人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

今年一年

2007-12-30 06:48:43 | Weblog
 何かと事件の多い昨今ですが、この騒がしさと慌ただしさのまま
今年も終わろうとしています。皆さんにとって、この一年はどんな
年だったのでしょうか。

 偽装という言葉がキーワードになるほど、世間を騒がせるような
事件が次々に起こりました。しかし、偽装問題は今年だけの問題では
なく、金儲けの手段として、すでに何年も前から行われてきたこと
です。つまり偽装がバレて事件になったものが、今年に集中化した
だけの事です。表面化はしていなくても日常的に偽装なるものが
行われて来ました。こうしたものが昨今、次々に明らかになっている
だけの事です。

 お隣の中国では、人の命に関わるほどの深刻な問題が発覚して
います。そうしたものが、国内だけでなく海外に輸出され大事件に
なっています。どうやら日本国内だけの問題ではなく、全世界的な
問題だと言えそうです。

 人間社会はお互いの信頼関係で成り立っています。法律は作られて
いても事件として検挙されたときにだけしか機能しません。表面化
しなかったものは依然、闇の中のままです。

 こうした事件を起こさないように未然に防ぐことが出来るのは
人間の良心だけです。良心がなくなると、お互いの信頼関係も崩れて
しまいます。お互いに何を信じたらよいか分からなくなってしまう
からです。

 地球環境は様々な形で大きく損なわれています。大気汚染、海や
河川、湖の汚染、環境ホルモン、ダイオキシン、各種の化学薬品に
よる汚染、石綿による汚染、そして一番大きいのは地球温暖化や
オゾンホールという地球規模の環境問題ではないでしょうか。

 こうした事と政治や経済、社会問題とは無関係ではないような気が
します。何かしら人間の心と密接な繋がりがあるように思います。
お金が全ての世の中に変化し始めた頃から、環境問題も心の荒廃も
起き始めたような気がするのです。もっと慎ましく生きてきた時代
には、困っている人がいれば声を掛け助け合ってきました。

 お金ではなく、心と心で繋がっていた時代があったはずです。
そうしたものが失われ崩れ始めた頃から殺人事件などが多発する
ようになってきました。

 お互いの心と心を取り戻す事は地球温暖化防止のキーワードの
ような気がします。来年こそは、その出発点にする事は出来ない
でしょうか。

 振り返れば私にとっては、大きな飛躍の年でした。定年退職後の
三年、この三年間でこれからの生きるべき道が見つかったように
感じています。この延長線上に「人間性を取り戻す」「愛と信頼関係
で結ばれた社会を作る」と言った目標を置いています。

 地球と人間は一体のものです。人間が心を改めない限り、この地球
は、ますます病んでいきます。来年こそは良い年にするようにお互い
に努力したいものです。
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メリークリスマス

2007-12-24 21:48:28 | Weblog
 クリスマスだと言ってもプレゼントを喜んでくれる子供達も人の親と
なるような年齢になってしまった。長女には二歳になる子供がいる。
彼らが小さかった頃、枕元に置いてあったプレゼント、ある時は枕元に
置いておくことが出来なくて玄関先に置いてあった大きなプレゼント。

 みんな私達夫婦がこっそりと置いたものだったが、大きくなるまで
ずっとサンタさんが届けてくれるものだと信じていたようだ。今日は
サンタさんが来るのを見届けるのだと言いながら、いつしか深い夢の中。
我が家では長く子供達の就寝時間は午後八時だと決めていた。だから、
お父さんやお母さんは苦労することもなくサンタさんになって枕元に
プレゼントを置くことが出来たのだ。

 このように期待に胸を膨らませながらプレゼントを心待ちに出来る
子は幸せな子供達だ。しかし、世の中には幾ら待ってもサンタさんが
来てくれない子供達がたくさんいる。
 それどころか多くの国では戦争の恐怖や飢餓と隣り合わせで暮らして
いる子供達が幾万人となくいる。そのことを考えると日本の子供達は
何と幸せな事だろう。この幸せがいつまでも続くことを願って止まない。

 貧しかった私達の子どもの頃、サンタさんの贈り物はと言えば、今も
お菓子屋さんの店頭に飾られている赤い靴の中に入ったお菓子だった。
そんなお菓子でも貰える子供は幸せだった。今の世の中よりは、もっと
貧しかった時代だけに、そんなプレゼントさえ貰えない子もたくさん
いた。

