人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

玉島活弁口演終わる

2010-06-27 06:22:28 | Weblog
 先の西大寺での活弁口演に引き続いて玉島での口演が昨晩終了した。
私たち夫婦活弁士としてはホッと胸をなで下ろしているところである。

 
 今回は玉島観光協会が取り組んでいる行事として、地元マスコミでも大きく
報じられた。山陽新聞や玉島テレビである。むろん私たち夫婦も取材を受け
大変うれしく思っている。

 また、RSK(山陽放送)では、有名なアナウンサーである濱家さんの
番組にも呼んでいただきインタビューを受けることが出来た。

 そもそも今回の取り組みは、玉島観光協会が地元観光事業の衰退を何とか
したいという思いから始まったものである。その熱い思いと私たち夫婦の
活弁の魅力をもっと多くの方々に知って欲しいという思いが重なって開催と
なった。

 また、玉島という地で口演させて頂くことは、私たち夫婦にとって大変
意義深いことだと思っている。それというのも玉島という地が、私たち夫婦
にとって少なからず色んな縁で繋がっているからだ。

 実は家内の先祖である黒田綾山は江戸時代の玉島に居を構え、多くの
有名な弟子を世に送り出した人である。当時としては大名家にもお抱えの
絵師として何度も誘われた有名な絵師であった。しかし、綾山はあくまで
市井の絵師として生涯を送った自由人でもあった。

 往時玉島はこうした芸術家と言われるような人を惹きつけるような魅力
ある土地柄であった。綾山は向かいは四国、讃岐の人であったが、この地
を誰よりも愛していたようだ。それだけ自由の気風に溢れ、人の行き来が
多い魅力ある街だったのではなかろうか。

 と言うのも、この地がある大名家の飛び地として入り船で船で大変繁栄
した港町であったからだ。北前船は言うに及ばず、この地の特産品でもある
綿花などを運び出す船が盛んに出入りした。

 そして、私たちが活弁士としてデビューする事になった「豪傑児雷也」
という映画の主役である尾上松之助(岡山市出身)と、この映画を作った
牧野省三監督が出会った場所でもあると言われている。
 
 その辺の経緯は、尾上松之助が後に著した自伝の余白に書かれていて
諸説あるようだが、この地の有名な芝居小屋「おうこう座」と言うところで
二人が顔を会わせていることは間違いないようである。

 こうした縁繋がりは、活弁に関わり始めて数多く経験していることでも
あるが、今回もとても偶然の事とは思えない。それだけに思い入れも格別
であった。

 次回開催(9月上旬)を更に改善し、11月9日(火曜日)に開催予定
であるプロの活弁士「佐々木亜希子」の口演に向けて更なる飛躍を期待して
いる。そして観光協会の皆さんが目指しておられる地元の観光事業発展の
一助となり、玉島の活性化に貢献できればと思っている。
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止まらぬ石油流出

2010-06-26 13:55:15 | Weblog
 史上最大の海洋汚染だと言われているメキシコ湾での原油流出事故。
何しろ油の流出箇所は深い海の底。油の流出を止めるのは容易なことでは
ない。

 今までにもタンカーの座礁や転覆、あるいは三菱石油の重油貯蔵タンク
破損による瀬戸内海への流出事故など、海洋汚染事故は数限りなく発生
している。

 そもそも原油は地球が原始の海だった頃、爆発的に増殖した微生物達が
気の遠くなるような時間をかけて作り出してきたと言われている。原始の
地球には今の酸素と同量くらいの二酸化炭素があったと言われている。
この二酸化炭素を消費(固定)し、大量の酸素を吐き出して今のような
大気を作り出したのは微生物の働きによるものだと言われている。

 いわば原始の地球にあった大量の二酸化炭素が一部は油に一部は酸素に
なったのだと推測されている。今の地球上の大気には、わずかに0.3%強の
二酸化炭素しか含まれていない。

 人類は近年の百数十年間で地下に貯えられてきた膨大な量の原油を使い
産業を大きく発展させてきた。その結果、大気中の二酸化炭素の濃度は
徐々に上昇を続けている。地球温暖化の一因だと言われている。

 そして今回の原油流出事故である。今や地上での石油採掘は限界に来て
いると言われている。そこで目を付けたのが海底に眠っている石油資源の
開発である。

 海底からの掘削は容易なことではない。地上に於ける掘削でさえ危険が
伴うことなのに、ましてや人の目の届かない海の底での作業は莫大な費用
と技術を要する。その上に危険が伴う。どのような事故が発生しても不思議
ではない。

