先日、小学校へ省エネ出前授業に行った際、君たちは太陽の子だよと言ったら
子供たちはみんなきょとんとしていた。
実は私たちの生活の全てが太陽に依存している。そもそも太陽の存在がなければ
地球上の生物は、ここまで進化していなかったかも知れない。
私たちの体は太陽が育てたものを食べて作られている。いわば太陽エネルギーが
形を変えて、この地球上の動植物になっている。むろん他の動物や植物を食べ物
にしている私たち自身も同じことである。
伝説的な話になっているが、学校給食を食べるとき、ある母親が「いただきます」は
自分の子には言わせないで下さいと言ったとか。本当にあった話かどうかは定かでないが
この場合の「いただきます」は、学校給食のお金を支払っているからと言うわけではなく
自然の恵みに対しての感謝の言葉である。決して給食を作ってくれている学校に対して
言っているわけではない。勘違いも甚だしい。私たちは自然の恵みなしでは生きていけない。
多くの動植物の命を頂いて生きている。
さて、地球上のエネルギーの全ては太陽が作り出したものだ。過去の遺産である
石炭も石油も天然ガスも全ては太陽エネルギーが姿を変えたものだ。太陽エネルギーを
得て動植物達が気の遠くなるような歳月をかけて作り上げてきたものだ。それが姿形を
変えて地中深く閉じ込められてきた。それを掘り出して使っている。遠い昔に太陽から
来た光と熱エネルギーが姿を変えたものである。
しかし問題なのはエネルギーとして閉じ込められたのは電気や熱や光そのものでは
なかった。全ては炭素との化合物という形で閉じ込められてきた。当然のことながら
使えば使うほど炭素は二酸化炭素と言う酸素との化合物として大気中に放出される。
放出されたものは温暖化ガスとなり地球温暖化の原因となっている。
産業革命以来、大気中の二酸化炭素は増え続けている。気候変動は複雑なメカニズム
なので全ての原因を二酸化炭素など温暖化ガスに転化するわけにはいかないが、大きな
原因の一つとして考えても間違いはないだろう。
実は風も波も海水以外の水も太陽エネルギーが姿を変えたものである。風力発電
太陽光発電、水力発電、全ては太陽エネルギーによるものである。ところがエネルギー源
として一つだけ異質なものがある。それは太陽に依存しないエネルギー源である。
それがウランの崩壊熱による原子力である。太陽エネルギーとは全く異なるものが
今私たちを悩ませている。最終処分もできず、いわば垂れ流しの状態で使い続けている。
原発はパンドラの箱のようなもので一度ウラン235が崩壊を始めるとおびただしい
物質を作り始める。それらがプルトニウムやセシウムと言った放射性物質である。
放射性物質は自ら崩壊をし続けながら安定するまで放射能と言う電磁波を出し続ける。
この電磁波が人間や他の動植物の遺伝子を壊していく。実に厄介で恐ろしいものだ。
原子炉はいわば開けてはいけない「パンドラの箱」のようなもので、いったん開けて
しまうと魑魅魍魎(ちみもうりょう)が次々と飛び出してくる。決して地球温暖化防止
の切り札などではない。
私たちは残念ながら騙されてパンドラの箱を開けてしまった。今や取り留めのない
放射能と共存していかなければならない時代に生きている。罪科のない幼子たちまで
巻き込んでしまった。その責任は重い。私たちはどのように将来に対し責任を取れば
良いのだろうか。知らなかったで済むことなのだろうか。深く反省したい。
私たちは間違いなく太陽の子として生まれてきた。私たちを生んでくれた親たちも
太陽の分身だ。いずれ太陽のもとへ帰っていく運命にある。もっと生きることの本当の
意味を考えてみたい。そして明日からと言わず今から生き方を考えてみたい。
子供たちはみんなきょとんとしていた。
実は私たちの生活の全てが太陽に依存している。そもそも太陽の存在がなければ
地球上の生物は、ここまで進化していなかったかも知れない。
私たちの体は太陽が育てたものを食べて作られている。いわば太陽エネルギーが
形を変えて、この地球上の動植物になっている。むろん他の動物や植物を食べ物
にしている私たち自身も同じことである。
伝説的な話になっているが、学校給食を食べるとき、ある母親が「いただきます」は
自分の子には言わせないで下さいと言ったとか。本当にあった話かどうかは定かでないが
この場合の「いただきます」は、学校給食のお金を支払っているからと言うわけではなく
