人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

東京ららら

2006-11-28 21:36:57 | Weblog
 久々の東京だった。東京は相変わらず人が溢れていた。池袋も渋谷駅前
と変わらない人、人、人。

 今回の上京も多くの人との出会いがあった。息子のフィアンセ、ピース
ボートで一緒だった活弁チームの仲間達、そして少人数で寂しかったけど
しゃべれ場の仲間達。いずれも集まれば楽しかった第47回クルーズの
思い出話。

 その仲間達にも少しずつ変化が生まれているようだ。ピースボート
スタッフのAちゃんは来年お母さんになるとか。元気な赤ちゃんを産んで
たくましい子供を育てて欲しい。また、結婚も子育てもこれからの仲間達
にも早く幸せが訪れる事を祈っている。

 荻窪の夜は楽しかった。素晴らしいギターの音色には心癒された。
演奏会が終わって外に出てみれば東京は雨。静かな冬の雨が降っていた。

 その雨も翌日はからりと晴れ上がり、素晴らしい天気。その青空の下の
赤い門をくぐればそこは異国、横浜中華街。シュウマイや豚まんの湯気が
立ち上る街角。たどたどしい日本語で若者が呼びかけてくる。甘栗を食べて
みないかとの誘い。賑やかな中華街だ。

 横浜大世界に入ると二鼓の演奏や琵琶の演奏、そして京劇や中国雑伎、
ここはやはり他とは違う中華街。多様な食材が並ぶ店、関帝廟の派手な
建物、それを飾る見事な彫刻。異国情緒たっぷりな街だ。

 山下公園を抜けて港へ。青い空をバックに白いカモメが群れ飛んでいた。
今日の夕方出港するという大きな旅客船「飛鳥Ⅱ」。この船に乗って異国
の地を踏むのはどんな人達なんだろう。

 横浜と言えば「ランドマークタワー」。69階からの展望は素晴らしい。
眼下に広がる横浜の町並み。360度の視界。伊豆半島沖に夕日が沈み
次第に明るさを増す街明かり。まさに百万ドルの夜景だ。

 東京へ戻って息子達との会食。場所は駅から少し離れた静かなレストラン。
初対面は昨日済ませたばかり。そんなわけで緊張も解け話は弾む。心の中
から彼らに幸多かれと祈っている。

 ダリ生誕100年の絵画展。場所は上野の森美術館。中学校の教科書を
見たときから何故か惹かれる絵だった。そのダリとの再会。彼のナイーブ
さが伝わってくるような作品の数々。おどろおどろしい表現の裏にある心
の叫び、寂しさ、そんなものが絵から伝わってくる。彼が亡くなっても
絵には彼の魂が宿っているようだ。

 上野公園はパフォーマー達が多い。この日、ペルーの演奏家達がいて、
オペラ歌手の姿をした女性がいた。ここはいつ来ても何かやっていて
楽しいところだ。
 それ引き替え、人ばかりが多くて動物園自体の寂しさは何だろう。その
寂しさを象徴するかのように老いたパンダが一匹だけ隅の方にうずくまって
いた。
 何か工夫が欲しい。地方の動物園だったら、とうの昔につぶれていた
のではないだろうか。動物たちが何とかしてくれと泣いている見えた。

 池袋の喫茶店で待ち合わせてSさんのご主人が経営している店に行く。
活弁チームの仲間達が集まって久々に賑やかに。ピースボートの仲間は
いつも温かい。

 そして、今日は帰るという日。しゃべり場の仲間二人と東大構内へ。
さすがは古い伝統校。大きな木々が天を覆い、今は黄葉の季節。食堂で
意外に安くて美味しい昼食を食べる。
 少しだけアカデミックな気分になって構内を散策。三四郎池は落ち葉で
覆われていた。場所を変えて丸の内に。丸ビル近くの喫茶店に入りお茶。
次回しゃべれ場は京都で桜の咲く頃開くことを確認。

 こうして22日の夕方から26日の夕方までの東京滞在。慌ただしい
四日間を過ごして夕方東京を出発。
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虐待

2006-11-28 10:13:23 | Weblog
 もっとも耳にしたくない言葉、それは「虐待」。優しい両親に囲まれて
すくすくと大きくなっている子供がいる一方で、不幸を一身に背負いながら
けなげに生きている子供達がいる。

 「虐待」は結婚という男女の結びつきを抜きにしては語れない。いくら
子供を保護しても、あくまで緊急避難でしかない。傷付いた子供の心は
簡単には元に戻らない。

 どの事件を見てもたいてい一方が義理の親だ。再婚や同棲の家族が多い。
年上の女と年下の男というケースも珍しくない。離婚をして寂しいのは
分かる。年下の男を離したくないと言う自分の思いだけで子供を犠牲に
していないだろうか。

