人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

一日の始まり

2014-09-24 11:38:33 | Weblog
 私の一日は夜明け前の3時か4時ころから始まる。睡眠時間は6時間から7時間、年齢からすると普通かもしれない。
早いときは8時過ぎやら9時過ぎに寝るものだから妻からはブーイングである。晩酌は350ミリリットルの缶ビール
一本と最近では日本酒かワインを小さなコップに七分目位。これだけで夕飯後はソファーで自然に居眠りが出始める。
夜のテレビ番組で9時以降のものはほとんど見ていない。全ては録画である。こんなわけであるから夜中に目が覚めて
しまうとなかなか寝付かれない。あれこれと考え始めると取り留めもなく思い出されてメモでもしておかなければ
とても覚えてはおられない。忘れていたこと、新しいアイディアなど思いつくことは多々ある。

 そしてついに目が覚めてしまうとパソコンの前に座る。時として早朝にメールを送ってしまうものだから妻に叱られる。
「こんな時間にメールして・・・」携帯の着メール音で幼い子供たちが目を覚ましてしまうと言うわけである。確かに
枕元に携帯があればそうかもしれない。

 こうして約一時間か一時間半ほどパソコンの前でメールを見たり返信したり、ニュースを読んだりして過ごす。むろん
この時間にブログも書くしフェースブックに目を通すこともある。

 真夏であれば4時過ぎには外が明るくなる。やおら作業服に着替えて植木鉢に水やり、畑の散水などを行う。時には
草刈り、秋口になると大汗をかきながら畑を耕して種を蒔く。秋冬野菜の準備だ。耕運機もあるのだがここのところ
ほとんど使わない。と言うより使えない。畑が狭すぎて一挙に耕すことがないからだ。

 昔から山の畑はスコップで耕していた。今もその習慣が付いている。しかし、スコップで掘るのには限度がある。
何しろ体力勝負だからだ。若いころは体力に任せて山の畑を開墾したのだが今はそうはいかない。

 さて、こんなことをこれから先いつまで続けていけるのだろうか。何とか体を使わないで作る方法はないだろうかと
探求している。その一つが自然栽培だ。無農薬は何とか達成した。ここのところ重い農薬の入った容器を持って消毒を
することはなくなった。畑で作るものもあれやこれやと作るのではなく極力、限られたものだけを作るようにしてきた。

 体力がない、時間がないと言う私にとって手抜き農業しか手がない。しかし。手抜き農業もやがて限界だと言う日が
来るに違いない。専業農家ではなかったが、専業農家でなかったが故に、ありとあらゆる果樹や野菜を作ってきた。
その経験は貴重な経験として残っている。またホームページにも書いている。

 平凡ながら、こうして日々を繰り返し送っている。先日は久々の雨だったが今少し大量に降って欲しかった。車で
倉敷までの良き帰り大きな道の両側は広大な田んぼである。既に花の時期は終わり稲穂が重たげに頭(こうべ)を
垂れている。心なしか稲全体も色付き始めている。今年はウンカの害もなく豊作のようだ。豊かな実りの秋である。

 温暖化だ何だかんだと言われながらも繰り返す季節に大きな変化はない。何も知らずに過ごした日々が懐かしい。
そして、その方が幸せだったのではなかろうかと、ふと考えてしまうことがある。人間は知識を得たばかりにあれや
これやと心配事が増え、その分、悩みも多くなった。何も知らなければ、あるいは悩むこともなかったのかもしれない。
ただただ日々を精いっぱい送る日々の方が幸せだったのかもしれない。幼い日々のことを思いだすたびに考えることである。
知識を得ることとは一体何だろう。

 全ては般若心経に説かれているように幻想で夢幻(ゆめまぼろし)なのかもしれない。自分で作りだした幻想や夢幻に
振り回されて一喜一憂しているだけかも知れない。そして一生、固定概念と言うものに縛られて不自由な一生を終える
のかも知れない。なれるものなら心を解き放ち自由な生き方が出来るようになったらどんなに幸せであろうかと思うのである。
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秋本番