 いつの世も幸不幸は背中合わせであり、不公平はつきまとうものの
ようだ。みんな等しく幸せであって欲しい。それが私の願いである。

 しかし、この幸せも長くは続かないのではないか。そんな不安が
ふとよぎる昨今である。今年の冬も夏と同じように気温が高い。異常
である。その異常を異常と思わなくなった人間の異常さが恐ろしい。
 
 子どもの頃の冬至と言えば手足には霜焼けがいっぱい出来ていた。
雪の降りしきる中でカボチャの入ったみそ汁と白い大きなおにぎりの
何と温かくて美味しかった事か。お月様と読んで親しんでいた神様の
冬至の日に行われる行事での「お接待」だった。

 過ぎ去った遠い日のひとこまを思い出を思い起こしながら、それに
しても温かい冬だと感じている。先日、久々に本格的な雨が降った。
この温かさと冬には珍しい豊富な雨に恵まれてハクサイもキャベツも
大根もブロッコリーも一段と大きくなった。

 雨はありがたい。季節外れの雨ではあったが、岡山県西部の給水制限
は一時的に解除になった。このように温暖化を実感するようになって
何年になるだろう。本当に心配なことである。

 寒い季節は寒くなければいけない。とは言いながら、暖房の灯油代が
値上がりした昨今、温かいことはありがたい事でもあるのだが。・・・
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健康生きがいづくり講座終わる

2007-12-22 05:55:26 | Weblog
 私達は4人のメンバーは、健康生きがいづくりアドバイザーの講習会
の場で知り合った。お互いの居住地が同じであることから研修が終わる
頃から急に親しくなった。

 私の呼びかけで地元の文化協会に入って貰い、共に活動するように
なった。文化協会に入っただけではつまらないと、今回のような講座
を開くことになった。公民館との交渉では色んな紆余曲折があったが、
人権問題の講座として開催させて貰うことになった。

 健康生きがいづくりと人権問題、広い視点で見れば関係のないこと
ではない。メンバー4人が、それぞれのパートを担当し都合4回の講座
であった。人集めが大変だった。本来の対象者は定年前か定年直後の
人であったが、集まった人の中にはかなりな高齢者もいた。

 これはこれで仕方のないことだし、高齢者が聞いてくれても良い話
でもあった。私がトップバッターとなり9月から始まった。9月と
言えば、まだまだ気温が高く冷房が必要なくらいの季節であった。

 それから4ヶ月、昨晩の12月21日に最終回が終わった。担当は
A君で、話は定年後の生活を支える経済問題であった。ライフプラン
に合わせて如何に年金や預貯金、個人年金、退職金などで死ぬまでを
食いつないでいくかと言うことがテーマであった。

 なかなか良く調査出来ていて資料づくりも申し分なかった。こうして、
A君の努力もあって好評の内に4回講座が終了した。ご苦労様でした。

 それにしても地球温暖化問題同様に、定年後の私達を取り巻く環境は
決して見通しが良いとは言えない。私達の生活の支えである年金問題
一つにしてもさっぱり先の見えない状態である。

 自民党は選挙で公約をしておきながら、そんな約束をした覚えなど
ないと年金調査に関し開き直ってしまった。まったく、ふざけている
としか言いようがない。将来に不安を抱いている年金受取人を本気で
救済しようという考えを持っているのだろうか。

 あまりにも凶悪な事件が多く、その報道の蔭に隠れて報じられる
ことは少ないが、高齢者など生活に行き詰まった人達の自殺や餓死者
まで出ているという。文化国家、世界の先進国を自認する日本の姿で
あろうか。

 格差社会と言われ初めて久しい。もっときめ細かい生活援助の施策
が必要だ。その資金は大企業や大きな資本を投資して救済した銀行など
に出させればよい。銀行は人の金で大儲けをしているではないか。

 次の選挙では絶対に自民党を政権の座から下ろさなければ日本の
未来はないと思うのだが。
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水不足

2007-12-16 06:26:31 | Weblog
 多くの人は水不足の問題に関しても地球温暖化問題と同じように
さして深刻には考えていないようだ。しかし、ここのところ西日本
地方は深刻な水不足状態が続いている。雨らしい雨が降らないからだ。
 