 ますます増えている離婚。その陰で子供達が犠牲になっている。一緒に
なるのも早ければ離れるのも早い。昔は世間体を気にして離婚などは出来
なかった。世間体などと言うことを考えなくなった頃から離婚が増え、
不幸な子供達が増え始めた。

 今はどうだろう。嫁ぐ前から、それも親の方からいつでも帰ってこい等
と無責任な事を言っている。もっと責任を持って結婚せよと言いたい。
子供を作るのなら責任を持って育てなさいと言いたい。まるで犬や猫の子
を産むような無責任さをなくさない限り、この手の不幸はなくならない。

 今日も新聞に「虐待」の記事が出ていた。この記事の陰で何百人、いや
何千人という不幸な子供達が泣いているような気がしてならない。
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野菜の廃棄

2006-11-22 09:21:47 | Weblog
 ここのところの暖冬で我が家の野菜の出来が良い。巨大なシュンギクや
ミズナが育っている。また、気温が高いだけに害虫による被害も多い。
ホウレンソウは穴がいっぱい空いているし、ハクサイの半分以上は虫に
食べられてしまい、その後、腐ってしまった。収穫直前の農薬散布はため
らわれる。

 一方、今日の新聞には大量の野菜が廃棄されると報じられていた。輸送
費の高騰等もあって市場まで持っていくことが出来ないのだろう。先日も
スーパーマーケットには一本40円の大根があった。近隣の農家から出荷
されたものだろうか。
 40円で種や肥料や耕耘機の油代、輸送費などを差し引いて採算がとれ
るのだろうか。生産者でなくとも農作物を作る苦労を知っているだけに
他人事とは思えない。

 寒い季節には寒く、温かい季節には温かい方が良い。このように変化が
大きいと、せっかくの苦労は報われないことばかりである。この調子で
行くと1、2月は逆に野菜は品不足となり高騰するのではないだろうか。

 寒い日は極端に気温が下がり、温かい日は10月並の気温である。異常
気象とは、このように変動が大きいものらしい。
 この変動は海の潮が満ちるときや引くときの変化に良く似ている。一時
は激しい流れを見せていた潮が、あるときには突然止まる。そして、しば
らくすると、また以前にも増して激しく動き始める。 変化を見せるときの
自然とはこのようなものなのかも知れない。

 どうやら季節の変化が一カ月以上遅れているようだ。つい最近まで西日本
地方では夏の延長を思わせるような気温と、雨の降らないカラカラ天気が
続いていた。やっとここに来て雨が降り始め、降り始めると次々に低気圧
が通り過ぎて行くようになった。今週も雨の日が多いらしい。

 さて、北海道でも異変は続いているようだ。竜巻の後には津波、幸い被害
がなくて良かった。その後にはサンマが海岸に打ち寄せられるという異変
が生じている。

 里にはクマやサル、果てはシカまでもが出没するようになった。近隣でも
イノシシの被害が出ているようだし、シカの目撃情報もある。山にも海にも
じわじわと異変が生じていることは間違いないようだ。


 さて、沖縄県知事選挙は自民党と公明党が推薦した知事候補が選ばれた。
社民党や民主党が推薦した糸数氏は惜敗した。票にも現れているように
沖縄県民としては苦渋の選択ではなかったろうか。
 沖縄に行ってみると良く分かることだが、県民の楽天的な生活とは裏腹
に生活を支えるような産業がほとんどない。立派な肩書きや優秀な技術を
持っている人達も小さな町工場に甘んじている。
 地元に大きな企業でもあれば、それを支えにして中小企業が育つのだろ
うが、そのより所となるようなものが何もないのが実状だ。結局、米軍
基地をより所にするしか生きていくべき道がない。
 そこのところを何とかしなければ沖縄がジレンマから抜け出すことは
出来ない。その結果が今回の票の現れではないだろうか。決して、自民党
が勝利したと手放しでは喜べない背景はここにある。今後も基地問題は
長く尾を引くに違いない。
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これからの世の中

2006-11-21 14:43:22 | Weblog
 朝の慌ただしい時間だが、許す限り家内とは朝食後にあれやこれやと
世間話をする事が習慣になっている。

 今朝も昨今の新聞記事のことから話は始まった。とにかく悲惨な事故や
事件が後を絶たない。そして政治や経済面にも以前のような明るさは感じ
られない。いわば先の見えない時代だ。
 こんな時代に生きている私達の子供など若い世代は、どう考えて生きて
いるのだろうと言う話になった。我々のような子育てを終わり、夫婦二人
の老後さえ考えれば良いものでさえ先行きに少なからぬ不安を感じている。
ましてやこれから結婚しようとか、子育て中の若い世代の人達に将来への
夢や希望はあるのだろうか。