 ましてや、この地域は巨大なハリケーンの発生する場所でもある。仮に
今回の事故がなかったとしても、これから先どのような事故が生じていた
かは分からない。

 今回の原油の流出は油井からの噴出であり、とてつもない量である。
タンカー事故のように限界がない。そして今もなお海流によって拡散を
続けている。

 この地域は観光地であり漁業資源の宝庫でもある。そして近くの海岸は
鳥類など数多くの生物の繁殖地でもある。生物多様性が叫ばれている昨今
多くの生物の消滅が危惧されている。

 人類の飽くなき欲望は止まるところを知らない。私たち人間には多くの
種を絶滅させてまで自らの暮らしを豊にする権利があるのだろうか。

 オバマ大統領は今回の事故を契機に石油に依存する生活のあり方を見直し
たいと言っている。良識あるものであれば当然の事だと言えよう。しかし
実行するとなると容易な事ではない。私たちは現代の豊で便利な生活に
慣れきっているからだ。みんなで考えなければならない問題である。

 それにしてもメキシコ湾は、これから秋にかけてハリケーンのシーズン
である。ひとたび大型ハリケーンが発生すれば原油は一気に拡散するかも
知れない。一日も早い解決が望まれる。
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サッカー決勝トーナメントへ

2010-06-26 06:15:52 | Weblog
 当初の予想を覆すように、日本のサッカーチームは快進撃を続けている。
しかし、決勝戦までの道のりは、決して平坦ではなかった。練習試合では
負けが続き、岡田監督に対するマスコミの報道はひどかった。

 結果を見守る姿勢のないまま、批判や予想ばかりで報道する昨今のマスコミ
のあり方に、うんざりさせらている毎日である。報道のあり方はスポーツ
ばかりではない。何か人目を引くようなことを報じなければ売れないと
ばかりの番組や記事の書き方に、これでも天下の公器と胸を張って言える
のだろうかと思っている。


 私のような日頃サッカーに関心のないものでも今回の決勝進出は大変
嬉しい。これからも試合は続く。監督さんやスタッフ、そして選手の
皆さんは体調管理に気を付けて頑張って欲しい。予選での試合は負けた
試合も含め極めて良い試合だった。久々に日本男児ここにありと言う姿を
見せてもらった。良い試合を続けて欲しい。日本の若き侍達よガンバレ。

 思い起こせば5年ほど前の旅行で私も南アに立ち寄ったことがある。
地球一周南廻りコースの途中であった。私たちの船はケープタウンに
入港した。これがアフリカかと思うほど美しい街であった。反面、郊外には
ソエトと呼ばれている電気もないような貧しい集落が延々とと続いていた。

 一口にアフリカと言っても決して暑いところばかりではない。比較的
過ごしやすいところも少なくない。特に南アは緯度的にも赤道から離れて
いて、しかも南極からの冷たい海流が北上していて過ごしやすい。

 ブドウ栽培やワイン作りなど適している土地である。ヨーロッパ人達が
早くから住み着いた土地である。青い空と美しい花など決して暗いイメージ
ばかりではない。

 しかし、白人によって長く差別されてきた黒人の歴史は暗い。そして
今もなお経済格差は続いている。黒人の真の独立と言うにはほど遠い状態
である。こうした問題が解消するにはなお時間を要するのではないだろうか。

 それだけに、今回は南アで世界規模のイベントが行われたことに意義が
あるのだろう。成功を祈っている。
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経済と私たち

2010-06-24 06:21:42 | Weblog
 私たちの生活と経済は切っても切れない関係にある。しかも経済問題は
一国に止まらず世界に連動している。報道が少ないので、その後の推移は
分からないが、ギリシャの経済危機は回避できたのであろうか。

 EU加盟国の他の国への影響はないのだろうか。聞けば同じような
財政事情の国が少なくないようだ。日本も一歩誤れば経済危機になり
かねないと言われている。

 アメリカ発の金融危機の影響が少なからずあって景気の後退は著しかった。
やっと我慢の縮小均衡が効を奏して立ち直りの方向にあるようだが、雇用
拡大や消費拡大にまでは至っていないようだ。

 中国では、いち早く経済の立ち直りが報じられ、底堅い経済成長の最中
にあるようだが、依然として大学卒などの就職難は続いているようだ。
中国では雇用を生み出すための公共投資が盛んに行われている。いわゆる
道路や鉄道など公共のインフラ整備というものである。