 今年は台風シーズンにも、ほとんど影響を受けるほどの台風は
来なかった。台風は進路次第で、三年前のように相次いで襲来する時
もあれば、今年のように、ほとんどの台風が大きく旋回することなく
北上を続けることもある。
 
 今年の台風は後者の方であった。秋雨シーズンにも、ほとんど雨は
降らなかった。従って、夏から秋、そして冬にかけてまとまった雨は
まったく降っていない。山間部には、にわか雨が何度か降ったようで
あったが、この雨も大きなダムを満たすほどの量ではなかったようだ。
 
 この季節になって高梁川上流のダムが貯水率50%を切ったという
報道がなされ、取水制限が発表された。このまま雨の降らない状態が
続くと、来年の田植え時期に決定的な水不足が懸念されるようだ。

 私達が住んでいる岡山県は他県に較べ水には恵まれている。三つの
一級河川があるからだ。東から吉井川、旭川、高梁川である。高梁川
下流域には広大な農地が広がっている。そして水島コンビナートが
ある。全ては高梁川が水を供給している。
 
 これだけ水を大量に必要とするものがありながら、さして水不足を
気にすることなく過ごせたのは、この高梁川のお陰である。岡山県は
他県に見られないほど中国山地までの距離がある。背景にある広大な
中国山地と奥深い地形によって水不足になることなく過ごすことが
出来たのである。
 
 しかし、私が在職中の何年か前にもよりによって二度も水不足が
懸念された。一度はダムの貯水を管理しているところが、梅雨の雨を
予測して早くから放流をしたらしい。ところが、その年は空梅雨に
近い状態で雨がダムを満たすほど降らなかった。
 
 そのため夏場の大量に水が必要な時にダムの貯水率は平年を大きく
下回っていた。そして、もう一度もやはり夏場のことであった。梅雨
の雨が少なかったことや冬場の雪が少なかった事によるものだった。

 水島コンビナートは深刻な水不足の対策として、廃水処理で処理した
水まで使う準備をした。実は、それくらい工業用水不足は深刻だった
のだ。この年、私も工場の責任者として何度か対策会議へ足を運び、
工場内での節水を呼びかけた事もあった。

 また、家に帰ると後ろめたい思いをしながら山の畑の散水を行った
ことを思い出す。そんな事にならなければ良いのだが。

 ダムを満たす水は冬の雪、菜種梅雨と呼ばれる春先の雨、そして
梅雨の雨、夏場のにわか雨、秋の台風、そして秋雨前線が降らす雨、
こうしたものが順調であれば、さして水不足を心配することはない。

 しかし、地球温暖化は、この変わらぬリズムを壊してしまった。
本来、降るべき季節に雪や雨が降らないのだ。地方によって極端な
偏りがあるのも温暖化の特徴の一つだ。地方によっては被害が出る
ほどの集中豪雨に繰り返し襲われた地方もあった。

 その偏りがあまりにもひどいのが地球温暖化の特徴だと言える。
お隣の中国では同じ国の中で一方は大洪水、一方では大干ばつが
同時進行していた。

 長く干魃の被害に悩まされてきたアフリカで洪水被害が出るほどの
大雨が降った。つい最近の事である。一方、オーストラリアでは数年
続きの深刻な水不足だ。世界中では枚挙にいとまがないほどの異常
気象の事例が発生している。

 このまま温暖化が続けば、この状態はますます加速し深刻さを増す
ことは間違いない。今は国内問題であるが国際問題ともなるともっと
深刻である。日本のように大量の食料を他国に依存している国では
食料の調達が難しくなるのではないだろうか。

 農作物の栽培には想像以上に水を必要とする。1トンの小麦を作る
のに何十倍もの水が必要だと考えた事があるだろうか。農作物の輸入
とは、そう言うものである。

 私は果樹や野菜を作っている。それも十年や二十年の単位ではない。
専業農家ではないまでも、たくさんの果樹を植えている。しかし、
この果樹作り、年を追う毎に難しくなっているような気がしてなら
ない。

 その原因の一つが数年おきに繰り返される夏場の水不足である。
特に今年は夏場の気温が過去の記録を次々に更新するような猛暑で
あった。果樹を管理している私も、そして、果樹自体も弱り果てて
しまった。

 こんな調子だと十年先まで続ける事が出来るかどうか不安である。
何処かで見切りを付けなければならない時が来るかも知れない。
そう考えながら一年、一年を過ごしている。