 私は昭和三十八年に高校を卒業して社会人になった。その翌年には東京
オリンピックがあった。そして、更に六年後には大阪万博が開催された。
こうした国を挙げての一連の行事が火付け役となって、日本の経済は右肩
上がりに躍進を続けてきた。その間にあったドルショックやオイルショック
などをものともせず、バブル崩壊直前まで躍進を続けた。
 給料は要求しさえすればどんどん上がり、持ち家や3C(カラーテレビ、
クーラー、カー)なるものが次々に手にはいるようになった。

 その頃、将来に不安を抱くような人がいただろうか。自分自身を見失う
ほど経済発展の恩恵を受け、半ば狂奔していたと言っても過言ではない。
 しかし、バブル崩壊時を頂点とすれば、その後にはありとあらゆるもの
に、その当時の付けが廻ってきたような感じだ。経済の行き詰まりは税収
の激減となって、行政改革に代表される政治の大きな転換を余儀なくした。
 そして少子高齢化社会、健康保険の破綻、年金問題、環境問題と矢継ぎ
早に色んな問題が起きてきた。最早、逃れようとしても逃れられない現実
が目の前に迫ってきた。
 あのバブル期の狂奔は夢幻だったのだろうか。時あたかものぼせた私達
の頭を冷やせとばかりに阪神大震災は実に唐突に発生し、多くの人の命と
財産を奪っていった。あの時から言いようのない不安な時代が始まった
ような気がしてならない。

 しかし、私達の子供も今年産まれたばかりの孫も私達世代が過ごして
きた時代を知らない。彼らは彼らの時代を生きている。
 過去にも不幸な時代は幾らでもあった。戦時中がそうであろう。いつも
死の恐怖と飢えの中で多くの人は生きてきた。
 一方では天皇陛下や国家のために死ぬことは名誉なことだと教えられて
大きくなってきた。大儀のために死ぬことは、先の見えない今のような
時代に生きることよりは、遙かに生きがいを感じる時代でもあったのでは
ないだろうか。
 むろん、その結果は惨憺たる敗戦という前例のないほどの多くの犠牲者
を作り、膨大な財産を失ってしまった。

 いったい生きると言うことは、どういうことなのだろうか。それは人
それぞれによっても異なることだ。権力の頂点に立っているもの、その下
にあって国民の生活や生命を自由に出来る立場にあるもの、好むと好まざる
とに関わらずこうした支配者に我が身を預けなければならないもの、人の
世は様々である。

 しかし、人は今の時代に生まれて来て、今の時代だけを生きている。他
の時代のことは知らないし分からない。だから、私達夫婦が考えるほど
深刻な問題なのではないかも知れない。

 アフリカのケニアで牛や羊を放牧しながら生活している人に地球温暖化
の実感はないだろう。ただ、干ばつ続きの不毛の大地に生き、牛や羊の
餌がなくなりやせ細っていく姿を見守るしかない。
 既に自分たちの飲み水さえ枯渇するような状況になっている。それすら
何が原因か知らないで生きている。知って不安を感じる生き方が良いのか、
なまじ知らずに生きていく方が良いのか私には分からない。

 このように生まれた時代や生まれた場所によって、みんな考えている
ことが違っている。不安なるが故に先行きに絶望し自暴自棄になって人を
傷付けたり殺したり、薬物に溺れたりと刹那的な生き方しか出来ない人が
増えている事も事実だ。

 しかし、どの時代にもどこに生きていても誰もが経験したことのない
時代が始まろうとしている。いや、始まっていると言った方が良いのかも
知れない。
 それは実に深刻な地球温暖化の問題である。宇宙船「地球号」は60数
億人の人間とあまたの動植物を乗せたまま、有史以来、経験した事のない
時代へと突入しようとしている。
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我が家の省エネ作戦

2006-11-19 08:56:01 | Weblog
 手許にある新聞の見出しにはこんな事が書かれている。乾く豪大陸、
雨量三分の一、小麦収穫六割減を予測。そして、同じページに掲載された
写真は干上がった「ため池」には二人の男が立っていた。もう一方の新聞
にはポリタンクで水を運ぶ黒人の親子の写真があり、水源、氷河、細る
アフリカと書かれている。同じページにはアフリカの最高峰キリマンジャロ
山の山頂付近の氷河が近年著しく後退している写真が掲載されていた。

 どうやら異常気象は北半球だけでなく南半球でも激しさを加えている
ようだ。北半球の場合も中国など砂漠の隣接地では砂漠化が進んでいる
ようだが、アフリカやオーストラリアでは大干ばつのようだ。諸外国に
多くの食料を依存しているわが国としては他人事ではない。

 今、ケニアで地球温暖化防止締約国会議が開かれている。いっこうに
先が見えない温暖化防止への取り組みである。その上、エネルギーの最大
消費国であるアメリカはこの会議に加わっていない。
 また、排出大国である中国やインドをはじめ、発展途上国に温室効果
ガスの削減を促すことは05年の第1回会議以降の重要な課題の一つである。
特に中国は経済成長に伴い、1年ごとに東京電力1社に匹敵する温室効果
ガスの排出増加があり、09年には米国を抜いて世界一の排出大国に躍り
出ると言われている。最早、中国やインドなどを抜きにして温室効果ガス
の削減は語れなくなっている。