 中国では、戦前の日本と同じようにインフラの整備は著しく遅れていた。
何しろ国土が広い。投資を待ち望んでいる地方は多く、国の隅々まで及ぶ
のは、まだまだ先のことではないだろうか。

 また、ここのところ待遇改善を要求してのストライキが相次いでいる。
国も国民所得を上げるために見て見ぬ振りをしているようだ。賃金が上がる
ことは、多少なりとも地方と都市部の所得格差が縮小することであり
国民所得が増えれば購買力が高まり経済発展にも繋がる。

 かつての日本も昭和40年代から50年代がそうであった。ストを構え
賃金が上がった。年間3万円近くもの賃金アップの年もあった。夢のような
時代であり、貯蓄好きと言われる国民も三種の神器から3Cや新築住宅へと
購買力はめまぐるしく高まった。バブル崩壊までの道のりであった。

 そう言えば先ほど旅行した韓国は半島改造かと思われるほどの公共事業
のオンパレードであった。この小さな国に、これほどに道路網が必要なの
であろうか思う位、どこへ行っても大規模な道路建設が行われていた。

 そして道路脇では高層マンションの建設ラッシュであった。この投資は
三大河川にも及ぶと言われていた。建設ラッシュや公共投資による自然
破壊はすさまじい。それにも関わらず都市部では就職難だとの説明があった。
 
 日本では過去の莫大な公共投資が今になって地方や国の財政事情を逼迫
させている。景気が良くないと雇用不安や経済が停滞する。しかし、今まで
のように公共投資に頼るわけにはいかない。ジレンマである。


 本当に今までのような経済のあり方が正しい方法であったのであろうか。
経済は等しく国民のために機能していたのだろうか。経済活動がなければ
人間は生きてはいけないのだろうか。

 経済問題は、政治問題や社会問題と言った色んな問題に大きな影を
落としている。自暴自棄になり無差別な殺人を行う、幼児虐待などと言う
非人間的なことが平気で行われる、そんな世の中に変化してきたのも
経済問題と言うものの負の部分に他ならないのではなかろうか。
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梅雨真っ盛り

2010-06-24 05:21:42 | Weblog
 今は梅雨真っ盛りと言うところだ。幸いなことに夜中に降って朝には
止むというパターンがここのところ続いている。春先に大量の雨が降った
ので、あるいは空梅雨なのではないかと心配されたが、どうやら杞憂で
あったようだ。雨は降るべき時に降らなければ困る。ましてや今年のように
上流のダムの掃除とかで、空になっていればなおさらのことである。

 今年は多忙な年になりそうだという年初の予想通り、管理を任されている
御大師堂の屋根修理がいよいよ始まった。古い瓦を取り除いて新しい瓦に
置き換える作業が続いている。今のところ雨に邪魔されることなく修理は
順調に進んでいる。時期が時期だけに修理が一日も早く終わることを願って
いる。

 もう一件は創作舞台の事である。この方は私一人だけの任務ではないので
少しは気楽であるが、舞台稽古などが始まれば、そうも言ってはおられない
のではなかろうか。

 その他、我々夫婦が出演する活弁もある。この方は先日、岡山西大寺での
口演が終わったばかりである。次は6月26日の玉島のホテルセントイン
倉敷での口演が控えている。こちらは玉島観光協会の主催である。

 既にRSKのラジオの方で濱家輝夫さんの番組に出演し、演ずる予定の
「豪傑児雷也」の一節を語らせて貰いインタビューを受けた。また、玉島
テレビの方では録画撮りがあり、ここでもインタビューの後で児雷也の
一節を語った。山陽新聞の取材も受けた。

 この企画の事務局に聞けば、既に100人近くの方の入場が確定して
おり、当日も幾人かの入場予定者がおられるであろうと言う事であった。
責任は重大である。

 家の改造も同時進行中である。窓ガラスをペアガラスに替え、部屋の
模様替えを行う予定である。ペアガラス交換は多少のエコポイントが付く
省エネ工事である。とは言え、かなりの出費となる。築30年以上の家で
あるから、多少の投資は必要なのかも知れない。

 春先の雨が十分乾き切らない内に梅雨が始まった。裏の畑は元々田んぼ
だったところである。従って、いったん雨がしみこむとなかなか乾き切る
ことはない。既にトウモロコシなどは根腐れが始まっている。他の野菜に
影響がなければ良いのだが。