2014-09-19 04:30:27 | Weblog
 ここのところぐっと冷え込んで来たようだ。変則的だった短い夏が終わろうとしている。我が家の畑でも少しずつ秋のものに
様変わりしつつある。今年の秋野菜は限定した種類にしてしまった。と言うのも白菜やキャベツなど冬物野菜を植えても結局
大半は害虫の餌になってしまうからだ。と言うわけで我が家は例年になくさみしい畑になっている。

 さて、果樹の方はと言うと栗が熟し殻が割れ始めた。今年も昨年同様、豊作のようである。問題はこれらをどのように活用
すべきかである。夏ミカンは例年通りほどほどの収穫量になりそうでほっとしている。贅沢な話だが取れすぎても保管に困る
からである。八朔は去年の半分くらいの収穫であろうか。見事に裏年となったもう一本の巨木な八朔だが、一個の実も付いて
いないと思っていたら結構成っていた。葉の色に同化し葉の陰に隠れて目立たなかっただけの事であった。と言うわけで今年は
ほどほどの収穫になりそうである。

 その他、ミカン、伊予柑などが収穫出来そうだ。それにしても店頭では早くから見かけたイチジクだが、我が家では一向に
熟す気配もなく、このまま終わるのかと思っていた。ところがである。ごま油を塗って一週間もしない間に驚くほどの収穫が
あった。もうそろそろ一個、二個ぐらいは熟しているのでは無かろうかと思って出かけた一昨日の朝、何と驚くほど一気に熟して
いたのである。ごま油の効果は絶大であった。今後、食用油を使うときには一度に熟さないような配慮が必要だ。

 さて、イスラム国などと言う得体の知れない外人部隊が中東で暴れまくっている。多くはヨーロッパ各国から志願して入隊
したと言う外人部隊のようだ。誰が何の意図があってこのような組織を動かしているのだろう。そして芝居がかった行為で人質を
殺害し、そのシーンをネットで放映している。本当の事なのだろうか。

 そして報道回数は極端に少なくなったがエボラ出血熱、その後どのようになったのだろうか。ワクチンは出来たのだろうか。
沈静化に向かっているのだろうか。国内では熱帯病だと思われていたデング熱、これも今年になって一挙に広がった。それも
東京だけでなく急に各地に広がったのは何かしら腑に落ちないものを感じるのは私だけだろうか。その上にデング熱治療に
使ったアスピリンなどの副作用の報道もあって混沌としたままである。

 エボラだデングだと世はかしましい。しかし報道に一喜一憂するのではなく冷静に受け止めたい。これから先も何が身辺を
脅かすか分からない。しかし、全ては人間に起因していることである。そして心配は免疫機能にも多大な影響を及ぼすことが
立証されている。何ものにも脅かされない強い信念と肉だ砂糖だと偏った食事ではなく米飯や野菜、魚と言った日本古来の
伝統食で胃腸の働きを活発にして免疫力を強くしたい。それが不確定な時代を乗り切るための唯一の手段だと言っても過言
ではない。

 何となく違和感を感じる昨今の出来事だが、一方では違法薬物に走るものがいて各地で事件を起こし、幼児の誘拐事件や
融解を思わせるような事件が相次いでいる。アメリカの元大統領だったブッシュがコカインの服用で逮捕され、その後釈放
されたと小さく報道されていた。コカインは麻薬である。アメリカでは有名人の多くが服用していると報じられていた。
どうなっているのだろう。何かしら混沌として計り知れない世の中の混乱を感じさせる。

 それでも季節だけは何変わることなく今年も秋が来た。道べりを赤い彼岸花が彩り、空は澄んで青い。昨日は向かいの四国が
間近に見えた。いよいよ秋本番と言うわけだ。
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9.11から13年

2014-09-12 06:11:46 | Weblog
 この欺瞞に満ちた事件からやがて13年が過ぎ去ろうとしている。あまりにも衝撃的な事件であり、かつ事件とは全く無縁の
多くの人が亡くなった事件だけに衝撃は大きかった。その衝撃が大きかった分だけ、疑問を抱くことにも至らなかった人も
多かったに違いない。

 その後に様々な疑問に関する報道がなされたものの、同時多発テロと言う荒唐無稽の大事件だったがゆえに多くの人はテロ事件
だと信じ込んでいる。しかし、未だ事件が疑問だらけだし真相は闇のままだ。