 COP13では、互いの国のエゴで具体策がなかなかまとまら
なかったようだ。さして大きくもない皿の中での駆け引きをして
いる間にも、温暖化ガスは増え続け取り返しのつかない状態になる
のではないだろうか。全ての国が、互いのエゴを捨て心を一つに
しなければこの深刻な状況を克服する事は出来ない。

 先日、私の地元、倉敷の小学校で地球温暖化の話をさせて貰った。
小学校はこれで二度目である。今回は、五年生90名近くだった。
熱心にメモを取りながら聞いてくれた。また、話し終わってからの
質問が多かった。質問を時間の関係で打ち切らなければならない
ほどだった。それだけ熱心に聞いてくれた。

 家庭でスイッチ付きのコンセントを使っているという子供達が
多かったのも意外であった。何よりも地球温暖化を知っているか
という私からの質問に、ほとんどの子が知っていると手を挙げた
のには驚いた。

 この子供達のように、日本中いや全世界の人が地球温暖化問題に
関心を寄せてくれることを切に願っている。
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今年の柿の木

2007-12-09 09:21:12 | Weblog
 我が家の柿の木は今年、五本ともとても寂しい状況にある。例年
ならば残り柿を餌する小鳥たちがとんできて可愛い姿を見せてくれる
はずなのだ。

 ところが、どの柿の木にも実が一つも残っていないのだ。お爺さん
が植えた西条柿が二本、家の前には富有柿と愛宕柿、山の畑に植えた
富有柿が一本、いずれの木にも一個の実も残っていない。

 二、三個残っていた富有柿も一個は収穫し、もう一個は雀の餌に
なっていたが、これも先日食べ尽くしてしまった。愛宕柿は毎年の
ようにたわわな実りを見せてくれるのだが、今年は一個の収穫もなく、
先日来の風で葉を散らせてしまった。原因の多くは夏の厳しい暑さと
乾燥、そして例年になく害虫の被害が多かった事である。

 柿の木の害虫は大きく分けて三種類、その一つがカイガラムシ、
これは幹に付いて木の汁を吸って生きている。たくさん付くと木を
弱らせて枯らしてしまう。

 柿の葉を食べるイラガの幼虫、これが多数繁殖すると、瞬く間に
葉を食い荒らしてしまう。しかもイラガの毛に接触すると激しい
痛みを伴う。幼い子供やお年寄りには要注意である。飛散した毛から
も発疹を生ずることがあると言うから、大発生したときには、早めの
農薬の散布が必要だ。

 そして、今年の大きな被害はへた虫の大繁殖によるものだ。へた虫は
文字通り「柿の実のへた」の部分を食害する。この部分に小さな穴を
空け、柿の実に栄養や水分をが行くのを阻害し、ついには柿の実が
落ちてしまう。

 この被害が例年になく長期間にわたって続いた。その結果、秋を
待たずに大部分の柿の実が落ちてしまった。こうした被害は毎年
繰り返されるようにも見えるが、異常に長期間続くと、ただごとでは
ないと気付かされる。

 やはり、へた虫の被害を持続させるような気象条件が整っていたと
言うことではないだろうか。こうした例で考えると他にも長期に亘る
異常高温による被害は年毎に増えているように思われる。まず、以前
は何とか出来ていたリンゴやナシがここ数年まったく出来なくなった。
桃も春先の害虫被害が長期間続くので、作ることが難しくなった。

 驚いたのは、夏から初秋にかけてしか見られなかったアケビコノハ
の被害が何と色付き始めた蜜柑にまで及び始めたことである。当初は
色付き始めたばかりの蜜柑がどうして腐るのか良く分からなかった。
腐った蜜柑を観察すると表面に小さな穴が開いていた。腐食はこの部分
から全体に広がっていた。

 穴はアケビコノハという夜行性の蛾が汁を吸った跡なのである。
いつまでも気温が下がらないために蜜柑が色付き始める頃まで生きて
いたようである。

 すでに地球温暖化は、色んな形で農産物に被害を及ぼしつつある
ようだ。直接の原因かどうか定かではないが、ヤマモモの木が枯れた。
巨大な木に成長していたキウイ雄木、雌木と相次いで枯れた。桜の
巨木が枯れた。プルーンが枯れた。我が家の主立った果樹や花木の
被害だけでも、これだけある。