 野菜でも果樹でも出来の良いものがあれば悪い物もある。全てが良いと
言うことはない。これが自然というものであろう。自然と向き合っていると
自然ほど偉大なものはないと感じることが良くある。

 また、自然には無駄というものがない。完璧である。その完成された
ものを壊しているのは、他ならぬ我々人間である。新しい発見も発明も
全ては自然が当たり前のように行ってきたことである。人間の行っている
のは自然がごく当たり前のようにやってきたことの追認に他ならない。
農業もまた然りである。

 最近盛んに言われ始めた自然農法もその一つではないだろうか。結局
何もしない方が良かったという訳である。

 私も自然農法を目指しているのだが、なかなか完璧というわけにはいか
ない。日々、葛藤である。今は自然農法とは行かないまでもEMなどを
使い、その真似事のような事をしている。

 しかし、以前ほど農薬は使わなくなった。今年はかつて経験したことの
ない奇跡のようなことがあった。それはスモモの収穫量である。大石早生
という品種なのだが、今まで満足な収量を得たことがなかった。木ばかりが
大きくなって、ほとんど実を着けなかった。

 その木に今年は実に大量の実が着いたのである。むろん貢献したのは
EMばかりではないだろう。色んな条件が良かったに違いない。しかし
EMを使い始めてから二年近くが過ぎ、具体的には紹介しにくいが、確実に
変化が生じている。その一つが今年のスモモである。先にはジャガイモも
たくさん取れた。

 さて、この長い病害虫の発生しやすい梅雨の時期をどのように乗り切って
それなりの収穫が得られるのであろうか。夏野菜、各種の芋類、そして桃や
その他の果樹の収穫はどうなるだろか。先のことは誰にも分からない。
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梅雨の晴れ間

2010-06-15 04:43:33 | Weblog
 昨日(6月14日)活弁口演が終わった。今回は西大寺のコミュニティ
関係の皆様方が主催をして下さった。振り返って見れば昨年、都市緑化
フェアで環境講演を行った会場近くであった。

 縁遠い場所であった西大寺がにわかに縁ある場所となった。今回の
口演は昨年、光南台公民館で主催された行事として私達が活弁士として
出演させていただいた際、鑑賞して下さったOさんご夫妻の熱い思いに
よるものであった。

 Oさんは子供の頃に実際の活弁を見たことがあると話しておられた。
その感動が忘れられずにいたところ、思いがけず私達夫婦による活弁を
見て大変驚き感動したとの事であった。

 実は私の思いも同じで、想像の中でしか思い描けなかった実際の活弁を
見たときには、感動と言うより大げさに言えば衝撃に近い思いであった。
それもうら若き女性弁士であったことが更に驚きであった。

 Oさんには、いつかは地元の人にも自分の感動を伝えたいという強い
思いがあったのであろう。しかし、感動を伝えるのには他の方法がない。
幾ら言葉を尽くしても活弁なるものを伝えることはまず不可能に近い。
実は見聞きしていただくしか方法がないのである。

 活弁を見聞きして頂くには、まず会場へ来て下さいとしか伝えようが
ないのである。こうして新しい出会いが始まっていく。まずは私達夫婦の
熱い思いが始まりであった。そして宣伝のためだと引き受けた活弁が
自らのボランティア活動になってしまった。

 そして様々な会場で多くの方々に見聞きしていただくことに。思えば
活弁を通して人と人が不思議な縁で結ばれているような気がしてならない。


 日本人にとって誇るべき報道が続いている。一つは宇宙船ハヤブサの
帰還である。七年という気の遠くなるような歳月をかけて、イトカワと
いう小天体まで行き帰ってきたのである。

 一時は通信不能になり帰還のためのエンジンが故障しと、まさに満身
創痍の状態であった。それにも関わらず何万キロという宇宙の彼方から
戻ってきたのである。宇宙船ならずとも良く帰ってきたと頬刷りしたく
なるような愛おしさを感じるのは私だけであろうか。

 全ては日本の誇るべき技術と関係者の日夜を分かたず努力された事が
この度の快挙に繋がったものと思われる。日本人はとかく自分の能力を
低く見る傾向がある。謙虚だと言えば聞こえは良いのだが、自己主張や
はったりの多い世界から見れば不思議でならない。

