人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

解決の道はある

2017-09-05 05:09:40 | Weblog
 北朝鮮は着々と核保有国への道を突き進んでいるようだ。そしてICBMの飛躍的な進歩。
いまやアメリカ、ロシア、中国、インドなどと肩を並べるような核軍事大国となった。

 北朝鮮のミサイル発射に関しては、あれこれと噂話には聞くが真相のほどは全く不明だ。
専門家ではないので良くは分からないが、私の直感ではミサイルの性能なり、精度は格段に
高いのではないかと思われる。

 それは巷間噂になっているように、単にウクライナから買ったミサイル技術を模倣した
というレベルではなさそうである。相当の知識もあり、その知識や知見に基づいた改良が
なされているように思える。

 そうでなければグアム島を囲むように四発同時に飛ばすと豪語することも、今回のように
戦争下でもない国の上空を予告もなく通過させることは出来ないだろうからである。

 いい加減な性能のものを飛ばし、日本のみならず公海上にある他国の船や器物に損害を与え、
ましてや人命を損傷させる事などは、如何に無法な北朝鮮と言えども出来ないであろうからだ。

 さて、先のミサイルは日本の遙か上空を飛行し、北海道沖に落下したとされている。Jアラートや
携帯電話がけたたましく鳴り、明けやらぬ日本列島を震撼させた。

 やれ国連決議だ、無法な国だと声高に叫んでみても何も出来ないのが実情である。経済封鎖も
効果なし。抜け道が一杯あるのだろう。では、どうすれば良いのだろうか。その為には中国や
ロシアを仲介役に本腰で北朝鮮と向き合うしか方法はない。

 北朝鮮は金正日の時代から、したたかな駆け引きを行って来た。あの頃はお互いにテーブルに
着いていたのだから、その時何故本気で平和交渉が出来なかったのだろうか。出来なかったのか、
しなかったのか疑問である。

 朝鮮戦争が中断され、休戦協定が結ばれて38度線に休戦ラインが引かれたままで今日に至る。
その間、表向きは休戦だったが戦争状態は続いていた。北朝鮮はテロや誘拐を繰り返し、更には
偽札を印刷し、覚醒剤などを密かに製造して資金を稼いでいた。

 これは公然の事実であった。万景峰号(まんぎょんぼんごう)なる北朝鮮の貿易船が日本の港に
堂々と入港し、何やら良くないことも行われていたように聞いている。

 また、日本国内には北朝鮮の同胞と呼ばれている朝鮮総連系の人達も住んでいる。今まで日本は、
北朝鮮と何かしら中途半端な関係であった。かつて金日成が国家主席であったころ、日本の労組や
革新系と言われた人達は、大挙して北朝鮮を友好訪問している。

 その当時は、朝鮮半島の北が北朝鮮、南が韓国と、それぞれに覇権を争っているときであり、
北朝鮮の首都である平壌(ぴょんやん)は巨大建造物が、これ見よがしに建造され国威を誇っていた。

 その当時の日の出の勢いからすれば一時は衰退したかに見えたが、軍事面では着々と核兵器を
開発し、ミサイルを飛ばす準備をしていたようだ。オバマ政権の時代は、ほとんど交渉という
交渉は行われてこなかった。

 アメリカと北朝鮮の間には折衝の大きな空白期間があり、今日に至っている。日本との間では
拉致問題が大きな懸案事項になっていた。小出しに一部の被害者を送り返したことはあったが、
まだまだ多くの方々が拉致されたままである。

 日本も譲歩に譲歩を重ね拉致被害者の帰国を最優先に交渉してきたが、今は全くの硬直状態である。
そして、お隣の韓国とは一枚岩に見えて決してそうではない。韓国との間には竹島問題や従軍慰安婦の
問題が相変わらずくすぶり続けているからだ。

 こうした複雑な問題が、より一層事態を複雑にしているし、ある意味北朝鮮にとっては都合の
良いことになっている。そうした各国間の隙間を巧みに利用し、自らの政権の維持存続を図って
きたことには驚嘆せざるを得ない。こうしたしたたかな北朝鮮と向き合うには生半可な交渉や
駆け引きは通用しない。真に胸襟を開いて語り合うしか方法はないと思われるが・・・。

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相次ぐ洪水報道

2017-09-04 05:30:00 | Weblog
 今年の夏は誠に天気が不順であった。東日本は記録的な長雨と低温、反対に西日本は
雨不足と高温、いったいどうなっているのでしょうか。

 昨今の報道では記録的なといった表現ではなく「50年に一度とか、100年に一度
くらいしか起きないような大雨」などと言った報道がなされるようになりました。

恐らく記録的と言った表現よりは、こういった表現の方が、よりすごさが強調されるから
かも知れません。

 言ってみれば、それほど大量の雨が降る時代に突入していると言うことではないでしょうか。
そして、そう言った表現は日常茶飯事使われるようになってきました。つまり頻度が飛躍的に
増えていると言うことでしょう。

 実は、そうした大雨による被害は日本だけのことではないようなのです。砂漠のように
滅多に雨が降ることのない地域でも起きていますし、その規模も年を追う毎に大きくなって
いるように思えます。

 原因として考えられることには幾つかあるでしょう。地球の磁場が弱くなり宇宙線の被曝量が
増え、その宇宙線が核となって雨を作っていると言う説によるもの。いや、そんなものではなく
地球は寒冷化に向かっていて、そのために様々な気象変化が生じていると言う人もいます。

 しかし、圧倒的な人はやはり地球温暖化による気候変動によるものだと思っています。変化の
激しくなるのが温暖化による気候変動の特徴です。振れ幅が大きくなると言った方がより理解
しやすいかも知れません。

 来る年も来る年も変わらなかった幼い頃の夏が懐かしく思い出されます。今は、次の年に恐怖
さえ感じます。

 気候変動による天災は「あるものを得て、あるものを捨ててしまった」人間が、当然の
ことながら受けなければならない報いなのかも知れません。人間は平凡より変化を求める動物です。
反対に自然界は変化や刺激を求めていません。変化を求め刺激を求めているのは人間だけです。

 これは人間という生き物の特徴で、いわば人間の「業」のようなものかも知れません。実に
やっかいで困ったものです。それ故に自然界は人間によって一方的に被害を受けています。
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