 一方、日本であるが6%の削減目標を約束しているが、国内の削減努力
だけでは達成が難しく、中国などと排出権を買い取る交渉をして目標達成
を図ろうとしている。
 しかし、この方法では地球全体として削減したことにならず、削減量を
他国に依存したことになる。こんな方法で果たして良いのだろうか。

 また、岡山県でも目標達成にはほど遠く、水島コンビナートなど地元産業
からの排出量は膨大なものである。しかし、近年の省エネ努力などで横這い
状態が続いているようだ。
 問題なのは、その他の事業者(オフィス等)や私達の生活から排出され
二酸化炭素の量が増え続けていることだ。原因の一つは核家族化の進行で
ある。従来は一軒の家にいて共同生活をしていたのが、二軒に分かれると
当然の事ながら二軒分の光熱費が必要になり、エネルギー消費量は増加
する。
 また、仮に一軒の家でも各部屋に一台ずつテレビや電化製品を置けば、
その分、電力消費は増えていく。自家用車は一人に一台ずつになりつつある。
このように生活様式の変化は著しくエネルギー消費を増加させている。

 では、どうすればエネルギー消費量を削減し温室効果ガスを抑制すれば
良いのだろうか。我が家で実践している省エネ作戦の一部を紹介したい。

 我が家はオール電化に近い生活である。電化されていない部分は温水
関係だけである。これは今も灯油ボイラーを使っている。
 屋根にはソーラー発電設備を設置している。従って、一カ月の電気代は
買うより売る方が多い。ソーラー発電を設置してから電力消費が少なく
なった。理由は簡単である。少しでも電気をたくさん売って電気代を稼ごう
と思っているからだ。

 そのためには無駄な電力消費はしないようにしている。スイッチ付きの
コンセントを取り付けて待機電力の削減を行っている。こまめに照明を消す
ようにしている。

 また、洗濯機や食器洗浄機等は深夜電力に切り替わった午後11時から
使うようにしている。白熱灯を使っていたところで瞬時に明るくならなく
ても良いところは、寿命が長く消費電力の少ない蛍光灯式のものに変えた。

 シャワーが多く滅多に風呂は入れないのだが、風呂の残り水は洗濯に
使っている。また、食器洗いは水の節約のために食器洗浄機にしている。

 小さな事だがこんな節約もしている。朝湧かしたお湯は紅茶やコーヒー
を入れた後、わずかでも残ればポット(電気ポットではない)に入れ、
そのお湯は次回に使うようにして熱の消費を押さえている。

 石油ストーブの管理温度は17度から18度にしている。空調機はあって
も夏も冬もほとんど使用しない。

 気軽に使っている水であるが、これも大量のエネルギーを使って浄化し
各家庭や職場に送られている。従って、花や野菜の水やりは古井戸の水を
使っている。

 出来ることはほとんどやっているような感じだが、アイドリングストップ
など、まだまだ心がけるべき事はたくさん残っているようだ。

 先日も「眼に見えない変化を見たい 岡山県内の気候変化」称する講演会
に出席した。その席で聞いた話は岡山県でも目に見える形で温度上昇が
進んでいるという衝撃的な話であった。わずかに、ここ二十年間の変化で
ある。
 既に岡山県の気候は五十年前の鹿児島県と同じ平均気温になっている。
更に温度上昇は加速度的に進んでいる。子供の頃のような冬の寒さや夏の
涼しさを感じなくなったのも、あながち感覚だけの事ではなかったようだ。
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水戸黄門

2006-11-17 17:57:15 | Weblog
 昨日まで県政のトップであった知事が相次いで逮捕されるという事件が
続いている。それも県の工事発注を巡る談合が原因だ。げに世に悪は尽き
ぬと言うべきだろうか。

 代官に取り入った悪徳商人が代官に金をにぎらせて悪行の限りを尽くす。
それを目こぼしと称して代官は見て見ぬ振りをする。政治と金銭が結び
つくと、そこには必ず悪が芽生えるようになっている。
 政治に誘惑は付きもののようだ。その上、選挙で世話になった人間から
頼まれると、いやとは言えないのが人情である。それまでの清廉潔白な志
はどこへやら、いつしか取り巻き連中に囲まれて周辺が見えなくなって
しまうようだ。そして、ついには自分自身さえも見失ってしまうようだ。