 もっと誇るべき時は胸を張って誇れば良いと思うのである。大げさに
言えば大宇宙航海時代の幕開けだと言えなくもない。「2001年宇宙
の旅」は古いSF映画だが、やっとその時代が、そう遠くない日に実現
しそうな気がしてきた。

 既にアメリカでは国家の威信をかけて有人の火星探査という壮大な
プロジェクトが始まるようであるが、是非とも実現させて貰いたい。
そして、日本も日本なりの技術力を生かした次なるプロジェクトを
スタートさせて貰いたい。

 そして、サッカーは初戦のカメルーンに辛くも勝った。1対0と言う
接戦であったようだ。あったようだと言うのは、私自身とても疲れていて
試合など見る余裕もなく眠ってしまったからである。

 まだまだ試合は続く事になる。頑張って欲しい。過度な期待はせず
それでも日本代表を信じて応援したい。

 思い返せば会場となっている南アフリカは6年ほど前に行ったことの
ある国である。実に美しい国である。しかし、一日一ドルにも満たない
収入で生活している人が少なくない。アパルトヘイトがなくなって既に
久しいが、未だに多くの生活困窮者がいる。白人と黒人の人種差別
そして貧富の差は今も続いている。
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新政権誕生

2010-06-12 05:36:06 | Weblog
 政権投げ出しと揶揄されるほど簡単に鳩山政権は終焉してしまった。
民主党政権誕生以前から鳩山さんと小沢さんの政治資金問題が大きく
マスコミに取り上げられ、異常とも思えるほどの報道の中で、新政権
としての動きが封じられてしまった。

 普天間の問題も国民の後押しがなかったとは言え、鳩山さんの決断力の
なさもあって、あたら関係者を騒がせたまま自らの退任となってしまった。

 鳩山さんも小沢さんもいわば二世、三世議員である。その点に於いては
自民党議員の多くも同じである。圧倒的な数の二世、三世議員が当然の
ことのように議員という要職にあり、政権を握ってきたのが日本に於ける
戦前戦後の政治であった。それが民主党政権の誕生、そして菅さんへと
政権が手渡された。

 今回、菅総理誕生に当たって現場取材をしていた記者が、興奮気味に
いみじくも革命だと言ったのは、そのことだったかも知れない。日本は
明治維新という変則的な革命によって徳川幕府から天皇家に権力が移された。

 そして、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」にも描かれているように、欧米
列強による植民地支配をかろうじて逃れることが出来た。しかし、明治維新
がフランス革命のように市民革命だったかというと、そうではなかった。

 明治維新になっても政治権力は天皇に戻されただけで、依然支配階級は
温存されてきた。そして長い軍国主義の道を辿った後、敗戦によって
それまでの体制は崩壊した。

 しかし、それも革命ではなく他国の支配による体制崩壊に過ぎなかった。
農地は大地主から小作農に手渡されたが、あくまでGHQの命令による
棚ぼた式のものであった。

 また、戦後の政権もアメリカの支配しやすいような形に作り変えられた
ものに過ぎなかった。自衛隊にしても朝鮮戦争時に後方部隊としてアメリカ
の都合の良いように、にわか作りで編成されたものに過ぎなかった。

 私達は自らの手によって何かを為してきたという経験がない。その意味
合いに於いて民主党が政権の座に着いたこと、はからずも菅政権が出来た
ことは民主的な手段による革命だと言えば言えなくもない。

 菅さんが就任に当たって述べていたように、多くの閣僚や党の主要人事
は普通のサラリーマン世帯の子弟であり、若い世代が圧倒的に多い。温かく
見守って欲しいという菅さんの心情が良く分かる。

 自らの手で選んだ人達による政権である。私達は過剰な期待やあたら
大騒ぎして新政権を短命に終わらせ、あるいは以前のような二世、三世
議員の多い自民党に戻すようなことがあってはならない。

 「龍馬伝」に描かれた当時の土佐は、上士と下士に分けられ分断支配
されていた。上士は当然の如く要職に就き、下士はどんなに優秀であろう
とも要職には就けなかった。その鬱積した不満が尊皇攘夷と言う形となって
噴き出した。

 それもあえなく志半ばでつぶされてしまう。徳川幕府に恩顧を感じる
大殿様の変節によるものであった。武市半平太は牢に繋がれ多くの同士が
殺されていく。

 「龍馬伝」は何を描こうとしているのであろうか。執拗にこの間の経緯
を追っている。一方、龍馬は尊皇攘夷とは関わりなく勝海舟の元で海軍を
作るために奔走する。海軍力の強化こそ欧米列強と対等に互していく手段
だと感じていたからに他ならない。