自然の恵みに対しての感謝の言葉である。決して給食を作ってくれている学校に対して
言っているわけではない。勘違いも甚だしい。私たちは自然の恵みなしでは生きていけない。
多くの動植物の命を頂いて生きている。
さて、地球上のエネルギーの全ては太陽が作り出したものだ。過去の遺産である
石炭も石油も天然ガスも全ては太陽エネルギーが姿を変えたものだ。太陽エネルギーを
得て動植物達が気の遠くなるような歳月をかけて作り上げてきたものだ。それが姿形を
変えて地中深く閉じ込められてきた。それを掘り出して使っている。遠い昔に太陽から
来た光と熱エネルギーが姿を変えたものである。
しかし問題なのはエネルギーとして閉じ込められたのは電気や熱や光そのものでは
なかった。全ては炭素との化合物という形で閉じ込められてきた。当然のことながら
使えば使うほど炭素は二酸化炭素と言う酸素との化合物として大気中に放出される。
放出されたものは温暖化ガスとなり地球温暖化の原因となっている。
産業革命以来、大気中の二酸化炭素は増え続けている。気候変動は複雑なメカニズム
なので全ての原因を二酸化炭素など温暖化ガスに転化するわけにはいかないが、大きな
原因の一つとして考えても間違いはないだろう。
実は風も波も海水以外の水も太陽エネルギーが姿を変えたものである。風力発電
太陽光発電、水力発電、全ては太陽エネルギーによるものである。ところがエネルギー源
として一つだけ異質なものがある。それは太陽に依存しないエネルギー源である。
それがウランの崩壊熱による原子力である。太陽エネルギーとは全く異なるものが
今私たちを悩ませている。最終処分もできず、いわば垂れ流しの状態で使い続けている。
原発はパンドラの箱のようなもので一度ウラン235が崩壊を始めるとおびただしい
物質を作り始める。それらがプルトニウムやセシウムと言った放射性物質である。
放射性物質は自ら崩壊をし続けながら安定するまで放射能と言う電磁波を出し続ける。
この電磁波が人間や他の動植物の遺伝子を壊していく。実に厄介で恐ろしいものだ。
原子炉はいわば開けてはいけない「パンドラの箱」のようなもので、いったん開けて
しまうと魑魅魍魎(ちみもうりょう)が次々と飛び出してくる。決して地球温暖化防止
の切り札などではない。
私たちは残念ながら騙されてパンドラの箱を開けてしまった。今や取り留めのない
放射能と共存していかなければならない時代に生きている。罪科のない幼子たちまで
巻き込んでしまった。その責任は重い。私たちはどのように将来に対し責任を取れば
良いのだろうか。知らなかったで済むことなのだろうか。深く反省したい。
私たちは間違いなく太陽の子として生まれてきた。私たちを生んでくれた親たちも
太陽の分身だ。いずれ太陽のもとへ帰っていく運命にある。もっと生きることの本当の
意味を考えてみたい。そして明日からと言わず今から生き方を考えてみたい。
この場合の「いただきます」は、・・・・自然の恵みに対しての感謝の言葉である
・・・・ 本当にそのように感じます。
ずっと昔のことです。
ある日の夕食時でした。
妻と二人で食事をしていました。
箸に摘ままれた、白く光るご飯に気づきました。
それを見た瞬間、フッ! と心が感じました。
『 米粒の いのちを食べる 我があり・・・・』
他の生命を頂いて、生かされている私がここにあるのですよね・・・・・
君たちは太陽の子だよと言ったら子供たちは みんな " きょとん " としていた
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私は子供達が歓声や拍手ではなく、"きょとん"としていたことに安堵しました。
それは、人間が食物連鎖の頂点にいる特別な存在ではなく、人間の"いのち"と他の生物の"いのち"の共生であることを、子供達が既に学びつつあるのかなと感じさせてくれたからです。そんな気がします。
ごめんなさい。お詫びいたします。
すばらしい活動です。何度も読み返しました。
子供達のお便りや絵画は何物にも替え難い宝物ですね。
"太陽の子"のフレーズは、世界の原始文明でも叫ばれ、
人間が地球上の最上位にある特別な生き物として
太陽崇拝をしていたと思われ、
生け贄を捧げたような遺跡もあったように記憶しています。
私は、貴殿の純粋性を誰かが悪用しているのではないか・・・
と勝手な妄想をして誤解をしていました。
重ねてお詫び申し上げます。