 夏の激しい暑さが問題なのか、それとも乾燥が問題なのか、これらが
弱った木の寿命を短くしているのか。原因は一つだけではないだろう。
色んな原因が重なっていると思われるが、こんな被害が相次いでいる。

 西日本地方は、夏からずっと少雨傾向が続いている。県北地方には
そこそこの雨が降っているようだが、県南地方ではほとんど雨らしい
雨は降っていない。畑は異常な乾燥状態がずっと続いている。
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地球温暖化防止講演終わる

2007-12-04 09:26:17 | Weblog
 今年の夏の寿大学での講演に引き続き、マリン児島社会福祉協議会
での講演が終わった。ご存じのように地球温暖化問題は危機的な状況
だと言われながらも、社会的な関心は今ひとつと言った状況にある
のではないだろうか。

 一般の人達にとって地球温暖化問題など遠い存在なのか、あるいは
日々の生活に追われて、そんなことに目を向けているような余裕が
ないのか。社会的な関心は今ひとつと言ったように思えてならない。

 しかし、そんな事とは無関係に危機的な状況は日増しに強くなって
いることは間違いない。ある時を境に急速に悪化の方向に進むのでは
ないか、そんな感じがしてならないのである。

 地球温暖化現象の特徴は、大きな振幅を持って変化しているように
見える。ある年は穏やかだったが、ある年はとても激しいときがある。
また、変化にも地域によって大きな偏りが見られるようだ。極地とか
ヒマラヤのような元々厳しい環境の地域に、より大きな影響が現れる
と言うのも特徴のようだ。

 従って、今年は何事もなく過ぎたから来年も大丈夫だという保障は
何もない。いわば一瞬先は闇だと言っても過言ではない。可愛い孫の
顔を見ていると、何も知らないこの子達の生きていく先に厳しい試練
が待ち受けているのかと思うと、何ともやりきれない。

 何とかなるだろうと楽観的な見方をしている人のように果たして
画期的な解決策が見つかるのだろうか。

 私は環境問題を語るとき、人間の持つ果てしない欲望を抜きには
語ることが出来ないと思い、環境とは一見かけ離れたような人間の
生き方や、ものの見方考え方についても話すようにしている。地球
環境を、このように住み難くしてしまったのは私達人間自身である。

 決して他の生き物達がそのようにしたのではない。全ては人間の
関わりの中から生み出されたものばかりである。地球環境の変化は、
人の心の変化の現れだと見る事が出来る。

 私達の飽くなき欲求や欲望は様々なものを作りだし、それらの多くが
生活を豊にしているように見えるが、災いを引き起こしている事は
間違いのない事実である。

 環境ホルモンなどと言われている物質も、その一例ではなかろうか。
ダイオキシンなる猛毒は、元々、自然界にはほとんど存在しなかった。
プラスチック(特に塩化ビニール)という便利なものが発明されてから
急速に増えていった。

 フロンは冷蔵庫などに使われ画期的な発明品として盛んに利用されて
きた。しかし、そのフロンが大気中に大量に放出されるようになって、
オゾンホールと言う予想もしなかったものが地球の両極の上に出来て
きた。

 人間の進化は飽くなき欲望から出発している。しかし、その欲望が
社会の秩序を大きく乱すようになり、環境を大きく変化させ、自らの
生存でさえ脅かすようになってきた。

 旧約聖書のソドムとゴモラの滅亡を引き合いに出すまでもなく、今の
社会は、まさにソドムとゴモラの再現ではないのだろうか。お金と物に
固執し、狂乱の果てにあるものは人類の滅亡なのだろうか。

 このまま進めば、心ある人も狂乱に明け暮れる人も、信仰に厚い人も
無神論者も一様に同じ地獄へ堕ちていくような気がしてならない。

 宇宙船地球号というちっぽけな天体は、まるでタイタニック号の
ように大きく傾き、やがては沈んでいくような気がしてならないので
ある。

 この後、年内には二つの講演が控えている。二つの講演が終われば
今年の区切りとなる。私の話が如何ほどの効果があるのかは未知数で
あるが、このような場を提供してくれたAさんや彼をサポートして
くれた仲間の皆さんに心から感謝申し上げたい。

 この上は、この種の運動が更に大きな環になって広がることを心から
願っている。
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