 人間というものの弱さなのだろうか。何の利害関係がなくても盆暮れには
付け届けを持ってくる業者もいるようだ。持ってきたものを突き返すのも
結構エネルギーのいることだ。
 相手はしたたかであり何とかコネを作りたいと必死である。金品では
通用しない相手だと分かっていても、何かをしなければいられない心境
なのかも知れない。
 このようにして良かれ悪しかれ世の中は金で動いてきた。汚職という
ものが、いつまでたっても無くならないのは、こんな理由からではない
だろうか。
 従って、政治家が金品を受け取るのは選挙に金がかかりすぎるとして
選挙法を改正したり、議員の歳費を上げたりしたけれど未だに汚職が
絶えないのは、こんな理由からではないだろうか。
 結局のところ歳費を上げようが上げまいが政治と金の関係は切れない
ものらしい。歳費を上げて喜んでいるのは、どこからも政治献金のない
議員位なものかも知れない。

 そんな悪銭を握らされた悪代官を取り締まるのが、お馴染みの水戸黄門
様である。今も暇さえあれば午後三時からの水戸黄門の再放送を見ている。
 今、放映されている再放送の黄門様は佐野淺夫さんである。助三郎役の
あおい輝彦さんと格之進役の伊吹吾朗さんを従えての旅である。行く先々
で待ち受けている事件の数々、悪を懲らしめるために一暴れした後で、
この紋所が目に入らぬかと差し出す印籠。その印籠には時の将軍家と同じ
葵の紋が入っている。
 さすがの悪代官もそれ以上の抵抗は出来なくなり、黄門様の前にひれ伏
して「恐れ入りました」と一件落着。話は実に単純で、勧善懲悪と人情と
が絡んでいて、見ていても肩が凝らない。そして、何となくほのぼのと
したものが後に残るのである。

 ところが現実の世の中はこうは行かない。そして、そんな単純な事件
ばかりではない。親が子を殺し、子が親を殺すような世の中である。学校
では相も変わらずいじめが横行し、自殺者が後を絶たない。
 黄門様の印籠を持ってしても解決できないような事件ばかりである。
それだけに、この単純さと悲惨さを感じさせないこの番組が愛されている
のかも知れない。今日も黄門様は悪代官を懲らしめた後に再び旅立つので
ある。
コメント (1)
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学問の勧め

2006-11-13 22:01:52 | Weblog
 以前、そんなものには見向きもしなかった家内だが、どういう心境の
変化なのか、今は時代劇小説に凝っている。藤沢周平からはじまった
時代劇小説だが、今は他の作者のものにまで範囲が広がっている。
 理由を聞いてみると、時代劇小説を読み始めてからはテレビドラマの
時代劇に出てくる場面や小道具など小説に出てくるものと同じなのが
面白くてと言うことだった。
 小説の中に出てくる時代背景や道具、景色などが、テレビドラマの中で
どのように再現されているのかが楽しみのようだ。家内もやっとそう言う
心境になったかと、時代劇が好きな私としては内心喜んでいる。

 人間は、あることを知ると更にそれ以上のことが知りたくなる。知識
とは、そのようなものであろう。家内の場合も今まで見向きもしなかった
時代劇だが、ある作家の小説に惹かれて読み始めると面白くなって他の
作家の小説も読んでみたくなったようだ。昔は推理小説だったが、今では
時代劇小説が山積みになっている。
 そうなると小説だけでなく、テレビドラマの方も面白くなってきたと
いうわけである。

 物事は分からないから興味が湧いてこない。そんな事は誰にでもある
ことだ。歴史に関心がない人の場合、歴史的な事を聞いても何も知らない
場合が多い。しかし、わずかでも興味を持って本でも読み始めると、その
他にももっと知りたいと言う欲求が出てくる。そのようにして興味は
次の興味を誘い、知識はより深くなっていくのである。

 動機は何でも良い。たとえば「アラビアのロレンス」を見たとしよう。
ロレンスは何故あの国に行ったのか。当時の様子はどうだったのだろう。
砂漠の生活とは、どんな生活なのだろう。興味は次々に湧いてきて、結果
は現代のアラブにまで及ぶことになる。
 複雑な民族と部族が交錯するアラブ、それに宗教が絡むと更に複雑に
なってくる。そんな知識を得て、もう一度「アラビアのロレンス」を見ると
俄然、映画が生き生きとしたものになってくる。学問とはそう言うもの
ではないだろうか。

 旅行に出かける前に旅行のガイドブックを見るだけでなく、その国の
地理や歴史を勉強していくと面白い。そうすると、読んだ歴史の本の中に
出てきた景色や建物が目の前にあったりすると大変嬉しいものである。
その国の民族がたどった歴史などが、ありありと蘇ってくる。単なる観光
が単なる観光でなくなるから不思議だ。

 かつて私はハンガリーを訪れたとき、この国が経てきた変遷や民族の
歴史を重ね合わせて見ていた。車窓に広がる北海道のようななだらかな
大地の起伏の中に吟遊詩人が馬の背に揺られながら旅する姿を重ね合わ
せてみていた。
 美術館で見た写真のように精密な雲の絵の中にも、この国の気象や地形
を重ねて見ていた。観光は実に厚みのある観光になったことを思い出して
いる。