 ビルが粉々になって崩れ落ちるシーンを見て建築の専門家であるならばツインタワービルの崩壊の仕方や国防総省の建物の壊れ方
などに疑問を抱かれた人は少なくないはずだ。

 そもそも鉄骨を組んでその上を様々な建材で覆っただけの建物が上の方に飛行機が突っ込んで燃えただけであのような崩れ方を
するはずがないのである。

 また当時、アルカイダの指導者であるビンラディン一族が住んでいたアメリカを狙うはずがない。そもそもブッシュ一族と
ビンラディン一族は親戚同様の間柄だったと言われている。如何にビンラディンが思想のためとはいえ一家を見殺しにすることに
なりかねないようなことをするはずがないからだ。また、これほど大掛かりな犯行をたった十人にも足らないような組織で出来る
はずがない。

 そして先には原発の事故に関して吉田調書なるものが公表された。その調書を巡って様々な報道がなされている。分けても
朝日新聞は先の報道に誤りがあったとして社長が記者会見で謝罪すると言う前代未聞の出来事があった。大新聞の報道とは
そのように軽いものだったのかと驚かざるを得ない。

 朝日新聞が「まさか」と思われたのは私だけではないだろう。今の世は、その「まさか」を思わせるような欺瞞や疑惑に満ちて
いる。少なくとも、いかなる新聞社や名だたる放送局の報道と言えども、まともに信じてはいけないと言うことだ。NHKにして
然りである。作り話がいっぱいあるからだ。

 何故そのようなことをするのか。するにはするだけのれっきとした理由があるからだ。その理由もいずれ明らかになる日も来る
だろうと思われる。そこには9.11と同じような暗い闇が横たわっている。情報を得るには大新聞以外にもネットと言うものが
ある。人の口に戸は立てられないと言う。第三者が気付かなくても当の本人が洩らすことも少なくない。

 ともかくとんでもないことが私たちの知らないところで行われていることは確かなようだ。そして報道は罪のない人も罪人にして
しまうと言うとんでもない大罪を犯している。当時、民主党の幹事長だった小沢さんの報道に関してである。新聞各社もテレビ局も
検察の垂れ流し情報を裏も取らずに報道し続けた。事件の真相が明らかになって報道各社は小沢さんに土下座をして謝ったのだろうか。

 そして福島の原発問題を取り上げるとすれば、あの時、従業員が逃げたとか逃げなかったとかが問題ではない。問題なのは今も
放射能の被害者がたくさんいると言う事実だ。あらぬ報道にごまかされてはいけない。爆発するようなものをなぜ作ったのか。
手の施しようのないようなものを何故運転していたのかと言うことの方がもっともっと大きな問題だ。

 あの時、従業員がとどまっておろうがおるまいが、また本社からの指令があろうがあるまいが、更にいえば時の首相が現地へ
乗り込もうが乗り込むまいが、原発はすでにメルトダウンを起こし行き着くところまで行っていたと言う事実である。

 今更、吉田調書なるものをこれ見よがしに出してみたって意味がない。こんな物騒なものをこのまま放置しておくのかと言う
ことの方が遥かに重要なことなのだ。何かしら目先の批判を何とかかわしたいと言う思惑が見え隠れしている。

 何はともあれ私たちは大変な時代に生きていることは間違いないようだ。マスコミに少なくとも騙されないために、確たるものの
考え方が出来るように、日ごろから各自が自覚している必要があるようだ。

 彼岸花が咲き始めたようだ。何があろうと自然だけは嘘を付かない。季節は必ず巡ってくる。
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韓国の国民的歌手

2014-09-05 06:12:49 | Weblog
 日本各地に大きな被害をもたらす猛烈な雨、経験者談によると息苦しいほどの降り様だと言う。息苦しいとはバケツの水を
一瞬に浴びせられたような感じなのだろうか。ともかくその恐ろしさは体験したものでないと分からない。

 私も過去に数度だけ、そのような雨を体験したことがある。まっ黒い雲が低く垂れこめ、たちまちのうちに道は滝のように
なったことがある。その時の体験はほんの短時間であった。この雨が数時間にわたって繰り返し襲って来れば今回の広島の
ような大災害となることは間違いない。