 そして、帝国主義は明治維新から太平洋戦争へと欧米列強が目指して
いたものと同じ道を歩んでいくことになる。あの時、欧米列強に反発を
感じていたその思いをそのままにアジア各地の独立運動を支援していた
なら、どのようになっていただろう。

 中国を分断支配するような愚かな行為をしていなかったら今の日本は
もっと誇り高くアジア諸国から尊敬されるような国になっていたのでは
ないだろうか。歴史を戻すことは出来ない。しかし、反省を今後に生かす
ことは出来ると思うのだが。
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季節の変わり目

2010-06-02 05:19:42 | Weblog
 何だかんだと批判をされながらも子ども手当の給付が始まった。また、
子ども手当を巡って色んな商戦も始まっているようだ。ささやかながらも
景気回復の一助になればと思う。

 しかし、子ども手当が出生率の回復に繋がるとは思えない。保育園や
幼稚園、そして産婦人科や小児科など子育てに関しての改善すべきことは
多い。今後は是非とも、こうした制度や施設など子育てに関するバックアップ
体制の改善を望む。

 あれだけの経済成長を達成している中国も大学卒の就職難だとのこと、
どこの国にもそれぞれの悩みや苦しみがあるようだ。いつの時代も人の
世に悩みや苦しみは尽きぬものらしい。

 そして、我が国の政治は混迷を深めている。鳩山さんが辞意を表明し
どうやら副総理だった菅さんへと慌ただしくバトンは手渡されていくようだ。

 いったいこの国は、と言うよりマスコミとマスコミに誘導された国民は
何を考え何を求めているのだろう。戦前とは異なる形での大本営発表の
ような報道のあり方が見えてくる。せっかく自らが選んだ戦後初めての
民主的な政権交代をいとも簡単に放り捨てようとしているかに見えてくる。

 同じような事を感じている人は意外にも多いようで、先日もある会合で
マスコミの報道が一方的すぎるという話が出た。そんな事を日頃は口に
しないような人だったのでいささか驚いた。それが、その人だけの発言
ではなく、その場にいた他の人も同じように言っていたので、なお驚いた。

 特に地元新聞である山陽新聞に対する批判は辛らつであった。新聞離れ
と言う現象も意外なところから、始まっているのかも知れない。広告収入
に狂奔し顧客に迎合する余り、せっかくの購読者まで失いかねない状況で
ある。

 そんな人の世の混乱や悩みとは関係なく、歳月は確実に時を刻み、季節
は移り変わっていく。朝夕の肌寒さは今も残っているようだが、やっと
昨日ぐらいから日中の気温は上がり始めたようだ。

 自然のものは人間以上に敏感である。夏野菜の成長が良くなかったのは
決して肥料不足などではなかった。気温が低すぎたからのようだ。欲の
固まりのような人間は、少し成長が悪いと肥料不足なのだろうかなどと
考えうろたえてしまう。

 そんな異常気象ながらも我が家のジャガイモやタマネギの出来は悪く
ない。また、今までにほとんど実が着いたこともない梅の木に、今年は
たくさんの実が着いている。その隣のスモモにもかつてないほどの実が
ぶら下がっている。枯れかけていた「梅花うつぎ」に、今年はたくさん
の花が咲いた。花咲かじいさんが咲かせた桜の木のように枯れかけていた
木に花が咲いた。

 どうやらEMのお陰らしい。かつて経験したこともないような状況が
我が家の畑では奇跡のように次々に現れている。最初の頃は驚いたり
喜んだりしていたのだが、あまりにもこうした事がが多いので、今は
当たり前のことのように思えてきた。人間というものは現金なものである。

 EMは肥料ではない。また、成長ホルモンでも万田酵素のような活性酵素
でもない。ただの微生物集団である。しかし、確実に言えることは土の中に
何らかの変化が生じているようだ。

 いわゆる草木の根の周辺に大きな変化が生じているに違いない。EMを
使い始めて足かけ三年になる。確かなる手応えを感じながら、最終的な
目的である自然農法を目指して確実な一歩を踏み出したように感じている。

 人の知らないこと、気付いていないことは多い。今後も自然のあり方を
手本にしながらの発明や発見は続いていくであろう。人のしていることは
自然が当たり前のようにしていることの追認に過ぎないように思えるので
ある。
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