 さて、今日も娘から携帯メールで孫の動画が届いた。その動画には孫が
ティッシュペーパーを次々に取り出しているところが映っていた。玩具
にもティッシュを取り出すものがある位なのだから大抵の子供が興味を
示すことのようだ。

 何がそうさせるのだろうか。赤ちゃんにとって何が面白いのだろうか。
また、お父さんが載せてくれた玩具を落としては、あわてて拾うお父さん
との遊びも楽しい遊びのようだ。同じことを繰り返しては「キャッキャッ」
と声を上げて喜んでいる。この声を立てて笑う孫の様子も先日動画で届いた。

 同じことの繰り返しの中で何かを学んでいるのだろう。子供は何度も
何度も同じことをしてくれとせがむ事が良くある。子育てをしたものなら
誰でも経験することの一つである。きっと同じことの繰り返しの中で何か
を学んでいるに違いない。

 私の周辺には実に仲の良い夫婦が多い。夫婦仲の良い家庭では、子供に
何か問題が生ずる等と言うような事はないに違いない。

 私達世代は子供達が小学生の頃、子供会に入っていた。ここには世話係
としてお父さんやお母さん達が参加していた。仕事などの事情がない限り、
お父さんもお母さんも一緒に参加していた。

 この関係は非常に大切な事であったような気がしている。子供達の行事
を両親が一緒になってサポートする、そんな家庭が多かった。しかし、今は
子供ですら子供会に参加しなくなったようだ。ましてや、お父さんとお母さん
が一緒に行動することなど皆無に近いのではないだろうか。

 私達世代に仲の良い夫婦が多いというのも、この子供会時代の延長の
ような気がしてならない。子供会は子供達の健全な成育を願って作られた
ものではあるが、親同士の絆や夫婦間の絆を深める場であったような気が
している。

 今、地域によっては子供の数が少なくなり、子供会の維持すら難しく
なっているようだが、子供達のためばかりでなく、夫婦のためにも子供会
の維持存続が望まれる。
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偽装

2006-11-12 06:59:10 | Weblog
 世は偽装だ、やらせだとかしましい事である。耐震強度の偽装問題以降
も、いっこうに止むことのない偽装事件の数々。今回は、よりによって公共
機関に並ぶような大会社での偽装問題が発覚した。
 当の会社は中国電力である。地味な会社だが信頼の置ける会社だと
思っていただけに意外な感じがしている。偽装はダムの強度に関するもの
だけに見過ごすわけにはいかない。
 何故、こんな事をしなければならなかったのか。その理由が今ひとつ
はっきりしないが、この際、徹底的に原因を解明し、本当に強度上に影響
のあるような事ならば、すぐにでも対策の必要があるのではないか。事は
大量の水を蓄えているダムのことである。外国ではダムが決壊し、多くの
犠牲者が出ている。
 この会社は島根県に原子力発電所を作っているが、どうやら大きな断層
の上に作られているらしい。建設前に公表したデータと実際の断層の長さ
に食い違いがあるようだと報じられている。いずれの主張が正しいのか。
事は重大である。

 企業の信頼が一度失われると、その後、何を言ってもまた嘘を付いて
いるのではないかと疑われてしまう。企業自らがコンプライアンスと言い
始めて久しい。しかし、相も変わらずこのような事件が発覚すると、本当
に考えているのかと、このことさえ疑わしく思われてくる。コンプライ
アンス自体もまた、企業イメージアップのための偽装ではないのか。

 一方、こちらは教育基本法の公聴会でのやらせの問題。あらかじめ準備
した政府側の質問者に質問させ、それに政府関係者が答弁するという、誠
に念の入った工作をしていたようだ。
 何故、そこまでしなければならないのか。質問がなければないで良い
ではないか。あたかも出席者の多くが教育基本法の改正に賛同している
ように演出する必要が何故あるのだろうか。衣の下に鎧が見えているよう
な気がしてならない。何か後ろめたい思いがあるからこそ、こんな演出を
しているのではないか、そんな風に思えてならない。

 学校でいじめを苦にした自殺者が相次いでいる。事件がある度に学校
関係者は口を揃えて、そんな事実はありませんと言う。しかし、事件が
報道され騒がれ始めると手のひらを返したように校長が出てきて頭を
下げるというパターンが続いている。
 何故、調査中なら調査中と言わないのか。何もないのに学校で自殺する
ものなどいないはずだ。何かあったからこそ自殺者が出ているのに何故
その現実を直視しようとしないのだろうか。何があってもその中であった
ことは、そのトップに立つものの責任である。いさぎよくその事実を認める
責任感こそ必要な事ではないのだろうか。

 今の世の中、事を正しく見据えようとしないいい加減なトップばかりを
選んでいるような気がしてならない。そのような人物ばかりを選ぶような
システムこそ問題なのではないのだろうか。