 今までにも何度か大雨による被害を受けたところは今以上に用心する方が良い。そして今までは何もなかったところでも
いつどのような大雨に襲われるか予測はつかない。どうやら私たちは、そのような時代に生まれ合わせたようだ。

 また、デング熱という耳慣れない流行病を耳にするようになった。たちまちのうちに患者数が増え、病気を媒介する蚊の
生息域も拡大している。そもそもデング熱なるものは南方の病気だとされてきた。かねてよりデング熱は温暖化によって
いつ日本に上陸するか分からないものだと言われてきた。その日がついにやってきたというわけである。冬でも死なない
蚊が増えている。都市化によるものだ。年がら年中空調機の温度管理によって変化が少ないビルの中は蚊の快適な住処である。

 かくしてシンガポールのように蚊を防ぐための殺虫剤を常に撒かなければ住めないような国になりつつあるようだ。豪雨と
言い、デング熱と言い地球温暖化によってもたらされたものである。この先、エボラ出血熱のようなものが入ってこないことを
祈るばかりである。地球温暖化は様々に深刻さを増している。


 さて先日、偶然に見つけたサイトで韓国の国楽神童と呼ばれているソンソヒの歌を聞いた。まだ15歳という若い歌手である。
コリアンフォークソングと言うから韓国民謡を歌う歌手である。うりざね顔の実に愛くるしい顔をした歌手である。両親が早くから
民謡歌手として育てて来たらしい。隣国韓国に英雄誕生と言ったところだろうか。会場の観衆は彼女の歌に酔いしれている。
確かに素晴らしい歌唱力である。そして、まだどことなくあどけさの残る顔と相まって何とも言えない雰囲気を醸し出している。

 日本に国民的な歌手がいなくなって久しい。美空ひばりが誕生した時が、このような感じだったのではなかろうかと想像している。
今のようにマスコミもその媒体であるテレビなどもなかった時代のことである。戦後日本のシンボル的存在であった。今、日本の
歌謡界に望まれるのは、このような歌手での存在ではないだろうか。音楽も多様化し国民の関心も世代によって異なる。スター誕生
には困難な時代でもあるようだ。それでもなお日本にもシンボル的なこのような歌手の誕生が強く望まれる。

 韓国と日本の関係は冷え込んでいる。誰が画策しているのか。その意図は何なのか分からない。本当に韓国国民は日本との関係が
このままでいいと思っているのだろうか。戦後の長い拒絶状態から日本の漫画など新しい文化が起爆剤となり、その後は還流ブーム
などと言う韓国製のテレビドラマが一世を風靡した。そして多くの映画も輸入され、韓国からスカウトされた流行歌手が大挙して
日本に押し掛けるほどの民間交流の時代があった。多くの旅行者が隣国韓国へと押しかけた。それまでは隣国でありながら海を長く
隔てた遠い国だった。

 両国ともにアメリカ軍の傘のもとで同じような命運をたどってきた国であった。それなのに両国の関係は何故か冷ややかであった。
韓国も国内産業の隆盛とともに日本と対等に肩を並べることが出来るようになってやっと変化が現れた。そして今は従軍慰安婦の
問題と領土問題で再び関係が遠ざかり、一時の韓流ブームも冷えてしまった。再び民間レベルからの国交回復が強く望まれる。

 まだ聞いたことがないと言う人は、ぜひ一度ソンソヒで検索し彼女の歌を聴いてほしい。「恨五百年」という韓国の古い歌がある。
チョーヨンピルなど多くの歌手が歌っている。韓国にはパンソリ文化がある。独特の歌の文化だ。そのパンソリも歌いこなす神童
ソンソヒ、ぜひ彼女の歌を聞いてみて欲しい。

 「恨五百年」は日本人には理解しがたい歌の世界だ。そもそも日本人に「恨」は合わない。日本人は忘れやすい。この国で過去を
ひきづっていたのでは生きていけない。それほど天災は多く不幸の多い国である。だから今を生きる精神で明るく笑い飛ばして
生きようぜと言う精神が息づいているのかもしれない。日本と韓国の文化の違いである。

 しかし、若き天才歌手であるソンソヒの歌う歌には「恨」の暗い影はない。復興期の日本のように明るく力強さに満てている。
ぜひ一度彼女の舞台を生で見てみたいものである。
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