い声だった。春はすぐそこまで来ているようだ。

さて、イタリアのトリノでは冬季オリンピックが開かれている。
序盤戦とは言いながら出発前の評判は何だったのだろうと思う
ような日本選手団の成績だ。以前から冬季オリンピックの成績
は今ひとつ芳しくないのが通例だった。それにしても日本人の
体力に適した種目もあり、それなりの成績だったように思われ
るのだが、今のところがっかりさせられるような事ばかり続い
ている。やはり世界の壁はそれだけ厚いと言うことだろうか。
それとも勉強不足なのだろうか。そうだとすれば高い遠征費を
払ってまで参加しているのだから、次回に向けての練習にいっ
そう励んで貰いたい。

 話は変わるが街を歩いていてふと考えたことを書いてみたい。
それは自分の存在とは何だろうと言うことだった。あなたは
自分自身の存在について考えたことはないだろうか。自分は
何のためにこの世に生を受け、何のために生きているのだろうと。
 六十億人とも言われる人間は、この地球のあらゆる資源を容赦
なく食いつぶしながら生きている。自分は有用な人間だと言っ
てみても、この地球にとって有用なのかどうか何を持って判断
すれば良いのだろう。人間以外の動物たちにとって見れば人間
の存在ほど迷惑なものはない。自分たちの生存する場所すら
奪われ続けているからだ。その上、石油や石炭の消費によって
地球環境は大きく変化している。動植物にとっては迷惑な話で
ある。
 そんな事を考えていると人間という存在そのものがこの地球
にとって何なのだろう。何の意味があるのだろうと思えてくる。
 その人間どもは時に泣きわめき、喜び笑い転げ、そんな事も
生きている間だけのことであって、たった百年足らずの間には
大抵のものが死んでしまう。死んでしまえばただの土だ。むやみ
やたらに飯を食い、むやみやたらに排泄し、たったそれだけの
ことである。
 何かをやってきた残してきたといっても、それは人間だけの
間に通用することである。いくら威張ってみたってライオンや
虎には通用しないことなのだ。それなのに人間はこの世で一番
などとうそぶいている。何なのだろう。人間って何なのだろう。
人間以外のすべてのものに対して、もっと謙虚であるべきでは
と思うのである。
 そんな独りよがりな人間どもを後目に今年も春がやってきた。
自然はいい。自然は美しい。私自身もこの自然のほんの一部分
であることを自覚して生きていかなければ。
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