 今回はあろう事か、当事者である校長が自殺をするという問題にまで
発展をしてしまった。校長の自殺は管理監督に当たっている教育委員会の
責任であり、更に遡れば文部科学省の責任である。

 今ひとつ学校では履修科目の単位不足で卒業できない生徒がたくさん
出ている。最初は数校だけかと思っていたら、出るわ出るわ次々と雨後の
竹の子のように出てきた。こうなると「青信号みんなで渡れば怖くない」
のようなものである。文部科学省も困って時間数の削減を提案して何とか
この問題の決着を図ろうとしているようだ。
 しかし、心穏やかでないのは、きちんとやってきた学校である。受験勉強
を優先したい思いは変わらない。一方は、やり得のように履修科目を削って
受験勉強を優先してきた学校だ。まじめにやってきた方が損をするような
そんな勝手は通らない。

 何から何まで完全に狂ってしまっているような気がしてならない。本来
の勉強は受験のためではなく、人間性を豊にするものであるし、学校で
生徒間のいじめが横行するのは、教育そのもののあり方や病んだ社会の
しわ寄せが子供達のいじめに現れているのだと言うことを何故考えようと
しないのだろうか。その事を解決しない限り、教育基本法を変えても事を
複雑にするばかりで、かえって混乱を招くのではないか。
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ツイスター

2006-11-11 09:53:24 | Weblog
 かつて「ツイスター」というアメリカ映画が上映されたことを覚えて
おられるだろうか。観られた方も多いと思う。この映画は、アメリカでは
トルネードと呼ばれている竜巻を追いかけて、その脅威と生々しい被害の
実体などを捉えた映画だった。アメリカではさほど珍しいことではなさ
そうで、毎年のように大きな被害が報じられている。

 しかし、これが日本でとなると比較的珍しい現象だと言えるのではない
だろうか。先の北海道で生じた竜巻も同じようなものだったに違いない。
日本国内では、今年に入って二度も竜巻による大きな被害が起きている。
 北海道での目撃者の話によると、低くたれ込めた黒い雲が突然の如く
目の前に現れ、激しい雨を降らせた直後のことだったとか。

 そう言えば私も何年か前に同じような体験がある。児島駅を出ると手が
届くほどに低くたれ込めた黒雲が実に不気味だった。そして渦巻くように
激しく移動していた。まもなく、その黒雲からまるでバケツをひっくり
返したような土砂降りの雨が降り始めた。道には見る見る内に水が溜まり、
坂道にさしかかると降った雨が川のように流れていた。
 幸い、この時には竜巻も生じなかったし、ダウンバーストのような現象
も起きなかった。
 岡山県ではずっと以前、ダウンバーストという現象によりコンクリート
製の太い電柱が何本もなぎ倒されたことがあった。自然の力の恐ろしさを
見せつけられる思いであった。昔の人達が、龍が天から降りてくると信じた
のも頷ける光景であった。

 今回の北海道の竜巻ではトンネル工事で働いていた数名の人が亡くなられ、
地元の家を失った人も多い。心からお悔やみとお見舞いを申し上げる。

 ここのところ、異常気象と言われ初めて久しい。西日本地方では猛暑が
終わった後も、久しく気温が下がらずからから天気が幾日も続いた。日中
の日差しはまるで真夏のようであった。
 窓を閉め切っていると部屋の中はまるで真夏のように熱がこもっていた。
やはり、あえて言わずとも異常を感じないわけにはいかない。確かに変だ。
この変な現象は、決して続くことはなく、まるで波のように繰り返し押し
寄せては断続的に被害をもたらしている。それは、集中豪雨であったり、
極端な少雨であったり、台風だったり、竜巻だったりと、大きさや異常さ
も様々である。どうやら異常現象とは、このようなものであるらしい。

 アメリカでは中間選挙が終わり。民主党が圧勝した。共和党のブッシュ
大統領のイラク政策に変更を迫り、その急先鋒であったラムズフェルド
国防長官を更迭せざるを得なくなった。
 また、イラク政策の転換も重要課題の一つだが、環境政策の転換も大いに
期待している。何と言っても大量のエネルギー消費国である。この国が
京都議定書にサインをしない限り、地球環境は守れない。

 いまアフリカでは数年続きの干ばつで大きな被害が出ている。こうした
被害の実態や大きさは開発途上国ほどひどいようだ。河川の整備や貯水
設備などの整備が十分でないからだ。飲み水にさえ事欠くような有様である。

 近々、講演会で岡山県での異常実態を聞くことになっている。どんな話が
聞けるのか大変楽しみにしている。私自身も畑仕事など自然と接する中で
数々の異常実態を体験し目撃をしてきた。遠い将来の事ではなく、既に足元
まで異常な状況が迫っている事を改めて認識したいものだ。
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活弁シネマライブ第二章

2006-11-08 10:28:16 | Weblog
 長い長い戦いが終わり気付いてみれば、もう冬がすぐそこまで来ていた。
そんな心境の昨日今日である。

 活弁シネマライブは若干の懸念材料を残しながら、行事としては一定の
成果を残したように思われる。その中での懸念材料が一つ、それは組織内
を中心に配布した整理券の内、当日の参加者が100名近くも少なかった
ことである。
 一枚1000円の賛助金で引き取って貰ったのではあるが、それが押し
つけになっていたのではないかというのが私の気がかりの一つである。
単なる急用や忘れていたと言うことであるのなら良いが、多くの人が義理
で引き取ってくれたのではないか、そんな気がしてならないのである。

 それにしても昨年の150名あまりから一挙に400名近くの人が鑑賞
してくれたのだから一応の成功には違いない。その上、県外の人までが
インターネットで検索し見に来てくれるという嬉しい出来事もあった。
 また、地元の放送局「エフエムくらしき」が、三度も色んな形で取り
上げてくれたこともありがたい事であった。知名度の極端に低い「活弁」
という文化を広げる意味合いからもマスコミに取り上げて貰った意味合い
はきわめて大きかった。

 実は昨年の第一回目が終わって以来、約一年間、色んなところに対し
働きかけをしてきたが、どこも相手にしてくれなかった。無理もない話で
ある。かつて、あれほどまでに当時の人々を楽しませてくれた、夢声映画
に台詞を付けるという日本人ならではの器用さから作り上げられた文化が、
トーキーという現代映画のスタイルが登場してから一挙に衰退してしまった。
 失ったものは大きく、再び世に問うにはあまりにも時は流れすぎた。
そのために、「活弁」という文化はおろか、言葉さえ失われてしまった。

 私は懐かしさのあまり、「活弁」を世に出そうと考えているのではない。
これこそ日本の語りの文化そのものだと思っているからだ。一人の弁士が
登場人物の色んな声色を使い分けて演ずる。そのシンプルさゆえに現代映画
にはないものを感じるからである。
 大型画面とCG画像を駆使し、更に地の底を揺るがすような大音響、
それはそれで良い。しかし、生伴奏で弁士が語る。そこには人間なるが
故に伝わってくる思いや感情が表現されていて、それが見ているもの
聞いているものの胸を打つのではないだろうか。

 弁士は佐々木亜希子さんという、単なる職業としてではなく「活弁」と
いう文化を世に広めたい、その思いだけでこの世界へ飛び込んだという
女性である。そして、佐々木さんを支え、ここまでがんばってきたマネー
ジャーのYさんにも心からの声援を送りたい。彼もまた、この世界に生きて
きた人間として並々ならぬ情熱を持った人であることを付け加えておきたい。
 
 「活弁」は言葉だけでは表現できない。その場に足を運ばない限りその
面白さや魅力は伝わらない。どうか一人でも多くの人に足を運んで貰いたい。
そして、懐かしさだけで来てくれる熟年世代だけでなく、新しい文化として
若い世代の人にもぜひ受け容れて貰いたいと思っている。

 今回は昨年と異なり、多くの人の協力を得ることが出来た。また、人の
輪が一回り大きくなった感じである。如何に多能な人間と言えども一人で
やって行くことには限界がある。多くの人が支え合ってこそ成功への道が
開けるものと確信している。そんな事からも、この事業を通じて更に大きな
広がりが出来ることを期待している。

 私自身の戦いは更に続く。しかし、この戦いは決して血を流すような
戦いではない。実に心地よい心温まる戦いであることを付け加えておきたい。
多くの皆さんに感謝をしつつ今回の報告を終る。

 遠来の客の皆さんへ。今回は関西からTさんが遊びに来てくれた。多くの
ピースボートの仲間との交流は今も続いている。活弁シネマライブに足を
運んでくれた人。この機会にと遊びに来てくれた人。民宿「やぶき」は
来てくれる人を拒まない。いつでも大歓迎である。
 幾人の人が訪れ交流を温め、喜んでくれた事であろう。我が家は昔から
多くの人が出入りする家であった。それは、面倒な事を一手に引き受けて
くれる家内が居ればこそである。それだけでも感謝である。
 私達夫婦は時々兄妹に間違われる。何故だろう。どこが似ているのだろう。
夫婦は長年一緒に住んでいると似てくるとは聞いている。そうなのだろうか。
ともかく二人とも人をもてなすことが大好きである。

 倉敷に来てくれた人には必ず瀬戸内海の景色を見て貰うことにしている。
この景色は、地球一周をしたり、国内や世界のあちらこちらを旅してきた
者の目から見ても決して遜色のない、それどころか世界に誇るべき景観美
だと思っている。
 先日もそしてその前も、この地に足を運んでくれた人達に王子ヶ岳から
の景色や鷲羽山からの景観美を楽しんで貰った。
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